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はじまりの洋梨のタルト
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もうすぐ、その日がやってくる。
わたしはカレンダーを見ながらぼーっとしていた。
その日。それは、わたしが初めて教育する新人さんがやってくる日。
「落ち着いてやれば大丈夫。あなたなら」
わたしの先輩……桜庭先輩はしっかりとした口調で励ましてくれたし、
「やれんものは任せん」
課長は短くもそう言って私を鼓舞してくれる。
わたしのやる気は十分、あふれている。でも不安もちょっと、ある。
暖かくなってきた夜風に背中を押されながら、久しぶりにずいぶん遅い時間のまれぼし菓子店に足を運んだ。
お店の前のランプが優しい光を放っているのを見て、何だか懐かしい気持ちになる。
そういえば、わたしが初めてこの店を訪れたのは春。イヤイヤと参加した飲み会の帰りだったなあなんて思い出す。
ステンドグラスみたいなパーツのついた扉をあけると、その時と全く同じ笑顔で、手嶌さんがわたしを迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは!」
「今日は遅いんですね。お水をどうぞ」
遅い時間というのもあって、店に出ているのは手嶌さんひとりだ。
あの時もそうだったな、なんて思い出して。
メニューを目でなぞるうちにふと、あるものの上で視線がストップする。
「洋梨のタルト」
「タルトですね。通年のオススメメニューです。コンポートした、みずみずしくも甘みのぎゅっと詰まった洋梨と、アーモンドクリームのタルト生地がよく合う品です……覚えてますか?」
「はい。いちばん最初に頼んだメニューでしたよね。それとダージリン。なんか……すごく昔のことみたいだなあ」
「実際、いろいろなことがありましたね。いつもありがとうございます」
こちらこそ、とわたしと彼はおじぎし合う。
ああ、なんだか長いようで短いようで不思議な日々を過ごしたんだなあ。
そう思いながら、座り心地の良いソファに寄りかかる。
音楽に耳を傾けているうちに、その音楽みたいに心地の良い声で、手嶌さんが告げてくれる。
「お待たせいたしました。〝星の涙〟洋梨のタルト、それとダージリンティです」
「最初、いろんなことにずいぶんびっくりしたものでした」
「ええ、よく伝わってきておりましたよ」
わたしの百面相は今も昔もかわらない。
洋梨のタルトにフォークをいれる。タルト生地のほろりとした触感と食感。強い甘みを持ちながら、それでいて洋梨と打ち消し合わず、引き立て合う。
抜群においしいコンポートは木森さんまた腕を上げたのかな、と思わせるようなもの。
この部分だけ食べてももちろんおいしい。
でもちゃんと調和を考えて作られているのだなあとしみじみ思う。
爽やかな紅茶で口をリフレッシュして。
お皿の上の幸せは、あっという間になくなってしまう。かわりに、わたしの心に、おなかに残るのだ。
「今度……後輩ができるんですけど」
「それはそれは。おめでたいですが、気負うことも多いでしょうね」
さらりといいながら、お茶のおかわりを注いでくれる手嶌さん。
そうなのだ。気負い……そう、それ。気持ちがまさに形を得た気分だった。
彼を見上げると、柔らかな微笑をたたえていた。
「お話なら、わたしたちが聞きますよ、いつでも。ですから今まで通り、肩の力を抜いて」
「……手嶌さんに、星原さんに、ちょっと頼りないけど木森さんもいますもんね」
「木森が聞いたらへこみますよ。でもそうです。皆、あなたのことを応援していますから」
澄んだ瞳を見つめていると、少し大仰にも思える言葉がすっと素直に入ってきた。
「今夜は、風が暖かくて。月が良く見えますよ」
帰り際に、手嶌さんがなにか手渡してくれた。
それは桜の色をした金平糖たち。それとまあるい、飴玉が入っていた。
「ありがとうございます。手嶌さん……あの、」
「はい」
「……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
わたしはなんとかそれだけ伝えると、おみやげを手に家路についた。
もっと、たくさん話したいこと伝えたいことがあったんだけど……。上手く言葉にならなくて。
でも空に浮かぶ朧月はそんなわたしを優しく見守ってくれる。
夜吹く風は、背中を押してくれる。
肩の力を抜いて。
わたしは、歩き出すのだった。
わたしはカレンダーを見ながらぼーっとしていた。
その日。それは、わたしが初めて教育する新人さんがやってくる日。
「落ち着いてやれば大丈夫。あなたなら」
わたしの先輩……桜庭先輩はしっかりとした口調で励ましてくれたし、
「やれんものは任せん」
課長は短くもそう言って私を鼓舞してくれる。
わたしのやる気は十分、あふれている。でも不安もちょっと、ある。
暖かくなってきた夜風に背中を押されながら、久しぶりにずいぶん遅い時間のまれぼし菓子店に足を運んだ。
お店の前のランプが優しい光を放っているのを見て、何だか懐かしい気持ちになる。
そういえば、わたしが初めてこの店を訪れたのは春。イヤイヤと参加した飲み会の帰りだったなあなんて思い出す。
ステンドグラスみたいなパーツのついた扉をあけると、その時と全く同じ笑顔で、手嶌さんがわたしを迎えてくれる。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは!」
「今日は遅いんですね。お水をどうぞ」
遅い時間というのもあって、店に出ているのは手嶌さんひとりだ。
あの時もそうだったな、なんて思い出して。
メニューを目でなぞるうちにふと、あるものの上で視線がストップする。
「洋梨のタルト」
「タルトですね。通年のオススメメニューです。コンポートした、みずみずしくも甘みのぎゅっと詰まった洋梨と、アーモンドクリームのタルト生地がよく合う品です……覚えてますか?」
「はい。いちばん最初に頼んだメニューでしたよね。それとダージリン。なんか……すごく昔のことみたいだなあ」
「実際、いろいろなことがありましたね。いつもありがとうございます」
こちらこそ、とわたしと彼はおじぎし合う。
ああ、なんだか長いようで短いようで不思議な日々を過ごしたんだなあ。
そう思いながら、座り心地の良いソファに寄りかかる。
音楽に耳を傾けているうちに、その音楽みたいに心地の良い声で、手嶌さんが告げてくれる。
「お待たせいたしました。〝星の涙〟洋梨のタルト、それとダージリンティです」
「最初、いろんなことにずいぶんびっくりしたものでした」
「ええ、よく伝わってきておりましたよ」
わたしの百面相は今も昔もかわらない。
洋梨のタルトにフォークをいれる。タルト生地のほろりとした触感と食感。強い甘みを持ちながら、それでいて洋梨と打ち消し合わず、引き立て合う。
抜群においしいコンポートは木森さんまた腕を上げたのかな、と思わせるようなもの。
この部分だけ食べてももちろんおいしい。
でもちゃんと調和を考えて作られているのだなあとしみじみ思う。
爽やかな紅茶で口をリフレッシュして。
お皿の上の幸せは、あっという間になくなってしまう。かわりに、わたしの心に、おなかに残るのだ。
「今度……後輩ができるんですけど」
「それはそれは。おめでたいですが、気負うことも多いでしょうね」
さらりといいながら、お茶のおかわりを注いでくれる手嶌さん。
そうなのだ。気負い……そう、それ。気持ちがまさに形を得た気分だった。
彼を見上げると、柔らかな微笑をたたえていた。
「お話なら、わたしたちが聞きますよ、いつでも。ですから今まで通り、肩の力を抜いて」
「……手嶌さんに、星原さんに、ちょっと頼りないけど木森さんもいますもんね」
「木森が聞いたらへこみますよ。でもそうです。皆、あなたのことを応援していますから」
澄んだ瞳を見つめていると、少し大仰にも思える言葉がすっと素直に入ってきた。
「今夜は、風が暖かくて。月が良く見えますよ」
帰り際に、手嶌さんがなにか手渡してくれた。
それは桜の色をした金平糖たち。それとまあるい、飴玉が入っていた。
「ありがとうございます。手嶌さん……あの、」
「はい」
「……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
わたしはなんとかそれだけ伝えると、おみやげを手に家路についた。
もっと、たくさん話したいこと伝えたいことがあったんだけど……。上手く言葉にならなくて。
でも空に浮かぶ朧月はそんなわたしを優しく見守ってくれる。
夜吹く風は、背中を押してくれる。
肩の力を抜いて。
わたしは、歩き出すのだった。
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