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唾の行方④
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私は屋上の端にある石畳に腰掛けると、ぼんやりとプラタナスの木を眺める。ここから下を覗くとさっき私が立っていた校舎裏がよく見える。
青々とした葉っぱが時折風で静かに揺れて、葉擦れの音が心地よい。同級生が授業しているのをよそに、私と天子はよくここで悠久の時を過ごしたものだ。
『沸かした鍋のお湯ぶっかけられたらしいね~。記憶ないんだけどさ。しかも病院に連れてきもしなかったって。ま、そいつも父親ではないんだけど』
彼女は自身の境遇を淡々と語っていた。その痕を隠すこともしないし、塞ぎ込むこともない。少なくとも私にはそう見えていた。だから私は天子に惹かれたし、そういう人間だと思ってしまった。彼女には良くない噂が数え切れないほどあったけど、彼女が意に介していないように見えたのだ。
母親が風俗嬢だ。
父親は名前も知らない風俗の客。
援交してる。
母親の彼氏とヤってる。
あの顔は性病の末期。
近づいたら病気をうつされる。などなど。
自分と違う容姿で、違う行動をする存在は、集団で淘汰するのが学校だ。
『うわぁぁぁ!死ねよクソ売女がっ!お前の性病がうつったらどうすんだよぉぉ』
『あっはっはっ。もう遅いかもなぁ』
天子の唾に気付いた時の麗愛の焦りようといったら。
私は立ち上がると、あの時の天子のように柵から身を乗り出してみる。
よく見えるといっても、校舎裏まではそれなりの距離がある。ましてや屋上と1階だ。はっきり言って狙って下にいる誰かに唾を落とすなんて不可能に近い。でも、奇跡は実際にあの時起きた。天子の存在が確かに私をいじめから救ったのだ。
『落窪ー。は、いないか』
『どーせウリしてんでしょ』
『いやいや、あの顔で?あんなモンスター買わないでしょ』
『ぷっ』
『おいそこ、うるさいぞ』
『さっさと学校やめて欲しいよね』
『ねー』
こんな会話は日常茶飯事で、天子と出会うまでは私も無言で同調する1人だった。
実は天子は私の1つ上で、出席日数が足りずに留年していた。それなのに滅多に授業に出てないし、たまに教室に居ても寝てばかりいて、何をしでかすかわからない感じと1度目にしたら忘れられない容姿から、流石の麗愛も面と向かって何も言えないでいた。
教師たちもどこか腫れ物に触るように扱っていた記憶があるし、私も以前は住む世界の違う問題児としか思っていなかった。
私の頭上には青空がどこまでもどこまでも広がっている。蝉も運動部も吹奏楽部もあらゆる音がたちまちに吸い込まれていく。
この空を一言で表すとしたらなんて言えばいいんだろう。
青。青々。群青。紺碧。
青天、蒼穹、抜けるような青空。
私の語彙ではこんなもん。
校舎裏から眺める青空は憎らしかった。
教室から眺める青空もどこかつまらなかった。
なのに、屋上で見る青空は何でこんなにも綺麗なんだろう。
私の頬を自然と涙が伝っていく。
『そんなに空ばっかり見ててよく飽きないね』
『お、妬いてるなさては~』
『茶化さないでよー』
『あは、ごめんごめん。空ってさ、終わりがないじゃん。それこそ怖いくらいにさ。じっと見つめてると、すーって吸い込まれそうになる。だから好きなの』
『何それ、怖い話?』
『あはは、奈央にはわからないかぁ』
あの時の天子の気持ちが今ならよく分かる。
空は自由で、辛いことも、悲しいことも、自分自身でさえも全部吸い込んでくれるんだ。
きっと私もその内抗えなくなる。
私は涙を拭うと再び柵から身を乗り出して校舎裏を覗いた。
視線の先にはさっき私が寝転んだ地面がある。
日の当たらない湿った土には負の感情と忘れたい記憶がこれでもかと染み込んでいて、忘れかけても踏み締めるだけでいくらでも這い出てくるだろう。髪をライターで燃やされ、唾を吐きかけられ、頭を壁に押しつけられ、服も破られた。そ
それでも私はどうしても目がいってしまう。見たくないのに自然と吸い寄せられてしまう。だってあそこには…。
青々とした葉っぱが時折風で静かに揺れて、葉擦れの音が心地よい。同級生が授業しているのをよそに、私と天子はよくここで悠久の時を過ごしたものだ。
『沸かした鍋のお湯ぶっかけられたらしいね~。記憶ないんだけどさ。しかも病院に連れてきもしなかったって。ま、そいつも父親ではないんだけど』
彼女は自身の境遇を淡々と語っていた。その痕を隠すこともしないし、塞ぎ込むこともない。少なくとも私にはそう見えていた。だから私は天子に惹かれたし、そういう人間だと思ってしまった。彼女には良くない噂が数え切れないほどあったけど、彼女が意に介していないように見えたのだ。
母親が風俗嬢だ。
父親は名前も知らない風俗の客。
援交してる。
母親の彼氏とヤってる。
あの顔は性病の末期。
近づいたら病気をうつされる。などなど。
自分と違う容姿で、違う行動をする存在は、集団で淘汰するのが学校だ。
『うわぁぁぁ!死ねよクソ売女がっ!お前の性病がうつったらどうすんだよぉぉ』
『あっはっはっ。もう遅いかもなぁ』
天子の唾に気付いた時の麗愛の焦りようといったら。
私は立ち上がると、あの時の天子のように柵から身を乗り出してみる。
よく見えるといっても、校舎裏まではそれなりの距離がある。ましてや屋上と1階だ。はっきり言って狙って下にいる誰かに唾を落とすなんて不可能に近い。でも、奇跡は実際にあの時起きた。天子の存在が確かに私をいじめから救ったのだ。
『落窪ー。は、いないか』
『どーせウリしてんでしょ』
『いやいや、あの顔で?あんなモンスター買わないでしょ』
『ぷっ』
『おいそこ、うるさいぞ』
『さっさと学校やめて欲しいよね』
『ねー』
こんな会話は日常茶飯事で、天子と出会うまでは私も無言で同調する1人だった。
実は天子は私の1つ上で、出席日数が足りずに留年していた。それなのに滅多に授業に出てないし、たまに教室に居ても寝てばかりいて、何をしでかすかわからない感じと1度目にしたら忘れられない容姿から、流石の麗愛も面と向かって何も言えないでいた。
教師たちもどこか腫れ物に触るように扱っていた記憶があるし、私も以前は住む世界の違う問題児としか思っていなかった。
私の頭上には青空がどこまでもどこまでも広がっている。蝉も運動部も吹奏楽部もあらゆる音がたちまちに吸い込まれていく。
この空を一言で表すとしたらなんて言えばいいんだろう。
青。青々。群青。紺碧。
青天、蒼穹、抜けるような青空。
私の語彙ではこんなもん。
校舎裏から眺める青空は憎らしかった。
教室から眺める青空もどこかつまらなかった。
なのに、屋上で見る青空は何でこんなにも綺麗なんだろう。
私の頬を自然と涙が伝っていく。
『そんなに空ばっかり見ててよく飽きないね』
『お、妬いてるなさては~』
『茶化さないでよー』
『あは、ごめんごめん。空ってさ、終わりがないじゃん。それこそ怖いくらいにさ。じっと見つめてると、すーって吸い込まれそうになる。だから好きなの』
『何それ、怖い話?』
『あはは、奈央にはわからないかぁ』
あの時の天子の気持ちが今ならよく分かる。
空は自由で、辛いことも、悲しいことも、自分自身でさえも全部吸い込んでくれるんだ。
きっと私もその内抗えなくなる。
私は涙を拭うと再び柵から身を乗り出して校舎裏を覗いた。
視線の先にはさっき私が寝転んだ地面がある。
日の当たらない湿った土には負の感情と忘れたい記憶がこれでもかと染み込んでいて、忘れかけても踏み締めるだけでいくらでも這い出てくるだろう。髪をライターで燃やされ、唾を吐きかけられ、頭を壁に押しつけられ、服も破られた。そ
それでも私はどうしても目がいってしまう。見たくないのに自然と吸い寄せられてしまう。だってあそこには…。
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