命知らずの騎士様は、鼻の利く魔女を放さない。

三歩ミチ

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騎士様は魔女を放さない

家へ帰ろう

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「とにかく行こう。ここは危ない」
「どうして? 元気が出るのに……」
「いいから。迎えに来たんだ」
「嫌よ!」

 カーサは、布団を自分に引き寄せて拒絶する。なぜそんなに抵抗するのか、私にはわからなかった。病室だと言われて、森の奥深くの檻に入れられていたのだ。食事はろくに取らせてもらえず、いつ魔獣に襲われるかわからない。私は、一刻も早くここから離れたいと言うのに。

「薬師の先生は、ここでじっとしていれば、あたしの体は完璧に治るって仰ったのよ。あの方が迎えに来るまでは、ここにいないと」
「本当に必要なら、また戻ってくればいい」
「治療には順番があるの。あたしだってやっと、治療を始めてもらったのに」

 ああだこうだと、カーサはレガットに抵抗する。内心、私の焦燥は募った。早く離れたい。ネックレスの青い石は、びりびりと震えている。まだ魔獣はどこかにいる。

「レガット」
「わかってる。行こう、カーサ!」
「いやっ! 止めてよ、お兄ちゃん!」

 レガットは檻に体を差し入れ、カーサの体に両腕を回した。そのまま、外に向かって引っ張る。実力行使だ。
 カーサは両手を地面に踏ん張り、抵抗を続けた。こんなに細身なのに、異常なほど力強い。レガットは強引に引っ張っているのに、カーサの体はほとんど動かなかった。
 私は、地面についたカーサの手に指をかける。両手を使って1本ずつ、無理矢理引き剥がした。どんな治療だか知らないが、こんなところにいていいはずがない。

 するん、とカーサの体が檻から抜け出た。彼女の華奢な体が、レガットの腕の中に収まる。

「嫌なの!」
「暴れるなよ! ああもう、行くぞ!」

 レガットはカーサを抱えたまま、走り始めた。檻から這い出た私の体が、ふわりと浮き上がる。

「盾はしっかり持っておけ。魔獣の接近を感じたら直ぐ言うように。奴らから目を離すのは心配だ」

 私を抱えたアイネンは、そのまま森を走る。

 来た時同様、幸いにも魔獣に会うことはなかった。黒い靄がどんどん晴れ、周りが明るくなってくる。まだ昼間であった。樹々の隙間から陽が漏れて来る。

「お兄ちゃんが治療を受けてもいいって言ったのに、どうして辞めさせるの?」
「あんな訳の分からない森の奥に置いておけるわけがないだろう、カーサ」
「でも……でも本当に、効果はあったのよ」

 言い合う兄妹を眺める私の頬を、熱い舌が撫でた。黒馬の首を撫でると、嬉しそうに長い耳が揺れる。
 私達が止まったのは、馬を置いておいた場所まで戻ってからだった。かなりの距離を、人体を抱えて走り抜けたアイネンとレガットに、疲れた様子はない。鍛錬を積んだ騎士の強靭さには、感服する。

「……効果とは、何だろうな」
「元気が湧いてきたそうですよ。飲まず食わずでも平気だったと言っていました」

 私の隣では、アイネンが兄妹喧嘩を見守っている。手でゆっくりと顎を撫で、怪訝な表情をした。

「あの目をよく見てみろ。角度によって……ほら。色が変わらないか」
「……赤く、見えますね」

 カーサが頭を動かすと、瞳の奥にちらちらと、赤い光が閃く。それは、明らかに赤であった。無論、カーサ自身の瞳の色ではない。彼女の瞳は、レガットと同じ透き通った緑だ。

「あの靄は、魔獣の瘴気に似ていたと思わないか」
「……似ていましたね」

 アイネンの言わんとしていることは分かったが、それを口にしてはいけない気がした。あの靄は、確かに魔獣の出す霧のように黒かった。カーサの瞳は、僅かに赤く染まっている。

「……魔獣は靄から生まれるんですか?」
「詳しいことは、私達は知らされていない」

 はっきりとは言わずとも、互いに考えていることは同じだとわかる。魔獣に似た黒い霧。その奥に閉じ込められていたカーサ。瞳が、赤く変化している。

「でも彼女の体は、黒くありませんよ」
「ああ。……間に合った、と言うべきなのかもしれない」

 もしかしたらこの先には、私達が想定していた以上の、最悪の結末があったのかもしれない。もし迎えに行くのが遅れていたら。手遅れとは、死よりも悲惨な状態を指していたかもしれない。
 想像もしなかった恐ろしい展開に、肩が震えた。人が魔獣になるなんてこと、あり得るのだろうか。

「一体誰が……」
「ニーナ!」

 また肩が跳ねたのは、思わぬ方向から名前を呼ばれたからだった。隣にいるアイネンの体が、ぐるりと反転する。

「なぜこんなところまで、ニーナを連れ出した!」
「すまない。予想外の事態で、彼女を危険な目に遭わせた」

 エルートに胸ぐらを掴まれたまま、アイネンは謝った。エルートはそのままの姿勢でこちらを見て、頭から爪先まで確認するように視線を上下させ、それから「無事か」と言った。

「はい、私は……」
「……良かった。君に何かあったらと、気が気ではなかった」

 力の抜けたエルートの手から、アイネンの服が抜け落ちる。解放されたアイネンは、首を軽く回した。

「せめて薬師の先生に、挨拶だけさせてよ! お世話になったんだから」

 カーサが声を張り上げ、訴えている。その声で、エルートは彼らの方を見た。カーサは今や、レガットに掴みかからん勢いだ。

「やはり、妹を探しに行っていたのか。俺に黙って」

 低く静かな声は、怒りに満ちている。凄みのある物言いに、カーサがひるんで言葉を止めた。レガットはエルートの存在に気付き、カーサから離れて姿勢を整え、深々と頭を下げた。

「悪い。お前が知ったら、魔女さんは連れ出せないと思った」
「当然だ」
「危険だから、先に延ばそうと言われると思った」
「ああ、ガレルアは遠いからな。夜通し駆けて行くなど、常識では考えられない。ニーナの体に障る」
「……でも僕は、少しでも早くカーサの無事を確かめたかったんだ」

 レガットが「エルートはわかっている」と言った、あれは方便だったらしい。憤るエルートを見て、私は事態に察しがついた。どう考えてもエルートは止めるから、レガットは彼の目を盗んでガレルアまで来たのだ。
 きっとエルートは、心配したに違いない。今ここにいるということが、全てだ。私達の居所を聞き出し、どうにかして後を追って来てくれた。

「妹が見つかったのなら、森に用はないな? 一度出よう。長居する必要はない」

 エルートの言う通りだ。レガットとカーサも言い合いを止める。レガットは、自分の馬にカーサを乗せた。そのまま、私達は森を進む。
 気付けばレガットの匂いは、ほのかなものに変わっていた。カーサを見つけたから、あの強烈な匂いは消えたのだ。

 何にせよ、妹が見つかって良かった。

 大切そうに背後から手を回すレガットを見て、私はしみじみ、そう思った。

 傾いた陽射しは、まだ辺りを淡く照らしていた。息を深く吸い込むと、冷たく新鮮な空気に胸が満たされ、漸く森の外に出られたという実感が湧く。改めて、あの濃密な黒い靄の中にいた時、いかに息苦しかったかを思い出させられた。

「お願い、薬師の先生に挨拶させて」
「そう言ってまた戻る気じゃないだろうな」
「わかったから。大丈夫だから、お願い」

 カーサは執拗に、レガットに頼み込んでいる。その目は、やはり時折ちらりと赤く光る。不穏な瞳の色に、胸がざわつく。

「……わかったよ。僕も一緒に行く。その薬師の先生は、どこにいるんだ?」
「場所はわからないの。馬車に乗っていたから」
「なら、どんな人なの?」
「えーと……優しい先生だったよ。前髪は長くて、片目だけ隠してた」

 前髪で片目を隠した薬師。
 ぴんと来たのは私だけではなくて、その瞬間、カーサ以外の4人は互いに目配せをした。
 心当たりがひとりいる。皆知っている人物だ。

「カーサ。その人なら王都に行けば会えるよ」
「そうなの?」
「戻るか」
「奴を問い質してやる」

 騎士達の背から不穏な気配が漂っているのは、勘違いではなさそうだ。カルニック。研究熱心な彼は、一体何をどうして、カーサを森の中に放置する暴挙に出たのだろうか。

「ニーナはスオシーに乗りなさい」
「え、でもこの子が……」
「君は一晩寝ていないのだから、疲れているはずだ。その馬は賢いから、並走して戻れるだろう」

 別に寝ていないことによる疲れは感じなかったが、森の中を歩き回り、体は確かに疲労していた。黒馬は、わかったような澄ました顔をしている。何となく大丈夫な気がして、私はエルートと共に、スオシーに乗った。

「久しぶりですね」

 背中に伝わる、温かな感触。この大勢で過ごすのは、久しぶりのことだ。エルートの片手が私の腹部に回り、しっかりと支えてくれている。

「ああ。……君にこうしてまた触れられて良かった。夜中、レガット達に連れられてガレルアに行ったと聞いてから、動悸がして止まなかった」

 エルートの腕に力が込められる。背後から、抱きすくめられるような形だ。

「卑怯な言い方だが……今暫く、こうさせてくれ」

 低く温かなエルートの声が、耳元でそう囁く。

 背中から伝わる温かさと、穏やかな声。心がだんだんと緩んできて、それで私は、自分がずっと緊張の糸を張り詰めていたことに気づいた。
 心地良く揺れるスオシーの背の上。目の前には、暮れていく空が美しく広がっている。緊張が解けると、今になって眠気がどっと押し寄せてきた。重たい瞼を、何とかして持ち上げる。

「寝ても良い。君を支えておくことくらい、大した仕事ではない」

 エルートが優しく許したので、私の意識は、すとんと眠りの中に落ちていった。
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