燦々と青がいた 〜3人のオメガが幸せな運命と出会うまで〜

鳴き砂

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第四章

幼い日々 4

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「おまえがいてくれて助かったよ。」

 研修医以来初めて入る救急外科の医局は、夜が深くなっているからか嘉月と隆文の二人以外は誰もいなかった。救急外科の医局は、デスクがある奥の部屋に簡易的な休憩室もあり、そもそも医師の数が少ないオメガ科の医局とはかなり造りも異なっている。
 その休憩室にある質素なソファに座って、隆文と嘉月は苦い缶コーヒーを飲んでいた。

「別に俺は、内臓押さえてただけ。」

 嘉月はオペでの自分自身の業務をふんわりと思い浮かべた。病院に到着した頃には、隆文の指示もあって患者のバイタルは安定していた。その後は、CTを撮って出血部位を確定し、すぐに開腹手術を行った。そこまでの流れを、慣れた手つきでやりこなす隆文を見て、踏んだ場数が違いすぎることを嘉月は痛感した。オメガ科だから当たり前なのだろうけれども、それでも少しだけ嫉妬してしまった。


 隆文の姿は、オメガでさえなければ、自分もなれたはずの現在だったから。


結紮けっさつもしてくれたじゃん。」

 隆文の言葉に、逸れた嘉月の思考は我に帰る。それから、醜い嫉妬心を打ち消すように、苦手な無糖コーヒーをひと口飲んだ。

「助手なのだから当たり前だろう。・・・・それより、晶子さんの夕飯を食べたいんだけど。」

「ん、透が温め直してくれているみたいだから、すぐ戻れって母さんから連絡が来てたよ。」

 口の中は苦かった。早く晶子さんのご飯を食べて安心したい、と思ってしまう自分がいた。こんな風に隆文に嫉妬しているくせに、あの家庭の温もりを求めてしまう自分の心の矛盾には蓋をした。

◇◇◇

「あの当直医、怒ってたよね。」

 駐車場に向かいながら、嘉月は隆文に訊ねた。病院に到着した時にすれ違った、若い当直医は当然自分が助手に入れると思っていた。だからこそ、嘉月を助手に入れると言った隆文の指示を聞いた途端に、嘉月を睨みつけてきたのだった。

「いいんだ。救急選んだくせに、患者の腎不全にも気づかないでリンゲルぶち込んでいたんだから・・・・」

 隆文は気にした様子も無く、飄々と応える。

「だって彼、まだ三年目だろう?」

「おまえと俺の時は、こうはならなかった。包丁刺さってるからって、焦りすぎなんだよな。」

(外科医ってやっぱりキツイよな、性格。)

普段は透にメロメロな隆文のシビアな一面が垣間見えて、嘉月は小さく溜息を吐いた。

「おまえみたいな上級医を持った彼が気の毒だよ。・・・・それに俺は、オメガ科の医師なのに救急の助手に入ったことを気にしているわけなんだけど。」

「オメガ科は内科じゃないだろう?現におまえは、オメガ男性の出産では帝王切開をしている。それにオメガ科だけでなく形成の専門医でもある。充分だ。」

 確かに嘉月は、オメガ科・形成外科・精神科の専門医だ。その理由は単純で、オメガ科に罹る患者の多くがアルファからの酷い暴力行為の末に救急搬送をされたり、それ故に精神までをも患ってしまうことが大半だからである。だからこそ、これらの専門医になることは嘉月にとって必然的だった。

「生傷絶えない患者が多いものでね。それでも、殆どの外科の専門医資格を取ってるおまえ程じゃあない。おまえが執刀医だったら、あの新人当直医も充分助手を務められた。」

 隆文は、三十代とまだ若いのに外科医としての腕はかなり優秀だ。救急外科で想定不可能なあらゆる外傷の手術をしていくうちに、彼はいつの間にか凄まじい数の専門医となっていた。もちろん、嘉月の取った形成外科の専門医資格も早々に取得している。


「・・・・救急の専門医になるための症例を集めているんだろう?おまえは救急外科の夢を捨て来れていない。」

 そんな隆文だからこそ、気がついたのだろう。嘉月が、想定外の外傷を負ったオメガの患者を、自分一人だけで診ることができないもどかしさに。そして、かつての夢にさえ、未練があることに。

 だから隆文は、自分をオペに入れたのだ。全てを見透かして。

「・・・・それって、同情?」

 完全な八つ当たりだと思ったが、薄く笑って訊ねた。そんな嘉月の目の前で、隆文は困ったように目を伏せた。

「すまない、そういう意味ではなかったんだ。・・・・ただ俺は、おまえが心配なんだ。」

「どうして?オメガでも外科医にはなれる。」

「そうだ。それに研修医の頃から外科を周っていたおまえなら、確かになれる。その後のオペの腕を見ても明らかだ。・・・・でもな、つらかっただろう?」

「えっ?」

「研修医の時に、アルファ至上主義の部長や同僚に囲まれて、オメガを理由に散々嫌な目に遭わされて、それでも、おまえは気丈に振る舞って・・・・」

 隆文は、今にも泣きそうな表情で嘉月を見つめた。

(どうして、いつもおまえは俺の痛みを、俺以上に受け入れてしまうのだろうか?)

「隆文・・・・」

「見ていられなかった。おまえがどんどん傷ついて、ぼろぼろになって・・・・今だって!」

 駐車場の砂利が鋭く足裏に響く。嘉月は隆文の視線に耐えられなくなって、俯いた。

「隆文、ごめん。・・・・ごめんなさい。」

 実は他人の痛みに誰よりも繊細な彼を、自分はこんなにも無意識に傷つけてしまっていた。あまりにも不甲斐なくて、謝ることしかできなかった。

「いや、これは俺が耐えられなかっただけなのかもな。事実、おまえの夢のために、今日オペに入れさせたりして・・・・中途半端ですまない。俺のエゴに付き合わせた。」

 それなのに優しい初恋の相手は、嘉月を第一に優先するような言葉を紡ぐ。嘉月は、歩き出したその広い背中を、追いかけることしかできなかった。

◇◇◇

「聞いてはいたが、学校に行きたいとはな。」

 冷ややかな眼差しで父が自分を一瞥した。

「褒美をくれると聞きました。」

「いいだろう。仮にもボヌスルーナ社の長男がまともに勉学もできないと知られては恥晒しだからな。」

何故だか、父からの「長男」という言葉に目頭が熱くなる気がした。息子だと認知されているような充足感が自身の心を満たしていく。

「ありがとうございます。」

「ただし、初めは家庭教師からだ。必要最低限の教養を身に付けてから外へ出なさい。・・・・それから実験は今まで通り続ける。」

しかし、その後に続いた父の言葉に、再び崖から突き落とされた心地がした。やはり目の前の男には、自分は実験体としての価値しか見出せないのか、と。

「・・・・分かりました。」

「おまえは、学校になんて行って何がしたいのか?」

「外科医になりたいです。」とは言えなかった。そんなことを言ったものなら、約束は即破断になりそうだったからだ。けれども、自身を救う唯一の方法は、医者になって直接誰かを助けることだと、この時の嘉月は考え始めていた。ただの実験体として人生を終わらせたくなかった、意地だと言われたらそれまでだが。

「・・・・見聞を広げるのも良いかと思いまして。」

「見聞ね。おまえに必要があるとは思えないが。・・・・先日の実験結果は見事に成功した。だから、約束通り褒美を与えよう。」

 嘉月は父へと深く一礼をした。それから、目も合わせないまま、逃げるように父の執務室を後にした。

 期待は、しないこと。

 常に諦めていれば、無駄に傷つくことは無い。

 それでも・・・・

「外科医ってカッコいいだろうなあ。」

 夢は諦めきれない程に、大きくなっていた。

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