遺願

波と海を見たな

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唾の行方①

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 夏のある晴れた日のことだ。
 私は誰もいない校舎裏から一人屋上を見上げていた。
 そこかしこで油蝉が声の限り鳴いている。蝉たちはその短い生を終えるまで、命を削って泣き続けるのだろう。
 日陰の校舎裏はひんやりとして気持ちが良い。休みの日だというのに、校舎から吹奏楽部が奏でる旋律が蝉とセッションしていた。遠くではテニス部や野球部の大げさな掛声とボールを打つこぎみよい音が聞こえている。
 私の立つこの場所は校舎と大きなプラタナスの木の間にあって、どの時間帯でも影になって薄暗かった。見上げてもここからだと空の様子はよくわからない。青々とした葉っぱと色褪せた灰色の校舎の隙間から、錆びついた屋上の柵だけが辛うじて見えるだけだ。
 プラタナスの花言葉が「好奇心」だと教えてくれたのは天子あまこだった。その他にもあった気がするけど、もう覚えていない。
 私と天子の出会いは丁度この場所だった。

『ねえ、いい加減学校来んの辞めてくんない?あんたがいると教室が臭くなるんだけど。おえっ』

 今から2年前、私はクラスで酷いいじめを受けていた。当時のクラスには麗愛れあというボス的な存在がいて、彼女がいつも誰か一人を標的にして愉しんでいた。
 学校にはスクールカーストが存在する。自分の父親が社長だと豪語する彼女は、傲岸不遜で自己中心的で、常に誰かを貶めなければ気が済まない人間だったが、その財力と勝気な性格で瞬く間にカーストの頂点に登り詰めたのだった。
 思い返せば確かに、彼女は学生には分布相応のブランド品で身を固めていた気がする。容姿も学力も人並みだった彼女は、クラスでの地位を確保するために彼女なりに必死だったのかも知れない。彼女には金魚のフンみたいにいつもくっついている取り巻きが二人いたけど、お世辞にも信頼関係があるようには見えなかった。

『あれぇ~?このクラス机一個多くなぁい?ノートとか筆記用具とか超勿体無いんですけど。ほら、余ってるんだからみんなで貰っちゃおうよ』
 私も最初は彼女のその他大勢の取り巻きの一人だった。特に取り柄もない地味な私にイジメを止められるほどの正義感はないし、誰かを庇って一緒にいじめられる程の勇気も持ち合わせていない。
 彼女の動向に注意を払いつつも、可哀想な誰かを犠牲に歪でそれなりに楽しい学校生活を送っていた私は、後に地獄を垣間見ることになる。
 因果応報、人の世界は実によくできている。

 今私が立っている校舎裏は敷地の端っこにあって、だった。
 大きな木と用具入れの陰になり、校舎からは注意深く覗きこまない限り誰がいるのかわからない。しかも、目の前にあるのは空き教室だから、先生からの目も届かない。反対側には目隠し用の鉄製の柵と閑静な住宅街しかなく、悪意ある声は放課後の喧騒に溶けていくのだ。
 そう、丁度この場所だ。
 私は地面に寝転ぶと、顔の横にある土を優しく撫でた。ひんやりとした土の感触が心地よくて、いつまでもここにいたくなる。
 目を瞑ると天子との出会いの瞬間が今も鮮明に浮かんでくる。それは、私の人生で一番強烈な出会いの記憶。

「ねぇ地味子。あんた空気よりも地味なんだから居てもいなくても変わらないじゃん?」
「そーそー。早くお家に帰ろっかー」
「帰ってもだぁれも気づかないよっ」
 あの日も校舎裏に呼び出された私は、3人に囲まれながらよくわからない因縁をつけられていた。
「つまんな。さっきから何で黙ってんの。何とか言えよっ」
「うっ」
 最大限の抵抗で無言を貫いていると、用具入れに押し付けられて二の腕を思い切りつねられた。陰湿な彼女は不用意な暴力は行わず、言葉と同調圧力と様々な嫌がらせにより不登校になるまで追い込むのだ。
「うわっ。えっ。何これっ」
 自分の惨めさに私が涙を堪えていると頭上から突然何かが垂れてきて、麗愛の髪にべっとりと張り付いた。
「あっはっはっはっ!それはアタシの唾だよぉ」
 立ち入り禁止であるはずの屋上から身を乗り出して天子は豪快に麗愛とその取り巻きたちを笑い飛ばした。
 背にした太陽から溢れ落ちた光が天子の輪郭を際立たせ、その姿は天使と見紛うほど美しかった。
「おーい、そこのきみ。暇ならこっちおいでよ」
 その申し出に私が喜んで応じたのは言うまでもない。
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