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第2章 永遠の夏
21.部活動の時間
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地学実験室は、あたしが知っている地学実験室とあまり変わらなかった。机や椅子が11年分新しくて、あたしが机の裏側にこっそり書いた落書きはなくて、天文部が華々しく活動している痕跡もなかった。この頃から細々と活動していたか、もしくは存在していなかったのか。
「うーん、やっぱ落ち着く」
背もたれのない椅子にまたがり、ひんやり冷たい長机にべたーっと上半身を預ける。夏はこれに限る。
「真夏の動物園のホッキョクグマみたいだな」
「なんとでも言ってよー」
そこで「あっ」と思い出して、クーラーバッグを開ける。たっぷりと保冷剤を入れたからちゃんと形を保っている。
「チョコとバニラ、どっちがいい?」
「じゃあ、バニラで」
甘くて冷たいアイスをしゃくしゃくとほおばる。んー……おいしいけど冷たすぎるという贅沢な問題に直面する。
「放課後にアイスを食べるのが、天文部の活動内容なわけ?」
「うん。あと、マンガ読んだり、オセロしたり、たまに宿題終わらせたり。まあ、基本的にはだらだらしゃべってることが多いけど」
「………」
海が怪訝な顔でこっちを見ている。
あたし、なんか変なこと言ったかな?
「ねえ、海はもし部活をするなら何部がよかった?」
「ん……」と海はちょっと考えたけれど、すぐには思いつかなったらしく、
「俺、高校通ってないし、中学すら行ってないから」とごまかした。
「もしもの話だってば。ちゃんと考えてみてよ」
あたしは海のことが知りたい。
「そもそも、どんな部活があるのか知らない」
「何でもいいんだよ。自分でつくることもできるんだから」
「うーん……」と海は本当に考えこんでしまった。
バニラアイスのしずくがぽたりと机に落ちる。それを指でぬぐいながら、小さな声でささやくように「写真部」と答えた。
「へえ、写真部かあ。文化部かなぁとは思ったけど。なんで?」
「いろんな瞬間を切り取れるから。すごくきれいな景色とか、忘れたくない思い出とか」
「ほうほう、素敵な志望動機じゃありませんか」
ふざけてあごをなでてみせる。
「今の千夏のむかつく顔とか」
「ひどっ! 本当にいいと思ったのに」
「そういうの全部写真にしてとっておくんだ。思い出したくなったらいつでも再生できるように」
「再生? 心の中で?」
「あ、言ってなかったっけ。俺、写真の中の景色に入ることができるんだ」
「き、聞いてない……」
絶句。
ま、まあ、こんな世界をつくっちゃう海のことだから、なくはないか。なくは……ないない。
「信じてないだろ、その顔は。まあ、どんな写真でもいいわけじゃないんだけどさ。強い思い入れがあるとか、体感として知ってるものじゃないとだめなんだ。むかし試したけど、行ったことない観光名所とか、芸能人の写真とかはだめだった」
今度はあたしのチョコアイスが溶けて腕をつたってきた。慌てて残りを平らげる。
「ここがわりと正確に再現できているのも、地方紙やネットの写真なんかで見てたおかげなんだ」
小さな頃の海が、図書館の閲覧スペースでいろんな本や雑誌を広げている様子が頭に浮かんだ。その目は、静かに興奮して輝いている。
「あれ、ちょっと待って。写真の中で見たものはここで再現できるって言った?」
「うん、まあ。条件次第では」
「それってその……人間でもできるの?」
「試したことはあるけど、たいてい失敗する」
「たいていってことは、ちょっとは何とかなったってこと?」
「うん。千夏を再現できるかと思ってやってみたらできた。黙ってて悪かったけど、君は本物じゃなくて俺のつくった幻想で……」
「バカなこと言わないでよ。あたしは、向こうから、自分の意志でここに来たんだから!」
「でも、その記憶すらも再現されたものだったとしたら? どうやって自分はコピーじゃないって判断できる?」
「ぎゃー!! やめて、おかしくなりそう!!」
「……っていうのは冗談だよ。人間みたいに複雑なものは、写真の中に入ったときは本物らしく見えるけど、再現するのはたぶん不可能に近い。千夏がどんなことを考えてどう行動するかなんて、俺には予測できないし。それにほら、倫理的になんかまずいだろ。コピーとはいえ人間を出したり消したりするのは」
海はアイスを食べきった。棒には「あたり」の文字。まあ、そんなもの出なくたって、どうせただでもらってくるんだけど。
「本当だね? あたしは海がつくった幻じゃなくて、本物の千夏なんだね?」
「ああ、おどかして悪かったよ。まさかそこまで動揺するとは思わなかった」
「まったく、海がそういうこと言うと冗談なのか本当なのか区別つかないんだから、やめてよね」
あたしのアイスは「はずれ」だった。
ふいに、教室のスピーカーから音楽が流れだした。
「あ、下校時刻の曲だ」
この曲聞くと、なんか帰りたくなるんだよなぁ。タイトルは知らないけど……
「そろそろ帰るか」
「うん……」
あんまり部活やった感じはしなかったけど。
「あれ、帰るって、どこに??」
「俺んち。来る?」
「えっ、海って家あったの!?」
「あのさあ」
海は思いっきり眉をひそめる。
「俺のこと犬かなんかだと思ってんの? 家ぐらいある」
「うーん、どっちかっていうと猫かなあ」
「どっちでもねえよ」
わーい、海の家だって。たしか昔は、行ってみたいって言ったらすごく嫌がられたんだよね。楽しみだなぁ。どんなことかなぁ。
「うーん、やっぱ落ち着く」
背もたれのない椅子にまたがり、ひんやり冷たい長机にべたーっと上半身を預ける。夏はこれに限る。
「真夏の動物園のホッキョクグマみたいだな」
「なんとでも言ってよー」
そこで「あっ」と思い出して、クーラーバッグを開ける。たっぷりと保冷剤を入れたからちゃんと形を保っている。
「チョコとバニラ、どっちがいい?」
「じゃあ、バニラで」
甘くて冷たいアイスをしゃくしゃくとほおばる。んー……おいしいけど冷たすぎるという贅沢な問題に直面する。
「放課後にアイスを食べるのが、天文部の活動内容なわけ?」
「うん。あと、マンガ読んだり、オセロしたり、たまに宿題終わらせたり。まあ、基本的にはだらだらしゃべってることが多いけど」
「………」
海が怪訝な顔でこっちを見ている。
あたし、なんか変なこと言ったかな?
「ねえ、海はもし部活をするなら何部がよかった?」
「ん……」と海はちょっと考えたけれど、すぐには思いつかなったらしく、
「俺、高校通ってないし、中学すら行ってないから」とごまかした。
「もしもの話だってば。ちゃんと考えてみてよ」
あたしは海のことが知りたい。
「そもそも、どんな部活があるのか知らない」
「何でもいいんだよ。自分でつくることもできるんだから」
「うーん……」と海は本当に考えこんでしまった。
バニラアイスのしずくがぽたりと机に落ちる。それを指でぬぐいながら、小さな声でささやくように「写真部」と答えた。
「へえ、写真部かあ。文化部かなぁとは思ったけど。なんで?」
「いろんな瞬間を切り取れるから。すごくきれいな景色とか、忘れたくない思い出とか」
「ほうほう、素敵な志望動機じゃありませんか」
ふざけてあごをなでてみせる。
「今の千夏のむかつく顔とか」
「ひどっ! 本当にいいと思ったのに」
「そういうの全部写真にしてとっておくんだ。思い出したくなったらいつでも再生できるように」
「再生? 心の中で?」
「あ、言ってなかったっけ。俺、写真の中の景色に入ることができるんだ」
「き、聞いてない……」
絶句。
ま、まあ、こんな世界をつくっちゃう海のことだから、なくはないか。なくは……ないない。
「信じてないだろ、その顔は。まあ、どんな写真でもいいわけじゃないんだけどさ。強い思い入れがあるとか、体感として知ってるものじゃないとだめなんだ。むかし試したけど、行ったことない観光名所とか、芸能人の写真とかはだめだった」
今度はあたしのチョコアイスが溶けて腕をつたってきた。慌てて残りを平らげる。
「ここがわりと正確に再現できているのも、地方紙やネットの写真なんかで見てたおかげなんだ」
小さな頃の海が、図書館の閲覧スペースでいろんな本や雑誌を広げている様子が頭に浮かんだ。その目は、静かに興奮して輝いている。
「あれ、ちょっと待って。写真の中で見たものはここで再現できるって言った?」
「うん、まあ。条件次第では」
「それってその……人間でもできるの?」
「試したことはあるけど、たいてい失敗する」
「たいていってことは、ちょっとは何とかなったってこと?」
「うん。千夏を再現できるかと思ってやってみたらできた。黙ってて悪かったけど、君は本物じゃなくて俺のつくった幻想で……」
「バカなこと言わないでよ。あたしは、向こうから、自分の意志でここに来たんだから!」
「でも、その記憶すらも再現されたものだったとしたら? どうやって自分はコピーじゃないって判断できる?」
「ぎゃー!! やめて、おかしくなりそう!!」
「……っていうのは冗談だよ。人間みたいに複雑なものは、写真の中に入ったときは本物らしく見えるけど、再現するのはたぶん不可能に近い。千夏がどんなことを考えてどう行動するかなんて、俺には予測できないし。それにほら、倫理的になんかまずいだろ。コピーとはいえ人間を出したり消したりするのは」
海はアイスを食べきった。棒には「あたり」の文字。まあ、そんなもの出なくたって、どうせただでもらってくるんだけど。
「本当だね? あたしは海がつくった幻じゃなくて、本物の千夏なんだね?」
「ああ、おどかして悪かったよ。まさかそこまで動揺するとは思わなかった」
「まったく、海がそういうこと言うと冗談なのか本当なのか区別つかないんだから、やめてよね」
あたしのアイスは「はずれ」だった。
ふいに、教室のスピーカーから音楽が流れだした。
「あ、下校時刻の曲だ」
この曲聞くと、なんか帰りたくなるんだよなぁ。タイトルは知らないけど……
「そろそろ帰るか」
「うん……」
あんまり部活やった感じはしなかったけど。
「あれ、帰るって、どこに??」
「俺んち。来る?」
「えっ、海って家あったの!?」
「あのさあ」
海は思いっきり眉をひそめる。
「俺のこと犬かなんかだと思ってんの? 家ぐらいある」
「うーん、どっちかっていうと猫かなあ」
「どっちでもねえよ」
わーい、海の家だって。たしか昔は、行ってみたいって言ったらすごく嫌がられたんだよね。楽しみだなぁ。どんなことかなぁ。
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