生まれ変わった大魔導士は、失われた知識を駆使して返り咲きます。

三歩ミチ

文字の大きさ
上 下
69 / 73
3 砂漠化の謎を探る

3-16.照度ゼロの世界

しおりを挟む
「どこまで続くんだろう。入れた水より、明らかに、まわりの水の方が多いんだけど」

 その声には、僅かな不安の色が見える。
 視覚が閉ざされているせいで、他の感覚が敏感になっているのだろうか。ニコの声が、本当に近く聞こえる。声だけでなく、僅かな息遣いも。唾を飲み込む音も。心臓の鼓動まで、聞こえてくる。
 どのくらい進んだのか、全然わからない。距離の感覚も、時間の感覚も、茫漠としている。ニコが不安になるのも、仕方がない。

「王都のあちら側に降らせた水が、しみ出てきているのかしらね」

 ニコが言う通りで、どう考えても、地下の水は、多かった。地表に降らせた水がしみ込み、地下にあるこの水路まで届いているとしたら、この量にも少しは納得がいく。

「最近、調子に乗って降らせまくってたからなあ。俺のせいかもしれないね」
「ああ……ニコを責めるつもりはなかったわ」
「わかってる。ただ、会話を途切れさせたくなくてさ。静かだと、イリスが無事か、心配になるから」

 沈黙すると、知覚できるのは、水の温度とニコの体だけになる。それは、ニコもほとんど同じだ。彼の場合は、それに壁を這う掌のと、足元の感覚が加わるだけだ。

「何にも、見えないものね」
「そう。イリスが静かに水に沈んでたら、俺、気づけないよ」

 腹部に回されたニコの腕に、ぎゅ、と力がこもる。

「この腕の中でイリスが死んでしまったら、俺は一生、後悔するね」
「静かに水に沈むなんて、ないから大丈夫よ。絶対に暴れるわ」
「だよね。ただ、想像するだけで、つらくなる」

 肩の上に、何かが乗る。ニコの顎みたいだ。その分、彼の声も、耳元に近づいた。

「俺には、イリスが必要なんだよ」
「わかってるわ。今なんか、私がいないと、魔力が足りなくなるものね」
「そういうことじゃないんだけど」

 ふっ、と笑うニコの吐息が、耳にかかってくすぐったい。

「イリスって、恋人いたこと、ないでしょう?」
「……なによ、いきなり」
「会話を続けようと思ってさ。教えてよ、イリス」

 はあ、とついたため息が、思ったよりも大きく響いた。

「前に言わなかったかしら」
「結婚してなかったっていうのは、聞いたよ。でも俺、恋人の有無は、知らない」
「……いなかったわよ。そんなもの、微塵も興味なかったもの」

 私は、魔導書が恋人だと豪語してやまないタイプの魔導士だった。何よりも興味があったのは、新しい魔法の開発。それを活用して、人々の生活に資すること。

「恋人なんていなくても、愛すべき対象はたくさんあったし」
「どういうこと?」
「私が救った、たくさんの人々。彼らが無事に立ち直って、自ら歩んでいくのを見ているだけで、私は満足していたの」

 自分の魔法が、人の力になる。そして、彼らが自立していく。私にとって、その過程を見ることが生きる喜びであった。
 それこそが大きな喜びだったから、特定の恋人など、いなくてもよかったのだ。

「イリスのそういうとこ、俺、好きだよ」
「……? ありがとう」
「イリスって、誰かのために、一生懸命考えるでしょ。砂出しの皆も、サラのことも、今の王都のことも。俺、尊敬するよ」

 なんとなく、どきんとした。
 ニコの言うことは、本当にその通りだと、自分でも思う。目の前のことを見捨てておけない性分なのだ。
 自分でそう思っていることを、人にはっきりと言葉にされたのは、初めてだ。たくさんの人に感謝はされてきたけれど、誰かとこんなに長い間共に過ごしたこともないし、内面をこんな風に捉えてもらったこともない。

「……ニコだって、私に付き合ってるんだから、同じよ」

 咄嗟に出たのは、自分でもわかるほどに、照れ隠しだった。暗くて良かった。きっと今私は、妙な顔をしているに違いない。

「そうかな。俺だって、イリスに救われたんだよね。……さっきの言い方だと、イリスは俺が自立するのを見たいようだけど、残念ながらそれは無理だね」
「ええ? ニコはもう、自立してるわよ」
「してない。イリスがいないと、俺は生きていけないんだって」

 ニコは、その設定が気に入っているのだ。今までにも何度か聞いた発言に、思わず笑いが鼻から漏れる。

「大袈裟なのよ」
「本当だよ。疑うなら、試しに離れてみるといい」
「離れないわ」

 ニコはそう言うが、離れたら困るのは、私の方だ。ニコは魔法が使えるけれど、私は使えない。それだけで、大きな差がある。

「ニコがいないと、私は何もできないもの」
「そうかな」
「そうよ。私は、ニコが良いと言う間は、ふたりで、魔導士として身を立てていくって決めてるの」

 私の知識と魔力、それにニコの魔法があれば、何人力にもなれる。他の魔導士の力の及ばないことが、たくさんできる。

「俺がいつまでも、良いって言っていたら?」
「それはさすがに、ありえないわ」

 期間限定であることは、はなからわかっている。私は、それまでは精一杯、力を合わせるつもりなのだ。

「ありえなく、ないよ」

 耳朶に、柔らかいものが触れた。

「あ、ごめん」
「ん? なに?」
「いや、見えないから、近づきすぎちゃった。……イリスが、ありえないと思ってるのは、わかったけど。実際俺が、いつまでもふたりでやろうって言ったら、どうするつもり?」

 ニコには、ニコの人生がある。
 今まで出会ってきた人たちも、私の力を必要とするのはひと時で、それを終えればひとりで歩き始めていた。砂出しの皆然り、サラも然り。ニコだって、そのひとりだ。

「いいって言うなら、ありがたいけどね」

 ありがたいし、ありえない。
 いつまでも誰かと一緒にいるなんて、そんなこと、現実には滅多にないのだ。少なくとも、私の周りには。

「俺が頼めば、いつまでも一緒にいられるって解釈していいかな」
「まあ、そうなるわね」
「わかったよ。聞けてよかった」

 後頭部に、何かが擦れる感触がある。

「頼むよ、イリス」
「……ええ」

 少なくとも今は、ニコも私を頼みにしてくれている。それこそ、ありがたいことだ。
 何を頼まれたのか、ふわっとしていてわからなかったけれど、私は頷いた。なんだっていい。ニコの頼みなら、きっと、聞く気になる。

「……あ」
「なに?」

 ニコの声と共に、体を覆う水の揺らぎが止まった。立ち止まったらしい。

「ここで、道が曲がってるよ」
「曲がる?」
「……ちょっと、明かりを出してみたいな。イリス、息を止めといて」

 明かりを出すとは、先ほど提案した、空気の玉をもうひとつ出し、そこに火を入れるという案を指しているのだろう。
 複数の魔法を同時に操るので、私たちの呼吸を維持している空気の玉の方が、揺らぐかもしれないと言っているのだ。

「わかったわ」

 私は、息を止めた。
 目の前に、ぽう、と淡い火が現れる。小さい火なのに、あんまり眩しくて、目が慣れるのに時間がかかった。
 火は壁面を照らし、私たちが今いる場所が、左に折れ曲がっていることを示した。目の前は、行き止まり。一本道である。

「ああ、このまま行って良さそうだね」
「そうね」

 ニコは火を消し、あたりはまた真っ暗になった。その光の残像が暫し視界に残り、そして消えていく。

「行こうか」

 彼の温もりだけを背に、私たちは、さらにその奥へと向かって行く。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

異世界転移しましたが、面倒事に巻き込まれそうな予感しかしないので早めに逃げ出す事にします。

sou
ファンタジー
蕪木高等学校3年1組の生徒40名は突如眩い光に包まれた。 目が覚めた彼らは異世界転移し見知らぬ国、リスランダ王国へと転移していたのだ。 「勇者たちよ…この国を救ってくれ…えっ!一人いなくなった?どこに?」 これは、面倒事を予感した主人公がいち早く逃げ出し、平穏な暮らしを目指す物語。 なろう、カクヨムにも同作を投稿しています。

劣悪だと言われたハズレ加護の『空間魔法』を、便利だと思っているのは僕だけなのだろうか?

はらくろ
ファンタジー
海と交易で栄えた国を支える貴族家のひとつに、 強くて聡明な父と、優しくて活動的な母の間に生まれ育った少年がいた。 母親似に育った賢く可愛らしい少年は優秀で、将来が楽しみだと言われていたが、 その少年に、突然の困難が立ちはだかる。 理由は、貴族の跡取りとしては公言できないほどの、劣悪な加護を洗礼で授かってしまったから。 一生外へ出られないかもしれない幽閉のような生活を続けるよりも、少年は屋敷を出て行く選択をする。 それでも持ち前の強く非常識なほどの魔力の多さと、負けず嫌いな性格でその困難を乗り越えていく。 そんな少年の物語。

巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する

高鉢 健太
ファンタジー
とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。 手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。

「不細工なお前とは婚約破棄したい」と言ってみたら、秒で破棄されました。

桜乃
ファンタジー
ロイ王子の婚約者は、不細工と言われているテレーゼ・ハイウォール公爵令嬢。彼女からの愛を確かめたくて、思ってもいない事を言ってしまう。 「不細工なお前とは婚約破棄したい」 この一言が重要な言葉だなんて思いもよらずに。 ※約4000文字のショートショートです。11/21に完結いたします。 ※1回の投稿文字数は少な目です。 ※前半と後半はストーリーの雰囲気が変わります。 表紙は「かんたん表紙メーカー2」にて作成いたしました。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年10月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、10月20日より「番外編 バストリー・アルマンの事情」を追加投稿致しますので、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 1ページの文字数は少な目です。 約4500文字程度の番外編です。 バストリー・アルマンって誰やねん……という読者様のお声が聞こえてきそう……(;´∀`) ロイ王子の側近です。(←言っちゃう作者 笑) ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

伝説の魔術師の弟子になれたけど、収納魔法だけで満足です

カタナヅキ
ファンタジー
※弟子「究極魔法とかいいので収納魔法だけ教えて」師匠「Σ(゚Д゚)エー」 数十年前に異世界から召喚された人間が存在した。その人間は世界中のあらゆる魔法を習得し、伝説の魔術師と謳われた。だが、彼は全ての魔法を覚えた途端に人々の前から姿を消す。 ある日に一人の少年が山奥に暮らす老人の元に尋ねた。この老人こそが伝説の魔術師その人であり、少年は彼に弟子入りを志願する。老人は寿命を終える前に自分が覚えた魔法を少年に託し、伝説の魔術師の称号を彼に受け継いでほしいと思った。 「よし、収納魔法はちゃんと覚えたな?では、次の魔法を……」 「あ、そういうのいいんで」 「えっ!?」 異空間に物体を取り込む「収納魔法」を覚えると、魔術師の弟子は師の元から離れて旅立つ―― ――後にこの少年は「収納魔導士」なる渾名を付けられることになる。

野生児少女の生存日記

花見酒
ファンタジー
とある村に住んでいた少女、とある鑑定式にて自身の適性が無属性だった事で危険な森に置き去りにされ、その森で生き延びた少女の物語

転生貴族のスローライフ

マツユキ
ファンタジー
現代の日本で、病気により若くして死んでしまった主人公。気づいたら異世界で貴族の三男として転生していた しかし、生まれた家は力主義を掲げる辺境伯家。自分の力を上手く使えない主人公は、追放されてしまう事に。しかも、追放先は誰も足を踏み入れようとはしない場所だった これは、転生者である主人公が最凶の地で、国よりも最強の街を起こす物語である *基本は1日空けて更新したいと思っています。連日更新をする場合もありますので、よろしくお願いします

出来損ないと呼ばれた伯爵令嬢は出来損ないを望む

家具屋ふふみに
ファンタジー
 この世界には魔法が存在する。  そして生まれ持つ適性がある属性しか使えない。  その属性は主に6つ。  火・水・風・土・雷・そして……無。    クーリアは伯爵令嬢として生まれた。  貴族は生まれながらに魔力、そして属性の適性が多いとされている。  そんな中で、クーリアは無属性の適性しかなかった。    無属性しか扱えない者は『白』と呼ばれる。  その呼び名は貴族にとって屈辱でしかない。      だからクーリアは出来損ないと呼ばれた。    そして彼女はその通りの出来損ない……ではなかった。    これは彼女の本気を引き出したい彼女の周りの人達と、絶対に本気を出したくない彼女との攻防を描いた、そんな物語。  そしてクーリアは、自身に隠された秘密を知る……そんなお話。 設定揺らぎまくりで安定しないかもしれませんが、そういうものだと納得してくださいm(_ _)m ※←このマークがある話は大体一人称。

処理中です...