34 / 96
ロールケーキと読書の秋
しおりを挟む
ぐすっ……。
わたしは思わず鼻をすすった。
目の端からも涙がこぼれ落ちそう。公共の場だからなんとか必死でこらえている。
それでも胸からどんどん熱いものが込み上げてきて、もしかするとこのままでは本当に泣いてしまうかもしれない。
……というのも。
わたしの手には一冊の文庫本があった。かわいいくまちゃんのブックカバーは出版社のマーク。
この本は、最近話題の小説。本屋さんで読書の秋だからと平積みのフェアがされていて、軽い気持ちで手に取ったものだ。
しかしなかなかどうして。大当たりだった。
話題になるのも無理はない。序盤からわくわくの展開が続き、中盤になって主人公の陥るまさかの事態に息を飲み……。そして今わたしは、後半のあるシーンまできて……つい感動のあまり涙が込み上げてきたところだった。
おっと。小説のネタバレ厳禁だ。だから詳しくは言えないけど、とても良い本だ。そのことは間違いない。
読書は、趣味と言えるほどの規模ではないかもしれないが、わたしの小さな趣味だ。
主に秋冬など、夜が長かったり寒かったりする季節には、室内での限られた楽しみとしてわたしを癒してくれる。
読書家というほど本は読まないけど、主に小説を中心にちょっとした娯楽として、わたしは読書を楽しんでいる。部屋には小さいけど本棚もあるし、最近は電子書籍をダウンロードすることもある。
例の小説は来春には映画化も決まっているそうだ。これはまたぜひ先輩を誘わなくては……などと思っている所に、星原さんがコーヒーを運んできてくれた。
慌てて涙を引っこめる。
今日のコーヒーはブラジル。苦味と酸味のバランスが良くて飲みやすい、わたしの好きな豆。
ふんわりと香るコーヒーの香り、大好きだ。
「お気に入りの豆が出来るって、なんだか素敵ですよね。ちょっとコーヒー通になったみたい」
「そうだね。コーヒーの世界も深いけど、そこから入ってくのが一番ですよ。あ、まれぼしブレンドもよろしくね」
ぬかりなく星原さんがお店のオリジナルブレンドを宣伝していく。まれぼしブレンドも飲みやすくておいしいわたし好みの味のコーヒーだ。
あの食えない部長もコーヒーが好きだという話を聞いている。もしかしてまれぼし菓子店のブレンドなら気にいるかもしれないな……と、よしなしごとを考えつつ。
コーヒーを楽しむうちに、本日のケーキセット、ロールケーキが運ばれてくる。
半円型のロールケーキ。巻かれたスポンジ生地の中には、ナッツ類やオレンジピール、チョコチップの含まれたクリームが詰まっている。まあるいお皿に立つ、ケーキの足元の生地はしっとりとしたココア色だ。
まず、口に入れるとナッツの食感が楽しい。そのしっかりとした食感と共に、香ってくるオレンジピール。チョコチップは密かに存在しながらも、何となく嬉しい気持ちにさせてくれる。あとから遅れてやってくるナッツの香ばしさ。ココア生地のささやかなようで大きな主張。最後に残るのはクリームの優しい甘み。
これらをいったん、コーヒーですっかり流してしまう。ほどよい苦味と酸味が口の中をクリアにしてくれて……、そしてわたしはまた初めからロールケーキ楽しむ。
まるで気に入った小説を最初から何度も読み返すように。
「“魅惑の渦巻き”。ロールケーキも気に入ってくれたようで何よりです」
「コーヒーとよく合いますよねえ!」
「星原の腕が良いって褒めてくれても良いんですよ。それを言うなら木森もか」
と星原さんは笑っている。
わたしも一緒に笑いながら、またロールケーキを口に運ぶ。
スポンジもクリームも、クリームの中に入っている具材も、色んなもののバランスが絶妙なところで成り立っている。
そんな魅惑の渦巻きだ。
全体にふんわりとしたロールケーキを、フォークで上手に切れなくてクリームがはみ出てしまったりもするけれど、ご愛嬌……だと思いながら食べる。
食べ進むうちに、なくなってしまうのがもったいない気持ちになる。
今読んでいる小説に対してと、同じ気持ちだ。終わりまであと少しなのが、名残惜しいのだ。
しかし、なんにでも終わりはくるものでもある。
コーヒーを少し残して、お皿の上を綺麗にまっさらにしてから、わたしは小説の続きに取り掛かる。
ラストまであと少し、最後にどんな展開がわたしを待っていることだろう。
この、本を読む楽しみというのは、幼い頃から今まで変わることがない。
わたしの中の、小さくて大きな楽しみ。本の中にある恋愛や、冒険や、事件や、日常を見つめること。
残り少ないコーヒーを一口飲む。
窓を叩いていく風の音にはっとして、また秋を感じる。コーヒーの匂いに混ざって、微かに金木犀が香るのは窓際の席だからだろうか。
再び本に目を落とした、わたしの週末の夜は更けていく。
わたしは思わず鼻をすすった。
目の端からも涙がこぼれ落ちそう。公共の場だからなんとか必死でこらえている。
それでも胸からどんどん熱いものが込み上げてきて、もしかするとこのままでは本当に泣いてしまうかもしれない。
……というのも。
わたしの手には一冊の文庫本があった。かわいいくまちゃんのブックカバーは出版社のマーク。
この本は、最近話題の小説。本屋さんで読書の秋だからと平積みのフェアがされていて、軽い気持ちで手に取ったものだ。
しかしなかなかどうして。大当たりだった。
話題になるのも無理はない。序盤からわくわくの展開が続き、中盤になって主人公の陥るまさかの事態に息を飲み……。そして今わたしは、後半のあるシーンまできて……つい感動のあまり涙が込み上げてきたところだった。
おっと。小説のネタバレ厳禁だ。だから詳しくは言えないけど、とても良い本だ。そのことは間違いない。
読書は、趣味と言えるほどの規模ではないかもしれないが、わたしの小さな趣味だ。
主に秋冬など、夜が長かったり寒かったりする季節には、室内での限られた楽しみとしてわたしを癒してくれる。
読書家というほど本は読まないけど、主に小説を中心にちょっとした娯楽として、わたしは読書を楽しんでいる。部屋には小さいけど本棚もあるし、最近は電子書籍をダウンロードすることもある。
例の小説は来春には映画化も決まっているそうだ。これはまたぜひ先輩を誘わなくては……などと思っている所に、星原さんがコーヒーを運んできてくれた。
慌てて涙を引っこめる。
今日のコーヒーはブラジル。苦味と酸味のバランスが良くて飲みやすい、わたしの好きな豆。
ふんわりと香るコーヒーの香り、大好きだ。
「お気に入りの豆が出来るって、なんだか素敵ですよね。ちょっとコーヒー通になったみたい」
「そうだね。コーヒーの世界も深いけど、そこから入ってくのが一番ですよ。あ、まれぼしブレンドもよろしくね」
ぬかりなく星原さんがお店のオリジナルブレンドを宣伝していく。まれぼしブレンドも飲みやすくておいしいわたし好みの味のコーヒーだ。
あの食えない部長もコーヒーが好きだという話を聞いている。もしかしてまれぼし菓子店のブレンドなら気にいるかもしれないな……と、よしなしごとを考えつつ。
コーヒーを楽しむうちに、本日のケーキセット、ロールケーキが運ばれてくる。
半円型のロールケーキ。巻かれたスポンジ生地の中には、ナッツ類やオレンジピール、チョコチップの含まれたクリームが詰まっている。まあるいお皿に立つ、ケーキの足元の生地はしっとりとしたココア色だ。
まず、口に入れるとナッツの食感が楽しい。そのしっかりとした食感と共に、香ってくるオレンジピール。チョコチップは密かに存在しながらも、何となく嬉しい気持ちにさせてくれる。あとから遅れてやってくるナッツの香ばしさ。ココア生地のささやかなようで大きな主張。最後に残るのはクリームの優しい甘み。
これらをいったん、コーヒーですっかり流してしまう。ほどよい苦味と酸味が口の中をクリアにしてくれて……、そしてわたしはまた初めからロールケーキ楽しむ。
まるで気に入った小説を最初から何度も読み返すように。
「“魅惑の渦巻き”。ロールケーキも気に入ってくれたようで何よりです」
「コーヒーとよく合いますよねえ!」
「星原の腕が良いって褒めてくれても良いんですよ。それを言うなら木森もか」
と星原さんは笑っている。
わたしも一緒に笑いながら、またロールケーキを口に運ぶ。
スポンジもクリームも、クリームの中に入っている具材も、色んなもののバランスが絶妙なところで成り立っている。
そんな魅惑の渦巻きだ。
全体にふんわりとしたロールケーキを、フォークで上手に切れなくてクリームがはみ出てしまったりもするけれど、ご愛嬌……だと思いながら食べる。
食べ進むうちに、なくなってしまうのがもったいない気持ちになる。
今読んでいる小説に対してと、同じ気持ちだ。終わりまであと少しなのが、名残惜しいのだ。
しかし、なんにでも終わりはくるものでもある。
コーヒーを少し残して、お皿の上を綺麗にまっさらにしてから、わたしは小説の続きに取り掛かる。
ラストまであと少し、最後にどんな展開がわたしを待っていることだろう。
この、本を読む楽しみというのは、幼い頃から今まで変わることがない。
わたしの中の、小さくて大きな楽しみ。本の中にある恋愛や、冒険や、事件や、日常を見つめること。
残り少ないコーヒーを一口飲む。
窓を叩いていく風の音にはっとして、また秋を感じる。コーヒーの匂いに混ざって、微かに金木犀が香るのは窓際の席だからだろうか。
再び本に目を落とした、わたしの週末の夜は更けていく。
31
お気に入りに追加
109
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
子持ちの私は、夫に駆け落ちされました
月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。
旦那様は大変忙しいお方なのです
あねもね
恋愛
レオナルド・サルヴェール侯爵と政略結婚することになった私、リゼット・クレージュ。
しかし、その当人が結婚式に現れません。
侍従長が言うことには「旦那様は大変忙しいお方なのです」
呆気にとられたものの、こらえつつ、いざ侯爵家で生活することになっても、お目にかかれない。
相変わらず侍従長のお言葉は「旦那様は大変忙しいお方なのです」のみ。
我慢の限界が――来ました。
そちらがその気ならこちらにも考えがあります。
さあ。腕が鳴りますよ!
※視点がころころ変わります。
※※2021年10月1日、HOTランキング1位となりました。お読みいただいている皆様方、誠にありがとうございます。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
私の主治医さん - 二人と一匹物語 -
鏡野ゆう
ライト文芸
とある病院の救命救急で働いている東出先生の元に運び込まれた急患は何故か川で溺れていた一人と一匹でした。救命救急で働くお医者さんと患者さん、そして小さな子猫の二人と一匹の恋の小話。
【本編完結】【小話】
※小説家になろうでも公開中※
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる