まれぼし菓子店

夕雪えい

文字の大きさ
上 下
66 / 96

はじまりの洋梨のタルト

しおりを挟む
 もうすぐ、その日がやってくる。
 わたしはカレンダーを見ながらぼーっとしていた。
 その日。それは、わたしが初めて教育する新人さんがやってくる日。

「落ち着いてやれば大丈夫。あなたなら」
 わたしの先輩……桜庭先輩はしっかりとした口調で励ましてくれたし、
「やれんものは任せん」
 課長は短くもそう言って私を鼓舞してくれる。
 わたしのやる気は十分、あふれている。でも不安もちょっと、ある。

 暖かくなってきた夜風に背中を押されながら、久しぶりにずいぶん遅い時間のまれぼし菓子店に足を運んだ。
 お店の前のランプが優しい光を放っているのを見て、何だか懐かしい気持ちになる。
 そういえば、わたしが初めてこの店を訪れたのは春。イヤイヤと参加した飲み会の帰りだったなあなんて思い出す。
 ステンドグラスみたいなパーツのついた扉をあけると、その時と全く同じ笑顔で、手嶌さんがわたしを迎えてくれる。

「いらっしゃいませ」
「こんばんは!」
「今日は遅いんですね。お水をどうぞ」

 遅い時間というのもあって、店に出ているのは手嶌さんひとりだ。
 あの時もそうだったな、なんて思い出して。
 メニューを目でなぞるうちにふと、あるものの上で視線がストップする。

「洋梨のタルト」
「タルトですね。通年のオススメメニューです。コンポートした、みずみずしくも甘みのぎゅっと詰まった洋梨と、アーモンドクリームのタルト生地がよく合う品です……覚えてますか?」
「はい。いちばん最初に頼んだメニューでしたよね。それとダージリン。なんか……すごく昔のことみたいだなあ」
「実際、いろいろなことがありましたね。いつもありがとうございます」

 こちらこそ、とわたしと彼はおじぎし合う。
 ああ、なんだか長いようで短いようで不思議な日々を過ごしたんだなあ。
 そう思いながら、座り心地の良いソファに寄りかかる。
 音楽に耳を傾けているうちに、その音楽みたいに心地の良い声で、手嶌さんが告げてくれる。

「お待たせいたしました。〝星の涙〟洋梨のタルト、それとダージリンティです」
「最初、いろんなことにずいぶんびっくりしたものでした」
「ええ、よく伝わってきておりましたよ」

 わたしの百面相は今も昔もかわらない。
 洋梨のタルトにフォークをいれる。タルト生地のほろりとした触感と食感。強い甘みを持ちながら、それでいて洋梨と打ち消し合わず、引き立て合う。
 抜群においしいコンポートは木森さんまた腕を上げたのかな、と思わせるようなもの。
 この部分だけ食べてももちろんおいしい。
 でもちゃんと調和を考えて作られているのだなあとしみじみ思う。
 爽やかな紅茶で口をリフレッシュして。
 お皿の上の幸せは、あっという間になくなってしまう。かわりに、わたしの心に、おなかに残るのだ。

「今度……後輩ができるんですけど」
「それはそれは。おめでたいですが、気負うことも多いでしょうね」

 さらりといいながら、お茶のおかわりを注いでくれる手嶌さん。
 そうなのだ。気負い……そう、それ。気持ちがまさに形を得た気分だった。
 彼を見上げると、柔らかな微笑をたたえていた。

「お話なら、わたしたちが聞きますよ、いつでも。ですから今まで通り、肩の力を抜いて」
「……手嶌さんに、星原さんに、ちょっと頼りないけど木森さんもいますもんね」
「木森が聞いたらへこみますよ。でもそうです。皆、あなたのことを応援していますから」

 澄んだ瞳を見つめていると、少し大仰にも思える言葉がすっと素直に入ってきた。


「今夜は、風が暖かくて。月が良く見えますよ」

 帰り際に、手嶌さんがなにか手渡してくれた。
 それは桜の色をした金平糖たち。それとまあるい、飴玉が入っていた。

「ありがとうございます。手嶌さん……あの、」
「はい」
「……おやすみなさい」
「おやすみなさい」

 わたしはなんとかそれだけ伝えると、おみやげを手に家路についた。
 もっと、たくさん話したいこと伝えたいことがあったんだけど……。上手く言葉にならなくて。

 でも空に浮かぶ朧月はそんなわたしを優しく見守ってくれる。
 夜吹く風は、背中を押してくれる。
 肩の力を抜いて。
 わたしは、歩き出すのだった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】転生少女は異世界で理想のお店を始めたい 猫すぎる神獣と一緒に、自由気ままにがんばります!

梅丸みかん
ファンタジー
せっかく40代目前にして夢だった喫茶店オープンに漕ぎ着けたと言うのに事故に遭い呆気なく命を落としてしまった私。女神様が管理する異世界に転生させてもらい夢を実現するために奮闘するのだが、この世界には無いものが多すぎる! 創造魔法と言う女神様から授かった恩寵と前世の料理レシピを駆使して色々作りながら頑張る私だった。※書籍化に伴い「転生少女は異世界でお店を始めたい」から「転生少女は異世界で理想のお店を始めたい 猫すぎる神獣と一緒に、自由気ままにがんばります!」に改題いたしました。

美味しい料理で村を再建!アリシャ宿屋はじめます

今野綾
ファンタジー
住んでいた村が襲われ家族も住む場所も失ったアリシャ。助けてくれた村に住むことに決めた。 アリシャはいつの間にか宿っていた力に次第に気づいて…… 表紙 チルヲさん 出てくる料理は架空のものです 造語もあります11/9 参考にしている本 中世ヨーロッパの農村の生活 中世ヨーロッパを生きる 中世ヨーロッパの都市の生活 中世ヨーロッパの暮らし 中世ヨーロッパのレシピ wikipediaなど

【完結】捨てられた双子のセカンドライフ

mazecco
ファンタジー
【第14回ファンタジー小説大賞 奨励賞受賞作】 王家の血を引きながらも、不吉の象徴とされる双子に生まれてしまったアーサーとモニカ。 父王から疎まれ、幼くして森に捨てられた二人だったが、身体能力が高いアーサーと魔法に適性のあるモニカは、力を合わせて厳しい環境を生き延びる。 やがて成長した二人は森を出て街で生活することを決意。 これはしあわせな第二の人生を送りたいと夢見た双子の物語。 冒険あり商売あり。 さまざまなことに挑戦しながら双子が日常生活?を楽しみます。 (話の流れは基本まったりしてますが、内容がハードな時もあります)

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

異世界着ぐるみ転生

こまちゃも
ファンタジー
旧題:着ぐるみ転生 どこにでもいる、普通のOLだった。 会社と部屋を往復する毎日。趣味と言えば、十年以上続けているRPGオンラインゲーム。 ある日気が付くと、森の中だった。 誘拐?ちょっと待て、何この全身モフモフ! 自分の姿が、ゲームで使っていたアバター・・・二足歩行の巨大猫になっていた。 幸い、ゲームで培ったスキルや能力はそのまま。使っていたアイテムバッグも中身入り! 冒険者?そんな怖い事はしません! 目指せ、自給自足! *小説家になろう様でも掲載中です

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...