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騎士様は魔女を放さない

黒は騎士の色

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「ニーナは、どうしたい?」

 エルートに改まって聞かれたのは、夕食の席であった。周りは、アテリアの肉を楽しむ騎士たちの話し声で満ちている。

 エルートは、片手をテーブルの端に伸ばし、砕いた薬草を肉にかけた。そうして、質問を投げてきたのである。
 どうしたい、と言われても、何を指しているのかわからない。目で問うと、彼は続けた。

「つまり、君はどの馬に乗りたいか、ということだが」

 今日は結局、私の乗るべき馬は見つけられずに終わってしまった。あの黒馬は、私が降りると気まぐれにどこかへ消えてしまった。粗暴らしい黒馬を恐れた馬たちは戻って来ず、私も脚が疲れていたので、そのまま本部に戻ることになったのだ。

「どの馬と言いますか、私が乗れたのはあの黒馬だけなのですが」
「わかっている。ただ……奴を選ぶのは難しい」

 エルートは言いにくそうにして、一塊の肉を口に含み、そのまま咀嚼する。

「暴れるからですか?」

 ごくんと肉を飲み込んでから、首を左右に軽く振る。

「黒だからだ」

 ああ。喉の奥から、息の塊が溢れ出た。その一言で、彼の言わんとしていることがわかったからだ。
 エルートは今、黒い騎士団服を着ている。黒衣の騎士団のは、その名の通り。黒は騎士団の色であり、庶民が身につけることは許されない色だ。
 馬の毛並みは、美しい黒であった。だから、騎士しか乗ることを許されないのだ。

 頭の中で、馬番の青年の言葉が響く。もったいない。私の他には、誰も乗ったことのない背は、逞しく力強かった。脚の下で隆々と動く、しなやかな筋肉を思い出す。あの馬は今まで、誰も背に乗せなかった。弱い者いじめをする、鼻つまみの暴れん坊。そんな馬が私に心を許し、背に乗せてくれた。
 私の胸には、もやもやした霧のような感情が生まれた。もったいない。私が乗らなければ、あの馬はその才能を発揮することなく、誰の役にも立たない存在なのだ。あんなに立派な体を持て余し、皆を困らせるだけの存在でいるのは、なんてもったいないのだろう。
 私ならあの馬を役立てられると考えるのは、思い上がり過ぎなのだろうか。

「……そんな目をしても、君には許されない」

 エルートは、私の目から感情を読み取ってしまう。私の目には今、このもやもやが表れてしまったらしい。

「どうしても、無理でしょうか」

 食い下がる言葉が、口をついて出た。彼の焦茶の瞳が、はっと開かれる。
 私もはっとした。エルートに楯突くようなことを、本気で言ったのは初めてかもしれない。

「俺が君を奴に乗せてやりたくても、俺にはどうにもならない」
「騎士ではないから……」
「ああ。残念だが」

 私は騎士ではない。エルートとは違う。ただの庶民であり、こんな場所は場違いだ。
 今まで何度も、自分の立場をわきまえなければならないと思い続けてきた。エルートの言う通りだ。私は、庶民である。騎士の黒なんて、許されるはずはない。
 わかっている。なのに。

「誰なら、可能なのでしょうか」

 しつこく食い下がってしまう私に、エルートが困惑した表情を浮かべた。

「誰、だろうな……」

 視線を逸らし、頬を人差し指で掻く。眉尻を垂らし、困った顔つき。この話題を終わりにしたいのだ。今まで、人の望みに意識を向けてきた私には、彼の求める反応がはっきりわかった。
 私がどう感じたとしても、これは、諦めるべきことだった。「したいことをする」の範疇を超えている。なのになぜか、こだわりたくなってしまった。

「なに、喧嘩? いつでも僕のとこに来ていいんだよ、魔女さん」

 横からひょいと顔を出したのは、くるんとした柔らかな銀髪の持ち主、レガットであった。
 悪戯っぽく言って、ウィンクを飛ばしてくる彼。言動が軽薄なのは、相変わらずだ。

「ニーナを口説くのは止めろ」
「別にこのくらいでなびかないだろ? わかってるんだから、僕の好きに言わせてくれよ」

 エルートは微妙な表情を浮かべ、何か言いたげに口元を動かした。エルートの言葉が出る前に、レガットがさらに続ける。

「それで、喧嘩?」
「いえ。私の馬の話をしていたんです」
「ニーナは、あの暴れ馬を乗りこなしたんだ」
「わーお」

 お手本のようにその緑の目を丸くし、レガットは口笛まで吹いた。

「あいつを? 凄いね、そういう魔法も使えるんだ。魔女さんがあいつを乗り回したら、僕たちも一目置かざるを得ないな。もう置いてるけど」
「希望を持たせるようなことをを言うな、レガット。ニーナが奴に乗るのは無理じゃないか」
「何でだよ?」
「あいつは黒い」

 エルートの一言に、お喋りなレガットの口が一瞬止まった。それから「ああ」と気の抜けた相槌を打つ。丸くなっていた目が、細く狭められた。

「わかった、それで揉めてたんだろ」
「揉めてはいない。こればかりは仕方のないことだ」
「仕方ない、で済ませられる訳ないじゃん。魔女さんは騎士じゃないけど、ここで寝泊まりして、毎日鍛錬も積んで、俺たちと同じ危険を冒して討伐に出るんだろ? 同じことをやらされてるのに、いきなり身分を出されたら納得いかないよ」

 レガットの言葉が、すとんと胸の底に落ちた。

「でしょ?」

 笑顔のレガットが、私の視界に飛び込んで、軽い雰囲気で同意を求めてくる。

「はい」

 彼の雰囲気に釣られたのか、同意の言葉も、すんなりと口から出てきた。
 確かに私は、騎士ではない。庶民だから、許されないことがある。間違いのない事実だ。だから、思い上がってはいけないのだ。
 わかった上で私は、釈然としない気持ちを抱いた。せっかくの馬との出会いを。その能力を引き出すことのできるはずの、運命的な出会いを、なぜ、身分を理由にして最初から邪魔されてしまうのか。

「お前は、魔女さんのことを、身分なんて関係なく評価してるんだと思ってたよ。違ったんだな」
「そういう訳ではない」

 否定するエルートの、語気は強い。その頬は、不機嫌そうに強張っていた。

「そういう訳ではないが……確かに、ニーナは騎士ではないからと、最初から決め込んでいた。まさかお前に気付かされるとは思わなかったが」
「僕は庶民の出だからね。理不尽はいろいろ味わってきたよ」

 あはは、と笑う声の軽さが、彼の味わってきた理不尽の重さを感じさせる。それを聞いたエルートは、肯定も否定もせず、低く喉奥で唸った。レガットの言う理不尽が確かにあったことを、その曖昧な態度が示している。

「僕にもどうにかできる力はないけど、団長にお伺いを立てるくらいはできるよ。一緒に行ってあげてもいい」
「随分と親身だな」
「魔女さんにはいろいろと世話になったから、お礼って奴」

 いろいろと世話になったという含みのある言い方に、切ない気分になる。

「どうした?」
「……いえ」

 私がレガットにしたことと言えば、妹について、カルニックに聞いたことくらいだ。町の医師は知らない知識を、王宮薬師なら知っているかもしれないと期待したものの、返事は「どうにもできない」であった。
 彼は軽薄な態度を取っているが、今も、胸の内にはつらい気持ちを隠している。それを思うと、切なかった。

「団長のところへは、明日、俺とニーナで行く。……一蹴されても、仕方がないと思ってくれ」
「駄目だよ魔女さん。エルートにしたみたいに、しつこく頼み込まないと」
「だから、俺たちは揉めていない」
「はい」

 彼らの言い合いをやめさせたくて、どうとでも取れる返事だけを投げた。エルートは頬を強張らせたまま、レガットは肩を竦める。

 こうして私とエルートは、騎士団長のガムリのところへ、直談判に行くことになった。

 団長の部屋に向かうのも何度目かになるが、いつになっても、扉の前で緊張してしまう。重厚な造りの扉から、威圧感がびしびしと放たれている。ここへ来る度、国を守る黒衣の騎士団と、それを束ねる団長の凄みを感じる。
 隣に立つエルートは、引き締まった顔をしている。背筋を整え、小さく咳払いしてから、入室の許可を得た。

「失礼致します」

 扉を開けたエルートは、私に先に入るよう促す。中へ入ると、張り詰めた空気に息が詰まりそうな気持ちになる。騎士団長のガムリは、例によって大きなテーブルの向こうに構えていた。冷水に似た匂いが、私の気持ちも引き締める。
 深い藍の瞳に、真っ直ぐ見つめられた。口端は緩んでいるけれど、吊り上がった眉と眉間の皺は、決して笑ってはいない。

「どうした?」

 穏やかな声音なのに、空気がびり、と震える。エルートが、「はい」と言葉を受けた。

 淡々となされる説明は、事実を順番に述べたものだった。あの手のつけられない暴れ馬が、なぜか私を乗せてくれた。しかし色は黒であるから、通常なら私があの馬を選ぶことは叶わない。

「しかしニーナは、あの馬を選びたいと申しております」
「なるほど」

 ガムリの視線が、エルートから私に移された。

「それは、君の希望だな?」
「はい」
「なぜ、あの馬が良いんだ。他にもいるだろう」
「あの馬は……今まで人を乗せることを拒絶して、誰の手にも負えなかったと伺いました。立派な体躯の持ち主なのにもったいないと、馬番の方も言っていました。私は……あの子が誰かの役に立てるようになるのなら、そうしたいんです」

 真っ直ぐに目の奥を射抜くガムリの眼差しに、時折口籠もりながらも、そう伝えた。ガムリは視線を全く揺らがさぬまま、私の言葉を聞いている。緊張で震えた声のままで何とか言い切ると、ガムリは「ふむ」と低く相槌を打った。
 沈黙。その間もガムリは、視線を揺らすことはなかった。目を逸らしてはいけない気がして、私はその藍の瞳を見つめ返す。
 ほんの一瞬が、とても長く感じられた。ガムリが、唇を薄く開く。

「君の要望は、わかった。あの黒馬は、我が騎士団が所有する中でも素晴らしい体躯の持ち主だが、気性が本当に荒い。君が乗ることによって人間に慣れるのならば、それもまた良いだろう」

 喜びに跳ねた胸は、ガムリの「しかし」という繋ぎで一気に沈んだ。

「黒は騎士の色だ。知っているね?」
「はい、存じております」
「確かに君は騎士団にとって有用な存在ではあるが、黒を身に付けて良い存在ではない」

 ガムリが口にしたのは、エルートと同様の理論であった。私は庶民だから、黒は許されない。わかっている。
 今視線を逸らしたら、そのまま話が終わってしまう。そんな予感がして、私はガムリを見つめ続けた。ガムリの引き結んだ唇が、ほんの僅かに緩んだ。

「君はこれから、魔獣の討伐に大いに貢献する。いずれ、何らかの褒美を受けることもあるだろう。その際に、あの馬を希望すれば良い。褒美としてなら許されたことが、過去にある」

 胸の内に、温かな花がぽっと咲いた。

「まずは目の前のことを頑張りなさい」
「はい!」

 私は、深々と頭を下げた。
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