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27 直談判
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「藤乃さん、結果は見にいかないの?」
「まだ行かないわ」
「そう。ならわたし、先に行ってるね」
泉がそう言って、屋上から出ていく。
テストの順位が貼り出されるのは、今日の昼休み。つまり、今だ。
あんまり早く行くと早苗たちに会ってしまうと思って、ここで、時間を潰しているところだ。
早苗と海斗がどんな風にいちゃつくかを、私は知っている。そんな光景を見たら、また泉は、何か言った方が良いと怒ってくれる。
彼女の気持ちは嬉しいけれど、イベントは、私がいなくても進むのだ。
だから敢えて、今は時間を無駄にする。
「……暑いわ」
真上に出ている太陽は、気温をじりじりと上げている。
もう、すっかり夏だ。
夏休みも近づいてきて、季節はすっかり移ろっている。
建物の陰に座っているとはいえ、じわりと汗が滲むのを感じて、私は立ち上がった。
結果を見に行くには、まだ早い。
「……2年生のを、見に行ってみようかしら」
成績は壁に貼り出されるので、他の学年でも、見ることができる。
慧は、うまくいっただろうか。
気になった私は、まずは2年生のフロアへ向かうことにした。
「わ、すごい人……」
壁の前には人だかりができていて、押し合いながら順位を確認している。
背の高い先輩たちに遮られ、どうなったのか、見ることはできない。爪先立ちをしてみても、目を凝らして見ても、難しかった。
「すごいね、また1位だって」
「特待生って、できるのねえ」
すれ違う先輩の、そんな会話が耳に入って、私は順位を見る努力をやめた。
今、「また1位」と言っていた。ということは、慧が連続で1位を取った、ということだ。
「良かった……」
私と一緒にいても、慧の成績は下がらなかった。迷惑をかけていなかったとわかり、ほっとする。
ゆっくり1年のフロアへ向かって、昼休みが終わる間際に、順位を確認しよう。
私はそう決め、ゆっくりと廊下を歩き始める。
同じつくりなのに、学年の違うフロアは、雰囲気が違う。
掲示されているもの、歩く人の雰囲気、教室のざわめきの感じ。
ゆっくり眺めながら歩いていると、ある教室の中に視線を向けたとき、目が合った。
「あっ」
慧は、教室で机に向かっていた。ワイシャツの白が、爽やかだ。手に文庫本を持ち、視線をこちらに向けている。
その表情が、訝しげなものに変わった。
椅子から立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
「ああ……本当に、藤乃さんだ。見間違いかと思って、びっくりした。どうしたの、こんなところで」
「慧先輩の順位を見に来たんです」
「え、俺の? なんでまた……」
慧は、困ったような笑顔を浮かべた。
こういう風に笑うとき、彼の頬のえくぼは、それほどはっきりとは見えない。
「私のせいで慧先輩の順位が下がっていないか、心配だったので」
「順位か。別に心配しなくていいのに。俺は変わらないくらい勉強してるし、結果はついてくるだけのものだから」
余裕を感じる発言に、今度は私が苦笑する。結果はついてくる、なんて、できる人だけが言える台詞だ。
「藤乃さんはどうだったの?」
「まだ、見ていません。手応えはあったんですけど、あんまり早く行くと、ほら……」
「ああ、なるほどね」
ゲームの展開を知っている慧は、言葉を濁してもわかってくれる。
「昼休みが終わる直前に、見に行こうと思って」
「へえ……なら、まだもう少し暇なんだ」
「そうなんです」
慧は、廊下の窓のさんに、肘を軽く引っ掛けてもたれる。私が向かい合うようにすると、肩が、同じ窓のさんに触れた。
「俺も暇だったよ」
「慧先輩は、昼休みはいつも、何をされてるんですか?」
「俺? 大したことはしていないよ。本を読んでいるか、勉強しているか」
会話をしている間も、廊下の往来は止まない。すれ違った生徒が、ちら、とこちらに目を向ける。
「藤乃さんこそ、昼は何してるの?」
「私も、同じです。お昼を食べた後は、大体、教室で過ごしています。同じようにしている人は、そんなにいないんですが……」
皆、昼休みは、友人と楽しそうにしている。
私は、辺りを見回した。2年も同じで、それぞれが、楽しげに話しながら歩いている。
後ろから歩いて来た生徒と目が合って、そして、逸らされた。
「……ごめんね、藤乃さん」
「え? 何がですか」
突然謝られ、問いで返す。
「俺といると、変に注目を浴びるんだね。居心地が悪いでしょう」
「私は、別に……」
慧の言葉に改めて周囲を観察すると、そこかしこにある小集団から、ちらちらと視線を送られている。
早苗が、私に向けるような。それよりさらにあからさまで、好奇に満ちた視線だ。
「……慧先輩、注目されてるんですね」
先ほどから感じていた視線も、同様のものだったのかもしれない。
「ごめんね。変な目で見られて」
「それは別に、構わないんですが……」
似たような好奇の視線は、浴び慣れている。「あの」兄の妹だというだけで、こんな風にじろじろ見られることは、何度もあった。
「慧先輩は、この視線が嫌なんですね」
「嫌……というか、まあ気になるよ。俺だけならいいけど、藤乃さんに嫌な思いをさせるから」
「私は嫌じゃありませんよ」
私が言い切ると、慧は微笑む。その頬に、今度はえくぼが、まるく浮かんだ。
「強いんだね」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
慧の言い方は、妙に確信めいている。
「そろそろ、時間かな」
「あ……そうですね」
廊下に溢れていた人だかりは、気づけば、ほとんど解散していた。昼休みの終わりを感じさせる雰囲気である。
「ではまた、放課後、図書室で」
「そうだね。またあとで」
手を挙げて挨拶する慧に背を向け、私は1年生のフロアへ向かう。
図書室の外で見る慧の姿は、なんだか新鮮だった。新鮮ではあったが、いつもとさほど変わらない調子の会話ができて、私の心はほんのり温かい。
教室に帰る前に、順位の貼り出される場所へ行く。2年のフロアと同様、この時間になると、人はほとんどいなかった。
「……え?」
私は、目を擦る。
そしてもう一度、順位を確認した。
「……うそ」
見間違いでは、なかった。
不動の1位である、海斗。その下にある名前は、予定通り早苗……ではなく。
小松原藤乃。
私の名前であった。
教室に入ると、真っ先に、アリサに「おめでとう!」と声をかけられる。
「藤乃さん、ついに2位に返り咲いたのね」
「あ……ありがとう」
「あの早苗さんを上回るなんて、すごいわ」
早苗が編入してくる前は、私は海斗の下、1桁の順位を行ったり来たりしていた。
それをアリサは知っていて、「返り咲いた」と言ってくれたらしい。
「藤乃さん、頑張ってたんだね」
「泉さんまで……たまたま結果がついてきただけだわ」
慧の「結果がついてくる」という台詞が、つい口をついて出た。別に私は、慧のようにできるわけではないのに。
きっとこれは、本当に偶然の産物だ。
予鈴が鳴る頃、海斗と早苗が、教室に入っていた。
海斗の手にレモンジュースの瓶がぶら下げられているのを、私は見逃さなかった。早苗が3位でも、きちんとイベントは進行したらしい。
間接キスしてきたんだわ、あのふたり。
そう思ってみると、海斗の表情が、どこかぎこちない気もする。本来なら知るはずのない事実に、私は、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
「……ねえ、藤乃さん」
放課後。荷物をまとめて、教室を出る。
図書室に向かうにつれ、人気は少なくなっていく。ほとんど誰もいない廊下を歩いていると、不意に、声をかけられた。
「……え」
声の主は、予想外の人物。
「早苗さん……?」
「今、ちょっといい?」
目の前には、早苗が立っていた。
「いいけど……何かしら」
「ここだと人目につくから……こっち」
早苗に連れられ、廊下の角を曲がった、奥まった場所へ入っていく。
彼女の後ろを歩くと、ふんわりと甘く蕩けるような香りがした。
早苗が、壁に背を向け、こちらを見上げた。
彼女の背は、私より少し低い。その潤んだ瞳で、こんな風に見上げられると、なんだかどきっとしてしまう。
「……何か?」
早苗と、まともに話すのは初めてだ。
「あたし、あなたに頼みがあるの」
その声は、普通に離しているのに、僅かに震えているように聞こえる。鈴の音が鳴るような、とはこのことだ。
「頼み……?」
「そう。あなたにしか頼めないの」
早苗が、ぐっと顔を寄せてくる。
また、甘く蕩けるような香りがした。
香水をつけているのだろうか。
そういえば、ゲームの中で、そんなアイテムも買えた気がする。
そんな余計な思考は、次の早苗の言葉で、消え去った。
「あたしと、樹さんの仲を、取り持ってくれない?」
「え?」
私は、耳を疑う。
誰と、誰の仲を?
「あなたは、海斗さんが好きなんでしょう? でね……本当はあたし、樹さんが好きなの」
「あなた、何を言っているの?」
早苗が、海斗ではなく、樹を好きだと言っている。
意味がわからない。その気持ちが、そのまま口から出た。
「藤乃さんにとっても、悪い話じゃないでしょう? 協力してくれたら、ちゃんと、あなたと海斗さんの仲も取り持つから」
「取り持たれても、どうにもならないわ」
「そう? 他のルートに入ったら、自然と海斗さんは、あたしを好きじゃなくなると思うんだけど」
ルート。聞いたことのある単語に、早苗の発言が繋がる。
これは、ゲームの話だ。
つまり早苗は、海斗のルートを抜け、樹のルートへ入る手助けをしてほしいと言っているのだ。
「……なんで、私に」
意味がわからない。
ゲームの知識を持つ彼女にとって、私はあくまでも、おまけ程度の「脇役」なはずなのに。
早苗は唇に人差し指を当て、小首を傾げる。可愛らしい仕草だ。
「なんで、って、わからないの?」
「……さっぱり、わからないわ」
「とぼけなくても、わかってるから大丈夫。……とにかく、藤乃さんにしか頼めないのよ」
また、上目遣い。
その黒目がちな目で見つめられると、対応に困ってしまう。
「……考えさせて」
絞り出すように言って、私は、後ろを向いた。
「また、声かけるから!」
後ろから、早苗の声が追ってくる。
どういうこと?
彼女は、何を言いたいの?
意味がわからなくて、何よりも、恐ろしかった。私は早く慧に会いたくて、図書室へ早足で向かう。
このわけのわからない話を、早く慧に聞いてほしかった。
「まだ行かないわ」
「そう。ならわたし、先に行ってるね」
泉がそう言って、屋上から出ていく。
テストの順位が貼り出されるのは、今日の昼休み。つまり、今だ。
あんまり早く行くと早苗たちに会ってしまうと思って、ここで、時間を潰しているところだ。
早苗と海斗がどんな風にいちゃつくかを、私は知っている。そんな光景を見たら、また泉は、何か言った方が良いと怒ってくれる。
彼女の気持ちは嬉しいけれど、イベントは、私がいなくても進むのだ。
だから敢えて、今は時間を無駄にする。
「……暑いわ」
真上に出ている太陽は、気温をじりじりと上げている。
もう、すっかり夏だ。
夏休みも近づいてきて、季節はすっかり移ろっている。
建物の陰に座っているとはいえ、じわりと汗が滲むのを感じて、私は立ち上がった。
結果を見に行くには、まだ早い。
「……2年生のを、見に行ってみようかしら」
成績は壁に貼り出されるので、他の学年でも、見ることができる。
慧は、うまくいっただろうか。
気になった私は、まずは2年生のフロアへ向かうことにした。
「わ、すごい人……」
壁の前には人だかりができていて、押し合いながら順位を確認している。
背の高い先輩たちに遮られ、どうなったのか、見ることはできない。爪先立ちをしてみても、目を凝らして見ても、難しかった。
「すごいね、また1位だって」
「特待生って、できるのねえ」
すれ違う先輩の、そんな会話が耳に入って、私は順位を見る努力をやめた。
今、「また1位」と言っていた。ということは、慧が連続で1位を取った、ということだ。
「良かった……」
私と一緒にいても、慧の成績は下がらなかった。迷惑をかけていなかったとわかり、ほっとする。
ゆっくり1年のフロアへ向かって、昼休みが終わる間際に、順位を確認しよう。
私はそう決め、ゆっくりと廊下を歩き始める。
同じつくりなのに、学年の違うフロアは、雰囲気が違う。
掲示されているもの、歩く人の雰囲気、教室のざわめきの感じ。
ゆっくり眺めながら歩いていると、ある教室の中に視線を向けたとき、目が合った。
「あっ」
慧は、教室で机に向かっていた。ワイシャツの白が、爽やかだ。手に文庫本を持ち、視線をこちらに向けている。
その表情が、訝しげなものに変わった。
椅子から立ち上がり、こちらへ歩み寄ってくる。
「ああ……本当に、藤乃さんだ。見間違いかと思って、びっくりした。どうしたの、こんなところで」
「慧先輩の順位を見に来たんです」
「え、俺の? なんでまた……」
慧は、困ったような笑顔を浮かべた。
こういう風に笑うとき、彼の頬のえくぼは、それほどはっきりとは見えない。
「私のせいで慧先輩の順位が下がっていないか、心配だったので」
「順位か。別に心配しなくていいのに。俺は変わらないくらい勉強してるし、結果はついてくるだけのものだから」
余裕を感じる発言に、今度は私が苦笑する。結果はついてくる、なんて、できる人だけが言える台詞だ。
「藤乃さんはどうだったの?」
「まだ、見ていません。手応えはあったんですけど、あんまり早く行くと、ほら……」
「ああ、なるほどね」
ゲームの展開を知っている慧は、言葉を濁してもわかってくれる。
「昼休みが終わる直前に、見に行こうと思って」
「へえ……なら、まだもう少し暇なんだ」
「そうなんです」
慧は、廊下の窓のさんに、肘を軽く引っ掛けてもたれる。私が向かい合うようにすると、肩が、同じ窓のさんに触れた。
「俺も暇だったよ」
「慧先輩は、昼休みはいつも、何をされてるんですか?」
「俺? 大したことはしていないよ。本を読んでいるか、勉強しているか」
会話をしている間も、廊下の往来は止まない。すれ違った生徒が、ちら、とこちらに目を向ける。
「藤乃さんこそ、昼は何してるの?」
「私も、同じです。お昼を食べた後は、大体、教室で過ごしています。同じようにしている人は、そんなにいないんですが……」
皆、昼休みは、友人と楽しそうにしている。
私は、辺りを見回した。2年も同じで、それぞれが、楽しげに話しながら歩いている。
後ろから歩いて来た生徒と目が合って、そして、逸らされた。
「……ごめんね、藤乃さん」
「え? 何がですか」
突然謝られ、問いで返す。
「俺といると、変に注目を浴びるんだね。居心地が悪いでしょう」
「私は、別に……」
慧の言葉に改めて周囲を観察すると、そこかしこにある小集団から、ちらちらと視線を送られている。
早苗が、私に向けるような。それよりさらにあからさまで、好奇に満ちた視線だ。
「……慧先輩、注目されてるんですね」
先ほどから感じていた視線も、同様のものだったのかもしれない。
「ごめんね。変な目で見られて」
「それは別に、構わないんですが……」
似たような好奇の視線は、浴び慣れている。「あの」兄の妹だというだけで、こんな風にじろじろ見られることは、何度もあった。
「慧先輩は、この視線が嫌なんですね」
「嫌……というか、まあ気になるよ。俺だけならいいけど、藤乃さんに嫌な思いをさせるから」
「私は嫌じゃありませんよ」
私が言い切ると、慧は微笑む。その頬に、今度はえくぼが、まるく浮かんだ。
「強いんだね」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
慧の言い方は、妙に確信めいている。
「そろそろ、時間かな」
「あ……そうですね」
廊下に溢れていた人だかりは、気づけば、ほとんど解散していた。昼休みの終わりを感じさせる雰囲気である。
「ではまた、放課後、図書室で」
「そうだね。またあとで」
手を挙げて挨拶する慧に背を向け、私は1年生のフロアへ向かう。
図書室の外で見る慧の姿は、なんだか新鮮だった。新鮮ではあったが、いつもとさほど変わらない調子の会話ができて、私の心はほんのり温かい。
教室に帰る前に、順位の貼り出される場所へ行く。2年のフロアと同様、この時間になると、人はほとんどいなかった。
「……え?」
私は、目を擦る。
そしてもう一度、順位を確認した。
「……うそ」
見間違いでは、なかった。
不動の1位である、海斗。その下にある名前は、予定通り早苗……ではなく。
小松原藤乃。
私の名前であった。
教室に入ると、真っ先に、アリサに「おめでとう!」と声をかけられる。
「藤乃さん、ついに2位に返り咲いたのね」
「あ……ありがとう」
「あの早苗さんを上回るなんて、すごいわ」
早苗が編入してくる前は、私は海斗の下、1桁の順位を行ったり来たりしていた。
それをアリサは知っていて、「返り咲いた」と言ってくれたらしい。
「藤乃さん、頑張ってたんだね」
「泉さんまで……たまたま結果がついてきただけだわ」
慧の「結果がついてくる」という台詞が、つい口をついて出た。別に私は、慧のようにできるわけではないのに。
きっとこれは、本当に偶然の産物だ。
予鈴が鳴る頃、海斗と早苗が、教室に入っていた。
海斗の手にレモンジュースの瓶がぶら下げられているのを、私は見逃さなかった。早苗が3位でも、きちんとイベントは進行したらしい。
間接キスしてきたんだわ、あのふたり。
そう思ってみると、海斗の表情が、どこかぎこちない気もする。本来なら知るはずのない事実に、私は、恥ずかしさで胸がいっぱいになる。
「……ねえ、藤乃さん」
放課後。荷物をまとめて、教室を出る。
図書室に向かうにつれ、人気は少なくなっていく。ほとんど誰もいない廊下を歩いていると、不意に、声をかけられた。
「……え」
声の主は、予想外の人物。
「早苗さん……?」
「今、ちょっといい?」
目の前には、早苗が立っていた。
「いいけど……何かしら」
「ここだと人目につくから……こっち」
早苗に連れられ、廊下の角を曲がった、奥まった場所へ入っていく。
彼女の後ろを歩くと、ふんわりと甘く蕩けるような香りがした。
早苗が、壁に背を向け、こちらを見上げた。
彼女の背は、私より少し低い。その潤んだ瞳で、こんな風に見上げられると、なんだかどきっとしてしまう。
「……何か?」
早苗と、まともに話すのは初めてだ。
「あたし、あなたに頼みがあるの」
その声は、普通に離しているのに、僅かに震えているように聞こえる。鈴の音が鳴るような、とはこのことだ。
「頼み……?」
「そう。あなたにしか頼めないの」
早苗が、ぐっと顔を寄せてくる。
また、甘く蕩けるような香りがした。
香水をつけているのだろうか。
そういえば、ゲームの中で、そんなアイテムも買えた気がする。
そんな余計な思考は、次の早苗の言葉で、消え去った。
「あたしと、樹さんの仲を、取り持ってくれない?」
「え?」
私は、耳を疑う。
誰と、誰の仲を?
「あなたは、海斗さんが好きなんでしょう? でね……本当はあたし、樹さんが好きなの」
「あなた、何を言っているの?」
早苗が、海斗ではなく、樹を好きだと言っている。
意味がわからない。その気持ちが、そのまま口から出た。
「藤乃さんにとっても、悪い話じゃないでしょう? 協力してくれたら、ちゃんと、あなたと海斗さんの仲も取り持つから」
「取り持たれても、どうにもならないわ」
「そう? 他のルートに入ったら、自然と海斗さんは、あたしを好きじゃなくなると思うんだけど」
ルート。聞いたことのある単語に、早苗の発言が繋がる。
これは、ゲームの話だ。
つまり早苗は、海斗のルートを抜け、樹のルートへ入る手助けをしてほしいと言っているのだ。
「……なんで、私に」
意味がわからない。
ゲームの知識を持つ彼女にとって、私はあくまでも、おまけ程度の「脇役」なはずなのに。
早苗は唇に人差し指を当て、小首を傾げる。可愛らしい仕草だ。
「なんで、って、わからないの?」
「……さっぱり、わからないわ」
「とぼけなくても、わかってるから大丈夫。……とにかく、藤乃さんにしか頼めないのよ」
また、上目遣い。
その黒目がちな目で見つめられると、対応に困ってしまう。
「……考えさせて」
絞り出すように言って、私は、後ろを向いた。
「また、声かけるから!」
後ろから、早苗の声が追ってくる。
どういうこと?
彼女は、何を言いたいの?
意味がわからなくて、何よりも、恐ろしかった。私は早く慧に会いたくて、図書室へ早足で向かう。
このわけのわからない話を、早く慧に聞いてほしかった。
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