海の向こうの永遠の夏

文月みつか

文字の大きさ
上 下
24 / 37
第2章 永遠の夏

16.業火に飛びこむ

しおりを挟む
 サイクルショップたけだで受け取ったクロスバイクは、真っ赤でピカピカでかっこいい。アルバイトとして働いてからしばらく経っているが、どこかへ乗って出かけるのはこれが初めてだ。なんだかもったいなくてここぞというときのために倉庫にしまっていたけれど、今日がまさにそのここぞというときだ。これからあたしは、永遠の夏にとらわれてしまった海というお姫様を救いに行くんだ!

 サウナのような状態の倉庫から自転車を出して玄関先に止め、いったん部屋に戻る。たったこれだけの運動でもう汗をかいていた。これから長旅だし、シャツを着替えておこう。

 生活に必要な荷物は最小限にとどめてある。だってほかにいろいろと持っていきたいものがあるから。花火とか、うちわとか、ビーチボールとか。一応夏休みの宿題も入れてある。やるかどうか微妙だけど、夏っぽいものには違いないし。その他いろいろ詰め込んだら、リュックサックはパンパンに膨らんだ。入りきらなくて、かき氷機とテントは泣く泣くあきらめることにした。

 シャワーを浴びてお気に入りの白いTシャツに着替えたらいざ出発! また外に出るのかと思うとうんざりするくらいの暑さだけど、そこは海との大事な約束があるから、覚悟を決めて日除けのキャップを深くかぶる。

 家族には黙って出るつもりだった。両親に言えば進路も決めずに何をフラフラしているのかととがめられるに決まっているし、晴夏は明日誕生日だったので、こんなタイミングで出て行くなんて言うのは気まずい。かわいい妹ではあるけれど、今は友人の一大事だ。少しでも早くかけつけたい。

 そんなことを思っていたら、玄関に下りたところで晴夏に見つかってしまった。

「お姉ちゃん、どこに行くの?」
「さあね。行ってみないとわからない」

 まさか海の向こう側の世界に行くなんて言えないし。

「ちゃんと帰ってくるよね?」
「まあ、気が向いたらね」

 海の問題が解決出来たらの話だけど。

「忘れてるかもしれないけど明日は……」

 あたしは耐え切れなくなって、晴夏のほうを振り返った。いつも後をついて来ていた、小さな妹。最近は、足腰に筋肉がついてたくましくなってきた。こうして見下ろせるのも最後かもしれないと思うと急に寂しくなって、あたしはそのフサフサした頭にポンと手をおいた。

「ごめんね、誕生日当日に祝えなくて」

 晴夏は口を結んだままうつむいた。

「13歳おめでとう。晴夏はこれからきっともっと大きくなるよ」

 それ以上何か言うと動き出せなくなりそうで、振り切るように玄関の扉を開けた。むせかえるような熱気が押し寄せる。

「待ってお姉ちゃん!」

 ごめんね、海が待っているから。重たいリュックを背負って、あたしは業火の中へ飛び込む。

「お姉ちゃん!」

 自転車に乗ってこぎだそうとしたところで、大事なことを思い出した。

「あ、忘れてた。通学用のギア付き自転車は晴夏にあげるよ。中学生だし、あれじゃもうちっちゃいでしょ」

 晴夏はあたしのお古のマウンテンバイクを使っている。誕生日プレゼントとしてはお下がりだからせこいかもしれないけど、せめてもの償いだ。

「いや、そうじゃなくてさ……」
「父さんと母さんによろしく!」

 あたしはえいっとクロスバイクをこぎだした。ひとこぎで面白いように進んだ。じゃあね、とベルを鳴らすと、リリーンと気持ちのいい音が鳴った。

 振り返らずにこぐ。晴夏は足が速いし持久力もある。絶対に追いつかれないようにぐんぐん加速する。
 犬の散歩をしているおじさんとぶつかりそうになり、人気の少ない道へコースを変更した。目指すは紫陽花屋敷。海とこっちで過ごした、思い出の場所。

 海、聞こえる? あたし今、家を出たよ。紫陽花屋敷に向かってる。そっちに連れて行って! 誰も見ていないから大丈夫!

 民家の少ない田舎道を、自転車はなおも加速する。

 やがて雑木林の紫陽花の道にさしかかる。久しぶりに通るそこは、記憶にあった通り涼しくて、鮮やかな紫陽花がまだ咲いている。変なの、もう8月だっていうのに。ここだけ時間が止まっているみたい。

 砂利道に入り、あたしは自転車を降りて押して歩いた。あの家は、紫陽花屋敷は、まだあるだろうか。

 ちょっとだけのぞいてみよう。好奇心が首をもたげた。最後に行ったのはあの夏の日だから、もう10年以上も経ったことになる。ひょっとしたら取り壊されているかもしれない。当時でさえかなり傷んでいたから。

 葉っぱのざわめきが、場違いな自分をくすくす笑っているようだった。

 よそ者が 自転車なんかで 何しに来たのかしら 
 
 あたしはたまらなくなって、リンリンリーンとベルを鳴らした。まるで魔よけの鈴だ。

 怖くない。こんなところに誰もいやしない。ちょっと確かめてくるだけ。紫陽花屋敷は今も存在しているのか。雑草におおわれて、寂しく家主の帰りを待っているのか。2階の窓はあの日あたしが開けたままになっているのか。それとも、もう別の家が建っているのか。別の誰かが住んでいるのか。

「あった……」

 ほっとしたような、でも薄気味悪い、変なため息が漏れた。

 記憶の中にあるよりも、むしろ息づいて見える。大きくて古めかしい、2階建ての洋館。相変わらず屋根の一部は壊れたままで、壁にはつる草がびっしり。その足元で、紫陽花だけが青々と輝いている。

 雑草が生い茂っているけれど玄関までの道筋は何となくできていた。もしかして今も誰かが出入りしている?……

 ふと視線を感じて、2階のバルコニーを見上げた。10年前、あそこから足を踏み外した。思い出すと足の裏がヒヤッとする。窓は閉まっていた。

 入ろうか、どうしようか。さっきこっちを見ていたのは何だったのか。もし本当に家主がいたのだとしたら、かなり気まずいことになる。

 やっぱりやめよう、と決めて回れ右をした瞬間「よう」と声をかけられて心臓が止まりそうになった。

「ひゃっ……なんだ海か。おどかさないでよもう」
「ひどいな、人をお化けみたいに」

 まあ実際お化けみたいなもんか、とひとり納得する海。紫陽花みたいな青紫のTシャツを着ていた。

「あれ、ここってもう海の向こう側?」
「そういうこと」

 いつの間に切り替わったのか、全然わからなかった。

「こっちにもあるんだ、紫陽花屋敷」
「まあな。思い入れのある数少ない場所だし」
「さっき、窓のところに誰かいたような気がしたけど……」
「幽霊か?」
「い、いるの?」
「知らね」
「海の世界のことなのに!」
「いい自転車だな」

 海はあたしの非難を軽く受け流して、クロスバイクを指さした。

「うん。バイトしてもらったの。かっこいいでしょ!」
「ポンコツな働きぶりに見合わないくらい、いいな」
「げっ、なに、見てたの?」
「見たくて見たわけじゃねえけど。あのとき、俺のこと呼んだだろ?」

 あたしはサイクルショップたけだで店番していたときのことを思い出す。脚立でぐらついてもう終わりだと思ったとき、心の中で海に助けてと叫んだ。でも、実際に助けてくれたのは達緒さんだった。

 恥ずかしさと同時に、怒りがこみ上げてきた。

「そうだよ。聞こえてたならどうしてあのとき助けてくれなかったの!?」
「別に、俺が介入しなくても大丈夫だっただろ?」
「そうだけど……」
「俺は救急隊員でもないしスーパーヒーローでもない。いつでも助けてもらえると思われても困る」
「うん……わかってるよ」

 海は紫陽花屋敷と反対の方向へ歩き出した。さっきの人影が気になるけれど、おいていかれたくないので向きを変える。

 しばらく、無言で歩く。

 ポケットに手を突っこんだままの海は、ときどき砂利道の石ころを蹴っ飛ばした。なんだか、ちょっと怒ってるみたいだ。

 沈黙に耐え切れなくなったあたしは、リュックの中身について話した。

「いろいろ持ってきたんだけど、海は何がしたい? とりあえず夏っぽいものがいいかなと思って、花火とかビーチボールは持ってきたよ。あ、でも昼間から花火ってのもつまらないか。砂浜でビーチバレーしよう。せっかくだから、何か賭ける?」

 パンパンに膨れたあたしのリュックサックを海はあきれたように見た。

「本気だったのか」
「もちろん。ふたりで海の青春を取り戻そうよ!」
「そんな恥ずかしいセリフ、よく堂々と言えるな……」
「ちょっと、ひとりだけすかすのはやめてよ。こっちが痛いやつみたいになるじゃん」

 あんまり乗り気じゃないみたい。まったく、せっかく重たい荷物を背負って来たのにさ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

勇者の日常!

モブ乙
青春
VRゲームで勇者の称号を持つ男子高校生の日常を描きます

食いしん坊な親友と私の美味しい日常

†漆黒のシュナイダー†
青春
私‭――田所が同級生の遠野と一緒に毎日ご飯を食べる話。

隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)

チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。 主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。 ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。 しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。 その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。 「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」 これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

M性に目覚めた若かりしころの思い出

kazu106
青春
わたし自身が生涯の性癖として持ち合わせるM性について、それをはじめて自覚した中学時代の体験になります。歳を重ねた者の、人生の回顧録のひとつとして、読んでいただけましたら幸いです。 一部、フィクションも交えながら、述べさせていただいてます。フィクション/ノンフィクションの境界は、読んでくださった方の想像におまかせいたします。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

将棋部の眼鏡美少女を抱いた

junk
青春
将棋部の青春恋愛ストーリーです

ONE WEEK LOVE ~純情のっぽと変人天使の恋~

mizuno sei
青春
 永野祐輝は高校3年生。プロバスケットの選手を目指して高校に入学したが、入学早々傷害事件を起こし、バスケット部への入部を拒否されてしまった。  目標を失った彼は、しばらく荒れた生活をし、学校中の生徒たちから不良で怖いというイメージを持たれてしまう。  鬱々とした日々を送っていた彼に転機が訪れたのは、偶然不良に絡まれていた男子生徒を助けたことがきっかけだった。その男子生徒、吉田龍之介はちょっと変わってはいたが、優れた才能を持つ演劇部の生徒だった。生活を変えたいと思っていた祐輝は、吉田の熱心な勧誘もあって演劇部に入部することを決めた。  それから2年後、いよいよ高校最後の年を迎えた祐輝は、始業式の前日、偶然に一人の女子生徒と出会った。彼女を一目見て恋に落ちた祐輝は、次の日からその少女を探し、告白しようと動き出す。  一方、その女子生徒、木崎真由もまた、心に傷とコンプレックスを抱えた少女だった。  不良の烙印を押された不器用で心優しい少年と、コンプレックスを抱えた少女の恋にゆくへは・・・。

処理中です...