上 下
52 / 52
騎士様は魔女を放さない

魔女の求めるもの

しおりを挟む
「最近なかなか共に過ごす時間が取れなくて、すまないと思っている」
「謝らないでください。元はと言えば、私が引き起こしたような事件でーーこちらこそ、申し訳ないです」
「ニーナこそ、謝らないでくれ」

 エルートたちはあれから、事件の収集に追われていた。カルニックの証言を得て、森の中から患者を救い出している。残念ながら全員ではないが、発見された人々は、今は王都で療養しているそうだ。
 エルートやレガットは、実際に現場を目撃した者として、捜索に加えて報告書にも追われているという。
 その他にも、魔獣が瘴気から生まれることを前提にした対応策の模索など、私にはよくわからないが、とにかくやることが山積みなのだそうだ。

「はあ……美味い。悪いな、これもわざわざ取り置いてもらって。片付けが面倒だろうに」
「明日の朝、朝食の食器と合わせて洗うから大丈夫ですよ」

 エルートは、すっかり冷えてしまった肉を切り分けて食べる。
 最近のエルートは帰りが遅いので、食堂の空いている時間に戻って来られないのだ。アテリアに頼んで取り置いてもらったものを、私がエルートの部屋に運んでいる。
 アテリアの料理は冷えても美味しいけれど、脂が強く舌に残るのが惜しい。だから、薬草を多めに振りかけている。

 無言で食べている間も、エルートから放たれる匂いは、あちらこちらに飛んでいる。難しい顔をして、仕事のことを考えているのだ。そんな真面目な顔もーー好きだ、と思う。
 自覚すると胸がときめき、何だか彼の顔を直視できない。つい視線を逸らしてしまう。

「ニーナ」

 名を呼ばれてそちらを見ると、皿の上はもう空っぽだった。口元を手巾で拭い、エルートが真っ直ぐに見つめてくる。

「俺は不誠実な恋人だ」

 恋人、という単語を聞くだけで、胸がきゅんと狭くなる。エルートは、私の恋人なのだ。私も、彼の。
 それは確かなのだけれど、なんだかまだ実感が伴わなくて、ただふわふわと嬉しい気持ちになる。

「正式な婚約もまだなら、家も買っていない。結婚の算段もついていない。こんな体たらくでは、殴られても仕方ない」
「殴りませんよ」
「君は心が広すぎる。甲斐性なしと殴って然るべきだ」
「……殴られたいと仰っても、殴りませんよ?」

 求められたからと言って、全て応えるのはやめると決めたのだ。私が言うと、エルートは口元を緩める。笑ってくれて、少しほっとした。

「そうだな。俺だって、君に殴られたいわけではない」
「私も殴りたくはありません。甲斐性なしだとも思っていませんし……エルートさんはお忙しいのですから、先のことを、急がなくても」

 言いながら、自分は何を言っているのだ、と恥ずかしくなる。「先のこと」って、いったい何を指しているのだと。まるで、彼の言う正式な婚約や結婚が、既定路線みたいじゃないか。奢っているようで、恥ずかしい。
 多くを求めるつもりはない。彼と気持ちが通じ合っただけで、私は充分に幸せだ。

「俺が急ぎたいんだ」
「……あ」

 その瞬間、エルートの匂いがふっと消えた。
 匂いが消えるという、現象。その原因を私はもう知っているから、だからこそ、鼓動が余計に高鳴った。
 今、彼が求めているものは。

「どうした、急に驚いたような顔を……まさか」

 エルートが、自分の騎士服の襟元を引き、鼻に当てる。そんなことをしても、彼にはわからないのに。
 ただ、「私が気づいた」ということに、彼が気づいたのはわかった。頬が熱い。目が合った彼は、困ったように眉尻を垂らしていた。

「……俺の匂いが、消えたんだな?」
「すみません、変な反応をして……」
「いや、すまない……すまない、やましいことを考えたわけではない。君が欲しいというだけで……いや、それも変な意味では」

 こんな風にまとまらないことを言うエルートも珍しい。私だけでなく彼も動揺しているのだと思うと、今度はおかしさが込み上げてきた。

「ふふ……嬉しいです、エルートさん」
「嬉しい、のか」
「はい。エルートさんが私を求めてくださるのは……嬉しい、です」

 エルートは目を見開き、それから、「俺も嬉しい」と呟いた。

 嬉しい。
 彼の気持ちも嬉しいし、私の気持ちを、素直に受け止めてもらえることも嬉しい。自覚した感情は、胸の奥から広がり、全身を幸福に満たしてくれる。

「……でも、困りますね。匂いがわからないと、エルートさんのお仕事をお手伝いできません」
「そう、だな」
「何か満たされれば、匂いが戻ってくるのでしょうか。エルートさん、今したいことはありますか?」
「したい、こと……」

 エルートは暫く硬直し、ぶんぶんと勢いよく首を左右に振った。

「駄目だ。俺たちは婚前だからな」
「……? 例えばこの間みたいに、その、手を繋ぐ……とか。駄目ですか?」
「すまないニーナ、今俺が口走ったことは忘れてくれ」

 視線が泳ぎ、あからさまに動揺しているエルートは、いきなり立ち上がった。私の背を押し、椅子から立たせる。

「匂いが戻るまで、俺と共に討伐に向かうのは避けるよう申し出よう。大丈夫だ、今俺はそれどころではないからな。きちんと手順を整えて、君にも必ず伝える。君を求めるのは、その後にする」

 私に言っているようで、なんだかエルートは、自分に言い聞かせているみたいだ。歩かされた私は、エルートの部屋の扉までたどり着く。

「遅くまでありがとう、ニーナ。今日のところは休んでくれ」
「はい。また明日、夕食をお持ちしても?」
「やめておこう。……いや、やはり頼む」
「良かったです。エルートさんと話せないのは、寂しいですから」

 見上げた彼の顔は、嬉しそうで、困っているようで、複雑な表情だ。彼のこんな顔を見られることも、嬉しい。何もかもが嬉しくて、浮かれた自分の心に戸惑うくらいだ。

「……俺も、君に会えないのは寂しい」
「ふふ、そうですよね」

 言ってから、今のはちょっとずるいな、と思った。私には匂いがわかるから、彼の言葉が真実だとわかってしまうのだ。

「おやすみなさい、エルートさん」
「おやすみ、ニーナ」

 ぱたんと扉が閉まり、私は自分の部屋に向かって、薄暗い廊下を歩き出す。
 辺りは暗いけれど、気持ちは明るかった。相手の気持ちを信じられること。自分の気持ちを、信じてもらえること。求めていたものが、私自身の手の中にある。

 このあと、忙殺されているはずのエルートがとんでもない早さで婚約の準備をし、家を手配することになるのだけれど、それはまた別のお話だ。
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

ランゲルハンス

あけましておめでとうございます

元旦の朝から新作だー!ひゃっほー!って思ってたら
サクサクドンドンと更新されて一息つくたびにお話が読めて
なんて素敵なお年玉!
ありがとうございます

二人のちょっとズレてるけどほんのり両片思いな感じが楽しいです

求められたら応えるってのは、ある意味危険な気がするんですが
それに辿り着く事があるのかしら
更新楽しみに待ち構えてます😘

三歩ミチ
2021.01.03 三歩ミチ

あけましておめでとうございます!
捕捉していただけて嬉しいです!お正月休みの間はどんどこ更新しておりますので、ぜひお楽しみください!

解除

あなたにおすすめの小説

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。 ※感想欄では読者様がせっかく気を遣ってネタバレ抑えてくれているのに、作者がネタバレ返信しているので閲覧注意でお願いします…

【完結】妹に作品を盗まれましたけど、嘘がバレないはずありませんよね?

白草まる
恋愛
意中の殿方のために刺繍し贈る行為が流行していた。 ユリアーネも憧れのヴォルフガングのために心をこめ素晴らしい刺繍を仕上げた。 だが、その刺繍がなくなったのだ。 犯人は妹のヘレーネだった。 しかも既にヴォルフガングに贈ってしまったという。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜

鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。 誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。 幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。 ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。 一人の客人をもてなしたのだ。 その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。 【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。 彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。 そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。 そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。 やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。 ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、 「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。 学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。 ☆第2部完結しました☆

婚約破棄された令嬢のささやかな幸福

香木陽灯(旧:香木あかり)
恋愛
 田舎の伯爵令嬢アリシア・ローデンには婚約者がいた。  しかし婚約者とアリシアの妹が不貞を働き、子を身ごもったのだという。 「結婚は家同士の繋がり。二人が結ばれるなら私は身を引きましょう。どうぞお幸せに」  婚約破棄されたアリシアは潔く身を引くことにした。  婚約破棄という烙印が押された以上、もう結婚は出来ない。  ならば一人で生きていくだけ。  アリシアは王都の外れにある小さな家を買い、そこで暮らし始める。 「あぁ、最高……ここなら一人で自由に暮らせるわ!」  初めての一人暮らしを満喫するアリシア。  趣味だった刺繍で生計が立てられるようになった頃……。 「アリシア、頼むから戻って来てくれ! 俺と結婚してくれ……!」  何故か元婚約者がやってきて頭を下げたのだ。  しかし丁重にお断りした翌日、 「お姉様、お願いだから戻ってきてください! あいつの相手はお姉様じゃなきゃ無理です……!」  妹までもがやってくる始末。  しかしアリシアは微笑んで首を横に振るばかり。 「私はもう結婚する気も家に戻る気もありませんの。どうぞお幸せに」  家族や婚約者は知らないことだったが、実はアリシアは幸せな生活を送っていたのだった。

私のことはお気になさらず

みおな
恋愛
 侯爵令嬢のティアは、婚約者である公爵家の嫡男ケレスが幼馴染である伯爵令嬢と今日も仲睦まじくしているのを見て決意した。  そんなに彼女が好きなのなら、お二人が婚約すればよろしいのよ。  私のことはお気になさらず。

【完結】愛を知らない伯爵令嬢は執着激重王太子の愛を一身に受ける。

扇 レンナ
恋愛
スパダリ系執着王太子×愛を知らない純情令嬢――婚約破棄から始まる、極上の恋 伯爵令嬢テレジアは小さな頃から両親に《次期公爵閣下の婚約者》という価値しか見出してもらえなかった。 それでもその利用価値に縋っていたテレジアだが、努力も虚しく婚約破棄を突きつけられる。 途方に暮れるテレジアを助けたのは、留学中だったはずの王太子ラインヴァルト。彼は何故かテレジアに「好きだ」と告げて、熱烈に愛してくれる。 その真意が、テレジアにはわからなくて……。 *hotランキング 最高68位ありがとうございます♡ ▼掲載先→ベリーズカフェ、エブリスタ、アルファポリス

ハズレ嫁は最強の天才公爵様と再婚しました。

光子
恋愛
ーーー両親の愛情は、全て、可愛い妹の物だった。 昔から、私のモノは、妹が欲しがれば、全て妹のモノになった。お菓子も、玩具も、友人も、恋人も、何もかも。 逆らえば、頬を叩かれ、食事を取り上げられ、何日も部屋に閉じ込められる。 でも、私は不幸じゃなかった。 私には、幼馴染である、カインがいたから。同じ伯爵爵位を持つ、私の大好きな幼馴染、《カイン=マルクス》。彼だけは、いつも私の傍にいてくれた。 彼からのプロポーズを受けた時は、本当に嬉しかった。私を、あの家から救い出してくれたと思った。 私は貴方と結婚出来て、本当に幸せだったーーー 例え、私に子供が出来ず、義母からハズレ嫁と罵られようとも、義父から、マルクス伯爵家の事業全般を丸投げされようとも、私は、貴方さえいてくれれば、それで幸せだったのにーーー。 「《ルエル》お姉様、ごめんなさぁい。私、カイン様との子供を授かったんです」 「すまない、ルエル。君の事は愛しているんだ……でも、僕はマルクス伯爵家の跡取りとして、どうしても世継ぎが必要なんだ!だから、君と離婚し、僕の子供を宿してくれた《エレノア》と、再婚する!」 夫と妹から告げられたのは、地獄に叩き落とされるような、残酷な言葉だった。 カインも結局、私を裏切るのね。 エレノアは、結局、私から全てを奪うのね。 それなら、もういいわ。全部、要らない。 絶対に許さないわ。 私が味わった苦しみを、悲しみを、怒りを、全部返さないと気がすまないーー! 覚悟していてね? 私は、絶対に貴方達を許さないから。 「私、貴方と離婚出来て、幸せよ。 私、あんな男の子供を産まなくて、幸せよ。 ざまぁみろ」 不定期更新。 この世界は私の考えた世界の話です。設定ゆるゆるです。よろしくお願いします。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。