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小話まとめ
尽くし尽くされ 2
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書斎で原稿の最終確認をしていたら、控えめなノックの音が聞こえた。「どうぞ」と佐伯が促すとアオがひょこりと顔を覗かせる。
「あの、少し休憩しませんか?もう、昼時ですし。」
そうは言うものの、なかなか書斎へ入ろうとしないアオのいじらしい様子も、佐伯には微笑ましく見えた。
「アオ、こちらへおいで。」
「そんな、ここは僕にとって神聖な場所ですから・・・・」
「この部屋は、きみにとっての特別なのかな?」
「はい。」
「だったら尚更、こちらにおいで。それに、コーヒーのいい香りがする。」
佐伯が両手を広げると、アオはやっと決心がついたらしく、恐る恐るという風に書斎へと入ってきた。それからデスクのすみに、そっと佐伯のマグカップを置く。その所作を見届けた後、書斎には仕事用の椅子しかない為、佐伯は当たり前のようにアオを自分の膝の上へと座らせた。
「最近いくつかコーヒー豆を仕入れたでしょう?ブレンドしてみたんです。よかったら、息抜きにいかがですか?」
腕の中で静かな呼吸音と共に、アオはふっと言葉を紡いだ。
「ありがとう。いただくよ。」
佐伯もまた、穏やかに応えた。
普段アオが煎れるコーヒーは、コクが深く後味にキレのあることが多いが、今回はナッツのほのかな甘味と後味の余韻が長く続いた。佐伯の小さな反応に気づいたアオが、恥ずかしそうに口を開く。
「あの、いつもはモカベースに深煎りのコロンビアをブレンドしていたんです。でも、今回はブラジルベースにして、中煎りのムンドノーボ種とブレンドしてみました。だから、いつもより甘いでしょう?」
「ああ、いつものも美味しいが、これもとても好きな味だよ。」
「よかった。執筆でお疲れでしょうから、甘味のあるものにしてみたんです。」
「アオはいつも、俺のことを想ってくれるな。」
「ええ、雅史さんの全てが、僕にとっては大切なんです。」
きみの俺への心遣いは、充分に俺の中で生きているよ。
「アオ、今度の週末に俺の家族と会ってくれないだろうか?」
だからその言葉は、ごく自然に溢れたのであった。
◇◇◇
そして、その週末はあっという間にやってきた。アオは昨晩から緊張し通しで、佐伯は思わず笑ってしまった。
「アオ、大丈夫だよ。」
しかし、深刻な面持ちで影を落とすアオを見て、佐伯もまた真剣に彼へと向き合う。
「でも僕は、両親だって分からない施設育ちのオメガなんですよ。佐伯財閥にとっての汚点になるかもしれない・・・・」
続いた言葉に、佐伯は我に帰る。アオの不安が、いつかメディアによって大々的にアオとの交際をバッシングされた高槻紫音との件に繋がっているのは、容易に想像できたからだ。だからこそ、佐伯はアオに語りかけた。
「大丈夫だ。長子の俺が小説家になる事をあっさり認めた一家だ。きみの出生にこだわるほど狭量じゃない。」
「でも・・・・」
「むしろ、体たらくだった俺を生かしてくれた素敵なきみを歓迎してくれると思うよ。きみの俺への想いが、ずっと俺を生かしてくれるんだ。アオ、きみは、俺に輝きをくれた、燦々とした存在なんだ。」
「雅史さん・・・・」
佐伯は今にも泣き出しそうなアオを抱きしめた。
「すまない。きみを家族にやっと紹介できると思って、浮かれていた。それで、きみの不安を置き去りにしてしまった。本当に、ごめん。」
アオは佐伯の肩口に顔を埋めて、ふるふると首を横に振った。
「ううん。本当は、僕も、雅史さんのご家族に紹介してもらえるだなんて、すごく嬉しかったんです。でも、紫音との事を思い出してしまって。あの時のように、僕のせいで、雅史さんや、雅史さんの大切な家族が貶められるのは、耐えられないから・・・・!」
(きみはいつも、自分よりも誰かのことを考えてくれるのだな。でも、だからこそ・・・・)
「アオ。大丈夫だ。そんな脅威、二度と起こらないから。だから、どうか、きみが心を割いてくれる俺たちと共に、きみ自身もきみを幸せにしてあげて欲しい。」
「雅史、さん・・・・」
「そして、俺は、生涯アオを幸せにする。」
佐伯は華奢な彼の身体を強く抱きしめて、「誓うよ。」と囁いた。
それは、二人の食卓で交わされた、暮らしの中の、愛のかたち。
◇◇◇
「きゃあ~!!あなたがアオくんね。雅史から話は聞いていたのよ。も~う!なんて可愛いのかしら。雅史、なんですぐに連れて来てくれなかったのよ!」
「ちょっと、母さん!アオさんが驚いているじゃないか。せっかく兄さんたちが来てくれたのに、まだ玄関にしか通せていないだなんて。アオさん、初めまして。俺は兄さんの弟で、一応佐伯家の当主をしています。佐伯海史(サエキ カイリ)です。」
「もう!なんだかんだで海史だって、ちゃっかり自己紹介してるじゃない!アオくん、私は雅史と海史の母親やってる、燐子(リンコ)です!」
「おーい!早くリビングまで来てもらいなさい!」
玄関の先にあるリビングからは、佐伯の父の声が続いたのであった。
都心から少し外れた高級住宅街に、佐伯の実家はある。二階から三階部分にまで繋がる大きな片流れ屋根が特徴的な家は、その先に広い庭も有している開放的な造りであった。そこから出てきた佐伯の母は、佐伯と同じで切れ長の目をした聡明そうな女性であった。しかし、その印象からは全く想像のつかないチャーミングな性格に、アオは目を丸くさせた。そんなアオを見て、佐伯がクスクスと笑う。
「母さんは、いつもあんな感じでね。さあ、父さんも待ちきれないみたいだから、リビングへ行こうか。」
今にも怖気つきそうな気持ちを奮い立たせ、アオは出来得る限りの過去を話した。それは、アオなりの、雅史の家族にとって誠実でありたいという想いから来ていた。そして、そんな自分でも雅史の傍に番として、生涯のパートナーとしてあり続けたい、と頭を下げたのだった。その際ずっと、佐伯はアオの手を握り続けていた。
「アオくん。よく、頑張ったな。」
佐伯の父、篤史(アツシ)からだった。アオが顔を上げると、篤史は柔らかな笑みを浮かべていた。その表情から、アオは未来の雅史を見たような気がした。そしてまた、篤史はアオへと深く頭を下げたのだった。
「どうか、私の息子を支えてやってください。そしてまた、アオくんも雅史と共にこれからの人生を歩んでいって欲しい。」
思わぬ言葉に、アオの右目から一筋の雫が落ちた。
「はい。僕は、雅史さんと共に、幸せになります。」
篤史の隣に座っている燐子は瞳を潤ませて「ああ、佐伯家にこんなにいい息子が来てくれただなんて。」と呟いた。
「息子、ですか?」
「もちろん!アオくん、今日から私は、あなたのお母さんなのよ。」
「おかあさん・・・・」
「ちなみに俺は、アオくんの弟です!」
燐子に続き、海史もはいはーいと挙手をしていた。
今まで知らなかったその温もりに、アオはくすぐったい気持ちになる。そして、自身の隣にいる愛しい番を見遣れば、彼もまた、優しく微笑んでいた。
◇◇◇
それからは、アオにとって夢のような時間であった。佐伯家の家族として迎え入れられ、豪勢な夕餉を共にし、あっという間に夜更けを迎えていた。
「今日は泊まって行ってね。」という燐子の言葉に甘えて、アオは今、雅史と共に佐伯邸を歩いている。そして、僅かに開かれた扉の先にある、グランドピアノに気がついたのだった。
「雅史さん、あれは?」
「あれか、実は昔、教育の一環でピアノを習っていてね。まあ、大人になった今は嗜む程度だがな。」
「初耳です!何か、弾いてくれませんか?」
少し酔った勢いもあり、アオは雅史の手を取りピアノの前に座らせた。
「上手くはないぞ。」
「いいんです。雅史さんのピアノが聴きたい。」
「それでは、隣に座って。」
そうして、雅史が鍵盤に手をかけた。
高い天井に嵌め込まれた天窓から、月の光が差し込み、二人を柔らかく包み込んでいた。
「あの、少し休憩しませんか?もう、昼時ですし。」
そうは言うものの、なかなか書斎へ入ろうとしないアオのいじらしい様子も、佐伯には微笑ましく見えた。
「アオ、こちらへおいで。」
「そんな、ここは僕にとって神聖な場所ですから・・・・」
「この部屋は、きみにとっての特別なのかな?」
「はい。」
「だったら尚更、こちらにおいで。それに、コーヒーのいい香りがする。」
佐伯が両手を広げると、アオはやっと決心がついたらしく、恐る恐るという風に書斎へと入ってきた。それからデスクのすみに、そっと佐伯のマグカップを置く。その所作を見届けた後、書斎には仕事用の椅子しかない為、佐伯は当たり前のようにアオを自分の膝の上へと座らせた。
「最近いくつかコーヒー豆を仕入れたでしょう?ブレンドしてみたんです。よかったら、息抜きにいかがですか?」
腕の中で静かな呼吸音と共に、アオはふっと言葉を紡いだ。
「ありがとう。いただくよ。」
佐伯もまた、穏やかに応えた。
普段アオが煎れるコーヒーは、コクが深く後味にキレのあることが多いが、今回はナッツのほのかな甘味と後味の余韻が長く続いた。佐伯の小さな反応に気づいたアオが、恥ずかしそうに口を開く。
「あの、いつもはモカベースに深煎りのコロンビアをブレンドしていたんです。でも、今回はブラジルベースにして、中煎りのムンドノーボ種とブレンドしてみました。だから、いつもより甘いでしょう?」
「ああ、いつものも美味しいが、これもとても好きな味だよ。」
「よかった。執筆でお疲れでしょうから、甘味のあるものにしてみたんです。」
「アオはいつも、俺のことを想ってくれるな。」
「ええ、雅史さんの全てが、僕にとっては大切なんです。」
きみの俺への心遣いは、充分に俺の中で生きているよ。
「アオ、今度の週末に俺の家族と会ってくれないだろうか?」
だからその言葉は、ごく自然に溢れたのであった。
◇◇◇
そして、その週末はあっという間にやってきた。アオは昨晩から緊張し通しで、佐伯は思わず笑ってしまった。
「アオ、大丈夫だよ。」
しかし、深刻な面持ちで影を落とすアオを見て、佐伯もまた真剣に彼へと向き合う。
「でも僕は、両親だって分からない施設育ちのオメガなんですよ。佐伯財閥にとっての汚点になるかもしれない・・・・」
続いた言葉に、佐伯は我に帰る。アオの不安が、いつかメディアによって大々的にアオとの交際をバッシングされた高槻紫音との件に繋がっているのは、容易に想像できたからだ。だからこそ、佐伯はアオに語りかけた。
「大丈夫だ。長子の俺が小説家になる事をあっさり認めた一家だ。きみの出生にこだわるほど狭量じゃない。」
「でも・・・・」
「むしろ、体たらくだった俺を生かしてくれた素敵なきみを歓迎してくれると思うよ。きみの俺への想いが、ずっと俺を生かしてくれるんだ。アオ、きみは、俺に輝きをくれた、燦々とした存在なんだ。」
「雅史さん・・・・」
佐伯は今にも泣き出しそうなアオを抱きしめた。
「すまない。きみを家族にやっと紹介できると思って、浮かれていた。それで、きみの不安を置き去りにしてしまった。本当に、ごめん。」
アオは佐伯の肩口に顔を埋めて、ふるふると首を横に振った。
「ううん。本当は、僕も、雅史さんのご家族に紹介してもらえるだなんて、すごく嬉しかったんです。でも、紫音との事を思い出してしまって。あの時のように、僕のせいで、雅史さんや、雅史さんの大切な家族が貶められるのは、耐えられないから・・・・!」
(きみはいつも、自分よりも誰かのことを考えてくれるのだな。でも、だからこそ・・・・)
「アオ。大丈夫だ。そんな脅威、二度と起こらないから。だから、どうか、きみが心を割いてくれる俺たちと共に、きみ自身もきみを幸せにしてあげて欲しい。」
「雅史、さん・・・・」
「そして、俺は、生涯アオを幸せにする。」
佐伯は華奢な彼の身体を強く抱きしめて、「誓うよ。」と囁いた。
それは、二人の食卓で交わされた、暮らしの中の、愛のかたち。
◇◇◇
「きゃあ~!!あなたがアオくんね。雅史から話は聞いていたのよ。も~う!なんて可愛いのかしら。雅史、なんですぐに連れて来てくれなかったのよ!」
「ちょっと、母さん!アオさんが驚いているじゃないか。せっかく兄さんたちが来てくれたのに、まだ玄関にしか通せていないだなんて。アオさん、初めまして。俺は兄さんの弟で、一応佐伯家の当主をしています。佐伯海史(サエキ カイリ)です。」
「もう!なんだかんだで海史だって、ちゃっかり自己紹介してるじゃない!アオくん、私は雅史と海史の母親やってる、燐子(リンコ)です!」
「おーい!早くリビングまで来てもらいなさい!」
玄関の先にあるリビングからは、佐伯の父の声が続いたのであった。
都心から少し外れた高級住宅街に、佐伯の実家はある。二階から三階部分にまで繋がる大きな片流れ屋根が特徴的な家は、その先に広い庭も有している開放的な造りであった。そこから出てきた佐伯の母は、佐伯と同じで切れ長の目をした聡明そうな女性であった。しかし、その印象からは全く想像のつかないチャーミングな性格に、アオは目を丸くさせた。そんなアオを見て、佐伯がクスクスと笑う。
「母さんは、いつもあんな感じでね。さあ、父さんも待ちきれないみたいだから、リビングへ行こうか。」
今にも怖気つきそうな気持ちを奮い立たせ、アオは出来得る限りの過去を話した。それは、アオなりの、雅史の家族にとって誠実でありたいという想いから来ていた。そして、そんな自分でも雅史の傍に番として、生涯のパートナーとしてあり続けたい、と頭を下げたのだった。その際ずっと、佐伯はアオの手を握り続けていた。
「アオくん。よく、頑張ったな。」
佐伯の父、篤史(アツシ)からだった。アオが顔を上げると、篤史は柔らかな笑みを浮かべていた。その表情から、アオは未来の雅史を見たような気がした。そしてまた、篤史はアオへと深く頭を下げたのだった。
「どうか、私の息子を支えてやってください。そしてまた、アオくんも雅史と共にこれからの人生を歩んでいって欲しい。」
思わぬ言葉に、アオの右目から一筋の雫が落ちた。
「はい。僕は、雅史さんと共に、幸せになります。」
篤史の隣に座っている燐子は瞳を潤ませて「ああ、佐伯家にこんなにいい息子が来てくれただなんて。」と呟いた。
「息子、ですか?」
「もちろん!アオくん、今日から私は、あなたのお母さんなのよ。」
「おかあさん・・・・」
「ちなみに俺は、アオくんの弟です!」
燐子に続き、海史もはいはーいと挙手をしていた。
今まで知らなかったその温もりに、アオはくすぐったい気持ちになる。そして、自身の隣にいる愛しい番を見遣れば、彼もまた、優しく微笑んでいた。
◇◇◇
それからは、アオにとって夢のような時間であった。佐伯家の家族として迎え入れられ、豪勢な夕餉を共にし、あっという間に夜更けを迎えていた。
「今日は泊まって行ってね。」という燐子の言葉に甘えて、アオは今、雅史と共に佐伯邸を歩いている。そして、僅かに開かれた扉の先にある、グランドピアノに気がついたのだった。
「雅史さん、あれは?」
「あれか、実は昔、教育の一環でピアノを習っていてね。まあ、大人になった今は嗜む程度だがな。」
「初耳です!何か、弾いてくれませんか?」
少し酔った勢いもあり、アオは雅史の手を取りピアノの前に座らせた。
「上手くはないぞ。」
「いいんです。雅史さんのピアノが聴きたい。」
「それでは、隣に座って。」
そうして、雅史が鍵盤に手をかけた。
高い天井に嵌め込まれた天窓から、月の光が差し込み、二人を柔らかく包み込んでいた。
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