命知らずの騎士様は、鼻の利く魔女を放さない。

三歩ミチ

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魔女、騎士に出会う

ニーナは森の魔女

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 人は私を、「魔女」と呼ぶ。そんな大それたものではないのに。

 窓に張った蔦の隙間から、眩い光が細く差し込んでくる。天井から吊り下げた薬草の葉の色が、鮮やかに照らし出される。そんなささやかな光が目立つほど、この店は薄暗い。あの窓だけではなく、どの窓にも蔦が張っているからだ。
 家の全面が蔦に覆われ、ずっと廃墟になっていた街外れの家。その不気味さから「魔女の家」と呼ばれていたここに店を構えて、もう1年が経った。

 白い陶器に注いだ薬草茶からゆらりと湯気が立ち上る。茶出しを脇に置き、取手のざらついたカップを持つ。口元を覆うベールを外し、唇を尖らせて、ふう、と吹く。萌黄色の水面に緩く波が立つのを確かめてから、唇をつけた。
 ひりつく熱さが舌の上を通り過ぎ、酸味を帯びた爽やかな香りが抜けていく。
 ごくん、と喉を鳴らし、詰めていた息を吐く。

 ふと、薬草の香りに誰かの匂いが混ざるのを感じた。
 口と鼻を覆うように、水色のベールを付け直す。布を染めた藍の液特有の大地に似た香りがする。

「いらっしゃいませ」

 扉が開くと同時に声をかける。最近では「魔女」という呼び名だけで恐れる人も増えて来た。怖がらせないよう、できるだけ柔らかな声音で。扉を開けたのは、初めて見る女性だった。清潔な装い。眉尻を下げている。

「あの……こんにちは」

 扉が閉まると、女性はそのままこちらへ近づいてきた。胸元に手を添え、ぐるりと視線を動かす。不安げな様子だ。

「そこの椅子に、どうぞお座りください」
「椅子……? あ、これですか」

 この店の椅子は、丸太を切り出して縦に置いた単純なもの。断面だけは、引っ掛けて怪我をしないようにやすりを丁寧にかけてある。
 女性はスカートを整え、丸太に腰掛けた。

「ここへ来ると、探し物を見つけてもらえると伺ったんですが」
「ええ」

 この店の扉には『探し物見つけます』と看板を掲げている。人の探し物を見つけ、報酬を得るのが今の私の仕事だ。

 なくしたものを見つけるのは、普通なら至難の技だ。しかし私は、相手の探し物を見つけることができる。それも必ず。

「見つけますよ。あなたの探し物を思い浮かべてくださいますか?」
「……はい」

 私は、目の前の女性に集中する。
 彼女を取り巻く雑多な香りの中から、彼女の匂いを感じ取る。

 人にはそれぞれ匂いがある。その日食べたものや、着ているものにも左右されない、その人特有の匂いが。要するに体臭なのだが、私の鼻は体臭に加え、それ以上のものを感知する。
 彼女からは、強いて言うなら檸檬に似た、爽やかな匂いがした。

「では、見つけにいきましょう」
「え?」
「付いてきてくださいね」

 カウンターを出て扉へ向かう。3拍ほど置いて女性も動き始めた。彼女が出てくるまで待ち、鍵を閉めてから匂いを辿る。

 私は鼻がいい。母譲りの鼻の良さで、普通の人なら感じ取れないような微妙な香りも嗅ぎ取れてしまう。
 そして私は、鼻が利く。この鼻は、相手の求めているものがどこにあるか、匂いで辿ることができるのだ。

「あの……どこへ?」
「私にも、どこに着くかはわかりません。どこにあるかしか、わからないんです」

 伺うようにして、私の半歩後ろを歩く彼女。檸檬に似た瑞々しい匂いが、彼女から町に向かって流れ出している。

 その人の匂いを追っていけば、その先に探し物がある。匂いの流れを辿ることで、探し物を見つけられるのだ。それが私の、母譲りのちょっと特別な鼻の力。
 匂いを追って歩いていると、土くれだった道が、舗装された煉瓦の道に変わる。薬草の香りが薄れ、雑多な香りが混ざり込んでくる。食べ物。馬具。皮脂。汗。香水。
 すれ違った子供の匂いは、屋台に向かっていた。お腹が空いたのかな。次の男女は互いの匂いで繋がれていた。両想いらしい。

 いけない。私の鼻は、すぐに他人の個人的な事情に探りを入れようとする。
 気を取り直して、口と鼻を覆うベールに染みた大地の香りに意識を向ける。そして、依頼主の放つ檸檬の匂いに。
 道を進み、左へ曲がる。匂いの向きに合わせて、もう何度か道を曲がっていく。

 この家だ。匂いがしてくる扉の前で立ち止まる。

「え、ここ……」
「お知り合いの家ですか?」
「えっと、あの……恋人の」

 女性の頬が淡く染まる。可愛らしい人だ。照れたように俯くと、桃色の耳たぶが髪の隙間から覗いた。

「この中にあるようなのですが……入っても宜しいでしょうか?」
「ええ、合鍵がありますから。どうぞ」
「お邪魔します」

 一応挨拶をしてみたが、家主に知れたら無断侵入に当たるかもしれない。気づかれないうちに仕事を終えようと、早足で家に上がり込む。
 他に誰もいない家の中では匂いがはっきりと感じ取れる。木造の床を歩き、小さな居間の壁際に据えられた2人掛けのソファに向かう。
 ソファの下から匂いがしてくる。屈み込み、床に耳をつける。覗き込んだソファの下の奥から、檸檬の匂い。銀色の何かがきらりと光ったようだ。

「……うっ」

 短い腕を何とか伸ばすと、硬いものに指先が触れた。人差し指を引っ掛け、床を引きずるようにしてこちらへ持ってくる。

「あっ!」

 私の隣でソファの下を覗き込んでいた女性が、上擦った声を上げた。

 指に引っかかって出てきたのは、銀色の指輪であった。指先で摘み上げると、女性の柔らかな指先が即座に摘み取る。
 見つけた指輪を、彼女は愛おしげに胸に抱き寄せる。その瞬間、指輪が発していた檸檬の匂いが跡形もなく散逸した。

 求めているものが手に入ったら、匂いの流れはなくなる。つまり、この指輪こそが、彼女の探し物ということ。

「ありがとうございました。見つからないと思っていたのに、まさかこんな近くにあったなんて……」

 喜ぶ彼女の薬指に、先ほど見つけた指輪が光っている。白い肌によく映える、明るい銀色。細かく刻まれた紋様が、その華奢な指をさらに細く見せている。収まるべきところに収まった指輪は嬉しそうに輝いて見えた。

「どんな魔法を使ったんですか?」
「何も。ちょっと、勘が良いだけですよ」

 この力を町の人は、魔法と誤解している。だから魔女と呼ばれるのだけれど、私の鼻は、本当は魔法ではない。そんな大それたものではないのだ。
 手を振る彼女に見送られ、私は町中へ戻る。

「今日もこのバゲットね? はいよ、魔女さん」

 パン屋の奥さんに500クルタ支払い、紙で包まれたバゲットを受け取る。焼き立てのバゲットからは、ほのかに甘い香りがする。それを両手で抱え、パン屋を出た。

 私、ニーナ・エトシールは、こんな風に誰かの探し物を見つけることで生計を立てている。探し物は、1回1000クルタで引き受ける。バゲットと、少しの干し肉を買ったら、それで終わりの金額。これで数日は保つから、客がそう多くはない「探し屋」の仕事も十分に成り立っている。
 ベールの近くにパンを寄せ、その香りを嗅ぎながら家まで帰る。
 煉瓦の道が土の道に変わる。木立に入り、パンを顔から離すと、草の香りが入ってくる。
 木々の間を進むと、外壁が蔦で包まれた一軒家が現れる。手のひらほどの大きさをした濃緑の葉が、壁から屋根まで埋め尽くしている。

 こんな不気味な家に住んでいるから、町の人に「魔女」と呼ばれるのだ。実際のところ、私にわかるのは匂いだけで、魔女なんて過ぎたあだ名なのに。とは言え、私にとっては、人が不気味だと呼ぶこの家は最高の空間なのである。

 蔦に埋もれる茶色の扉を開け、表に掛かる看板を『探し物見つけます』から『休憩中』に裏返して家に入った。
 カウンターと、椅子代わりの丸太が数個。南と東にそれぞれある窓は蔦で覆われ、隙間から光が差し込んでいる。それでいっぱいの、小さな店だ。他にあるのは、天井から吊るした種々の薬草だけ。
 あの青みがかった草は、熱を下げる効果がある。あの白っぽい葉をつけた枝は、煮出して飲むと胃を落ち着ける。薬効のある植物の名前なんて、ひとつひとつ覚えてはいない。ただ、その効能は知っている。母の教えのおかげだ。

 私の鼻は、母譲り。鼻がいいのも、鼻が利くのも。母は故郷で『恋の占い師』を名乗っている。彼女の元には、連日、恋に悩む女性が訪れていた。相談内容は決まって、恋の悩み。そして母の助言は百発百中。母の元を訪れた人は、老若男女問わず、喜んで帰って行った。

 あんな風に、人の役に立てる人でありたい。そう望むものの、経験の浅い私には母のように適切なアドバイスをすることまではできない。ただ、物を探すだけ。

 同じ町に、同じことを生業にする者がいても仕方がない。 18歳で成人を迎えた私は、故郷を出て新たな居場所を探すよう言われた。母もかつて祖母にそう言われ、故郷を出たと話していた。だから私は、必要なものと僅かな資金を持って、故郷を出た。

 それが、2年前の花咲く季節。

 紆余曲折を経て、季節がひと巡りした頃、王都近くのこの町に辿り着いた。そしてまた、花咲く季節が巡ってきた。今となっては、故郷の人々も家族の顔も、懐かしい思い出の中にある。
 先日20歳を迎えた私を訪ね、最近ではこの店にも、探し物を見つけてほしいお客が度々来るようになった。この町に居場所ができてきたのだ。町の人も優しく、自分を求める人もいる。穏やかな日々を過ごせる環境が整いつつあった。

 マッチをすって火をつけ、水を沸かす。ぐらぐらと煮立ったら火から下ろし、薬草の入った茶出しに勢いをつけて注ぐ。吹き出す湯気を、蓋で抑える。
 茶出しからカップに薬草茶を注ぐと、ほんのりと花の香り。紫の蕾を煮出した薬草茶には、気持ちを緩める効果がある。
 薄桃色の薬草茶を飲み込むと、肩の力がゆっくり抜けた。

 喜んで、くれてたな。

 指輪を胸に抱いて喜ぶ女性の姿が脳裏に閃く。鼻しか取り柄のない私の鼻は、こんな風にして、ほんの少しだけ人の役に立つ。
 何もできない私だけど、この町でこうして人の役に立ちながら生きていきたい。そんなささやかな幸せが、私の願いだった。
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