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1 砂出しの働き方改革

1-12.歴史書に書かれたこと

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「……俺ちょっと、落ち着かないかも」
「そう? 私はとっても落ち着くわ」

 静かな図書館。本棚の近くに備え付けられた机に、それぞれの利用者が腰掛け、黙々と本に目を通している。
 ここの本は、帯出厳禁。読むのなら、ああして館内で読むしかない。そんなところも、昔から変わっていない。

 できるだけ足音を立てないように静かに歩く。それでも、足音が響くほどの静けさ。ひそひそと囁くニコの声も、よく響く。
 この静寂が心地よいのに、ニコにとっては、そうでもないらしい。

「イリスって、変わってるよね」
「そう?」

 呆れたようなニコの言葉を、私は受け流す。
 変わっているなんて。言われ慣れた。
 私にとっては、褒め言葉だ。

 目的の書棚は、1階の奥にある。以前と配架が変わっていなければ……あった。
 重厚な歴史書の並んだ、目立たない棚。

「ニコ、申し訳ないんだけど、私暫く、ここにいて良い?」
「もちろん」
「もし、退屈だったら……入り口の辺りに、魔法の本がたくさんあるから」
「わかった。その辺りにいるよ」

 ニコは片手を挙げ、私に背を向ける。

 私は、本棚を眺めた。
 古いものから、新しいものへ。分厚い年鑑の、背表紙の色が、こちらに近づくにつれて色濃く変わっていく。

 美しい。
 暫し見惚れてから、自分の記憶にある年号に該当する年鑑を探し始めた。

「あ、あった」

 レノアと書かれた年鑑を手に取る。私が前に死んだのは、レノア二十五年だ。

 そこから現在に至るまで、年号が変わり……最新の歴史書は、『ヤノイ十年』というもの。
 その冊数から推測するに、今は私が肉体を離れてから、九十年ほど経過している。

「九十年、か」

 それは、長いと捉えたらいいのだろうか。短いと捉えたらいいのだろうか。
 
 九十年経っても、人々の生活も、魔法の質も、何も変わっていない。むしろ、後退したと言っていい。王都は砂漠化している。
 この九十年で、何が起きたのだろう。

 歴史の流れを追うために、まずは『レノア二十五年』の本を手に取る。

 レノアという年号は、三十五年まで続いていた。あの頃王は、既に高齢であった。穏やかで、しかし眼光は鋭く、能力を正当に評価してくれる名君。
 あの素敵な御仁は、あれから約十年で、亡くなってしまったのか。

 王だけではない。九十年も経ったら、当時の知人は、もう誰も生きてはいない。
 魂を体から切り離す決断をした時から、覚悟はしていたが、やはり寂しいものだ。

 歴史書には、知っている人の名前がたくさん出てくる。レノア王はもちろん、共に研究した仲間の名前が、次から次へと。共に成し遂げた研究成果、発見した事柄が、そこかしこに現れる。

「……あ、私」

 私の名も、そこにあった。

 ある年には、北の領に春を呼んだ。ある年には、砂漠化した西の領に、雨を降らせた。ある年には、雨続きの南の領に、風を呼んで雨雲を吹き散らした。ある年には、地揺れをした東の領に、地揺れを防ぐ魔法を施した。

 それだけではない。自分の記憶していた出来事が、きちんと年表に記載されていた。
 私や仲間のなした業績が、歴史として認められている。私や、私達が全精力を注いだ仕事は、意味のあるものだったのだ。
 功を求めない。そう言ってはいても、こうして認められると、やはり嬉しいものだ。

 私の訃報については、残念ながら、載っていなかった。死を記載されるほどの偉人には、なれなかったというわけ。まあ、仕方のないことだ。

 そこからは、私にとっては「未来」の話。かと言って、予想外の話は、そこには載っていなかった。
 魔法の力によって、肥沃になった各領地。名を挙げた魔導士には土地が与えられ、彼らは自らの力と知識で、ますます領地を発展させてゆく。「黄金の時代」だ。

 時代は、新たな元号に変わった。名君であったレノア王の後継は、その息子。息子は父のやり方を尊重し、魔導士の新たな発想を、大いに支援した。

「え? あいつが、魔導士長になったの?」

 その年、魔導士長に抜擢されたと書かれていたのは、私もよく知る人物。
 アイディアマンだが、飽きっぽく、自分の研究を完遂させたことはなかった。大きな計画を実現すると豪語し、寄付金を集めるも、そのお金を結局遊びに使うような奴。言うことは立派だから、パトロンになる人物は後をたたなかったが……ついには国王が、その毒牙にかかったのか。

 レノア王の息子は、志は高かったが、人を見る目はなかったらしい。

 その後も「国王が~事業に出資」という旨は書かれていても、その成果は名言されていない。金ばかり出て行って、成果はなし。それでは、国は豊かにならない。
 要するに鳴かず飛ばずで、息子の時代は終わっていく。

 残念なことだ。
 当時も、まともな研究者たちは、山ほどいただろうに。
 そうした人たちの功が、報われなかったらしい。

 今読んでいる歴史書を棚に戻し、次の本を取ろうと手を伸ばす。

「ねえ、イリス」
「はいっ!」

 突然背後から肩を叩かれ、驚いて変な返事が出た。

「あ……驚かせてごめん」
「ニコ」

 肩から手を離し、気まずそうに笑うのは、ニコ。紙面を見続けていたから、立体で動く彼の姿が、妙に現実離れして見える。
 拍子抜けして、肩から力が抜けた。

「呼んでも気づかないから……もう、閉館だって」

 ニコの後ろには、腕を組んだターニアが立っている。
 もう、そんな時間になってしまったのか。全然気がつかなかった。

「ごめんなさい」
「すごく集中してたんだね。大丈夫。……すみません、ターニアさん。もう出ますので」
「はい。お気をつけて」

 ニコと彼女のやりとりは、妙に親しげだ。

「仲良くなったの?」
「イリスの言う通り、本を読もうと思ったんだよね。でも俺、本なんて読まないから、よくわからなくて……初心者向けの魔法書がどれか聞いたら、教えてくれたんだ。仲良くなったってほどじゃないけど、親切な人だったよ」
「ふうん……」

 ニコは、何でもないことのように、彼の新たな人間関係について話をする。

 私は、人とのやりとりが苦手だ。しかし、苦手でも問題はなかった。
 話しても信じてもらえないから、実力を、成果を見せれば良い。そうやって世渡りをしてきた。

 彼自身が実力を見せつける必要もなく、穏やかな会話で関係をつくるニコのやり方は、新鮮に思われた。

「外の空気は、気持ちいいね」
「そうかしら。砂っぽいわ、やっぱり」
「まあ……砂は、たしかにね」

 外に出ると、空は夕焼け。青空と、濃い橙色が、ぼんやりとグラデーションを作っている。

「銭湯に、寄って帰る?」
「ああ……昨日、服を借りたんだわ。これ。返さないと」

 ニコの申し出に、昨日のことを思い出す。今来ているのは、銭湯の女性が貸してくれた、娘さんのもの。返さなくてはならない。

「イリスの服を、買って帰ろうか」
「いいの?」
「いいよ。イリスのおかげで、今日は予想以上に稼げたから。それに俺も、涼しい服が欲しい」

 ニコと通りを見て回り、まだ開いている服屋を見つけた。そこで、洗い替えも含めて二着ずつ、それぞれの服を購入する。これで暫く、着るものには困らない。

「銭湯に寄って、宿に帰ろう」

 服の入った袋を片手に、ニコの再度の提案。

「いいわね」

 銭湯の広々とした湯に、身を浸したときの疲れが溶けていくような快感。あれが、恋しい。

 その提案に乗り、私たちは、銭湯の方へ進んでいくことにした。
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