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第1話 あの子の故郷
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昼時の学食は食べ物の匂いと学生たちからわき立つエネルギーでむせ返るほどだった。
マーニャは「いただきます」と丁寧に手を合わせ、塗り箸で華麗に醤油ラーメンをすすった。もはや日本人の私よりも箸使いがうまい。
「いつもラーメンで飽きないの?」
私が聞くと、マーニャは少し首をかしげて答えた。
「今日は少し塩気が強いです」
「……つまり毎回微妙に味が違うのを楽しんでいると?」
「はい。ラメンは私が日本にやってきた主な理由の一つです」
マーニャはれんげでスープを一口すすって、小さくため息をもらした。そこまで美味しそうに食べてもらえたら、食堂のおばちゃんも本望だろう。
「たしかに、学食にしてはうちのラーメンってレベル高いかもしれないけど」
私はさっきコンビニで買った焼きそばパンをかじる。
「さすがに毎日食べようとは思わないなあ」
「歌穂さん、食べながらしゃべるとこぼしますよ」
平気平気、といったそばからパンくずがテーブルに落ちる。
「そういえばさ」と私は話題を変えた。
「この前実家から米だの野菜だのが送られてきたんだよね。どうせろくな食生活してないだろうからって、お母さんが。わざわざ送料払って送らなくても、近くにスーパーぐらいあるっつーの」
「すてきなお母さんですね」
「そう? ちゃんと食べてるかー、勉強してるかー、彼氏できたかーってうるさくてしょうがないんだけど。これを日本語ではお節介という」
「勉強になります」
マーニャはにこにこと私の愚痴を聞いている。
「でも歌穂さん、嬉しそうです」
「ぐぶっ」
コーヒー牛乳がのどの変なところに入った。
「……マーニャはホームシックになったりしないの?」
「故郷が恋しい、というやつですか? あまりないですねえ」
マーニャはメンマをつまみ、ためらいがちに口へ運ぶ。ラーメンは大好きだが、メンマだけはどうも苦手らしい。
「でも、すごく遠いところから来ているんでしょ? その、なんていったっけ……」
すかさずマーニャが破擦音の入り混じった国名をいうが、発音が複雑すぎて私の耳では上手く聞き取れない。ただ、容姿から察するに、漠然と東欧あたりじゃないかなぁと想像している。
実はマーニャというのも本名ではない。本当の名前はもっと長くて複雑なのだけれど、やはり何度聞いても私の口では上手く再現できないので、愛称でマーニャと呼んでいる。もとの名前とはかなりかけ離れているけれど、本人は気に入っているようだ。
「私の故郷はとても閑散としていて画一的で、退屈なところです。戻りたいとは思いません」
「画一的……」
ふるさとを表現するにしては変わった言葉だ。マーニャの日本語は流暢だけれど、ときどき思いもよらないセンスの単語が飛び出してくる。本当は荒廃しているとか辺鄙で何もない田舎だとかいいたかったのかもしれない。いずれにせよ、あまりいい印象は持ってないみたいだ。
そういえば、マーニャは自分のことをあまり語らない。
私が知っているのは海外からの留学生であることと、わたしよりもずっと勉強ができること、それにラーメンをこよなく愛しているということくらいだ。
まあ、別にいいか。マーニャがどんな生い立ちであれ、気の置けない昼メシ友達であることに変わりはないのだ。
「ごちそうさまでした」
「えっ、早い」
いつのまにかマーニャのどんぶりの中身はコーン一粒残らずきれいに平らげられていた。
「ぐずぐずしていると麺が伸びてしまいますから」
夕飯はカップラーメンにしようと私は心に決める。「ちゃんと食べなさいってば!」とお母さんの小言が脳をよぎる。
★ ★ ★
「……以上で本日の報告を終わります」
異国風の女が事務的な口調で告げると、タブレット画面の向こうの男はため息をついた。
「どうかされましたか?」
『どうもこうもあるか。学生のお気楽なレポートとはわけがちがうんだぞ。なんだこれは。ラメンとやらの具材、味、適切な食べ方についてしか書かれていないじゃないか! 食文化全般に関してならまだしも、特化しすぎてなんの役にも立たない』
「お言葉ですが、ラメンには人を動かす力があります。ご存知ないでしょうが、日本にはラメンだけを食し崇めるお祭りすら存在するのです。ラメンの可能性は無限大です!」
『フマニダージット、俺はお前の適応能力の高さと熱意を買って特使に推薦した。しかしそれは間違いだったようだ。人類との間に友好関係を築く価値があるか否か、お前から上がってきた情報は判断の材料にならない』
「なぜです? これほどすばらしい食文化を持っているのだから、彼らの文明がいかに高度で洗練されたものか十分伝わると思ったのですが」
『言いたいことはわかるが、明らかに方向性が間違っている。この報告書を読めばラメンを食べたくはなるが、人類の存亡をかけるには頼りなさすぎる。このまま上に提出してみろ。俺たちは役立たずとみなされて、仲良くお払い箱だ。
報告書を書き直せ。それがいやなら今すぐ荷物をまとめて痕跡を消し、シェルターに戻ってこい。ほかに仕事はいくらでもある』
「いやです。私には人類と彼らが共存する道を拓く使命があります」
『やれやれ……自由時間が長すぎたな。いいか、上司の指示に背くことは重大な規則違反だ。君は職を失うばかりか、裏切り者として組織から追放される。わかっているのか?』
「私はマーニャとして生きていきます」
女は一方的に通信を切り、タブレットの電源を落とした。真っ黒い画面に、高揚した自身の顔が映っている。
「こういうの、歌穂さんは日本語でなんといっていましたっけ?」
しばらくしてマーニャはポンと手を叩いた。
「思い出しました。『メンチ切る』です」
それから少し首をひねり、「メンチカツを切る動作と関係があるのでしょうか?」と独りごちた。
マーニャは「いただきます」と丁寧に手を合わせ、塗り箸で華麗に醤油ラーメンをすすった。もはや日本人の私よりも箸使いがうまい。
「いつもラーメンで飽きないの?」
私が聞くと、マーニャは少し首をかしげて答えた。
「今日は少し塩気が強いです」
「……つまり毎回微妙に味が違うのを楽しんでいると?」
「はい。ラメンは私が日本にやってきた主な理由の一つです」
マーニャはれんげでスープを一口すすって、小さくため息をもらした。そこまで美味しそうに食べてもらえたら、食堂のおばちゃんも本望だろう。
「たしかに、学食にしてはうちのラーメンってレベル高いかもしれないけど」
私はさっきコンビニで買った焼きそばパンをかじる。
「さすがに毎日食べようとは思わないなあ」
「歌穂さん、食べながらしゃべるとこぼしますよ」
平気平気、といったそばからパンくずがテーブルに落ちる。
「そういえばさ」と私は話題を変えた。
「この前実家から米だの野菜だのが送られてきたんだよね。どうせろくな食生活してないだろうからって、お母さんが。わざわざ送料払って送らなくても、近くにスーパーぐらいあるっつーの」
「すてきなお母さんですね」
「そう? ちゃんと食べてるかー、勉強してるかー、彼氏できたかーってうるさくてしょうがないんだけど。これを日本語ではお節介という」
「勉強になります」
マーニャはにこにこと私の愚痴を聞いている。
「でも歌穂さん、嬉しそうです」
「ぐぶっ」
コーヒー牛乳がのどの変なところに入った。
「……マーニャはホームシックになったりしないの?」
「故郷が恋しい、というやつですか? あまりないですねえ」
マーニャはメンマをつまみ、ためらいがちに口へ運ぶ。ラーメンは大好きだが、メンマだけはどうも苦手らしい。
「でも、すごく遠いところから来ているんでしょ? その、なんていったっけ……」
すかさずマーニャが破擦音の入り混じった国名をいうが、発音が複雑すぎて私の耳では上手く聞き取れない。ただ、容姿から察するに、漠然と東欧あたりじゃないかなぁと想像している。
実はマーニャというのも本名ではない。本当の名前はもっと長くて複雑なのだけれど、やはり何度聞いても私の口では上手く再現できないので、愛称でマーニャと呼んでいる。もとの名前とはかなりかけ離れているけれど、本人は気に入っているようだ。
「私の故郷はとても閑散としていて画一的で、退屈なところです。戻りたいとは思いません」
「画一的……」
ふるさとを表現するにしては変わった言葉だ。マーニャの日本語は流暢だけれど、ときどき思いもよらないセンスの単語が飛び出してくる。本当は荒廃しているとか辺鄙で何もない田舎だとかいいたかったのかもしれない。いずれにせよ、あまりいい印象は持ってないみたいだ。
そういえば、マーニャは自分のことをあまり語らない。
私が知っているのは海外からの留学生であることと、わたしよりもずっと勉強ができること、それにラーメンをこよなく愛しているということくらいだ。
まあ、別にいいか。マーニャがどんな生い立ちであれ、気の置けない昼メシ友達であることに変わりはないのだ。
「ごちそうさまでした」
「えっ、早い」
いつのまにかマーニャのどんぶりの中身はコーン一粒残らずきれいに平らげられていた。
「ぐずぐずしていると麺が伸びてしまいますから」
夕飯はカップラーメンにしようと私は心に決める。「ちゃんと食べなさいってば!」とお母さんの小言が脳をよぎる。
★ ★ ★
「……以上で本日の報告を終わります」
異国風の女が事務的な口調で告げると、タブレット画面の向こうの男はため息をついた。
「どうかされましたか?」
『どうもこうもあるか。学生のお気楽なレポートとはわけがちがうんだぞ。なんだこれは。ラメンとやらの具材、味、適切な食べ方についてしか書かれていないじゃないか! 食文化全般に関してならまだしも、特化しすぎてなんの役にも立たない』
「お言葉ですが、ラメンには人を動かす力があります。ご存知ないでしょうが、日本にはラメンだけを食し崇めるお祭りすら存在するのです。ラメンの可能性は無限大です!」
『フマニダージット、俺はお前の適応能力の高さと熱意を買って特使に推薦した。しかしそれは間違いだったようだ。人類との間に友好関係を築く価値があるか否か、お前から上がってきた情報は判断の材料にならない』
「なぜです? これほどすばらしい食文化を持っているのだから、彼らの文明がいかに高度で洗練されたものか十分伝わると思ったのですが」
『言いたいことはわかるが、明らかに方向性が間違っている。この報告書を読めばラメンを食べたくはなるが、人類の存亡をかけるには頼りなさすぎる。このまま上に提出してみろ。俺たちは役立たずとみなされて、仲良くお払い箱だ。
報告書を書き直せ。それがいやなら今すぐ荷物をまとめて痕跡を消し、シェルターに戻ってこい。ほかに仕事はいくらでもある』
「いやです。私には人類と彼らが共存する道を拓く使命があります」
『やれやれ……自由時間が長すぎたな。いいか、上司の指示に背くことは重大な規則違反だ。君は職を失うばかりか、裏切り者として組織から追放される。わかっているのか?』
「私はマーニャとして生きていきます」
女は一方的に通信を切り、タブレットの電源を落とした。真っ黒い画面に、高揚した自身の顔が映っている。
「こういうの、歌穂さんは日本語でなんといっていましたっけ?」
しばらくしてマーニャはポンと手を叩いた。
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