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3 恋の行く末

3-1 メイディの喪失

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 どうして会いに来ないんだろう。

 放課後、ひとりで廊下を歩きながら、メイディは片側に寂しい感じを覚えていた。毎日隣を歩いていたアレクセイが、今日も隣にいない。前はいつもひとりだったのに、今は、彼がいない方が違和感があるのだ。

 あれからもう何日も経っているのに、アレクセイはメイディのところへ顔を出さない。メイディには、それが不思議だった。
 ふたりの間に気まずい空気があるのは確かだが、だからと言ってそれは、会わない理由にはならないのだ。アレクセイの目標のために、メイディと「恋人のふり」をし続けることは必要なはずだった。

 会いさえすれば、ちゃんと話ができる。

 メイディがランドルンに行くことを選べないのは、その先がうまく想像できないからだ。ランドルンはどんな国なのか。そこで、どんな暮らしができるのか。もっと詳しく聞かないと、そちらを選ぶ勇気がわかない。
 ところが、当のアレクセイが来ないので、話はできないまま。そのうち会いに行こうとは思うものの、なんとなく先延ばしにしたまま今日もサロンへ向かっている。

 講義棟を抜けると、空中廊下に出る。この先に研究室棟があるのだ。秋の終わりを感じさせる風は肌寒く、メイディは制服の上から腕をさすった。
 向かいから、女生徒が3人で歩いてくる。じろじろ見られるので、メイディは視線をそらした。アレクセイと恋人のふりをするようになってから、こういう探るような眼差しは本当に増えた。気にすると気になるから、見ないようにするのだ。

「あなた!」

 キンと、頭に響くような甲高い声。足を早めるメイディの腕が、ぐっと強く引かれた。

「サマンサ様が呼びかけているのに無視するだなんて、無礼ですわよ!」

 メイディを引き留めた女生徒は、目尻を吊り上げて叱責する。

「え……わ、私?」
「他に誰が居りますの。こちらへいらっしゃい!」

 困惑するメイディはそのまま手を引かれ、3人に対面する形で立たされた。

「……なんでしょうか……」

 知らない貴族と、こんな風に対面して話したことはほとんどない。しかも彼女たちは、なぜか怒っているようで、揃って目尻を吊り上げている。
 怖気付いたメイディの肩は縮こまり、声はか細い。そんなメイディの反応に、真ん中で腕を組んでいた女生徒ーー先程メイディに声をかけたサマンサは、ますます目尻を吊り上げた。

「なんでしょうか、じゃありませんわ! ミア様が最近お休みされているのは、あなたのせいでしょう、ジュラハール男爵令嬢!」
「ミア様……?」

 耳慣れない呼び方に首を傾げると、サマンサは「失礼ですわ!」と言葉を重ねる。

「ミア様のことは、ラグシル公爵令嬢とお呼びなさい!」
「ラグシル公爵令嬢……? ミア……ラグシル……?」

 どこかで聞いたような、と少し考えて思い出した。
 ミア・ルネール・サグ・ラグシル。成績で、常にメイディの上をゆく人。舞空クラブの発表で見た、美しく、崇高で、完璧な人。

「公爵令嬢だったんだ……」

 彼女の情報をひとつ知っただけで、なんとなく嬉しくなる。メイディがミアに抱く感情は、まさに憧れだった。

「なんてこと……笑ってますわ、ミア様が、休んでいると聞いて……」

 怒りのあまり顔面蒼白になり、ふらりと体勢を崩すサマンサを、左右の女生徒が支えた。どうにか持ち直し、サマンサはきっとメイディを睨みつける。

「わたくしは、警告に参りましたのよ。あなたが第一王子殿下から手を引かず、ミア様のお心を傷つけ続けるのなら、わたくしにも考えがありますの。この学院には居られなくなるとお思いなさい」
「第一王子殿下……?」
「とぼけないでくださる? あなたが第一王子殿下と恋仲だということは、誰もが知ってますわ! 隠しもせず、あんなに堂々と……舞空クラブの発表にまで同行して、ミア様のお心を傷つけて!」

 恋仲。隠しもせず、堂々と。舞空クラブの発表に同行。
 ひとつひとつの表現に心当たりはあるが、メイディの理解には時間がかかった。つまり。そういうことか。

「アレクは第一王子で、婚約者が、あの人だったの……?」
「第一王子殿下のことを、愛称で呼ぶなんて! あなたがそうだから、ミア様が心をお病みになって、お休みされているのではありませんか!」

 キンキンとしたサマンサの声が、メイディの脳内をぐるぐる回る。

「ミア様はこの国の至宝ですわ! そのお心は、あなたが傷つけていいものではなくってよ。第一王子殿下から手を引きなさい。あのようなお方でも、ミア様はお慕いしているのですから。……お伝えすべきことは言いましたわ。行きましょう」

 サマンサはくるりと踵を返し、取り巻きのふたりを連れて去っていく。その背中を見ながら、メイディはまだぐるぐると考えていた。

 アレクセイは第一王子で、ミアの婚約者。メイディとアレクセイが「恋人」だと思って、気に病んで休むほど、彼を慕っている。なのにアレクセイは、あんなに素敵で、自分に思いを寄せてくれる人を捨ててまで、第一王子という座を捨ててまで、国を出ようとしているのだ。メイディと恋人だという、嘘をついて。

「どうして……?」

 アレクセイには、自分の夢を叶えるのに何不自由ない身分があった。メイディが、いくら欲しても手に入らなかったものだ。自分を愛してくれる、素晴らしい婚約者がいた。メイディよりも優れている、憧れの人だ。
 どうして、その身分を捨てたいのか。どうして、あんなに素敵な婚約者を捨てたいのか。どうして、完璧な環境にありながら、メイディの境遇に共感を寄せられたのか。わかるはずないのに。持たざるメイディの気持ちなんて、何ひとつ、わかるはずないのに。

「楽しいなら、それでいいだろ」と許してくれた。そんなこと言えるのは、将来のことなど何も心配しなくていい、王家の人間だからだ。
 その身分を捨てて国外へ出て、どうするつもりでいるのだ。アレクセイが今持っているものは、王家の人間でなくなれば全てなくなるのに。
 いかに恵まれた立場にあるのか、自覚がない。アレクセイも、他の貴族と同じだった。恵まれた自覚がないから、それを気軽に捨てようとするのだ。

 アレクセイとの思い出が、嬉しかったはずの記憶が、ぱたぱたと裏返っていく。それは落胆であり、喪失であり、絶望であった。

「こんなに、好きになったのに……」

 胸の奥がしくしくと痛む。無意識のうちに涙が流れ、目尻から頬を伝う。
 もっといろいろな表情を見たいと思う。もっと一緒に話したいと思うし、共にランドルンへ行くことも検討したいと思う。そんな風にアレクセイを好きになったのは、自分を理解し、許してくれたからだ。

 彼の言葉が、貴族らしい無自覚から生まれたものだとわかっていたなら、メイディはきっと、彼を好きにはならなかった。メイディの好きなアレクセイは、最初からいなかったのだ。

 顎先からぽたりと落ちた涙のひと粒は、晩秋の風に吹かれ、どこかへ飛んで消えてしまった。
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