まれぼし菓子店

夕雪えい

文字の大きさ
上 下
1 / 96

おみやげのこんぺいとう

しおりを挟む
 その時のわたしはきっと妙ちくりんな顔をしたまま突っ立ってたに違いない。

「お店だ。」

 お店があった。そのやけに広いお店は、飲み屋じゃない。外にはなんの騒音も聞こえてこない。コンビニとはもちろん違うし、スーパーでもなく、蛍光灯めいた青白い光がさしてくることはない。
 明かりはある。軒先にちょこんと、ランタン? ランプ? がぶら下がっている。窓ガラスには色の着いたのが何枚かハマっていて。石造りのプランターには多分ハーブなんだろう草が植えられている。魔女の店というには失礼だろうけど、変わった店構えだった。

「――まれぼし菓子店」

 看板があった。読み上げたところによると、菓子屋さんらしい。
 今は深夜二十三時だ。でも電気があかあかと点っていて、どうやら絶賛営業中みたいなのだ、この店。住宅街だぞここは。
 ――やっぱりあやしげな魔女の店なのでは?
 童話でもあるまいに、わたしは、やはり店を前にして訝しがらざるをえないのだった。



 ことの始まりはとにかく忌々しい。
 今日は金曜日。大昔は花金なんて言葉もあったらしい。なのに、空気を読まない会社の飲み会は滑り込んできた。
 会社の飲み会なんて大嫌いだ。昼休み直前に追加で人員を募集しながら、募集している課長からしてもう白けているんだから。そっちも嫌なら、やめればいいのに……と下っ端社員は思うけど、社長命令なのだそうだ。気が重い。

「で、君は出るんだよな」
 という問いに否とは言えない。せいぜい口の端の辺りでモゴモゴと言うくらいだ。
「どうせ週末たいした用事もないんだろう?」 
「……ありませんけど」
「俺たちなんか家族サービスも大変なのに更に社長の道楽にお付き合いだぞ。まだまだ半人前なのに、露骨に嫌な顔するなよ」
 課長の言葉にムッときた。だけどその通りなことにまた、内心が更にもやもやしていた。加えて、そんな露骨な顔をしていただろうかと、それもまたショックだったのだ。
 課長は人員を確保したからか、わたしに言いたいことを言ってやったとでも言うのか少し 溜飲りゅういんの下がったような顔で名簿に丸をつけながら次の社員の席に向かっていった。


 ――それから数時間。
 すっかり酒臭さに取り巻かれて嫌気がさしながらも、何とか二次会終わりで抜け出してきた。
(金曜だから早上がりして映画でも見ようと思ってたのに……)
 ちっさな私のちっさな予定だけど。もうさっさと家に帰りたくて、いつもとは違う住宅街の近道を通っていた。
 春の空気は生ぬるく澱んで、風も吹いてはくれない。わたしに纏わりついた居酒屋の空気も一向に吹き飛ばされていってくれない。

(たしかに……)
 と、わたしは思う。
(たしかにわたしはひとり暮らしだし……)
 課長と違って。
(なんなら彼氏もいないし……)
 あ、背中が煤ける気持ちになって来た。
(友達も少ない)
 いよいよ煤けてきた。なんか涙が出そう。
 でもだからってたいしたことない呼ばわりすることないじゃないか。と。わたしはどうもずっとあの言葉が引っかかっていたらしい。いじけていたらしい。一人前に。
「大した用事もないくせに、か」
 と独りごちながら、ひょいと角を曲がろうとしたところで。
 わたしは出会ったのだ。
 先程の――まれぼし菓子店に。

 そのままお店を見上げて固まっていたところで、トントン。と後ろから肩を叩かれた。
 さすがに夜の街でぼんやりし過ぎていた。慌てて振り返る。

「あっ、はい!?」
「お客さん……ですか?」
 振り返ると、そこには非常に線の細い柔和な感じの美青年が立っていた。彼は紺色のエプロンを直しながら、ふわりと笑顔になる。
「お店ならまだやってますよ。ラストオーダーも二十三時半なので」
「あ、ええと……」
    入る気があった訳ではないのだが、……とは言い難い。でも気になったのも確かだった。
 そんな時に、お腹がなった。
 我ながら浅ましい。
 飲み会ではあんまり食べられなかったのだ。仕方ないのだ。

「メニュー、見ますか?」
 青年はにこにこと手にした革の表紙のメニュー表を私によこした。彼からは何かわからないが爽やかな甘い香りがした。
 メニューによると、……変わった店だ……ここは和洋菓子のお店らしい。今、夜間はケーキが多く揃えられている……と。ああ、またお腹なった。ぐううう。
 
「……」
「……」
「……なにか召し上がっていきませんか」
「そう、そうします……」
 顔から火が出そうな思いは久しぶりだった。

 かくして少し不服な形で、わたしはまれぼし菓子店に足を踏み入れることになったのだった。


「あらためていらっしゃいませ」
 店内のイートイン用の席にわたしが座ると、色ガラスのかわいいタンブラーに水を出してもらえた。お店の中も、外と同様にちょっと不思議な雰囲気だ。レトロでなんていうか柔らかいけど重さのようなものも感じる。一度工場見学に行った時のワインセラーなんかの雰囲気と似てる。上手く言い表す言葉をわたしは知らない。

「変わったお店なんですね、あの」
手嶌てしまです」
「手嶌さんが店長さんなんです?」
「店長は今はずしています。彼女がいれば、ケーキのメニューももっと滑らかに説明して差し上げられるんですが」
「このお店って前からありました?」
「ええ、実は……ひっそりとね」
 内緒。とばかりに、悪戯っぽく笑う。本当なのかどうなのか。変な人だなあと思いつつ何故かちょっとドキドキした。
「タルトを下さい……ええと洋梨の。それと紅茶……えー……ダージリン」
「かしこまりました」
 
 注文を受けて手嶌さんが下がっていって、ふう、と一息ついた。メニューもなかなかの品ぞろえだったので選ぶのに時間を使ってしまった。
 お店の中は初めてなのになんだか安心する居心地の良さ。それが椅子やテーブルなどの調度品と、微かに流れている音楽、明かり、優しい香りの作り出すものだと次第にわかってきた。このお店は高級品を置いているわけではないようだ。けれど、とても安らげるように工夫された空間なのだろう。
 そこにお店の人の思いを見た気がした。

 そんなこんなするうちに、タルトと紅茶は運ばれてきて、気づけば居酒屋で纏った重い空気も、空腹も(少しだけど)消えていた。
 タルトにフォークを入れる。一口大にして口の中にもっていくと、まず洋梨の爽やかさがふわり。その後、クリームの程よい甘み。そして解けるタルト地のしっかりとした甘み。もちろん絶品という程に美味しくて、紅茶もわたしの貧乏舌でもいいものだとわかった。なんというか、香りが高いのだ。

「今日の洋梨のタルトは、〝星の涙と呼ばれる 夜露よつゆの晩にとる梨を使っている〟んですよ」
 手嶌さんが不思議なことを突然言い出した。なんのことかと思ったら、なにか紙を示している。
 ケーキのお皿に敷かれているしおりだった。そこには彼が言ったのと同じことが書いてあった。
「ああ、なんだ。びっくりした。詩か何かなんですね」
 ええ、とうなずきながら彼はにこにこと給仕をしてくれた。夜露の……という言葉を思い出しながらタルトの残りを口に運んでいく。なるほど、洋梨はそれほどジューシーであり、ぶれない甘さだった。


 ついつい閉店の時間まで長居してしまった。
 その間お客はわたしひとりで、手嶌さんはそれだのに丁寧に給仕してくれていたのが申し訳ないくらいだった。
 またおまちしています。
 手嶌さんはわたしの手にリボンのついた小さな箱を滑らせて寄こした。

「おみやげ、です」
「ありがとうございます、?」
「今夜は星が綺麗なので」
 そして笑う。
 星がきれいなんて。こんな街中じゃ明るくて見えもしないのにと、わたしは愛想笑いを返しはしたが、空を見上げもしなかった。
 ありがとうございました、と言いながら、彼はいつまでもわたしを見送っていてくれた。
 後ろ髪を引かれるような気持ちになりながら、わたしは濃紺のエプロンの青年を背景にして、家路に戻っていくのだった。

 家に着いて小箱のリボンを解く。開けてみると、
「こんぺいとうだ」
 星空を想起させる色とりどりの砂糖菓子。
 もしかしてあの時本当に綺麗な星空が拡がっていたのか。
 それとも……。ちょっとキザそうな手嶌さんが適当に言ったことなのかはわからない。
 そう思いながら、こんぺいとうを口に含む。
 優しい甘みが口にひろがっていく。
 少し力を入れて噛むと、こんぺいとうは容易に欠けて弾けてしまう。

 気がつくと、週末最後に砂をひっかけられたようなもやもやも、いくつかの砂糖菓子と一緒に霧散していた。

 こんぺいとうにもしおりが入っていた。〝天の星は全てここに集めて〟。
    手嶌さんの言葉と合わせると、不思議な童話のように聞こえる。

「……まれぼし菓子店」
 貰った名刺の名前をもう一度呟く。
 また、いってみようかな。
 わたしは、あの店と青年を思い浮かべてから、こんぺいとうの小箱を閉じた。
 良い週末すごそう。そんな気持ちで。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

子持ちの私は、夫に駆け落ちされました

月山 歩
恋愛
産まれたばかりの赤子を抱いた私は、砦に働きに行ったきり、帰って来ない夫を心配して、鍛錬場を訪れた。すると、夫の上司は夫が仕事中に駆け落ちしていなくなったことを教えてくれた。食べる物がなく、フラフラだった私は、その場で意識を失った。赤子を抱いた私を気の毒に思った公爵家でお世話になることに。

飯屋の娘は魔法を使いたくない?

秋野 木星
ファンタジー
3歳の時に川で溺れた時に前世の記憶人格がよみがえったセリカ。 魔法が使えることをひた隠しにしてきたが、ある日馬車に轢かれそうになった男の子を助けるために思わず魔法を使ってしまう。 それを見ていた貴族の青年が…。 異世界転生の話です。 のんびりとしたセリカの日常を追っていきます。 ※ 表紙は星影さんの作品です。 ※ 「小説家になろう」から改稿転記しています。

男子高校生だった俺は異世界で幼児になり 訳あり筋肉ムキムキ集団に保護されました。

カヨワイさつき
ファンタジー
高校3年生の神野千明(かみの ちあき)。 今年のメインイベントは受験、 あとはたのしみにしている北海道への修学旅行。 だがそんな彼は飛行機が苦手だった。 電車バスはもちろん、ひどい乗り物酔いをするのだった。今回も飛行機で乗り物酔いをおこしトイレにこもっていたら、いつのまにか気を失った?そして、ちがう場所にいた?! あれ?身の危険?!でも、夢の中だよな? 急死に一生?と思ったら、筋肉ムキムキのワイルドなイケメンに拾われたチアキ。 さらに、何かがおかしいと思ったら3歳児になっていた?! 変なレアスキルや神具、 八百万(やおよろず)の神の加護。 レアチート盛りだくさん?! 半ばあたりシリアス 後半ざまぁ。 訳あり幼児と訳あり集団たちとの物語。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 北海道、アイヌ語、かっこ良さげな名前 お腹がすいた時に食べたい食べ物など 思いついた名前とかをもじり、 なんとか、名前決めてます。     *** お名前使用してもいいよ💕っていう 心優しい方、教えて下さい🥺 悪役には使わないようにします、たぶん。 ちょっとオネェだったり、 アレ…だったりする程度です😁 すでに、使用オッケーしてくださった心優しい 皆様ありがとうございます😘 読んでくださる方や応援してくださる全てに めっちゃ感謝を込めて💕 ありがとうございます💞

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

処理中です...