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唾の行方③
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靴箱を素通りすると、節電で薄暗い廊下を素足で歩く。管楽器の音色が充満する校内が少し息苦しい。辛い時に音楽は何の助けにもならなかった。だから私は音楽が嫌いだし、音楽の力にはならない。学校にも辛い記憶は山ほどあるけれど、天子との幸せな記憶も同じだけあるからか、不思議と学校そのものは嫌いじゃない。
私は4階にある屋上を目指して階段を登る。
『麗愛って凄く可愛そう。誰かを虐めてないと生きていけないだもん』
『あは、言うねぇ』
『天子は将来は何になりたい?』
『雲かなー』
『何、雲って(笑)』
『何も考えないで空に浮かんでたいんだよね』
『え、え、ちょっ…。あ。んっ…。…ぷわっ』
『はぁ…。ふふ、奈央ってば固まっちゃって可愛い』
階段の踊り場、放課後の空き教室、保健室…。
校舎の中にも狂う惜しいほどに輝いていた天子との日常がそこかしこに散らばっているが、あえて振り返らずに階段を登り続ける。
階段の踊り場で麗愛の悪口を言ったことも、放課後の空き教室で先生に怒られるまで将来を語り合ったことも、誰もいない保健室のベッドでキスをしたことも、その全てが愛おしい。
それでも天子は天使だ。
天使のいるべき場所は決まっているし、彼女もそれを望んでいた。
だから私は今日も脇目を振らずに屋上へ向かっている。
申し訳程度に張られたチェーンをくぐり、短い階段を登って私は屋上のドアの前に立つ。
ここまで誰にも会っていない。生徒であれば土日に学校に居ても特段何も言われない。見られても忘れ物をしたふりをすれば案外何とかなるものだ。
ドアには鍵がかかっていた。あんなことがあったから当然だろう。
でも。
私はポケットから合鍵を取り出すと鍵穴に強く押し込んだ。
アクリルでできた青空のキーホルダーがからからと揺れている。
『ねえ、そもそも屋上って何で入れるの?』
『あ、そこ気づいた?じゃーん。合鍵』
『ええええ何それっ。どーやったの!?』
『あはっ。やっぱ奈央のリアクションいいわ~。でもひ、み、つ』
『いじわるー』
誰もいない空間に鍵穴を回す音が虚しく響く。
1人で開ける屋上の扉は随分と重く感じた。
私は今でも期待してしまう。ドアを開けたら青空の下で輝く太陽を背に「どう?驚いた?」って天子が悪戯っぽく笑うのを。
ドアノブのひんやりとした感触は天子の肌を思い起こさせた。その冷たさで天子も、鉄も、土も死ですらもみんな同じだと気づく。
ドアを開けても、そこにもちろん天子はいない。それでも、彼女が好きだった青空は今も変わらず私を出迎えてくれる。
『奈央。もっと触って』
私はこっそり授業を抜けて何度も屋上に行った。真面目で目立つことを避けていた私が、だ。
母を困らせるつもりは毛頭なく、ただただ天子と一緒にいられればそれでよかった。
『そう、そこ。もっと優しく撫でて』
母からの愛に飢えた私にとって、天子は特別な存在だった。私と出会うまでは屋上で1人空を見つめてぼんやりしていたらしい。
彼女は私の膝枕で空を見上げるのがお気に入りだった。
彼女もまた愛情、特に肌と肌の温もりに飢えていたように思う。その特殊な容姿と周りから逸脱した行動により、私とは別の意味で疎外されていたからだ。
彼女の顔は少し派手だけど、贔屓目なしに綺麗だった。細く力強い眉と大きくて印象的な猫目に、つんとした高い鼻。一目見ただけで凛々しいという言葉がぴったりと当てはまり、シャープな輪郭と少し赤みがかったセミロングの髪がそれを際立たせていた。
だけど、それは右目の下に広がった火傷の痕がなかったらの話だ。顔に向けられた全ての視線は、ピンクに染まった凹凸のある右頬に吸い寄せられてしまう。
私はそのアンバランスさこそが天子の神秘さを際立たせていると思っていたけれど、周囲はそうではなかった。
私は4階にある屋上を目指して階段を登る。
『麗愛って凄く可愛そう。誰かを虐めてないと生きていけないだもん』
『あは、言うねぇ』
『天子は将来は何になりたい?』
『雲かなー』
『何、雲って(笑)』
『何も考えないで空に浮かんでたいんだよね』
『え、え、ちょっ…。あ。んっ…。…ぷわっ』
『はぁ…。ふふ、奈央ってば固まっちゃって可愛い』
階段の踊り場、放課後の空き教室、保健室…。
校舎の中にも狂う惜しいほどに輝いていた天子との日常がそこかしこに散らばっているが、あえて振り返らずに階段を登り続ける。
階段の踊り場で麗愛の悪口を言ったことも、放課後の空き教室で先生に怒られるまで将来を語り合ったことも、誰もいない保健室のベッドでキスをしたことも、その全てが愛おしい。
それでも天子は天使だ。
天使のいるべき場所は決まっているし、彼女もそれを望んでいた。
だから私は今日も脇目を振らずに屋上へ向かっている。
申し訳程度に張られたチェーンをくぐり、短い階段を登って私は屋上のドアの前に立つ。
ここまで誰にも会っていない。生徒であれば土日に学校に居ても特段何も言われない。見られても忘れ物をしたふりをすれば案外何とかなるものだ。
ドアには鍵がかかっていた。あんなことがあったから当然だろう。
でも。
私はポケットから合鍵を取り出すと鍵穴に強く押し込んだ。
アクリルでできた青空のキーホルダーがからからと揺れている。
『ねえ、そもそも屋上って何で入れるの?』
『あ、そこ気づいた?じゃーん。合鍵』
『ええええ何それっ。どーやったの!?』
『あはっ。やっぱ奈央のリアクションいいわ~。でもひ、み、つ』
『いじわるー』
誰もいない空間に鍵穴を回す音が虚しく響く。
1人で開ける屋上の扉は随分と重く感じた。
私は今でも期待してしまう。ドアを開けたら青空の下で輝く太陽を背に「どう?驚いた?」って天子が悪戯っぽく笑うのを。
ドアノブのひんやりとした感触は天子の肌を思い起こさせた。その冷たさで天子も、鉄も、土も死ですらもみんな同じだと気づく。
ドアを開けても、そこにもちろん天子はいない。それでも、彼女が好きだった青空は今も変わらず私を出迎えてくれる。
『奈央。もっと触って』
私はこっそり授業を抜けて何度も屋上に行った。真面目で目立つことを避けていた私が、だ。
母を困らせるつもりは毛頭なく、ただただ天子と一緒にいられればそれでよかった。
『そう、そこ。もっと優しく撫でて』
母からの愛に飢えた私にとって、天子は特別な存在だった。私と出会うまでは屋上で1人空を見つめてぼんやりしていたらしい。
彼女は私の膝枕で空を見上げるのがお気に入りだった。
彼女もまた愛情、特に肌と肌の温もりに飢えていたように思う。その特殊な容姿と周りから逸脱した行動により、私とは別の意味で疎外されていたからだ。
彼女の顔は少し派手だけど、贔屓目なしに綺麗だった。細く力強い眉と大きくて印象的な猫目に、つんとした高い鼻。一目見ただけで凛々しいという言葉がぴったりと当てはまり、シャープな輪郭と少し赤みがかったセミロングの髪がそれを際立たせていた。
だけど、それは右目の下に広がった火傷の痕がなかったらの話だ。顔に向けられた全ての視線は、ピンクに染まった凹凸のある右頬に吸い寄せられてしまう。
私はそのアンバランスさこそが天子の神秘さを際立たせていると思っていたけれど、周囲はそうではなかった。
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