2 / 37
序章 姉の話
後編
しおりを挟む
一年前、私は大学へ入学し、アパートで一人暮らしを始めた。中、高と走ることに明け暮れた私は陸上に見切りをつけ、文芸サークルに入った。せっかくの自由なキャンパスライフなので、何か新しいことを始めたかったんだと思う。といっても、友人の作品を読んでばかりで、自分で書くことはほとんどなかったけれど。
その年の誕生日はサークルの子たちがお祝いしてくれた。大学生だけで居酒屋に行って、なんだか大人になったような気分だった。私はまだ19歳だからお酒は飲めなかったけれど、ジンジャーエールを一気飲みして、すっかり浮かれていた。
アパートへ帰ると、自転車置き場に見覚えのあるクロスバイクが駐輪してあった。まさかと思って自分の部屋に行ってみると、玄関に酔っ払いがうずくまっていた。
「……お姉ちゃん!」
「おお……やっと来た」
姉は酒瓶を抱えたまま私の帰りを待っているうちに、そのまま居眠りしてしまったらしい。どうやら、まだ酔ってはいないらしい。
「いや~、家に帰ったら晴夏はいないっていうから、びっくりしちゃってさあ。そうか、もう大学生になったんだねえ。というわけで、ほら、プレゼント」
姉は誇らしげに酒瓶を掲げる。
「あの、私まだ19なんだけど……」
「真面目だなあ。せっかく会いに来た姉に一杯くらい付き合ってくれたっていいのに」
「絡むなあ。本当に飲んでないんだよね?」
私は重たい酒瓶を受け取り、姉を引っ張り上げて立たせた。私よりも目線が低い。いつかの姉の予言通り、私はぐんと背が伸びてむだに大きくなった。それに対して、姉は6年前に失踪したあの日からそれほど変わっていないように見える。「あいつの中では時間が止まっているようだな」という父の言葉を思い出した。たとえとかではなく、本当にそんな感じがする。いったいこの6年間、姉はどこで何をしていたんだろう?
「大学、楽しい?」
「うん……まあまあかな。忙しいし、思ったより嫌いな授業も多いけど、なんとかやってるよ。そうだ、私文芸サークルに入ったんだよ」
「へえ」と姉は意外そうな顔をする。
「晴夏にそんな趣味があったなんて、知らなかった」
「私はもっぱら読むの専門だけどね。気の合う人も多いし、楽しいよ。友だちには何か書けってせっつかれるけど」
「そっか。成長したんだね……」
実は友人に姉のことを小説に書こうか迷っていると話したら、面白いから絶対にやるべきだといわれたばかりだった。
そこで、勇気をふりしぼって聞いてみることにした。
「あのさ、お姉ちゃんは最近何してるの?」
「…………」
しかし姉はグラスを握ったまますうすうと寝息を立てていた。
私はあきらめて、ひとりで物思いに沈んだ。
いったい姉はどこから来て、どこへ消えていくのだろう?
だんだん、夜も更けてきた。今年も姉は来てくれるのだろうか?
1年前プレゼントにもらったお酒は、この日のためにとっておいた。裂きイカ、枝豆スナック、つまみもいろいろ用意した。準備万端、いつでも来い!という感じ。でもそういうときって、待っていてもなかなか来なかったりする。
そんなわけで、私は暇つぶしに姉の物語を書いている。多分に想像力をはたらかせて書いたので、実際に姉がしてきたこととはかけ離れているだろう。本人が読んだら大笑いするかもしれない。そうして、本当はどんなことがあったのか話してくれるかもしれない。
姉の姿を思い浮かべ、ペンを走らせる。
色あせてきた紺色のキャップと、ピカピカに磨き上げられたクロスバイクの真っ赤なフレーム。しなやかな細い脚で愛車にまたがり、力強く地面を蹴りだす。
リリーンとベルを鳴らし、さっそうと光の世界へ繰り出す。風を切って、誰にも追いつけない速さで走る、走る。何かに突き動かされるように、何かを求めるように。季節さえも追い抜いていく。
だけど、毎年妹の誕生日にだけは帰ってくる。このときだけは、自分の冒険を一時休戦して、私に会いに来る。
そのとき、耳の奥で本当にリリーンと音が聞こえたような気がした。
私はハッとしてペンをおき、玄関へ向かう。
今年のプレゼントはなんだろう? いっしょに何を話そう?
なんだってうれしい。なんだって話せる。
二人でお酒を飲みながら、一晩語りつくそう。根掘り葉掘り、聞いちゃおう。
プレゼントの箱を開けるときのようなわくわくした気持ちで、私はドアを開けた。
その年の誕生日はサークルの子たちがお祝いしてくれた。大学生だけで居酒屋に行って、なんだか大人になったような気分だった。私はまだ19歳だからお酒は飲めなかったけれど、ジンジャーエールを一気飲みして、すっかり浮かれていた。
アパートへ帰ると、自転車置き場に見覚えのあるクロスバイクが駐輪してあった。まさかと思って自分の部屋に行ってみると、玄関に酔っ払いがうずくまっていた。
「……お姉ちゃん!」
「おお……やっと来た」
姉は酒瓶を抱えたまま私の帰りを待っているうちに、そのまま居眠りしてしまったらしい。どうやら、まだ酔ってはいないらしい。
「いや~、家に帰ったら晴夏はいないっていうから、びっくりしちゃってさあ。そうか、もう大学生になったんだねえ。というわけで、ほら、プレゼント」
姉は誇らしげに酒瓶を掲げる。
「あの、私まだ19なんだけど……」
「真面目だなあ。せっかく会いに来た姉に一杯くらい付き合ってくれたっていいのに」
「絡むなあ。本当に飲んでないんだよね?」
私は重たい酒瓶を受け取り、姉を引っ張り上げて立たせた。私よりも目線が低い。いつかの姉の予言通り、私はぐんと背が伸びてむだに大きくなった。それに対して、姉は6年前に失踪したあの日からそれほど変わっていないように見える。「あいつの中では時間が止まっているようだな」という父の言葉を思い出した。たとえとかではなく、本当にそんな感じがする。いったいこの6年間、姉はどこで何をしていたんだろう?
「大学、楽しい?」
「うん……まあまあかな。忙しいし、思ったより嫌いな授業も多いけど、なんとかやってるよ。そうだ、私文芸サークルに入ったんだよ」
「へえ」と姉は意外そうな顔をする。
「晴夏にそんな趣味があったなんて、知らなかった」
「私はもっぱら読むの専門だけどね。気の合う人も多いし、楽しいよ。友だちには何か書けってせっつかれるけど」
「そっか。成長したんだね……」
実は友人に姉のことを小説に書こうか迷っていると話したら、面白いから絶対にやるべきだといわれたばかりだった。
そこで、勇気をふりしぼって聞いてみることにした。
「あのさ、お姉ちゃんは最近何してるの?」
「…………」
しかし姉はグラスを握ったまますうすうと寝息を立てていた。
私はあきらめて、ひとりで物思いに沈んだ。
いったい姉はどこから来て、どこへ消えていくのだろう?
だんだん、夜も更けてきた。今年も姉は来てくれるのだろうか?
1年前プレゼントにもらったお酒は、この日のためにとっておいた。裂きイカ、枝豆スナック、つまみもいろいろ用意した。準備万端、いつでも来い!という感じ。でもそういうときって、待っていてもなかなか来なかったりする。
そんなわけで、私は暇つぶしに姉の物語を書いている。多分に想像力をはたらかせて書いたので、実際に姉がしてきたこととはかけ離れているだろう。本人が読んだら大笑いするかもしれない。そうして、本当はどんなことがあったのか話してくれるかもしれない。
姉の姿を思い浮かべ、ペンを走らせる。
色あせてきた紺色のキャップと、ピカピカに磨き上げられたクロスバイクの真っ赤なフレーム。しなやかな細い脚で愛車にまたがり、力強く地面を蹴りだす。
リリーンとベルを鳴らし、さっそうと光の世界へ繰り出す。風を切って、誰にも追いつけない速さで走る、走る。何かに突き動かされるように、何かを求めるように。季節さえも追い抜いていく。
だけど、毎年妹の誕生日にだけは帰ってくる。このときだけは、自分の冒険を一時休戦して、私に会いに来る。
そのとき、耳の奥で本当にリリーンと音が聞こえたような気がした。
私はハッとしてペンをおき、玄関へ向かう。
今年のプレゼントはなんだろう? いっしょに何を話そう?
なんだってうれしい。なんだって話せる。
二人でお酒を飲みながら、一晩語りつくそう。根掘り葉掘り、聞いちゃおう。
プレゼントの箱を開けるときのようなわくわくした気持ちで、私はドアを開けた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
隣人の女性がDVされてたから助けてみたら、なぜかその人(年下の女子大生)と同棲することになった(なんで?)
チドリ正明@不労所得発売中!!
青春
マンションの隣の部屋から女性の悲鳴と男性の怒鳴り声が聞こえた。
主人公 時田宗利(ときたむねとし)の判断は早かった。迷わず訪問し時間を稼ぎ、確証が取れた段階で警察に通報。DV男を現行犯でとっちめることに成功した。
ちっぽけな勇気と小心者が持つ単なる親切心でやった宗利は日常に戻る。
しかし、しばらくして宗時は見覚えのある女性が部屋の前にしゃがみ込んでいる姿を発見した。
その女性はDVを受けていたあの時の隣人だった。
「頼れる人がいないんです……私と一緒に暮らしてくれませんか?」
これはDVから女性を守ったことで始まる新たな恋物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
脅され彼女~可愛い女子の弱みを握ったので脅して彼女にしてみたが、健気すぎて幸せにしたいと思った~
みずがめ
青春
陰キャ男子が後輩の女子の弱みを握ってしまった。彼女いない歴=年齢の彼は後輩少女に彼女になってくれとお願いする。脅迫から生まれた恋人関係ではあったが、彼女はとても健気な女の子だった。
ゲス男子×健気女子のコンプレックスにまみれた、もしかしたら純愛になるかもしれないお話。
※この作品は別サイトにも掲載しています。
※表紙イラストは、あっきコタロウさんに描いていただきました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/youth.png?id=ad9871afe441980cc37c)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
学園のアイドルに、俺の部屋のギャル地縛霊がちょっかいを出すから話がややこしくなる。
たかなしポン太
青春
【第1回ノベルピアWEB小説コンテスト中間選考通過作品】
『み、見えるの?』
「見えるかと言われると……ギリ見えない……」
『ふぇっ? ちょっ、ちょっと! どこ見てんのよ!』
◆◆◆
仏教系学園の高校に通う霊能者、尚也。
劣悪な環境での寮生活を1年間終えたあと、2年生から念願のアパート暮らしを始めることになった。
ところが入居予定のアパートの部屋に行ってみると……そこにはセーラー服を着たギャル地縛霊、りんが住み着いていた。
後悔の念が強すぎて、この世に魂が残ってしまったりん。
尚也はそんなりんを無事に成仏させるため、りんと共同生活をすることを決意する。
また新学期の学校では、尚也は学園のアイドルこと花宮琴葉と同じクラスで席も近くなった。
尚也は1年生の時、たまたま琴葉が困っていた時に助けてあげたことがあるのだが……
霊能者の尚也、ギャル地縛霊のりん、学園のアイドル琴葉。
3人とその仲間たちが繰り広げる、ちょっと不思議な日常。
愉快で甘くて、ちょっと切ない、ライトファンタジーなラブコメディー!
※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる