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第一章
巡り合わせは青の色
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(きれいだ・・・・)
初めてアオを見たとき、佐伯の言葉は彼の小説にはほとんど出てこない月並みなものであった。言葉以上に感情が凌駕し、彼の死にすぎた心が凄い速さでその生命を取り戻そうと動き出したのだった。
◇◇◇
その日、佐伯は業界デビューしてから10周年を記念するパーティーに出席していた。もちろん、彼自身を祝うために設けられた場なので、出ないわけにはいかない。同時に、このパーティーは彼の新作である長編小説が世に出る日でもあった。
「先生、今日はなるべく人当たりの良い佐伯雅史(サエキ マサシ)を演じてくださいね。」
会場に向かう車内で忠告してきたのは、担当編集者の青木であった。小柄で童顔な彼は、それを助長させるパッチリとした大きな目で佐伯を見つめた。この名だたる著名人が参加するパーティーのためだけに用意したスリーピースを持て余しながら、青木は何よりも佐伯の態度を気にしているようだった。目の前で落ち着かない彼は、佐伯よりいくつか年下である。しかし、デビュー作以外の佐伯の作品を全て担当し、彼が文壇で一つの安定した地位を築くための根回しを、見事にやり遂げた敏腕だ。
「俺が一度として他所様に無礼を働いたことがあったかな・・・・?」
佐伯はゆるりと応えた。
「・・・・はぁ、そういう所が気になるんですよ。先生、あなたは無礼というか、他人にちっとも関心がないような素っ気なさが充分お顔に出ていることを自覚するべきですよ。世間は、やれ文壇の救世主、やれ小説界の革命家、終いにはイケメンアルファ枠で世の女性たちを虜にしていると持て囃しますが、本来の先生はこれっぽっちもその魅力を生かされないのだから・・・・
今日は今までにないくらい盛大な場なのですから、愛想くらいは良くしていただきたいものです。」
青木は随分と遠慮なく、げんなりとした顔で言った。
「そうか、俺はきみに随分と苦労をかけたようだな。別に世間様のイメージが壊れようと俺には関係のない話だが。しかし、ここまで佐伯雅史を導いていただいた御社ときみに被害を被らせるわけにはいかんしな。まあ、うまくやってみせるさ。」
そうしてニッコリと微笑むと、青木はみるみる赤面し小さくなってしまった。
「この性悪が・・・・」と俯いて小声で呟いた頼もしい編集者の言葉を、佐伯は聞かなかったことにした。
◇◇◇
記念パーティーは、始終平和に遂行されようとしていた。出席者の中には、文豪のみならず、著名な俳優や財閥関係者らが数多く存在した。
(通りで黒服が多いわけだな。)
随分と場違いな感想を抱きながらも、佐伯は周囲をはっとさせるような美しい微笑を浮かべながら、自身の10周年を祝うこの会と人々に感謝を述べた。それから、少し戯けたように新作の宣伝もバッチリ挟み、会場に笑いの花を溢れ返させる。
(どうだ、青木。少しはおまえの言う佐伯雅史像に近づけただろう。)
そんな念を、会場の隅に控えている編集者に視線で送ったら、キッと睨まれた。
つつがなくスピーチを終え、立食と談笑の場に会場が変化しても、佐伯の周りには多くの取り巻きが集まる。青木に少し時間稼ぎをしてもらい、佐伯は人気のないバルコニーへと逃げ出した。
夜風にあたりながら、ため息を吐く。
もたれかかった壁は大理石でできていて、人々の群れに晒された彼の身体をしっとりと冷やしてくれる。
(いつの世も、飽きずに連れ回すものだな・・・・)
ぼんやりとバルコニーから見える著名人たちを、佐伯は眺めていた。彼らのほとんどはアルファであり、その側にオメガの付き人を控えさせている。彼らにとって、このような社交の場は自身が手にしているオメガを見せびらかし自慢する絶好の機会であるからだ。 バース性の中でも、極めて数の少ないオメガは、その特性から容姿が整った者が多い。一般人なら出会うことすら困難なオメガを侍らせ、ましてやそのオメガの美貌が際立つほど、それを保有するアルファの権威は高くなっていく。
(とんだ傲慢だな。いつからオメガがアルファの元でしか輝けないとでも勘違いしたんだ。愚かで吐き気がする。)
そして、自分自身もそのアルファであることに、内心舌打ちを零した。
◇◇◇
「随分と浮かない顔をしているな?おまえ、今日の主役だって自覚が足りなくないか?」
知った声がするので振り返れば、そこには高校時代の同級生であり佐伯の数少ない親友がいた。
「一色、おまえも参加していたのか。」
佐伯はさっきまでの考えを頭の中から追い出し、別段変わらない風を装った。
「おまえの編集者さん、青木さんだっけか?おまえがなかなか帰ってこないから困ってたよ。それから、主役が参加者名簿すら目を通してないの、どうかと思うぞ。」
苦笑しながらも、一色隆文(イッシキ タカフミ)は佐伯の無礼を全く気にしていないようだった。
「まあ、おまえがこういう場を嫌うのは分かるよ。また、オメガを侍らすアルファの傲慢さが気に食わないんだろう。そこに関しては俺も同感だけどな。」
「おまえの連れはいないんだな。」
「俺の大切な運命の番だ。生憎、その番を見せびらかす、下世話な趣味は持ち合わせていないのでね。」
一色は満ち足りたような表情で微笑んだ。
一色は一色財閥の当主であり、腕のいい外科医でもある。彼はその座に相応しいアルファの才覚を、出会った高校時代から発揮させていた。そんな一色が生涯を共にするパートナー、それも運命の番に出会ったと聞かされた時は、佐伯も素直に喜ばしいことだと思った。
彼もまた、アルファが不条理にその権威をオメガに振りかざすことが容認されている社会に対して辟易していた。だからこそ、親友にまでなれたのだと佐伯自身は感じている。
「だがな、おまえはもう少し職務を全うしろ。青木さんが不憫だ。愚痴なら今度うちに来い、聞いてやるから。透もおまえに会いたがってるよ。」
「そうか、透くんとは、おまえが彼と番契約したことを報告しに来てくれた以来、会っていないからな。近々お邪魔するよ。」
「そうだ、そうだ。たまには来てくれよ。それで、今は青木さんを救出してこい。」
一色はニヤリと笑った。
そもそも、佐伯が逃げ出すことも、人気の少ないバルコニーにいることも確信して探しに来たのだろう。
そして、いつも尻叩きをしてくれる。
「ああ、わかった。隆文、また後でな。」
うっすらと笑い合い、佐伯がバルコニーから会場へと戻ろうとした時であった。
「これはこれは、佐伯雅史様ではありませんか。こんな所で主役にお会いできるとは。」
一色とは異なる、声が聞こえた。それよりも、佐伯は聞き馴染みのない声に釣られて漂う、季節外れの金木犀の香りが気になった。
香りの元を辿る為に声がした方を見やると、派手な金髪に緩いウェーブをかけ、白いタキシードにストライプが入った水色の蝶ネクタイをした男が、ニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「ご友人とご歓談中、申し訳ありません。わたくし、龍野敏哉(タツノ トシヤ)と申します。この度は、わたくしのような三流作家までご招待いただき光栄です。」
わざとらしく仰々しい挨拶をする男を佐伯は知っていた。三流作家などと嫌味を言っていたが、彼も文壇ではかなりの名声を得ている。年齢も些か上だ。おそらく、その知名度から、今回の出席者名簿までもを作成していた青木が、招待していたのだろう。
「何をおっしゃりますか。私のような若輩者に龍野先生がお声がけくださるとは。一体、どのような御用向きで?」
佐伯はスピーチの時のような、外向け用の笑顔を貼り付けた。
すると龍野は、相変わらず嫌な笑みを浮かべながら、こっそりと耳打ちしてきた。
「実はね、紹介したい人間がおりまして。オメガなんですけれどもね。少々事情がありまして、ご内密にいたしたく。」
それから、佐伯の背後にいた一色に一瞥を送る。
「わかりました。・・・・一色、悪いが少し失礼するよ。青木には大変申し訳ないと伝えてもらえると助かる。」
一色はわずかに、龍野に険しい面持ちを覗かせたが、「わかったよ。でも遅くなるなよ。」と言って立ち去った。
「それで、その私に会わせたい方とは、どちらに?・・・・と言っても隠しきれていないようですが。あちらの柱の影にいるのでは?」
佐伯にはいくら文壇の先輩からであっても、全く持って関わりたくない話であった。しかし、龍野がバルコニーへと入って来た時から感じる、あの金木犀の甘い香りに、妙に胸騒ぎが収まらず、そのオメガに会ってみたいと強く感じてしまったのだった。
初めてアオを見たとき、佐伯の言葉は彼の小説にはほとんど出てこない月並みなものであった。言葉以上に感情が凌駕し、彼の死にすぎた心が凄い速さでその生命を取り戻そうと動き出したのだった。
◇◇◇
その日、佐伯は業界デビューしてから10周年を記念するパーティーに出席していた。もちろん、彼自身を祝うために設けられた場なので、出ないわけにはいかない。同時に、このパーティーは彼の新作である長編小説が世に出る日でもあった。
「先生、今日はなるべく人当たりの良い佐伯雅史(サエキ マサシ)を演じてくださいね。」
会場に向かう車内で忠告してきたのは、担当編集者の青木であった。小柄で童顔な彼は、それを助長させるパッチリとした大きな目で佐伯を見つめた。この名だたる著名人が参加するパーティーのためだけに用意したスリーピースを持て余しながら、青木は何よりも佐伯の態度を気にしているようだった。目の前で落ち着かない彼は、佐伯よりいくつか年下である。しかし、デビュー作以外の佐伯の作品を全て担当し、彼が文壇で一つの安定した地位を築くための根回しを、見事にやり遂げた敏腕だ。
「俺が一度として他所様に無礼を働いたことがあったかな・・・・?」
佐伯はゆるりと応えた。
「・・・・はぁ、そういう所が気になるんですよ。先生、あなたは無礼というか、他人にちっとも関心がないような素っ気なさが充分お顔に出ていることを自覚するべきですよ。世間は、やれ文壇の救世主、やれ小説界の革命家、終いにはイケメンアルファ枠で世の女性たちを虜にしていると持て囃しますが、本来の先生はこれっぽっちもその魅力を生かされないのだから・・・・
今日は今までにないくらい盛大な場なのですから、愛想くらいは良くしていただきたいものです。」
青木は随分と遠慮なく、げんなりとした顔で言った。
「そうか、俺はきみに随分と苦労をかけたようだな。別に世間様のイメージが壊れようと俺には関係のない話だが。しかし、ここまで佐伯雅史を導いていただいた御社ときみに被害を被らせるわけにはいかんしな。まあ、うまくやってみせるさ。」
そうしてニッコリと微笑むと、青木はみるみる赤面し小さくなってしまった。
「この性悪が・・・・」と俯いて小声で呟いた頼もしい編集者の言葉を、佐伯は聞かなかったことにした。
◇◇◇
記念パーティーは、始終平和に遂行されようとしていた。出席者の中には、文豪のみならず、著名な俳優や財閥関係者らが数多く存在した。
(通りで黒服が多いわけだな。)
随分と場違いな感想を抱きながらも、佐伯は周囲をはっとさせるような美しい微笑を浮かべながら、自身の10周年を祝うこの会と人々に感謝を述べた。それから、少し戯けたように新作の宣伝もバッチリ挟み、会場に笑いの花を溢れ返させる。
(どうだ、青木。少しはおまえの言う佐伯雅史像に近づけただろう。)
そんな念を、会場の隅に控えている編集者に視線で送ったら、キッと睨まれた。
つつがなくスピーチを終え、立食と談笑の場に会場が変化しても、佐伯の周りには多くの取り巻きが集まる。青木に少し時間稼ぎをしてもらい、佐伯は人気のないバルコニーへと逃げ出した。
夜風にあたりながら、ため息を吐く。
もたれかかった壁は大理石でできていて、人々の群れに晒された彼の身体をしっとりと冷やしてくれる。
(いつの世も、飽きずに連れ回すものだな・・・・)
ぼんやりとバルコニーから見える著名人たちを、佐伯は眺めていた。彼らのほとんどはアルファであり、その側にオメガの付き人を控えさせている。彼らにとって、このような社交の場は自身が手にしているオメガを見せびらかし自慢する絶好の機会であるからだ。 バース性の中でも、極めて数の少ないオメガは、その特性から容姿が整った者が多い。一般人なら出会うことすら困難なオメガを侍らせ、ましてやそのオメガの美貌が際立つほど、それを保有するアルファの権威は高くなっていく。
(とんだ傲慢だな。いつからオメガがアルファの元でしか輝けないとでも勘違いしたんだ。愚かで吐き気がする。)
そして、自分自身もそのアルファであることに、内心舌打ちを零した。
◇◇◇
「随分と浮かない顔をしているな?おまえ、今日の主役だって自覚が足りなくないか?」
知った声がするので振り返れば、そこには高校時代の同級生であり佐伯の数少ない親友がいた。
「一色、おまえも参加していたのか。」
佐伯はさっきまでの考えを頭の中から追い出し、別段変わらない風を装った。
「おまえの編集者さん、青木さんだっけか?おまえがなかなか帰ってこないから困ってたよ。それから、主役が参加者名簿すら目を通してないの、どうかと思うぞ。」
苦笑しながらも、一色隆文(イッシキ タカフミ)は佐伯の無礼を全く気にしていないようだった。
「まあ、おまえがこういう場を嫌うのは分かるよ。また、オメガを侍らすアルファの傲慢さが気に食わないんだろう。そこに関しては俺も同感だけどな。」
「おまえの連れはいないんだな。」
「俺の大切な運命の番だ。生憎、その番を見せびらかす、下世話な趣味は持ち合わせていないのでね。」
一色は満ち足りたような表情で微笑んだ。
一色は一色財閥の当主であり、腕のいい外科医でもある。彼はその座に相応しいアルファの才覚を、出会った高校時代から発揮させていた。そんな一色が生涯を共にするパートナー、それも運命の番に出会ったと聞かされた時は、佐伯も素直に喜ばしいことだと思った。
彼もまた、アルファが不条理にその権威をオメガに振りかざすことが容認されている社会に対して辟易していた。だからこそ、親友にまでなれたのだと佐伯自身は感じている。
「だがな、おまえはもう少し職務を全うしろ。青木さんが不憫だ。愚痴なら今度うちに来い、聞いてやるから。透もおまえに会いたがってるよ。」
「そうか、透くんとは、おまえが彼と番契約したことを報告しに来てくれた以来、会っていないからな。近々お邪魔するよ。」
「そうだ、そうだ。たまには来てくれよ。それで、今は青木さんを救出してこい。」
一色はニヤリと笑った。
そもそも、佐伯が逃げ出すことも、人気の少ないバルコニーにいることも確信して探しに来たのだろう。
そして、いつも尻叩きをしてくれる。
「ああ、わかった。隆文、また後でな。」
うっすらと笑い合い、佐伯がバルコニーから会場へと戻ろうとした時であった。
「これはこれは、佐伯雅史様ではありませんか。こんな所で主役にお会いできるとは。」
一色とは異なる、声が聞こえた。それよりも、佐伯は聞き馴染みのない声に釣られて漂う、季節外れの金木犀の香りが気になった。
香りの元を辿る為に声がした方を見やると、派手な金髪に緩いウェーブをかけ、白いタキシードにストライプが入った水色の蝶ネクタイをした男が、ニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「ご友人とご歓談中、申し訳ありません。わたくし、龍野敏哉(タツノ トシヤ)と申します。この度は、わたくしのような三流作家までご招待いただき光栄です。」
わざとらしく仰々しい挨拶をする男を佐伯は知っていた。三流作家などと嫌味を言っていたが、彼も文壇ではかなりの名声を得ている。年齢も些か上だ。おそらく、その知名度から、今回の出席者名簿までもを作成していた青木が、招待していたのだろう。
「何をおっしゃりますか。私のような若輩者に龍野先生がお声がけくださるとは。一体、どのような御用向きで?」
佐伯はスピーチの時のような、外向け用の笑顔を貼り付けた。
すると龍野は、相変わらず嫌な笑みを浮かべながら、こっそりと耳打ちしてきた。
「実はね、紹介したい人間がおりまして。オメガなんですけれどもね。少々事情がありまして、ご内密にいたしたく。」
それから、佐伯の背後にいた一色に一瞥を送る。
「わかりました。・・・・一色、悪いが少し失礼するよ。青木には大変申し訳ないと伝えてもらえると助かる。」
一色はわずかに、龍野に険しい面持ちを覗かせたが、「わかったよ。でも遅くなるなよ。」と言って立ち去った。
「それで、その私に会わせたい方とは、どちらに?・・・・と言っても隠しきれていないようですが。あちらの柱の影にいるのでは?」
佐伯にはいくら文壇の先輩からであっても、全く持って関わりたくない話であった。しかし、龍野がバルコニーへと入って来た時から感じる、あの金木犀の甘い香りに、妙に胸騒ぎが収まらず、そのオメガに会ってみたいと強く感じてしまったのだった。
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