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第十五話・そうだ、温泉に行こう!(後編)
しおりを挟む「あ、シトリン。ここの宿では、入る前に靴を脱ぐんよ」
「え? 室内では靴を履かないんですか?」
アルコルでは帝国とは違う独特の習慣が多数あって、室内では靴を脱ぐというのもその一つだ。
といっても、マリン宅ではそうだ。お風呂も、このアルコル同様にリラックスするために入る用途で。
だがシトリンは、それが帝国の風習とはかけ離れていることを知っている。だからこそ、マリン宅の習慣がアルコルに似ていることに驚いたのだ。
「お部屋で靴を脱ぐのって、リラックスしていいですよね」
「じゃね!」
以前にマリンはアルコルに旅行に来ていて、その風習に感銘を受けた。そして自宅を玄関で靴を脱ぐ仕様にリフォームし、お風呂もアルコルの職人をわざわざ呼び寄せて改築した経緯があるのだ。
だがマリンが唯一、入手し損ねたアルコルの特産ともいえる『それ』が、この宿の部屋にはあった。
「この床、不思議ですね。カーペットとも木とも違う……温かいです」
「あぁ、タタミって呼ばれるアルコル発祥のカーペットボードじゃね」
タタミとは……いや、あえて説明の必要もないだろう。アレである。
「アルコルは湿度が高いけん、部屋の湿度を下げるためにタタミのほかにもいろいろな工夫が家屋にはされちょるんよ」
「はぁ~、勉強になります」
「まぁ、その代わりに冬は寒いんじゃけどね」
マリンはそう言って、笑う。だがそのために、アルコルの冬には『アレ』があるのだ。
(冬にもまた、シトリンを連れてこんとね)
一応マリン宅にも『ソレ』はあるが、マリン宅は防暖防寒が完璧なので『ソレ』のありがたみが薄れてしまうかもしれない。
そう。人間をダメにする魔導器具『コタツ』の魔力の前では、寒いのに弱いシトリンはあっという間に陥落してしまうだろう。
二人は『ユカタ』と呼ばれるアルコルの軽装に見を包み、しばしお茶を楽しむ。
「ここでも、緑色のお茶が飲めるんですね」
湯呑みを持って猫舌ゆえにこわごわと口をつけるシトリンがしみじみとして言うのへ、
「違うんよ、シトリン。グリーンティーはアルコルの特産品じゃね。うちにあるのは、通販でアルコルから買ったやつなんよ」
「そうだったんですか⁉」
どおりで、マリン宅以外で見かけたことがなかったとシトリンは納得する。
シトリンは年相応の女子らしく、辛党のマリンとは違って甘党である。だからこそ、甘味で充満した口をリセットしてくれるグリーンティーには抵抗がなかった。
「そろそろ、獣人の入浴タイムじゃね。行こうか」
「はい!」
二人、着替えをコンパクトに畳んで抱え部屋を出る。
「あ、言い忘れちょったけど」
「なんです?」
「温泉てね、皆で入るんよ」
マリンのその言葉を、シトリンは理解できないでいた。
「どこの皆さんですか?」
「この宿の人、全員じゃね」
サラッと言ってのけるマリン。シトリンは、思わず足が止まる。
「あの……それはもしかして、他人の前で裸に? ち、違いますよね?」
サーッと青ざめるシトリン。だがマリンは不思議そうに、
「そうじゃけど?」
としか返してくれない。だがシトリンの表情を見てすぐに察すると、
「そういうの、シトリンは初めてなんね。じゃったら、お部屋の内風呂にしようか」
そう言って、シトリンの手を取って引き返そうとする。だがシトリンはフンッと足を踏んばってそれを阻止すると、
「いえ、驚いただけです。大丈夫です!」
シトリンが他人に裸を見せたくないのは、自分のスタイル(というか胸)にコンプレックスを抱いているのもあるのだけど、それだけじゃなく。
(私の身体には、無数の傷があるから……)
戦闘奴隷時代に負った、剣による無数の斬り傷。同じハンター業でありながら、マリンの身体は白くてすべすべの傷一つない肌で。
だからシトリンは、この自分の醜い身体を人前に晒すのかと戦慄する。
(でも、マリンさんも温泉を楽しみにして来たんだろうしっ)
「シトリン、無理せんでええけ」
鼻息を荒くした決意の表情のシトリンに、無理をさせているのではないかとマリンは心配でたまらない。
「大丈夫です、マリンさん。さぁ、行きましょう‼」
空元気にも見えるシトリンではあったが、マリンは苦笑いを浮かべて。
「まぁ、何ごとも経験じゃけ。もしシトリンの裸をあざ笑う輩がおったら、私がぎったんぎったんにするけん!」
「いや、それは控えてください……」
困ったように笑いながら、シトリンは腹を据える。
そして二人、脱衣所に足を踏み入れて……途端に、周囲から刺すような目線が二人を包み込んだ。
「おい、人間だぞ」
「あの猫獣人の首に装着されてるの、奴隷環じゃない?」
「なんで獣人の入浴時間に人間が来ているんだ?」
周囲が怪訝そうに囁く声が聴こえる。そして主に、人間であるマリンに対する反感の視線。
ここアルコルでは、身分制度が存在しない。しないが、獣人を差別する人間は少なからずいて。
そしてアルコルの政治の中枢を担うのはほとんど人間で占められているので、獣人は人間に対して必ずしも好意的じゃないのだ。
甲斐甲斐しく、マリンの世話を焼こうとするシトリン。そして、それを当たり前であるかのように受け入れているマリンを見て周囲のヘイトはますます高まっていくばかり。
「おい!」
とうとう我慢しきれずに、獣人の一人……狼獣人の若い女性が声をかける。ハンターだろうか、その均整の取れた裸体は浮き出た筋肉で引き締まっており、これまで数多もの修羅場を乗り越えてきたのを想像させる。
「なんでしょうか?」
キョトンとしてマリンが訊き返すが、
「お前は、獣人を奴隷にしているのか?」
アルコルでは奴隷制度はない。帝国を構成する七ヶ国ですら、マリンのいるフェクダ王国でしか奴隷制度はないのだ。
「はい、そうです」
マリンは、悪びれもなく応える。それは否定しようもない事実だったのもあって。
そしてマリンの後ろでは、シトリンがその女性に対して険しい目つきだ。
「チッ、なんで人間が獣人の入浴時間にいるんだ?」
忌々しそうに吐き捨てるその女性に対してマリンは、
「シトリン……あぁ、この子の名前なんですけど。シトリンと一緒に温泉に入るには、獣人の入浴タイムしかないって言われたんですね」
「ふーん」
そしてその女性は、シトリンの身体を舐めるように見回す。シトリンの身体には、無数の斬り傷の痕がたくさんあって。
「つまりお前は、その奴隷を虐げてるってわけだ?」
憎悪のこもった声で、その女性が吐き捨てる。そしてシトリンが思わず身を乗り出したのをマリンは片手で制して。
「してない、と言ったら嘘になります」
そう、魔薬中毒に陥ったときにシトリンに自分は何をしたか。それを思うと、その言葉を否定できないでいて。
だがマリンのその言葉に誤解したのか、その女性は顔を真っ赤にしてマリンの藍色の髪をガシッと掴……もうとして。
「マリンさんに触らないでください」
琥珀色の凶悪で禍々しい殺気を漂わせながら、シトリンがその女性の手首を掴む。
「マリンさんが何を勘違いしているか知りませんが、私はマリンさんに虐げられている覚えはないです。確かに私の身体は修羅場ってますが、それはマリンさんに負わせられたものではないんです」
そう言って、乱暴にその女性を掴んでいた手を振り払って離す。
「そう言うように命じられてるんだな?」
「ちっ、違います!」
だが、あちらも引き下がらない。俄に雰囲気が険悪になったその場を、裸の獣人女性たちがハラハラと遠巻きにして見守っていた。
今にも飛びかかりそうなシトリンをマリンは片手で制すると、
「私はシトリンが好きです。シトリンも私のことを……多分、好きです」
そう言いながら、ちょっと赤面するマリン。対してシトリンは憤怒の表情で顔を真っ赤にして、
「多分じゃありません! 大好きなんです‼」
と口角泡を飛ばす。
「へぇ……っていう設定にしたいわけだ?」
バカにしたように、侮蔑の視線を投げかけてくる女性にシトリンは怒りの限界を越えてしまっていた。だがマリンは優しくシトリンの頭に手をやると、
「どうしたら、信じてくれるんでしょうか?」
と余裕しゃくしゃくである。
「そうだな」
その女性は意地悪そうに笑みを浮かべて、
「その猫獣人の奴隷の前で這いつくばって、足にキスしてみろ」
人間に対して、快く思わない獣人も多いのだろう。そんなことできるわけないと、周囲からクスクスと笑う声が漏れ聴こえてくる。
「わかりました」
だがマリンは特に怒った様子もなく、背後に立っているシトリンに振り向いて。
「ちょっ、マリンさん⁉」
シトリンは、ちょうど壁際に立っている。もしマリンが自分に対して這いつくばった場合……ここの獣人女性たちに、女性器と肛門を無防備に晒すことになるのだ。
「貴様っ、殺す‼」
完全にキレたシトリンだったが、マリンによってそれは阻止されて。
「まったく、私が侮辱されたぐらいでそんなに怒らんでええんよ」
もしシトリンが冷静だったら、きっとこう言うだろう。
「マリンさんがそれ言う⁉」
だがシトリンは鼻息も荒く、その女性に憤怒の視線を投げかける。
「シトリン、こんなところで『命令』は使いたくないけど……私に、足にキスさせんさい」
「え⁉ ちょっと待っ……」
シトリンのその言葉も言い終わらないうちに、マリンはシトリンの前で両手と両膝を木の床につけた。そして、チュッ……チュッ……チュッ……と唇で何度もシトリンの足甲にキスの雨を降らせる。
女性器と肛門を見せつけるような格好で這いつくばっているマリンに、周囲から大爆笑がおきる。シトリンは嗤っているその一人一人をぶち殺したかったが、マリンからの『命令』で動くことができないでいた。
だがシトリンの前で這いつくばっているマリンの前に、それを見せまいとして立ちはだかったのは……その言いがかりをつけてきた女性本人だった。
「見るな! 笑うな‼」
目を血走らせて、周囲の獣人たちをその殺気で圧倒する。そしてマリンの脇に自らの腕を差し入れて立たせると、
「すまなかった。許してもらえるとは思わないが、あなたのことを誤解していたようだ」
そう言って、深々と頭を下げる。
「謝って許してもらえると思っ」
憤懣やるかたない様子でシトリンはその頭を下げた女性の髪を掴もうとするのを、マリンがやんわりと制する。
「わかっていただけたならいいんです」
「そうか……私の顔など見たくもないだろうから、ここで退散するよ。本当にすまなかった」
そして踵を返すその女性、どう見ても入浴後ではなく入浴前だ。温泉に来て、温泉に入らずにその場を後にしようとしている。
「まだ温泉に入っていないんでしょう? よかったら、一緒に入りませんか?」
にっこりと笑って、マリン。
「え?」
「なんで⁉」
思いもかけないマリンの言葉に、その女性は困惑を隠せない表情で。そしてシトリンは、怒りもさめやらぬといった塩梅で。
「私はアクアマリン・ルベライト。この子はシトリン・ルベライトです。そちらのお名前をお訊きしても?」
マリンのその言葉を受け、
(奴隷にファミリーネームが?)
と困惑しながらも、その女性は佇まいを正す。
「私はリビアングラス。ここアルコルでSランクハンターを務める者だ。見てのとおり、粗暴で教養のない女ゆえ敬語は不要に願いたい」
「ええよ。私は気にしてないけん、頭をあげんさい」
マリンは穏やかな表情で、頭を下げたままのリビアングラスの上半身を立たせる。シトリンは納得いかないモヤモヤした表情ながら、マリンがそうしているのだからとギリギリと歯ぎしりをしながらもここは堪える。
「シトリンといったか、後で好きなだけ殴らせてやるからここは堪えてくれ」
リビアングラスがすまなそうにそう言ってシトリンにも頭を下げるものだから、シトリンもそれ以上は怒れず……なんてことはもちろんなくて。
「後で? ふざけないでください‼ 今、この場で殺してやる!」
シトリンの右手から、鋭利に尖った爪がシャキーンと飛び出した。
「シトリン、落ち着きんさい!」
「でもマリンさ……んっ⁉ んんっ‼」
憤るシトリンの口を、マリンの唇が塞いだ。
「ちょっ、お前ら⁉」
目の前でいきなりキスを始めたマリンたちに、リビアングラスだけじゃなくて周囲もポカーンだ。だがマリンはそれを意に介することなく、ゆっくりとシトリンの唇を解放する。
「シトリン、落ち着いた?」
「はい、すいませんでした……でもこいつは、やっぱり許せません」
「困ったねぇ」
マリンが困惑を隠せずに、シトリンとリビアングラスを交互に見やる。
「シトリン殿、私が何をしても許せないと?」
「マリンさんに謝ってください‼」
もちろん、シトリンとてリビアングラスが謝ったのは見ている。シトリンが言いたいのはそうではなく――。
「そうだな、私はちゃんと謝っていなかったかもしれない」
リビアングラスはそう言うと、マリンの前で両膝をついて。
「このとおりだ、アクアマリン殿。誤解して本当にすまなかった」
床に両手もついて、深々と頭を下げた。先ほどマリンがしたのと、同じように。
シトリンは壁際に立っていて、マリンはその前にいるのだ。今度はリビアングラスが、あられもない下半身を周囲に晒す形となった。
「……」
リビアングラスがそこまでするとは思わなかったシトリン。どうしていいのかわからず、自分の感情に整理がつけないでいる。
「シトリン?」
マリンが静かに諭すように、シトリンを促した。
「わかりました、私も矛を収めます」
シトリンの右手から、その鋭利な爪が引っ込む。そしてリビアングラスの両肩を持って、立つように促して。
「だいたいなんで、マリンさん怒らないんですか!」
まるで八つ当たりでもするかのように、シトリンはマリンを恨みがましく見上げて愚痴った。
「んー? シトリンの足にキスするの、イヤじゃなかったけん」
そう言って、マリンは笑う。シトリンはどう反応していいのかわからなくて、それでも頬が上気して赤く染まった。
「もうっ、マリンさんなんて知りません!」
頬を膨らませて、プイッと横を向くシトリン。半分は照れ隠しだ。
「なぁ、アクアマリン殿」
「何、リビアングラスさん」
「リビアンでいい。それよりお主たち、つまりその……『そういう仲』なのか?」
少し訊きにくそうに、リビアンが訊ねた。マリンはリビアンの言わんとするところがわからず、
「そういう、ってどういう?」
キョトンとして訊き返すマリンだったが、
「そのとおりです‼」
思いっきりドヤ顔のシトリンだ。マリンは意味がわからないまま、
(シトリンが肯定しとるんじゃけ、そうなんかね?)
と逡巡し、
「よーわからんけど、シトリンがそう言っとるんじゃけそうなんよ」
なんとシトリンの発言を肯定してしまった。これには、
「えぇっ⁉」
と自分で言っておいてシトリンは動揺を隠せない。
「どっちだよ⁉」
シトリンの反応を見て、リビアンは混乱している。
「まぁずっと裸でおったら風邪ひくけん、リビアンもシトリンも早く温泉に浸かろう!」
「そ、そうだな?」
「あ、はい⁉」
頬を染めて挙動不審のリビアンとシトリンに、マリンはさっぱりわけがわからないといった風で。
マリンを先頭に、三人は温泉に通じる道を歩く。露天風呂なので周囲は高い木の壁で外から覗けないようにはなっているものの、その行く道は野外である。
「何か、外を裸で歩いてるみたいで落ち着かんな」
苦笑いを浮かべてそう言いつつも、その言葉とは裏腹にリビアンは堂々と歩を進める。
「まぁ露天風呂の醍醐味じゃね」
マリンは、全然気にしていないようである。そしてシトリンはさっきまで興奮状態だったのが治まったのもあって、改めてリビアンの裸体に目がいく。
(リビアンさんは胸が大きいな)
そして今度はマリンの胸にも目をやり。
(マリンさんは綺麗な形だしで……)
コンプレックスを刺激されたのか自分の両胸に手をやって、口から出るのは溜め息ばかりだ。
「シトリン、どしたん?」
思わず立ち止まってしまったシトリンが置いていかれそうになったのに気づいたマリン、振り返ってシトリンに声をかける。
「あ、いえ。なんでもないです!」
慌てて小走りで追いつこうとするシトリンだったが、自然の大きな石を敷き詰めた道だ。そのくぼみに足を取られて前につんのめってしまった。
「あっ⁉」
「危ない!」
だがシトリンがこけるのを寸前で阻止したのは、リビアンだった。
「シトリン殿、大丈夫か⁉」
「あ、はい。ありがとうございます」
憎っくき敵?に助けてもらい、シトリンは複雑そうな表情を浮かべる。そしてマリンは、この十メートルほどの距離を一瞬にして詰めたリビアンの脚力に感心していた。
(さすがは狼獣人じゃね、一瞬じゃった)
もっともマリンも、シトリンが転倒するのを腕一本で阻止したリビアンのすぐ後ろまで詰めていた。リビアンがいなくても、マリンが助けただろう。
「リビアン、シトリンがありがとうね!」
「いやいや、造作もない……それよりアクアマリン殿、お主なかなかの手練とみた。もしかして同業か?」
マリンはそれには応えずに、
「私のことはマリンでええよ」
と応じるも、少し気まずそうである。
リビアンは狼獣人ゆえに、この距離を詰めることができたのだ。だが一瞬の判断は自分のほうが上だったとは云えど、マリンもまた同等の脚力をみせたことに驚く。
(マリン殿は亜人だろうか?)
だがどう見ても、マリンは人間だ。だからこそ、マリンは名のあるハンターではないかとあたりをつけていた。
「休業中じゃけどね。今はハンターギルドの受付嬢やっちょるけど、数年前までは同業じゃったよ」
そう言って踵を返し、温泉へと続く道を先導していく。
「ランクを伺っても?」
リビアンはSランクだ。そしてどう考えても、マリンは自分と同等かそれ以上だと確信していた。
「いやぁ、リビアンと同じぐらいじゃけ」
自らの正体を明かしたくないマリンは、言葉を濁す。だがリビアンの後ろに続くシトリンはフンス‼とふんぞり返りながら、
「マリンさんはSSランクですよ‼」
お前とは違うのだとでも言いたげに、ドヤ顔である。
「SS? 帝国ではSまでだったと思うが……」
残念ながらここは、帝国の統治下にない外国だ。でもそれでも、リビアンはその意味を知っていた。
「帝国の皇女様がSSランクハンターだが、マリン殿は皇女様じゃないよな?」
「皇女様はまだ十代でしょ。まぁ十代に見えるんなら、嬉しいけどねぇ」
照れくさそうにそう応じるマリン、この様子では自分のことを知らないかもと淡い期待を抱く。だがリビアンはあごに手をやって考え込むと、
「もう一人……私の兄を撲殺した『深海の藍』もSSランクだったか」
そうつぶやいて。マリンとシトリンの表情が、一瞬にして凍りついた。
「……えーと、私はなんで殺気を飛ばされているのだろう?」
リビアンはキョトンとしながらもシトリンから放たれる……先ほどまでとは段違いの殺気に反応して、両手の爪は臨戦態勢である。
「隠してもしょうがないけん言うけど……その前にシトリン、爪を引っ込めんさい」
マリンは険しい表情ながらも、自分以上に殺気立ってるシトリンが早まらないように片手で制す。
「リビアンさん、私はこれまでに人や獣人を殺してきたことはあるよ。でも、己が欲望とか感情に流されてっていうのはないけん」
マリンのその返答は、自らがブルーであるということの意思表示だ。それを受けて、マリンに制されながらもさらに殺気立つシトリン。
(いざというとき、私はマリンさんの『剣』になるんだ)
そんな決意の炎で、リビアンを射殺すかのごとく視線を向ける。だがシトリンのそんな殺気をいなすかのように、リビアンは笑顔を二人に向けるのだ。
「そうか、マリン殿がブルーなのだな」
「だったらどうするっ‼」
シトリンは、今にもマリンの腕をどかして飛びかかろうとする寸前である。
「マリン殿に申し上げたい」
リビアンがそう言って……マリンの前で、片膝をついた。
「一族の恥晒し、あのクソ兄をぶち殺してくれたこと。本当に感謝している」
そう言って、頭を深々と下げた。
「……」
「え?」
マリンは無言だ。そしてシトリンは、少し混乱している。
「続きは湯の中でせん? ごめんなさいリビアンさん、私はあなたの兄に心当たりがないけん」
そう言ってマリンも、深々と頭を下げた。
「よ、よしてくれブルー……いや、マリン殿!」
リビアンが慌てて立ち上がり、頭を下げたままのマリンの上体を両手で起こす。
「一つだけ、念を押しておきたい。私は、いや私の一族は『アレ』を屠ってくれて感謝しているのだ」
そう言ってリビアンは、片手で右眼球のくぼみに指を差し入れる。そして――眼球、いや義眼を取り外してみせた。
「リビアンさん?」
さすがに予想外だったのもあって、マリンは絶句する。シトリンは先ほどまでの殺気はどこへやら、この流れについていけず両者を交互に見やってオロオロすることしかできなくて。
「兄は、我が一族……というか、小さな集落をまとめる部族の長だった。だが粗暴極まりない暴君でな」
寂しそうに笑って、リビアンは再び義眼を元に戻す。
「『役立たずのお前に、目が二つあるのはもったいない』……そんな理不尽な理由で抉られてしまった」
「ひどい! リビアンさんは何か悪いことをしたんじゃないですよね⁉」
脊髄反射で、シトリンが反応した。さっきまで憎々しげに睨んでいたリビアンに、心底同情するかのように憤って。
「私が役立たずだったかどうかはわからないが……わが一族が兄一人の驚異で守られていたのも事実。私のような弱虫は、癪に障ったのであろう」
寂しそうにそう言って、リビアンは弱々しく笑う。だがシトリンは憤懣やるかたない様子で、
「マリンさん‼ そのリビアンさんのクソ兄、ボッコボコにしませんか⁉」
シトリンもまた家族に戦闘奴隷として売られた、家族に生きる権利を侵された経緯がある。今でこそマリンという姉のような、いやそれ以上の存在に出会えたからいいようなものの……どうしても他人事とは思えなくて。
フーッ、フーッ‼と興奮冷めやらぬシトリンに、マリンはクスッと笑ってその頭に手を置く。
「いやシトリン、もう私が殺したけん。そっか、『邪狼鬼・インダイト』……合ってる?」
人間亜人を問わず、男からは金品を奪い女は犯す。子どもは連れ去り、身代金を要求……だが身代金を払ったところで、子どもは誰一人帰ってこなかった。
ゆえにハンターギルドには賞金首として『生死を問わず』扱いの、云わば厄災のような存在で。ハンターとしては登録してしてなかったが、Sランクハンターですら手こずる猛者だったのだ。
そのインダイトを拳一つで殴り殺したのが、当時十五歳でSランクハンターのマリンだった。
「あぁ、私の兄だ。そして私にも、同じ血が流れっ……くっ……」
リビアンの声が、揺れる。その両頬に、涙がつたった。
そして、そんなリビアンを慰めようとしてマリンが手を伸ばそうとしたときだ。シトリンが両手でリビアンの肩をガシッと掴む。
「関係ない関係ない関係ない! 血なんてあんな赤いだけの水に、産まれた意味も生きる理由も刻まれてなんかいないっ‼」
シトリンの琥珀色の瞳から、大粒の涙があふれだす。シトリンの家族もまた犯罪に手を染め、今日が両親の死刑執行日なのだ。
だからその言葉は、リビアンに対してもそうだったが自分にも言い聞かせたい言葉で。
(マリンさんはその情報から私を遠ざけるために、今日は温泉に誘ってくれた……)
そんなシトリンに、マリンはそのおでこに優しくキスをして。
「いいこと言うね、シトリン。とりあえずリビアンさん、シトリン……温泉、行こ?」
そう言ってマリンは、にこやかに二人に笑いかけた。
「ええ湯じゃね」
そう言って、マリンは天然岩の浴槽にもたれて気持ちよさそうだ。
「あぁ……」
対して右隣のリビアンは、ちょっと厳しい表情で。そしてマリンの左隣にいたシトリンが、
「あのマリンさん、そっちの隣に行っていいですか?」
リビアン・マリン・シトリンの並びだったので、要は真ん中に入りたいという主張だった。
「? ええよ」
シトリンが立ち上がるのに続いて、マリンが左へ身をずらす。
(リビアンさんと、お話がしたいっちゅうことかね?)
何気なくそう思ったが、実は違って。
(リビアンさんはああ言ってたけど……やっぱり、お兄さんの仇をとりたいのかも⁉)
リビアンの厳しい表情を目にして、シトリンは警戒する。そして自分が間に入ることで、マリンを守ろうとしたのだ。
だが二人が入れ替わったのを見て、リビアンはそれを察したのかクスッと笑った。
「本当にシトリン殿は、マリン殿のことが好きなのだな」
「‼」
自らの行動の意味を見透かされて、恥ずかしさ半分ながら警戒心は解かないシトリン。それでも、
「疑ってごめんなさい。でも、何か思いつめたような顔をしてたので……てっきり」
「なんの話なん?」
マリンはお湯ですっかりふにゃってたので、二人の会話の意味がわからないでいた。
「あ、いえ……リビアンさんが険しい表情をしてらしたので、もし万が一というか」
しどろもどろになって言い訳をするシトリンに、マリンも察する。
「ああ、そういうことなん。……リビアン、どうしたん? 何かあるなら相談にのるし、シトリンが言うようにやっぱり私のことが」
「いやいや、待ってくれ。本当に違うんだ」
リビアンが慌てて、両手を目の前で振って否定する。
「マリン殿のことではない、シトリン殿のことなのだ」
「私?」
「シトリンの?」
リビアンは少し寂し気に笑って頷くと、
「先ほどのシトリンの言葉……血は赤いだけの水だ、生まれてきた意味も生きる理由も刻まれていないという。この言葉に、もっと早く会いたかったなと思ってな」
「え? え、えぇっ⁉」
マリン以外の他人には褒められ慣れていないシトリン、照れくささのあまり挙動不審になってしまう。
「暴虐な長である兄に黙ってしたがうことのしかできない、弱い弱い自分。同じ先代の長である父の血を引きながら、自分の生まれた意味と生きる理由に絶望していた」
「リビアンさん……」
その言葉を受けて、シトリンの警戒も解ける。
「シトリン殿の言葉に、ハッと気づかされた。自分は今まで、なんて卑屈だったのかと悔いていたのだ」
そしてリビアンはシトリンに向き直り、
「改めてお礼を言わせてもらう。シトリン殿、本当にありがとう」
そう言って、頭を下げた。
「あ、え? いや……はい」
どう反応していいかわからず戸惑っているシトリンに、マリンはシトリンの頭をポンポンと叩いて。
「こういうとき、私はシトリンになんて言っちょったかいね?」
「……あ‼」
マリンのその言葉で、自分がどう返すべきかを悟ったシトリン。リビアンに向き直ると、
「えへへ、どういたしまして!」
そう言って、マリンの顔を見上げる。あっていますか?とでも言いたげだ。
マリンは優しく笑って表情で肯定してみせると、
(シトリンはお礼を言われ慣れてないけん、私からもたくさんお礼を言って慣れさせんといけんね)
と思いを巡らす。
「シトリン、これでリビアンさんに対しての誤解は解けたんよね?」
「あ、はい! リビアンさんもすいませんでした‼」
慌てて自分も頭を下げるシトリンに、
「謝られることはなにもされていないな?」
とリビアンはすっとぼけてみせた。
「じゃあシトリン、ここにおいで」
「はい……はい?」
シトリンとしては再びマリンの左横に戻れという意味だと思ったのだが、マリンが指さしているのはマリンの『前』だ。
「ここここ、こことは⁉」
「うん、ここ」
マリンの前に来いという意味がわからなくて、シトリンは軽く混乱している。そんなシトリンを見てリビアンは笑いながら、
「マリン殿の胸にもたれるように座りなさい、ということだろう」
と助け船を出した。
「え、あ、はい。はい?」
なおも混乱しつつシトリンは立ち上がると、おずおずとマリンの前で背中を向けて。
「では、し、失礼します」
そう言って、マリンの目前に小さくて可愛いお尻を見せながらしゃがみ込む。その際に尻尾がマリンの顔と胸を少しなでるような形になってしまい、
「すっ、すいません‼」
と言いつつ顔は真っ赤だ。そして二人は今、全裸のままでバイクに二人乗りをしているような感じになっていた。
後頭部に感じるマリンの胸の膨らみに、シトリンは少し興奮気味で……そんなシトリンにマリンは後ろから優しく両腕を回して、軽く抱きしめる。
「本当に仲がよいのだな……」
リビアンは苦笑いしきりだ。
「ところでマリン殿たちは、アルコル住まいではないだろう?」
「フェクダじゃね。アルコルには観光に来たんよ」
マリンのあごの下にシトリンの頭頂部があるので、マリンはシトリンの頭をあごを乗せてまったりとしている。
そしてシトリンが顔を真っ赤にしてしているのは、決してお湯にあたったからではないだろう。
「ずいぶん遠くから来たのだな。あちらは確か、冬だろう?」
「じゃね、ええところじゃけん。もしフェクダに来る際は、うちに泊まっていきんさい」
マリンとしては、社交辞令半分ではあったのだけど。
「……その言葉、本気で捉えてもよろしいか?」
「え、うん。ええよ! シトリンもええよね?」
少しびっくりはしたものの、イヤでもないし断る理由もない。あとはシトリンの同意を得るだけだったが、
「私は奴隷なんですから、意見を求めないでくださいよぅ」
決してシトリンは、卑屈になって言っているのではない。むしろ自分を大事にしすぎにしてもらってるきらいがあるので、遠慮してほしくなくて言っているのだ。
「マリン殿、ものは相談なのだが」
「うん?」
リビアンは真剣な表情でマリンに向き合い、
「今やうちの部族は、兄の死により私をそっちのけにして醜い後継争いに終始していてな。正直言って、見限ろうと思う」
リビアンが何を言いたいのか読めず、マリンとシトリンは顔を見合わせる。
「アルコルを出ようとは思っていたのだが、行く先は決まっていないのだ。そこで、フェクダに行こうかと思っているのだが」
「うん」
「マリン殿には、返さなければならない恩がある。そしてシトリン殿も同様に。そこでもし迷惑でなければ、お二方の近くに居を構えてもよいだろうか?」
思いつめた表情でリビアンがそう言うものだから、マリンも真剣な表情になる。
「私への恩は忘れてええよ、それにリビアンのお兄さんの仇でもあるけん」
「それについては、私の中にそういう感情はない。まったくない、約束しよう」
「うーん」
当時のマリンとしては、『仕事』でリビアンの兄を屠ったのだ。なので恩を売ったつもりがないので、ちょっと困惑している。
「私への恩?」
そしてシトリンもまた、リビアンに恩を売った憶えがなくて。
「私に素敵な言葉をくれたではないか」
少し照れながら、リビアンが。
「あれはぁ、その……」
シトリン、なぜかちょっと気まずそうで?
「その?」
怪訝そうに問うリビアン。そしてシトリンは、マリンの顔をチラリと見て。
「あれ、マリンさんの受け売りなんです‼ ごめんなさい!」
申し訳なさそうに、本当に申し訳なさそうにシトリンは頭をガバッと下げたものだから、お湯の中に顔面が水没してしまった。マリンは苦笑いしつつシトリンを起こすも、
「私、そんなこと言ったん?」
全然記憶になさそうである。
「えぇ、その……なんていうんですかね。ピロートーク?」
ピロートークとは、要はエッチをしているときにベッドの上で交わす会話のことだ。
「その、マリンさんが発作で苦しんでるときに……私が、房中術をシてあげましたよね?」
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マリンとシトリン、どちらも顔が真っ赤になってしまう。
「『事後』のことなんですけど……その私、卑しい血が流れる奴隷ごときがマリンさんを凌辱してしまってみたいなこと言ったら」
シトリンは涙目で、それでも幸せそうに笑って。
「『血なんてただの赤い水じゃけん。あれには生まれた意味も生きる理由もなにも刻まれちょらんけ、自分で卑しい血って言うのやめんさい』て」
シトリンの目じりにたまっていた涙が、ひとすじ頬をつたった。
「シトリン……」
「マリンさん……」
見つめあう二人だったが、
「ごめん、覚えちょらんけ」
マリンとしてはシトリンの房中術で絶頂に達した余韻にひたっているときのことなので、全然覚えていなかったのだ。
「ですよねー‼」
思わずガクッとなりかけたシトリン、苦笑いを浮かべつつ少々ヤケクソ気味に応じる。
「……私は何を聞かされているんだ?」
そしてリビアンは、困惑を隠せない。
(やはりそういう仲なのだな)
と納得して、それ以上はリビアンも踏み込まず。マリンとしては、それは誤解ではあったのだけど。
かくしてリビアングラスことリビアンは、温泉旅行後はマリンたちとともにフェクダに向かうことになった。
近所同士になるのだから親交を深めようということになり、マリンの宿泊する部屋にリビアンが招かれた。女三人、浴衣姿でアルコル独特の雰囲気が漂う『ワシツ』と呼ばれる空間でガールズトークに花が咲く。
部屋にはアルコル独特のニホンシュと呼ばれるお酒とそれを温める魔導機が常備されていて、成人女性二人組は熱燗に舌鼓を打つ。なお、シトリンはオレンジジュースだ。
リビアングラス・ラスペルパ――狼獣人で、その風貌はシトリンの狼バージョンといったところか。
その青緑色をおびた渋い鼠色、いわゆる浅葱鼠色の被毛が両肘から先と両膝から先に生えている。頭頂部左右にある獣耳と長い尻尾も同様で、まるでツノのように耳先が尖る。
両手両足はともに肉球状で、左手だけ人間態のシトリンや両手だけ人間態のパールともまた違うタイプの獣人だ。
二十一歳のマリンと同等か少し年上ほどの風貌で、頭の位置はマリンのほうが少し高いものの、耳込みだとリビアンのほうが上だ。そしてその高身長は、好戦的な面構えと相まってさらなる迫力を増す。
「なぁ、マリン殿」
お酒に強いようで、ピッチは早いものの特に顔色が変わらないリビアンが不思議そうに口を開いた。
「うん?」
マリンは酒は強いほうだが、温泉入浴後というのもあって少し頬が紅潮している。
「いつでもいいのだが、私とお手合わせ願えないだろうか」
「どういうことなん?」
マリンのオチョコが空になったので、シトリンがトックリを両手に持ってそれを注ぐ。
「話したとおり、私は兄には全然叶わなかった。だがそれは昔の話だ。今もし兄と相対できたならばと、いつも考える。私とて、ずっと鍛錬は続けていたのでな」
「うん……」
「兄に虐げられて黙っているしかできなかったあのころに今の力があったなら、兄を倒して部族を正しく導く長になれたかもしれないと思い描いたことは数知れず。だがそれも今となっては、絵に描いた餅ですらない」
それを聴いてマリンが何か言おうとするのを、リビアンが笑って無言で制する。
「もちろん、私がだらしがなかったからこそマリン殿にご迷惑をかけたのだ。礼こそ言わなければならないし、詫びられる覚えもない」
リビアンはそう言って、おちょこの酒をグイッと呑み干す。すかさずトックリを持って注いでくれるシトリンに、笑みを浮かべつつペコリと頭を下げて。
「確かめたいのだ、どれだけ強くなったのか。そしてまた、かのSSランクハンターであるマリン殿にどれだけ近づけているのか……迷惑だろうか?」
「ほうじゃねぇ……」
なぜかシトリンを見やるマリン、特にシトリンは気にするでもなくオレンジジュースをストローで吸っている。
「鍛錬を積んだ自分が、どれだけ強くなってるかどうかを確かめたいということなんよね?」
「いかにも」
「じゃったら、」
そう言ってマリンは、シトリンを指さす。
「私よりまず、シトリンとやってみてほしいんよ!」
『ブーッ‼』
シトリンにとっては不意の流れ弾で、豪快にオレンジジュースを吹いてしまった。
「え、ちょっ、え?」
慌てて布巾で自分の吹いたオレンジジュースを拭き取りながら、シトリンは困惑しきりである。
「あ、あの、私? リビアンさんと?」
「シトリンはAランクハンターじゃけど、帝国ではAランクを二年以上務めんとSランクに昇格できんのよ。私の見立てでは、シトリンはSランク相当じゃけ、リビアンさんに不足はないと思うんじゃけど、どうじゃろ?」
狼狽するシトリンを尻目に、涼しそうな表情でマリンは言ってのける。
「シトリン殿か……」
外見は大人の女性と少女ぐらいの違いはあるし、身長差も三十センチ以上はある。だがシトリンの浴衣から除くその筋肉や古傷は数多もの修羅場をくぐってきた証だったし、何より十三歳でAランクというのは規格外なのだ。
「もちろん、シトリン殿さえ構わぬならこちらとしても是非もない」
リビアンとしては特に抵抗もないようで、シトリンの意思を確認すべくシトリンの顔色をうかがう。
「えっと……?」
「シトリン、イヤじゃったら遠慮なくイヤって言いんさい。したら私が、リビアンさんの相手を務めるけん」
マリンとしてはシトリンに、対外試合の経験を積んでほしいという親心からでの提案だった。リビアンはSランクだけあって相当な腕前とはみているが、じゃあシトリンより強いかというと――。
「ほうじゃね、じゃあシトリンが勝ったら一つだけ……なんでもお願いしてええよ。もしリビアンさんが勝ったら、今度は私が相手になるけ」
お酒のせいだろうか、そう言って愉しそうにマリンは二人を見やる。
「ふむ、シトリン殿とマリン殿の両方と腕試しをする好機だな」
そうポツリと漏らすリビアンに、
「私が勝ったら、マリンさんと戦えませんけどね⁉」
自分が負けるという前提で話されて、少しシトリンは不機嫌になる。だがそれよりも、
(一つだけ、なんでもお願いを……)
どんな想像をしたのか、ゴクリと唾を呑み込むシトリン。もちろんシトリンとて、異論があるはずもなく。
「私は構いません。なんだったらここでやりますか?」
心が逸るシトリンに、マリンは苦笑いだ。
「宿の人に迷惑じゃけん」
「あ、はい……」
よく考えればそうだったと、シトリンは恥ずかしさのあまり下を向く。
「お二方。ハンターギルドの地下に試合ができる設備があるけん、そこで戦闘不能もしくは降参するまで。審判は私でええじゃろうか?」
「委細承知だ」
「かしこまりました!」
「楽しみじゃねぇ、ふふふ……」
本当に愉しそうにそう言って、マリンが笑う。お酒の酔いのせいか、父・カーネリアン譲りの戦闘狂の血が騒ぐ。
「……マリン殿⁉」
「マリンさん⁉」
かくしてシトリンとリビアン、その火蓋はフェクダ帰国後に切って落とされることになった。一人は己が修練度の確認のために、一人は強く渇望する願いのために。
後にマリン率いるクラン『闇より昏き深海の藍』の、シトリンに続く三人目のメンバーとなるリビアンとの邂逅。マリンの新しい伝説に、また一つページが加わった瞬間だった。
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