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2 恋の自覚

2-3 メイディと舞空クラブ

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「……へえ、舞空クラブってこんなに賑わってるんだ」
「今日は発表会だからな。魔法実習で宣伝してたのを聞かなかったのか」
「聞いたけど、こんなに人がいるなんて思わなかった。飛ぶの、怖くないのかな。生身だよ?」
「生身以外で、どうやって飛ぶんだよ」

 大講堂を借りて行われる舞空クラブの発表会は、観客で満員だった。通路沿いに座るメイディの隣に、アレクセイが座っている。
 舞空とは、読んで字の如く、空を舞う技術だ。風の精霊ユークの力を借り、宙返りしたり、急降下したり、舞うように飛ぶという。
 想像するだけで、メイディの肩は強張った。空を飛ぶのは苦手なのだ。ただでさえ高所は怖いのに、ましてや、そこでアクロバティックな動きをするなんて。そんな危険な催しを好んで見る人が、こんなにたくさんいるなんて。

「俺は去年も観たが、その価値はあると思うぞ。存分に楽しめ」
「楽しめるかなあ……」

 人生、楽しいのが一番だというアレクセイの言葉は、メイディの胸の中に息づいている。
 楽しいなんて気持ち、今まで意識したことはなかったし、なくても困らなかったのに。確かにアレクセイと踊ったとき、メイディは楽しかった。あの、心が奥底から沸くようなうずうずした感覚は、一度味わうとまた欲しくなる中毒性があった。

「それはそれとして、こっちもやっとかねえとな」

 アレクセイの手が、メイディの肩をぐい、と引き寄せられる。勢いに負けて、メイディの頭が彼の肩に触れた。

「ほら、忘れるな」
「テレルナ」
「……しっかりやってくれよ」

 棒読みの反応に呆れ顔のアレクセイ。だがメイディには、上手くやれる確信があった。今日に備えて、「恋人らしい」振る舞いを暗記し直してきたのだ。
 これだけの観客の前で「恋人らしく」振る舞う様を見せつければ、それはもう成功と言って間違い無いのではなかろうか。

 ちょうど良いタイミングで、メイディの隣の通路を女生徒が通った。アレクセイが、一瞬ちらりとそちらを見る。

 よし、やろう。

 メイディは片手を伸ばし、アレクの頬に添えた。そのまま、彼の顔を自分の方に向かせる。

「アレクは、私だけ見てなよ」

 『王太子の一途な恋』では、主人公が他の男性に惹かれていると誤解した王太子が、嫉妬心から主人公に迫るシーンがある。その中で、こうして頬に手を添え、「俺だけ見てろ」と告げるのだ。
 男女は逆転しているが、「異性が近寄ると嫉妬する」という、恋人らしい感情を押さえている。

「な、なんだよ」

 アレクセイは、また照れた。頬に赤みが差しているし、声が少し動揺している。その顔は、年相応の青年に見える。

「かわ」
「は?」
「いやっ、何でも」

 可愛い。そう感じたのだ。
 普段彫刻みたいに整っている顔が崩れて、照れた感情を覗かせる。それは、メイディには可愛らしく見えた。
 胸の奥からうずうずした感情が湧いてくる。楽しいんだ、と気づいた。アレクセイの照れた顔をみるのは、とても楽しい。また見たくなってしまう。

「……意味わかんねえ。いきなり変なこと言いやがって」
「だって、今そこを通った女の子を見てたでしょ。『嫉妬』しちゃうよ」
「あー、あー、うん。そうだよな」

 メイディが説明すると、こほん、とアレクが小さく咳払いする。動揺に揺れていた瞳が凪いだ。もう気持ちを切り替えたらしい。

「ごめんな、メイディ。俺にはお前しか見えてないよ」

 いつもとは違う、甘くとろける声。アレクセイは、メイディの黒髪にさらりと触れ、頬を撫でる。

「テレルナ」

 触れ合ったから、お決まりの文句を口にするメイディの頭に、アレクセイはぽんと手を乗せる。

「棒読みだから20点」
「ええ……棒読みじゃなかったら?」
「嫉妬までなら60点」

 周囲に聞こえないよう、顔を寄せて囁き合う姿は、傍目にはしっかりと「恋人らしく」見えるものであった。

 しばらくすると、会場の明かりが落ちた。ざわついていた観客が静かになる。

 閉ざされた幕の前に、ひとりの女性が歩み出た。華やかな金のドレスを着ている。深々と礼をし、頭を上げ、手に持った魔導具を口元に近づける。緑の紋様が走るそれは、ユークの力を借りる、風の魔導具らしい。

「ようこそ、お越しくださいました!」

 鈴の鳴るような美しい声が、わん、と会場に響く。なるほど、あれは拡声器のようだ。 
 開幕の挨拶があり、拍手が何回か起きた。幕が開くと、煌々と照らされる舞台上には複数の人影。皆、先程話していた人と揃いの、金のドレスを着ている。

「ユークよ!」

 演者の声が、風の精霊ユークに呼びかける。拡声器を使っていないのに、全員で揃って発した声は、講堂に凛と響いた。

「私たちの羽となれ。血と肉から成るこの身体を、空行く鳥のように軽くせよ。思いのままに、自由に舞わせたまえ!」

 やたらと長い詠唱を聞きながら、無駄だなあ、とメイディは思う。

 魔法を発動するのに必要なのは、想像力だ。詠唱は、その想像を補足するためのもの。
 例えば、慣れない魔法を使うときには、その効果が具体的に想像できないから、しっかり詠唱をしたほうが良い。細かな調整を要する魔法も、得たい効果を詠唱に乗せると上手くいく。詠唱を短縮できるのは、熟練していたり、簡単だったりする魔法だ。
 自分にかける魔法は、基本的には簡単な部類に入る。自分の体のことは、想像しやすいからだ。体を空に飛ばす魔法くらいなら、もっと短い詠唱で済むはずなのに。わざわざ長く唱えることには、貴族らしい伝統を重んじる態度が見え隠れするから、メイディは気に入らないのだ。

 そんなことをつらつらと考えるメイディの目の前で、ぱっと黄金が散った。舞台の中央に揃っていた演者が、四方に飛んだのだ。黄金と見間違うほどに速く、鋭い軌道で。
 観客の視線が、皆天井を向く。ドレスの裾が空中で長く垂れる。流星のように輝く尾を引きながら、無軌道に見えて秩序のある動きで、宙を飛び回る。
 ばらばらに、時には手を取り合って。付かず離れずの関係で飛んでいたはずの演者たちは、気付けば整然と並び、揃いの振り付けを舞っている。
 遠くにいて見えないはずの演者の表情に、なぜか視線が吸い込まれる。メイディは、自分の直上にいる女生徒と、目が合った気がした。美しい、橙の瞳が優美に細められるのが、妙にはっきりと見える。一度目が合ったら、二度と離せない。

「ほお……」

 その瞬間、何とも言えないため息が、腹の奥から溢れた。

 演者が舞台上に戻り、一礼する。彼女たちが頭を上げるまで、会場が拍手で満たされた。メイディも両の手のひらを打ち鳴らす。

「どうだった? ……その目を見れば、大体想像がつくが」

 アレクセイの声で、どこか夢見心地だった意識が現実に引き戻された。

「すごかった。あれほど緻密な制御をするのは、並の魔法使いじゃできない。特にあの、私の上にいた橙の目の人。あんなに遠くにいたのに、近くで見つめられてるみたいで……不思議だった」
「橙の目? ……ああ、彼女だよ。お前が前に言ってた『ミア・ルネール・サグ・ラグシル』ってのは」
「そうなんだ……あの人が」

 ミア・ルネール・サグ・ラグシル。あらゆる科目の成績で、私の上に君臨する人。超えたいと思ったし、いくら頑張っても勝てなくて悔しかったし、その身の上に嫉妬していた。
 でも、目が合ったあの瞬間。本能的に敵わないと思った。こちらを見据え、見透かすような眼差し。

「……すっごく、かっこいい人なんだね。なんか……私が勝てないのも、仕方ない気がしちゃった。別の生き物みたい」

 手の届かないほど、美しく崇高な生き物。空を舞う彼女は、そんな風に見えた。

「だよなあ。あんなに完璧な人間、俺の人生でも他には見たことがねえ」
「やっぱり、そうなんだ。……飛び抜けた才能には、努力では敵わないのかも」

 努力すれば、身分の差は取り返せる。そう信じて努力し、敵わなくて落胆していたが、競う相手はそれ以上の存在だった。
 視線を交わすだけでそう思い知らされたメイディは、胸の内が、すとんと納得したように感じた。勝てない相手なのだ。努力が足りないわけでは、きっとなかった。

「ほら、始まるぞ」

 アレクセイはメイディの頭に手を置き、柔らかく角度を変える。視界に舞台が収まった。幕の開いた明るい舞台に、今度は青い衣装に身を包んだ男性が立っている。
 めくるめく舞空術の演目に、アレクセイの気になる発言は、メイディの意識の外へ落ちていった。

 舞空クラブの発表は、最後まで見劣りしなかった。演者と衣装を変えて披露されるのは、時に雄々しく、時に優美で、いずれも緻密に計算された動きだった。最後に、全ての演者が舞台上に並び、頭を下げる。今日一番の拍手が鳴り響いた。

「ああ、胸がいっぱい。楽しかった」
「だろ? それでいいんだよ」

 講堂を出る人の流れに乗って、アレクセイとメイディも外に出る。熱気のこもった講堂から出ると、廊下の空気は新鮮に感じられる。

「あー……そうだった。終わった後は、演者が出口で挨拶するんだったな」
「ほんとだ。……あ、あの人もいる」

 出て行く観客の左右に演者が並び、舞台で着た衣装のまま、にこやかに見送っている。メイディは当然、金の衣装を探した。
 探すまでもなかった。皆化粧をして派手な装いをしているはずなのに、彼女だけは特別に光り輝いて見えた。優れた容姿、だけではない。彼女が放つ雰囲気自体が、明らかにひとりだけ、飛び抜けて華やかだった。
 橙の瞳と、目が合う。遠く離れていても、吸い込まれそうに魅力的な瞳だ。ふらり、と歩み寄ろうとするメイディの手を、アレクセイが乱暴に引いた。

「何でそっちに行くんだよ、こっちに来い」
「どうして? あの人の近くを通ろうよ」
「駄目だ」

 そう言い合っているうちに、美しい彼女の姿は、観客の波に隠れて見えなくなった。

「すごい、素敵な人だったなあ……」

 メイディの心に、鮮烈な印象だけを残して。
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