22 / 82
第二章
寒凪は薄藍色
しおりを挟む
アオは東京の国立大学へ、紫音は音楽大学への進学が決まった。
放課後、しばらく受験でそれぞれが慌ただしくしていた二人は、久々に図書室で目的もなく話し込んだ。
「紫音もキャンパスは東京だよね?」
アオはいつもの席で、誰かが書いた小説の背表紙を意味もないまま撫でていた。
「ああ。」
「よかった!それにしても凄いね、最難関の音大でしょ?」
(アオは相変わらず自分のことよりも俺のことだ。)
「おまえも、国内トップの国立大学だろう?」
「そうだけどさ~。やっぱり紫音のピアノはちゃんと誰かに評価してもらって、認めてもらえてる。勉強とはまた物差しが違うでしょ?誰かの感性に働きかける事ができる人は凄いと思うよ。」
「そうかな。それよりおまえ、何で経済学部にしたんだ?」
アオは見かけによらず数学や物理が得意であったから、紫音は意外に思っていた。
「うーん、ほんとに些細な事だよ。」
アオは硬い表紙に箔押しされた金色の文字を、白い指先でなぞっていく。
「それが、知りたい。」
「この小説家が、僕の行く大学の経済学部を出てたんだ。ほんとにそれだけ。全然現実考えてないかもだけど。」
アオはトントンと持っていた小説を指で叩いた。
紫音は柄にもなくぽかんとしてしまった。毎日必死に勉強していたアオの進路選択が大胆だったからである。
「本当にそれだけなの?」
思わず聞き返してしまう。
「うん、それだけだよ。施設が面倒見てくれるのは高校生までだから、大半のオメガは一人で生活するために就職することを選ぶんだけどさ。僕はバイト代と奨学金でやり繰りする代わりに、好きなように進学先を選んでみたいなって思ったんだ。でも僕は、これまで何となく生きることに必死になっていたから、あんまりやりたい事とか分からなかったんだよね。」
アオは照れたように笑った。
「それで好きな小説家と同じ大学に行くことにしたのか?」
「うん。彼が大学でどんなことを学んで、どんな世界を知っていったのかを見たくなったんだ。」
「ほんと、お気楽だよね。」とアオは小さな声で付け足した。
「いいんじゃない?そのくらい楽な気持ちでいた方が長生きできるよ。」
底が見えない静かな空を眺めながら紫音は言った。事実、オメガは短命であることが多いから、アオには少しでも長く生きてもらいたかったのだ。そうして長生きしているアオが自分の傍に変わらずいる未来を、紫音は当たり前のように思い描いていた。
「僕も、もっともっと世界へ駆け出していく紫音の姿が見たいなぁ。」
アオが花を咲かせながら笑った。
「どうだかな、俺は物心つく前からピアノと一緒にいたからさ。両親の期待通りに生きていると思うよ。でも、それだけだ、と感じることがある。ただ、ピアノが人より得意だっただけ。ピアノが無くなれば、俺自身も必然的に失われていくような、そんな感じ。」
「紫音・・・・」
「まあ、そんな風に悩めるくらいには自由だってことだよ。おまえをそんな顔にさせるつもりはなかった。変なこと言ってごめんな。俺は、おまえが傍に居てくれればいいんだ。」
誰もいないことを良いことに、紫音はアオの唇にキスを落とした。
◇◇◇
「ん・・・・」
「なあ、ここで抱いてもいいか?」
囁くように言えば、アオは顔を真っ赤にさせてぶんぶんと首を横に振った。
「なっ・・・・!何言ってるの?!ここ、学校だよ?!」
「いいじゃん。高校生活最後の思い出。」
紫音はニヤリと笑う。もちろん、アオの腰をがっしりと抱き寄せて。
くしゅん、と可愛らしいくしゃみがひとつ。
「さ、寒い・・・・」
アオは肌けたワイシャツを整えるが、ボタンを掛け違えていた。紫音はそれを一つずつ直していってやった。
「あんなにあっためてあげたのに。」
「紫音、オヤジくさい。」
アオがころころと笑った。
二人は背の高い本棚が立ち並ぶ、一番奥の光も届かないような場所でひっそりと抱き合った。
「眠くなっちゃった。」
アオは背を預けて紫音の足の間に座っていた。紫音はアオのブレザーをアオの膝に、自分のブレザーをアオの肩にかけた。そして、後ろからしっかりとアオを抱きしめた。
「少し眠れば?」
紫音はアオの肩に顎をのせて訊ねた。
「そうしようかな。紫音は平気?寒くない?」
「俺は大丈夫。おまえ、あったかいしな。」
「ん、そっかぁ。」
アオは本当に眠ってしまいそうだった。
「ふっ、おまえ、ほんとに眠いんだな。」
「だって、紫音もあったかいし。それに、いい匂いする。」
アオが目を閉じて呟いた。
「・・・・どんな匂い?」
「山吹の 花色衣 主や誰 問へど答へず くちなしにして」
「なんだ、それ?」
「紫音は、梔子の香りがする。・・・・梔子って、花を咲かすのに、すっごく時間がかかるんだ。でも、とっても、きれい・・・・」
アオはその後も何かを言っていたような気がするが、眠気には勝てなかったようでスウスウ寝息をたてて眠ってしまった。
◇◇◇
紫音には梔子がどんな花なのか分からなかった。名前は聞いたことがあるが、花の色も形も思い浮かばなかった。
「おまえは金木犀の香りがするよ。・・・・でも、おまえは蒲公英みたいだよな。花を咲かせたら何処かへ行ってしまいそうだけど。」
寝てしまったアオを抱き上げ、図書室を出る。
ふと廊下の窓から空を見た。
それは、今は瞼の奥に隠れているアオの瞳の色によく似ていた。
放課後、しばらく受験でそれぞれが慌ただしくしていた二人は、久々に図書室で目的もなく話し込んだ。
「紫音もキャンパスは東京だよね?」
アオはいつもの席で、誰かが書いた小説の背表紙を意味もないまま撫でていた。
「ああ。」
「よかった!それにしても凄いね、最難関の音大でしょ?」
(アオは相変わらず自分のことよりも俺のことだ。)
「おまえも、国内トップの国立大学だろう?」
「そうだけどさ~。やっぱり紫音のピアノはちゃんと誰かに評価してもらって、認めてもらえてる。勉強とはまた物差しが違うでしょ?誰かの感性に働きかける事ができる人は凄いと思うよ。」
「そうかな。それよりおまえ、何で経済学部にしたんだ?」
アオは見かけによらず数学や物理が得意であったから、紫音は意外に思っていた。
「うーん、ほんとに些細な事だよ。」
アオは硬い表紙に箔押しされた金色の文字を、白い指先でなぞっていく。
「それが、知りたい。」
「この小説家が、僕の行く大学の経済学部を出てたんだ。ほんとにそれだけ。全然現実考えてないかもだけど。」
アオはトントンと持っていた小説を指で叩いた。
紫音は柄にもなくぽかんとしてしまった。毎日必死に勉強していたアオの進路選択が大胆だったからである。
「本当にそれだけなの?」
思わず聞き返してしまう。
「うん、それだけだよ。施設が面倒見てくれるのは高校生までだから、大半のオメガは一人で生活するために就職することを選ぶんだけどさ。僕はバイト代と奨学金でやり繰りする代わりに、好きなように進学先を選んでみたいなって思ったんだ。でも僕は、これまで何となく生きることに必死になっていたから、あんまりやりたい事とか分からなかったんだよね。」
アオは照れたように笑った。
「それで好きな小説家と同じ大学に行くことにしたのか?」
「うん。彼が大学でどんなことを学んで、どんな世界を知っていったのかを見たくなったんだ。」
「ほんと、お気楽だよね。」とアオは小さな声で付け足した。
「いいんじゃない?そのくらい楽な気持ちでいた方が長生きできるよ。」
底が見えない静かな空を眺めながら紫音は言った。事実、オメガは短命であることが多いから、アオには少しでも長く生きてもらいたかったのだ。そうして長生きしているアオが自分の傍に変わらずいる未来を、紫音は当たり前のように思い描いていた。
「僕も、もっともっと世界へ駆け出していく紫音の姿が見たいなぁ。」
アオが花を咲かせながら笑った。
「どうだかな、俺は物心つく前からピアノと一緒にいたからさ。両親の期待通りに生きていると思うよ。でも、それだけだ、と感じることがある。ただ、ピアノが人より得意だっただけ。ピアノが無くなれば、俺自身も必然的に失われていくような、そんな感じ。」
「紫音・・・・」
「まあ、そんな風に悩めるくらいには自由だってことだよ。おまえをそんな顔にさせるつもりはなかった。変なこと言ってごめんな。俺は、おまえが傍に居てくれればいいんだ。」
誰もいないことを良いことに、紫音はアオの唇にキスを落とした。
◇◇◇
「ん・・・・」
「なあ、ここで抱いてもいいか?」
囁くように言えば、アオは顔を真っ赤にさせてぶんぶんと首を横に振った。
「なっ・・・・!何言ってるの?!ここ、学校だよ?!」
「いいじゃん。高校生活最後の思い出。」
紫音はニヤリと笑う。もちろん、アオの腰をがっしりと抱き寄せて。
くしゅん、と可愛らしいくしゃみがひとつ。
「さ、寒い・・・・」
アオは肌けたワイシャツを整えるが、ボタンを掛け違えていた。紫音はそれを一つずつ直していってやった。
「あんなにあっためてあげたのに。」
「紫音、オヤジくさい。」
アオがころころと笑った。
二人は背の高い本棚が立ち並ぶ、一番奥の光も届かないような場所でひっそりと抱き合った。
「眠くなっちゃった。」
アオは背を預けて紫音の足の間に座っていた。紫音はアオのブレザーをアオの膝に、自分のブレザーをアオの肩にかけた。そして、後ろからしっかりとアオを抱きしめた。
「少し眠れば?」
紫音はアオの肩に顎をのせて訊ねた。
「そうしようかな。紫音は平気?寒くない?」
「俺は大丈夫。おまえ、あったかいしな。」
「ん、そっかぁ。」
アオは本当に眠ってしまいそうだった。
「ふっ、おまえ、ほんとに眠いんだな。」
「だって、紫音もあったかいし。それに、いい匂いする。」
アオが目を閉じて呟いた。
「・・・・どんな匂い?」
「山吹の 花色衣 主や誰 問へど答へず くちなしにして」
「なんだ、それ?」
「紫音は、梔子の香りがする。・・・・梔子って、花を咲かすのに、すっごく時間がかかるんだ。でも、とっても、きれい・・・・」
アオはその後も何かを言っていたような気がするが、眠気には勝てなかったようでスウスウ寝息をたてて眠ってしまった。
◇◇◇
紫音には梔子がどんな花なのか分からなかった。名前は聞いたことがあるが、花の色も形も思い浮かばなかった。
「おまえは金木犀の香りがするよ。・・・・でも、おまえは蒲公英みたいだよな。花を咲かせたら何処かへ行ってしまいそうだけど。」
寝てしまったアオを抱き上げ、図書室を出る。
ふと廊下の窓から空を見た。
それは、今は瞼の奥に隠れているアオの瞳の色によく似ていた。
0
お気に入りに追加
127
あなたにおすすめの小説
【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜
ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。
そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。
幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。
もう二度と同じ轍は踏まない。
そう決心したアリスの戦いが始まる。
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭
1/27 1000❤️ありがとうございます😭
3/6 2000❤️ありがとうございます😭
トップアイドルα様は平凡βを運命にする
新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。
ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。
翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。
運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。
さよならの向こう側
よんど
BL
''Ωのまま死ぬくらいなら自由に生きようと思った''
僕の人生が変わったのは高校生の時。
たまたまαと密室で二人きりになり、自分の予期せぬ発情に当てられた相手がうなじを噛んだのが事の始まりだった。相手はクラスメイトで特に話した事もない顔の整った寡黙な青年だった。
時は流れて大学生になったが、僕達は相も変わらず一緒にいた。番になった際に特に解消する理由がなかった為放置していたが、ある日自身が病に掛かってしまい事は一変する。
死のカウントダウンを知らされ、どうせ死ぬならΩである事に縛られず自由に生きたいと思うようになり、ようやくこのタイミングで番の解消を提案するが...
運命で結ばれた訳じゃない二人が、不器用ながらに関係を重ねて少しずつ寄り添っていく溺愛ラブストーリー。
(※) 過激表現のある章に付けています。
*** 攻め視点
※当作品がフィクションである事を理解して頂いた上で何でもOKな方のみ拝読お願いします。
※2026年春庭にて本編の書き下ろし番外編を無配で配る予定です。BOOTHで販売(予定)の際にも付けます。
扉絵
YOHJI@yohji_fanart様

初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

白い部屋で愛を囁いて
氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。
シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。
※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

捨てられオメガの幸せは
ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。
幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる