遺願

波と海を見たな

文字の大きさ
上 下
20 / 20

唾の行方 了

しおりを挟む
 ここに一人で来るようになってから気付いたのだが、屋上の扉の影に小さな足踏み台が置かれていて、それを使えば力のない女の私でも柵を乗り越えることができた。白いどこにでも売っているようなその台は、天子が使ったに違いない。
 もしここから飛び降りようと考えると、その視線の先には必ず校舎裏がある。だとすれば私たちの出会いは必然で、穿った見方をすれば、1人静かに死にたかった天子は毎日校舎裏でイジメられていた私が邪魔になって、退かす為に私を懐柔してイジメを止めたと考えることもできるかもしれない。
 結果的に彼女は自殺した。
 私はその答えを永遠に聞くことができない。
 それでも、天子は笑っていた。青空を背に、美しく旅立っていった。あの笑顔の向けられた先が
彼女自身でなくて私であって欲しい。私たちの出会いは良縁だったと思いたい。そう心の底から願っている。

 血と体液を浴びただけで怪我のなかった麗愛だが、噂ではあの日のトラウマから空を見上げることができなくなったらしい。外出もままならなくなってそのまま休学し、いつの間にか転校していった。
 麗愛がいなくなってからは校舎裏を使うものもいなくなった。クラスにも束の間の平穏が訪れたと思う。 
 相変わらず私は一人だけど、少なくともイジメられることは無くなった。

 私は足踏み台の上から柵に体重をかけると、力一杯よじ登って一気に乗り越える。
 柵から屋上の縁までは人ひとり分の隙間しかなくて、恐怖で自然と体が硬くなった。それなのに、こうして柵を掴みながら空を見上げていると、そのまま手を離して落ちて行きたい誘惑にかられてしまうから不思議だ。
 天子がいなくなって私は空っぽになってしまった。いや、元々満たされてなんていなかったんだけど。それでも私のコップにだって少しくらい水は入っていたはずだ。今の私は毎日底が抜けたまま学校に行き、休日はこうしてひとり乾いた心で屋上から空を眺める日々を過ごしている。
 天子を追うのは簡単だ。私も同じように一歩踏み出せばいいだけ。今ここで目を瞑って足を出せば、その瞬間はすぐにでも訪れるのだから。
 私は試しにそっと柵から手を離してみる。好奇心の木が風にそよいで私をあちら側へと手招いていた。下から噴き上げてくる風は、私が本当に飛べるんじゃないかと錯覚させてくる。
「やっぱり、まだ行けないな」
 私は再び柵を乗り越えて屋上まで戻った。
 怖気ついた訳じゃない。
 ただ天子が最後に笑った意味を知りたいだけだ。
あの時確かに私を呼ぶ声を聞いたけれど、その笑顔が私に向けられたものだったのかは今もわからないでいる。
 天子は堕ちることできっと縛られているものから自由になったけど、私は違う。ただ後を追うだけじゃ今までと変わらないし、それは環境から目を背けて思考停止で逃げているだけだ。
 私を導いてくれた天子はもういない。今度こそ私は私の意思で未来を選ばないといけない。

 いつの間にかあの日のように遠くの空が赤らんで、辺りが血で染まっていく。部員の掛け声も騒がしい音色も止んでいて、蝉の声だけが虚しく空に吸い込まれていった。
 見下ろす校舎裏はより一層影を濃くし、犠牲になる生徒を手招いている。
 もし。
 もしあそこで誰かがイジメられるその時は。
 私もここから唾を垂らそう。
 イジメた奴の顔にべっとりついた唾を指差して、ここから派手に笑い飛ばしてやるんだ。
 はっきり言って地味で卑怯な私は天使には程遠いけれど、それでも行動することに意味がある。
 きっと上手くいくはずだ。
 イジメられていた子と一緒に屋上で空を眺めて、お互いのことをたくさん話すんだ。その子と私が道を誤ってしまわないように。
 それはきっと素敵な出会いになる。
 それこそが私の選んだ唯一の生きる道なのだ。
 
 蝉の声を聞くと今も鮮明に思い出す。
 天使との邂逅と解放の笑顔を。
 今日も私は屋上で1人その時を待っている。
 明日も明後日もその先も私はずっと待っている。
 誰も来ないならその時は…。
 風もないのにプラタナスの木が揺れて、湿った土の上にはらりと落ち葉が重なった。
 青々と育った私の好奇心を抑え込む様に、私は校舎裏に向かって唾を垂らした。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

歩きスマホ

宮田 歩
ホラー
イヤホンしながらの歩きスマホで車に轢かれて亡くなった美咲。あの世で三途の橋を渡ろうとした時、通行料の「六文銭」をモバイルSuicaで支払える現実に——。

限界集落

宮田 歩
ホラー
下山中、標識を見誤り遭難しかけた芳雄は小さな集落へたどり着く。そこは平家落人の末裔が暮らす隠れ里だと知る。その後芳雄に待ち受ける壮絶な運命とは——。

アポリアの林

千年砂漠
ホラー
 中学三年生の久住晴彦は学校でのイジメに耐えかねて家出し、プロフィール完全未公開の小説家の羽崎薫に保護された。  しかし羽崎の家で一ヶ月過した後家に戻った晴彦は重大な事件を起こしてしまう。  晴彦の事件を捜査する井川達夫と小宮俊介は、晴彦を保護した羽崎に滞在中の晴彦の話を聞きに行くが、特に不審な点はない。が、羽崎の家のある林の中で赤いワンピースの少女を見た小宮は、少女に示唆され夢で晴彦が事件を起こすまでの日々の追体験をするようになる。  羽崎の態度に引っかかる物を感じた井川は、晴彦のクラスメートで人の意識や感情が見える共感覚の持ち主の原田詩織の助けを得て小宮と共に、羽崎と少女の謎の解明へと乗り出す。

『霧原村』~少女達の遊戯が幽から土地に纏わる怪異を呼び起こす~転校生渉の怪異事変~

潮ノ海月
ホラー
とある年の五月の中旬、都会から来た転校生、神代渉が霧野川高校の教室に現れる。彼の洗練された姿に女子たちは興味を示し、一部の男子は不満を抱く。その中、主人公の森月和也は、渉の涼やかな笑顔の裏に冷たさを感じ、彼に違和感を感じた。 渉の編入から一週間が過ぎ、男子達も次第に渉を受け入れ、和也の友人の野風雄二も渉の魅力に引き込まれ、彼の友人となった。転校生騒ぎが終息しかけたある日の学校の昼休み、女子二人が『こっくりさん』で遊び始め、突然の悲鳴が教室に響く。そしてその翌日、同じクラスの女子、清水莉子が体調不良で休み、『こっくりさん』の祟りという噂が学校中に広まっていく。その次の日の放課後、莉子を心配したと斉藤凪紗は、彼女の友人である和也、雄二、凪沙、葵、渉の五人と共に莉子の家を訪れる。すると莉子の家は重苦しい雰囲気に包まれ、莉子の母親は憔悴した姿に変わっていた。その異変に気づいた渉と和也が莉子の部屋へ入ると、彼女は霊障によって変わり果てた姿に。しかし、彼女の霊障は始まりでしかなく、その後に起こる霊障、怪異。そして元霧原村に古くから伝わる因習、忌み地にまつわる闇、恐怖の怪異へと続く序章に過ぎなかった。 《主人公は和也(語り部)となります。ライトノベルズ風のホラー物語です》

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

岡●県にある●●村の●●に関する話

ちょこち。
ホラー
岡●県の、とある村について少しでも情報や、知ってる事がある方が居れば、何卒、教えて頂けると幸いです。

処理中です...