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13 秘密の共有

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 電気を消して、布団をかぶる。
 そうして私は、じっと携帯の画面を眺めていた。

 ゲームの紹介ページは、読み込み尽くした。書かれている情報は最低限で、ストーリーも、設定も詳しくはわからない。

「プレイしてみたいけど……」

 生まれてこの方、ゲームなんてしたことがない。
 それでも私は、どうしても、このゲームを手に入れたかった。

 今まで読んできた本は、主人公が、乙女ゲームの世界に生まれ変わるというものだった。場合によっては、ヒロインも。
 早苗は、どこかからこの「ゲーム」の中に、転生したと思っているのかもしれない。つまり、ゲームの知識を持ったヒロインである、可能性が。

「脇役は、脇役らしく、って言っていたもの……」

 彼女の言葉を、脳内で反芻する。
 可能性と言いつつ、私の中では、それはほとんど確信であった。

 このゲームを手に入れれば、これから起こることを、知ることができる。

 何よりも、それは好奇心だった。
 自分の世界を舞台にしたゲームがあるかもしれないと知って、その内容を気にならない人がいるのだろうか。

 いてもたってもいられなくて、私は、もう新しい情報は何も載っていないページを、何回も何回も見返していた。

「慧先輩、実は、相談したいことがあって」
「……相談?」

 慧に勉強が教わり、ひと段落したところで、私はそう切り出した。

 慧は教科書を閉じ、視線を上げてこちらを見る。レンズ越しの慧の目は、今日も優しく光っている。
 カウンターの中、慧の隣。そこが、図書室で慧と話すときの、私の定位置になりつつあった。

「はい。信じてもらえないようなというか、私自身も、まだ信じられないような話なんですが」

 否定されたら怖い、という恐れが、前置きを長くする。すると、慧は頬を緩めた。まろやかなえくぼ。

「藤乃さんが真面目に話してるのに、俺が信じないと思う?」
「え……」

 それは、あまりに率直な言い方だった。

「俺は藤乃さんを信じるよ」

 肩に入っていた力が、ふっと抜けた。
 こんな風に力強く言ってもらえたら、何を話しても、大丈夫な気がする。たとえそれが夢よりも夢みたいな話でも、真剣に受け止めてもらえそうだ。

「これを、見ていただきたいんです」

 私はポケットから、携帯を取り出した。ロックを解除すれば、画面は、例のゲームの紹介ページ。

 そのまま慧に手渡すと、彼は受け取りながら、戸惑った顔をする。

「いいの? 見ても」
「構いません。というか、見ていただきたいです」

 私があれこれと説明しなくても、答えは画面に書いてある。
 それを慧は、どう捉えるだろうか。

「……そう? じゃあ、失礼して」

 慧はそのまま、手元の画面に目を落とす。画面から発せられる光が、彼のレンズに反射している。

 その指先が、画面をスクロールする。口数が少なくなり、眉間に皺が寄る。「ん?」と声を上げる。画面を行きつ戻りつしているのが、その指先から察せられる。眼鏡を持ち上げて調整し、画面に顔を近づける。

 その食い入るような眼差しは、彼が私と同じような発想をしたことを示している。

「ありがとう。藤乃さん、これって……」

 慧が差し出す携帯を、受け取る。画面の最下部まで表示されている。慧はこの紹介ページを、最後まで読み通したのだ。

「えっと……何か、つきまとわれてるの? その、ストーカー、とか」
「ああ……」

 学園の名前、周囲の人々の名前や顔。ゲームの紹介という形を取ってはいるものの、そこには明らかに、人々の個人的な情報が、細部まで載っている。
 そう言われてみれば、慧の心配も、もっともだ。しかし私は、首を左右に振る。

「違います。そういった、犯罪的なことに巻き込まれたわけではなくって」
「それなら、いいんだけど。なら……?」
「実は昨日、聞いてしまったことがあって」

 慧の視線が、先を促すようにこちらを見る。私は言葉を選びながら、早苗のことと、彼女の昨日の発言を伝えた。

「それで彼女は、『ゲームの脇役なんだから、脇役らしく振る舞えばいい』って、私のことを」
「藤乃さんを、ゲームの脇役、って?」

 慧は怪訝そうに復唱する。怪訝そうではあるが、小馬鹿にするような調子はない。彼は彼なりに、事態を噛み砕こうとしてくれている。

「……なんか、まるでここが、ゲームの中みたいな言い方だね」
「そうなんです。だから気になって調べたら、本当に、こういうサイトがあって」
「そう……」

 そして、沈黙。

 続く言葉がすぐに見出せないのは、私も同じ。ぱたぱたと軽い音がするのは、慧が指先を軽くカウンターに当てて、立てているからだ。
 そうして暫く考えたあと、軽い音が止み、代わりに慧が話す。

「とりあえずそのゲーム、実在するなら、買ってみる?」
「……そっか、そうですね」

 はっとして、私は頷いた。簡単なことなのに、もやもやしていて、思い浮かばなかった。
 この何ともいえない気分も、実物を見れば、はっきりするだろう。

「どこで買えるか、聞かなくっちゃ」
「誰に?」
「侍女です」

 何か取り寄せたいときには、シノに頼むのが常だ。

「頼まないと、手に入りませんから」
「そんなに詳しい人が知り合いなんだ、すごいね」
「はい。……?」

 どことなく噛み合わない会話を、疑問に思った。

「藤乃さんの知り合いがゲーマーだなんて、意外だな」
「ゲーマー、ですか?」
「え、だからわざわざ頼むんでしょ?」

 ゲーマーという言葉は、わかる。ゲームをよくする人のことだ。

「私の侍女が、ゲーマーってことですか?」
「そう。だから、買ってもらうんだよね?」
「いえ、買い物はいつも、侍女に頼むので……」

 互いにきょとんとした顔を見合わせ、沈黙。

「あー……なるほどね」

 慧はポケットから携帯を取り出し、画面に触れた。

「このゲームを買ったところを人に見られたら、困った状況になりそうだよね。とりあえず、自分で頼まない?」
「どうやって……」
「これ。ほら、見て」

 促され、画面を覗き込む。肩が触れ合うほど近寄ると、いつもの、甘く爽やかな慧の香りがした。

「知ってる? 通販のサイトだよ」
「ああ、社名なら聞いたことがあります。何をしているかまでは、ちょっと、勉強不足で存じませんが」

 慧の示す画面には、有名な、米国籍の企業名が表示されていた。父の会社ともやりとりがあるそうで、たまに、名前を耳にする。
 父は、仕事について、あまり具体的な話はしない。だから、私が知っているのは、本当に社名だけだけれど。

「インターネットで、ものを買えるんだ。ほら、たくさん商品が出てくるでしょう」

 白い背景に、鮮明な数々の商品の写真が、どんどん流れていく。写真の下には値段もついている。

「どうして、わざわざインターネットで買うのかしら」
「それは、お店に行かなくて済むから、楽だからだよ。持ち帰る手間もない」

 こんなにたくさんの中から、目当てのものを探すのは大変そうだ。

 お店に行くのが面倒なら、来てもらえばいいのに。

 そんな考えが浮かんだものの、これは、慧の常識とは違うのだろう。だから、口に出すのはやめた。

「藤乃さんの言ってたゲームのタイトル、なんだっけ」
「ええと……」

 私の読み上げるタイトルを、慧は検索窓に打ち込む。

「これ……ああ、販売終了してるみたいだ。新品は売ってないよ」
「そうなんですか?」
「うん。ほら、見てみて」

 パッケージを飾るのは、やはり私たちの通う学園であり、見たことのある男性たちだ。その下には確かに、「在庫切れ」の文字がある。

「だけど、中古なら売ってそうだね」

 慧は、手慣れた調子で画面のあちこちに触れる。

「中古ってことは、他の方が一度使ったものってことですよね」
「そう。藤乃さんは、そういうの買わなそうだけど……それなら買えそうだよ」

 画面には、「中古価格」という表示とともに、同様のタイトルがある。「検索結果:1件」とあるので、どうやら買えるのは、これひとつらしい。

「藤乃さんって、ゲーム機はもってるの?」
「いえ」
「だよねえ……俺も持ってないや。実際にプレイしてみるんだったら、本体も買わないといけないね。そうすると高くつきそうだ」
「お金が、ですか?」

 慧が頷く。「関連商品」と題されたゲーム機には、確かに、数万円の値がついていた。

「それは、私が出しますから」
「申し訳ない」
「いえ……内容が気になるのは、私なので」

 慧は、私の好奇心に付き合ってくれているだけ。それだけで、ありがたいのだ。

「俺も気になるよ、こんなゲーム。藤乃さんがいいなら、一緒にプレイを見たいくらい」
「そうですか?」
「うん。できるとは思わないけど……ゲームをするとしたら、藤乃さんの家でしょう。お邪魔できないさ、畏れ多くて」
「そんな……」

 彼の言葉を否定しようとして、私は考える。

 このゲームは、家でテレビに繋いで遊ぶもののようだ。
 我が家には、父の趣味のホームシアターしかない。

「……私、家ではこのゲームを、することができません」

 家人の目につくところで、明らかに霞ヶ崎学園が舞台で、明らかに海斗が出てくるゲームを遊ぶなんて、できない。

 そもそも、ゲームなんてしたことがないのだ。
 いきなりこんなものを買って遊び始めたら、驚かれ、海斗とのことまで問い詰められてしまうだろう。

「そっか。どこかでできそう?」
「いえ……」
「ふうん……学園内でできたらいいのにね」

 慧の言葉に、私はうなだれた。

「できたらいいけど、無理ですよね」

 不要物の持ち込みは、控えるよう言われている。ゲームが不要物であるのは間違いないし、そもそも、プレイできる環境もないのだ。

「そうでもないかもしれないよ」

 驚くべき発言に、慧を見る。彼は案外、真面目な顔をしていた。

「そんなの、無理じゃありませんか? もし誰かに知れたら……」

 不要物を持ち込んだと知れたら、何らかの罰が与えられるだろう。
 そして、ゲームの舞台は、この学園そのもの。攻略対象は、学園内の有名人だ。誰が見ても、その内容が現実と関係することに気づくだろう。
 いずれにしても、学園内で堂々とゲームに取り組めるとは思えない。

「ばれない場所があるんだよ」
「そうなんですか?」
「そう。この奥なんだけど」

 慧は立ち上がり、カウンターの奥へ向かう。棚の間に隠れるように慧の背丈より少し高いくらいの、小ぶりな扉がある。
 扉には、小さな金色の看板がかけられ、「関係者以外立入厳禁」とある。

 その扉を、慧は開けた。奥には、部屋が続いている。

「来てごらん」
「いいんですか?」
「大丈夫。来館者用には、これを出しておくから」

 カウンターの上に、「御用の方はベルを鳴らしてください」と書いたカードが置かれる。

 私が聞いたのはそれではなくて、私なんかが入っていいのか、ということなんだけど。

「どうぞ」

 慧が扉を押さえてくれて、私はその部屋に足を踏み入れた。

 埃を濃くした、停滞した陽だまりのような匂い。小部屋の中央には、小さな丸テーブルと、こぢんまりとした椅子。
 テーブルにかけられた濃緑のテーブルクロスには、コーヒーの染みらしき、黒い斑点がついている。

「ここは……」
「作業室、っていうのかな? 司書さんがいるときは、本の修理とか、蔵書の管理なんかをしているんだ」

 慧が示す棚の中には、本の表紙に貼られているつやっとしたカバーや、バーコードリーダーなどが雑然と並んでいる。

「司書さんがいらっしゃるのですね」
「うん。非常勤だし、いらっしゃるのは日中だから、俺もそんなに顔を合わせないけど。放課後はいらっしゃらないし、ここには生徒も入らない。それにたしか、どこかにテレビが……」

 慧は辺りをきょろきょろと見回した。この部屋には窓もなく、生白い蛍光灯の明かりが、慧の眼鏡の縁に鈍く反射している。
 彼は壁際に寄り、おもむろに、何かに掛けられた紺色の布を取り払った。

「ほら、あった」
「これ、テレビなんですか?」

 黒くて、真四角の、小さな箱。中央にはたしかに画面がついているものの、テレビというよりは、おもちゃみたいな代物だ。

「俺の家のテレビも、こんな感じだよ。映るかはわからないけど、このテレビが生きていれば、ここでゲームができる」
「……あ」

 私は、慧の言いたいことに合点が行った。

「一緒にできますね」
「そう。藤乃さんが、嫌でなければ、だけどね。ここは幾分狭いし、清潔感もないから」

 たしかに、四方の壁はどことなく圧迫感があり、濃密な埃の気配もする。私は、控えめに笑う慧を見て、それから、首を横に振る。

「嫌じゃありません。もともと家ではできないし、内容が内容なので……」

 慧を見ると、彼は穏やかに、目を細めて笑った。

「むしろ、慧先輩がいてくださった方が、ありがたいです」
「そう。なら良かった」

 その後は彼の指示通りに、購入手続きを進めた。

 ものを買いたいときには、下調べをしてシノたちに頼むか、そうでなければお店の方を呼びつけ、相談しながら買うことになっている。
 それがこんな風に、携帯ひとつでものを買えるなんて。

 慧は私の知らないことを教えてくれる。とかげで私は、家族に内緒で、ゲームを手に入れる算段をつけたのだった。

「到着は、来週になりそうだね」
「そうですね」

 購入後の画面を見て、慧と確認する。
 商品の到着は、来週の頭になるようだ。到着するのは、学校の最寄りにあるという、コンビニである。
 自宅や学校に届くのではなく、近隣の店舗で荷物を受け取ることもできるらしい。つくづく、便利なものだ。

「あの、慧先輩、このことは……」
「なに?」
「内緒に、してもらえますか」

 慧は軽く目を見開き、それから、頬にえくぼをつくった。
 片手をゆっくり持ち上げ、小指をこちらに差し出す。

「もちろん。約束しよう」

 私はそのひんやりとした小指に、自分の指を絡める。
 私と慧は、またひとつ、秘密を共有する関係になったのだった。
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