燦々と青がいた 〜3人のオメガが幸せな運命と出会うまで〜

鳴き砂

文字の大きさ
上 下
8 / 82
第二章

二人の生活の色 2

しおりを挟む
 夏も終わる頃、今日は佐伯の担当編集者の青木が訪れていた。アオは青木とはこれまでにも何度か会っている。それもそのはず、佐伯は既に新作の連載を抱えていて、締め切り地獄の真っ只中であるからだ。

 アオにとって佐伯は、いつも大人な余裕がありすぐに不安になってしまう自分を優しく抱きとめてくれるような男だった。そんな男が、青木を見ると少し戯けて彼に怒られる姿を目撃した時は、アオはやや拍子抜けしたとともに安心した。

(佐伯さんも人間だよな、やっぱり。)


「いや~、アオくんが居てくれて本当に助かってますよ。」

 リビングで青木に冷たい麦茶を出すと、彼はそれをゴクゴクと飲み干して言った。

「え・・・・どうしてですか?」

アオが疑問に思って訊ねると、青木はそのくるくるとした目で、器用にウィンクをして見せた。

「佐伯先生の顔色がとてもいい。それに、以前にまして表情が増えたというか、人間味が増したというか」

「佐伯さんは、青木さんが来るから、いつもお茶目になって、その人間味が増しているように僕には思えますが・・・・」

 アオが言うと、青木はぶんぶんと首を横に振った。

「そんな事はないですよ。あの人、皮肉っぽく俺を揶揄うことは確かにあったけど、あんな、穏やかな顔をするようになったのは、アオくんが来てくれてからです。」

「そ、そうですかね・・・・」

「それに」

「それに?」

「締め切りを厳守してくれるようになった!いや~はじめは霰でも降ってくるのかと思いましたよ~」

「ほぉ、随分と楽しそうだな。」

 突然、背後から聞こえてきた佐伯の声に、青木がびくっと身体を跳ねさせた。アオは途中から、佐伯がリビングへと入ってくる姿を横目に確認していたので、青木が「霰でも降ってくる」と言い出した時には冷や冷やとしていた。

「せ、先生。いつからそこに?」

「おまえが俺が毎度毎度締め切りを守らないので腹切りでもしようかと思っていた、と言っていた所からかな?」

「そんな事、俺は一言も言っていませんからね!」

「待たせたな。原稿だ。」

 佐伯が青木に原稿用紙の束を渡す。

「いーえー。アオくんが来るまでは、待てども待てども原稿が来る事はなかったので、今は腹切りしなかった自分を褒め称えてやりたいくらいですよ。」

青木の思わぬ切り返しに、佐伯が苦笑する姿を見て、アオもふふっと笑ってしまった。

「じゃあ、確認次第、また連絡いたしますので。」

 佐伯から受け取った原稿を丁寧に封筒の中にしまうと、青木は慌ただしく去っていった。

◇◇◇

「青木さん、忙しそうでしたね。」

 アオはリビングで佐伯とアイスコーヒーを飲んでいる。いつも二人で食卓を囲むテーブルで、さっきまで青木が麦茶を飲んでいた。今はいつも通り、佐伯と二人きり。

「あいつは、青木は優秀だからな。俺以外にも売れっ子の作家を何人も抱えている。あいつに見限られたら、作家人生も終わりって考えてもいいかもな。」

 佐伯が冗談を交えて微笑み、それから少し顔をしかめて続けた。

「アオ、きみ、ずっとリビングにいる必要はないんだぞ。自室で好きなことをしていて構わないんだ。」

 確かに、佐伯が言うようにアオは寝る時以外はずっとリビングとアイランドキッチンを行き来している。掃除だって毎日していれば、取り立てて時間が掛かることもない。佐伯は自身が書斎に籠もって仕事をしている間の、アオの生活を気にかけているようだった。リビングに置いてあるテレビを見ている気配もない。

「いえ、僕はここで先生が、あ、佐伯さんが、ふらりと息抜きに来てくれることが楽しみなんです。何よりも。」

 アオは佐伯のことを、もう「先生」と呼ばない。アオがかつて「ご主人様」と呼んでいた男たちも「先生」と呼ばれる者たちであった。佐伯は何となくそのことに嫌悪感を抱いていた。だからこそ、これからは一緒に住む者なのだから二人とも対等であるべきだ、と半ばアオを丸め込み名前で呼ぶように伝えた。アオは最初こそ動揺していたようだったが、なんとか苗字呼びにまで落ち着いてくれた。

(いつかは雅史と呼んで欲しいものだな・・・・)

 脳裏に浮かんだ邪心を追い払うように、佐伯はふっと息を吐いた。

「そうか、アオがそう思ってくれているのなら良いんだが。夕方、少し涼しくなったら散歩にでも行くか。それから昼食と夕飯は一緒に作ろう。」

「いいんですか?そのお仕事とか、僕にお気遣いなさっているのなら・・・・」

「いいや、俺がアオと一緒にいたいんだよ。しばらく書斎に篭りっきりだったし、青木に原稿も無事に渡せたしな。今日は、もう仕事はやらんよ。」

「そ、そうですか。僕も、佐伯さんと一緒にいられて嬉しい・・・・」

 アオの真っ白な肌が薄く色づき、俯いたことで薄藍の瞳が長い睫毛に隠れる様を見て、佐伯は無性にアオを抱きしめたくなった。


 遠くの方でジワジワと蝉の鳴く声が聞こえる。

「どう頑張ってもちっぽけな時間しか生きられないのだから。今日はなるべく丁寧に生きようと思った。ホットチョコレートを飲むこと。歌を歌うこと。いっぱい泣くこと。哀しんでいるきみごと愛すること。」

 佐伯の口から思わず出た言葉は、かつて佐伯自身が書いた小説の一編であった。あの時は、ただ無気力に筆が動くままに書いていただけであった。けれども、今は違う。今なら、自分が生み出した主人公の想いが分かる。

(俺は、アオを愛している。)

「リンドウ、リンドウ、リンドウ、痛いくらいの瑠璃紺色。あなたとともに明日を見てみたい。」

アオが佐伯の目を真っ直ぐ見て続けた。

「・・・・アオ、きみはやはり佐伯雅史の熱烈なファンだな。」

 やや気恥ずかしい雰囲気になってしまったので、佐伯はそれを打ち消すように戯けてみせた。けれども、アオは真剣な眼差しで佐伯を見つめていた。

「佐伯さんの小説は、いつも写実的な描写が多いのに、この一節だけは詩的だったから、だから覚えています。」

「・・・・そうか」

 アオが佐伯の手をとった。それは雪のような肌と同じように冷たかった。

「佐伯さん。佐伯さんの今の言葉は、僕にくれたもの?」

佐伯はアオの手を温めるように強く握り返した。

「そうだ。アオ、きみに受け取ってもらいたい言葉だ。きみを、愛してる。」

 手の甲に水滴の落ちる感触がしたと思ったら、アオが静かに涙を流していた。

「佐伯さん、僕も、僕もあなたといると心が暖かくなります。僕も、許されることならば、あなたと一緒にいたい・・・・」


 遠くの方でジワジワと蝉の鳴く声が聞こえる。
ただ一匹、孤独に生き遅れた蝉が、鳴いている。

◇◇◇

「・・・・土砂降りだな」

 昼間の天気と打って変わって、外は激しい夕立ちである。佐伯は手早くスマートフォンで天気を確認した。どうやら雨は明日の昼ごろまで続くらしい。

「雨足は今よりかは弱まるだろうが、止みはしないらしい。・・・・買い出しに行くか?」

「そうですね。もう少し弱くなったら行きたいです。」

カーテン越しから空を見上げ、ぼんやりとアオが言った。

 昼間の一件から、目に見えてアオの元気がない。佐伯の心は、今の空模様のように曇っていった。

「アオ、何か不安なことでもあるのか?」

佐伯はアオのことを、背後から腕の中に留めるように優しく抱きしめた。

「・・・・いいえ、何も。多分、佐伯さんに愛してもらってるって実感したら、なんだかふわふわしてしまって。」

アオは佐伯の腕の中で、向き合うように身体を動かし、控えめに佐伯の背中に腕をまわした。

「そうか、何もなければいいんだが・・・・」

(自分も愛しているとは言ってくれなかった・・・・)

 佐伯は腕の中のアオをぎゅっと抱きしめ、そんなことを考えていた。


 数日分の買い出しを終え、荷物を佐伯の車に乗せている時だった。

ドサッ

 重たくなったビニール袋が落ちる音がした。
佐伯が音のした方を見やると、アオが茫然としたまま立ち尽くしていた。

「アオ、大丈夫か?」

佐伯が駆け寄っても、アオはその呼びかけには応えず、ぼんやりと何処かを見つめていた。

 佐伯もアオの向ける視線の方へ目を向けると、そこには20代半ばくらいの男女が歩いていた。よく見れば、女性の方はまだ小さな赤ん坊を抱えている。親子だろうか。その女性の旦那であろう男は、左手に買い物袋を下げ、右手には大きな濃紺の傘を妻と妻が抱える子どもが濡れないように傾けていた。

(あの男、どこかで・・・・)

 佐伯が自身の記憶を手繰り寄せようとした時だった。

「幸せそう・・・・よかった、紫音・・・・」

蚊の鳴くような声でアオが呟いた。

 そして、下腹部を抑えるように崩れ落ちた。

「・・・・っ!!アオ!!!!!!」

「いたい・・・・いたい・・・・ごめんなさい、ごめんなさいっ・・・・ミドリ、ごめんね・・・・痛いよぉ・・・・助けて・・・・」


 ぷつりと糸が切れた人形のようにアオは意識を失った。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結・ルート分岐あり】オメガ皇后の死に戻り〜二度と思い通りにはなりません〜

ivy
BL
魔術師の家門に生まれながら能力の発現が遅く家族から虐げられて暮らしていたオメガのアリス。 そんな彼を国王陛下であるルドルフが妻にと望み生活は一変する。 幸せになれると思っていたのに生まれた子供共々ルドルフに殺されたアリスは目が覚めると子供の頃に戻っていた。 もう二度と同じ轍は踏まない。 そう決心したアリスの戦いが始まる。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭 3/6 2000❤️ありがとうございます😭

トップアイドルα様は平凡βを運命にする

新羽梅衣
BL
ありきたりなベータらしい人生を送ってきた平凡な大学生・春崎陽は深夜のコンビニでアルバイトをしている。 ある夜、コンビニに訪れた男と目が合った瞬間、まるで炭酸が弾けるような胸の高鳴りを感じてしまう。どこかで見たことのある彼はトップアイドル・sui(深山翠)だった。 翠と陽の距離は急接近するが、ふたりはアルファとベータ。翠が運命の番に憧れて相手を探すために芸能界に入ったと知った陽は、どう足掻いても番にはなれない関係に思い悩む。そんなとき、翠のマネージャーに声をかけられた陽はある決心をする。 運命の番を探すトップアイドルα×自分に自信がない平凡βの切ない恋のお話。

さよならの向こう側

よんど
BL
''Ωのまま死ぬくらいなら自由に生きようと思った'' 僕の人生が変わったのは高校生の時。 たまたまαと密室で二人きりになり、自分の予期せぬ発情に当てられた相手がうなじを噛んだのが事の始まりだった。相手はクラスメイトで特に話した事もない顔の整った寡黙な青年だった。 時は流れて大学生になったが、僕達は相も変わらず一緒にいた。番になった際に特に解消する理由がなかった為放置していたが、ある日自身が病に掛かってしまい事は一変する。 死のカウントダウンを知らされ、どうせ死ぬならΩである事に縛られず自由に生きたいと思うようになり、ようやくこのタイミングで番の解消を提案するが... 運命で結ばれた訳じゃない二人が、不器用ながらに関係を重ねて少しずつ寄り添っていく溺愛ラブストーリー。 (※) 過激表現のある章に付けています。 *** 攻め視点 ※当作品がフィクションである事を理解して頂いた上で何でもOKな方のみ拝読お願いします。 ※2026年春庭にて本編の書き下ろし番外編を無配で配る予定です。BOOTHで販売(予定)の際にも付けます。 扉絵  YOHJI@yohji_fanart様

初心者オメガは執着アルファの腕のなか

深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。 オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。 オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。 穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。

白い部屋で愛を囁いて

氷魚彰人
BL
幼馴染でありお腹の子の父親であるαの雪路に「赤ちゃんができた」と告げるが、不機嫌に「誰の子だ」と問われ、ショックのあまりもう一人の幼馴染の名前を出し嘘を吐いた葵だったが……。 シリアスな内容です。Hはないのでお求めの方、すみません。 ※某BL小説投稿サイトのオメガバースコンテストにて入賞した作品です。

捨てられオメガの幸せは

ホロロン
BL
家族に愛されていると思っていたが実はそうではない事実を知ってもなお家族と仲良くしたいがためにずっと好きだった人と喧嘩別れしてしまった。 幸せになれると思ったのに…番になる前に捨てられて行き場をなくした時に会ったのは、あの大好きな彼だった。

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

処理中です...