上 下
34 / 34
7章 聖女は、魔王への愛を叫ぶ

7-6 聖女は、魔王への愛を叫ぶ

しおりを挟む
「……緊張して来ました」
「お前でも緊張するのだな」
「しますよ。私を何だと思ってるんですか?」
「感情の機微に疎いところもお前の美点だ。俺はその鈍感さを好ましく思っている」
「そんな言い方されたら怒りにくいですよ」
「わざと言っている。緊張は多少ほぐれただろう」
「ほぐれましたけど……!」
「こんなところで痴話喧嘩するのはやめてもらえるかな。必要な緊張感まで削がれてしまうよ」

 小声で言い交わすのは、諮問室の扉の前。これから三人で、諮問会が開催されている中へ乗り込もうというのである。

「行くよ」

 短いリナルドの合図と共に、扉が押し開かれる。

「何用であるか、リナルド。お前の入って良い部屋ではない……ぞ……」

 リナルドと同じ、金の瞳が見開かれる。淡々とした国王の表情が崩れ、驚きの色に染まった。

「……アラバ!」
「はっ!」

 国王が叫ぶよりも先に、騎士団長のアラバは動いていた。フィリス達との間に体を差し込み、国王を守る体勢を取る。

「魔王城を出入りしているという報告は受けていたが……まさか謀反を企てるとは。失恋程度でそこまで落ちぶれるとは、見損なった」
「驚かせて申し訳ありません、父様。僕から、この諮問会で議題に上げて頂きたい用件がありまして。……聞いて頂けないと、この場が僕達の墓場になる可能性がありますが」
「……余が脅しに屈すると思うてか」
「事実を述べただけなのです。魔王が僕達を皆殺しにする前に、話し合いの場に乗せた僕を褒めてほしいくらいですよ。魔王は今日、人魔戦争の終結を求めてここへ来てくれました」
「人魔戦争の……終結を……?」

 驚いた顔をしているのは、国王とアラバだけである。大司教のモールドは表情を変えずに話を行先を見守っている様子だ。研究局長のマデルは……さっきからずっと、口を半開きにして宙を見ている。心ここに在らずといった雰囲気だ。

「ええ。僕達はずっと、魔王を敵と見做して戦いを続けて来ました。魔獣は無限に湧き、民は怯え騎士達は疲弊する。そんな不毛な戦いを終えられるのなら、終えるべきではありませんか」
「終えられないから、今まで続いてきたものなのだぞ」
「それを終わらせる時なのです。我々は対立するではなく、手を取り合い、新たな敵に立ち向かうべきなのです」
「新たな敵だと?」
「何のことだかわかるな、アラバ」
「……いえ……自分には……」

 首を左右に振るアラバの顔は、先ほどよりも青ざめている。

「僕は先日聖女の力を借りて、瘴気の壁の向こうーー魔王城のさらにその向こうにある街へ行ってきました。昔からあると語り継がれている隣国は、確かにそこにありました」
「……その話は関係ないであろう」
「あります、父様。その街には、武装した兵士がおりました。この国では見ない、金属製の鎧を全身に着けていましたが……アラバ、君はそんな鎧に見覚えがあるのでは?」
「そ、それは」
「僕は騎士達から、森の中で見慣れぬ武装の男達を目撃したと聞きました。一度交戦し、相手の見知らぬ武器に対応できずに退避したとも。その報告は既に上がっているのでしょうか」
「……アラバよ」
「相手が敵対者なのか、組織的なものなのか何なのか、情報を把握してからお伝えするつもりでおりました」
「交戦した騎士の言っていた武装は、僕がその街で見た兵士達の武装とよく似ています。隣国は、何らかの方法で瘴気の影響を受けずにこちらへ来ることができるようになったのではないでしょうか。そうなれば、攻め込まれるのは時間の問題です。壁のこちら側で争っている場合ではない」

 ここでリナルドは、シルヴァンを手のひらで示す。

「今のうちに魔王を味方にするべきです。彼が敵に回れば僕達に勝ち目はありません。逆に魔王の力を借りれば、侵略者からこの国を守ることもできます」
「……これは謀られたな」

 誰にも聞こえないよう、シルヴァンがぼそりと呟く。問いかけるフィリスの眼差しに、シルヴァンは眉をひそめて応える。

「俺がこいつらと手を組んで、隣国の奴らと戦う話になっているではないか」
「嫌ですか? シルヴァン様が嫌なら、今のうちに……」
「お前は呑気な奴だな。今ここでそんなことを言ったら、お前の望みも叶わぬのだぞ。……まあよい。なるようになる」

 リナルドに話を合わせてやることにしたらしいシルヴァンは、わざとらしく咳払いをして注目を集める。

「リナルドは我が妻の旧友。彼への協力ならば、俺は惜しまない」
「旧友、ね……」
「何か?」
「いや、何でもないよ。……とのことですが、いかがお思いですか。協力を申し出ている魔王とのこれ以上の軋轢は避け、外部の敵と戦うべき。これが僕からの提案なのですが」
「賛成じゃ!」

 間髪入れずに声を上げたのはマデルである。

「魔瘴石とやらを見せてもらったが、あれは莫大な力を秘めておる! 魔石なぞ比にならんのじゃ。わしは早く戻って研究の続きをしたい、さっさと話をつけましょうぞ!」
「……その態度はいかがなものかと思いますが、僕も賛成です。この国は聖樹によって立つもの。聖樹に愛されし聖女が、魔王の隣に立っているのです。これもきっと聖樹のお導きなのだと……僕はそう、信じます」

 続いてモールドも声を上げる。
 協力してくれたことに、嬉しさが込み上げる。じっと感謝の眼差しを注いでいると、モールドと目が合った。彼は苦笑し、視線を移せと言わんばかりに顎を微かに動かす。
 モールドに指示された方へ視線を向けると、それは国王の居所だった。椅子に深く腰掛けた国王は、フィリスの目の奥を真っ直ぐに射抜いてくる。

「……魔王は、信頼に足ると?」
「はい。そもそもシルヴァン様は、私達の暮らしに魔石が必要であることをご存知でした。だから、意図的に魔獣を寄越していたのです。私達はそれを攻撃だと思っていましたが……魔獣が居なくなって魔石が手に入らなくなったら、困りますよね。魔獣の存在は、シルヴァン様の優しさだったのです」

 鋭い眼差しに捉えられながらも、フィリスの言葉はすらすら流れ出る。本心を語っているからだ。飾らぬ言葉は、国王の威厳すらものともしない。

「そんな優しいシルヴァン様だからこそ、私は惹かれ、愛しているのです。シルヴァン様も私を愛してくださって、いる、はずで」
「なぜ急に歯切れが悪くなるのだ。俺の愛をまだ分からぬのか?」
「いえ、違うんです。自分の言葉が急に恥ずかしくなってしまって」

 少し熱くなる頬をぱたぱた仰いでから、フィリスは言葉を続けた。

「愛し合い、慈しみ合える。私とシルヴァン様が特別なのではありません。魔人は、正体不明の悪しき存在ではありませんでした。言葉を交わし、分かり合える……信じられる存在です」
「…………もうよい。ここまで用意されておったら、余には頷くことしかできぬ。建設的な話を始めようではないか」

 200年続いた人魔戦争は、聖女と魔王の愛が終わらせた。後の世にそう語られる歴史的な決定が、この時、なされたのであった。

***

「フィリス様ー! 見てくださあい、あれ! お花を売ってますう」
「うっわー、マジで人間ばっかじゃねーか。ほら見ろよアリャ、誰も角生えてねーぜ」
「あー! サムにい、ディルじいが何か食べてるよ!」
「ずりい! 行こうぜアリャ、マレーナも!」
「勝手に行動したらだめって……待ちなさいよ、もう~!」

 かつての戦線から少し離れた、ネフィリア王国内の街。当時は魔獣と戦う騎士達でごった返していた出店通りに、黒い角を生やした魔人達が楽しげな声を響かせる。
 花屋のきれいな花を指差すリサ、早速出店の前で立ち食いをするディルに、お裾分けをおねだりする子供達。他にも何人も、城で働く者達の中から希望する者を、こうして連れて来たのである。

「……不思議な光景だ。まさかこんな日が来るとは」

 青い空の下、賑やかな通りで城の者達が楽しむ様子を眺め、シルヴァンがしみじみと呟く。

「街の者達は、まだ俺達を恐れているようだが」
「最初は仕方ありませんよ。それでも、騎士達がいろいろ話してくれたこともあって、だいぶ打ち解けてきた気がします」
「そうだな。……これは俺の、理想のひとつだった。お前のおかげで叶ったぞ、フィリス」
「シルヴァン様のおかげですよ」

 あれから王命を受けた騎士達が改めて隣国との境界を探索したところ、高く険しい山の斜面に大穴を開けられていた。そこにシルヴァンが濃い瘴気を掛けることで、向こう側からの侵入は阻止できた。隣国では瘴気に耐える素材が開発されているため時間の問題かもしれないが、ひとまずは侵略を防ぐことができ、その功を評価され魔王シルヴァンは騎士達の信を得ることができた。
 魔王城の者達と人間の交流は、少しずつ進められている。フィリスとシルヴァンの引率で街に繰り出すことを始めてからこれで四度目だが、確かに町人と魔人達は打ち解けてきている。

「俺達も何か食うか」
「ディルさんが食べてるあのふわふわしたお菓子、気になりませんか?」
「いいな。買いに行こう」

 何よりも、シルヴァンと共に広い世界を歩けること。フィリスは、それが何よりも嬉しくて。

「……シルヴァン様、愛しています」

 端正な横顔に向かってそう呼びかけると、彼はこちらを向いてふっと笑う。

「俺もだ」

 重なる手の冷たさが何よりも愛しくて、フィリスはきゅ、と手のひらに力を込めるのだった。その薬指に輝くのは白い宝石。聖樹の涙は、太陽の光を受けて嬉しそうに煌めいた。

『死に戻り聖女は魔王への愛を叫ぶ』完
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

お飾り公爵夫人の憂鬱

初瀬 叶
恋愛
空は澄み渡った雲1つない快晴。まるで今の私の心のようだわ。空を見上げた私はそう思った。 私の名前はステラ。ステラ・オーネット。夫の名前はディーン・オーネット……いえ、夫だった?と言った方が良いのかしら?だって、その夫だった人はたった今、私の足元に埋葬されようとしているのだから。 やっと!やっと私は自由よ!叫び出したい気分をグッと堪え、私は沈痛な面持ちで、黒い棺を見つめた。 そう自由……自由になるはずだったのに…… ※ 中世ヨーロッパ風ですが、私の頭の中の架空の異世界のお話です ※相変わらずのゆるふわ設定です。細かい事は気にしないよ!という読者の方向けかもしれません ※直接的な描写はありませんが、性的な表現が出てくる可能性があります

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのはあなたですよね?

長岡更紗
恋愛
庶民聖女の私をいじめてくる、貴族聖女のニコレット。 王子の婚約者を決める舞踏会に出ると、 「卑しい庶民聖女ね。王子妃になりたいがためにそのドレスも盗んできたそうじゃないの」 あることないこと言われて、我慢の限界! 絶対にあなたなんかに王子様は渡さない! これは一生懸命生きる人が報われ、悪さをする人は報いを受ける、勧善懲悪のシンデレラストーリー! *旧タイトルは『灰かぶり聖女は冷徹王子のお気に入り 〜自業自得って言葉、知ってますか? 私をいじめていたのは公爵令嬢、あなたですよ〜』です。 *小説家になろうでも掲載しています。

そろそろ前世は忘れませんか。旦那様?

氷雨そら
恋愛
 結婚式で私のベールをめくった瞬間、旦那様は固まった。たぶん、旦那様は記憶を取り戻してしまったのだ。前世の私の名前を呼んでしまったのがその証拠。  そしておそらく旦那様は理解した。  私が前世にこっぴどく裏切った旦那様の幼馴染だってこと。  ――――でも、それだって理由はある。  前世、旦那様は15歳のあの日、魔力の才能を開花した。そして私が開花したのは、相手の魔力を奪う魔眼だった。  しかも、その魔眼を今世まで持ち越しで受け継いでしまっている。 「どれだけ俺を弄んだら気が済むの」とか「悪い女」という癖に、旦那様は私を離してくれない。  そして二人で眠った次の朝から、なぜかかつての幼馴染のように、冷酷だった旦那様は豹変した。私を溺愛する人間へと。  お願い旦那様。もう前世のことは忘れてください!  かつての幼馴染は、今度こそ絶対幸せになる。そんな幼馴染推しによる幼馴染推しのための物語。  小説家になろうにも掲載しています。

処理中です...