まれぼし菓子店

夕雪えい

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レモネードは思い出とともに(後編)

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 まれぼし菓子店にまつわる星原さんの話は、店舗になっているこの建物のことから始まった。

「えっ、この建物ってもとは手嶌さんが持ち主だったんですか?」
「そうなのよ。ちょっとビックリでしょう。私たちと手嶌の縁はそこから始まったんですよ」

 住宅街の中に悠然とたたずむこの建物、内見に来た瞬間に星原さんはビビビ!と来たらしい。確かに敷地も建物自体も広いし、他にはそうそうない素敵な建物だから、それも納得だ。
 その時に手嶌さんと会ったのだそうだ。彼はやはり驚くほどに今と全然変わらなくて、今でもこの人本当に年をとってるのかなと思う、と星原さんは冗談めかして言った。

 手嶌さんは、この建物を売りには出していたものの、誰にでも売るつもりではなかったらしい。

「初めて会ったとき『長くこの建物を持っていたのですが、ここと深いご縁が見える方にお譲りしたくて、手放してみることにしたのです』って言ってて。なんだかおじいさんみたいな物言いよね。お金に困って売るというわけでもなさそうだし、まあただの断り文句なのかなと思ったんだけど……」
「じゃあ手嶌さん風にいうと、星原さんと木森さんは、ご縁が見えた人たちってことなんですね」
「どうやらそうみたいね。今のことを考えてみると結果オーライというかなんというかって感じですけどね」

 そう言って星原さんは笑った。
 本当に、その出会いがあったからこうしてまれぼし菓子店が存在しているわけで。
 そしてわたしも星原さんやみんなと出会えたわけで。
 結果オーライどころか、二重まる、三重まる。素晴らしいご縁ではないか。

 建物を引き渡してもらう契約が済み、リフォームも終わってお店は無事オープンを迎えた。
 その後、手嶌さんは時々お店に姿を見せるようになったそうだ。もちろんお客さんとして。
「レモンを差し入れてくれたこともあるんですよ。それからうちのシロップ漬けのレモンは、手嶌に頼んでるんです」
 そういえばまれぼしのレモンケーキもおいしかったことを思い出す。もしかしてあの不思議なレモンが使われているのかな。

 話を戻して。
 手嶌さんは星原さんはもちろん、人見知りの木森さんや他のお客さんともあっという間に打ち解けたそうだ。そこはさすが彼だなあと言うべきだろうか。
 そしてお店の方はというと、忙しくはあったもののかなり順調だったそうだ。

 そんな平和なまれぼし菓子店に異変が起きたのは、オープンからちょうど一月が経ったとき。

 木森さんが仕事中にケガをしてしまったのだ。
 幸い大事には至らなかったものの、そんなに小さなケガでもない。
 当日は臨時休業にしたものの、パティシエは力仕事も多いきつい仕事だ。とてもすぐにたくさんのお菓子を作れる状態ではない。木森さんのお菓子はやはりお店の華だから、どうしたものかと二人で考えあぐねていたところ――。

「手嶌が訪ねてきてね、『僕にお手伝いできることがきっとあると思うのですが、手伝わせていただけませんか』って。店の内情を知らせたわけでもないのに急に何ごと? って思うじゃない?」
「ええ、唐突ですねえ」
「『これもご縁があってのことだと思うので』って。何でだろうね、その言葉がするっと入ってきちゃった。納得しちゃったのよね。それが手嶌の不思議なところでね。ただ、もっと不思議だったのはその後だった」

 二人とも「手伝える」という手嶌さんの言葉を初めから真に受けたわけではない。
 仮にもお店に関わることなのだから、手伝ってくれるにしても実際できることとできないことは当然ある。趣味でやっているわけではなく仕事なのだ。
 好意はありがたく受け取るとして、正直手嶌さんに何ができるのか疑問だったという。
 しかし……。

「手嶌ってね、本当にびっくりするくらい何でもできたのよ。ホールの仕事はもちろん、ドリンクもフードも作れるし、そこはまあわかるわよ。飲食業やってれば一通りできることもある。でも製菓までできるなんてねえ」
 お菓子も作れるというので試しに作ってもらったところ、和菓子ばかりでなく洋菓子もやれると言う。試作品はもちろん極上の出来だった。
 そんな人が困った時にひょっこり現れて手伝ってくれると言うのだ。
 さすがにねえ、と天を仰ぐ星原さん。

「私たちにとって都合良すぎでしょ? そんなことある? って思いましたよ」
「そう……ですよねえ。でもそんなことあったんですね、本当に」
「うん……。月並みな言い方だけどそれこそ、魔法みたいなことするな、って思った」

 手嶌さんは木森さんが復調するまで、代わりを務めるようによく働いてくれたらしい。
 器用に立ち回って仕事が早いだけではなく、丁寧で細やかで何より真面目な仕事ぶり。
 どうしてそこまでこの店のために頑張ってくれるのかとたずねてみたら、
「この店が好きになったので。それにあなたがたの熱意に足りるくらいの仕事をすると、このくらいにはなると思いますよ」
 と、あの優しい笑顔で言うのだ。
 当然見合った報酬は払って働いてもらったのだが、それをはるかに上回るくらいの活躍を見せてくれたようだった。

 そのあと木森さんが無事に調子を取り戻すと、手嶌さんは役目は終わったとばかりにお店を去ろうとしたのだそう。
 あっさりした態度だったという。

「差し出がましい真似をしてすみませんでした。余計な手出しだったのですが、お二人の姿を見ていたら、どうしても何かしたくなってしまいまして」
 そう言って頭を下げたらしい。
 頭を下げたいのはこっちの方だよ!と星原さんは息巻いて言った。
「困った時に来てくれて、ここまでよくしてくれた手嶌はまるで神様みたいな人だと確かに一瞬思ったよ。けど、一緒に働いてみて思い直した。ああ神様みたいだなんて祭り上げるものじゃない、一人の人として私はこの人が気に入ったんだなあって。だから困った時の神頼み、なんてもので済ませるんじゃなくてね、ちゃんとした仲間として働きたいと思ったの」

 良かったらこれからも一緒にこの店をやらないか?と星原さんは手嶌さんを誘ったのだそうだ。
 木森さんも木森さんで珍しく、「この店であいつと一緒に働いてみたい」と強い口調で星原さんに訴えてきたという。

 二人から提案を受けた時、手嶌さんはかなり迷った様子だったらしい。
 その理由は定かではない。ただ、
「僕にはおふたりとあまりにも違う部分がありますから。……それでもここにいていいものなのかな、と」
 そうしきりに言っていたという。手嶌さんでもそんなに悩むことがあるのが意外だった。神様みたいに超然としている人だと思っていたからだ。
 二人と違う部分……それは前に綾瀬さんに言っていたこととも関わりがあるのだろうか。
 ただ、その詳細を星原さんと木森さんはあえて聞いたりはしなかったのだそうだ。

 ――最終的に手嶌さんはこの店で二人とともに働くことにして、今もそれは続いている。
「それが全てよ。それでいいんだと思う」
 と星原さんは清々しい笑顔になる。
 その事実はとても大事なのだという気がしたし、彼の心の内も表しているのではないかとわたしも思った。

「手嶌が正式にうちのメンバーになってくれたとき、ちょうど手嶌からもらったレモンで作った、初めてのレモンシロップが良い頃合だった。それでレモネードを作って三人で乾杯したの。それが三人のまれぼし菓子店の始まりなんですよ」

 そう言って星原さんは目を細め、懐かしそうにアルバムを見つめるのだった。
 レモネードにそんな思い出が詰まっていたなんて。
 ずっとお店のメニューにあるのもうなずける話だった。
 わたしはノスタルジックな空気につられるように、しばらく黙ってアルバムを眺めていた。


 カラン。と、グラスの中で溶けかけた氷が鳴った。
 それと同時に、
「おや? 昔話でもしていたんですか」
 聞き慣れた声が問いかけてきたので、わたしは飛び上がりそうになった。たぶん星原さんもそうだったと思う。
 ふと気づいたら、さきほどまでの話題の主、手嶌さんがカウンターのすぐ近くに立っているんだもの!
 いつの間に来てたんだろう!?
 アルバムもちゃんと見てるのがさすがの目ざとさだ。

「あ、うん、ちょっとね、アハハ……」
 さすがにあなたのこと話していたのよとは言いにくいのか、星原さんが笑って話を濁す。そそくさとアルバムもしまっている。
「手嶌、今日休みよね? 何か飲んでく?」
「ではせっかくですので……」
 わたしの隣の席に腰かけた手嶌さんは、レモンシロップの瓶をひときわ優しい目で見て、それからわたしと星原さんに笑いかけた。

「僕もレモネードを」
「はーい。〝はちみつ色の太陽〟入りまーす。少々お待ちくださいね、お客様」

 それから徐々にお客さんが増えてきて、特別な話をする暇はもうなかった。
 でもレモネードを手渡す星原さんと受け取る手嶌さんの間には、なんとも優しい空気が流れていた。

 わたしの知っているまれぼし菓子店が『いつもの姿』になるまでの物語。
 初めて聞いたその話は、物にも場所にも人にも歴史があるのだなと感じさせてくれるものだった。
 午後に差しかかった時間の柔らかな日差しを受けて、わたしはうーんと背伸びする。
 穏やかな陽光はレモネードの色に少し似ていた。
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