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閑話 キャサリン様は変わった

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「キャサリン様は変わった」

 この言葉は、近頃よく屋敷の中で聞かれるものだ。屋敷の使用人はもちろん、公爵家の方々も、同じ認識をもっているだろう。
 キャサリン様は変わった。たしかに変わった。しかし、幼い頃から家庭教師として彼女を見ている僕、ノアに言わせれば、キャサリン様は「変わった」のではなく、「戻った」だけだ。

「ノアさんも、いらしていたんですね」
「ああ、リサ。君も来ていたのか」

 僕は今、キャサリン様の考えた「ハーバリウム」に必要なドライフラワーが、どのくらい屋敷に残っているのか見繕いに来ている。冬用に準備したものがたくさんあるという話だったが、花がないと始まらないので、実際に目で見て確かめておこうと思ったのだ。
 リサも同じことを考えたらしく、たまたま倉庫で会った。僕とリサは、ともにキャサリン様が幼い頃からこの屋敷の使用人(リサは、初めは使用人候補という立場だった)として勤めているため、長い付き合いになる。僕は家庭教師、リサは侍女としてキャサリン様の近くに居たから、必然、顔を合わせる機会も多かった。
 さすがにこれだけ長い付き合いだと、会えば会話をするくらいの関係にはなる。

「キャサリン様が、楽しそうにお話しされていたので、準備をしておこうと思って」
「奇遇だね、僕もだよ。キャサリン様は本当に、楽しそうだったね」
「あんな風に伸びやかな笑顔は、久しぶりでしたね。昔はあんな風に、いつも笑っていましたから」

 やはり長年キャサリン様と付き合っているリサも、僕と同じように捉えているらしい。キャサリン様は「変わった」のではなく、「戻った」。いつまで戻ったのかというと、あの浅慮な元婚約者、ベイル様との婚約が決まる前までだ。

「いつからだろうね、キャサリン様があんな風に笑わなくなったのは」
「それはもう、間違いなくーー」

 リサがその後の言葉を続けないのは、僕達が口にしたら、さすがに不敬に当たる台詞だからだろう。しかし、その代わりの目配せで、言わんとしていることは充分に伝わった。

 幼い頃のキャサリン様は、天真爛漫で、発想力豊かな、非常に優秀な子供だった。僕は家庭教師として彼女を教えていたけれど、その飲み込みの早さと応用力の高さには舌を巻いた。年の差があるから偉そうに教えているものの、もし同い年だったら間違いなく敵わないだろうと思っていた。
 僕が教えた知識をもとに、すくすくと賢くなっていくキャサリン様の成長を見るのが、当時の僕の楽しみだった。ちなみに、その近くにいつもいたリサも、最初はマナーも何もわからない女の子だったのが、屋敷の教育のおかげで、みるみるうちに立派な侍女になった。
 とにかく、そんな将来有望な子供だったキャサリン様の様子に、暗雲が立ち込め始めたのは、婚約が決まってからだった。

 婚約が決まった当初、僕は喜んだ。キャサリン様には、王族くらいでないと釣り合わないと思ったからだった。王太子様との婚約は、血筋の関係で果たせないから、王家の次男は嫁ぎ先としては最高のはずだった。
 ところが、真面目なキャサリン様は「王族に嫁ぐ」というプレッシャーにやられ、半ば強迫的に勉学に打ち込むようになってしまった。
 幼い頃の伸び伸びとした発想は消え、分厚い教科書の内容を詰め込み、ペーパーテストで発揮するだけの毎日。ダンスや楽器といった実技も素晴らしいものではあったが、「楽しくてやっている」という雰囲気は消え、「やらねばならぬ」という鬼気迫る勢いが感じられた。当時のキャサリン様の全てが、「王族に見合う人物になるため」に注がれていた。

 それなのに、である。
 当の王子自身は平民の同級生に熱を上げている、と聞いた時は、嘘かと思った。それが町でデートしただの、キャサリン様を差し置いて平民の方と踊っただの、噂の内容がエスカレートしていくうち、信じられない思いがした。キャサリン様が悲壮感を漂わせながら机に向かう、その雰囲気が、噂が事実であることを物語っていた。
 学園を卒業したら、結婚への道を進むしかなくなる。このまま結婚してしまったら、キャサリン様は幸せになれないのではないか。そう心配していたところに、婚約破棄の報せが舞い込んだ。あれほどベイル様に入れ込んでいたキャサリン様がどうなってしまうのか、燃え尽きてしまうのではないかという懸念は、杞憂に終わった。全く落ち込む様子のないキャサリン様の姿に、僕は心底ほっとした。

 キャサリン様が変わった、と皆が言うようになったのは、それ以降だ。使用人に優しいだの、あんな笑顔は滅多に見たことがないだの。けれどそれは、キャサリン様の幼少期を知らない者の台詞でしかない。
 楽しい時は楽しそうに笑い、拗ねた時には拗ねた顔をする。リアン様に抱きつかれると、あからさまに困惑した顔つきになる。表情がころころと豊かに変わる。それは、かつてのキャサリン様が持ち合わせていた美徳だ。その表情の変化を久しぶりに見るのが僕の楽しみになり、時には敢えてからかったり、おどけたりして見せた。僕の態度にすぐ表情を変えるキャサリン様を見ると、彼女は漸く解放されたのだ、と実感できて嬉しくなる。

「キャサリン様は変わった、と皆言うだろう? でも僕は、そうではないと思うんだよね」
「それって、キャサリン様は昔からそうでいらした、ということでしょうか」

 リサは、僕の思っていたことを的確に言い当てる。

「そう。わかるかい?」
「ええ。キャサリン様は昔から、今みたいに使用人にも優しくて、素敵な方でした。ハンナとアンナのために何か売る、と仰ったときも、キャサリン様らしいなと思いましたよね」
「そうなんだよ」

 キャサリン様を敬愛しているという点で、僕とリサは同志のようなものだ。キャサリン様への認識を、こんな風に共有できる相手は、他にはいない。

「キャサリン様には、ふさわしい男性と新たな縁を築いてほしいね」
「私もそう思います」

 もしまた王子のようなだらしのない男性と結婚するくらいなら、キャサリン様は僕が貰って、幸せにしてあげたい。
 もちろん、それは口には出さない。ありえない話だし、口にするだけで失礼だからだ。身分差がある以上、キャサリン様は僕の手の届かない、雲の上の存在だ。
 だとすれば僕の使命は、キャサリン様の笑顔を保ち、彼女の幸せのため、できる限りの力を尽くすこと。改めてそのことを心に刻み、リサと協力して、大量のドライフラワーを運び出した。
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