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第二章・魔法少女たちの饗宴
第一話『ハルマゲドン』
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「いよーう、陛下!」
「陛下言うな!」
今日も今日とて天枢の塔、皇帝としての机仕事中に飽きもせずに毎日遊びにやってくるは天璇の塔の守護者・デュラ。真祖の吸血鬼である。
「っていうか、賢者たちは皇城では顔パスなのですけど⁉」
デュラが入ってきたのは、窓からなのだ。もちろん、蝙蝠形態で飛んできたのである。
皇帝の住まう皇城だ、もちろん鳥獣人など飛べる亜人であっても簡単に入れるほどセキュリティは甘くない。だが完全な鳥種ならば警戒の対象にならないことを、デュラは悪用したのだ。
そしてそのとき、机上にある小さな魔動機からベルの音が鳴り響く。
「はい、クラリスです」
『陛下、お客様たちがいらっしゃいましたので案内してまいりました』
「ご苦労様。そちらで解錠していいから、みなさんに最上階まで来るように伝えてちょうだい」
『かしこまりました』
そしてほどなくして、扉がノックされる。
「ようこそ!」
皇帝であるクラリス自らが扉を開けて、客人たちを出迎えた。そこに立っていたのは、ソラ・アルテ・イチマル・ターニーの四人。
「デュラ! これです、これ!」
「どれ?」
「だからーっ、ちゃんと城門から入ってきて取り次いでもらえって言ってるんです‼」
「おお、怖い怖い」
ぷんすかと怒っているクラリスをしり目に、デュラはニヤニヤ笑いながら接客用のソファに深く腰かけてローテーブル上の焼き菓子をつまむ。
「相変わらずね、お二人さん」
それを見てソラは、苦笑いしきりだ。
「だね。本当に『世界が終わる』んだとは信じられない空気だよ」
そしてターニーが、それに続く。
世界が終わるといっても、それは魔皇リリィディアとは無関係の要因でだ。今日はその話をするために、ティアを除く賢者たちが天枢の塔に集ったのである。
「ええと、魔導通信であらかたの事情は伝えたけど改めて……あ、司会は私でいい?」
テーブルを囲んで六人、ソラが口火を切った。
「司会ってなんだよ」
デュラが茶々をいれてくるが、それは無視するソラである。
「まず最初に。これは女神・ロード様からのまた聞きになるんだけど、今からおよそ数億年前の話。『星降り』が起きて、この星から一つの大陸が姿を消したわ」
この大陸がある星の星系の隣に、かつては別の星系が存在していた。しかも互いの星系でもっとも遠い惑星の軌道が、ニアミスするぐらいには隣り合っていたのである。
「それがある日、ぶつかっちゃったんだっけ?」
菓子をつまみながら、あまり興味なさそうにターニーが相槌を打った。
「そう。そして惑星同士が衝突して砕けた衝撃で、無数の隕石がこの星に降り注いだ……そして当時一番大きかった大陸が一夜にして海に沈んだのね」
「全部沈んだわけじゃないがな。一部だけは残って、それが今のアルコル諸島だ」
アルテが補足を入れると、一同は無言でうなずく。
「その『星降り』がまた、起こるという話ですよね?」
そう確認を入れるイチマルに、
「今度はこのポラリス大陸がやべーんだっけか」
デュラは真面目に聞いてないのか、ちょっといい加減な返答をかえす。そんなデュラに、ソラは顔をしかめながらも続けた。
「そう、『彗星』との衝突によってね。衝突するのはこの星じゃないけど、一番外側の惑星に衝突して再び『星が降る』の」
「どう抗っても全員死ぬってなると、不思議と心も落ち着くもんだな」
達観した表情でそう言ってのけるアルテに、
「そんなのアルテ姉だけでしょ」
とターニーが呆れた表情だ。だがそう言うターニーもまた、似たようなもので。
「さっきデュラが『この大陸』って言ったけど、大陸だけじゃすまない可能性が高い。下手をすると星が半壊……ううん、全壊してもおかしくない。計算どおりなら、あと半年よ」
「国民には通知しないの?」
そう問うターニーに、クラリスは無言で首を振った。そしてデュラが食い気味に身を乗り出して、
「言えるわけねーだろ、ターニー。逃げようがないんだ、下手に伝えると大パニックになっちゃうだろ」
「デュラさんの言うとおりですね。ここぞとばかりに殺人、強盗、強姦……ありとあらゆる犯罪が頻発するでしょう。自殺者も続出して、下手をすると星が降る前に世界が終わります」
「うへぇ……」
イチマルが真面目に考察するものだから、ターニーは『そうなった世界』を想像して顔をしかめた。
なお実際に、現代世界でも似たようなことがあった。一九一〇年、ハレー彗星の尾が地球を取り込み、全人類が猛毒ガスで窒息するというのが予見されて大騒動になったのだ。
息を止める練習をする者や空気をためる袋を買いあさるのはまだいいほうで、悲観して全財産を遊興に費やす者に自殺する者まで続出したことがある。
ときのローマ法王庁が『贖罪券』を発行したところ、人々が殺到。ほかにもここぞとばかりに詐欺を働く者、処女を生贄にすれば助かるというデマを信じて暴挙に手を染めた者……。
結局その騒動は、地球の厚い大気に阻まれて地球および生命体になんの影響も与えなかったというある意味で笑えないオチがついた。
「リリィディアが復活しようがしまいが世界が終わるんだから、お笑い種だよな」
「笑いごとじゃないのですが……」
本当に他人事のように言ってのけるデュラに、クラリスが釘を刺す。
「そうは言ってもなぁ……そういやティア姉ってどうなるんだ?」
「デュラ、それはどういう意味ですか?」
「まだ死んでるつーか転生待ちだろ? 再びこの世界に降臨したとき、そこは宇宙空間でしたなんてことになったら産まれてすぐに即死じゃねーか」
ティアを尊敬しているイチマルが、それを受けてムスッとする。
「デュラさん、縁起でもないことを言わないでください」
「落ち着け、イチマル。ティアならちょっと前に転生してきてる」
アルテのその言葉を受けて、クラリス・デュラ・ソラ・ターニー・イチマルの五人がガタッと立ち上がった。
「本当ですか⁉」
「え、マジ?」
「気づかなかった……」
「まぁ♡」
「へ? 嘘⁉」
クラリス、デュラ、ソラ、イチマル、ターニーが五者五様の反応を見せる。
「じゃ、じゃあなんでボクたちに会いに来てくれないのさ⁉」
ターニーのこの文句ももっともだろう。そしてターニーはティアの一番の親友なのだ。
「そう言ってやるな、ターニー。ティアの『今度の身体』は、あまり長くもたないらしい」
「あ……」
ティアは、膨大な魔力をその小さな身体に秘めている。その威力、実にこの星を数回破砕してもなお余りあるほどだ。
そして問題なのが人間が体内で血液を作り汗を出すように、ティア自身の霊体もまた生きている限り無尽蔵の魔力を増産し続ける。やがてそれはティア自身のキャパシティーを超え、その霊体は見るも無残に魔核分裂を起こして雲散霧消してしまうのだ。
(ティアさん……)
その最期を見届けたことのあるクラリスの顔が、悲痛に歪む。
ティア自身が自分に転生するというのを幾度となく繰り返してきた中で、数百年生きることもあれば三日しかもたなかったこともあった。
「もって一ヵ月ぐらいとか言ってたな。『今回』は会ってすぐにお別れになりそうだから、みんなに会うのは遠慮しときたいってさ」
「そう……またティアは死んじゃうんだね」
イチマルが心配そうに、そう言ってガックリと肩を落とすターニーの背中に無言で手を添えた。
「じゃあやっぱり、次の転生場所は宇宙空間じゃねーか」
そう言っておちゃらけるデュラの太ももを、クラリスが思いっきりひねり上げる。
「痛てててててっ‼」
「まったくもう……」
呆れた表情で、ソラはため息をついた。
「アルテ姉、確認だけどロード様はこれに関しては手助けをしてくれないのよね?」
「そうだな、ソラ。もともとあのバ……ロードは下界に直接干渉できないんだ。かつて魔皇リリィディアの復活を阻止するために、私の前世だった勇者・アルテミスを送り込むぐらいしか手立てがなかった」
「となると冥府のクロス様はどうなるんだ?」
「デュラ、『どう』とは?」
「しれたことよ。たくさんの生けとし生くる者が死んで冥府に送られるだろ? 大忙し……はまぁ置いといて、生まれ変わる場所がねーじゃねーか」
少々乱暴な物言いではあるが、デュラの疑問ももっともだった。だがアルテは、そこをすかさず訂正する。
「誤解があるようだが、冥府でやるのは魂の洗浄だ。それが終わると天界へ召し上げ、転生させるのはロードの管轄だな」
「ルビ……」
相変わらずのロード嫌いに、クラリスは思わず苦笑いである。
「じゃあ大変なのはロード様もか。サービス残業ご苦労さんだな」
さすがにこのデュラのジョークには、誰もまともに取り合わなかった。
「方法がないわけじゃないのよね、実は」
「なんの方法さ?」
ぼそっと漏らしたソラの言葉に、デュラが食いつく。
「決まってるじゃない、『世界を終わらせない方法』よ」
当たり前のようにソラがそう言うものだから、ほかの五人はポカーンとしてしまう。
「え、あるの?」
呆然とした表情のまま、ターニーが代表して口を開いた。
「現実的じゃないけどね。世界中、人間も亜人も含めて魔法が使えるすべての人間が力を合わせて巨大な防御の魔法陣を天空に展開するの」
「そうすりゃみんな助かるのか?」
「可能性は限りなくゼロに近いわ、デュラ。星一つぶっ壊しかねない隕石群を防御する魔法陣なんて、神様でもなければできないでしょ」
「なるほどなぁ。その神様は傍観しかできないから無理だこりゃ」
「それだけじゃありませんね」
「イチマル?」
険しい表情であごに手をあてて考えていたイチマルが、静かに顔を上げて。
「それを実行するためには、少なくとも『星降り』が起こる事実を全国民に通知する必要があります」
「あ……」
先ほどイチマルが懸念していたことを、デュラは思い出す。
『ここぞとばかりに殺人、強盗、強姦……ありとあらゆる犯罪が頻発するでしょう。自殺者も続出して、下手をすると星が降る前に世界が終わります』
(確かに、そっちのがリスクでかいな)
「じゃあさ、ソラ。ボクたちがその……なんというか……」
「ターニー?」
元気っ娘がトレードマークが珍しく言いよどむのに、ソラは首をかしげた。そしてターニーは意を決して、続きを口にする。
「ボクたちが一つに、リリィディアになっててのは? その力でなんとかできたりするかな?」
ターニーのそのひとことで場が静まり返った。だが、
「本末転倒だろ、それ。リリィディアがどういう意思を持っているかによって、『星降り』より先に世界が滅ぶ可能性がある」
「デュラ、そうなんだけどさ」
「私もそれは考えなかったわけじゃない、わけじゃないが」
「アルテ姉?」
なおも疑問を呈すターニーに、アルテは困ったような笑顔を見せる。
「仮にリリィディアがなんとかしてくれる力と考えを持ってるとしよう。だがリリィディアになるということは、ここにいる六人……ティアも含めて七人全員の『精神的な死』を意味する」
「……うん」
リリィディアが覚醒したとて、クラリスたち七人の自我が残る可能性は低い。むしろ消えると考えるのが自然だろう、アルテはそこを懸念している。
「私は構わないのですけどね」
クラリスが、ぼそっとつぶやいた。
「クラリス?」
「考えてもみてください、デュラ。言ってみれば、私たち全員が記憶喪失になるようなものでしょう? それで世界が救えるなら……」
「それは『皇帝』としての意見か?」
「はい」
「クラリス個人としては?」
「消えたくない、です。みなさんと別れたくない……」
詰められて本音をもらすクラリスの頭に、無言ながらデュラが優しく手を置いた。
「それによ、ターニー。それだとティア姉をとっ捕まえてくる必要あるだろ」
そう言いながらデュラは、アルテをチラ見する。
「ああ、ティアはまた旅に出てるな」
「『魔力放出』の?」
「だな。あちこちで治癒魔法使いまくって、少しでも魔力過多の状態を軽くして延命をはかるわけだが……悪いが、私はいまティアがどこにいるのか知らんのだ」
もし仮にここにいる六人が『そう』決断してたとしても、七人のうち一人でも欠ければそれは叶わない。
「あ、そうか……ちょっと魔電かけてみる」
そう言ってターニーが取り出すのへ、
「私が試さなかったと思うか? なんでだか知らんが塔に置いてってるよ、ティアは」
アルテが、やれやれとばかりのジェスチャーでそれを制した。
「ったく、ティアの奴ぅ!」
地団太を踏むターニーだが、ティアの住まう揺光の塔は別名を『居留守の塔』という。実際に居留守をしているわけではないのだが、なかなか会えないことを揶揄った別名だ。
「となると、やっぱ全員サヨウナラか?」
「そうなるわね」
「人生、あきらめが肝心だな」
「もう一度だけ、ティア姉に会いたいです」
「それは私もです」
「ボクはティアを殴りたい……」
順にデュラ・ソラ・アルテ・イチマル・クラリス・ターニーが、めいめいの反応を見せた。そしてデュラが心底鬱陶しそうに天井を指さすと、
「ところで『アレ』、どうするよ?」
「気づいてましたか、デュラ」
「クラリスも気づいてたんなら、なんとかしろよ」
「そう言われましても……」
天枢の塔の屋上、空に面したその場所で。二人の魔法少女が、中の会話を盗み聞きしていた。
そのデュラの発言を受けて、塔の屋上にいるマリィとララァの背がビクッと震える。
「あちらから仕かけてこないなら、ほっときましょ?」
そうソラが横入りしてくるのに対し、
「まぁ仕かけてきたら返り討ちにするまでだ」
「本当に鬱陶しいですね?」
アルテとイチマルが相槌を返す。ターニーだけはどうでもいいようで、机上に出されたおやつをパクつくのに一生懸命だ。
「そういや世界が終わったら、『あいつら』はどうなるんだろう」
天井を見上げながら放ったデュラのその疑問に、
「みんな仲良く冥府行き、だな」
そう返すアルテはどこか寂し気で。
「そうなるかぁ……お役御免になっちゃうもんな」
そして塔の屋上にて、マリィがこれまた憂鬱そうな表情を見せる。
「いやララァ、ほんと私たちはどうなっちゃうの?」
「さぁ。マリィも私も、もともと太古の昔に死んだ身だからね。冥府へ戻ったとて、クロス様に消されておしまいじゃない?」
奇しくも屋上の魔法少女二人、塔内の賢者六人のしめて八人。そのため息のタイミングが、ピタリと重なった。
「うーん……」
「どうした、クラリス」
「いやだからデュラ、なんども言ってるように城門から……」
翌日、天枢の塔。皇帝としてのデスクワーク中で苦悶の表情を浮かべているクラリスは、相変わらず窓から入ってくるデュラに対して呆れ顔だ。
そのデュラ、勝手にお茶の用意をするとソファに座って悠然とティータイム。
「いやいやいや? 私にも淹れてくれませんかね⁉」
もはや半ギレのクラリスに、
「わりー、わりー」
と形だけ謝って、デュラが席を立った。
「まったくもう!」
そしてクラリスもデスクを離れ、デュラの向かいに座って束の間の休息をとる。
「クラリス、なにを唸ってたんだ?」
「来年度の予算ですね」
「『来ない』のに?」
「……」
そう、『星降り』はソラの見立てでは半年後。来年は来ないのだ。
「ずっと、考えてたんですよ」
「なにを?」
「ほら、ソラさんが言ってたじゃないですか。全人類が力を合わせて巨大な防御紋を空に張るという」
「そら、だけにな」
「うわ、しょーもな」
デュラのダジャレに対し、クラリスの反応は冷淡だ。さすがに自覚もあるのか、デュラがほんの少し顔を赤くして。
「でもソラが言ってたろ、『可能性は限りなくゼロに近い』って」
「そうなんですけどね。ソラさんに訊き忘れました」
「なんのことだ」
「ソラさんが言う可能性てのは、いわゆる国民に通知して魔力が使える人々を集めて力になってもらうことができるかどうかの可能性なのか……それとも、それができたとしてその防御紋が『星降り』に耐えられるかどうかなのか」
「あぁ、確かにどっちとも取れるな……訊いてみるか?」
「ですね」
クラリスがふところから魔電を取り出すのを見て、デュラが不意に噴き出した。
「デュラ、なんです⁉」
若干イラ立った声音で、クラリスがギロリとにらんだ。
「いやクラリス、お前。そろそろ自分が『七賢者』の一人だって自覚しろよな?」
「と言いますと⁉」
「凄むな凄むな。ほら、『アレ』」
八つ当たり気味に恫喝してくるクラリスに対し、デュラは苦笑いを浮かべながら部屋の中央にある魔法陣に親指を向ける。ほかの六人との魔導通信が行える魔法陣だ。
「あ……そうでした」
まだ使い慣れてないのもあるが、あったことも忘れていたのもあってクラリスは照れて下を向く。すぐさまそれをごまかすように魔法陣まで歩みよると、ソラの小紋様に手を触れて……。
「ソラさん、いまいいですか?」
三秒も立たず、目の前にソラの立体映像が現れた。
『クラリス、なにかしら?』
「昨日ソラさんが言ってた、『可能性』についてなんですが」
『うん』
「具体的に、どういうことに対する可能性でしょうか」
『というと?』
「実現が不可能、というのが『用意』段階のことなのか『実行』のことなのか」
『あぁ、『実行』のほうね』
クラリスの疑問に対し、間髪を入れずソラが返答する。続けざまに、
『というかそれ、言わなかったっけ?』
二人の会話を聴いてたデュラが、なにかに思い当たったように振り向く。
「そういや言ってたわ。星一つぶっ壊しかねない隕石群を防御する魔法陣なんて神様じゃねーと無理、みたいな……だっけ?」
『それそれ』
それを聞いて、クラリスは納得したようにうなずく。
「なるほどね」
だがその顔には、『すっかり忘れてました』という動揺が浮かんでいた。デュラとソラはそれを見抜き、同時に噴き出してしまう。
「笑わないでくださいよ、もぅっ‼」
『ううん、朝から楽しいお笑いをありがとうクラリス』
「意地悪ですねぇっ!」
『あはは、ごめんごめん。それで用ってそれだけかしら?』
「あ、すいませんもう一つ」
『ん?』
「可能性はゼロに近いとおっしゃいましたが、確認です。本当にそうでしょうか?」
『どういうことかしら』
「確かに星一つを防御する巨大な魔法陣なんて、現実味がありません。ですがそれがもし可能だとしたら?」
『うーん、それなんだけどね』
「なんです?」
ソラには含むところがあるらしく、クラリスは興味津々で身を乗り出す。ただソラの表情は、あきらめの境地にも似た『暗さ』が漂っていた。
『この星だけを護ってもしょうがないのよ』
「それはどういう……」
『かの星降りはこの星系全体に降り注ぐのよ? この星だけ直撃を免れたとして、直撃しなかったそれらが最終的にどこに向かうと思う?』
「あ……太陽?」
『そういうことね。まぁ太陽は大きいから隕石群は呑み込んでしまうかもしれないけども、あくまでそれは希望的観測。太陽も壊されちゃったら、この星だけが無事でも意味がないわ』
「氷河期が来ちゃうとかそういうことか?」
デュラが横入りして訊いてくる。
『それもあるんだけど、ほら。惑星って太陽の重力で公転しているわけじゃない? 太陽がなくなったら糸の切れた風船のように宇宙空間をひたすら直進していく……光も熱もない孤独な死の旅路ね』
「この星自体が、宇宙という海を漂う幽霊船になっちゃうわけか」
『そういうことね、デュラ。だからクラリス、「完全」を期するならばこの星だけじゃない、せめて太陽までの範囲もカバーしないといけないの。この星の直径が約一万五千キロ。この星から太陽までが二億キロほどよ』
「……絶望的、ですね」
『そ。だから可能性はゼロに近いの』
二億キロも論外だが、直径一万五千キロをカバーする魔法陣も現実的ではない。
(私が張れる最大でも百キロがいいところだ……)
人知を超えた存在に進化したクラリスでさえ、そうなのだ。単純計算でクラリス級が百五十人は必要になる。
だが塔の賢者たちは、誰もが卓越した力を持ちながら七人しかいない。この七人より勝る魔導士は存在しないし、次点となる魔導士とてかなりの格差で下回る。
「うーん、私自身を無限にコピペできる魔法ってないもんですかね」
『それこそ非現実的ね。ロード様でもクロス様でも無理なんじゃないかしら』
ソラのその発言を受けて、クラリスは押し黙る。そしてなぜか、自分でそう言ったソラとデュラも……三人とも同じところに考えが帰結したのだろう。
もしもリリィディアだったら、と。
だがそれは、本末転倒だ。そんなことをやるまでもなく、創造神ならば『星降り』そのものを『なかったこと』にできるだろうから。
「わかりました、ありがとうございますソラさん」
『いいえ、どうしたしまして』
そして通信は切れてソラの立体映像は消失する。だがクラリスはその場にしゃがみこんだまま、デュラには背を向けた状態で立ち上がるそぶりを見せない。
そしてひときわ大きなため息をつくと、
「なんで私のときに……」
よりによってなぜ自分が皇帝のいま、とクラリスは言いたいのだろう。そしてデュラは、さすがにそれを茶化す気にはなれなかった。
「誰が皇帝のときだって、手も足も出なかっただろうよ」
そう慰めるのが精いっぱいだ。だが納得できないクラリスは、スクッと立ち上がるとズカズカと窓際まで歩み寄ると――。
「ねぇ、あなたたちもなんか名案ないの⁉」
と窓から身を乗り出し、上を向いてやや半ギレで怒鳴る。クラリスからは空しか見えないが、それを問うた相手は。
「あったらなんとかしてるわよ!」
屋上で座り込んでいたマリィが、ヤケクソ気味に返答する。隣ではララァが、気持ちよさそうに目をつぶって寝そべっていた。
「おいおい、お前ら仲いいな?」
それを見てデュラは苦笑いだ。昨日と同じく、マリィとララァが屋上に張り付いていたのに気づいていたクラリスとデュラである。
ちなみに昨日もそうだが、デュラが蝙蝠形態で飛んできた方向からは死角になっていてマリィたちの姿は見えない。クラリスもデュラも、気配だけで察したのである。
なおマリィたちは魔法の箒にまたがって飛んできたわけだが、皇城のセキュリティをクリアすることなぞ稀代の天才魔法少女であるマリィとララァには朝飯前であった。
(懐かしいな……クラリスの声って、リリィと同じなんだもんなぁ)
マリィが、追憶の中にあるリリィを思い浮かべる。リリィ・マリィ・ララァはそれぞれ『ベル』の称号を頂く天才魔法少女だった。
年齢こそリリィを筆頭に一学年ずつ違うが、先輩後輩なんて敷居はなくてとても仲のいい三人組だった。大きな魔法槌を振り回す脳筋系のリリィ、状態異常魔法の天才ララァに自分はその中間――それぞれの分野でリリィとララァにはかなわなかったが、そのどちらも優秀にこなす全知万能型がマリィだった。
その二つ名は、『天才にして天災』。三人の中では年上のリリィを差し置いてリーダー的ポジションで、明るいムードメーカーかつトラブルメーカーの側面も併せ持つ。
その自分がいま、かつての親友であるリリィを滅するために生き返った。同じ理由で生き返ったララァとは方針の違いもあって、今後ぶつかるかもしれない……。
「っていう状況にくわえて隕石とか、神様ってアホかな⁉」
思わずそうぼやくマリィであったが、その神様ってリリィことリリィディアである。もっともリリィや、ロードそしてクロスがそれを画策したわけではなかったが。
(でもロード様やクロス様と違って、下界にいるリリィならなんとかなる……?)
淡い期待であったが、それでも一縷の望みではあるかもしれない。だがそれには最大の障壁が、いまマリィの隣で寝ているのだ。
(ララァ……)
七人の賢者たちが一人のリリィとして再臨するのを待って対峙しようと決めているマリィに対し、ララァは一人のリリィになろうとする前段階で阻止したい考えを持つ。
「ふむ……」
マリィはなんとなくふところからナイフを取り出すと、
「えいっ♡」
それを思いっきりララァの心臓めがけて振り下ろした。
「どわぁっ⁉」
寝ていたとはいえ、その不穏な空気を感じ取ったのだろう。ナイフが胸に刺さる直前で瞬間的に目を覚ましたララァが、間一髪のタイミングで飛びのく。
本当に寸前だったためララァの衣服胸部分が少し切れて、白い乳房がチラ見える。その乳房もナイフの刃先をすべらせたせいで、赤い血液の線が滲んだ。
「ちょっ、マリィ⁉」
「あ、起きた。ごめんごめん、手がすべって」
「いやいや、いや? 『えいっ』って言ったよね⁉」
「そうだっけ?」
「いくら私がやろうとしていることが気に食わないからって、不意打ちで殺そうとするのはどうなの⁉」
「てへ♡ いや、どうせ冥界で再会できるし? それに、どのみち役目を終えたら私ら用済みだから消されちゃうじゃない?」
「ぐぬぬ……」
暖簾に腕押し、糠に釘。ぜんぜん悪びれる様子もないマリィに、ララァは歯ぎしりをして悔しがる。
天才マリィが『天災』ともいわれる所以が、このハチャメチャな性格だ。
「うるせーぞ、外野!」
そのとき塔の中から聴こえてきたのは、そんなデュラの怒鳴り声だった。
「でもデュラ、あなた……言ってましたよね?」
「なんの話だ?」
「リリィディアが世界を滅ぼす可能性について話したときです。コインの表と裏を当てろって言われて……」
「うん?」
「少しでも可能性があるのに、それを見逃すのかって。ソラさんは限りなくゼロに近いといったけど、無理とは言わなかった!」
「まぁそうだけどさ」
なにを言い出すのかと身構えたデュラが、面倒くさそうにボリボリと頭を掻く。
「私は、あきらめめないでいようと思います」
「うん、まぁ……その心がけは大事、だな?」
「本気ですよ?」
「好きにしろよ」
「えぇ、そうさせてもらいます!」
クラリスは決断した。この星を、大陸を守りきるのは難しいかもしれない。
(でもせめてドゥーベ市国だけでも……ほかの国からは、うちに避難してもらって)
だがその考えには、再びクラリスの心中をかき鳴らす懸念が存在する。
(アルコル……)
かの国の民に、母国を空にしろとはとてもじゃないが言い出せない。それを利用して、国が簡単に乗っ取られてしまうのを誰もが警戒するだろう。
「でも、それでも……」
言ってみるしかない、理解してもらうしかないのだ。五里霧中のいま、皇帝である自分があきらめたらそこで終了なのだから。
――クラリスは、静かに拳を握りしめた。
まずおひざ元の帝都ことドゥーベ市国、帝国の支配下にあるメラク・フェクダ・メグレズ・アリオト・ミザール・ベネトナシュの各王国よりも先に、アルコル諸島自治区ことヤーマ諸島連合国との話し合いをクラリスは優先しようと考えた。
まずは皇帝名で書簡を出し、大事な話があることと急ぎであることを伝える。ヤーマからはすぐに返事が来て、話し合いの場をヤーマの北端にあるシュラ島とするのを条件として掲示されたがそれを快諾。
そして今日、クラリスはドゥーベ市国から直接ヤーマへ向かう船に乗り込んだ。皇帝が外交に使う船なので、乗り込むのはクラリスと使用人ほか衛兵たちが数百人。
大砲が前後あわせてしめて八基、そのまま軍艦としても使える軍船だ。
「イリエ、アルコル……ヤーマとの海上国境を通過前に一度船を止めてちょうだい」
「かしこまりました、陛下」
イリエと呼ばれた白髪で初老の男性侍従が、うやうやしく頭を下げる。母・ディオーレの代から二代にわたって皇帝を補佐してきた切れ者だ。
「止めて、いかがなさるおつもりで?」
「大砲をしまうわ」
「‼ なるほど、警戒されないように……ですか」
「そう、戦争しに行くんじゃないからね。刺激しないにこしたことはないわ」
外訪の理由は伝えてあるし場所はあちらが指名したとはいえど、大砲を向けた船で入港するわけにはいかない。ただでさえかの国は、帝国からの侵略を警戒して日々備えているのだ。
(あの『魔力工場』は、いまも稼働しているのだろうか)
皇太子時代に、ターニーの試練で知った現実。国を守るという思いのもとに、自身の生涯を捧げたヤーマの国民たちが自国の海上を守っている。
「本当なら衛兵たちも連れて行きたくないんだけど」
「陛下、ききわけのないことを申しなさいますな。陛下は皇帝なのです、護衛も連れず外遊に出すわけにはいきません」
「わかってるわよ、もう。ただし下船は最低限の人数で!」
「しかたありませんな、そこは折れましょう」
そんなやり取りがあって、間もなく船は海上にある国境に差しかかる。停船した船から大砲がしまわれて、再び魔石エンジンがかかると船はゆっくりと進みだした。
「そろそろ、か」
そう思った瞬間に、クラリスは『違和感』を覚える。だがそれは一瞬だけで、クラリスほどの高い能力を持った魔導士でないと気づかなかっただろう。
(国境を超えたわね)
帝国の船が国境を越えたこと、それは防御の結界を貼っている『魔力工場』の人たちに魔力を通じて伝わっただろう。
いまあの人たちはどんな思いでいるのかと、クラリスの表情は重い。
やがて遠くに巨大な大地、シュラ島が見えてきた。それがぐんぐんと大きくなってきて、船は温泉リゾート地としても有名なヴェイプの街の港湾に舵を進める。
そして船はゆっくりと桟橋に着岸、まず選抜された護衛兵二十人が先に下船して十人ずつにわかれて左右に並んだ。その『人の門』の中央を、最後に下船したクラリスが悠然と足を運ぶ。
「ようこそいらっしゃいました、クラリス・カリスト皇帝陛下。私はヤーマの首長を務めますアベガーともうします」
「お出迎えご丁寧にありがとう、アベガー首長。クラリス・カリストです」
ダンディな中年男性のアベガーと、固い握手をかわすクラリス。そして案内された馬車に、イリエと二人で乗り込む。
その馬車の上空で、一匹の蝙蝠――デュラが旋回していた。
衛兵たちによる警備の打ち合わせで多少遅れたものの、馬車は出発。前後にヤーマの護衛兵とアベガーが乗り込む馬車、そして帝国側の護衛兵が続く。
両国の兵たちは徒歩なので、馬車もそれに合わせてゆっくりと進んでいた。
「ヴェイプでは温泉に入れるかしら?」
「姫……じゃなかった陛下、遊びに行くんじゃないですぞ。入れますけども」
「本当に? やったー‼」
「まったく……」
少々あきれながらも、イリエは苦笑いを禁じ得ない。クラリスが赤ちゃんのころから見守ってきたのだ、皇帝になって固い表情でいることが多かったから久々に年相応にはしゃぐクラリスを見て顔もほころぶ。
(だが今回の会談は、温泉どころじゃないだろうな)
窓外の空を見上げて、イリエが目にしたもの。それは遠くの山の上に姿を見せた黒雲が、この先を暗示しているかのようであった。
馬車は温泉の硫黄臭ただよう街並みを厳かに進み、山の中腹にある高級そうな宿泊旅館の前で停車。馬車の扉が外から開け放たれて、クラリスは地に足を下ろした。
「クラリス皇帝陛下。明日の会談に先駆けて、まずは旅の疲れを癒されては? この宿の温泉は当国でも高く評価されている重曹泉となっておりまして、美肌効果も高く女性に大変好評を博しております」
「それは楽しみです。帝国に持ち帰る、よい土産話となるでしょう」
本当はクラリスとしては会議に入る前にそれに備えて非公式の会談を設けたかったのだが、頭の中の天秤がガターンと大きく温泉に傾いた。それを顔に出さないでニッコリと対応したつもりだったが、そこは海千山千の狐たちがクラリスの周囲にいる。
というより対外向けの差し障りのない笑みを見せているつもりのクラリス、唇が少しだけプルプルと波打っていた。
(すっげー嬉しそう)
奇しくもアベガー首長、イリエ、そして上空で舞う蝙蝠の思いが一致する。もちろん彼らは、この大事な場ではツッコまないけれども。
案内された部屋に到着するなり、すぐさまクラリスはユカタと呼ばれるヤーマ伝統のバスローブに着替えた。タオルやアメニティグッズを検品するその目が、爛々と輝いている。
もうイリエは、ツッコむのもあきらめて嘆息だ。
今回の会談では、衛兵を除く従者はイリエしか下船していない。普段ならば手荷物は使用人に持たせるのだが、そこはいたしかたないだろう。
「じゃあ、イリエ。私は温泉に行ってまいります」
「はい、くれぐれも『ご注意』を」
そう言いながら、イリエはクラリスに聖剣を手渡した。
「……私は温泉に行くのよ?」
「あなた様は皇帝ですが?」
無粋だとクラリスは思ったが、イリエの言うことももっともだ。聖剣を受け取らない限りイリエは温泉に行かせてくれないだろうから、ここは自分が折れることにする。
もっともクラリス、剣士ながら魔法の腕前も相当なもの……というか治癒魔法こそティアの後塵を拝すだろうが、攻撃魔法にいたってはアルテと肩を並べるレベルだ。
妖術のイチマル、呪術のソラと互角にわたりあえるほどの腕前は持っている。だから帯剣する必要はないのだが、そこは皇帝という立場があった。
(確かに皇帝が、他国で単独行動を丸腰で行うのも不用心か)
今日はクラリス一行のために、一般客の宿泊はシャットアウトしていた。
クラリス一行と言っても衛兵を除けばイリエしかいないのだが、そこは仮にも皇帝陛下なのだ。ヤーマ側としてはクラリスの、ひいては帝国の不興を買うわけにはいかない側面がある。
「やっぱお忍びで来たいなぁ」
「なんで?」
「だってほら、ほかの宿泊客とのふれあいってのも大事にしたいじゃない?」
「そういうもんかね」
「そうですよ、っていうかデュラ。なにいけしゃあしゃあとユカタに着替えてここにいるんですの⁉」
さも当たり前のようについてくるデュラに、クラリスは若干のイラ立ちを隠せない。そもそもクラリスの従者としてはイリエ一人しかいないと伝えているのに、余計な火種はごめんこうむりたかった。
「あぁ、私は今回の『皇帝陛下』のご宿泊にあたって臨時で雇われた三助だから」
「三助って、入浴補助をする『男性』のことですよね?」
「男性のが良かったか?」
「そういう話をしているのではなく……『雇われた』と言いました?」
「言ったね」
デュラは、クラリスと一緒の船で来たのだ。というか上空を飛んできたので、船に追尾してきたというほうが正しい。
いったいいつどのタイミングで雇われたのか、そもそもセキュリティを考えるとこのタイミングで人を雇うというのは不自然ではと考えてクラリスは思い当たる。
「なるほど、魅了眼ですね」
「そういうこと! ちゃんとクラリスのおっぱいを綺麗に洗ってやるから楽しみにしてな」
「……はい」
デュラのいつもの茶化しだったが、本当にそうしてくれるのかとクラリスは期待半分だった。
姉にして師にして仲間ともいえるデュラに身体を任せる背徳感に、胸を躍らせるクラリス。デュラとしては冗談のつもりだったが、妙にウキウキになっているクラリスにそうだとは言えなくなって――。
(ま、クラリスが楽しみにしてるなら『そう』してやるかな)
と苦笑いを浮かべる。
やがて二人は貸し切りの大浴場の入り口に到着、ヤーマの女性騎士たちがクラリス警護のために入り口の左右に並んでいた。
「みなさん、ご苦労様です」
「はっ!」
話はとおっているのか、デュラのことはなにも聞かれなかった。そしてクラリスが入り口に入ろうとして、なにかに気づいて立ち止まる。
「あぁ、そうそう」
「なんでしょうか?」
振り向いて満面の笑みで直近の女性騎士に話しかけるクラリスに、帝国の皇帝から話しかけられて緊張のあまり青い表情を浮かべる女性騎士のコントラスト。クラリスは緊張をほぐしてあげるかのように気さくに微笑みを投げかけると、
「警護はあなたたちに任せるから、こんなものは無粋ね。持ってていただけるかしら?」
そう言ってクラリスが手渡したのは――愛刀の聖剣。
「えっ⁉ あ、あの?」
「受け取ってくれないと、中に入れないわ」
「あ、はい!」
キョトンとしながらも困ったようにそう言ってのけるクラリスに、思わず了承してうやうやしく聖剣を両手にいただく女性騎士。周囲の女性騎士たちが、動揺を隠せずに挙動不審に陥る。
(どうしたんだろ?)
クラリスはわからなかったが、女性騎士たちとしては。仮にも自分たちの住まう小国なぞ簡単に呑み込める帝国の皇帝が、剣を預け背中を見せようというのだ。
実際にはデュラもいるが、いなくてもクラリスに単独で勝てる人間や亜人は仲間以外に存在しない。それはたとえクラリスが、丸腰であってもだ。
だが女性騎士たちとしては、自分たちがいつクラリスの後ろから斬りかかってもおかしくない状況を皇帝自身が作ったのである。
それは揺るがない信頼であると同時に、皇帝になにかあったら自分たちの責任もさらに重くなることを意味した。ゆえに彼女たちは、動揺を隠せなかったのである。
もっとも、もしこの場にイリエがいたらゲンコツの一つでも飛んできたかもしれないが。
「ではデュラ、まいりましょう」
「かしこまりました、皇帝陛下」
「……」
「なんでしょう?」
「いえ、別にっ!」
女性騎士たちがいる手前、臨時の温泉職員という立場のデュラだ。人前ではいつものようにとはいかない。
クラリスとしてはそれがわかっているが、わかっていることと受け入れることは別である。
(なに怒ってるんだよ、クラリス)
(なんだっていいでしょう、もう!)
自分でもなにを怒ってるのかよくわからないクラリス、デュラから送られてきた念話の返事でもさっぱり要領を得ない。
だがとりあえずは機嫌を直し脱衣所で二人、ユカタを脱ぐ。
「へぇ、新・クラリスの裸体も見事なもんだな」
「なんですか、『新』て」
「私の首をチョンパする前の旧・クラリスより迫力のあるボディになってんなと」
「言い方!」
実際、デュラをこの手にかけたあの日に起きた身体の変化。
髪の色に長さと質、瞳の色に身長も五センチほど伸びた。まだ少女のあどけなさが残っていた童顔は影を潜め、そこにいるのは美麗な大人の女性だ。
「私は、前の身体のほうが好きでしたけどね」
「そんなもんかね」
そんな会話をかわしながら、デュラが入り口の扉に手をかけてガラッと開ける。
「きゃー‼ 本当に肌がつるつるだわ、ララァ!」
「マリィ、温泉ではしゃがないの!」
すでに先客が、二人。思わずずっこけるクラリスとデュラなのだった。
「じゃあ次は、両腕を広げてくれ。腕と腋を洗うから」
「こう?」
その裸身に石鹸の泡をまとって椅子に座っているクラリスが、両腕を水平にあげた。
「そうそう」
そしてデュラが石鹸を沁みこませたスポンジを手にクラリスの腋から始まり、肩そして上腕と丁寧に磨き上げていく。
「あ、横乳を忘れてた」
「横乳て……」
腋のすぐ下、乳房のサイド部分にスポンジをあて……る前に、まず自分の手のひらでチェック(なにを?)。
「あ♡」
「ヘンな声を出すなよ、クラリス」
「デュラが触るからでしょうっ‼」
「触らないと洗えないだろ?」
「……それはそうですが、スポンジを使わずに手のひらで揉みしだくのはいかがなものかと?」
「やわらけーなー」
「聴いてますか⁉」
そんな感じでイチャイチャ(?)しているクラリスとデュラの二人を、少し離れた浴槽でマリィとララァが眉をひそめて遠巻きに眺めていた。
「まー、奥様。ごらんになりまして? やーねー、最近の若い子ってば人前で堂々と……」
「女の子同士で卑猥ですわ‼ 親御さんはどういう教育なさってるのかしらね⁉」
マリィとララァが頬に片手をあてて、井戸端会議に興じるおばちゃんのごとく声をひそめる。
「そこ、うるせーぞ!」
「そんなんじゃありませんっ‼」
それに対するデュラとクラリスの反論が重なった。
「そもそもお前ら、なんでここにいんだよ?」
そう問うデュラに対し、
「見てのとおり入浴ですが⁉」
とマリィが食い気味に返す。
「そういうことを言ってるんじゃねぇよ! はぁ……もういいや」
もう呆れて呆れて、それ以上の不毛な丁々発止をする気がなくなったデュラであった。
「あの方たちは、表の女性騎士さんたちの目を盗んで入ってきたんでしょうか?」
「どうだろな。古代の魔女種だ、姿を消したり移動術なんてものはお手の物だろ」
「おっ、いい線いってる!」
順にクラリス、デュラなのはもちろんだが最後のはマリィだ。だが二人はマリィを無視すると、
「じゃあ次は反対側な」
「もう揉まないでくださいよ?」
なんて会話を続行するものだから、マリィが頬をプーッと膨らませた。
「いやそもそもマリィ、デュラの言うことももっともでしょ。なんで私らここにいるの?」
マリィに比しては常識人のララァである。一応は最高級の温泉なので若干楽しんでた自分もいるのだが、さすがに奇天烈な登場方法なのは自覚していた。
「え、だって温泉だよ?」
「知ってるわよ。……うん、わかったもういい」
ララァもまた、自由すぎるマリィに呆れて脱力だ。この温泉に潜り込むことは、マリィの発案だった。
「そうはそうとねぇ、ララァ。クラリスのおっぱいてリリィに似てない?」
「そうかな? どっちかっていうと、デュラのほうが近いよ! リリィは全身鍛えてて余計な脂肪はなかったし、おっぱいも固そうだったじゃん?」
こっちはこっちで卑猥な会話をかわし、それを少し離れた場所で聴かされているクラリスとデュラは赤面して震えている。クラリスは恥ずかしさに、そしてデュラは――。
「か、固そう⁉ 私の……が⁉」
怒りとショックでプルプルと震えるデュラに、クラリスがフォローを入れた。
「そっ、そんなことありませんよデュラ! 『それなり』に柔らかそうです。確かに大きさの割には、ギューッと締まってて詰まってて密度が高そうですけど」
いや、フォローになっていなかった。
(それを固そうというのでは?)
マリィとララァ、二人の感想が一致をみて……いよいよ次はミラクルゾーンだ。
「まぁいいや、次は股間な」
「……は?」
「いやだから、クラリスのクラリスを洗ってやるって言ってんだよ」
「私の股に名前つけるな!」
「いいじゃんか、別に。私の股の名前は~ってさ?」
「字が違うっつの」
マリィとララァはそのやり取りを受けて先ほどから笑い死んでおり、口を浴槽に沈めてごまかしているものだからブクブクとあぶくの音が浴場を反響する。
「私の私を洗うのは自分でやります。その間に、デュラは自分の身体を洗っててくださいな」
「自分で言ってるし……ま、了解した」
そう言ってデュラはクラリスの隣に腰かけて、先ほどまでクラリスの身体を洗っていたスポンジを手に取った。
「あ……」
「ん?」
クラリスが止める間もなく、デュラはそのスポンジで自らの腕を洗い出す。
「あの、それ私の身体を洗ったやつ……」
「あ、気持ち悪かったか? ごめんごめん!」
「いえ、そうではなく。デュラがイヤなのではないですか?」
「なんでだ?」
「……いえ、なんでもないです」
クラリスとしては自分の身体を洗うのに使ったスポンジを使うのは、デュラにとって不潔に感じやしないかという気遣いだった。だがデュラが全然気にする素振りを見せないものだから、なんだか気恥ずかしくなって赤面して下を向く。
(そっか、イヤじゃないんだ)
そんなことを、考えながら――。そしてクラリスが『前』を洗い終えたタイミングで、デュラがクラリスの背後に回る。
「髪、洗ってやるよ」
そう言って、クラリスの返事も待たずに上からシャンプーをかける。
「ありがたいですけど、一応は了承をとってくれませんかね?」
先ほどからずっと叫び疲れとツッコミ疲れもあって、もうクラリスには怒鳴る気力が残っていない。
「お客様、痒いところはございませんかー?」
「ないし」
そんなデュラの軽口に、無機質な返事で返すクラリス。そしてその様子を見ながら、
「性格はリリィとだいぶ違うね?」
「そうねぇ。どっちかというとソラに近いよね」
そんな会話をマリィとララァがかわす。クラリスの髪を洗っているデュラと洗われているクラリスの耳がダンボのようになって、二人の会話を興味津々とばかりにそちらへ向く。
「声がクラリスでしょ、身体はララァが言うようにデュラなのかな? 性格がソラ寄りで……ティアにも似てるよね、ちょっときついところが」
「私らの中で最年長というのもあるけど、年上の包容力みたいなものはアルテみたいな感じ? 上品で落ち着きがあるところはイチマルかな」
「もうビックリするぐらい、リリィが七分割されてるよね」
「ね、不思議」
マリィとララァは、別にクラリスたちに聴かせるために話しているわけではなかった。だがその会話内容に惹き付けられてデュラの手は止まっているし、クラリスもそれに気づいていない。
「マリィ、そろそろ出ない? 湯だっちゃいそう」
「了解」
そして不意にマリィがクラリスたちのほうに振り向いた。
「じゃあそろそろ私たちは出るわね?」
不意にマリィからそう声をかけられて、盗み聞き(?)していたクラリスたちは疚しさからビクッと背が震えた。
「勝手にしろよ!」
それを誤魔化さんとばかりにそう吐き捨てるデュラに、ニコッと微笑みかけるマリィとララァ。マリィは浴槽に片手を静めて底にピタッと手のひらをつけると、
「『異門開放』」
その魔法詠唱で、マリィとララァを中心として湯の中に大きな魔法陣が展開される。そして一瞬だけ眩しい光を放ったかと思うと、次の瞬間には二人の姿は消えていた。
だが間違いなく先ほどまで二人がいたのは確かで、その証拠に湯面が激しく波打っている。
「まったく、うるせー奴らだ」
「ですね! でも瞬間移動の魔法、現代のものとは少し違うのですね。興味深いです」
「……」
「……」
なにかを誤魔化すように二人とも早口で会話をかわすが、不意にどちらも黙り込んだ。二人は、どうしても気になっていたのだ。
(じゃあターニーはリリィのどこに似ているんだ? どこにも似てないのかな)
(ターニーさん、名前出なかったけど……忘れられちゃった?)
それを確認しあうのもなんだかターニーにもうしわけない気がして、口にできないでいるクラリスとデュラなのであった。
ヤーマとの会談は、まったくの平行線をたどった。それはそうだろう、帝国の侵略を警戒するヤーマ側に全国民が一時的に移動してこいというのだ。
「たとえばカリスト皇帝陛下は同じことを言われたとて、従えるのですか‼」
アベガー首長が、血走った目でまくしたてる。
「それは……」
国を一時的とはいえ無人にするのだ、クラリスも皇帝としてそれがどういう危険をもたらすのかは理解している。ヤーマ側に悪意があれば、国を簡単に乗っ取られてしまう。
「たとえ『星降り』があるとしてもそれはこの国の、そしてこの星の運命。我々はそれに殉じる覚悟です」
「それはアベガー首長の考えでしょう? ヤーマ国民の総意ではないはずです‼」
「いえ、国民も同じくですよ。我々の覚悟をなめないでいただきたい」
ずっとこんな調子なのである。だがふと、クラリスは疑念を抱いた。
「ちょっと確認なのですが、『星降り』が起きるという事実は信じていただけるので?」
「我々ヤーマの国教は『マウンテ教』です。その姫巫女様がお認めになられているのだから、疑う余地はございません」
帝国では一番信者が多いのが『シマノゥ教』で、『マウンテ教』はそれに比べたら信者が少ないまでも第二の宗教として多くの信者を抱える。どちらも創生の女神をロードと定義して冥府の番人・クロスとともに崇めているが、シマノゥ教はロードを唯一神としクロスをロードの化身と考える唯一神の宗教だ。
翻ってマウンテ教は、八百万の神々が存在するという考えで神々の筆頭をロードとしている。姫巫女とはシマノゥ教でいう大聖女なのだが、ここヤーマではマウンテ教が国教になっていた。
シマノゥ教はキリスト教に、そしてマウンテ教は日本神道に似ているかもしれない。同じ女神を信奉しながらも、太古の昔にシマノゥ教から枝分かれして発展したのがマウンテ教なのだ。
ちなみにどちらも、実際のロードやクロスを取り巻く天界・冥界の現実には即していない。だが強いて言えば、マウンテ教のほうが正解に近かった。
ロードの眷属である精霊や天使もまた、地上の民からすれば神なのだから。そしてハイエルフは精霊であり亜神なので、アルテもまた神の一種であるともいえる。
また、マウンテ教の姫巫女というのは……。
(イチマルさんのおかげで、話がスムーズだな)
そう、イチマルなのだ。クラリスと同じ七賢者にイチマルがいたのが、思わぬ功を奏した形となった。
「ではどうあっても、従えないと?」
「無論です。もちろん我々も、一緒に救おうとしていただいたカリスト皇帝陛下の慈愛の心には感謝をしております。おりますが……」
「私を帝国を信用できない、というわけではないですよね」
「それは違います。ただ先ほど『国に殉じる』というのが私の考えで国民の総意であるともお伝えしたように、完全に信用するというわけにはいかないのが私の考え。そしてこれもまた、国民の総意と思っていただきたい」
「しかしっ……」
「カリスト陛下は、我が国の『魔力工場』のことはご存じですか?」
その忘れられない言葉に、クラリスは息を呑んだ。かつてデュラが『魔力牧場』と表現したように、クラリスもまた同じ感覚だったからだ。
「えぇ、存じています」
「かの工場で国を守るためにその生涯を捧げてきた数多もの御霊に、私は顔向けができないことをしたくはないのです」
アベガーの主張ももっともだろう、クラリスは決定的なカードを突き付けられて二の句が告げないでいる。
「そうですか……わかりました、アベガー首長。とりあえずはこちらが引きましょう」
「ご理解をいただけてありがとうございます、カリスト皇帝陛下」
クラリスの『とりあえずは』の部分に一瞬だけ眉をひそめたアベガーであったが、そこは強引にクラリスが承諾したという流れに持っていく。
かくして会談は物別れとなり、クラリス一行は『手ぶら』で帝国を引き返すことになった。そして、同時に決めなければいけない非情な決断をする覚悟――。
(デュラが与えてくれた試練、まさにそれだな)
帝国の民だけを救い、外国であるヤーマの民を見殺しにするという選択にクラリスの心中が激しく揺れる。
「アベガー首長は、このことは国民には?」
「『星降り』のことでしょうか」
「はい」
「そうですね、姫巫女様ほどでなくても神の託宣を賜う神通力の高い巫女は数多くおります。いずれ明るみに出るならば、国から……とは考えております」
「わかりました」
クラリスとしては『星降り』のことは民に明かさないというのを一つの選択肢として考えていたのだが、ヤーマ側で明らかにする以上は人の口に戸は立てられない。
(帝国政府が黙っていても、ヤーマ側からその情報は洩れるだろう……)
なので帝国側もまた民に流布するのが妥当となってくるし、そのタイミングも慎重に図らないといけない。
「ではアベガー首長、互いの国民にそれを明かすのは足並みをそろえるというのは可能でしょうか」
「同日同時刻ということですか?」
「そうです」
「もちろん、賛成です。ではそれについて話をまとめましょう」
この話し合いは比較的かんたんにまとまり、一ヶ月後とすることが決まった。そしてあとは世を儚んだ国民が暴徒と化さないように、治安悪化対策に全身全霊を注ぐ。
と同時に、防御の魔法陣を錬成するためにできるだけ魔力を持った者たちを集めないといけない。クラリスは皇帝として、アベガー首長のようにあきらめるつもりは毛頭なかった。
「私とアルテさん、イチマルさんにソラさんで死力を尽くせば直径五百キロは出せる。帝都の国土は約千キロだからその二倍か……」
手法としては、クラリスがまず単騎で天空に魔法陣を張る。クラリスの身に内包する魔力量だと、直径百キロほどが限界だ。
そのクラリスに、魔力持ちが魔力をクラリスの身体に直接『給油』する形で魔法陣の範囲を広げる。だがこの方法には、当初クラリスが想定していなかった誤算があった。
この七賢者は人智を超越した存在であると同時に、魔力なら誰でもよいというわけでなくクラリスと同じく防御の魔法陣を錬成できる者に限られた。なので防御の魔法を身に持たないデュラとターニーは今回の戦力として数えることができないのだ。
そして魔力といえばティアだが、タイミング的に再び死亡して転生待ちになっている可能性があるのでそれをあてにするのはリスクが大きすぎる。
よって残り五百キロと魔法陣の範囲を広げるのは、ソラが言うように限りなく可能性はゼロに近いのだ。
(でもそれでも、私はあきらめない。あきらめたくない!)
クラリスの皇帝として一世一代の壮大な試みが、いま静かに始まろうとしていた。
――そして帰りの海上、その船のデッキで。
「マリィ、ララァ……いますか?」
クラリスが誰もいないデッキでひとり、二人に呼びかける。正確には、デュラが蝙蝠形態で上空にはいたけれど。
すると、さっきまで蒼天の空だけが広がっていた場所に魔法の箒にまたがった魔法少女が二人。まるでさっきからいましたよとでも言いたげに、クラリスを見下ろしていた。
(認識阻害魔法か……)
するすると二人はデッキに降りてくると、
「なんか用?」
マリィが少し不機嫌そうに応じる。ララァは無言のままで、その表情からは心中を読み取れなかった。
「どうせ盗み聞きしてたと思いますが」
「まぁしてたわね。で?」
(全然、悪びれないのですね)
思わず苦笑いのクラリスだったが、これから自分は頼み事をしようというのだ。下手を打ってやぶ蛇にはしたくない。
「魔力が、できるだけ多く必要です。それも防御に特化した……」
「うん。で?」
「協力していただけたらなぁ?と」
ちょうどそのタイミングで蝙蝠形態のデュラが滑空してきて、クラリスの肩に止まる。
「まぁやぶさかではないけれども、別に私らはこの世界が終わっても困らないのよ」
「……」
「そうね、あなたたち七人がリリィに戻ってくれるって約束ならいいわよ?」
もちろん、クラリスとしてはお断りだ。
「それはできませんが……もし戻ったらどうされるおつもりですか?」
「決まってるじゃない、私が冥府に送り届けてあげる」
瞬間的にマリィから殺気が発せられ、そしてそれはクラリスの肩に止まっているデュラからも。黒い瘴気が蝙蝠から漂うと、あっという間にいつものデュラの姿に戻る。
「お前はリリィを討ちたいのか? 私たち、もしくはその中の誰かじゃなく?」
「なんで知らない人を殺らなきゃいけないのよ?」
当たり前だとばかりに、フンスとマリィの鼻息も荒い。
「知ってる人なら殺っていいのかよ……まぁそれはともかくとして、そっち。ララァはどうなんだ?」
「協力? 私はお断り。マリィと違って私は、リリィが完全体に戻るのを防ぎたいの。だから今回の『星降り』は都合がいいのよね、あなた達が勝手に死んでくれるから」
(足並みを揃えてるわけじゃないのか?)
思わず念話でクラリスに話しかけるデュラだったが、
(でも、リリィを滅したいという点では共通してますよ)
と応じるクラリス。
「そもそも私たちは最初から敵なのよ? 協力とかそういう関係じゃないでしょ」
バカじゃないのとでも言いたげに吐き捨てるマリィだったが、
「じゃあなんで、一緒に温泉に入りにきたんですかね?」
と小声でクラリスがデュラに耳打ちする。
「まったくだ。ツンデレなんじゃね?」
笑ってマリィをチラ見しながらデュラが言うものだから、
「なによ! あとから入ってきたのはクラリスたちのほうじゃない!」
ちゃんとそれが聴こえたのか、逆ギレのマリィである。
「いやマリィ、あの温泉はクラリスたちの貸し切りだから……」
困ったようにララァが口を添える。味方の思わぬ裏切り(?)にカァーッとマリィの顔が赤く染まったのは、恥ずかしさからかそれとも怒りか。
「と・に・か・く! 協力はお断りよっ、ふんっ‼」
そう叫ぶやいなや、マリィは魔法の箒にまたがってあっという間に上空へ消えていった。
「……」
取り残されたララァが、無言でクラリスたちを見つめる。
「確認だけどお前は、ララァは私たちが私たちであるうちに殺りたいんだよな?」
「勘違いしないで。私の『目的』はリリィの復活を阻止すること、パズルのピースを欠けさせることはあくまで『手段』だわ」
「つまりそういうことじゃねーか」
詭弁だとばかりに、デュラは取り合うつもりがないようだ。だがクラリスはあごに手をやってじっと考え込んでいて。
「では私たちがリリィに戻らないと約束したら、ララァの目的は達せられますか?」
「おい、クラリス⁉」
確かにそうなれば、クラリスの言うとおりマリィが七人の誰かを滅する必要がない。ただ同時に、マリィの目的いや手段が達せられないことにもなってしまう。
「それは無理ね」
「どうしてですか?」
「クラリス、そのバカにまともに取り合うことはねーぞ」
「デュラはちょっと黙っててください。ララァ、どうして無理なのですか?」
毅然とした表情で、クラリスがララァを見つめる。バカ呼ばわりされたのが気に食わないのか、ララァは一瞬だけデュラを見やってすぐさまクラリスの前まで歩み寄ってきた。
警戒したデュラが、クラリスをかばうようにしてその間に立つ。
「なにもしやしないわよ」
無表情で、ララァがぼそっとつぶやいた。
「どうして無理か、それは……」
「それは?」
「あなたたち七人の意思と、リリィの意思は別ってこと」
(それは確かにそうかもしれないけれど……)
だがなにか確固たる理由があってララァがそう言っているのだと、クラリスは感じていた。
「ララァは、なにを知っているの?」
「……リリィは、ふたたび再臨したがっている。なによりクラリス、あなた自身がその証拠よ」
「私が?」
「クラリス。今のあなたはリリィやマリィ、そして私と同じ太古の魔女として覚醒したわ」
「え⁉」
「そういうことか……」
驚きを隠せないクラリスと、なにかを察するデュラ。
「デュラ、『そういうこと』とは?」
「つまり、リリィが復活のために粛々と『準備』を進めている……違うか?」
「ご明察ね。だから急がなきゃいけない……」
だがそう返すララァの表情は、少し寂しげで。
「なぁ、ララァ。これまでになんども機会あったろ? マリィもそうだが、あんたが強いのはわかるよ。私たちの誰と戦っても互角かそれ以上だろう」
「買い被りだわ……」
デュラのその発言に対し、不本意だとばかりに顔を背けて小さくララァがつぶやいた。
「だがさすがに私ら」
デュラがそこまで言って、斜め後ろにいたクラリスを横目でチラ見る。
「え?」
不意のことだったので、惑うクラリス。だがすぐにデュラはララァに向き直ると、
「私ら『六人』を相手にするには一対一でないと分が悪い。さすがに二人以上なら私も勝てる自信あるぜ?」
「なにが言いたいのよ?」
「どうしてなんだ? まだ『人間』だったころのクラリスならば、お前は簡単に討てたはずだ」
「……」
それを受けて黙り込んでしまうララァと、先ほどのデュラと視線が合ったそれに納得がいくクラリス。
(確かにそのとおりだ)
だがここは大人しく、ララァの反応を待つ。
「だって……ほら、デュラも常に一緒にいたじゃない。あなたが言ったのよ? 二人以上なら勝てるって」
狼狽を隠せないで、ララァが一気にまくしたてる。だがデュラは無表情のまま、
「二十四時間ずっといるわけじゃねーよ、クラリスだって小便もすればクソも垂れる」
「デュラ、なに言って……」
こいつはなにを言い出すのかと慌てるクラリスだが、デュラはそれには応じず。
「お手洗いや風呂、いくらでもクラリスが一人になったことはあったはずだ」
(あ、そういうことか。でもほかに言い方はなかったんですかね⁉)
クラリスは、デュラの後ろで一人プンスカしていた。
「まぁ覚醒したクラリスは今や私らほかの六人と同等だ、せっかくの好機を不意にしたな」
デュラが嫌味ったらしく、そう言って嗤う。だがララァは目を潤ませて、唇を震わせて。
「……が、……るの」
「あん?」
「あなたに、なにがわかるの‼」
そしてついには、その涙が決壊して頬をつたう。
「さっきデュラは、私の目的も手段も同じじゃんて言ったよね⁉ 違うわよ、全然違うわよ‼」
「お、おいおい?」
瞬間的に豹変したララァの剣幕に、デュラが思わずたじろいだ。
「私が……私が、マリィもそうだけどリリィを! かつての親友を討ちたがってるって本気で思ってるの? そんなの、イヤに決まってるじゃない……」
そう言ってララァが腕で涙を拭い、それを目の当たりにしてクラリスとデュラは言葉を失ってしまう。
「しゃべりすぎたわ……私も退散するわね」
「おい、ちょっと待っ」
「『聖水大開放』」
思わず駆け寄ろうとしたデュラに対し、ララァが箒にまたがりながら小さくつぶやいた。そして次の瞬間――。
「うをっ、なんだこれ⁉」
デュラの股間にジワッと水分が滲み、その筋肉質で白い太ももを伝って黄色い水が流れた(なんかすいません)。状態異常魔法を得意とするララァの魔法の一つで、尿道を拡げたうえで膀胱を激しく揺さぶる人の道にもとる外法である。
「後ろの穴じゃないことを感謝してよね」
そう吐き捨てると、ララァは一瞬のうちに上空へと消えていく。
「うわああああっ」
自分の意思とは無関係に失禁してしまったデュラが、顔を赤らめて座り込んだ。クラリスはデュラには一瞥もくれず、険しい表情でララァが消えた空を見上げて。
(恐ろしい魔法だわ……)
そのクラリスの股間も、びしょ濡れだった。
その後、クラリスたちはたくさんのことを話し合った。
事情は各国の王室にすでに通達してあり、それにくわえてティアを除く六人の賢者との定期会談……その過程では、回を重ねるごとに皇帝クラリスが描いた青写真がことごとく否定されていく。
まずクラリスの言う『全人類を帝都に集める』、これは事実上不可能に近いことがわかる。一国に七ヶ国の人間すべてが集まるということは、これまでの七倍にのぼる住居・食料が必要になるということだ。
あっというまに食料は枯渇してしまうし、風習も違えば考え方も違う国同士の人間が密集するというのは治安の悪化を招く。
またかつてアルコル(ヤーマ)側が嫌気したようにアルコルと海をはさんで一番近いミザール王国を空にするというのを、当然ながら今度はミザールの王室が嫌がった。最終的にクラリスが皇帝としての命令をくだすことはできるのだが、それに従っても拒否してもミザール王室との間には修復が難しい溝が生まれてしまうだろう。
そして別の理由で拒否をつきつけてきたのは、大陸最東端にあるベネトナシュ王国。ベネトナシュの国民全員が大陸を東端から帝都のある西端までとなると、食料はもちろん天文学的な旅費が必要になる。
帝国としての援助もクラリスは打診してみるものの、ベネトナシュの王室は首をたてに振らなかった。帝国側が全額負担を申し出たとて、民族大移動は現実的な話ではない。
隣国のメラク王国とその隣フェクダ王国は『七ヶ国の足並みが揃うならば』という条件付きで従う姿勢を見せたものの、ミザールとベネトナシュが拒否したとあってはどうにもならなかった。
大陸中央にある大国・メグレズ王国は帝都の間にあるメラクとフェクダが従わない以上、自国を空にはできない。国土が空のすきに二国に占領される危惧があるからだ。
同じ理由でアリオト王国も、ベネトナシュとミザールが従わない以上は自国を空にはできないとの返答である。
ここは天枢の塔、アルコルと同日に行われる全国民への『星降り』にまつわる通達を出す日まであとわずか。デュラが、ため息をつく。
「まぁよく考えればそうだよな」
「他国の侵略を心配している場合じゃないのですが……」
クラリスが、困ったように唸る。だがクラリスは帝国の皇帝であり、このポラリス大陸ではトップの位置にいる。
比してほか六国の王たちはそれに準ずる立場にあると同時に自分たちもまた一国を任されていることから、はいそうですかといくわけにはいかないジレンマが各々にあった。
「ターニーから学んだはずよ? 愛する自分の国を守るために、己が命よりもそれを優先する人たちとの埋められない考え方の差があることを」
ソラが諭すように言う。続いてターニーも、
「そもそもクラリスは、荷を背負いすぎなんだよ。ときには諦めることも肝心……これをイチマルから学んだよね?」
そしてそのイチマルもまた、
「皇帝としてときには非情な決断をくださなければならないことがある……これはデュラさんから学んだはずです」
そんなやり取りを見ていたアルテが、
「そして背負いきれない荷を背負い続けたらどうなるか、それはティアが命をかけて教えてくれただろう?」
デュラも続けざまに、
「仮に実現できたとしたら、帝国民の食料はあっという間に尽きる。待っているのは餓死だ……これがどんなにつらいか、ソラが教えたはず」
そして最後にソラが、
「皇帝の判断が良しにつけ悪しきにつけ、それは償いきれないものかもしれない。ただそれでも、忘れなければいい。忘れなかったら反省もできる……アルテ姉との前世の話、忘れた?」
「みなさん……」
「でもまぁ、魔導士の派遣はすべての国が協力してくれるというから、それは助かったじゃない?」
そう言ってソラが微笑みかけ、デュラがクラリスの肩にポンと手を置く。ターニーがニカッと笑って親指を立てると、イチマルが無言でうなずいた。
そしてアルテがなにごとか口を開こうとして、いきなりギョッとした表情で窓の外を振り向く。
「アルテさん?」
「……仲間に対してこんな言い方は自分でもどうかと思うが、やっぱあてにしなくて正解だったかもしれん」
「なんの話で」
クラリスがそこまで言いかけたとき、軽く塔が揺れた。そして窓の外、はるか遠くに見えるは天空を突き刺す一本の光の柱――。
「あれは……あれは、まさか⁉」
それは、クラリスにも見覚えがある光の柱だ。そしてほかの五人はクラリスよりも『彼女』とのつきあいが長いから、当然『それ』がなんなのかを知っている。
「ティア、また逝ったか……」
寂しそうに、アルテがつぶやいた。イチマルが無言で巫女衣装の袖を使い自身の涙を拭い、ターニーはポロポロと涙をこぼしてそれを拭おうともしない。
デュラとソラは、沈痛な表情でうつむいている。そしてクラリスは、悲痛な声をしぼりだした。
「世界が滅んだら、もうティアさんとは会えないのですね」
悲しいんだか悔しいんだかわからない感情が、ぐるぐると渦をまく。そして、しばしの静寂のあと――。
「とりあえず、だ。めそめそ泣いてばかりもいられないから話は戻すが、私は今回の作戦でも助かる可能性がゼロに近いというのは、秘しておくべきだと思う」
「デュラ、どういうことですか?」
「やっても無駄かもしれねーのに、全魔導士が協力してくれると思うか? また治安の悪化で犯罪が頻発するだろう。衛兵が出払ったら、魔法で暴れてるやつはどうやって制圧する?」
「そうね、その対策用に一定数の魔導士を各国に残しておく必要があるわ。とてもじゃないけど、全魔導士を帝都に集結させるのはリスクが大きい……」
「デュラとソラの言うとおりだな。ここは五分五分……五〇パーセントの確率で成功するということにしたらどうだろうか」
クラリスはアルテのその提案に、不本意そうな表情を浮かべる。
「帝国民に嘘をつけ、と?」
「嘘も方便だろう、クラリス」
「……」
アルテの言うことはわかる、わかるのだけれどもクラリスには踏ん切りがつかないでいる。
「仮にそうしたとしても、アルコル側ではそうしないでしょう。二つの異なる情報があったら、国民が疑心暗鬼にならないでしょうか」
だがそのクラリスの懸念に対し、
「ではことが済むまで、いったん海路を閉じては?」
そう提案してきたのはイチマルだ。
「海路を閉じる?」
「なるほど、渡航禁止にするのか!」
ターニーが、合点がいったという表情でうなずいた。
「えぇ、ターニーさんのおっしゃるとおりです。これならあちらの情報がこちらに、そしてこちらの情報があちらに行くことはありません」
「だね。もとよりそんな危機になったら、外国旅行なんて気分にならないでしょ。イチマルはアルコルでは信者が多いマウンテ教の姫巫女だし、ボクもミザール側の賢者だ。そこらへんの工作はボクらに任せておいてよ!」
「ターニーさん……イチマルさんも」
イチマルとターニーが、無言でうなずいた。
「じゃあとりあえず近日中に行われる皇帝からの『お言葉』は、『星降り』に対して五〇パーセントの確率で全人類が滅亡する。だから空に魔法陣をかけて防御にあたりたいから、全魔導士は協力してくれって呼びかける……でいいか?」
得意げにそう言ってのけるデュラに、クラリスたち五人の視線は冷たい。
「デュラ、あなたはバカなのですか⁉」
「なんだよ、藪から棒に……」
「反対だっつの、デュラ」
「あん? なにが反対なんだ」
呆れるクラリスと、ツッコむターニー。アルテ・イチマル・ソラはダメだこりゃとばかりに頭をかかえる。
「デュラが言うのは……おおむね合ってますが、言い方を違えるわけにはいきません。三ヶ月後に起きる『星降り』に対応するため、全魔導士の協力がほしい。空に防御の魔法陣を張れば、五〇パーセントの確率で『帝国』が助かる」
「逆になっただけじゃん?」
「それが大事なのよ、デュラ。いわゆる『朝三暮四』ね」
「なんだよソラ、そのチョーサンなんとかって」
こんな故事がある。猿に対し『朝に三つ、夕に四つ餌をやろう』と言ったら猿たちが『朝に三つは少ない』と怒り出したので、『では朝に四つ、夕に三つでどうだ』と言ったら納得してくれたという。
結果的に一日に七つなのだから目先の言葉に猿たちは騙されたことになるが、要は言葉のマジックでだまくらかそうということだ。
「五〇パーセントの確率で人類が全滅、五〇パーセントの可能性で人類が助かる。どちらも同じでしょ? でも……」
「なるほど、言い方によっては期待値が違うな」
妙に納得したデュラである。
「なぁクラリス、さっき『帝都』じゃなくて『帝国』と言ったか?」
ふと気づいてアルテが問うのに、クラリスを除くほかの四人がハッとした表情を見せた。だがクラリスは、それがなにかとでも言いたげな表情で。
「みなさんがよってたかって私に言ったんですよ? 『嘘も方便』て。もちろん現実的には帝都をカバーするのが精いっぱいですが、ほか六国を見殺しにするという立場は公には示せません。あきらめが肝心とはイチマルさんが、割り切れとはデュラが教えてくれたことですよね⁉」
さっきまで自分たちがそう言ってクラリスを説得していたのだから、その発言に対してはぐうの音も出ないアルテたちだ。
「でもクラリス、お前はそれで……その、大丈夫なのか?」
「デュラ、なにがです?」
「精神、持つのかなって……」
心配そうに小さくつぶやくデュラに、クラリスはニッコリと笑顔を見せる。
「完全にあきらめたわけじゃないです。どれだけの『魔力』が集められるか、それ次第では大陸をカバーできるかもしれません。また、アルコル諸島も……」
クラリスのこの前向きな言葉にはイチマルも、
「『らしい』ですね、クラリスさん。さすがにあきらめが肝心とは、もう言えなくなりました」
イチマルがそう言って、笑う。
それでその場が、まるで雨が止んだ空から雨雲がパーッと晴れて陽が差し込んだかのように明るくなった。だがクラリスを含む誰もが、その願望は……実際には不可能に近いことを知っている。
だけどそれでも、やらなければいけない。この若い新人の賢者仲間に、崇高な決意を胸に抱いた若き皇帝の力になりたいと先輩賢者たちはそれを顔に出さなかった。
そして数日ののち、クラリス皇帝からの『星降り』に関する通達が大陸全土を一陣の風となって駆け巡る――。
「陛下言うな!」
今日も今日とて天枢の塔、皇帝としての机仕事中に飽きもせずに毎日遊びにやってくるは天璇の塔の守護者・デュラ。真祖の吸血鬼である。
「っていうか、賢者たちは皇城では顔パスなのですけど⁉」
デュラが入ってきたのは、窓からなのだ。もちろん、蝙蝠形態で飛んできたのである。
皇帝の住まう皇城だ、もちろん鳥獣人など飛べる亜人であっても簡単に入れるほどセキュリティは甘くない。だが完全な鳥種ならば警戒の対象にならないことを、デュラは悪用したのだ。
そしてそのとき、机上にある小さな魔動機からベルの音が鳴り響く。
「はい、クラリスです」
『陛下、お客様たちがいらっしゃいましたので案内してまいりました』
「ご苦労様。そちらで解錠していいから、みなさんに最上階まで来るように伝えてちょうだい」
『かしこまりました』
そしてほどなくして、扉がノックされる。
「ようこそ!」
皇帝であるクラリス自らが扉を開けて、客人たちを出迎えた。そこに立っていたのは、ソラ・アルテ・イチマル・ターニーの四人。
「デュラ! これです、これ!」
「どれ?」
「だからーっ、ちゃんと城門から入ってきて取り次いでもらえって言ってるんです‼」
「おお、怖い怖い」
ぷんすかと怒っているクラリスをしり目に、デュラはニヤニヤ笑いながら接客用のソファに深く腰かけてローテーブル上の焼き菓子をつまむ。
「相変わらずね、お二人さん」
それを見てソラは、苦笑いしきりだ。
「だね。本当に『世界が終わる』んだとは信じられない空気だよ」
そしてターニーが、それに続く。
世界が終わるといっても、それは魔皇リリィディアとは無関係の要因でだ。今日はその話をするために、ティアを除く賢者たちが天枢の塔に集ったのである。
「ええと、魔導通信であらかたの事情は伝えたけど改めて……あ、司会は私でいい?」
テーブルを囲んで六人、ソラが口火を切った。
「司会ってなんだよ」
デュラが茶々をいれてくるが、それは無視するソラである。
「まず最初に。これは女神・ロード様からのまた聞きになるんだけど、今からおよそ数億年前の話。『星降り』が起きて、この星から一つの大陸が姿を消したわ」
この大陸がある星の星系の隣に、かつては別の星系が存在していた。しかも互いの星系でもっとも遠い惑星の軌道が、ニアミスするぐらいには隣り合っていたのである。
「それがある日、ぶつかっちゃったんだっけ?」
菓子をつまみながら、あまり興味なさそうにターニーが相槌を打った。
「そう。そして惑星同士が衝突して砕けた衝撃で、無数の隕石がこの星に降り注いだ……そして当時一番大きかった大陸が一夜にして海に沈んだのね」
「全部沈んだわけじゃないがな。一部だけは残って、それが今のアルコル諸島だ」
アルテが補足を入れると、一同は無言でうなずく。
「その『星降り』がまた、起こるという話ですよね?」
そう確認を入れるイチマルに、
「今度はこのポラリス大陸がやべーんだっけか」
デュラは真面目に聞いてないのか、ちょっといい加減な返答をかえす。そんなデュラに、ソラは顔をしかめながらも続けた。
「そう、『彗星』との衝突によってね。衝突するのはこの星じゃないけど、一番外側の惑星に衝突して再び『星が降る』の」
「どう抗っても全員死ぬってなると、不思議と心も落ち着くもんだな」
達観した表情でそう言ってのけるアルテに、
「そんなのアルテ姉だけでしょ」
とターニーが呆れた表情だ。だがそう言うターニーもまた、似たようなもので。
「さっきデュラが『この大陸』って言ったけど、大陸だけじゃすまない可能性が高い。下手をすると星が半壊……ううん、全壊してもおかしくない。計算どおりなら、あと半年よ」
「国民には通知しないの?」
そう問うターニーに、クラリスは無言で首を振った。そしてデュラが食い気味に身を乗り出して、
「言えるわけねーだろ、ターニー。逃げようがないんだ、下手に伝えると大パニックになっちゃうだろ」
「デュラさんの言うとおりですね。ここぞとばかりに殺人、強盗、強姦……ありとあらゆる犯罪が頻発するでしょう。自殺者も続出して、下手をすると星が降る前に世界が終わります」
「うへぇ……」
イチマルが真面目に考察するものだから、ターニーは『そうなった世界』を想像して顔をしかめた。
なお実際に、現代世界でも似たようなことがあった。一九一〇年、ハレー彗星の尾が地球を取り込み、全人類が猛毒ガスで窒息するというのが予見されて大騒動になったのだ。
息を止める練習をする者や空気をためる袋を買いあさるのはまだいいほうで、悲観して全財産を遊興に費やす者に自殺する者まで続出したことがある。
ときのローマ法王庁が『贖罪券』を発行したところ、人々が殺到。ほかにもここぞとばかりに詐欺を働く者、処女を生贄にすれば助かるというデマを信じて暴挙に手を染めた者……。
結局その騒動は、地球の厚い大気に阻まれて地球および生命体になんの影響も与えなかったというある意味で笑えないオチがついた。
「リリィディアが復活しようがしまいが世界が終わるんだから、お笑い種だよな」
「笑いごとじゃないのですが……」
本当に他人事のように言ってのけるデュラに、クラリスが釘を刺す。
「そうは言ってもなぁ……そういやティア姉ってどうなるんだ?」
「デュラ、それはどういう意味ですか?」
「まだ死んでるつーか転生待ちだろ? 再びこの世界に降臨したとき、そこは宇宙空間でしたなんてことになったら産まれてすぐに即死じゃねーか」
ティアを尊敬しているイチマルが、それを受けてムスッとする。
「デュラさん、縁起でもないことを言わないでください」
「落ち着け、イチマル。ティアならちょっと前に転生してきてる」
アルテのその言葉を受けて、クラリス・デュラ・ソラ・ターニー・イチマルの五人がガタッと立ち上がった。
「本当ですか⁉」
「え、マジ?」
「気づかなかった……」
「まぁ♡」
「へ? 嘘⁉」
クラリス、デュラ、ソラ、イチマル、ターニーが五者五様の反応を見せる。
「じゃ、じゃあなんでボクたちに会いに来てくれないのさ⁉」
ターニーのこの文句ももっともだろう。そしてターニーはティアの一番の親友なのだ。
「そう言ってやるな、ターニー。ティアの『今度の身体』は、あまり長くもたないらしい」
「あ……」
ティアは、膨大な魔力をその小さな身体に秘めている。その威力、実にこの星を数回破砕してもなお余りあるほどだ。
そして問題なのが人間が体内で血液を作り汗を出すように、ティア自身の霊体もまた生きている限り無尽蔵の魔力を増産し続ける。やがてそれはティア自身のキャパシティーを超え、その霊体は見るも無残に魔核分裂を起こして雲散霧消してしまうのだ。
(ティアさん……)
その最期を見届けたことのあるクラリスの顔が、悲痛に歪む。
ティア自身が自分に転生するというのを幾度となく繰り返してきた中で、数百年生きることもあれば三日しかもたなかったこともあった。
「もって一ヵ月ぐらいとか言ってたな。『今回』は会ってすぐにお別れになりそうだから、みんなに会うのは遠慮しときたいってさ」
「そう……またティアは死んじゃうんだね」
イチマルが心配そうに、そう言ってガックリと肩を落とすターニーの背中に無言で手を添えた。
「じゃあやっぱり、次の転生場所は宇宙空間じゃねーか」
そう言っておちゃらけるデュラの太ももを、クラリスが思いっきりひねり上げる。
「痛てててててっ‼」
「まったくもう……」
呆れた表情で、ソラはため息をついた。
「アルテ姉、確認だけどロード様はこれに関しては手助けをしてくれないのよね?」
「そうだな、ソラ。もともとあのバ……ロードは下界に直接干渉できないんだ。かつて魔皇リリィディアの復活を阻止するために、私の前世だった勇者・アルテミスを送り込むぐらいしか手立てがなかった」
「となると冥府のクロス様はどうなるんだ?」
「デュラ、『どう』とは?」
「しれたことよ。たくさんの生けとし生くる者が死んで冥府に送られるだろ? 大忙し……はまぁ置いといて、生まれ変わる場所がねーじゃねーか」
少々乱暴な物言いではあるが、デュラの疑問ももっともだった。だがアルテは、そこをすかさず訂正する。
「誤解があるようだが、冥府でやるのは魂の洗浄だ。それが終わると天界へ召し上げ、転生させるのはロードの管轄だな」
「ルビ……」
相変わらずのロード嫌いに、クラリスは思わず苦笑いである。
「じゃあ大変なのはロード様もか。サービス残業ご苦労さんだな」
さすがにこのデュラのジョークには、誰もまともに取り合わなかった。
「方法がないわけじゃないのよね、実は」
「なんの方法さ?」
ぼそっと漏らしたソラの言葉に、デュラが食いつく。
「決まってるじゃない、『世界を終わらせない方法』よ」
当たり前のようにソラがそう言うものだから、ほかの五人はポカーンとしてしまう。
「え、あるの?」
呆然とした表情のまま、ターニーが代表して口を開いた。
「現実的じゃないけどね。世界中、人間も亜人も含めて魔法が使えるすべての人間が力を合わせて巨大な防御の魔法陣を天空に展開するの」
「そうすりゃみんな助かるのか?」
「可能性は限りなくゼロに近いわ、デュラ。星一つぶっ壊しかねない隕石群を防御する魔法陣なんて、神様でもなければできないでしょ」
「なるほどなぁ。その神様は傍観しかできないから無理だこりゃ」
「それだけじゃありませんね」
「イチマル?」
険しい表情であごに手をあてて考えていたイチマルが、静かに顔を上げて。
「それを実行するためには、少なくとも『星降り』が起こる事実を全国民に通知する必要があります」
「あ……」
先ほどイチマルが懸念していたことを、デュラは思い出す。
『ここぞとばかりに殺人、強盗、強姦……ありとあらゆる犯罪が頻発するでしょう。自殺者も続出して、下手をすると星が降る前に世界が終わります』
(確かに、そっちのがリスクでかいな)
「じゃあさ、ソラ。ボクたちがその……なんというか……」
「ターニー?」
元気っ娘がトレードマークが珍しく言いよどむのに、ソラは首をかしげた。そしてターニーは意を決して、続きを口にする。
「ボクたちが一つに、リリィディアになっててのは? その力でなんとかできたりするかな?」
ターニーのそのひとことで場が静まり返った。だが、
「本末転倒だろ、それ。リリィディアがどういう意思を持っているかによって、『星降り』より先に世界が滅ぶ可能性がある」
「デュラ、そうなんだけどさ」
「私もそれは考えなかったわけじゃない、わけじゃないが」
「アルテ姉?」
なおも疑問を呈すターニーに、アルテは困ったような笑顔を見せる。
「仮にリリィディアがなんとかしてくれる力と考えを持ってるとしよう。だがリリィディアになるということは、ここにいる六人……ティアも含めて七人全員の『精神的な死』を意味する」
「……うん」
リリィディアが覚醒したとて、クラリスたち七人の自我が残る可能性は低い。むしろ消えると考えるのが自然だろう、アルテはそこを懸念している。
「私は構わないのですけどね」
クラリスが、ぼそっとつぶやいた。
「クラリス?」
「考えてもみてください、デュラ。言ってみれば、私たち全員が記憶喪失になるようなものでしょう? それで世界が救えるなら……」
「それは『皇帝』としての意見か?」
「はい」
「クラリス個人としては?」
「消えたくない、です。みなさんと別れたくない……」
詰められて本音をもらすクラリスの頭に、無言ながらデュラが優しく手を置いた。
「それによ、ターニー。それだとティア姉をとっ捕まえてくる必要あるだろ」
そう言いながらデュラは、アルテをチラ見する。
「ああ、ティアはまた旅に出てるな」
「『魔力放出』の?」
「だな。あちこちで治癒魔法使いまくって、少しでも魔力過多の状態を軽くして延命をはかるわけだが……悪いが、私はいまティアがどこにいるのか知らんのだ」
もし仮にここにいる六人が『そう』決断してたとしても、七人のうち一人でも欠ければそれは叶わない。
「あ、そうか……ちょっと魔電かけてみる」
そう言ってターニーが取り出すのへ、
「私が試さなかったと思うか? なんでだか知らんが塔に置いてってるよ、ティアは」
アルテが、やれやれとばかりのジェスチャーでそれを制した。
「ったく、ティアの奴ぅ!」
地団太を踏むターニーだが、ティアの住まう揺光の塔は別名を『居留守の塔』という。実際に居留守をしているわけではないのだが、なかなか会えないことを揶揄った別名だ。
「となると、やっぱ全員サヨウナラか?」
「そうなるわね」
「人生、あきらめが肝心だな」
「もう一度だけ、ティア姉に会いたいです」
「それは私もです」
「ボクはティアを殴りたい……」
順にデュラ・ソラ・アルテ・イチマル・クラリス・ターニーが、めいめいの反応を見せた。そしてデュラが心底鬱陶しそうに天井を指さすと、
「ところで『アレ』、どうするよ?」
「気づいてましたか、デュラ」
「クラリスも気づいてたんなら、なんとかしろよ」
「そう言われましても……」
天枢の塔の屋上、空に面したその場所で。二人の魔法少女が、中の会話を盗み聞きしていた。
そのデュラの発言を受けて、塔の屋上にいるマリィとララァの背がビクッと震える。
「あちらから仕かけてこないなら、ほっときましょ?」
そうソラが横入りしてくるのに対し、
「まぁ仕かけてきたら返り討ちにするまでだ」
「本当に鬱陶しいですね?」
アルテとイチマルが相槌を返す。ターニーだけはどうでもいいようで、机上に出されたおやつをパクつくのに一生懸命だ。
「そういや世界が終わったら、『あいつら』はどうなるんだろう」
天井を見上げながら放ったデュラのその疑問に、
「みんな仲良く冥府行き、だな」
そう返すアルテはどこか寂し気で。
「そうなるかぁ……お役御免になっちゃうもんな」
そして塔の屋上にて、マリィがこれまた憂鬱そうな表情を見せる。
「いやララァ、ほんと私たちはどうなっちゃうの?」
「さぁ。マリィも私も、もともと太古の昔に死んだ身だからね。冥府へ戻ったとて、クロス様に消されておしまいじゃない?」
奇しくも屋上の魔法少女二人、塔内の賢者六人のしめて八人。そのため息のタイミングが、ピタリと重なった。
「うーん……」
「どうした、クラリス」
「いやだからデュラ、なんども言ってるように城門から……」
翌日、天枢の塔。皇帝としてのデスクワーク中で苦悶の表情を浮かべているクラリスは、相変わらず窓から入ってくるデュラに対して呆れ顔だ。
そのデュラ、勝手にお茶の用意をするとソファに座って悠然とティータイム。
「いやいやいや? 私にも淹れてくれませんかね⁉」
もはや半ギレのクラリスに、
「わりー、わりー」
と形だけ謝って、デュラが席を立った。
「まったくもう!」
そしてクラリスもデスクを離れ、デュラの向かいに座って束の間の休息をとる。
「クラリス、なにを唸ってたんだ?」
「来年度の予算ですね」
「『来ない』のに?」
「……」
そう、『星降り』はソラの見立てでは半年後。来年は来ないのだ。
「ずっと、考えてたんですよ」
「なにを?」
「ほら、ソラさんが言ってたじゃないですか。全人類が力を合わせて巨大な防御紋を空に張るという」
「そら、だけにな」
「うわ、しょーもな」
デュラのダジャレに対し、クラリスの反応は冷淡だ。さすがに自覚もあるのか、デュラがほんの少し顔を赤くして。
「でもソラが言ってたろ、『可能性は限りなくゼロに近い』って」
「そうなんですけどね。ソラさんに訊き忘れました」
「なんのことだ」
「ソラさんが言う可能性てのは、いわゆる国民に通知して魔力が使える人々を集めて力になってもらうことができるかどうかの可能性なのか……それとも、それができたとしてその防御紋が『星降り』に耐えられるかどうかなのか」
「あぁ、確かにどっちとも取れるな……訊いてみるか?」
「ですね」
クラリスがふところから魔電を取り出すのを見て、デュラが不意に噴き出した。
「デュラ、なんです⁉」
若干イラ立った声音で、クラリスがギロリとにらんだ。
「いやクラリス、お前。そろそろ自分が『七賢者』の一人だって自覚しろよな?」
「と言いますと⁉」
「凄むな凄むな。ほら、『アレ』」
八つ当たり気味に恫喝してくるクラリスに対し、デュラは苦笑いを浮かべながら部屋の中央にある魔法陣に親指を向ける。ほかの六人との魔導通信が行える魔法陣だ。
「あ……そうでした」
まだ使い慣れてないのもあるが、あったことも忘れていたのもあってクラリスは照れて下を向く。すぐさまそれをごまかすように魔法陣まで歩みよると、ソラの小紋様に手を触れて……。
「ソラさん、いまいいですか?」
三秒も立たず、目の前にソラの立体映像が現れた。
『クラリス、なにかしら?』
「昨日ソラさんが言ってた、『可能性』についてなんですが」
『うん』
「具体的に、どういうことに対する可能性でしょうか」
『というと?』
「実現が不可能、というのが『用意』段階のことなのか『実行』のことなのか」
『あぁ、『実行』のほうね』
クラリスの疑問に対し、間髪を入れずソラが返答する。続けざまに、
『というかそれ、言わなかったっけ?』
二人の会話を聴いてたデュラが、なにかに思い当たったように振り向く。
「そういや言ってたわ。星一つぶっ壊しかねない隕石群を防御する魔法陣なんて神様じゃねーと無理、みたいな……だっけ?」
『それそれ』
それを聞いて、クラリスは納得したようにうなずく。
「なるほどね」
だがその顔には、『すっかり忘れてました』という動揺が浮かんでいた。デュラとソラはそれを見抜き、同時に噴き出してしまう。
「笑わないでくださいよ、もぅっ‼」
『ううん、朝から楽しいお笑いをありがとうクラリス』
「意地悪ですねぇっ!」
『あはは、ごめんごめん。それで用ってそれだけかしら?』
「あ、すいませんもう一つ」
『ん?』
「可能性はゼロに近いとおっしゃいましたが、確認です。本当にそうでしょうか?」
『どういうことかしら』
「確かに星一つを防御する巨大な魔法陣なんて、現実味がありません。ですがそれがもし可能だとしたら?」
『うーん、それなんだけどね』
「なんです?」
ソラには含むところがあるらしく、クラリスは興味津々で身を乗り出す。ただソラの表情は、あきらめの境地にも似た『暗さ』が漂っていた。
『この星だけを護ってもしょうがないのよ』
「それはどういう……」
『かの星降りはこの星系全体に降り注ぐのよ? この星だけ直撃を免れたとして、直撃しなかったそれらが最終的にどこに向かうと思う?』
「あ……太陽?」
『そういうことね。まぁ太陽は大きいから隕石群は呑み込んでしまうかもしれないけども、あくまでそれは希望的観測。太陽も壊されちゃったら、この星だけが無事でも意味がないわ』
「氷河期が来ちゃうとかそういうことか?」
デュラが横入りして訊いてくる。
『それもあるんだけど、ほら。惑星って太陽の重力で公転しているわけじゃない? 太陽がなくなったら糸の切れた風船のように宇宙空間をひたすら直進していく……光も熱もない孤独な死の旅路ね』
「この星自体が、宇宙という海を漂う幽霊船になっちゃうわけか」
『そういうことね、デュラ。だからクラリス、「完全」を期するならばこの星だけじゃない、せめて太陽までの範囲もカバーしないといけないの。この星の直径が約一万五千キロ。この星から太陽までが二億キロほどよ』
「……絶望的、ですね」
『そ。だから可能性はゼロに近いの』
二億キロも論外だが、直径一万五千キロをカバーする魔法陣も現実的ではない。
(私が張れる最大でも百キロがいいところだ……)
人知を超えた存在に進化したクラリスでさえ、そうなのだ。単純計算でクラリス級が百五十人は必要になる。
だが塔の賢者たちは、誰もが卓越した力を持ちながら七人しかいない。この七人より勝る魔導士は存在しないし、次点となる魔導士とてかなりの格差で下回る。
「うーん、私自身を無限にコピペできる魔法ってないもんですかね」
『それこそ非現実的ね。ロード様でもクロス様でも無理なんじゃないかしら』
ソラのその発言を受けて、クラリスは押し黙る。そしてなぜか、自分でそう言ったソラとデュラも……三人とも同じところに考えが帰結したのだろう。
もしもリリィディアだったら、と。
だがそれは、本末転倒だ。そんなことをやるまでもなく、創造神ならば『星降り』そのものを『なかったこと』にできるだろうから。
「わかりました、ありがとうございますソラさん」
『いいえ、どうしたしまして』
そして通信は切れてソラの立体映像は消失する。だがクラリスはその場にしゃがみこんだまま、デュラには背を向けた状態で立ち上がるそぶりを見せない。
そしてひときわ大きなため息をつくと、
「なんで私のときに……」
よりによってなぜ自分が皇帝のいま、とクラリスは言いたいのだろう。そしてデュラは、さすがにそれを茶化す気にはなれなかった。
「誰が皇帝のときだって、手も足も出なかっただろうよ」
そう慰めるのが精いっぱいだ。だが納得できないクラリスは、スクッと立ち上がるとズカズカと窓際まで歩み寄ると――。
「ねぇ、あなたたちもなんか名案ないの⁉」
と窓から身を乗り出し、上を向いてやや半ギレで怒鳴る。クラリスからは空しか見えないが、それを問うた相手は。
「あったらなんとかしてるわよ!」
屋上で座り込んでいたマリィが、ヤケクソ気味に返答する。隣ではララァが、気持ちよさそうに目をつぶって寝そべっていた。
「おいおい、お前ら仲いいな?」
それを見てデュラは苦笑いだ。昨日と同じく、マリィとララァが屋上に張り付いていたのに気づいていたクラリスとデュラである。
ちなみに昨日もそうだが、デュラが蝙蝠形態で飛んできた方向からは死角になっていてマリィたちの姿は見えない。クラリスもデュラも、気配だけで察したのである。
なおマリィたちは魔法の箒にまたがって飛んできたわけだが、皇城のセキュリティをクリアすることなぞ稀代の天才魔法少女であるマリィとララァには朝飯前であった。
(懐かしいな……クラリスの声って、リリィと同じなんだもんなぁ)
マリィが、追憶の中にあるリリィを思い浮かべる。リリィ・マリィ・ララァはそれぞれ『ベル』の称号を頂く天才魔法少女だった。
年齢こそリリィを筆頭に一学年ずつ違うが、先輩後輩なんて敷居はなくてとても仲のいい三人組だった。大きな魔法槌を振り回す脳筋系のリリィ、状態異常魔法の天才ララァに自分はその中間――それぞれの分野でリリィとララァにはかなわなかったが、そのどちらも優秀にこなす全知万能型がマリィだった。
その二つ名は、『天才にして天災』。三人の中では年上のリリィを差し置いてリーダー的ポジションで、明るいムードメーカーかつトラブルメーカーの側面も併せ持つ。
その自分がいま、かつての親友であるリリィを滅するために生き返った。同じ理由で生き返ったララァとは方針の違いもあって、今後ぶつかるかもしれない……。
「っていう状況にくわえて隕石とか、神様ってアホかな⁉」
思わずそうぼやくマリィであったが、その神様ってリリィことリリィディアである。もっともリリィや、ロードそしてクロスがそれを画策したわけではなかったが。
(でもロード様やクロス様と違って、下界にいるリリィならなんとかなる……?)
淡い期待であったが、それでも一縷の望みではあるかもしれない。だがそれには最大の障壁が、いまマリィの隣で寝ているのだ。
(ララァ……)
七人の賢者たちが一人のリリィとして再臨するのを待って対峙しようと決めているマリィに対し、ララァは一人のリリィになろうとする前段階で阻止したい考えを持つ。
「ふむ……」
マリィはなんとなくふところからナイフを取り出すと、
「えいっ♡」
それを思いっきりララァの心臓めがけて振り下ろした。
「どわぁっ⁉」
寝ていたとはいえ、その不穏な空気を感じ取ったのだろう。ナイフが胸に刺さる直前で瞬間的に目を覚ましたララァが、間一髪のタイミングで飛びのく。
本当に寸前だったためララァの衣服胸部分が少し切れて、白い乳房がチラ見える。その乳房もナイフの刃先をすべらせたせいで、赤い血液の線が滲んだ。
「ちょっ、マリィ⁉」
「あ、起きた。ごめんごめん、手がすべって」
「いやいや、いや? 『えいっ』って言ったよね⁉」
「そうだっけ?」
「いくら私がやろうとしていることが気に食わないからって、不意打ちで殺そうとするのはどうなの⁉」
「てへ♡ いや、どうせ冥界で再会できるし? それに、どのみち役目を終えたら私ら用済みだから消されちゃうじゃない?」
「ぐぬぬ……」
暖簾に腕押し、糠に釘。ぜんぜん悪びれる様子もないマリィに、ララァは歯ぎしりをして悔しがる。
天才マリィが『天災』ともいわれる所以が、このハチャメチャな性格だ。
「うるせーぞ、外野!」
そのとき塔の中から聴こえてきたのは、そんなデュラの怒鳴り声だった。
「でもデュラ、あなた……言ってましたよね?」
「なんの話だ?」
「リリィディアが世界を滅ぼす可能性について話したときです。コインの表と裏を当てろって言われて……」
「うん?」
「少しでも可能性があるのに、それを見逃すのかって。ソラさんは限りなくゼロに近いといったけど、無理とは言わなかった!」
「まぁそうだけどさ」
なにを言い出すのかと身構えたデュラが、面倒くさそうにボリボリと頭を掻く。
「私は、あきらめめないでいようと思います」
「うん、まぁ……その心がけは大事、だな?」
「本気ですよ?」
「好きにしろよ」
「えぇ、そうさせてもらいます!」
クラリスは決断した。この星を、大陸を守りきるのは難しいかもしれない。
(でもせめてドゥーベ市国だけでも……ほかの国からは、うちに避難してもらって)
だがその考えには、再びクラリスの心中をかき鳴らす懸念が存在する。
(アルコル……)
かの国の民に、母国を空にしろとはとてもじゃないが言い出せない。それを利用して、国が簡単に乗っ取られてしまうのを誰もが警戒するだろう。
「でも、それでも……」
言ってみるしかない、理解してもらうしかないのだ。五里霧中のいま、皇帝である自分があきらめたらそこで終了なのだから。
――クラリスは、静かに拳を握りしめた。
まずおひざ元の帝都ことドゥーベ市国、帝国の支配下にあるメラク・フェクダ・メグレズ・アリオト・ミザール・ベネトナシュの各王国よりも先に、アルコル諸島自治区ことヤーマ諸島連合国との話し合いをクラリスは優先しようと考えた。
まずは皇帝名で書簡を出し、大事な話があることと急ぎであることを伝える。ヤーマからはすぐに返事が来て、話し合いの場をヤーマの北端にあるシュラ島とするのを条件として掲示されたがそれを快諾。
そして今日、クラリスはドゥーベ市国から直接ヤーマへ向かう船に乗り込んだ。皇帝が外交に使う船なので、乗り込むのはクラリスと使用人ほか衛兵たちが数百人。
大砲が前後あわせてしめて八基、そのまま軍艦としても使える軍船だ。
「イリエ、アルコル……ヤーマとの海上国境を通過前に一度船を止めてちょうだい」
「かしこまりました、陛下」
イリエと呼ばれた白髪で初老の男性侍従が、うやうやしく頭を下げる。母・ディオーレの代から二代にわたって皇帝を補佐してきた切れ者だ。
「止めて、いかがなさるおつもりで?」
「大砲をしまうわ」
「‼ なるほど、警戒されないように……ですか」
「そう、戦争しに行くんじゃないからね。刺激しないにこしたことはないわ」
外訪の理由は伝えてあるし場所はあちらが指名したとはいえど、大砲を向けた船で入港するわけにはいかない。ただでさえかの国は、帝国からの侵略を警戒して日々備えているのだ。
(あの『魔力工場』は、いまも稼働しているのだろうか)
皇太子時代に、ターニーの試練で知った現実。国を守るという思いのもとに、自身の生涯を捧げたヤーマの国民たちが自国の海上を守っている。
「本当なら衛兵たちも連れて行きたくないんだけど」
「陛下、ききわけのないことを申しなさいますな。陛下は皇帝なのです、護衛も連れず外遊に出すわけにはいきません」
「わかってるわよ、もう。ただし下船は最低限の人数で!」
「しかたありませんな、そこは折れましょう」
そんなやり取りがあって、間もなく船は海上にある国境に差しかかる。停船した船から大砲がしまわれて、再び魔石エンジンがかかると船はゆっくりと進みだした。
「そろそろ、か」
そう思った瞬間に、クラリスは『違和感』を覚える。だがそれは一瞬だけで、クラリスほどの高い能力を持った魔導士でないと気づかなかっただろう。
(国境を超えたわね)
帝国の船が国境を越えたこと、それは防御の結界を貼っている『魔力工場』の人たちに魔力を通じて伝わっただろう。
いまあの人たちはどんな思いでいるのかと、クラリスの表情は重い。
やがて遠くに巨大な大地、シュラ島が見えてきた。それがぐんぐんと大きくなってきて、船は温泉リゾート地としても有名なヴェイプの街の港湾に舵を進める。
そして船はゆっくりと桟橋に着岸、まず選抜された護衛兵二十人が先に下船して十人ずつにわかれて左右に並んだ。その『人の門』の中央を、最後に下船したクラリスが悠然と足を運ぶ。
「ようこそいらっしゃいました、クラリス・カリスト皇帝陛下。私はヤーマの首長を務めますアベガーともうします」
「お出迎えご丁寧にありがとう、アベガー首長。クラリス・カリストです」
ダンディな中年男性のアベガーと、固い握手をかわすクラリス。そして案内された馬車に、イリエと二人で乗り込む。
その馬車の上空で、一匹の蝙蝠――デュラが旋回していた。
衛兵たちによる警備の打ち合わせで多少遅れたものの、馬車は出発。前後にヤーマの護衛兵とアベガーが乗り込む馬車、そして帝国側の護衛兵が続く。
両国の兵たちは徒歩なので、馬車もそれに合わせてゆっくりと進んでいた。
「ヴェイプでは温泉に入れるかしら?」
「姫……じゃなかった陛下、遊びに行くんじゃないですぞ。入れますけども」
「本当に? やったー‼」
「まったく……」
少々あきれながらも、イリエは苦笑いを禁じ得ない。クラリスが赤ちゃんのころから見守ってきたのだ、皇帝になって固い表情でいることが多かったから久々に年相応にはしゃぐクラリスを見て顔もほころぶ。
(だが今回の会談は、温泉どころじゃないだろうな)
窓外の空を見上げて、イリエが目にしたもの。それは遠くの山の上に姿を見せた黒雲が、この先を暗示しているかのようであった。
馬車は温泉の硫黄臭ただよう街並みを厳かに進み、山の中腹にある高級そうな宿泊旅館の前で停車。馬車の扉が外から開け放たれて、クラリスは地に足を下ろした。
「クラリス皇帝陛下。明日の会談に先駆けて、まずは旅の疲れを癒されては? この宿の温泉は当国でも高く評価されている重曹泉となっておりまして、美肌効果も高く女性に大変好評を博しております」
「それは楽しみです。帝国に持ち帰る、よい土産話となるでしょう」
本当はクラリスとしては会議に入る前にそれに備えて非公式の会談を設けたかったのだが、頭の中の天秤がガターンと大きく温泉に傾いた。それを顔に出さないでニッコリと対応したつもりだったが、そこは海千山千の狐たちがクラリスの周囲にいる。
というより対外向けの差し障りのない笑みを見せているつもりのクラリス、唇が少しだけプルプルと波打っていた。
(すっげー嬉しそう)
奇しくもアベガー首長、イリエ、そして上空で舞う蝙蝠の思いが一致する。もちろん彼らは、この大事な場ではツッコまないけれども。
案内された部屋に到着するなり、すぐさまクラリスはユカタと呼ばれるヤーマ伝統のバスローブに着替えた。タオルやアメニティグッズを検品するその目が、爛々と輝いている。
もうイリエは、ツッコむのもあきらめて嘆息だ。
今回の会談では、衛兵を除く従者はイリエしか下船していない。普段ならば手荷物は使用人に持たせるのだが、そこはいたしかたないだろう。
「じゃあ、イリエ。私は温泉に行ってまいります」
「はい、くれぐれも『ご注意』を」
そう言いながら、イリエはクラリスに聖剣を手渡した。
「……私は温泉に行くのよ?」
「あなた様は皇帝ですが?」
無粋だとクラリスは思ったが、イリエの言うことももっともだ。聖剣を受け取らない限りイリエは温泉に行かせてくれないだろうから、ここは自分が折れることにする。
もっともクラリス、剣士ながら魔法の腕前も相当なもの……というか治癒魔法こそティアの後塵を拝すだろうが、攻撃魔法にいたってはアルテと肩を並べるレベルだ。
妖術のイチマル、呪術のソラと互角にわたりあえるほどの腕前は持っている。だから帯剣する必要はないのだが、そこは皇帝という立場があった。
(確かに皇帝が、他国で単独行動を丸腰で行うのも不用心か)
今日はクラリス一行のために、一般客の宿泊はシャットアウトしていた。
クラリス一行と言っても衛兵を除けばイリエしかいないのだが、そこは仮にも皇帝陛下なのだ。ヤーマ側としてはクラリスの、ひいては帝国の不興を買うわけにはいかない側面がある。
「やっぱお忍びで来たいなぁ」
「なんで?」
「だってほら、ほかの宿泊客とのふれあいってのも大事にしたいじゃない?」
「そういうもんかね」
「そうですよ、っていうかデュラ。なにいけしゃあしゃあとユカタに着替えてここにいるんですの⁉」
さも当たり前のようについてくるデュラに、クラリスは若干のイラ立ちを隠せない。そもそもクラリスの従者としてはイリエ一人しかいないと伝えているのに、余計な火種はごめんこうむりたかった。
「あぁ、私は今回の『皇帝陛下』のご宿泊にあたって臨時で雇われた三助だから」
「三助って、入浴補助をする『男性』のことですよね?」
「男性のが良かったか?」
「そういう話をしているのではなく……『雇われた』と言いました?」
「言ったね」
デュラは、クラリスと一緒の船で来たのだ。というか上空を飛んできたので、船に追尾してきたというほうが正しい。
いったいいつどのタイミングで雇われたのか、そもそもセキュリティを考えるとこのタイミングで人を雇うというのは不自然ではと考えてクラリスは思い当たる。
「なるほど、魅了眼ですね」
「そういうこと! ちゃんとクラリスのおっぱいを綺麗に洗ってやるから楽しみにしてな」
「……はい」
デュラのいつもの茶化しだったが、本当にそうしてくれるのかとクラリスは期待半分だった。
姉にして師にして仲間ともいえるデュラに身体を任せる背徳感に、胸を躍らせるクラリス。デュラとしては冗談のつもりだったが、妙にウキウキになっているクラリスにそうだとは言えなくなって――。
(ま、クラリスが楽しみにしてるなら『そう』してやるかな)
と苦笑いを浮かべる。
やがて二人は貸し切りの大浴場の入り口に到着、ヤーマの女性騎士たちがクラリス警護のために入り口の左右に並んでいた。
「みなさん、ご苦労様です」
「はっ!」
話はとおっているのか、デュラのことはなにも聞かれなかった。そしてクラリスが入り口に入ろうとして、なにかに気づいて立ち止まる。
「あぁ、そうそう」
「なんでしょうか?」
振り向いて満面の笑みで直近の女性騎士に話しかけるクラリスに、帝国の皇帝から話しかけられて緊張のあまり青い表情を浮かべる女性騎士のコントラスト。クラリスは緊張をほぐしてあげるかのように気さくに微笑みを投げかけると、
「警護はあなたたちに任せるから、こんなものは無粋ね。持ってていただけるかしら?」
そう言ってクラリスが手渡したのは――愛刀の聖剣。
「えっ⁉ あ、あの?」
「受け取ってくれないと、中に入れないわ」
「あ、はい!」
キョトンとしながらも困ったようにそう言ってのけるクラリスに、思わず了承してうやうやしく聖剣を両手にいただく女性騎士。周囲の女性騎士たちが、動揺を隠せずに挙動不審に陥る。
(どうしたんだろ?)
クラリスはわからなかったが、女性騎士たちとしては。仮にも自分たちの住まう小国なぞ簡単に呑み込める帝国の皇帝が、剣を預け背中を見せようというのだ。
実際にはデュラもいるが、いなくてもクラリスに単独で勝てる人間や亜人は仲間以外に存在しない。それはたとえクラリスが、丸腰であってもだ。
だが女性騎士たちとしては、自分たちがいつクラリスの後ろから斬りかかってもおかしくない状況を皇帝自身が作ったのである。
それは揺るがない信頼であると同時に、皇帝になにかあったら自分たちの責任もさらに重くなることを意味した。ゆえに彼女たちは、動揺を隠せなかったのである。
もっとも、もしこの場にイリエがいたらゲンコツの一つでも飛んできたかもしれないが。
「ではデュラ、まいりましょう」
「かしこまりました、皇帝陛下」
「……」
「なんでしょう?」
「いえ、別にっ!」
女性騎士たちがいる手前、臨時の温泉職員という立場のデュラだ。人前ではいつものようにとはいかない。
クラリスとしてはそれがわかっているが、わかっていることと受け入れることは別である。
(なに怒ってるんだよ、クラリス)
(なんだっていいでしょう、もう!)
自分でもなにを怒ってるのかよくわからないクラリス、デュラから送られてきた念話の返事でもさっぱり要領を得ない。
だがとりあえずは機嫌を直し脱衣所で二人、ユカタを脱ぐ。
「へぇ、新・クラリスの裸体も見事なもんだな」
「なんですか、『新』て」
「私の首をチョンパする前の旧・クラリスより迫力のあるボディになってんなと」
「言い方!」
実際、デュラをこの手にかけたあの日に起きた身体の変化。
髪の色に長さと質、瞳の色に身長も五センチほど伸びた。まだ少女のあどけなさが残っていた童顔は影を潜め、そこにいるのは美麗な大人の女性だ。
「私は、前の身体のほうが好きでしたけどね」
「そんなもんかね」
そんな会話をかわしながら、デュラが入り口の扉に手をかけてガラッと開ける。
「きゃー‼ 本当に肌がつるつるだわ、ララァ!」
「マリィ、温泉ではしゃがないの!」
すでに先客が、二人。思わずずっこけるクラリスとデュラなのだった。
「じゃあ次は、両腕を広げてくれ。腕と腋を洗うから」
「こう?」
その裸身に石鹸の泡をまとって椅子に座っているクラリスが、両腕を水平にあげた。
「そうそう」
そしてデュラが石鹸を沁みこませたスポンジを手にクラリスの腋から始まり、肩そして上腕と丁寧に磨き上げていく。
「あ、横乳を忘れてた」
「横乳て……」
腋のすぐ下、乳房のサイド部分にスポンジをあて……る前に、まず自分の手のひらでチェック(なにを?)。
「あ♡」
「ヘンな声を出すなよ、クラリス」
「デュラが触るからでしょうっ‼」
「触らないと洗えないだろ?」
「……それはそうですが、スポンジを使わずに手のひらで揉みしだくのはいかがなものかと?」
「やわらけーなー」
「聴いてますか⁉」
そんな感じでイチャイチャ(?)しているクラリスとデュラの二人を、少し離れた浴槽でマリィとララァが眉をひそめて遠巻きに眺めていた。
「まー、奥様。ごらんになりまして? やーねー、最近の若い子ってば人前で堂々と……」
「女の子同士で卑猥ですわ‼ 親御さんはどういう教育なさってるのかしらね⁉」
マリィとララァが頬に片手をあてて、井戸端会議に興じるおばちゃんのごとく声をひそめる。
「そこ、うるせーぞ!」
「そんなんじゃありませんっ‼」
それに対するデュラとクラリスの反論が重なった。
「そもそもお前ら、なんでここにいんだよ?」
そう問うデュラに対し、
「見てのとおり入浴ですが⁉」
とマリィが食い気味に返す。
「そういうことを言ってるんじゃねぇよ! はぁ……もういいや」
もう呆れて呆れて、それ以上の不毛な丁々発止をする気がなくなったデュラであった。
「あの方たちは、表の女性騎士さんたちの目を盗んで入ってきたんでしょうか?」
「どうだろな。古代の魔女種だ、姿を消したり移動術なんてものはお手の物だろ」
「おっ、いい線いってる!」
順にクラリス、デュラなのはもちろんだが最後のはマリィだ。だが二人はマリィを無視すると、
「じゃあ次は反対側な」
「もう揉まないでくださいよ?」
なんて会話を続行するものだから、マリィが頬をプーッと膨らませた。
「いやそもそもマリィ、デュラの言うことももっともでしょ。なんで私らここにいるの?」
マリィに比しては常識人のララァである。一応は最高級の温泉なので若干楽しんでた自分もいるのだが、さすがに奇天烈な登場方法なのは自覚していた。
「え、だって温泉だよ?」
「知ってるわよ。……うん、わかったもういい」
ララァもまた、自由すぎるマリィに呆れて脱力だ。この温泉に潜り込むことは、マリィの発案だった。
「そうはそうとねぇ、ララァ。クラリスのおっぱいてリリィに似てない?」
「そうかな? どっちかっていうと、デュラのほうが近いよ! リリィは全身鍛えてて余計な脂肪はなかったし、おっぱいも固そうだったじゃん?」
こっちはこっちで卑猥な会話をかわし、それを少し離れた場所で聴かされているクラリスとデュラは赤面して震えている。クラリスは恥ずかしさに、そしてデュラは――。
「か、固そう⁉ 私の……が⁉」
怒りとショックでプルプルと震えるデュラに、クラリスがフォローを入れた。
「そっ、そんなことありませんよデュラ! 『それなり』に柔らかそうです。確かに大きさの割には、ギューッと締まってて詰まってて密度が高そうですけど」
いや、フォローになっていなかった。
(それを固そうというのでは?)
マリィとララァ、二人の感想が一致をみて……いよいよ次はミラクルゾーンだ。
「まぁいいや、次は股間な」
「……は?」
「いやだから、クラリスのクラリスを洗ってやるって言ってんだよ」
「私の股に名前つけるな!」
「いいじゃんか、別に。私の股の名前は~ってさ?」
「字が違うっつの」
マリィとララァはそのやり取りを受けて先ほどから笑い死んでおり、口を浴槽に沈めてごまかしているものだからブクブクとあぶくの音が浴場を反響する。
「私の私を洗うのは自分でやります。その間に、デュラは自分の身体を洗っててくださいな」
「自分で言ってるし……ま、了解した」
そう言ってデュラはクラリスの隣に腰かけて、先ほどまでクラリスの身体を洗っていたスポンジを手に取った。
「あ……」
「ん?」
クラリスが止める間もなく、デュラはそのスポンジで自らの腕を洗い出す。
「あの、それ私の身体を洗ったやつ……」
「あ、気持ち悪かったか? ごめんごめん!」
「いえ、そうではなく。デュラがイヤなのではないですか?」
「なんでだ?」
「……いえ、なんでもないです」
クラリスとしては自分の身体を洗うのに使ったスポンジを使うのは、デュラにとって不潔に感じやしないかという気遣いだった。だがデュラが全然気にする素振りを見せないものだから、なんだか気恥ずかしくなって赤面して下を向く。
(そっか、イヤじゃないんだ)
そんなことを、考えながら――。そしてクラリスが『前』を洗い終えたタイミングで、デュラがクラリスの背後に回る。
「髪、洗ってやるよ」
そう言って、クラリスの返事も待たずに上からシャンプーをかける。
「ありがたいですけど、一応は了承をとってくれませんかね?」
先ほどからずっと叫び疲れとツッコミ疲れもあって、もうクラリスには怒鳴る気力が残っていない。
「お客様、痒いところはございませんかー?」
「ないし」
そんなデュラの軽口に、無機質な返事で返すクラリス。そしてその様子を見ながら、
「性格はリリィとだいぶ違うね?」
「そうねぇ。どっちかというとソラに近いよね」
そんな会話をマリィとララァがかわす。クラリスの髪を洗っているデュラと洗われているクラリスの耳がダンボのようになって、二人の会話を興味津々とばかりにそちらへ向く。
「声がクラリスでしょ、身体はララァが言うようにデュラなのかな? 性格がソラ寄りで……ティアにも似てるよね、ちょっときついところが」
「私らの中で最年長というのもあるけど、年上の包容力みたいなものはアルテみたいな感じ? 上品で落ち着きがあるところはイチマルかな」
「もうビックリするぐらい、リリィが七分割されてるよね」
「ね、不思議」
マリィとララァは、別にクラリスたちに聴かせるために話しているわけではなかった。だがその会話内容に惹き付けられてデュラの手は止まっているし、クラリスもそれに気づいていない。
「マリィ、そろそろ出ない? 湯だっちゃいそう」
「了解」
そして不意にマリィがクラリスたちのほうに振り向いた。
「じゃあそろそろ私たちは出るわね?」
不意にマリィからそう声をかけられて、盗み聞き(?)していたクラリスたちは疚しさからビクッと背が震えた。
「勝手にしろよ!」
それを誤魔化さんとばかりにそう吐き捨てるデュラに、ニコッと微笑みかけるマリィとララァ。マリィは浴槽に片手を静めて底にピタッと手のひらをつけると、
「『異門開放』」
その魔法詠唱で、マリィとララァを中心として湯の中に大きな魔法陣が展開される。そして一瞬だけ眩しい光を放ったかと思うと、次の瞬間には二人の姿は消えていた。
だが間違いなく先ほどまで二人がいたのは確かで、その証拠に湯面が激しく波打っている。
「まったく、うるせー奴らだ」
「ですね! でも瞬間移動の魔法、現代のものとは少し違うのですね。興味深いです」
「……」
「……」
なにかを誤魔化すように二人とも早口で会話をかわすが、不意にどちらも黙り込んだ。二人は、どうしても気になっていたのだ。
(じゃあターニーはリリィのどこに似ているんだ? どこにも似てないのかな)
(ターニーさん、名前出なかったけど……忘れられちゃった?)
それを確認しあうのもなんだかターニーにもうしわけない気がして、口にできないでいるクラリスとデュラなのであった。
ヤーマとの会談は、まったくの平行線をたどった。それはそうだろう、帝国の侵略を警戒するヤーマ側に全国民が一時的に移動してこいというのだ。
「たとえばカリスト皇帝陛下は同じことを言われたとて、従えるのですか‼」
アベガー首長が、血走った目でまくしたてる。
「それは……」
国を一時的とはいえ無人にするのだ、クラリスも皇帝としてそれがどういう危険をもたらすのかは理解している。ヤーマ側に悪意があれば、国を簡単に乗っ取られてしまう。
「たとえ『星降り』があるとしてもそれはこの国の、そしてこの星の運命。我々はそれに殉じる覚悟です」
「それはアベガー首長の考えでしょう? ヤーマ国民の総意ではないはずです‼」
「いえ、国民も同じくですよ。我々の覚悟をなめないでいただきたい」
ずっとこんな調子なのである。だがふと、クラリスは疑念を抱いた。
「ちょっと確認なのですが、『星降り』が起きるという事実は信じていただけるので?」
「我々ヤーマの国教は『マウンテ教』です。その姫巫女様がお認めになられているのだから、疑う余地はございません」
帝国では一番信者が多いのが『シマノゥ教』で、『マウンテ教』はそれに比べたら信者が少ないまでも第二の宗教として多くの信者を抱える。どちらも創生の女神をロードと定義して冥府の番人・クロスとともに崇めているが、シマノゥ教はロードを唯一神としクロスをロードの化身と考える唯一神の宗教だ。
翻ってマウンテ教は、八百万の神々が存在するという考えで神々の筆頭をロードとしている。姫巫女とはシマノゥ教でいう大聖女なのだが、ここヤーマではマウンテ教が国教になっていた。
シマノゥ教はキリスト教に、そしてマウンテ教は日本神道に似ているかもしれない。同じ女神を信奉しながらも、太古の昔にシマノゥ教から枝分かれして発展したのがマウンテ教なのだ。
ちなみにどちらも、実際のロードやクロスを取り巻く天界・冥界の現実には即していない。だが強いて言えば、マウンテ教のほうが正解に近かった。
ロードの眷属である精霊や天使もまた、地上の民からすれば神なのだから。そしてハイエルフは精霊であり亜神なので、アルテもまた神の一種であるともいえる。
また、マウンテ教の姫巫女というのは……。
(イチマルさんのおかげで、話がスムーズだな)
そう、イチマルなのだ。クラリスと同じ七賢者にイチマルがいたのが、思わぬ功を奏した形となった。
「ではどうあっても、従えないと?」
「無論です。もちろん我々も、一緒に救おうとしていただいたカリスト皇帝陛下の慈愛の心には感謝をしております。おりますが……」
「私を帝国を信用できない、というわけではないですよね」
「それは違います。ただ先ほど『国に殉じる』というのが私の考えで国民の総意であるともお伝えしたように、完全に信用するというわけにはいかないのが私の考え。そしてこれもまた、国民の総意と思っていただきたい」
「しかしっ……」
「カリスト陛下は、我が国の『魔力工場』のことはご存じですか?」
その忘れられない言葉に、クラリスは息を呑んだ。かつてデュラが『魔力牧場』と表現したように、クラリスもまた同じ感覚だったからだ。
「えぇ、存じています」
「かの工場で国を守るためにその生涯を捧げてきた数多もの御霊に、私は顔向けができないことをしたくはないのです」
アベガーの主張ももっともだろう、クラリスは決定的なカードを突き付けられて二の句が告げないでいる。
「そうですか……わかりました、アベガー首長。とりあえずはこちらが引きましょう」
「ご理解をいただけてありがとうございます、カリスト皇帝陛下」
クラリスの『とりあえずは』の部分に一瞬だけ眉をひそめたアベガーであったが、そこは強引にクラリスが承諾したという流れに持っていく。
かくして会談は物別れとなり、クラリス一行は『手ぶら』で帝国を引き返すことになった。そして、同時に決めなければいけない非情な決断をする覚悟――。
(デュラが与えてくれた試練、まさにそれだな)
帝国の民だけを救い、外国であるヤーマの民を見殺しにするという選択にクラリスの心中が激しく揺れる。
「アベガー首長は、このことは国民には?」
「『星降り』のことでしょうか」
「はい」
「そうですね、姫巫女様ほどでなくても神の託宣を賜う神通力の高い巫女は数多くおります。いずれ明るみに出るならば、国から……とは考えております」
「わかりました」
クラリスとしては『星降り』のことは民に明かさないというのを一つの選択肢として考えていたのだが、ヤーマ側で明らかにする以上は人の口に戸は立てられない。
(帝国政府が黙っていても、ヤーマ側からその情報は洩れるだろう……)
なので帝国側もまた民に流布するのが妥当となってくるし、そのタイミングも慎重に図らないといけない。
「ではアベガー首長、互いの国民にそれを明かすのは足並みをそろえるというのは可能でしょうか」
「同日同時刻ということですか?」
「そうです」
「もちろん、賛成です。ではそれについて話をまとめましょう」
この話し合いは比較的かんたんにまとまり、一ヶ月後とすることが決まった。そしてあとは世を儚んだ国民が暴徒と化さないように、治安悪化対策に全身全霊を注ぐ。
と同時に、防御の魔法陣を錬成するためにできるだけ魔力を持った者たちを集めないといけない。クラリスは皇帝として、アベガー首長のようにあきらめるつもりは毛頭なかった。
「私とアルテさん、イチマルさんにソラさんで死力を尽くせば直径五百キロは出せる。帝都の国土は約千キロだからその二倍か……」
手法としては、クラリスがまず単騎で天空に魔法陣を張る。クラリスの身に内包する魔力量だと、直径百キロほどが限界だ。
そのクラリスに、魔力持ちが魔力をクラリスの身体に直接『給油』する形で魔法陣の範囲を広げる。だがこの方法には、当初クラリスが想定していなかった誤算があった。
この七賢者は人智を超越した存在であると同時に、魔力なら誰でもよいというわけでなくクラリスと同じく防御の魔法陣を錬成できる者に限られた。なので防御の魔法を身に持たないデュラとターニーは今回の戦力として数えることができないのだ。
そして魔力といえばティアだが、タイミング的に再び死亡して転生待ちになっている可能性があるのでそれをあてにするのはリスクが大きすぎる。
よって残り五百キロと魔法陣の範囲を広げるのは、ソラが言うように限りなく可能性はゼロに近いのだ。
(でもそれでも、私はあきらめない。あきらめたくない!)
クラリスの皇帝として一世一代の壮大な試みが、いま静かに始まろうとしていた。
――そして帰りの海上、その船のデッキで。
「マリィ、ララァ……いますか?」
クラリスが誰もいないデッキでひとり、二人に呼びかける。正確には、デュラが蝙蝠形態で上空にはいたけれど。
すると、さっきまで蒼天の空だけが広がっていた場所に魔法の箒にまたがった魔法少女が二人。まるでさっきからいましたよとでも言いたげに、クラリスを見下ろしていた。
(認識阻害魔法か……)
するすると二人はデッキに降りてくると、
「なんか用?」
マリィが少し不機嫌そうに応じる。ララァは無言のままで、その表情からは心中を読み取れなかった。
「どうせ盗み聞きしてたと思いますが」
「まぁしてたわね。で?」
(全然、悪びれないのですね)
思わず苦笑いのクラリスだったが、これから自分は頼み事をしようというのだ。下手を打ってやぶ蛇にはしたくない。
「魔力が、できるだけ多く必要です。それも防御に特化した……」
「うん。で?」
「協力していただけたらなぁ?と」
ちょうどそのタイミングで蝙蝠形態のデュラが滑空してきて、クラリスの肩に止まる。
「まぁやぶさかではないけれども、別に私らはこの世界が終わっても困らないのよ」
「……」
「そうね、あなたたち七人がリリィに戻ってくれるって約束ならいいわよ?」
もちろん、クラリスとしてはお断りだ。
「それはできませんが……もし戻ったらどうされるおつもりですか?」
「決まってるじゃない、私が冥府に送り届けてあげる」
瞬間的にマリィから殺気が発せられ、そしてそれはクラリスの肩に止まっているデュラからも。黒い瘴気が蝙蝠から漂うと、あっという間にいつものデュラの姿に戻る。
「お前はリリィを討ちたいのか? 私たち、もしくはその中の誰かじゃなく?」
「なんで知らない人を殺らなきゃいけないのよ?」
当たり前だとばかりに、フンスとマリィの鼻息も荒い。
「知ってる人なら殺っていいのかよ……まぁそれはともかくとして、そっち。ララァはどうなんだ?」
「協力? 私はお断り。マリィと違って私は、リリィが完全体に戻るのを防ぎたいの。だから今回の『星降り』は都合がいいのよね、あなた達が勝手に死んでくれるから」
(足並みを揃えてるわけじゃないのか?)
思わず念話でクラリスに話しかけるデュラだったが、
(でも、リリィを滅したいという点では共通してますよ)
と応じるクラリス。
「そもそも私たちは最初から敵なのよ? 協力とかそういう関係じゃないでしょ」
バカじゃないのとでも言いたげに吐き捨てるマリィだったが、
「じゃあなんで、一緒に温泉に入りにきたんですかね?」
と小声でクラリスがデュラに耳打ちする。
「まったくだ。ツンデレなんじゃね?」
笑ってマリィをチラ見しながらデュラが言うものだから、
「なによ! あとから入ってきたのはクラリスたちのほうじゃない!」
ちゃんとそれが聴こえたのか、逆ギレのマリィである。
「いやマリィ、あの温泉はクラリスたちの貸し切りだから……」
困ったようにララァが口を添える。味方の思わぬ裏切り(?)にカァーッとマリィの顔が赤く染まったのは、恥ずかしさからかそれとも怒りか。
「と・に・か・く! 協力はお断りよっ、ふんっ‼」
そう叫ぶやいなや、マリィは魔法の箒にまたがってあっという間に上空へ消えていった。
「……」
取り残されたララァが、無言でクラリスたちを見つめる。
「確認だけどお前は、ララァは私たちが私たちであるうちに殺りたいんだよな?」
「勘違いしないで。私の『目的』はリリィの復活を阻止すること、パズルのピースを欠けさせることはあくまで『手段』だわ」
「つまりそういうことじゃねーか」
詭弁だとばかりに、デュラは取り合うつもりがないようだ。だがクラリスはあごに手をやってじっと考え込んでいて。
「では私たちがリリィに戻らないと約束したら、ララァの目的は達せられますか?」
「おい、クラリス⁉」
確かにそうなれば、クラリスの言うとおりマリィが七人の誰かを滅する必要がない。ただ同時に、マリィの目的いや手段が達せられないことにもなってしまう。
「それは無理ね」
「どうしてですか?」
「クラリス、そのバカにまともに取り合うことはねーぞ」
「デュラはちょっと黙っててください。ララァ、どうして無理なのですか?」
毅然とした表情で、クラリスがララァを見つめる。バカ呼ばわりされたのが気に食わないのか、ララァは一瞬だけデュラを見やってすぐさまクラリスの前まで歩み寄ってきた。
警戒したデュラが、クラリスをかばうようにしてその間に立つ。
「なにもしやしないわよ」
無表情で、ララァがぼそっとつぶやいた。
「どうして無理か、それは……」
「それは?」
「あなたたち七人の意思と、リリィの意思は別ってこと」
(それは確かにそうかもしれないけれど……)
だがなにか確固たる理由があってララァがそう言っているのだと、クラリスは感じていた。
「ララァは、なにを知っているの?」
「……リリィは、ふたたび再臨したがっている。なによりクラリス、あなた自身がその証拠よ」
「私が?」
「クラリス。今のあなたはリリィやマリィ、そして私と同じ太古の魔女として覚醒したわ」
「え⁉」
「そういうことか……」
驚きを隠せないクラリスと、なにかを察するデュラ。
「デュラ、『そういうこと』とは?」
「つまり、リリィが復活のために粛々と『準備』を進めている……違うか?」
「ご明察ね。だから急がなきゃいけない……」
だがそう返すララァの表情は、少し寂しげで。
「なぁ、ララァ。これまでになんども機会あったろ? マリィもそうだが、あんたが強いのはわかるよ。私たちの誰と戦っても互角かそれ以上だろう」
「買い被りだわ……」
デュラのその発言に対し、不本意だとばかりに顔を背けて小さくララァがつぶやいた。
「だがさすがに私ら」
デュラがそこまで言って、斜め後ろにいたクラリスを横目でチラ見る。
「え?」
不意のことだったので、惑うクラリス。だがすぐにデュラはララァに向き直ると、
「私ら『六人』を相手にするには一対一でないと分が悪い。さすがに二人以上なら私も勝てる自信あるぜ?」
「なにが言いたいのよ?」
「どうしてなんだ? まだ『人間』だったころのクラリスならば、お前は簡単に討てたはずだ」
「……」
それを受けて黙り込んでしまうララァと、先ほどのデュラと視線が合ったそれに納得がいくクラリス。
(確かにそのとおりだ)
だがここは大人しく、ララァの反応を待つ。
「だって……ほら、デュラも常に一緒にいたじゃない。あなたが言ったのよ? 二人以上なら勝てるって」
狼狽を隠せないで、ララァが一気にまくしたてる。だがデュラは無表情のまま、
「二十四時間ずっといるわけじゃねーよ、クラリスだって小便もすればクソも垂れる」
「デュラ、なに言って……」
こいつはなにを言い出すのかと慌てるクラリスだが、デュラはそれには応じず。
「お手洗いや風呂、いくらでもクラリスが一人になったことはあったはずだ」
(あ、そういうことか。でもほかに言い方はなかったんですかね⁉)
クラリスは、デュラの後ろで一人プンスカしていた。
「まぁ覚醒したクラリスは今や私らほかの六人と同等だ、せっかくの好機を不意にしたな」
デュラが嫌味ったらしく、そう言って嗤う。だがララァは目を潤ませて、唇を震わせて。
「……が、……るの」
「あん?」
「あなたに、なにがわかるの‼」
そしてついには、その涙が決壊して頬をつたう。
「さっきデュラは、私の目的も手段も同じじゃんて言ったよね⁉ 違うわよ、全然違うわよ‼」
「お、おいおい?」
瞬間的に豹変したララァの剣幕に、デュラが思わずたじろいだ。
「私が……私が、マリィもそうだけどリリィを! かつての親友を討ちたがってるって本気で思ってるの? そんなの、イヤに決まってるじゃない……」
そう言ってララァが腕で涙を拭い、それを目の当たりにしてクラリスとデュラは言葉を失ってしまう。
「しゃべりすぎたわ……私も退散するわね」
「おい、ちょっと待っ」
「『聖水大開放』」
思わず駆け寄ろうとしたデュラに対し、ララァが箒にまたがりながら小さくつぶやいた。そして次の瞬間――。
「うをっ、なんだこれ⁉」
デュラの股間にジワッと水分が滲み、その筋肉質で白い太ももを伝って黄色い水が流れた(なんかすいません)。状態異常魔法を得意とするララァの魔法の一つで、尿道を拡げたうえで膀胱を激しく揺さぶる人の道にもとる外法である。
「後ろの穴じゃないことを感謝してよね」
そう吐き捨てると、ララァは一瞬のうちに上空へと消えていく。
「うわああああっ」
自分の意思とは無関係に失禁してしまったデュラが、顔を赤らめて座り込んだ。クラリスはデュラには一瞥もくれず、険しい表情でララァが消えた空を見上げて。
(恐ろしい魔法だわ……)
そのクラリスの股間も、びしょ濡れだった。
その後、クラリスたちはたくさんのことを話し合った。
事情は各国の王室にすでに通達してあり、それにくわえてティアを除く六人の賢者との定期会談……その過程では、回を重ねるごとに皇帝クラリスが描いた青写真がことごとく否定されていく。
まずクラリスの言う『全人類を帝都に集める』、これは事実上不可能に近いことがわかる。一国に七ヶ国の人間すべてが集まるということは、これまでの七倍にのぼる住居・食料が必要になるということだ。
あっというまに食料は枯渇してしまうし、風習も違えば考え方も違う国同士の人間が密集するというのは治安の悪化を招く。
またかつてアルコル(ヤーマ)側が嫌気したようにアルコルと海をはさんで一番近いミザール王国を空にするというのを、当然ながら今度はミザールの王室が嫌がった。最終的にクラリスが皇帝としての命令をくだすことはできるのだが、それに従っても拒否してもミザール王室との間には修復が難しい溝が生まれてしまうだろう。
そして別の理由で拒否をつきつけてきたのは、大陸最東端にあるベネトナシュ王国。ベネトナシュの国民全員が大陸を東端から帝都のある西端までとなると、食料はもちろん天文学的な旅費が必要になる。
帝国としての援助もクラリスは打診してみるものの、ベネトナシュの王室は首をたてに振らなかった。帝国側が全額負担を申し出たとて、民族大移動は現実的な話ではない。
隣国のメラク王国とその隣フェクダ王国は『七ヶ国の足並みが揃うならば』という条件付きで従う姿勢を見せたものの、ミザールとベネトナシュが拒否したとあってはどうにもならなかった。
大陸中央にある大国・メグレズ王国は帝都の間にあるメラクとフェクダが従わない以上、自国を空にはできない。国土が空のすきに二国に占領される危惧があるからだ。
同じ理由でアリオト王国も、ベネトナシュとミザールが従わない以上は自国を空にはできないとの返答である。
ここは天枢の塔、アルコルと同日に行われる全国民への『星降り』にまつわる通達を出す日まであとわずか。デュラが、ため息をつく。
「まぁよく考えればそうだよな」
「他国の侵略を心配している場合じゃないのですが……」
クラリスが、困ったように唸る。だがクラリスは帝国の皇帝であり、このポラリス大陸ではトップの位置にいる。
比してほか六国の王たちはそれに準ずる立場にあると同時に自分たちもまた一国を任されていることから、はいそうですかといくわけにはいかないジレンマが各々にあった。
「ターニーから学んだはずよ? 愛する自分の国を守るために、己が命よりもそれを優先する人たちとの埋められない考え方の差があることを」
ソラが諭すように言う。続いてターニーも、
「そもそもクラリスは、荷を背負いすぎなんだよ。ときには諦めることも肝心……これをイチマルから学んだよね?」
そしてそのイチマルもまた、
「皇帝としてときには非情な決断をくださなければならないことがある……これはデュラさんから学んだはずです」
そんなやり取りを見ていたアルテが、
「そして背負いきれない荷を背負い続けたらどうなるか、それはティアが命をかけて教えてくれただろう?」
デュラも続けざまに、
「仮に実現できたとしたら、帝国民の食料はあっという間に尽きる。待っているのは餓死だ……これがどんなにつらいか、ソラが教えたはず」
そして最後にソラが、
「皇帝の判断が良しにつけ悪しきにつけ、それは償いきれないものかもしれない。ただそれでも、忘れなければいい。忘れなかったら反省もできる……アルテ姉との前世の話、忘れた?」
「みなさん……」
「でもまぁ、魔導士の派遣はすべての国が協力してくれるというから、それは助かったじゃない?」
そう言ってソラが微笑みかけ、デュラがクラリスの肩にポンと手を置く。ターニーがニカッと笑って親指を立てると、イチマルが無言でうなずいた。
そしてアルテがなにごとか口を開こうとして、いきなりギョッとした表情で窓の外を振り向く。
「アルテさん?」
「……仲間に対してこんな言い方は自分でもどうかと思うが、やっぱあてにしなくて正解だったかもしれん」
「なんの話で」
クラリスがそこまで言いかけたとき、軽く塔が揺れた。そして窓の外、はるか遠くに見えるは天空を突き刺す一本の光の柱――。
「あれは……あれは、まさか⁉」
それは、クラリスにも見覚えがある光の柱だ。そしてほかの五人はクラリスよりも『彼女』とのつきあいが長いから、当然『それ』がなんなのかを知っている。
「ティア、また逝ったか……」
寂しそうに、アルテがつぶやいた。イチマルが無言で巫女衣装の袖を使い自身の涙を拭い、ターニーはポロポロと涙をこぼしてそれを拭おうともしない。
デュラとソラは、沈痛な表情でうつむいている。そしてクラリスは、悲痛な声をしぼりだした。
「世界が滅んだら、もうティアさんとは会えないのですね」
悲しいんだか悔しいんだかわからない感情が、ぐるぐると渦をまく。そして、しばしの静寂のあと――。
「とりあえず、だ。めそめそ泣いてばかりもいられないから話は戻すが、私は今回の作戦でも助かる可能性がゼロに近いというのは、秘しておくべきだと思う」
「デュラ、どういうことですか?」
「やっても無駄かもしれねーのに、全魔導士が協力してくれると思うか? また治安の悪化で犯罪が頻発するだろう。衛兵が出払ったら、魔法で暴れてるやつはどうやって制圧する?」
「そうね、その対策用に一定数の魔導士を各国に残しておく必要があるわ。とてもじゃないけど、全魔導士を帝都に集結させるのはリスクが大きい……」
「デュラとソラの言うとおりだな。ここは五分五分……五〇パーセントの確率で成功するということにしたらどうだろうか」
クラリスはアルテのその提案に、不本意そうな表情を浮かべる。
「帝国民に嘘をつけ、と?」
「嘘も方便だろう、クラリス」
「……」
アルテの言うことはわかる、わかるのだけれどもクラリスには踏ん切りがつかないでいる。
「仮にそうしたとしても、アルコル側ではそうしないでしょう。二つの異なる情報があったら、国民が疑心暗鬼にならないでしょうか」
だがそのクラリスの懸念に対し、
「ではことが済むまで、いったん海路を閉じては?」
そう提案してきたのはイチマルだ。
「海路を閉じる?」
「なるほど、渡航禁止にするのか!」
ターニーが、合点がいったという表情でうなずいた。
「えぇ、ターニーさんのおっしゃるとおりです。これならあちらの情報がこちらに、そしてこちらの情報があちらに行くことはありません」
「だね。もとよりそんな危機になったら、外国旅行なんて気分にならないでしょ。イチマルはアルコルでは信者が多いマウンテ教の姫巫女だし、ボクもミザール側の賢者だ。そこらへんの工作はボクらに任せておいてよ!」
「ターニーさん……イチマルさんも」
イチマルとターニーが、無言でうなずいた。
「じゃあとりあえず近日中に行われる皇帝からの『お言葉』は、『星降り』に対して五〇パーセントの確率で全人類が滅亡する。だから空に魔法陣をかけて防御にあたりたいから、全魔導士は協力してくれって呼びかける……でいいか?」
得意げにそう言ってのけるデュラに、クラリスたち五人の視線は冷たい。
「デュラ、あなたはバカなのですか⁉」
「なんだよ、藪から棒に……」
「反対だっつの、デュラ」
「あん? なにが反対なんだ」
呆れるクラリスと、ツッコむターニー。アルテ・イチマル・ソラはダメだこりゃとばかりに頭をかかえる。
「デュラが言うのは……おおむね合ってますが、言い方を違えるわけにはいきません。三ヶ月後に起きる『星降り』に対応するため、全魔導士の協力がほしい。空に防御の魔法陣を張れば、五〇パーセントの確率で『帝国』が助かる」
「逆になっただけじゃん?」
「それが大事なのよ、デュラ。いわゆる『朝三暮四』ね」
「なんだよソラ、そのチョーサンなんとかって」
こんな故事がある。猿に対し『朝に三つ、夕に四つ餌をやろう』と言ったら猿たちが『朝に三つは少ない』と怒り出したので、『では朝に四つ、夕に三つでどうだ』と言ったら納得してくれたという。
結果的に一日に七つなのだから目先の言葉に猿たちは騙されたことになるが、要は言葉のマジックでだまくらかそうということだ。
「五〇パーセントの確率で人類が全滅、五〇パーセントの可能性で人類が助かる。どちらも同じでしょ? でも……」
「なるほど、言い方によっては期待値が違うな」
妙に納得したデュラである。
「なぁクラリス、さっき『帝都』じゃなくて『帝国』と言ったか?」
ふと気づいてアルテが問うのに、クラリスを除くほかの四人がハッとした表情を見せた。だがクラリスは、それがなにかとでも言いたげな表情で。
「みなさんがよってたかって私に言ったんですよ? 『嘘も方便』て。もちろん現実的には帝都をカバーするのが精いっぱいですが、ほか六国を見殺しにするという立場は公には示せません。あきらめが肝心とはイチマルさんが、割り切れとはデュラが教えてくれたことですよね⁉」
さっきまで自分たちがそう言ってクラリスを説得していたのだから、その発言に対してはぐうの音も出ないアルテたちだ。
「でもクラリス、お前はそれで……その、大丈夫なのか?」
「デュラ、なにがです?」
「精神、持つのかなって……」
心配そうに小さくつぶやくデュラに、クラリスはニッコリと笑顔を見せる。
「完全にあきらめたわけじゃないです。どれだけの『魔力』が集められるか、それ次第では大陸をカバーできるかもしれません。また、アルコル諸島も……」
クラリスのこの前向きな言葉にはイチマルも、
「『らしい』ですね、クラリスさん。さすがにあきらめが肝心とは、もう言えなくなりました」
イチマルがそう言って、笑う。
それでその場が、まるで雨が止んだ空から雨雲がパーッと晴れて陽が差し込んだかのように明るくなった。だがクラリスを含む誰もが、その願望は……実際には不可能に近いことを知っている。
だけどそれでも、やらなければいけない。この若い新人の賢者仲間に、崇高な決意を胸に抱いた若き皇帝の力になりたいと先輩賢者たちはそれを顔に出さなかった。
そして数日ののち、クラリス皇帝からの『星降り』に関する通達が大陸全土を一陣の風となって駆け巡る――。
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