命知らずの騎士様は、鼻の利く魔女を放さない。

三歩ミチ

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騎士様は魔女を放さない

大切なものは手放さない

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 肉食魔獣の討伐を命じられた朝、地面には氷が張っていた。じゃり、と踏み込んだ足に氷の砕けた感触が伝わって来る。

「おはよう、ニーナ」
「おはようございます」

 喋ると、真っ白な吐息が丸く宙に広がり、散逸して消える。エルートは同様に白い息を吐き、その向こうで柔らかく微笑んだ。思わず笑みを返すと、わざとらしい咳払い。アイネンが、眉を顰めた。

「浮かれた雰囲気を出すな。さっさと行くぞ」

 木枯れる季節は、日が昇るのが遅い。まだ薄暗い夜明けの世界で、私たちは馬に乗り、目的地へ出発した。
 肉食魔獣の討伐の際には、王宮騎士団が呼び出される。蛇の魔獣の討伐での失敗を活かし、護衛の意識を高く保てるだろうという理由で、今回もエルート達に討伐を任されたそうだ。
 草食魔獣の討伐に同行してくれた騎士たちとは話せる仲になったが、エルート達以外の王宮騎士は未知数だ。知った顔と共に行動できることに、安心した。

 王都の外へ出ると、目の前に広い空が広がった。向こう側から、橙色と桃色の混ざり合った淡い色合いに染まっている。朝焼けの美しい光景を正面に眺めながら馬を走らせるのは、心地良い気分だった。
 あの黒馬と一緒だったら、どんなに爽快だろうか。今乗っている馬には申し訳ないが、頭の片隅には、美しい黒馬の姿がちらついた。

 人々の厳しい視線には、もう慣れた。騎士達と一緒にいてもひそひそと訝しげな囁きを向けられたが、王宮騎士と一緒に挨拶をするとその比ではない。私は恰幅の良い町長を見て、カプンの町長であるルカルデとの共通点を探しながら、居心地の悪い時間をやり過ごした。

 森に入ると、重たい沈黙が辺りを包む。馬が地面を踏みしめる音だけが響き、木々の間に吸い込まれて行く。
 警戒は欠かせないから、楽しくお喋りをするほどではない。ただ、多少の会話を交わし、気を紛らわせることはよくあった。しかし今日は、森に入ってから終始沈黙である。
 なぜだろうと考えて、レガットの様子がいつもと違うことに気付いた。沈黙が耐えきれなくなる前に、程よく口火を切るのはレガットなのに、今日はずっと静かだ。
 レガットを気にかけたついでに、もうひとつ不思議なことに気づいた。レガットの匂いは、常に王都に向かって流れている。それが、今日は別の方向に向かっていた。

「……妹さんは、実家にお帰りになっているんですか?」

 レガットの匂いの方向が変わるなら、妹の居場所が変わったのだろう。沈黙を紛らわすつもりで私が質問すると、馬の足音がひとつ分、止んだ。

「どうした」

 止まったのは、レガットの乗る馬だった。エルートが聞くのに合わせ、レガットの方を見る。
 その表情は、酷いものだった。まさに顔面蒼白という具合で、悲痛な顔つきをしている。明らかに、妹に何かあったのだとわかる。それも、良くないことが。

「……何でもない。行こう」

 掠れた声でレガットは答え、馬を再度歩かせようとする。

「待て、何でもないはずがないだろう。そんな精神状態では、またこの間の二の舞になる。平静を保てないなら、今日は引き上げるべきだ」

 エルートはそう主張し、レガットを制した。彼はいつでも、万全の状態で討伐に臨むことを大切にしている。

「悪い。大丈夫だ。迷惑はかけないから、このまま行こう」
「適当なことを言うな。俺達だけなら構わないが、今日はニーナがいるんだぞ」
「大丈夫だって!」

 レガットは声を荒らげた。その余裕のなさが、既にいつもの彼とは違う。

「……いや。大丈夫じゃないな」

 レガット自身も、今のひと声で自分の異常に気づいたらしい。声の調子が落ち着き、その緑の瞳も冷静な色を見せた。そして彼は、エルートとアイネンを順に見比べる。

「お前達に迷惑はかけないから、このまま行かせてくれないか。身内の問題で討伐を切り上げたとなったら、立つ瀬がなくなる」
「話を聞いてから考える。何があったんだ」

 レガットが、息をひとつ吐いて呼吸を整える。言いにくそうに唇を何度か開閉し、それから漸く話し始めた。

「妹の行方が、わからないんだ」
「どういうことだ?」

 アイネンの声が、低く響く。

「僕は良かれと思って、妹を治療に出したんだ。まさかこんなことになるとは思っていなくて」
「順を追って話してくれ」

 そうしてレガットは、事の顛末を話し始めた。

 曰く。
 妹の患っている病を、根治できる方法が見つかった。彼が懇意にしている医師からそう声をかけられたのは、暫く前のことだという。まだ完成されたやり方ではないらしいが、体が丈夫になることは間違いないようだ、と。
 ただし、治療は在宅で行うことはできない。治すためには、一度妹を外に出し、その治療を行っている医院に預けなければならなかった。
 預けたところまでは良いのだが、書くと言っていた手紙も届かず、医師に聞いても「うちの医院では教えられない」の一点張りで、すっかり居場所が不明になってしまったという。

「妹を見知らぬ医師に預けたのか? あんなに大切にしまっていたのに」

 アイネンが、眉間に皺を寄せて問い詰める。レガットは、微かに首を縦に振った。

「僕は迷ったんだ。まだ公になっていない方法で、場所も教えて貰えないなら、治るまで会いにもいけないだろ。……ただ、カーサが、そうしたいと言ったから。もう迷惑はかけたくない、自由に外に出てみたいって」

 噛み締めるように紡がれた言葉には、レガットの妹の悲痛な思いが感じられた。彼の声も、その思いに共鳴するように切実さを増す。

「そう言われたら、送り出すしかない。手紙も書くと言ってくれたし……僕だって、妹が笑顔で、安心して外を歩けるようにしてやりたかった。仕方ないだろ?」

 最後は、訴えかけるように。切なる視線を注がれたアイネンは、眉間に刻んだ皺を崩さなかった。

「何が仕方ないと言うんだ」
「妹のためには、そうするしかなかったんだよ」
「本当に大切なら、手から離すんじゃない!」

 強い口調のアイネンの声が、静かな森の空気を震わせる。冷静な彼らしくない。私とエルートが顔を見合わせていると、レガットがなぜか「すまない」と謝った。

「お前に先に聞いていれば、こんなことにはならなかったな」
「いや……私こそ。状況は全然違うのに、つい」

 なぜか互いに謝罪をし、丸く収まった雰囲気になる。よくわからなくて、またエルートと視線を交わした。
 エルートは私を見てから、レガットを見る。レガットの表情は、まだ動揺に揺れていた。レガットの顔から、視線を後方に移す。

「やはり戻ろう。その様子では、討伐に集中できない」
「……頼むよ。騎士が家族を優先して討伐を中座したなんてことになったら、僕は」
「騎士たるもの、何よりも人々を守ることを優先すべきだ。その判断は、甘い」

 アイネンは例の如く騎士論を持ち出し、討伐の継続を主張した。2対1の構図になっても、エルートは表情を変えない。

「駄目だ。心の隙が、ニーナを危険な目に遭わせることに繋がったら困る」
「何のために、鍛錬を積んだんだ。この魔女も、身を守ることくらいできるだろう」

 アイネンは、私の乗る馬の腹に掛けられた盾を指した。その通りだ。私は、少なくとも初撃を防ぐ術を持ち合わせている。

「ニーナは、肉食の魔獣を相手取って盾を振るったことはない。過信するな」
「多少の危険は承知の上だろう」

 エルートとアイネンは互いに譲らず、厳しい視線を交錯させる。いつもなら彼らの言い合いはレガットが仲裁し、一息ついてから冷静な判断を下せるのだが、当のレガットは今日は沈んでいる。
 どうしよう。レガットができないのなら私が間に入らないと、言い合いは加熱する一方だ。落とし所を悩み、そして閃いた。
 問題は、レガットが討伐にどれだけ集中できるか、だ。妹が見つかる算段がつけば、レガットの心は多少なりとも落ち着くだろう。

「あの。レガットさんは、私を全力で守ってくれると思います」

 口を挟むと、互いに向けられていた厳しい視線が、そのままこちらに向いた。いつも辛辣な目をしているアイネンはともかく、エルートに睨むように見られると、心が萎縮する。

「私なら、妹さんの居場所がわかりますから。この討伐が無事に終わらないと、妹さんを探すことはできません。だからレガットさんは、何としてでも、私を守ってくれると思います」

 私には、レガットの妹の居場所がわかる。現に今も、レガットの匂いはある一方向に向かって流れている。匂いを追えば、その先に妹はいる。
 討伐を終え、休みをもらって、明日にでも妹を探しに行けば良い。そう、それが良い。口に出して考えると、現状から考えられる最適なやり方だと思えた。
 はっ、と息を呑んだのはレガットだった。緑の瞳の奥に、希望の色が浮かんでいる。その目が真っ直ぐに、私を見つめた。

「魔女さん……探してくれるの?」
「駄目だ。ニーナ、危険に自ら飛び込むような真似はやめてくれ」
「それは過干渉過ぎるのでは? 彼女の意思に任せるべきだ」

 縋るレガット、抑えるエルート、嗜めるアイネン。それぞれの反応を見比べる。エルートは、眉尻をぐっと垂らしていた。あれは、「ニーナは求められたら応えてしまう」と思っている顔だ。何度も見た顔だから、私でもわかる。
 別に、レガットに求められたから、彼の妹を探しに行こうという訳でもない。ただ、妹に同情しているだけだ。会ったこともないけれど、自由に外も出歩けない哀れな少女を、私は何とかしてあげたいと思っている。

「危ないことはしません。ただ、どちらの方向にいるか、お伝えするだけです」

 妹を探すことに力を貸す。要するに鼻を貸す訳なのだが、そう答えるとエルートは、大きな手のひらで自らの額を覆った。

「……わかった。行こう」

 手綱の動きに呼応して、馬は歩き始める。柔らかな足音が、樹々の間に吸い込まれて行った。
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