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ユリーシアは死に戻る

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「許せないわ。私を虚仮にしたあいつらに目にもの見せてやらないと、死んでも死にきれないの!」

 目の奥に暗い炎を燃やしたユリーシア・ヴェルダン公爵令嬢は、恨みのこもった低い声を絞り出した。窓から射し込む月明かりしかない部屋は、骨の髄まで沁みるほどに寒い。
 庶民が使うのと大差ない文机の上に、乱雑に散らかった細かい品々。その中でなにやら文字を書き込んでいた彼女は、ペンを勢い良く叩きつけた。

「おーっほっほ! これで復讐が叶うわ! 見なさいルーカス、これが『死に戻りの秘術』よ!」
「ついに完成させたのですね、ユリーシア様」
「ええ。長かったわ。歴史書の片隅で見かけた『死に戻りの秘術』という言葉から資料を探して……ついに、できたのよ! これで十年前に戻って、私は、あのいけすかない奴らをこてんぱんに叩きのめしてやるの!」

 ルーカスは、背後からユリーシアの手元を覗き込む。
 すっかり痩せこけた震える手が握りしめるのは、とある植物の葉を薄く伸ばした紙に、古代語で魔法陣を描き込んだもの。

「蛙の生き血と共にこの紙を飲んで、自分の血で描いた魔法陣の中で死ぬのよ。そうすれば、思いのままの時間へ戻って、生き直すことができるんだわ!」

 爛々と輝く目は、常軌を逸しているとしか思えないものだ。復讐心で化け物のようになってしまった主人を、ルーカスは目を細めて見つめる。

「いいわねルーカス、前にも言った通り、あんたには最期まで私の体を守ってもらうから。死んで確実に命を落とすまで、決して魔法陣から動かさないでちょうだい」
「勿論です」

 ルーカスは、ユリーシアには決して逆らわない。従順に頷くと、敬愛する主人の手のひらが、ルーカスの頬に添えられた。

「今の私には何にもないけれど、追放されても私に付き従ってくれたあんたには、戻った後は一番の信を置くと約束するわ。それを、褒美と思ってちょうだい」
「……ええ。ありがたきお言葉です」

 ルーカスが頷くと、ユリーシアは微笑む。

「それじゃ、始めるわよ」

 ユリーシアは、長い幽閉生活で、貴族としての嗜みもまるで忘れてしまったらしい。スカートの裾をたくし上げ、病的なまでに白い脚を晒して木の床に蹲る。握っていた紙をごくんと飲み込み、懐から取り出した小刀で、躊躇なく指先を切り付けていく。
 滴る血液で、秘術のための魔法陣を寸分違わず塗り込める。その指先がぼろぼろになっていくのを、ルーカスは静かに見つめた。
 美しい人だ。きらびやかな装いを失い、正気を失い、復讐しか見えなくなっても尚、ルーカスの主人は美しかった。

 魔法陣が完成し、ユリーシアは顔を上げる。くすんだ銀の髪の隙間から、ぎらりと光る橙の瞳が覗く。

「できたわ、ルーカス。……あんたとは、これでさよならよ」
「はい。……俺が最期まで、お守りいたします」
「成功した喜びをあんたと共有できないのは、少し寂しいわねーー」

 ユリーシアは、そう言って表情をくもらせる。
 自分のために、そんなことを言ってくれるのだ。彼女の物憂げな表情を、ルーカスは目に焼き付けた。
 ユリーシアの憂いは、一瞬であった。きりりと眉を吊り上げ、小刀を首元に当てる。

「……行ってくるわ」
「いってらっしゃいませ、ユリーシア様」

 最も忠実な従者に見送られ、ユリーシアの体は力を失い、魔法陣の上に横たわった。

***

 瞬きをする。眩しい。目を開く。天井には、瀟洒な天蓋の布。

「懐かしい……」

 思わず呟いた声は、若々しく、いつになく潤っていて、ユリーシアは飛び起きた。体が軽い。見下ろす手のひらは、程よくふっくらとして、健康的だ。

「上手く行ったわ」

 新台横の鏡に映る自分は、美しく整った銀糸の髪に、つややかな色白の肌、透き通った橙の瞳をしている。苦労を知らない、健やかな顔だ。その瞳の奥に、ユリーシアは、暗い炎を灯らせた。

 記憶は、鮮明である。憎い名前は、ヘイゼル。公爵令嬢であるユリーシアの、婚約者であった侯爵家令息。幼い頃から決められた婚約で、それなりに上手く関係を作っていたはずだったのに、直前になって奴は裏切った。「本当の愛を知った」のなんだのと言って、妹のエリスと手を組み、ユリーシアはひどい淫売だという根も葉もない噂を流したのだ。
 公爵令嬢の醜聞を、面白がる者も多かった。噂の広がりようがあまりにも酷かったので、婚約は破棄され、ユリーシアは辺境の別荘に幽閉された。
 ユリーシアは、別荘で陰鬱な暮らしを送りながら、ずっとヘイゼルとエリスを恨んでいた。奴らがいたから、ユリーシアは惨めな思いをすることになったのだ。

 死に戻ったのは、復讐のため。自分の命だって惜しくはない。ヘイゼルとエリスが絶望する顔を見られれば、それで満足だ。

「ルーカス! ルーカスはいる?」

 目覚めたユリーシアは、最も忠実な従者を呼びつけた。幽閉生活では、彼に身の回りの世話を全て任せていたから、起床してすぐ彼を呼ぶのは当然の行いだった。

 淡いノックの音がする。入室を許す。入ってきたルーカスは、記憶にある姿よりも若々しかった。張りのある肌、整った髪。何よりも皺一つない制服は、幽閉当時とは見違えるようだった。

「おや……お嬢様。はしたないお姿で私を呼びつけて、どうなされたのですか」
「ん……? ああ、そうよね」

 妙にかしこまった物言いに、困ったように垂れた眉尻。それでユリーシアは、自分の粗相に気がついた。ユリーシアはまだ寝巻きである。薄いネグリジェ姿で異性の従者を呼びつけるのは、公爵令嬢のすることではない。「公爵令嬢らしい振る舞い」なんて、久しく忘れていた。さっさと感覚を取り戻さないと、またヘイゼル達に足元をすくわれてしまう。

「ルーカス。着替えるから、侍女を呼んでちょうだい」

 そうそう、身の回りの世話は侍女に頼むのだった。思い出しながら指示を出すユリーシアの顔に、影がかかる。視線を上げると、背の高いルーカスが、寝台脇からこちらを見下ろしていた。

「なにかしら」
「……成功なされたのですね、お嬢様」
「ルーカス?」

 彼の灰色の瞳は、妙にぎらりと輝く。若い頃の彼は、こんな不穏な目をする人だっただろうか。

「この頃のお嬢様は、俺のことを『ルーカス』とはお呼びにならなかった。そうでしょう? ユリーシア様……おかえりなさいませ」

 まさか。
 びりり、と胸が震えた。

「あんた、もしかして」
「『死に戻りの秘術』で、ユリーシア様の後を追わせていただきました。成功した喜びを共有したいとおっしゃったのでーー」
「そんなこと……言ったわね」

 死ぬ間際の自身の言動を思い返し、ユリーシアは頷く。

「そのために、自ら命を絶ったというの?」
「ええ。ユリーシア様の一番の信が、たとえ俺だとしても、『俺ではない俺』に注がれるのは我慢なりません」
「相変わらずの忠誠心ね」

 ふ、と口元を緩めるユリーシア。ルーカスはどんな状況でも、自分の忠実な従者であった。そんな彼が共にいると思うと。

「あんたがいると安心だわ」

 復讐は、きっとうまく行く。そう思えるのだった。

「ルーカスがいるなら、話が早いわ。ヘイゼルとエリスに復讐してやるのよ。まずは今度のお茶会の時に、ヘイゼルをーー」

 練りに練った復讐案を話し出すと、ルーカスが「そのことですが」と遮った。

「なあに?」
「ヘイゼルは、既に侯爵家を追放され、路頭に迷っているようですよ」
「え? どうして?」

 ユリーシアの疑問には答えず、ルーカスは薄く笑う。

「エリスは、幼いながらに男性に媚を売る淫売との噂が流れ、別荘に幽閉されております」
「……嘘でしょう、ルーカス。そんなはずないわ。鏡を見なさい、ほら。この顔は、どう見ても十五の時の私よ。エリスとヘイゼルが、隠れて付き合い出したばかりの頃よ。それがどうして、エリスが幽閉されて……あっ。まさか、あんた、何かしたわね?」

 過去が変わる理由など、ひとつしか思いつかない。ユリーシアが睨んでも、ルーカスは微笑むだけ。否定しないその態度が、全てを物語っていた。

「どうして?」

 行き場を無くした復讐の炎が、一気に燃え上がる。

「どうして、そんなことするの? どうして? 私は、あいつらの惨めな姿を、この目で見て嘲笑ってやりたかったのに!」
「エリスが幽閉された別荘はもちろん、ヘイゼルが寝泊まりしている馬小屋も、俺は確認しております。ユリーシア様が望むのなら、いつでもご案内致しますよ」
「それじゃ駄目! あんただってわかってるでしょ、私は、復讐のために死に戻ったのよ。この手で奴らを壊してやるのが、何よりの楽しみだったのに、どうして奪うの?」
「五体満足で残してありますから、壊してやりたいのならお好きにどうぞ。ユリーシア様は公爵家当主ですから、存在ごと抹消することもできますよ」
「は? 公爵家当主?」

 聞き捨てならない言葉を吐いたルーカスは、にこやかに頷く。

「ヘイゼルとエリスを許したご両親にも、ユリーシア様は腹を立ててらっしゃいましたよね?」
「ええ、それは確かにそうよ。ヘイゼルとエリスが終わったら、次は両親を陥れてやろうと……」
「前当主夫妻は、先月、視察先で強盗によって尊厳を蹂躙され、その命を散らされました。慣例に従い、ユリーシア様が当主となられたのです」
「ねえ、どうして! どうしてルーカスは、私の復讐を奪ってしまうの? 私がしたかったのに、私が両親を嵌めて、酷い目に遭わせたかったのに……」

 握り込んだ拳が、真っ白になるほど力が入る。

 ユリーシアにとって、それはひどい裏切りだった。
 復讐のために死に、復讐のために生きるはずだったのに。復讐心だけを頼りに生きてきたのに。それを勝手に奪い取って、どうせよと言うのか。

「……俺は、ユリーシア様にひどいことをしましたね」
「ええ、そうだわ。わかっているのに、どうして、そんなことをしたの。私は、あんただけは味方だと……あんただけは信じられると、そう思ってたのに!」
「俺を、恨みますか?」
「ええ、恨むわ。だって、復讐する相手が居なくなってしまったんだもの。あいつらにやるつもりだった復讐を、全部、あんたにぶつけてやるわ!」

 それは、癇癪だった。
 前の人生で最期まで忠誠を尽くしてくれたルーカスを、いたぶっても心は晴れない。嫌な目に合わせた奴らに復讐するから意味があるのだ。
 怒りに任せて吐き捨てた発言であるのに、ルーカスが「光栄です」と微笑むものだから、ユリーシアはさらに面食らった。

「光栄って……あんた……」
「ユリーシア様の復讐心は、何より強いお気持ち。その気持ちをこの身にぶつけていただけるなんて、死に戻った甲斐がありました」
「そんなの……おかしいわよ。私に復讐されたいの?」
「されたいですね、それはもう。ユリーシア様が俺に復讐することだけを考えてくださるのなら、本望です」
「……?」

 何を言っているのだ、この従者は。
 理解の追いつかない展開に呆気に取られたユリーシアは、毒気をすっかり抜かれてしまう。

「復讐の参考に、俺が恐れることを教えて差し上げましょうか」
「……聞くわ」

 ルーカスのペースに巻き込まれて、話に乗るしかなかった。

「ユリーシア様に抱きしめられるのが怖いです。髪を撫でられ、キスされることも怖いですね。甘い声で、耳元で『ルーカス』と呼ばれてしまうのも恐ろしいですね」
「……ふざけてるの? ルーカス」
「俺が単なるおふざけで、ここまでするとお思いですか。公爵夫妻の死も、ヘイゼルとエリスの悲惨な生も、本当のことですよ。復讐を奪った俺のことを恨みますよね?」
「……恨むわ」

 そう答えるしかない。ユリーシアが苦々しい表情で頷くと、ルーカスはこの上なく優美に微笑んだ。

「ならば、俺に復讐してください。ちなみに今俺は、ユリーシア様に平手打ちされることが何より怖いです」
「……ああっもう、何なの!」

 べしん。
 かなり強く頬を叩いたが、左頬を赤く染めたルーカスは、嬉しそうに笑顔を浮かべるだけである。

「自分で叩いたくせに、『ごめんね』と謝って抱きしめられるのも悪くないです」
「……本音が出てるわよ。悪くないなら、やるわけないでしょ!」
「おっと、失礼しました。……ああ、左頬が痛い。痛いところにキスでもされたら、辛いだろうなあ」
「しないわよ!」
「おや、復讐はいいんですか? ……ははっ、痛い」

 キスの代わりに平手打ちを飛ばしても、ルーカスはまた嬉しそうに笑う。怒りに任せてドンドンと机を殴れば、「怪我しますよ」と拳を包まれる。彼を殴っても喜ばれるだけだから、そこまでされると、ユリーシアには手も足も出ない。

「なんなのよ……なんなのよ……なんなのよ、馬鹿あ!」
「ええ、私は馬鹿です。馬鹿だから、ユリーシア様の復讐を奪ってしまったのです。恨みますよね? 復讐したいですよね?」
「したいけど……あんたが喜ぶんじゃ、復讐にならないじゃない!」
「ユリーシア様になら、俺は殺されても喜びますよ」
「馬鹿なの?」
「ええ、馬鹿です」

 ああ言えばこう言う。ユリーシアは、髪をぐしゃぐしゃと乱してから、がっくりと肩を落とした。

「こんなつもりじゃなかったのに……」
「俺はずっと、こんなつもりでしたよ」
「あんたのことは知らないわ」

 最も忠実な従者は、最も身近な裏切り者だった。

 復讐対象を勝手にすり替えられたユリーシアは、彼の思惑に飲まれ、意味のない「復讐」をするしかなくなる。

「今の俺は、ユリーシア様に手を握られるのが怖いですよ」
「……うるさい。しないわよ」

 この生活も悪くない、とユリーシアが諦めて迎合し、従者の病んだ愛を受け入れるまでには、まだまだ時間がかかるのだった。
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みんなの感想(1件)

太真
2022.09.10 太真

昔話饅頭怖いを思い出した😱❕ルーカス君にはユリ~シアちゃんに忘れられる事が怖いかも(ノдヽ)。

解除

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