命知らずの騎士様は、鼻の利く魔女を放さない。

三歩ミチ

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騎士団は魔女を放さない

ニーナの契約

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 私はエルートの求めに応じ、騎士団を再訪した。数日ぶりの騎士団本部は、当然のことながら、何も変わりがなかった。相変わらずの張り詰めた空気に、足を踏み入れるなり、すっと背筋が伸びる。
 鞄に入っている薬草の存在が、妙に落ち着かない。薬草なんて、騎士団での生活には必要ない。お出掛けに浮かれて、余計なものまで持ってきてしまった子供みたいだ。恥ずかしいし、肩身の狭い気持ちがする。
 エルートと共に向かうのは、騎士団長の部屋だ。団長のガムリは物腰穏やかで上品な振る舞いをしているのに、底知れぬ恐ろしさがある。威圧感のある重厚な扉を、エルートがノックする。返ってくる威厳深い声に、胃が締め付けられるほど緊張する。

「やあ。待っていたよ」

 大きな机の向こうに、今日も髪を一糸の乱れもなく整えたガムリが待ち構えていた。口調は穏やかだが、その深い藍の目に見据えられると、伸びた背筋が戻らない。

「エルート」
「はい」

 名を呼んだことが、命令だったらしい。きびきびした返事を返し、エルートが取り出したのは、先程自宅で内容を確認した契約書だ。音もなく、素早く近づいて用紙を差し出すと、ガムリはそれを重々しく受け取った。

「エルートから聞いたと思うが、再度契約内容を確認してくれ。構わなければ、ここで署名を」

 今度は私がテーブルの近くに寄り、滑るように差し出された契約書を見下ろす。渡されたペンを受け取り、早速署名しようとすると、「おい」と声を掛けられた。
 びく、と肩が跳ねる。ガムリの咎める声は、心臓に悪い。

「確認してからにしなさい。君は、警戒というものを知らないのか」
「いえ……もう、内容はお聞きしていますから」 

 それに、胸元のネックレスが、彼らに悪意はないことを証明している。私のネックレスは、悪意に反応して震える青い石が付いている。この石が震えない限り、疑う必要はないのだ。
 ガムリが、机の上を指で軽く叩く。その指で、今度はくい、と引き寄せるような仕草。呼ばれた気がして顔を近づけると、ガムリは両腕を机に乗せ、上体を乗り出した。

「いくら恋仲と言えど、信頼しすぎは良くない」

 低く、囁くような声で伝えられたのは、忠告であった。

「まあ良い。構わないなら、署名をしなさい」

 元の姿勢に戻ったガムリに指示され、署名を書き入れる間も、頭には疑問符が浮かんでいた。恋仲と言えど信頼しすぎ? 誰と? 文脈からしてエルートしかあり得ないが、彼と私は恋仲ではない。何故そんな誤解が生まれるのだろうか。
 はて、とぐるぐる考えているうちにガムリとの対面は終わり、晴れて騎士団との契約を結んだ私は、エルートと共に団長室を後にした。

「飯時だ。食堂へ行こう、ニーナ」
「あ……はい」

 前を歩くエルートの後ろ姿を眺めながら、食堂に向かう。
 一歩ごとに揺れる、綺麗な金色の髪。見上げるほどに背は高く、すらりとした、それでいて屈強な体付き。纏った黒衣がよく映える、白い肌。こんな素敵な騎士様と私が、恋仲? 物語でもありえない。大層な勘違いだ。
 エルートと私の何が、ガムリの誤解を招いたのだろう。理由はわからないが、とにかく訂正しておかないと、エルートに失礼だ。彼に、私への好意はないのだろうから。彼にとって私は、魔獣を探し出すことのできる、便利な道具であろう。
 食堂に続く扉を開けると、ざわめきに出迎えられる。入り混じった食事の香り。そう言えば、食堂に人がいるのを見るのは初めてだ。この間はアテリアと一緒にずっと厨房にいたから、食堂の様子はよくわからなかった。
 エルートと共に、中に入った。食器を下げる棚の脇を通り過ぎると、その奥に食事用の広間がある。

 広間に一歩、入った瞬間。
 明らかに一瞬、ざわめきが鎮まり、複数の視線がこちらに集まった。
 それは一瞬のことで、すぐに慌ただしく賑やかな食事風景が再開される。しかし何だか、私は落ち着かない気分だった。

 私が珍しい存在なのは、わかる。注目を集めるのも、まあわかる。魔獣を見つける力というのは、騎士団内では重宝されるらしい。それに、女で、騎士でもないのにここにいるのは、私以外にはアテリアしか出会ったことがない。珍しいと消えよう。
 だとしても、今の注目の集まり方は、さすがに妙だった。食堂に入るだけで、あそこまでの注目を浴びてしまうとは。
 先行きが不安になる私の隣で、エルートは唇を歪め、後頭部に手を添えた。

「予想以上の広まりだな」
「エルートさん、何か知ってるんですか?」
「ああ。食いながら説明する」

 エルートの言葉に合わせるように、ばんっ、と勢い良く厨房の扉が開いた。

「あらっ、ニーナ! また会えて嬉しいわ! どこに座るの、あそこで良い? 置いとくからね!」

 アテリアはその力強い腕に、大盛りの食事を4人分載せ、せっせと運んでいる。空席に勢いよく置かれた食事が、私たちのものらしい。

「またゆっくり話しましょ! さあさ、温かいうちにお食べなさいよ!」

 厨房に戻りがてら、アテリアは威勢よく声を掛けて去る。相変わらず、元気な人だ。あの忙しい厨房をひとりで何とかしていると思うと、その勤勉さにますます感心する。
 私とエルートは、壁際のテーブルに、対面して座った。それぞれ置かれた料理は、今日も肉がどーんと載った豪快なもの。エルートは肉ばかりだと文句を言っていたが、厨房の惨状を見た私は、文句を言う気になれなかった。これだけの人数の食事を、アテリアはひとりで作っている。ソースが美味しくて、肉もよく煮えている。十分以上。満足すべきだ。

「……それで、さっきの話だが」

 肉を切り分け、飲むように食べながら、エルートが合間に話を切り出す。ずいぶん食べ進むのが早い。私は置いて行かれないように必死で肉を食べながら、目と耳だけ彼の方に向けた。

「今朝、王宮騎士団の朝礼で、俺の恋人である通称『カプンの魔女』が魔獣討伐に協力するため、宿舎に泊まると発表された。一般人でなくゆくゆくは騎士籍に入る者だから、丁重に扱えと」
「げほっ」

 涼しい顔で放たれた衝撃的な言葉の数々に、私は思わず喉に肉を詰まらせた。咳き込み、胸をどんどん叩き、水を飲み干す。ようやく人心地付くと、エルートはさらに言った。

「昼食時には、俺の同僚が、他の騎士たちに同様の話をしているのを耳にした。そして、今の反応だ。俺たちの関係は、そういうものとして、騎士団中に広まったと考えて良い」
「えぇ……エルートさんは、訂正なさらなかったんですか?」
「しないさ。団長がわざわざ、そう発表したんだ。何か理由があるのだろう。俺も考えてみたが、確かに君が独身の女性としてここにいるのは、良くないことのように思える」

 そう言われてみれば、確かにそんな気はする。独身の一般女が騎士団の宿舎にいるというだけで、外聞に関わるだろう。嫌な顔をする人もいるだろう。ただ。

「あなたと恋仲にある人間としてここにいるのも、良くないことだと思うのですが」

 さっきの反応を見るだけで、そうだと言える。ガムリの勘違いによって、私だけでなく、エルートまで変な目で見られている。それに、第一、恋仲だなんて嘘じゃないか。嘘がばれたら、彼は信頼を失ってしまう。私だって、申し訳なくていたたまれない。

「君にとっては、良いんじゃないか? 騎士といっても、色々な奴がいる。一般人と見て粗雑に扱おうとする輩は、王宮騎士である俺の名があれば引くだろう」
「ですが……」
「案ずるな、俺は構わない。君を巻き込んだのは俺だ。せめて君が困った立場に置かれないよう、全力で守ると誓うよ」

 私は以前、エルート達と共に魔獣討伐に向かった時のことを思い出す。レガット達仲間が町に挨拶に行って、エルートと二人きりになった時、彼は私に考える猶予をくれた。あの日、「やはり魔獣は見つけられない」と言いさえすれば、騎士団を再度訪れることはなかった。彼らの求めに応じ、魔獣を見つけ出して、巻き込まれることを決めたのは私だ。なのにエルートは、責任を感じてくれているらしい。
 優しい人なのだ。
 私みたいな一般人と恋仲扱いされるなんて、不本意なことこの上ないだろうに。エルートの表情からは、嫌そうな気配など漂っていない。
 いろいろと考えて、食べる手が止まる。エルートは、「もう無理なら貰うぞ」と言って皿の上の肉を取っていった。
 騎士仕様の大盛りは食べられないから、彼が代わりに食べてくれるのはありがたい。ただし、隣のテーブルにいる騎士が、私の食事を取って食べるエルートを見て「おお」みたいな顔をしたのを、目撃しなければの話だ。もちろん、知らない騎士だ。
 ああ、これはもう、誤解は完全に広まっている。いずれにせよ、今更否定はできなさそうだ。私は確信し、がくんと頭を下げた。

「あれ? 魔女さんじゃん、早かったね」

 頭に軽い感触があったかと思うと、くだけた口調で話しかけられた。

「……レガットさん」
「正解。よく覚えてたねえ」

 頭に載ったままの手で、髪をぐしゃっと乱される。触られてる。何で? 意味がわからないままに彼を見ていると、エルートが「おい」と不機嫌そうな声を出した。

「手。気安く触るな」
「おっと。悪いね、僕はこれが素だからさ。そうそう、驚いたよ、あの葉っぱ。手の傷が、すっかり治った」

 私の頭から手を外したレガットは、手のひらをこちらに見せてくる。つるんとした綺麗な肌が、そこにはあった。
 前回の討伐で手のひらに傷を負ったレガットに、私は薬草で応急処置をした。母に教わった薬草の効果があったとわかり、嬉しい気持ちになる。

「あれ、何て薬草なの? 知ってたら、応急処置に役に立つよね」
「名前は知らないんです。私は、母にその効果しか教わっていなくて」
「お母様も、君と同じ力があるんだっけ。きっと、君に似て可愛らし」
「レガット」

 レガットの言葉に重ねるようにして、再度、エルートが咎める声を出す。レガットはやっと言葉を止め、おどけた顔を作って肩をすくめると、私にウィンクして去っていった。私がやると道化にしかならない表情も、顔の整った人がやると様になるのだから憎い。

「あいつは、団長からの発表の後、『恋仲にある相手を袋に入れて運ぶなんてありえねえ』と言っていた。信じていないよ」
「ああ、だから……?」

 だからあの態度なのか、と言いかけて、それもおかしいなと首を傾げた。エルートと私が恋仲でないとして、彼がやたらと頭を触ってきた意味がわからない。「これが素」という言葉が本当なら、ずいぶん女たらしな素だ。あんな態度を取っていたら、女性に好かれすぎて収拾がつかなくなりそうなものだが。

「何にせよ。俺の名前は、自分を守るために使ってくれればいい」

 エルートは、空になった皿を持ち、そのまま立ち上がる。私は、後に続いた。
 少し遅く食堂に入ったからか、気付けば周りにいた騎士たちは既にどこかに移動していた。食器棚に皿を戻しながら、エルートが溜息をつく。

「この時間の温泉は、嫌いなんだよなあ……」
「え、どうしてですか?」

 あんなに綺麗で、素晴らしい空間なのに。私が聞くと、エルートは顔をしかめる。

「あの狭い空間に、何人も殺到するからさ。ああ、君はアテリアと二人だから、わからないのか。……ちょっと散歩しよう、時間稼ぎに」

 お腹がいっぱいで、少し歩きたい気分だった。エルートに誘われるまま、部屋ではなく、玄関の方向に曲がる。
 薄暗い廊下を抜け、外に出る。宿舎から漏れるほのかな明かりはあっても、それ以上に外は暗かった。特に、建物を囲う森は、真っ暗だ。不気味な獣の鳴き声が、遠くから聞こえる。

「夜風はまだ心地良いな」
「そうですね。もう暫くすると、夜も暑くなりますから」

 緑盛る季節の半ばに差し掛かると、日差しは厳しくなり、夜になっても空気が冷えない。しかしまだ、夜風は生温く、心地良く頬を撫でて行った。
 エルートの金の髪は、星明かりに照らされて薄らと白く光っている。

「君の髪は夜空のようだな。深い藍色は、今の空によく似ている」
「……ありがとうございます」

 エルートは、歌うように言葉を紡いだ。何だろう、この妙に幻想的な雰囲気は。普通の散歩のつもりだったのに、夜風があんまり心地良くて、私は落ち着かない気分になる。対するエルートは、鼻歌なんか歌って、楽しげだ。

「すまなかったら、レガットに絡まれて。俺がもう少し、強めに牽制しておくべきだった」
「いえ。お二人は、関係が良くないのですか?」

 あのレガットの挑発的な物言いといい、エルートの口ぶりといい。良くないとしか思えない関係を問うと、エルートは「まあね」と曖昧な肯定をした。

「あいつは俺が気に食わないんだよ。俺も、あいつの打算的な態度は気に食わない。ただ、ニーナが心配するようなことじゃない。……この辺を一周しようか。ゆっくり歩いていれば、良い暇潰しになる」

 歩いているとひんやりとした風が吹き、森の木々がそよそよと揺れる音がする。森に囲まれたこの辺りはとても静かで、自分たちの足音だけが聞こえる。
 見上げた空には星がきらめいていて、とても良い時間だった。満腹だったお腹もだんだんとこなれ、代わりに少し眠くなってくる。
 欠伸を噛み殺していると、隣でエルートが盛大に欠伸をした。その欠伸を聞いて、彼に白い花を渡したことを思い出す。
 今日は私も、あの白い花を壁に飾って眠るつもりだ。彼と同じ香りを嗅ぎながら寝るというのは、何だか少し、心がくすぐったいような気分がする。

「おやすみ、ニーナ」
「おやすみなさい」

 一人暮らしでは誰とも交わさない挨拶を交わし、散歩を終えた私たちは、それぞれの部屋に帰った。
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