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1 砂出しの働き方改革
1-3.行動を共にする
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「ここまでで良い? じゃあ、また」
「待って」
青年は、白い歯を見せ、爽やかな笑みで立ち去ろうとする。彼にも予定があるのだ。私は王都の住人(おそらく)だし、王都へ入れば大丈夫だと考えたのだろう。
その判断には、問題はない。見知らぬ相手をここまで連れてきてくれたというだけで、充分に親切だ。
しかし私は、彼を呼び止めた。現在の王都に関して、私の知識は皆無である。こんなところに放置されたら、また行き倒れてしまう。
「何?」
「私、全然覚えていないみたいなの。ここに来たけど、景色は全然、見覚えがないし」
嘘ではない。
魔導士の中には、魔力の揺らぎで相手の嘘を感知できる者もいる。今までのやりとりで、この青年にはそこまでの力はないのではないかとも思うものの、つい癖で、嘘にはならない嘘をついてしまった。
いや、厳密に言うと、これは嘘ではない。覚えていないのも、今の景色に見覚えがないのも本当。
ただ、肝心なことを言っていないだけだ。魔力の揺らぎで見抜かれないためには、平然と、こうした言い方ができるようにならないといけない。
私もかつては、魔力の揺らぎがわかったのだが……今の肉体に入ってからは、魔力の動きを全く察知できていない。
「だから……ひとりになるのは、不安なの」
仮にこの体に向かって悪意ある魔法が放たれたとしても、全く気づかないだろう。
それもまた、ひとりになりたくない訳のひとつだった。以前の自分と同じに、好きなように魔法を行使できるのなら、ひとりでも構わないのだが。現状は、不安要素の方が多かった。
「あなたと暫く、一緒にいさせてもらえない? その……迷惑でなければ」
「俺もひとりだし、迷惑ってことはないけど……心配しないのかな、お家の人は」
「わからないわ。家の人のことも」
この肉体を心配している家族が、王都のどこかにいるのかもしれない。
しかし、その記憶を引き出す術を持たない私には、何もわからないのだ。
死んだばかりの肉体に残った魔力から、記憶をある程度辿ることはできる。それも、魔法を全く使えない今の私には、不可能なことだ。
「思い出すまででいいの。できるだけ、あなたに迷惑は、かけないようにするわ」
「俺は構わないよ。路銀に余裕があるわけではないから、君にも働いてもらわないといけないけど」
「もちろんよ」
情報を集めるためにも、生きていくためにも、労働は必要である。元来、他人の役に立つのは好きなのだ。それを厭う気持ちはない。
「じゃあ、宿を探そうか。目星は付けてあるんだ」
彼は、肩から掛けた鞄の中から地図を取り出す。
地図には皺が寄っていて、いくつかの位置に印がつけられているらしい。
彼の背は高く、この体の背は低いから、地図がよく見えなかった。あとで地図をじっくり見せてもらおう。今の王都がどのような全体像になっているのか、知りたい。
「こっちかな」
青年はきょろきょろと左右を見てから、右に向かう道を歩き始める。
内部へ入っていっても、相変わらずそこは砂漠。ところどころ、地面に石造りの道が見える部分もあった。
あれは、昔の道だ。
つまり、かつての石造りの上に、何らかの理由で、これだけ大量の砂が敷き詰められてしまったのだ。
相変わらず見える景色はどれも砂色にくすんでいる。
例外は、道行く人々だ。通り過ぎる王都の住民は原色に近い華やかな色合いの衣服を身に纏い、軽やかに歩いている。
こんな風になってしまった王都でも、人々は幸せに暮らしている。
「俺も、服を買おうかな。暑くて仕方ないよ」
「いいと思う。涼しいわよ」
ひらひらと揺れる生地は、目にも涼やか。
視線を下ろして見ると、私も、似たような明るい色の服を着ていた。
やはりこの肉体は、王都の住人なのだ。
ちなみにこの服は、通気性が非常に良い。快適だ。
青年は、私のもの服とは違う、旅用の装束を着ている。布は丈夫そうで、その分厚手だ。こうも暑いと、その格好は辛いだろう。
「こんなに暑いなんて、珍しいわね」
「そう? 王都の辺りは、1年の半分以上が暑いって聞いたけど。珍しいんだ」
私の知っている王都では、そんなことはなかった。
温度が上がる季節もあれば、寒くて水が凍るような季節もある。変化を楽しめるのが、王都の良さだ。
決して、暑い時期で1年の半分が終わる、などということはなかった。
「いや……気のせいかもしれないわ」
持っている情報は、私より彼の方が新しい。王都に暑い時期が増えたから、こんな風に砂漠化したというのは、予想できる因果関係だ。
こんな風に王都が暑くなったのには、何の理由があるのだろう。
私の精神が目覚めなかった、どのくらいかわからない期間で、この国に何が起きたのだろう。
王都の歴史を知りたくて、うずうずした。許されるなら、すぐに図書館へすっ飛んで行って本を読みたい。
それを我慢したのは、青年と共に、宿を見つけるのを優先したから。いくらなんでも、初日から露頭に迷うのは避けたい。
「ああ、ここだ」
曲がり角をいくつか曲がった。やがて青年は、立ち止まる。
王都の入り口や、メインストリートからは少し離れた、小さな宿屋。
便は悪そうだが、こういうところは、サービスの割に宿泊料が安いのだ。交通の便がよく、対してサービスも良くないのに立地だけで高い金を取る宿と比べると、こちらの方が良い。
彼はなかなか、旅慣れしていると見た。
青年は見ていた地図をしまい、戸を開けて、宿屋に足を踏み入れる。
「いらっしゃい」
カウンターに腰掛け、読んでいた本を置く初老の男性。上品なロマンスグレーの髪が、丁寧にセットされている。服装も清潔感がある。なかなかの紳士だ。
「2名様ですか?」
「はい。ひとりひと部屋で」
「料金は、倍かかりますが……」
「構いません」
青年がそう頼む。老人が眼鏡のフレームに触れ、位置を調整して何かの台帳を見始めた。
ああ、そうか。彼は男性であり、私の入った肉体は女性。こちらが頼まなくても同じ部屋に寝るのを避けるとは、配慮のできる人だ。
私は全然、気にしないけれど。研究に没頭している時期には、家に帰るのがもったいなくて、男性の魔導士と同じ部屋で雑魚寝することもよくあった。
同じ部屋に寝たからと言って、必ずいやらしい関係になるわけではない。
「申し訳ありませんが……本日、空室はひと部屋ですね」
台帳から目を上げて、男性は申し訳なさそうに伝える。
「そうですか……仕方がありません。他を当たります」
「私、同じ部屋でもいいわ」
踵を返そうとする青年の服の裾を引き、私は制止した。せっかく見つけた宿を、そんな理由で、みすみす逃すわけにもいかない。
私は早く図書館に行って、王都に起こったことを知りたいのだ。さっさと宿を決めてしまった方が良い。
「おや。思い切りの良いお嬢さんですね」
「……君はそれで良いの?」
「いいわ。その方が、宿代も節約できるでしょ」
「そうだけど……」
ここで躊躇う彼は、良識がある。そういう人なら同室で寝ても、問題ない。私の直感が、彼は安全だと告げている。
こういう直感は、よく当たるのだ。
「鍵はお持ちですか?」
「ああ。部屋の鍵は自分でかける」
「そうですか! では、こちらの台帳に名前を」
男性が、カウンターの上を滑らせて青年に台帳を渡す。長年の顧客情報が記載されているのか、台帳はずいぶん厚い。筆記用具を手に取った青年が、何か書き入れ始めた。
ニコラウス・ホワイト。彼の名らしい。字がうまいというわけではないが、整った、丁寧な字だ。
「お連れ様も」
促され、私は筆記用具を手に取った。あまり時間をかけると、怪しまれる。
深い紺色のインクで紙に書いたのは、「イリス・ホワイト」という名。こう書けば、私たちはまるで。
「……御夫婦、ですか」
夫婦や、家族のよう。宿屋の主人は、じろじろと、私と青年の顔を見比べる。何はともあれ、青年と私は無事に、宿泊の手続きを済ませることができた。
「待って」
青年は、白い歯を見せ、爽やかな笑みで立ち去ろうとする。彼にも予定があるのだ。私は王都の住人(おそらく)だし、王都へ入れば大丈夫だと考えたのだろう。
その判断には、問題はない。見知らぬ相手をここまで連れてきてくれたというだけで、充分に親切だ。
しかし私は、彼を呼び止めた。現在の王都に関して、私の知識は皆無である。こんなところに放置されたら、また行き倒れてしまう。
「何?」
「私、全然覚えていないみたいなの。ここに来たけど、景色は全然、見覚えがないし」
嘘ではない。
魔導士の中には、魔力の揺らぎで相手の嘘を感知できる者もいる。今までのやりとりで、この青年にはそこまでの力はないのではないかとも思うものの、つい癖で、嘘にはならない嘘をついてしまった。
いや、厳密に言うと、これは嘘ではない。覚えていないのも、今の景色に見覚えがないのも本当。
ただ、肝心なことを言っていないだけだ。魔力の揺らぎで見抜かれないためには、平然と、こうした言い方ができるようにならないといけない。
私もかつては、魔力の揺らぎがわかったのだが……今の肉体に入ってからは、魔力の動きを全く察知できていない。
「だから……ひとりになるのは、不安なの」
仮にこの体に向かって悪意ある魔法が放たれたとしても、全く気づかないだろう。
それもまた、ひとりになりたくない訳のひとつだった。以前の自分と同じに、好きなように魔法を行使できるのなら、ひとりでも構わないのだが。現状は、不安要素の方が多かった。
「あなたと暫く、一緒にいさせてもらえない? その……迷惑でなければ」
「俺もひとりだし、迷惑ってことはないけど……心配しないのかな、お家の人は」
「わからないわ。家の人のことも」
この肉体を心配している家族が、王都のどこかにいるのかもしれない。
しかし、その記憶を引き出す術を持たない私には、何もわからないのだ。
死んだばかりの肉体に残った魔力から、記憶をある程度辿ることはできる。それも、魔法を全く使えない今の私には、不可能なことだ。
「思い出すまででいいの。できるだけ、あなたに迷惑は、かけないようにするわ」
「俺は構わないよ。路銀に余裕があるわけではないから、君にも働いてもらわないといけないけど」
「もちろんよ」
情報を集めるためにも、生きていくためにも、労働は必要である。元来、他人の役に立つのは好きなのだ。それを厭う気持ちはない。
「じゃあ、宿を探そうか。目星は付けてあるんだ」
彼は、肩から掛けた鞄の中から地図を取り出す。
地図には皺が寄っていて、いくつかの位置に印がつけられているらしい。
彼の背は高く、この体の背は低いから、地図がよく見えなかった。あとで地図をじっくり見せてもらおう。今の王都がどのような全体像になっているのか、知りたい。
「こっちかな」
青年はきょろきょろと左右を見てから、右に向かう道を歩き始める。
内部へ入っていっても、相変わらずそこは砂漠。ところどころ、地面に石造りの道が見える部分もあった。
あれは、昔の道だ。
つまり、かつての石造りの上に、何らかの理由で、これだけ大量の砂が敷き詰められてしまったのだ。
相変わらず見える景色はどれも砂色にくすんでいる。
例外は、道行く人々だ。通り過ぎる王都の住民は原色に近い華やかな色合いの衣服を身に纏い、軽やかに歩いている。
こんな風になってしまった王都でも、人々は幸せに暮らしている。
「俺も、服を買おうかな。暑くて仕方ないよ」
「いいと思う。涼しいわよ」
ひらひらと揺れる生地は、目にも涼やか。
視線を下ろして見ると、私も、似たような明るい色の服を着ていた。
やはりこの肉体は、王都の住人なのだ。
ちなみにこの服は、通気性が非常に良い。快適だ。
青年は、私のもの服とは違う、旅用の装束を着ている。布は丈夫そうで、その分厚手だ。こうも暑いと、その格好は辛いだろう。
「こんなに暑いなんて、珍しいわね」
「そう? 王都の辺りは、1年の半分以上が暑いって聞いたけど。珍しいんだ」
私の知っている王都では、そんなことはなかった。
温度が上がる季節もあれば、寒くて水が凍るような季節もある。変化を楽しめるのが、王都の良さだ。
決して、暑い時期で1年の半分が終わる、などということはなかった。
「いや……気のせいかもしれないわ」
持っている情報は、私より彼の方が新しい。王都に暑い時期が増えたから、こんな風に砂漠化したというのは、予想できる因果関係だ。
こんな風に王都が暑くなったのには、何の理由があるのだろう。
私の精神が目覚めなかった、どのくらいかわからない期間で、この国に何が起きたのだろう。
王都の歴史を知りたくて、うずうずした。許されるなら、すぐに図書館へすっ飛んで行って本を読みたい。
それを我慢したのは、青年と共に、宿を見つけるのを優先したから。いくらなんでも、初日から露頭に迷うのは避けたい。
「ああ、ここだ」
曲がり角をいくつか曲がった。やがて青年は、立ち止まる。
王都の入り口や、メインストリートからは少し離れた、小さな宿屋。
便は悪そうだが、こういうところは、サービスの割に宿泊料が安いのだ。交通の便がよく、対してサービスも良くないのに立地だけで高い金を取る宿と比べると、こちらの方が良い。
彼はなかなか、旅慣れしていると見た。
青年は見ていた地図をしまい、戸を開けて、宿屋に足を踏み入れる。
「いらっしゃい」
カウンターに腰掛け、読んでいた本を置く初老の男性。上品なロマンスグレーの髪が、丁寧にセットされている。服装も清潔感がある。なかなかの紳士だ。
「2名様ですか?」
「はい。ひとりひと部屋で」
「料金は、倍かかりますが……」
「構いません」
青年がそう頼む。老人が眼鏡のフレームに触れ、位置を調整して何かの台帳を見始めた。
ああ、そうか。彼は男性であり、私の入った肉体は女性。こちらが頼まなくても同じ部屋に寝るのを避けるとは、配慮のできる人だ。
私は全然、気にしないけれど。研究に没頭している時期には、家に帰るのがもったいなくて、男性の魔導士と同じ部屋で雑魚寝することもよくあった。
同じ部屋に寝たからと言って、必ずいやらしい関係になるわけではない。
「申し訳ありませんが……本日、空室はひと部屋ですね」
台帳から目を上げて、男性は申し訳なさそうに伝える。
「そうですか……仕方がありません。他を当たります」
「私、同じ部屋でもいいわ」
踵を返そうとする青年の服の裾を引き、私は制止した。せっかく見つけた宿を、そんな理由で、みすみす逃すわけにもいかない。
私は早く図書館に行って、王都に起こったことを知りたいのだ。さっさと宿を決めてしまった方が良い。
「おや。思い切りの良いお嬢さんですね」
「……君はそれで良いの?」
「いいわ。その方が、宿代も節約できるでしょ」
「そうだけど……」
ここで躊躇う彼は、良識がある。そういう人なら同室で寝ても、問題ない。私の直感が、彼は安全だと告げている。
こういう直感は、よく当たるのだ。
「鍵はお持ちですか?」
「ああ。部屋の鍵は自分でかける」
「そうですか! では、こちらの台帳に名前を」
男性が、カウンターの上を滑らせて青年に台帳を渡す。長年の顧客情報が記載されているのか、台帳はずいぶん厚い。筆記用具を手に取った青年が、何か書き入れ始めた。
ニコラウス・ホワイト。彼の名らしい。字がうまいというわけではないが、整った、丁寧な字だ。
「お連れ様も」
促され、私は筆記用具を手に取った。あまり時間をかけると、怪しまれる。
深い紺色のインクで紙に書いたのは、「イリス・ホワイト」という名。こう書けば、私たちはまるで。
「……御夫婦、ですか」
夫婦や、家族のよう。宿屋の主人は、じろじろと、私と青年の顔を見比べる。何はともあれ、青年と私は無事に、宿泊の手続きを済ませることができた。
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❇❇❇❇❇❇❇❇❇
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