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第一章・塔の賢者たち
第三話『原初の神・リリィ』
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そこには、何もなかった。
白とか黒とかの概念もない、『無』だけがあった。いや、『無』が『有った』というのはおかしな表現かもしれない。
そして、その何もない空間で――『それ』は存在していた。
億とか兆とかいう単位が馬鹿らしくなるくらい、『それ』はずっと悠久の時間の中で『無』の空間に存在していた。
見目は、十歳に満たない長い黒髪の少女。烏の濡羽色とも表することができる、漆黒の黒。
瞳も同じく、宝石の黒瑪瑙を思わせる蠱惑的な艶を放つ。
そして『無』の世界であるがゆえに光源がどこにもないにも関わらず、その瞳孔には光の輪が宿る。
一糸まとわぬその裸体は見た目相応の幼児体型ながら、瞳や髪の黒と相まって白い肌が光り輝く。
その少女は、その『無』の空間でただひたすらプカプカと浮いているだけの無味乾燥な時間を、飽きることなくずっと過ごしてきたのだ。
「退屈だな……」
訂正する。どうやら飽きてしまったようだ。
「光……」
その『無』の世界しか知らないはずの少女が、知るよしもない『光』という言葉をぽつりと呟く。
「光、ほしい」
そして、少女がそう呟いた瞬間だった。
少女の裸体が直視したら目の潰れそうなほど、眩い膨大な光を発する。まるで少女の身体を、触媒としたかのように。
そしてその光に照らされた少女の『影』。それはこの『無』の世界で初めての、『光』と『影』だった。
どこまでも連綿と続いていく光を見ながら、その少女――リリィは嬉しかった。ずっとずっとずっと、一人ぼっちだったから。
もうこれで、寂しくなくなる。もう私は、一人じゃないって。
だがリリィの思惑を外れ、『光』も『影』も自我を持たない。リリィは己の寂しさを紛らわせるかのように『光』には『ロード』という名を、『影』には『クロス』という名前をつけた。
名前を与えられた『光』と『影』は、やがて自我を持つようになる。
女神・ロードは、その光を用いて『天界』を創造した。男神・クロスは、その影を用いて『冥界』を創造する。
まずロードは、自らの眷属……後の世界で『天使』と呼ばれる者たちを創造した。だが命を与えてから先は、ロードではない完全なる別個体だ。
中には天界やロードに仇なす存在も少ないながら、それは産まれでてきてしまう。『堕天使』と呼ばれる、世界に混迷と混沌を生じさせる招かれざる生命が。
それらはことごとく、その核を浄化すべくロードの手によって冥界へ落とされていく。そして冥府の番人・クロスによって浄化された魂は再び、天界に顕現するのだ。
すなわち、『輪廻転生』『生生流転』と呼ばれる神々の創った魂のリサイクルの誕生である。
よって二人の神はそれぞれ、己が創造した世界の構築と平定に忙殺されることになった。
「ねぇ、ロードお姉たま。遊んで?」
ロードの真似をして神衣に身を包んだ幼い少女・リリィが、ロードの神衣の裾を引っ張る。
「リリィ、いい子だからあっちで遊んでいなさい。私は忙しいのです」
イラつきを隠さず、けんもほろろに対応するロード。リリィはしょぼくれて、トボトボとその場を後にする。
「ねぇ、クロスお兄たま。遊ぼ?」
冥府にて黒い神衣を身にまとったクロスに、リリィがてくてくとついて行きながら何度も話しかける。だがクロスもまた疲れ切った表情を隠そうともせずに、
「私は忙しいのだ。ロードに遊んでもらいなさい」
とこちらもまた、にべもない対応だ。
「……ちぇっ」
すっかりいじけた表情でリリィは冥界を後にするのだけど。だが天界へ戻ったところで、ロードにも相手にはされないのは自明の理だ。
「どうしようかな」
こんなつもりで、ロードやクロスを『創造』したわけじゃない。リリィはすっかりふてくされていた。
そしてリリィは『いつもどおり』天界と冥界をへだてるテルミヌスの川に両脚をつけて、バチャバチャと水しぶきを飛ばして遊ぶ。だがその表情は、全然楽しくなさそうで。
(私の居場所は、どこにもない……)
そんなことを考えながら、リリィは涙目で水面を見つめる。
「私の世界……私だけの世界、創っちゃおうかな」
両手を空に向かって翳す。もうロードにもクロスにも期待はしない、そんな訣別の思いを小さな胸に抱いて。
そしてリリィは、『創った』。自分を頂点とする、誰もが自分を否定しない世界――『魔界』を。天界と冥界のはざまに、線路わきに咲く一輪の花のような小さな『自分の世界』を。
自らの手でロードとクロスを創造した『新世界』に見切りをつけ、『真世界』の創造に乗り出したのだ。
当初はロードもクロスも、それは『おままごと』としか捉えていなかった。そして互い『リリィはクロスが創造した』『リリィはロードが創造した』と思い込んでおり、リリィこそが己を産み出した創造神だと認識していなかったのである。
日々のルーティンに忙殺され、互いにそれを確認できなかったのは後に大きな災禍を呼び起こしてしまうのだが今はそれを知るよしもなく。
リリィはまず、海棲生物から『人』『獣』『鳥』に進化させた。一部の生命は『魚』として海に残し、リリィによる『箱庭』遊びは瞬く間にその規模を拡大させてゆく。
そしてロードとクロスが気づいたときには、時すでに遅く。『魔界』は天界・冥界をも超える『第三の世界』として、両神ともに無視できない大きな存在として成長した。
やがてリリィは数多の種族の王である『魔王』たちを束ねる『魔皇』として、魔界の絶対的な指導者として歩みを進める。
すでに幼い少女の姿はそこになく、見た目は十代後半の見目麗しい淑女に成長していたリリィ。ロードの創った天界で『いらない者』を意味する『ディア』を我が名に結び合わせ、『リリィディア』と名乗るようになった。
ロードは今も、このときにその意味に気づかなかったことを後悔する。
リリィは結局、自分ともクロスとも心の中では完全に訣別できなかったのだ。
だからこそ自らの名に『ディア』を与えた『私はいらない者ですか?』というリリィからの問いかけを、こっちを見てほしいのだという悲痛な叫びを見逃した。聴き逃した。
リリィのそんな内情とは裏腹に、魔界は平和で穏やかな安寧の日々を保ち続ける。だからこそロードもクロスも、『三界』ともに在りともに栄える『共存共栄』を信じて疑うことはなかった。
だからそれは、あまりにも突然だった。突然すぎた。
魔界が天界と冥界を相手に突如として宣戦布告を表明、数千万にもおよぶ魔界の兵たちが天界と冥界に進軍してきたのである。
その戦いは、陰惨を極めた。魔界の魔皇・リリィディアも天界の女神・ロードも、失った兵の数だけ新たに魂を創造する。
魔界兵は冥界にも侵攻していたから、冥界は冥界兵で迎え撃つ。ゆえに本来の『生々流転』の役割は、人手不足を主たる原因として困難を極めた。
くわえて三界の戦死者の魂が冥府に殺到、あっというまにその機関はパンクしてしまう。審判を待つ死者による長蛇の列は延々とどこまでも続き、生者だったときの時間よりも並んでいる時間のほうが長くなる者も珍しくなく。
その終わらない戦いは、それまでの有史をも超えるほどの気の遠くなる年月を費やしてもなお終わることなく。
「リリィディア、いつまでこんなことを続けるのです‼」
天界からの念話で、ロードがリリィディアに疑念を投げかける。
「リリィディア、いい加減にしないか! お前の目的はなんだ⁉」
冥界からの念話で、クロスがリリィディアを叱咤する。
だがリリィから返ってくる言葉はいつも同じ。
「わかんない」
と。だがその顔には困惑ではなく、むしろ笑みすら浮かべていた。
リリィは寂しかった。そこで、ロードという光を産み出すことにしたのだ。そしてロードが放つ光が自分を照射してできた影から、クロスが産まれた。
リリィは嬉しかった。もう寂しくない、一人ぼっちで泣くこともない。だがそんなリリィの思惑を知らず、ロードもクロスもリリィの存在を認識しなかった。
リリィは哀しかった。一人がイヤでロードとクロスを創造したのに、また一人ぼっちに戻ってしまったのだ。魔界を創造し魔皇となり、自らを慕ってくれる周囲に恵まれた後もなお、リリィはロードとクロスを欲した。
リリィは楽しかった。ロードやクロスが目を血走らせて挑んでくる姿を見るのが……自らの名前を、ロードやクロスが呼んでくれる。リリィはリリィにとって、やっと欲しかったものを手に入れたのだ。
これが、魔皇・リリィディアが侵略戦争を起こした動機だった。
リリィは魔界を創るにあたり、一つの禁忌を定める。それすなわち、『神々の手による不干渉』。
つまりロードもクロスも、直接自分たちが魔界に降臨することができなくなっていたのだ。真の創造神の前では、二人はその絶対的な原理に抗うこと能わず。
「ロードよ、いつまでこの膠着した状態を続けるつもりだ。もはや冥界は、死者の魂を裁くことも捌くことも叶わぬ‼」
「それはリリィディアに言ってくれないか、クロス。私とて、立場はそなたと同じぞ⁉」
魔界に攻め入れられた当事者同士でありながら、ロードとクロスの関係にもひびが入る。お互い魔界に直接の降臨はできない以上、己が世界から派兵するぐらいしか手立てはなかった。
「リリィディアと話し合いはできないだろうか」
ふとロードが漏らした言葉に、クロスは鼻で笑う。
「リリィディアが、我らの言葉に耳をかたむけるとでも思うのか?」
だがロードは真剣だ。
「これまで、リリィディアに直接対話を申し込んだことはあるまい?」
「何を……これまで我らが如何に問いかけようとも、『わからない』一辺倒ではなかったか。忘れたとは言わせぬぞ⁉」
そう。休戦や停戦をもちかけても、降伏勧告や講和を持ちかけてもリリィディアからの返答はいつも同じ。
『わかんない』
ただその一言のみ。もはや言葉の通じる相手ではないというのが、クロスの偽らざる本心だった。
だがロードは思う。リリィディアが戦端を開くまで、ちゃんと彼女に正面から真摯に向かい合ったことがあっただろうかと。
(まさかとは思うが、それが開戦のきっかけではあるまい)
とは思うものの、自信が持てない。だが、もしそうだったならば――。
「やってみる価値は、あるかもしれぬ」
「戯言を申すな、ロード。正気か?」
「いかにも。もしも我ら二人、リリィディアに念話ではなく直接魔界に出向く旨を伝えればあるいは……」
かの禁忌も、リリィディアが招くという形であれば我々の魔界入りも叶うのではないか。そう考えて。
「ふむ。まぁ無駄だとは思うが、やってみるしかあるまい。もう、我らにできる手段は出尽くしたも同然だからな」
ロードと無為で終わらない舌戦を繰り返す日々に、クロスも疲れ切っていた。なので、ここはロードの言うとおりにやってみようと諦めにも似た境地で賛同する。
「それにしてもロードよ、何を思ってかの存在を創り上げたのだ。本当はお主は、リリィディアに何を望んだ?」
「クロスよ、それは何の話だ?」
「とぼけることはあるまい。私にとってリリィディアは、母神ともいえる存在。我はリリィディアの影から今の姿を成したのだ。そなたからの光を浴びてできた、影でな」
焦燥しきった表情でクロスがそう漏らすのだが、ロードはわけがわからないといった塩梅で。
「何を勘違いしておるか知らぬが、リリィディアを創造したのは私ではないぞ?」
「なんだと?」
「私はてっきり、クロスが創造したものだとばかり……」
「おかしなことを言う」
俄にクロスが殺気立つ。
「卵が先か、母鳥が先か。それはわからぬが、影は『子』にも等しい存在ぞ。『母』なる対象より先に産まれいづる道理はないではないか」
言われてみれば、とロードは愕然とする。では誰がリリィを創造したのか?
「私が光としてこの世に顕現したとき、リリィはすでにその場にいた……のか?」
「そういうことになるな。俺はてっきり、ロードが創造したものだとばかり考えていたが」
その問答を経て、両神はお互いに押し黙る。そう、『もう一つの可能性』に気づいて。
「まさか……」
奇しくも、二人の声が重なる。消去法でいうと、そのもう一つの可能性は『最後の可能性』でもあったからだ。
「リリィが……リリィディアこそが真の創造神、なのでは」
思わずポツリともらしたロードの言葉が、揺れて震える。
「ロードを、リリィが創造したとでもいうのか?」
クロスはそう言いながらも、決して疑念の問いかけではない。むしろ、確認に近くて。
最初に存在したのがリリィディア。そしてロードという光を創り、リリィディアを照らした光の影からクロスが産まれたとしたらすべての辻褄が合うのだ。
だが自分たちは、真の創造神であるリリィディアにどうふるまった?
「あの幼い少女神は、いつも我らとの対話を……ふれあいを求めてはいなかったか」
「あぁ、それは間違いない」
だがともに天界と冥界の指導者として、時間と仕事に追われる日々の中で。リリィディアに、どんな言葉を投げかけた?
『リリィ、いい子だからあっちで遊んでいなさい。私は忙しいのです』
『私は忙しいのだ。ロードに遊んでもらいなさい』
二人の間を、長きにわたる沈黙が支配する。
「ロードの言うとおり、一度膝を割って話し合わねばならぬな」
真剣に考え込みながらそう言葉を紡ぐクロスに、
「そなた、リリィの膝を割って何をするつもりだ。割るのは膝でなくて腹であろう」
クロスの卑猥な言い間違いに呆れたような表情を浮かべるロードだったが、それでもクロスが自分の意見を尊重してくれたことに光明を見出す。
(これまで、意見はずっと割れてばかりだったからな)
「なっ、そんなつもりではない! 割るのは腹、腹だ‼」
「わかっておる。そしてもし話し合いが決裂したら……そのときは」
「うむ、覚悟を決めねばならぬな」
二人は無言で頷き合う。魔界に降臨できる、リリィディアに直接対面できるチャンスを逃すわけにはいかない。
(直接対決、か)
それは両神に残された、最後の選択肢であった。
「ようこそ、魔皇城へ」
ロードとクロスの両神が通されたのは、その遠い未来の世界で『リリィディアの霊柩』と呼ばれる廃神殿がまだ色あせぬ輝きを誇っていたころの――。
「久しいですね、リリィ……いえ、リリィディア」
「……しばらくだったな、リリィディア」
二人の表情は、険しい。魔界への降臨をリリィディアに許されたばかりか、魔皇城の玉座――『敵』の心臓とも云える場所に招き入れたリリィディアの思惑が読めなくて。
「私に折り入って、話があるとか?」
玉座に鎮座するは、リリィことリリィディア。漆黒の長い髪はひざ裏まで伸びていて、黒曜石がごとく漆黒の瞳には光の環が宿る。
人間でいう十八歳から二十歳ぐらいの外見で、二人が知る幼少のころの面影はすっかり影を潜めていた。
ロードとクロスは、久しぶりに……本当に久しぶりに見るリリィディアの美しさに目を奪われ、そして戦慄する。その表情は、世界を隔てて争いあう覇王のそれではなかったからだ。
(念話ではあれほど拒絶していたにも関わらず、実際に会って話がしたいと伝えただけでこうも展開が進むとは……)
最初からそうしていればよかったと、ロードは悔やむ。そして自らが立てた仮説、それはもう多分間違いないだろうと。
「さっそくですが本題です。リリィディア、今すぐ魔界の侵攻をやめるのです」
毅然としてロードは言い放つものの、リリィはあまり真面目に聴く気がないのか、上の空だ。そしてしばらくの間があって、
「なんで? どうして? もっと『遊ぼう』よ!」
楽しそうに、本当に楽しそうにリリィが言い放つ。そして二人は吃驚するのだ。
(これまで、何人が死んだ? どれだけの時を費やした? それさえもすべてリリィディアにとっては、『遊び』にすぎなかったのか⁉)
と。神である自分たちの剣となり盾となって冥府に旅立った者、巻き込まれて亡くなった無辜の民。
実にそれらの累積は、もはや億とか兆といった『現存する単位』では表しきれないほどの犠牲を生んだのだ。リリィディアにはもはや言葉が通じないかもしれない……ロードとクロスは、最悪の事態を想定せざるをえなかった。
「この戦いで、実に多くの時間が費やされました。それにともない、多くの命が失われたのです。あなたはそれに対し、何を思い感じますか?」
まるで幼子に諭すように、ロードが問う。ロードの中でのリリィディアは、今もってなお自分と一緒に『遊び』たがったイメージのままなのだ。
(そういえばリリィはいつも『遊び』たがってた……まさか、その延長ぐらいにしか感じてないのだろうか)
もしもそうであれば、責任の一端は自分たちにもある。ロードとクロスは自分たちの中でそう結論づけて、表情を悔恨で歪めた。
「……もう遊ぶの、やめるの?」
つまらなそうにそう言い捨てるリリィディアに、
「リリィディア……あなたはっ‼」
思わず声を荒げるロードだ。クロスはさっきから無言である。
「ロード、これはもう話にならん。奴は昔から変わらず、ずっと幼い少女の感覚で……魔界を統治、そして我らの気を引かんがためだけに戦争をしかけてきた」
「わかっています……わかっていますが」
「問答無用ということで、いいか?」
すでにクロスは覚悟を決めている、あとはロードの心ひとつだ。
「……わかりました、仕方がないのかもしれません」
ロードは、ギュッと拳を握りしめる。だがそんな二人とは対照的に、リリィは悪戯っ子のような表情で二人を見つめていた。
「ねぇ、『そんなことより』お茶にしようよ! おいしい茶葉があるんだ、二人と一緒に飲もうと思ってずっととっといたの」
リリィの言う『ずっと』とは、気の遠くなるほどの悠久のときを経てきたのだろう。リリィは、ずっと待っていたのだ……その自責の念で、ロードの頬に涙がつたった。
「ロード、なんで泣いているの?」
リリィがポカーンとした表情でそう言って、
「いい子いい子してあげる」
玉座を立ち、ロードに歩み寄ろうとひな壇を降り始める。
「今だロード!」
「はい、クロス‼」
ロードとクロスの周囲に、白い光と黒い影が旋回し始めた。
「ロード? クロス?」
そしてそれが渦を巻くようにして、リリィディアに襲いかかる。
「『白の鎖』‼」
「『黒の鎖』‼」
二人がそう叫ぶと、光と影それぞれの『鎖』が顕現する。そしてそれは無防備に歩み寄ってきたリリィの体躯をいともたやすく拘束した。
「これ、なぁに?」
だがリリィは焦りなど全然見せないどころか、無垢な表情で動けなくなった自分の身体を見つめるばかり。
「まさかこんな簡単に拘束できるとは……」
クロスが驚いた表情で、ポツリと漏らす。それこそ、神々が本気で力をぶつけ合ったら世界の一つや二つは消滅してもおかしくないとすら思っていたのだ。
「リリィディアの……リリィのほうに、私たちに対する敵意がないということでしょうね」
油断していたとかそういうことではなく、最初からリリィは戦争をしているつもりはなかったのだと気づいてロードは唇を噛む。
「リリィディアに訊きたいことがあります」
動けなくなったリリィの前に立ち、ロードが口を開いた。
「私を……私たちを創ったのはリリィディア、あなたなのですか?」
「うんっ、そうだよ!」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにリリィは破顔一笑で頷く。
「ずっとずっと一人でねぇ、寂しかったんだ」
そう言ってリリィは弱々しく笑った。結局、自らが創りあげたロードもクロスもリリィの寂しさを紛らわせてくれる存在にはならなかったからだ。
「リリィディア、いえリリィ。私たちは……」
ロードは拘束されて動けなくなっているリリィを抱きしめると、
「あなたを愛しています」
「……ロード、本当?」
「あぁ、本当だリリィ。私もロードも、お前を愛する」
「クロス、嘘ついたら針千本だよ?」
「約束しよう」
そう言ってクロスも、リリィを抱きしめているロードごと両手で包み込む。
「そっか、嬉しいな……ヘヘ‼」
ちょっと照れくさそうに笑うリリィは、外見とはミスマッチな幼い笑顔を見せた。そして、
「なんかねぇ、眠くなってきちゃった……」
そう言って、小さなあくびをしてみせる。
「そうですか……ではリリィが寝るまで、ずっとこうしていましょう」
「寝るまで?」
「あぁ、そうだ。安心して休むといい」
「クロス、私が寝るまでずっと。ずっとこうしてるのよね?」
「そうだ」
安心したのか、リリィは目をしょぼしょぼとさせて……ゆっくりと目を閉じる。両神の神力による封印の光と影の鎖が、リリィの身体にゆっくりと埋まっていった。
そしてリリィは眠りにつき、これを以って長きに渡り続いた神々の代理戦争は終結したのだった。
これにて天界、魔界、冥界に平和が訪れる。その大きな綻びが癒えるまでには多大な年月を必要としたが、それでも三界の住人たちは少しずつそれを繕っていった。
いつしかリリィが創造した『魔界』では、平和になって争う必要のなくなった多くの魔界人がその魔力を徐々に失っていき……後に『人間』と呼ばれる種族へと変貌していく。
さらに悠久のときを経て、いつしか魔界は『地上界』と呼ばれるようになった。
これが今でいう、『人間界』の源流となったのだ。そして最初は力を持った『長』がそれぞれ『部族』をまとめていた人間界も、進化の過程で『長』をまとめる『王』が誕生する。
それにともない『王』に従える一握の勝者たちが『貴族』となり、残る敗者たちが『平民』となった。これが後の世まで長く続く、身分制度の起源となったのである。
そしてさらに幾星霜の後も、『魔界』時代からその魔力を失わず連綿とその血脈・血統を維持し続ける種族がいた。
人間のような姿形ながら女性のみしか存在せず、数千年の寿命を誇り魔法を自在に操る『魔女』と呼ばれる『亜人』。その種族の、とりわけ年端のいかない女性は『魔法少女』と呼称されるようになる。
なお混血という概念がなく、どの種族の男性の子を宿しても産まれるのは魔女の種族――つまり魔法少女なのである。そしてその種族からある年、一人の女の子が産声をあげた。
その赤子は『リリィ』と名付けられ、その世界では珍しい黒い髪と黒い瞳を持つ。やがてすくすくと成長していく傍らで、その膨大な魔力はたちまちのうちに国の中枢に知られるところとなった。
「アルセフィナ魔法少女学院、ですか?」
リリィ、十四歳。通常の学校の中等部卒業を年明けに控え、リリィの元を訪ねたのは王城からの使者だ。
「そのとおりです。名前はご存じだと思いますが」
「知っています。魔法少女の一握りのエリートだけが通える、高等学院ですよね」
リリィ宅で、両親とリリィ。そしてテーブル向かいには使者を交えて話し合いの場にて、使者の用向きを訊ねたときの返事だ。
「お宅のお嬢さん、リリィさんをそちらに通わせよとの王命でございます」
そう言って使者はうやうやしく、王家からの勅書を一家の前で掲示してみせる。
「ほ、本物……なのか?」
開いた口が塞がらないといった様子のリリィの父・アルキバが、その勅書を穴があくほど見つめる。貧乏な耕作民の出なので、その勅書にピンとこないでいた。
「この紋章は間違いなく王家のものですよ、あなた!」
結婚前は比較的裕福な家庭で育ったリリィの母・クラズは、勅書の意味を理解しているがためにアルキバとは別のベクトルで驚きを隠せなかった。
「……えーと、これって断れない感じのやつですか?」
地元の中等部で親しくなった友人たちと別れたくないリリィは、あまり乗り気ではなく。学院は、リリィの住む郊外からほど遠い首都にあるのだ。
「断るのは、あまり得策ではありませんね」
使者は、渋い表情を浮かべる。
「王の命令を背いた……いえ、その前に。リリィさんを説得できなかった、断られたということで私が投獄されるでしょう」
「えぇっ⁉」
「そしてまた別の使者が派遣されます。次に派遣される使者はおそらく、衛兵をともなって現れるでしょうね」
それすなわち、断るなら拉致してでもという意味だ。
(ようするに、断れないやつじゃん)
リリィは不機嫌そうに唇をとがらせる。
かつてこの世界で、『ミリアム・ベル』と呼ばれた天才魔法少女が存在した。ミリアムは、大地を穿ち海を割るほどの膨大な魔力をその身体に有していた。
だがその『背負いきれない重い荷物』は、ときに彼女を苦しめる。誰もが自分を畏怖し、つながりを絶とうとする。
やがて成長したミリアムは、自分と同じように『大きな魔力』を持ちながら身を持ち崩す少女たちの存在に気づく。そして彼女たちのために、魔法少女学院を設立して自らが初代理事長となったのだ。
ミリアムはその悠久の時空を生きたとされるが、それでも寿命は誰にも平等にやってくる。そしてミリアムは己が死を認識した際に、
「この学院に入ってくる少女たちに、私はこの魔法水晶を遺します。この魔法水晶を光らせることのできた者は、私に匹敵するほどの魔力の持ち主となるでしょう」
そう言って国にかけあい、一つの法律を定めさせる。
『魔法水晶を光らせた者は、私の家族である』
として、自らの没後であっても『ミリアム・ベルの養女』としてベル姓を名乗ることを強要したのだ。これはその膨大な魔力ゆえに家族や周囲に疎まれているかもしれない、ならば自分のネームバリューを利用してその庇護下に置こうというミリアムなりの心づもりだった。
そして実際、そういう環境の元で育つ魔法少女がいるのも確かで。
だがリリィは、両親に愛されている。愛されているのに、もし魔法水晶を光らせることができてしまえば法律上は籍を移動させられるので家族ではなくなってしまうのだ。
(まぁ、私なんて田舎だから『すごい魔法少女』なんであって……都会じゃ掃いて捨てるほどの『普通』だろうし?)
この時点でリリィは、そう軽く考えていた。
王命に逆らったら、自分というか両親の身に危険が生じる可能性がある。なので学院入学はしたがわざるを得ず……そして翌年、両親の元を離れて学院に入学したときリリィは十五歳になっていた。
「十五年か……びっくりするぐらい、何も起こらなかったな」
冥府の番人・クロスが地上界を見上げながらボソッとつぶやく。
「リリィディアとしての記憶がないのです、今はただただ見守りましょう」
天界の女神・ロードがクロスをけん制しつつも、地上界を見下ろしながら優しく言葉を紡ぐ。
「見守るだけでは手遅れになるやもしれぬぞ?」
少し苛立ちを見せながらクロスが訊ねるのに対し、ロードの姿勢は終始一貫している。
「何の罪もない一人の少女を、神の都合で屠ることは許されませんよ」
「一人の少女、ね。かの者がどれだけの犠牲を三界に強いたか忘れたか?」
「……」
魔法を使える女性のみしか存在しない、長寿を誇る亜人の種族として転生したリリィディア。彼女には、前世の創造神にして魔皇であった記憶は失われていた。
最初にリリィの転生に気づいたとき、クロスはリリィの再封印をロードに提起する。だがロードは今度こそリリィには幸せに、そして愛し愛される幸せな生涯をおくってほしいという願いを抱いた。
「リリィは、その寂しさゆえに人に愛されることなく……だから、愛するということの意味さえも知らなかった。それがかの災禍につながったのです」
もし、自分たちがあの寂しがり屋の少女神を愛していれば……今でもロードは悔やみ続けていた。
「それは私とクロス、二人の罪でもあるのですよ」
「だから見逃せと? リリィが魔皇として復活しても?」
クロスは、ロードの言わんとすることがわからないでもなかった。また、ロードと同じくリリィには今度こそ幸せになってもらいたいと思ってもいたのだけど。
(だからこそ、もし今のリリィが魔皇として復活したらどうなるのか……下手に愛することを覚えてしまった今、その精神は深刻な傷痕を残してしまうのではないか?)
かつて自分がしでかしたことを、万が一にも思い出したら。たくさんの命を創りあげては、お人形のようにその命を散らかしていた大罪を自覚したら。
(されば、リリィの心は潰れてしまう)
彼もまた、リリィのためを思えばこその再封印を提起していたのだ。
「そうは言っていません。それにリリィは転生したとは云えど、魔皇としての種を体内に含有しているのは確か。だからこそ、その種が発芽しないように私たちで見守るのです」
「我らは魔界、いや地上界には直接の干渉はできぬ。見守るなどと言っているが、それだとすべてが後手に回るのだ」
「リリィには私の『白の鎖』とクロスの『黒の鎖』が、今もその体内でリリィが暴走しないように見張っているのです。云わば封印されているも同然でしょう」
「貴殿は、私とは封印の解釈が異なるようだ」
吐き捨てるようにそう言うと、クロスはロードとの念話を遮断する。
「何ごとも起きなければよいがな……」
そしてそんな神々の葛藤を嘲笑うかのように、リリィの新しい人生は大きな局面を迎えようとしていた。
アルセフィナ魔法少女学院の入学式が終わり、『恒例』の新人戦が始まった。
普通の学院では魔法の授業はあるものの、それは魔法が使える者のみが選択して受けるのが一般的だ。だがこの学院では最初から誰もが魔法を使えることを入学条件としており、入学後はひたすら魔法技術の研鑽に励む。
だがいかな新入生と云えど、そのレベルには大なり小なりの個人差があるのは否めない。よって、クラスわけの判断材料として新入生同士で模擬試合をやらせるのだ。
「さて、変身すっか……」
学院の運動場、選手入場門にてリリィ。今はただの学生服姿であるが、魔法で戦うときには独特の衣装に着替える必要があった。
「オブシディアン・ストゥーパ、アクセス‼」
リリィの種族は、女性しか存在しない。なので子孫を残すにはほかの種族の子種を宿す必要があったが、産まれてくるのは絶対に『魔法少女』で。
彼女たちはひとしく混血であり、魔女の娘は魔女なのである。たとえ父親の種族が、なんであろうとも。
そしてその最初の先祖となる魔女の供養塔を、その子孫は誰もが心に秘めている。それは物理的に存在しない、異次元のような場所に立つ霊廟。
その霊廟にアクセスすることによって、『魔法少女』としての力をその身に纏うのだ。
リリィの先祖は、リリィと同じく黒い髪と黒い瞳を有した。それゆえに、霊廟もまた黒曜石の魔力を纏う。
それぞれの魔法少女はそれぞれの霊廟を持ち、その色形もさまざまなのだ。
そしてリリィが変身した姿、それは紛れもなく『魔法少女』。額には黒曜石をあしらったサークレット。オフショルダーのトップスも、フリルレースのミニスカートも黒だ。
デニール数の低い膝上までのストッキングも黒なので、絶対領域……もとい、チラ見える太ももの白さが光って見えるほど。そして右手に握られる魔法杖もまた黒なので、『葬式帰りの魔法少女』とからかわれたこと数知れず。
長い黒髪ストレートを後ろで束ねた清楚な制服姿とは真逆の、露出の多い衣装。左右に心持ちフワリと広がる毛先は、腰あたりからゆるくウェーブがかかる。
「どっちかというと、『葬式に乱入した痴女』だよねぇ」
正直リリィは、この恰好は恥ずかしいのであまり好きではない。ただ変身しない状態だと、ちょっと便利な生活魔法ぐらいしか使えないので変身しないという選択肢はなかった。
変身を終えたリリィは、教師に促されるままに魔法闘技場に足を踏み入れる。
模擬試合は、あらかじめ入学前に予選が行われていた。だがリリィはスカウトされての推薦入学、しかも王命によるものだったからそれを免除されている。
なのでトーナメント方式によるそれでは、最初からエントリーされているのだ。
「勝者、リリィ!」
瞬殺であった。相手の魔法少女は、魔法一つ打たせてもらうこともできなかった。
リリィとしては『井の中の蛙大海を知らず』を自覚していて、田舎だから目立つけど都会じゃ普通の魔法少女だとばかり思っていたのもあって。
「え? 死んだふりだよね?」
と目の前の状況を把握しきれないで困惑する。
だが王家から直接勧誘されるぐらいのリリィだから、都会でも規格外だったのだ。
この新人戦で、優勝者のみに与えられる特権。それは初代理事長であるミリアム・ベルが遺した聖遺物、『魔法水晶』に触れる権利。
この魔法水晶を光らせた者は、おしなべて『ミリアムの娘』として国から認められる。そしてその証に、『ベル』姓を賜るのだ。
ただそれはすなわち、現在の家族の籍を離脱することを意味する。そしてそれは強制であって、辞退することはできない。
もっともミリアムが没してすでに一万年以上の月日が流れた今もなお、魔法水晶を光らせる者は誕生しなかった。なのでミリアムのその遺言も今や形骸化し、『魔法水晶に触れるだけで名誉』というお祝いの行事のようなものにその存在意義を変えてしまっている。
だから誰もが、何が起こったのかを理解できなかった。優勝したリリィがドヤ顔で魔法水晶に触れたとき、その場が魔法水晶が放つ膨大な光で瞬く間に包まれていく――。
「やーだやだやだやだ! 帰る帰る帰るぅ‼」
アルセフィナ魔法少女学院の理事長室。まるで幼い少女にように駄々をこねながら、リリィが泣きわめく。
「知らなかったんだもっ、知らなかっ……」
止まらない涙で、声が揺れて震える。
「本当に知らなかったのですか? あの魔法水晶を光らせる意味を……?」
「それはっ……」
嘘をつきとおすべきか、否か。仮に知らなかったとして、じゃあしょうがないとなるだろうか。
(多分、無理っぽい……)
だけどリリィとしては、どうしても受け入れられない。今の家族から籍を離れて、法律上は他人となることに。
今日からはただのリリィではなく、リリィ・ベルとして生きていく。一万年以上前に亡くなった偉大なる魔女、ミリアム・ベルの養女として。
「このことは入学前にも説明しましたし、入学式でも説明しましたよね?」
険しい顔でリリィに諭すのは、初老の老婦人――この学院の理事長、アイリス・クォーツだ。そして理事長の後ろには王国の衛兵が一人と、片眼鏡をかけた目つきのするどい高身長の中年男性……宰相の、オーシャン・ジャスパー。
「でも私は、パパとママの娘なんですっ‼」
リリィは目の前のローテーブルをバンッと叩いて、興奮気味に立ち上がる。
オーシャンはジロリとリリィを一瞥すると、
「理事長殿、お話になりません。どうしてもこの少女が受け入れられないというならば、王国の法に則って罰するよりほかには」
「お待ちください、宰相閣下! リリィはまだ十五歳です、未成年なのですよ⁉」
「えぇ、ですから罰せられるのはご両親ですな。もっともその少女、リリィ殿も矯正院に入所してもらうことになりますが」
この国の制度では、十七歳からが成人だ。十七歳に満たない場合、矯正院という……云わば未成年専用の施設で『教育』を受けなければならない。
教育といっても、通常の学校で学ぶそれではなく『王家を敬う』という精神を刷り込む云わば洗脳施設。王家と国に対して心からの服従と忠誠を誓ったと判断されるまで、絶対に出所できないのだ。
「きょっ、矯正院⁉」
リリィは卒倒しそうになる。未成年の再教育といえば聞こえはいいが、つまりは未成年の『不良』『犯罪者』が押し込まれる魔窟。
(いやいやそれよりもっ‼)
「なんでパパとママが罰せられるんですか‼」
「親の因果が子に及ぶように、子の罰も親の責任となるのです」
宰相は冷徹な表情で、冷たく言い放つ。
「だったら、私が矯正院に入ったらいいんですよね⁉」
負けじとリリィは言い返すも、
「大人だったら刑務所送りです。それを未成年ということで矯正院入りで許してあげようという慈悲深い法律に則ります。そして両親は両親で、法律に逆らうような娘を育てたという罰を受けねばなりません」
「そんな、ひどいっ……」
さすがに気の毒になったのか、アイリスはリリィに憐憫の視線を向ける。そしてオーシャンに、
「宰相閣下、相手はまだ若干十五歳の少女なのです。もう少し優しく諭すようにおっしゃってもらえませんか?」
「優しく言ったところで、つけあがるだけです。さてリリィと言いましたか、どうしますか?」
「なっ、何が⁉」
「法律に則り、ミリアム・ベルの養女となることを了承するか否かということです。するのならば、そこの書類に署名と血判を」
ローテーブルの上に、同じ契約書が三通。それぞれ、リリィ・理事長・王家が保管するようになっている。
「も、もしイヤだと言ったら……」
「イヤなのですか? 仕方ありません。これ、この者の両親を緊急逮捕するよう取り計らいなさい」
ジャスパーは粘るリリィに見切りをつけて、衛兵に命じる。
「……ハッ!」
衛兵は少し気の毒そうな視線でリリィを見やるも、宰相の命令とあれば従わざるを得ない。敬礼で応じて、踵を返す。
「なっ‼ ちょっと待ってください!」
慌てて扉の前で両手を広げて、リリィは通せんぼだ。
「リリィ殿、おどきなさい。公務執行妨害も、罪状にくわえたいのですか? もっとも、その刑罰はあなたのご両親に追加で課せられますが」
「‼」
ギリギリと歯ぎしりをしながら、それでもリリィは扉の前から動かない。だがジャスパーとて、本気でリリィやリリィの家族に害を及ぼそうとは考えていないのだ。
(だが、本当に譲らないのならば強制執行しなくてはならんだろうな)
だからこそ、リリィには譲歩してほしかった。優しく諭したところでリリィはあれこれ難癖をつけてくるだろうと思えばこそ、あえて高圧的な態度に出ている。
「宰相閣下、排除しますか?」
この膠着した状況が続くと、ジャスパーの命令を受けたのにそれを遂行できないでいるということで衛兵も処罰の対象になる。だから衛兵も我が身可愛さに、リリィを力づくでどかせることを進言するのだ。
「……ふぅ、仕方ありません。許可しま」
「サインします、サインします、サインします‼ すればいいんでしょ、もうっ‼」
完全にぶちギレたリリィ、ソファに戻るとペンを手にとってササササッと自らの名前を書き入れる。そして自らのピアスの尖った部分を使い、強引に人差し指の先をピッと切って。
「おりゃ! うりゃ! そりゃ!」
と怒涛の血判三連発だ。
実は血判とはいっても本当に血判じゃなくてもよく、事実そこには血判用の朱肉が用意されていたのだけども。
「それは私への、いえ国へのあてつけですか? サインしたことによって、これであなたはリリィ・ベルとなったわけですが……リリィ・ベルとして今の態度、看過できませんな」
「血判を押しただけじゃないですか!」
もちろん、本当の血を使ったのはあてつけだ。だがジャスパーはそれには応えず、王家が保管する一通を手にとって署名と血判を確認する。
「ま、ここは大目に見ましょう。理事長殿、ご苦労様でした。では私はこれで」
そう言って、ジャスパーは表情一つ変えず理事長室を後にした。残されたリリィは、
「うっく……ひっく……ぐすっ……」
両手を膝に置いて、うつむいたままなおも泣きじゃくる。血判のために切った指先から滲んだ血が、制服のスカートに赤い染みを作る。
さすがに気の毒に思ったのか、アイリスは膝上に置かれたリリィの手を取って。
「『祝福の聖光』!」
アイリスの両手から白くて眩しい光が顕現すると、それがリリィが血判のために切った指先を包み込む。そして光が治まったとき、リリィの指の傷は完全に塞がっていた。
「パパ……ママ……ご、ごめ……ごめなさ……」
だがリリィは特にアイリスには興味を示さず、うつむいたまま両親への謝罪の言葉を念仏のように繰り返すばかりで。
「リリィ、いえリリィ・ベル。よくお聴きなさい、後日王家よりあなたは一代男爵位を賜ります。貴族として恥ずかしくない言動を心がけることを、ゆめゆめお忘れなく」
「……」
これは大事なことなので少し厳しめに諭したアイリスだったが、すぐに穏やかな口調で続ける。
「確かに戸籍上、あなたとご両親の籍は離れました。ですがこれまでどおりご尊父様をパパと、ご母堂をママと呼んで構いません。もちろん、学院が長期お休みのときは実家に帰省することも許可しましょう」
「……え?」
アイリスのその言葉で、不意にリリィが泣きやんで顔をあげる。そして俄かには信じられないといった風でアイリスに視線を合わせて、
「理事長先生、本当に?」
「はい、二言はありませんよ」
やっと落ち着いてくれたリリィを安心させるように、微笑みながらアイリスは頷いた。
「そっか……よかった……」
安心したのか、脱力してソファの背にボフッと埋まるリリィ。
「本当に、よかった……」
今度は安堵のあまり涙が出てしまうが、すっかり安心しきった表情に落ち着いたのだった。
「あの、理事長先生?」
「なんでしょう?」
「ごめんなさい、私は魔法水晶が光るなんて思ってもみなくて……みっともないところをお見せしました」
(あらあら?)
さっきまで幼い少女のように泣きわめいていたリリィが、すっかり淑女のごとく穏やかな雰囲気に戻っている。そして礼儀正しく謝罪の言葉を口にすると、頭を深く下げて。
「さっきは、混乱してしまったのですね。最初から詳しく説明しなかった私たちにも落ち度はあります。こちらこそごめんなさい」
さっきまで泣きわめいていたリリィは、本当のリリィなんだろう。でも今、目の前にいる大人びたリリィもまた本当のリリィで。
(亡きミリアム・ベルの意思を継ぎ、リリィを立派に育て上げねばなりませんね)
アイリスもまた、形骸化した慣習となっていたものだから魔法水晶が光るとは思わなかったのだ。ミリアムが遺言を残してから気の遠くなる年月を経た今まで一度も光らなかったのだから、それは無理もないだろう。
だから、さすがに予想しなかった。その翌年に一人の新入生が、再び魔法水晶を光らせることを。
魔法の授業中に文字どおり山を穿つほどの膨大な魔力を見せたリリィは、亡きミリアムが天界から送ってくれた贈り物という意味を込めて『天啓』の二つ名で呼ばれた。
そして史上二人目の『ベル』の称号を賜ったその新入生は、リリィが黒一辺倒の衣装であるのとは対照的に全体的に水色でまとめていて。
攻撃魔法特化型のリリィと違い全方向に秀でた天才ながら、その行きすぎた上昇志向ゆえに破天荒な言動は入学前から良くも悪くも衆目を浴びる。
それを揶揄する意味もあって、『天才にして天災』の二つ名が冠せられる――その名を、マリィといった。
一万年余の沈黙を破り、リリィ・ベルに続いてマリィ・ベル……二年連続で『ベル』の称号持ちが誕生したのだ。
アルセフィナ魔法少女学院、二年A組。登校してきて自分の椅子に座ろうとして、リリィはフッと『ソレ』を感じた。
(魔力の残滓……?)
まだ朝早く、なんだったら学校で一番に登校してきたといってもいい時間だ。教室にはリリィしかいないし、校門付近には誰もいない。
「なにか入ってる」
机の中に、一枚の紙。すごくイヤな予感がするものの、それを出してみるリリィ。
『果たし状 本日放課後、屋上にて待つ‼』
そんな言葉が、黒の力強い筆で書かれていた。そして最後に残されていた署名は。
「またあの子か……」
マリィ・ベル、一年B組。リリィ以来となる、『ベル』の称号持ちだ。
水色のミディアム・ヘアーで、その瞳も水色だ。まるで燐灰石のような、澄んだ水色。
そして黒髪黒瞳のリリィが黒ベースであるように、マリィも魔法少女として変身後の衣装は水色がベースとなっている。
少し勝気そうな面構えで、自分こそが『最初にベルの称号を得る』と信じて疑わなかった生意気な後輩。なので一年先を越したリリィに対しては、なにかと絡んでくるうざったい存在。
「こんな時間から登校して、置手紙を仕込むか……執念だなぁ」
さすがに、二年の教室に入ったわけじゃないだろう。教室には結界が張られていて、そのクラス以外の人間が悪意を持って入ろうとしたら、たちまちのうちに弾き飛ばされるのだ。
(つまり、手紙のみを魔法で……)
だがもちろん、そんなことをしようとしたら手紙は結界に阻まれるだろう。でもそれをやってのけるのが、『天才』マリィなのだ。
「私にとっちゃ天災もいいところだけど」
決闘状も、今回が初めてではない。新学年になって一ヶ月とちょっとが経過するが、すでに三十回近く決闘を挑まれている。
(今のところ、私の十八勝十二敗だっけか)
興味ないので数えていないが、だいたいそのくらいだとリリィは推測する。もっともリリィより上に立つことを悲願とするマリィとしては、マリィの九勝十二敗九分けという認識なので若干の解釈違いがあった。
でもそれでも、今のところリリィが勝ち越していることには変わりがない。変わりがないのだが、ベルの称号持ちであるリリィに一勝することすら、普通の魔法少女には無理ゲーなのだ。
(さすがは天才……もとい天災てところね)
正直、鬱陶しいとは思いながらもリリィはマリィとのふれあい……もとい、決闘を楽しみにしている節があった。
これまで、学年で誰一人としてリリィに勝てる者はいなかった。それどころか、善戦すらできないでいる。
そういった現状にリリィは、孤独を感じていたのだ。そして誰もが自分を慕ってくれるが、それは友達としてではなく憧れの対象として。
「にしてもこれって、いつまで続くんだろう……」
楽しみな反面、痛し痒しだ。ここのところほぼ毎日、貴重な放課後をマリィにつきあうことで奪われているのだから。
「ようこそ、リリィ先輩!」
「待った?」
「えぇ、とっても‼」
放課後、腕を組んで仁王立ちのマリィ。遅刻してきたリリィに怒りを隠さず、口角がピクピクとひくついている。
「仕方ないでしょう、私はクラスの委員長なんだから」
「先輩は私との決闘と委員会の仕事、どっちが大切なんですかっ‼」
「いや、普通に……委員会の」
マリィの言い分は、もはや理不尽極まりない。これはちょっと懲らしめる必要があると、リリィの眉間にもシワが寄る。
「じゃあ始めましょうか……オブシディアン・ストゥーパ、アクセス!」
「そうこなくちゃ‼ アパタイト・ストゥーパ、アクセス!」
これがテレビアニメだったら、チャーラーチャーラーと音楽が鳴っていったん裸になり、帯やらが巻き付いてどうこうしたりするのだろう。というかしているので、そこは想像してもらうとして。
「じゃあ行くわよ!」
黒い魔法少女、リリィが魔法槌を振るう。
「来なさい!」
水色の魔法少女・マリィが魔法杖を両手に持って迎え撃つ。
攻撃魔法では誰にも引けを取らないリリィの炎が魔法槌から放たれ、渦巻く。攻撃魔法、防御魔法に治癒魔法、状態異常魔法なんでもござれの天才マリィが魔法杖でそれをいなす。
魔法少女と云えど、リリィの戦い方は脳筋の一言。槌の頭の部分はリリィが数人入りそうな巨大な大きさで、それをいとも軽々と枯れ枝のごとく振り回す。
そのたびに主に炎の魔法が出力されるのだが、魔法がなくて槌のみであっても強力な武器だ。同じ大きさの岩くらいは、簡単に破砕せしめてしまうだろう。
だがそれを正面から、またときには絡め手で互角に渡り合うのだからマリィも一筋縄ではいかない。
結局その日の決着は、強大な二つの魔力が蠢く屋上の異常に気づいて飛んできた教師により水入りとなった。
(私が最後のほうが押してたから、これで十九勝十二敗か)
(くっそ、今日も教師の邪魔が入っちゃった。九勝十二敗十分け、なかなか勝ち越せないな)
こうやって二人の解釈違いのズレは、大きくなっていく。
やがて季節は夏になり、秋が来て。冬はもうすぐそこに迫っている頃には、二人は先輩後輩の枠を超えた親友同士になっていた。
「ねぇ、マリィ。もうやめない?」
学院の屋上に姿を現せた制服姿のリリィ、呆れた表情でマリィが机に残していった恒例の決闘状をヒラヒラと振る。
「なに言ってるのよリリィ! 今のところ私の八一勝九五敗三四分け、いざ尋常に勝負‼」
「そんなに引き分けてたかなぁ?」
リリィとしては、教師の水入りによる強制終了は『判定』で勝者を決めていた。もちろん判定するのは自分なので、その基準は自分寄りに甘くなっているかもしれない。
だがマリィとしては、決着がつかなかったらイコール引き分けなのだ。二人の解釈違いは、今なお歩み寄りを見せていない。
「もう! めんどくさいなぁ……オブシディアン・ストゥーパ、アクセス!」
「昨日に続いて連勝を決めるわ! アパタイト・ストゥーパ、アクセス!」
チャーラー(略)。そして黒い魔法少女と水色の魔法少女が、それぞれ魔法の箒にまたがって屋上の上空で対峙する。
結局その日はリリィの圧勝に終わり、負けたマリィももちろんだが勝ったリリィも衣装がボロボロだ。たとえは悪いが、性的暴行を受けた被害者のような卑猥な状態となっている。
「おーい、マリィ。立てる?」
ぶっ倒れてるマリィに、さほど心配してない感じでリリィが声をかける。
「うぅ、もうちょっとで勝てた……三連勝だったのに……」
マリィは倒れたまま、無念の負け惜しみをつぶやく。
リリィにとっては楽しい反面で心休まらないキャンパスライフは、そんな感じで年を越しても続いた。そして春――リリィは最上級生の三年生に、マリィは二年生に進級する。
「ん? 今日は体育館裏?」
例によって例のごとく、マリィからの果たし状。いや……。
「呼び出し状になってるな。どう違うんだろう」
怪訝に思いながらも、リリィは放課後に体育館裏へ向かう。
体育館では部活組が活動しているから、とてもじゃないが決闘には向かない。複数人の顧問教師がいるからというのもあるが、何より広さが足りない。
二人が真剣にぶつかった場合、体育館は膨大な魔力に巻き込まれて簡単に崩壊してしまうだろう。一応結界は張ってあるものの、リリィの魔力とマリィの魔力はその結界をいともたやすく破りせしめる。
それが、『称号』持ちの神髄なのだ。
普段は真面目で委員長を務めるクラスでは模範的な存在であるリリィも、マリィとの闘いに於いてはマリィと同じく『天災』といっても過言ではなかった。
「マリィ?」
「あ、リリィ」
「何か大事な話?」
「うん。でなけりゃこんなとこ呼び出さないって」
どうやら今日は、決闘じゃないようだ。リリィは心の底から安堵した。
「だよねぇ。決闘ならマリィは堂々と申し込んでくるから、そうでもないんだろうし」
「それより、春から入ってくる新入生のことだけど」
「うん。マリィもいよいよ先輩だね!」
既にリリィとマリィの在校生は、数日前に始業式を終えている。新入生の入学式は、在校生が休みである昨日執り行われた。。
「……その様子だと、まだリリィには情報が入ってない?」
「何の話?」
今から十四年前、リリィが一歳でマリィがまだ産まれたばかりのとき。少子化が懸念の種だった王国政府が打ち出したのが、
『未成年の医療費・学費は無料』
という政策。これにより、爆発的なベビーブームが沸き起こった。
十五歳で卒業する中等部では、二人の学年は四クラスしかなかったが八クラスに増えたほどである。
そして二年前にリリィが、一年前にマリィが優勝した恒例の新人戦。
スカウト枠だったリリィとマリィは入学式後に開催される本選からの出場だったが、それはあくまで例外のケース。春休みの間に、予選が行われていたのだ。
「私の下の学年からベビーブームだったのは知ってるよね?」
「うん。クラスとか凄い多かったよね」
「私やリリィのときはさ、かの魔法水晶をかけた大会では予選からトーナメントだったけど、今年からは違うルールになったよ」
「知ってる。バトルロイヤル方式でしょ?」
そう。新入生が多いために、トーナメントをやっていたらどうしても日数が足りない。そこで広い会場で約七百人ほどの新入生に『好きに戦わせ』て、最後まで立っていた四十人でトーナメントが行われるということになったのだ。
「すっごいルールだよね。今日、いや明日だっけ?」
リリィのその言葉を受けて、マリィは白い目だ。
「昨日だよ……」
「あ、そうなの⁉」
だがすぐにマリィは、真剣な表情になって。
「……」
「マリィ?」
「本戦トーナメントは、行われないことになったよ」
「何で?」
「最後に立っていたのは、一人だけだったんだ」
そう、残りが四十人ほどになったら予選はそこでストップするはずだったのだ。
だが審判が止める間もなく……一人の新入生によって、残り全員が倒された。ゆえに、本戦を行う必要がなくなってしまったのだった。
「一人勝ち……凄い子が入ってくるんだね」
「それだけじゃないよ、リリィ」
「と言いますと?」
そしてマリィは、三本の指をリリィの眼の前で立てて。
「三人目」
「何が?」
「称号持ち。魔法水晶、光ったんだって」
「⁉」
二年前、永きにわたる沈黙を破ってリリィが魔法水晶を光らせた。そして、今は亡き偉大なる魔女ミリアム・ベルの養女となった。そして昨年はマリィが、マリィ・ベルに。
戸籍上、リリィとマリィは姉妹になったのだ。
リリィが最初に魔法水晶を光らせた年は、世間をアッと驚かせた。そして二年連続、マリィが続いたときは天文学的な確率だと騒がれたものだ。
もう奇蹟を通り越したといっても過言じゃないのに、三年連続で魔法水晶はまたもや光を放った。
リリィがリリィ・ベルとなって、それは『天からの贈り物』という意味を込めてついた尊称が『天啓』。翌年、マリィがマリィ・ベルとなってその尊称は『天才にして天災』。
なおマリィ的には、大変不本意な尊称であるのだがそれはともかく。
そして三人目、ララァことララァ・ベルに早速つけられた尊称は――。
「『怪童』、ララァ。ララァ・ベル」
「聞いたことのない名前ね?」
入学前からその魔法の素質は耳目を集めていた二人と違い、ララァの知名度はゼロに等しかった。なのでララァは予選からの参加だったのだが……その予選で、全員を倒してしまったのだ。
リリィの黒、マリィの水色のようにララァは『黄色』をベースとした魔法少女だ。ふわふわでくせっ毛のショートヘアーは明るい金髪で、トパーズのようなこれまた黄金の瞳。
パッと見ではひまわりみたいな明朗活発なイメージだが、その戦闘スタイルはえげつないの一言。リリィが攻撃魔法特化型、マリィが全魔法種別に秀でた天才タイプとするならば。
「状態異常魔法の天才ね。それに関しては私以上と言ってもいいかもしれない」
「マリィにそこまで言わせるって……その、予選どんな感じだったの?」
「彼女が使った、『冥府開門』。あれは本当に……恐怖、毒、呪い、昏睡、石化、混乱、幻惑、麻痺……ありとあらゆる状態異常魔法を、約千数百人同時にぶっかけたそうよ」
「は? いやいやいや、何それ? 何の話なの?」
「今言ったとおりよ」
そしてその幻惑効果で、高さが何十メートルもある強大な扉が闘技場に顕現した。そしてそれが開くと、全員が虚ろな表情でヨロヨロとその門をくぐろうと歩を進めて。
「そして門をくぐった全員が、その場で『大』を漏らしたそうよ」
「……今、何て?」
さすがにお尻を『こんもり』と膨らませたままで試合続行できる選手はいなかった。新入生は皆、学院に入学を控えた十五歳。思春期の女の子なのだ。
「全員が泣き喚いて棄権が続出。ララァて子はその魔法一つで、『頂点』に立ったの」
「何て無茶苦茶な……その子、ララァもまたあんたみたいに決闘申し込んでくるの?」
リリィが、真っ青な表情で恐れおののく。マリィとの決闘でリリィが敗れた内訳は、状態異常魔法での決着が半数を超えるのだ。
脳筋リリィ、実は状態異常魔法を大の苦手としているのである。
「おむつ……常備しとこうかな」
そうつぶやくリリィ、すっかり涙目なのであった。
それからさらに一年。最上級生に進学したリリィは卒業を来春に控えて、隣国へ短期留学することになった。卒業に必要な単位は取得していたのでもう学院に通う必要がなくなったため、さらなる魔法の研鑽のために出向くことを決断したのだ。
「寂しくなるね、リリィ」
「もうちょっとリリィと遊んでいたかったよ」
リリィたちは、ララァをくわえて『終末の魔法少女』なんてありがたくない二つ名で呼ばれるほど仲良くなっていた。この三人同士で模擬試合をやると、その圧倒的な魔力で周囲が尋常でない被害が発生するためだ。
「まぁ二ヶ月だけだしさ、手紙も書くよ!」
後にリリィのこの留学という決断が、この世界の大きな分岐点となった。
この王国は人間たちが政治の中枢にいて、魔女の一族はその援助の一端を担うポジションについている。
だがその圧倒的ともいえる魔力(武力)と寿命を、快く思わない層もいた。ほかならぬ、王家である。
その魔力で市井に暮らす多くの人間たちから尊敬を集めてかつ、山を穿ち海を割る膨大な力を持つ魔女の一族。それはときに、民の生活を圧迫する政策の執行の妨げとなっていたためだ。
くわえて、特に各学年のトップを張る称号持ちともなると一国の軍隊にも匹敵する。それすなわち、魔女一族の目を気にしながら政務を執り行わざるを得なくなっていたのだ。
だが魔女・魔法少女たちは、その過ぎた力を決して悪用したことはなかった。にも拘わらず、王家は魔女の一族の力を恐れた。存在を、嫌忌した。
そして王家は決断する。
『この王国に魔女は不要である』
と。それはあまりにも自己中心的で、理不尽な思想だった。
そしてその見せしめととして槍玉にあがったのが、魔法少女のエリートたちが通うアルセフィナ魔法少女学院だったのだ。
だが魔女の一族とて、自身の持つ力を誤った方向に使うことのないように自戒はしていたのである。その証拠に、学院こそ『過ぎた力に溺れない』精神を養う学び舎としたのだ。
だから誰一人として、国を傾けようなんて生徒は一人もいなかった。しかし王家にとって、そんなことは関係なかった。
まず来るべきXデーに全学年全クラスが、座学の授業になるように調整する。いかな魔法少女とて、変身していなければちょっとした生活魔法が使えるだけの少女たちにすぎなかったからだ。
そして用意周到に、学院の敷地内を魔封じの結界に閉じ込める。そして新年を間近に控えた十二月未明――『魔法少女狩り』が始まった。
多数の監獄馬車が、学院をグルッと取り囲む。兵たちが学院になだれ込み、生徒の少女たちを次々と拘束していく。
逃亡を阻止するため、魔封じ効果のある長いロープでクラス全員の首を数珠繋ぎに結ぶ。そして一人一人には、『倦怠』の状態異常魔法がかかるロープで後ろ手でも縛るほどの念の入れようだった。
一人一人を縛っているロープは、逃亡なぞ考えないように思考が無気力化する効果がある。皮肉なことに、それらは魔女の一族が開発して国王に献上したものだった。
こうしてクラスの数だけ、首同士を繋がれた少女たちは次々と監獄馬車に放り込まれて王城に連行されていく。
そして王城の広場に集められた捕縛された少女たちの前に、王が姿を現して。
「国家反逆をたくらむ恐怖分子たちよ! 貴様らの夢はたった今、潰えたと知れ‼」
もちろん、少女たちにとっては寝耳に水である。だが王家としては、事前に一度チャンスを与えたつもりだった。
「あの子たちを軍隊に⁉ いくら陛下と云えども横暴です、学院としては断固拒否いたします‼」
その数日前、王に向かってそう言ってのけたのは学院のアイリス理事長。
王としては、領土を広げるため隣国の侵略を企てた。そして版図拡大のために『使い捨てる』兵として魔法少女を使おうと画策していたのだが……。
「お前たちが、国を傾けんとする謀略を巡らせたことはすでにわかっておる」
少女たちの前で、断罪の場で王は妄言を垂れ流す。
(もし派兵に賛同していたら、もう少し長生きもできただろうに)
内心で、王はそうつぶやいて厭らしい嗤い顔を浮かべた。
「まず、お前たちが国家を転覆させんとした言質を取る。おい、適当なクラスを一つ異端審問にかけろ‼」
王のその一声で、一年生のクラスが無造作に選ばれた。そして、クラス全員の首を繋げたロープを強引に引いて連行していく。
ちなみに『異端審問』とは創造の女神・ロードを信奉するシマノゥ教の教えに異を唱える者に対して行われる取り調べから裁判までの流れを意味するが、王国政府としては国や王家に仇なす意図があるかどうかを審問する意味で使用していた。
まるで自分たちが神であるかのように用いた言葉であるが、審問というのは名ばかりで云わば拷問――罪を認めるまで非人道的な暴力を用いる、云わば私刑にも等しい蛮行である。
少女たちは拘束されたまま、城の広場に軟禁される。食事が出ないのもそうだが、トイレにも行かせてもらえないという非人道的な措置が取られたため、翌朝の広場は少女たちの排泄物の臭いで充満するほどであった。
そして再び王が少女たちの前に姿を現して言うには――。
「異端審問の結果、お前たちが国家転覆を図ったことは偽りのない事実だった!」
その場に、連行されたクラスの生徒は誰一人帰ってきていない。それはつまり、全員が拷問で果てたことを意味した。
だから王の言うように、王家や国に仇なすことを認めたかどうかすら定かではないのだ。だがこの場でそれに異を唱える者は、誰一人としていなかった。
周到に用意されたその場で王に逆らう者がいなかったのもあるが、少女たちは思考が無気力になる魔法がかかるロープで拘束されているがゆえに。
そして少女たちは王城から連行されていく。自分たちの最期の場となる、刑場へ――。
刑場では、即席で建設されたであろう舞台の前に多くの人間の観衆が刑の執行を今か今かと待ち構えていた。しかも全員が口々に、
『魔法少女たちを殺せ!』
『魔女を火あぶりにしろ‼』
『国を亡ぼす悪魔に、正義の鉄槌をくだせ!』
だのと目を血走らせて絶叫していた。
これは寮生活の少女たちがその厳しい校則ゆえに街に気軽に遊びにこれないことを利用した、王家による誤った『情報操作』が成功していることを意味する。
学院の生徒たちはみな、いつの間にか悪者にされていたのだった。
少女たちは一クラスずつ、ステージに横並びにされて両膝をつくよう強要される。もちろん全員の首にはロープが巻き付いていて、一人が逃げようとすると全員の首が締まるようになっていた。
その少女たちの背後に長槍を持った複数人の処刑執行人が立ち、無慈悲な鐘の合図とともに一人一人の左胸を長槍で後ろから刺し貫いていった。
(あ……)
次はララァが在籍する一年C組の順番となって、ララァたちクラス全員がステージに引っ張り出される。そしてそれを、舞台裏から二年生のマリィが、無気力な表情で見守っていた。
首にかけられたロープで魔封じを、後ろ手に結ばれたロープで思考を倦怠化させられているのだ。マリィはただただ、ステージ上のララァをボーッと見つめる。
(あれ?)
だが誰もが無気力化しているこの舞台上で、ララァ一人だけが涙目ながら怒りで真っ赤に燃え滾る瞳をしていた。状態異常魔法の天才、ララァ・ベルの名前は伊達ではなかったのだ。
変身していなくても魔封じがされていても、『称号』持ちの真骨頂を見せるララァ。王家が魔法少女を恐れる所以を、皮肉にもララァが見せつける。
次にララァが処刑される段になって、処刑人をキッと振り向いたララァは処刑人の顔にベッとつばを吐きかける。顔を真っ赤にして憤る処刑人と、ざまぁみろとばかりにドヤ顔のララァ。
だけど次の瞬間……激高した処刑人の手により、ララァの身体を長槍が貫いた。みなは一回だけなのに、ララァだけ引き抜いては刺し引き抜いては刺し。
「なっ⁉」
その衝撃で、マリィの中の何かが発動したのだろう。マリィとて『称号』持ち、しかも天才(天災)とも称される魔法少女なのだ。
状態異常魔法については学院ではララァに継ぐ二番手のマリィ、気力というか怒りのパワーで無気力化の魔法を解除してみせた。
「ララァッ⁉ おい、やめろクソ野郎‼」
絶叫しながら、マリィが涙目で舞台裏から叫ぶ。
「うるさい、黙れ!」
そう言って近くにいた兵が、槍の柄のほうでマリィの顔を突いた。ちょうど口の位置に一撃をくらったものだから口の中を派手に切ったしまったマリィ、口角から血が垂れて流れる。
そして舞台上のララァは、大量の鮮血を噴出しながら倒れてて……もう、その瞼が開くことはなかった。
それからいくつかのクラスを挟み、マリィのクラスの番に。端っこから、この二年間一緒の教室で学んでいた友人たちが次々と背中から槍を刺されて絶命していくのをマリィは絶望的な表情で見送る。
そしてマリィは、リリィが留学でこの場にいないことを感謝していた。
(私が死んだら、リリィ悲しむだろうな)
そんなことを思いながら。
「何で私たちがこんな目に……」
絶望の沼に沈んでいたマリィは、ふと顔を上げる。
(これは……⁉)
はるか遠くの空に黒い点、それが『膨大な魔力』を発しながら恐ろしいほどの速度で近づいてきているのを感じ取った。
(……何で来るの? バカなの?)
マリィは、声の限りに叫ぶ。
「リリィッ‼ 来ちゃダメ! 逃げて‼」
魔法少女に変身済みのリリィが、魔法の箒に跨ってほぼ音速に近い速度で飛んできていた。そして舞台前に着地して、青い顔でほぼ半数が処刑されている舞台上を見上げる。
「何が……起きて……いるの?」
目の前で起きていることが信じられないとばかりに、リリィが愕然と立ち尽くす。マリィは、
(だから呆けてる場合じゃないんだってば、早く逃げてよ!)
と叫びたかったが、『倦怠』の状態異常魔法に抗っている最中なので上手く口が回らない。
「リリィ、逃げ」
なんとかそこまで声を出すことはできたが、そこから先を続けることができなかった。マリィの胸から、長い槍が突き出ている。
「……え?」
そしてそれがスルスルと短くなっていき……引き抜かれて。まるでシャワーのような鮮血がマリィの胸から迸り、その足元を真紅に染めていく。
「いやああああっ、マリィッ‼」
まるで血を吐くがごとくの絶叫で、頭を抱えてリリィが両膝をついた。そして自身の命の炎が消えかかっていくなかでマリィが見たもの、それは……リリィの身体中から立ち上る瘴気の黒煙。
嘆き、怨み、絶望、怒り……そんな悲しいモノで胸をいっぱいにして、リリィが膨張していく。黒い血の涙を流しながら、ギシギシと歪な音を立てて……歪み軋み、膨れ上がっていった。
すでにリリィは人型を保っていなくて、それはたとえていうならガス惑星のような巨大な瘴気の塊。それがどんどん広がっていって、空を覆いつくす。
まるで闇夜のように真っ暗になると、人がバタバタと倒れ始めた。
(リリィが哭いている……)
大量失血で意識が薄れていく寸前で、マリィはリリィの哭き声が聴こえた気がした。
かつてリリィだった『ソレ』は人間亜人、動物はもちろん草木から虫……この世に生けとし生けるすべてのモノからさまざまな負の感情を、生命力を無尽蔵に吸い上げていく。
そんなことしたくないのに、何の罪もない命を殺めたくないのに。それでも止まらない止められない己を責めながら、悲痛に身悶えながらリリィが哭いている。
怨嗟と嘆きの瘴気を吹き出しながら膨張していくリリィ……魔皇・リリィディアが完全に覚醒するのを見届けたかのように、マリィの心臓が静かにその鼓動を停止した。
「なんてことでしょう⁉」
「まさか、こんな形で復活してしまうとは‼」
天界でロードが、冥界でクロスが。まったく予想だにしなかったリリィ少女の変貌と魔皇リリィディアの復活を見届けていた。
そしてこれは後日談。魔皇・リリィディアの復活により、この地上のありとあらゆる生命の九十九パーセントが死に絶えた。
ここまで築かれてきた文明はすべて崩壊し、残った生物たちは再び原初の生活から再始動することになって。粗末なお手製の武器を持って動物を追いかけ、捕まえて焼いて食う……そんな原始時代のような生活にリセットされてしまったのだ。
そして地上が歴史のやり直しを強制的に強いられたのを見届け、この世界を創った真の創造神にして魔皇・リリィディアは再び長き眠りにつく――。
白とか黒とかの概念もない、『無』だけがあった。いや、『無』が『有った』というのはおかしな表現かもしれない。
そして、その何もない空間で――『それ』は存在していた。
億とか兆とかいう単位が馬鹿らしくなるくらい、『それ』はずっと悠久の時間の中で『無』の空間に存在していた。
見目は、十歳に満たない長い黒髪の少女。烏の濡羽色とも表することができる、漆黒の黒。
瞳も同じく、宝石の黒瑪瑙を思わせる蠱惑的な艶を放つ。
そして『無』の世界であるがゆえに光源がどこにもないにも関わらず、その瞳孔には光の輪が宿る。
一糸まとわぬその裸体は見た目相応の幼児体型ながら、瞳や髪の黒と相まって白い肌が光り輝く。
その少女は、その『無』の空間でただひたすらプカプカと浮いているだけの無味乾燥な時間を、飽きることなくずっと過ごしてきたのだ。
「退屈だな……」
訂正する。どうやら飽きてしまったようだ。
「光……」
その『無』の世界しか知らないはずの少女が、知るよしもない『光』という言葉をぽつりと呟く。
「光、ほしい」
そして、少女がそう呟いた瞬間だった。
少女の裸体が直視したら目の潰れそうなほど、眩い膨大な光を発する。まるで少女の身体を、触媒としたかのように。
そしてその光に照らされた少女の『影』。それはこの『無』の世界で初めての、『光』と『影』だった。
どこまでも連綿と続いていく光を見ながら、その少女――リリィは嬉しかった。ずっとずっとずっと、一人ぼっちだったから。
もうこれで、寂しくなくなる。もう私は、一人じゃないって。
だがリリィの思惑を外れ、『光』も『影』も自我を持たない。リリィは己の寂しさを紛らわせるかのように『光』には『ロード』という名を、『影』には『クロス』という名前をつけた。
名前を与えられた『光』と『影』は、やがて自我を持つようになる。
女神・ロードは、その光を用いて『天界』を創造した。男神・クロスは、その影を用いて『冥界』を創造する。
まずロードは、自らの眷属……後の世界で『天使』と呼ばれる者たちを創造した。だが命を与えてから先は、ロードではない完全なる別個体だ。
中には天界やロードに仇なす存在も少ないながら、それは産まれでてきてしまう。『堕天使』と呼ばれる、世界に混迷と混沌を生じさせる招かれざる生命が。
それらはことごとく、その核を浄化すべくロードの手によって冥界へ落とされていく。そして冥府の番人・クロスによって浄化された魂は再び、天界に顕現するのだ。
すなわち、『輪廻転生』『生生流転』と呼ばれる神々の創った魂のリサイクルの誕生である。
よって二人の神はそれぞれ、己が創造した世界の構築と平定に忙殺されることになった。
「ねぇ、ロードお姉たま。遊んで?」
ロードの真似をして神衣に身を包んだ幼い少女・リリィが、ロードの神衣の裾を引っ張る。
「リリィ、いい子だからあっちで遊んでいなさい。私は忙しいのです」
イラつきを隠さず、けんもほろろに対応するロード。リリィはしょぼくれて、トボトボとその場を後にする。
「ねぇ、クロスお兄たま。遊ぼ?」
冥府にて黒い神衣を身にまとったクロスに、リリィがてくてくとついて行きながら何度も話しかける。だがクロスもまた疲れ切った表情を隠そうともせずに、
「私は忙しいのだ。ロードに遊んでもらいなさい」
とこちらもまた、にべもない対応だ。
「……ちぇっ」
すっかりいじけた表情でリリィは冥界を後にするのだけど。だが天界へ戻ったところで、ロードにも相手にはされないのは自明の理だ。
「どうしようかな」
こんなつもりで、ロードやクロスを『創造』したわけじゃない。リリィはすっかりふてくされていた。
そしてリリィは『いつもどおり』天界と冥界をへだてるテルミヌスの川に両脚をつけて、バチャバチャと水しぶきを飛ばして遊ぶ。だがその表情は、全然楽しくなさそうで。
(私の居場所は、どこにもない……)
そんなことを考えながら、リリィは涙目で水面を見つめる。
「私の世界……私だけの世界、創っちゃおうかな」
両手を空に向かって翳す。もうロードにもクロスにも期待はしない、そんな訣別の思いを小さな胸に抱いて。
そしてリリィは、『創った』。自分を頂点とする、誰もが自分を否定しない世界――『魔界』を。天界と冥界のはざまに、線路わきに咲く一輪の花のような小さな『自分の世界』を。
自らの手でロードとクロスを創造した『新世界』に見切りをつけ、『真世界』の創造に乗り出したのだ。
当初はロードもクロスも、それは『おままごと』としか捉えていなかった。そして互い『リリィはクロスが創造した』『リリィはロードが創造した』と思い込んでおり、リリィこそが己を産み出した創造神だと認識していなかったのである。
日々のルーティンに忙殺され、互いにそれを確認できなかったのは後に大きな災禍を呼び起こしてしまうのだが今はそれを知るよしもなく。
リリィはまず、海棲生物から『人』『獣』『鳥』に進化させた。一部の生命は『魚』として海に残し、リリィによる『箱庭』遊びは瞬く間にその規模を拡大させてゆく。
そしてロードとクロスが気づいたときには、時すでに遅く。『魔界』は天界・冥界をも超える『第三の世界』として、両神ともに無視できない大きな存在として成長した。
やがてリリィは数多の種族の王である『魔王』たちを束ねる『魔皇』として、魔界の絶対的な指導者として歩みを進める。
すでに幼い少女の姿はそこになく、見た目は十代後半の見目麗しい淑女に成長していたリリィ。ロードの創った天界で『いらない者』を意味する『ディア』を我が名に結び合わせ、『リリィディア』と名乗るようになった。
ロードは今も、このときにその意味に気づかなかったことを後悔する。
リリィは結局、自分ともクロスとも心の中では完全に訣別できなかったのだ。
だからこそ自らの名に『ディア』を与えた『私はいらない者ですか?』というリリィからの問いかけを、こっちを見てほしいのだという悲痛な叫びを見逃した。聴き逃した。
リリィのそんな内情とは裏腹に、魔界は平和で穏やかな安寧の日々を保ち続ける。だからこそロードもクロスも、『三界』ともに在りともに栄える『共存共栄』を信じて疑うことはなかった。
だからそれは、あまりにも突然だった。突然すぎた。
魔界が天界と冥界を相手に突如として宣戦布告を表明、数千万にもおよぶ魔界の兵たちが天界と冥界に進軍してきたのである。
その戦いは、陰惨を極めた。魔界の魔皇・リリィディアも天界の女神・ロードも、失った兵の数だけ新たに魂を創造する。
魔界兵は冥界にも侵攻していたから、冥界は冥界兵で迎え撃つ。ゆえに本来の『生々流転』の役割は、人手不足を主たる原因として困難を極めた。
くわえて三界の戦死者の魂が冥府に殺到、あっというまにその機関はパンクしてしまう。審判を待つ死者による長蛇の列は延々とどこまでも続き、生者だったときの時間よりも並んでいる時間のほうが長くなる者も珍しくなく。
その終わらない戦いは、それまでの有史をも超えるほどの気の遠くなる年月を費やしてもなお終わることなく。
「リリィディア、いつまでこんなことを続けるのです‼」
天界からの念話で、ロードがリリィディアに疑念を投げかける。
「リリィディア、いい加減にしないか! お前の目的はなんだ⁉」
冥界からの念話で、クロスがリリィディアを叱咤する。
だがリリィから返ってくる言葉はいつも同じ。
「わかんない」
と。だがその顔には困惑ではなく、むしろ笑みすら浮かべていた。
リリィは寂しかった。そこで、ロードという光を産み出すことにしたのだ。そしてロードが放つ光が自分を照射してできた影から、クロスが産まれた。
リリィは嬉しかった。もう寂しくない、一人ぼっちで泣くこともない。だがそんなリリィの思惑を知らず、ロードもクロスもリリィの存在を認識しなかった。
リリィは哀しかった。一人がイヤでロードとクロスを創造したのに、また一人ぼっちに戻ってしまったのだ。魔界を創造し魔皇となり、自らを慕ってくれる周囲に恵まれた後もなお、リリィはロードとクロスを欲した。
リリィは楽しかった。ロードやクロスが目を血走らせて挑んでくる姿を見るのが……自らの名前を、ロードやクロスが呼んでくれる。リリィはリリィにとって、やっと欲しかったものを手に入れたのだ。
これが、魔皇・リリィディアが侵略戦争を起こした動機だった。
リリィは魔界を創るにあたり、一つの禁忌を定める。それすなわち、『神々の手による不干渉』。
つまりロードもクロスも、直接自分たちが魔界に降臨することができなくなっていたのだ。真の創造神の前では、二人はその絶対的な原理に抗うこと能わず。
「ロードよ、いつまでこの膠着した状態を続けるつもりだ。もはや冥界は、死者の魂を裁くことも捌くことも叶わぬ‼」
「それはリリィディアに言ってくれないか、クロス。私とて、立場はそなたと同じぞ⁉」
魔界に攻め入れられた当事者同士でありながら、ロードとクロスの関係にもひびが入る。お互い魔界に直接の降臨はできない以上、己が世界から派兵するぐらいしか手立てはなかった。
「リリィディアと話し合いはできないだろうか」
ふとロードが漏らした言葉に、クロスは鼻で笑う。
「リリィディアが、我らの言葉に耳をかたむけるとでも思うのか?」
だがロードは真剣だ。
「これまで、リリィディアに直接対話を申し込んだことはあるまい?」
「何を……これまで我らが如何に問いかけようとも、『わからない』一辺倒ではなかったか。忘れたとは言わせぬぞ⁉」
そう。休戦や停戦をもちかけても、降伏勧告や講和を持ちかけてもリリィディアからの返答はいつも同じ。
『わかんない』
ただその一言のみ。もはや言葉の通じる相手ではないというのが、クロスの偽らざる本心だった。
だがロードは思う。リリィディアが戦端を開くまで、ちゃんと彼女に正面から真摯に向かい合ったことがあっただろうかと。
(まさかとは思うが、それが開戦のきっかけではあるまい)
とは思うものの、自信が持てない。だが、もしそうだったならば――。
「やってみる価値は、あるかもしれぬ」
「戯言を申すな、ロード。正気か?」
「いかにも。もしも我ら二人、リリィディアに念話ではなく直接魔界に出向く旨を伝えればあるいは……」
かの禁忌も、リリィディアが招くという形であれば我々の魔界入りも叶うのではないか。そう考えて。
「ふむ。まぁ無駄だとは思うが、やってみるしかあるまい。もう、我らにできる手段は出尽くしたも同然だからな」
ロードと無為で終わらない舌戦を繰り返す日々に、クロスも疲れ切っていた。なので、ここはロードの言うとおりにやってみようと諦めにも似た境地で賛同する。
「それにしてもロードよ、何を思ってかの存在を創り上げたのだ。本当はお主は、リリィディアに何を望んだ?」
「クロスよ、それは何の話だ?」
「とぼけることはあるまい。私にとってリリィディアは、母神ともいえる存在。我はリリィディアの影から今の姿を成したのだ。そなたからの光を浴びてできた、影でな」
焦燥しきった表情でクロスがそう漏らすのだが、ロードはわけがわからないといった塩梅で。
「何を勘違いしておるか知らぬが、リリィディアを創造したのは私ではないぞ?」
「なんだと?」
「私はてっきり、クロスが創造したものだとばかり……」
「おかしなことを言う」
俄にクロスが殺気立つ。
「卵が先か、母鳥が先か。それはわからぬが、影は『子』にも等しい存在ぞ。『母』なる対象より先に産まれいづる道理はないではないか」
言われてみれば、とロードは愕然とする。では誰がリリィを創造したのか?
「私が光としてこの世に顕現したとき、リリィはすでにその場にいた……のか?」
「そういうことになるな。俺はてっきり、ロードが創造したものだとばかり考えていたが」
その問答を経て、両神はお互いに押し黙る。そう、『もう一つの可能性』に気づいて。
「まさか……」
奇しくも、二人の声が重なる。消去法でいうと、そのもう一つの可能性は『最後の可能性』でもあったからだ。
「リリィが……リリィディアこそが真の創造神、なのでは」
思わずポツリともらしたロードの言葉が、揺れて震える。
「ロードを、リリィが創造したとでもいうのか?」
クロスはそう言いながらも、決して疑念の問いかけではない。むしろ、確認に近くて。
最初に存在したのがリリィディア。そしてロードという光を創り、リリィディアを照らした光の影からクロスが産まれたとしたらすべての辻褄が合うのだ。
だが自分たちは、真の創造神であるリリィディアにどうふるまった?
「あの幼い少女神は、いつも我らとの対話を……ふれあいを求めてはいなかったか」
「あぁ、それは間違いない」
だがともに天界と冥界の指導者として、時間と仕事に追われる日々の中で。リリィディアに、どんな言葉を投げかけた?
『リリィ、いい子だからあっちで遊んでいなさい。私は忙しいのです』
『私は忙しいのだ。ロードに遊んでもらいなさい』
二人の間を、長きにわたる沈黙が支配する。
「ロードの言うとおり、一度膝を割って話し合わねばならぬな」
真剣に考え込みながらそう言葉を紡ぐクロスに、
「そなた、リリィの膝を割って何をするつもりだ。割るのは膝でなくて腹であろう」
クロスの卑猥な言い間違いに呆れたような表情を浮かべるロードだったが、それでもクロスが自分の意見を尊重してくれたことに光明を見出す。
(これまで、意見はずっと割れてばかりだったからな)
「なっ、そんなつもりではない! 割るのは腹、腹だ‼」
「わかっておる。そしてもし話し合いが決裂したら……そのときは」
「うむ、覚悟を決めねばならぬな」
二人は無言で頷き合う。魔界に降臨できる、リリィディアに直接対面できるチャンスを逃すわけにはいかない。
(直接対決、か)
それは両神に残された、最後の選択肢であった。
「ようこそ、魔皇城へ」
ロードとクロスの両神が通されたのは、その遠い未来の世界で『リリィディアの霊柩』と呼ばれる廃神殿がまだ色あせぬ輝きを誇っていたころの――。
「久しいですね、リリィ……いえ、リリィディア」
「……しばらくだったな、リリィディア」
二人の表情は、険しい。魔界への降臨をリリィディアに許されたばかりか、魔皇城の玉座――『敵』の心臓とも云える場所に招き入れたリリィディアの思惑が読めなくて。
「私に折り入って、話があるとか?」
玉座に鎮座するは、リリィことリリィディア。漆黒の長い髪はひざ裏まで伸びていて、黒曜石がごとく漆黒の瞳には光の環が宿る。
人間でいう十八歳から二十歳ぐらいの外見で、二人が知る幼少のころの面影はすっかり影を潜めていた。
ロードとクロスは、久しぶりに……本当に久しぶりに見るリリィディアの美しさに目を奪われ、そして戦慄する。その表情は、世界を隔てて争いあう覇王のそれではなかったからだ。
(念話ではあれほど拒絶していたにも関わらず、実際に会って話がしたいと伝えただけでこうも展開が進むとは……)
最初からそうしていればよかったと、ロードは悔やむ。そして自らが立てた仮説、それはもう多分間違いないだろうと。
「さっそくですが本題です。リリィディア、今すぐ魔界の侵攻をやめるのです」
毅然としてロードは言い放つものの、リリィはあまり真面目に聴く気がないのか、上の空だ。そしてしばらくの間があって、
「なんで? どうして? もっと『遊ぼう』よ!」
楽しそうに、本当に楽しそうにリリィが言い放つ。そして二人は吃驚するのだ。
(これまで、何人が死んだ? どれだけの時を費やした? それさえもすべてリリィディアにとっては、『遊び』にすぎなかったのか⁉)
と。神である自分たちの剣となり盾となって冥府に旅立った者、巻き込まれて亡くなった無辜の民。
実にそれらの累積は、もはや億とか兆といった『現存する単位』では表しきれないほどの犠牲を生んだのだ。リリィディアにはもはや言葉が通じないかもしれない……ロードとクロスは、最悪の事態を想定せざるをえなかった。
「この戦いで、実に多くの時間が費やされました。それにともない、多くの命が失われたのです。あなたはそれに対し、何を思い感じますか?」
まるで幼子に諭すように、ロードが問う。ロードの中でのリリィディアは、今もってなお自分と一緒に『遊び』たがったイメージのままなのだ。
(そういえばリリィはいつも『遊び』たがってた……まさか、その延長ぐらいにしか感じてないのだろうか)
もしもそうであれば、責任の一端は自分たちにもある。ロードとクロスは自分たちの中でそう結論づけて、表情を悔恨で歪めた。
「……もう遊ぶの、やめるの?」
つまらなそうにそう言い捨てるリリィディアに、
「リリィディア……あなたはっ‼」
思わず声を荒げるロードだ。クロスはさっきから無言である。
「ロード、これはもう話にならん。奴は昔から変わらず、ずっと幼い少女の感覚で……魔界を統治、そして我らの気を引かんがためだけに戦争をしかけてきた」
「わかっています……わかっていますが」
「問答無用ということで、いいか?」
すでにクロスは覚悟を決めている、あとはロードの心ひとつだ。
「……わかりました、仕方がないのかもしれません」
ロードは、ギュッと拳を握りしめる。だがそんな二人とは対照的に、リリィは悪戯っ子のような表情で二人を見つめていた。
「ねぇ、『そんなことより』お茶にしようよ! おいしい茶葉があるんだ、二人と一緒に飲もうと思ってずっととっといたの」
リリィの言う『ずっと』とは、気の遠くなるほどの悠久のときを経てきたのだろう。リリィは、ずっと待っていたのだ……その自責の念で、ロードの頬に涙がつたった。
「ロード、なんで泣いているの?」
リリィがポカーンとした表情でそう言って、
「いい子いい子してあげる」
玉座を立ち、ロードに歩み寄ろうとひな壇を降り始める。
「今だロード!」
「はい、クロス‼」
ロードとクロスの周囲に、白い光と黒い影が旋回し始めた。
「ロード? クロス?」
そしてそれが渦を巻くようにして、リリィディアに襲いかかる。
「『白の鎖』‼」
「『黒の鎖』‼」
二人がそう叫ぶと、光と影それぞれの『鎖』が顕現する。そしてそれは無防備に歩み寄ってきたリリィの体躯をいともたやすく拘束した。
「これ、なぁに?」
だがリリィは焦りなど全然見せないどころか、無垢な表情で動けなくなった自分の身体を見つめるばかり。
「まさかこんな簡単に拘束できるとは……」
クロスが驚いた表情で、ポツリと漏らす。それこそ、神々が本気で力をぶつけ合ったら世界の一つや二つは消滅してもおかしくないとすら思っていたのだ。
「リリィディアの……リリィのほうに、私たちに対する敵意がないということでしょうね」
油断していたとかそういうことではなく、最初からリリィは戦争をしているつもりはなかったのだと気づいてロードは唇を噛む。
「リリィディアに訊きたいことがあります」
動けなくなったリリィの前に立ち、ロードが口を開いた。
「私を……私たちを創ったのはリリィディア、あなたなのですか?」
「うんっ、そうだよ!」
嬉しそうに、本当に嬉しそうにリリィは破顔一笑で頷く。
「ずっとずっと一人でねぇ、寂しかったんだ」
そう言ってリリィは弱々しく笑った。結局、自らが創りあげたロードもクロスもリリィの寂しさを紛らわせてくれる存在にはならなかったからだ。
「リリィディア、いえリリィ。私たちは……」
ロードは拘束されて動けなくなっているリリィを抱きしめると、
「あなたを愛しています」
「……ロード、本当?」
「あぁ、本当だリリィ。私もロードも、お前を愛する」
「クロス、嘘ついたら針千本だよ?」
「約束しよう」
そう言ってクロスも、リリィを抱きしめているロードごと両手で包み込む。
「そっか、嬉しいな……ヘヘ‼」
ちょっと照れくさそうに笑うリリィは、外見とはミスマッチな幼い笑顔を見せた。そして、
「なんかねぇ、眠くなってきちゃった……」
そう言って、小さなあくびをしてみせる。
「そうですか……ではリリィが寝るまで、ずっとこうしていましょう」
「寝るまで?」
「あぁ、そうだ。安心して休むといい」
「クロス、私が寝るまでずっと。ずっとこうしてるのよね?」
「そうだ」
安心したのか、リリィは目をしょぼしょぼとさせて……ゆっくりと目を閉じる。両神の神力による封印の光と影の鎖が、リリィの身体にゆっくりと埋まっていった。
そしてリリィは眠りにつき、これを以って長きに渡り続いた神々の代理戦争は終結したのだった。
これにて天界、魔界、冥界に平和が訪れる。その大きな綻びが癒えるまでには多大な年月を必要としたが、それでも三界の住人たちは少しずつそれを繕っていった。
いつしかリリィが創造した『魔界』では、平和になって争う必要のなくなった多くの魔界人がその魔力を徐々に失っていき……後に『人間』と呼ばれる種族へと変貌していく。
さらに悠久のときを経て、いつしか魔界は『地上界』と呼ばれるようになった。
これが今でいう、『人間界』の源流となったのだ。そして最初は力を持った『長』がそれぞれ『部族』をまとめていた人間界も、進化の過程で『長』をまとめる『王』が誕生する。
それにともない『王』に従える一握の勝者たちが『貴族』となり、残る敗者たちが『平民』となった。これが後の世まで長く続く、身分制度の起源となったのである。
そしてさらに幾星霜の後も、『魔界』時代からその魔力を失わず連綿とその血脈・血統を維持し続ける種族がいた。
人間のような姿形ながら女性のみしか存在せず、数千年の寿命を誇り魔法を自在に操る『魔女』と呼ばれる『亜人』。その種族の、とりわけ年端のいかない女性は『魔法少女』と呼称されるようになる。
なお混血という概念がなく、どの種族の男性の子を宿しても産まれるのは魔女の種族――つまり魔法少女なのである。そしてその種族からある年、一人の女の子が産声をあげた。
その赤子は『リリィ』と名付けられ、その世界では珍しい黒い髪と黒い瞳を持つ。やがてすくすくと成長していく傍らで、その膨大な魔力はたちまちのうちに国の中枢に知られるところとなった。
「アルセフィナ魔法少女学院、ですか?」
リリィ、十四歳。通常の学校の中等部卒業を年明けに控え、リリィの元を訪ねたのは王城からの使者だ。
「そのとおりです。名前はご存じだと思いますが」
「知っています。魔法少女の一握りのエリートだけが通える、高等学院ですよね」
リリィ宅で、両親とリリィ。そしてテーブル向かいには使者を交えて話し合いの場にて、使者の用向きを訊ねたときの返事だ。
「お宅のお嬢さん、リリィさんをそちらに通わせよとの王命でございます」
そう言って使者はうやうやしく、王家からの勅書を一家の前で掲示してみせる。
「ほ、本物……なのか?」
開いた口が塞がらないといった様子のリリィの父・アルキバが、その勅書を穴があくほど見つめる。貧乏な耕作民の出なので、その勅書にピンとこないでいた。
「この紋章は間違いなく王家のものですよ、あなた!」
結婚前は比較的裕福な家庭で育ったリリィの母・クラズは、勅書の意味を理解しているがためにアルキバとは別のベクトルで驚きを隠せなかった。
「……えーと、これって断れない感じのやつですか?」
地元の中等部で親しくなった友人たちと別れたくないリリィは、あまり乗り気ではなく。学院は、リリィの住む郊外からほど遠い首都にあるのだ。
「断るのは、あまり得策ではありませんね」
使者は、渋い表情を浮かべる。
「王の命令を背いた……いえ、その前に。リリィさんを説得できなかった、断られたということで私が投獄されるでしょう」
「えぇっ⁉」
「そしてまた別の使者が派遣されます。次に派遣される使者はおそらく、衛兵をともなって現れるでしょうね」
それすなわち、断るなら拉致してでもという意味だ。
(ようするに、断れないやつじゃん)
リリィは不機嫌そうに唇をとがらせる。
かつてこの世界で、『ミリアム・ベル』と呼ばれた天才魔法少女が存在した。ミリアムは、大地を穿ち海を割るほどの膨大な魔力をその身体に有していた。
だがその『背負いきれない重い荷物』は、ときに彼女を苦しめる。誰もが自分を畏怖し、つながりを絶とうとする。
やがて成長したミリアムは、自分と同じように『大きな魔力』を持ちながら身を持ち崩す少女たちの存在に気づく。そして彼女たちのために、魔法少女学院を設立して自らが初代理事長となったのだ。
ミリアムはその悠久の時空を生きたとされるが、それでも寿命は誰にも平等にやってくる。そしてミリアムは己が死を認識した際に、
「この学院に入ってくる少女たちに、私はこの魔法水晶を遺します。この魔法水晶を光らせることのできた者は、私に匹敵するほどの魔力の持ち主となるでしょう」
そう言って国にかけあい、一つの法律を定めさせる。
『魔法水晶を光らせた者は、私の家族である』
として、自らの没後であっても『ミリアム・ベルの養女』としてベル姓を名乗ることを強要したのだ。これはその膨大な魔力ゆえに家族や周囲に疎まれているかもしれない、ならば自分のネームバリューを利用してその庇護下に置こうというミリアムなりの心づもりだった。
そして実際、そういう環境の元で育つ魔法少女がいるのも確かで。
だがリリィは、両親に愛されている。愛されているのに、もし魔法水晶を光らせることができてしまえば法律上は籍を移動させられるので家族ではなくなってしまうのだ。
(まぁ、私なんて田舎だから『すごい魔法少女』なんであって……都会じゃ掃いて捨てるほどの『普通』だろうし?)
この時点でリリィは、そう軽く考えていた。
王命に逆らったら、自分というか両親の身に危険が生じる可能性がある。なので学院入学はしたがわざるを得ず……そして翌年、両親の元を離れて学院に入学したときリリィは十五歳になっていた。
「十五年か……びっくりするぐらい、何も起こらなかったな」
冥府の番人・クロスが地上界を見上げながらボソッとつぶやく。
「リリィディアとしての記憶がないのです、今はただただ見守りましょう」
天界の女神・ロードがクロスをけん制しつつも、地上界を見下ろしながら優しく言葉を紡ぐ。
「見守るだけでは手遅れになるやもしれぬぞ?」
少し苛立ちを見せながらクロスが訊ねるのに対し、ロードの姿勢は終始一貫している。
「何の罪もない一人の少女を、神の都合で屠ることは許されませんよ」
「一人の少女、ね。かの者がどれだけの犠牲を三界に強いたか忘れたか?」
「……」
魔法を使える女性のみしか存在しない、長寿を誇る亜人の種族として転生したリリィディア。彼女には、前世の創造神にして魔皇であった記憶は失われていた。
最初にリリィの転生に気づいたとき、クロスはリリィの再封印をロードに提起する。だがロードは今度こそリリィには幸せに、そして愛し愛される幸せな生涯をおくってほしいという願いを抱いた。
「リリィは、その寂しさゆえに人に愛されることなく……だから、愛するということの意味さえも知らなかった。それがかの災禍につながったのです」
もし、自分たちがあの寂しがり屋の少女神を愛していれば……今でもロードは悔やみ続けていた。
「それは私とクロス、二人の罪でもあるのですよ」
「だから見逃せと? リリィが魔皇として復活しても?」
クロスは、ロードの言わんとすることがわからないでもなかった。また、ロードと同じくリリィには今度こそ幸せになってもらいたいと思ってもいたのだけど。
(だからこそ、もし今のリリィが魔皇として復活したらどうなるのか……下手に愛することを覚えてしまった今、その精神は深刻な傷痕を残してしまうのではないか?)
かつて自分がしでかしたことを、万が一にも思い出したら。たくさんの命を創りあげては、お人形のようにその命を散らかしていた大罪を自覚したら。
(されば、リリィの心は潰れてしまう)
彼もまた、リリィのためを思えばこその再封印を提起していたのだ。
「そうは言っていません。それにリリィは転生したとは云えど、魔皇としての種を体内に含有しているのは確か。だからこそ、その種が発芽しないように私たちで見守るのです」
「我らは魔界、いや地上界には直接の干渉はできぬ。見守るなどと言っているが、それだとすべてが後手に回るのだ」
「リリィには私の『白の鎖』とクロスの『黒の鎖』が、今もその体内でリリィが暴走しないように見張っているのです。云わば封印されているも同然でしょう」
「貴殿は、私とは封印の解釈が異なるようだ」
吐き捨てるようにそう言うと、クロスはロードとの念話を遮断する。
「何ごとも起きなければよいがな……」
そしてそんな神々の葛藤を嘲笑うかのように、リリィの新しい人生は大きな局面を迎えようとしていた。
アルセフィナ魔法少女学院の入学式が終わり、『恒例』の新人戦が始まった。
普通の学院では魔法の授業はあるものの、それは魔法が使える者のみが選択して受けるのが一般的だ。だがこの学院では最初から誰もが魔法を使えることを入学条件としており、入学後はひたすら魔法技術の研鑽に励む。
だがいかな新入生と云えど、そのレベルには大なり小なりの個人差があるのは否めない。よって、クラスわけの判断材料として新入生同士で模擬試合をやらせるのだ。
「さて、変身すっか……」
学院の運動場、選手入場門にてリリィ。今はただの学生服姿であるが、魔法で戦うときには独特の衣装に着替える必要があった。
「オブシディアン・ストゥーパ、アクセス‼」
リリィの種族は、女性しか存在しない。なので子孫を残すにはほかの種族の子種を宿す必要があったが、産まれてくるのは絶対に『魔法少女』で。
彼女たちはひとしく混血であり、魔女の娘は魔女なのである。たとえ父親の種族が、なんであろうとも。
そしてその最初の先祖となる魔女の供養塔を、その子孫は誰もが心に秘めている。それは物理的に存在しない、異次元のような場所に立つ霊廟。
その霊廟にアクセスすることによって、『魔法少女』としての力をその身に纏うのだ。
リリィの先祖は、リリィと同じく黒い髪と黒い瞳を有した。それゆえに、霊廟もまた黒曜石の魔力を纏う。
それぞれの魔法少女はそれぞれの霊廟を持ち、その色形もさまざまなのだ。
そしてリリィが変身した姿、それは紛れもなく『魔法少女』。額には黒曜石をあしらったサークレット。オフショルダーのトップスも、フリルレースのミニスカートも黒だ。
デニール数の低い膝上までのストッキングも黒なので、絶対領域……もとい、チラ見える太ももの白さが光って見えるほど。そして右手に握られる魔法杖もまた黒なので、『葬式帰りの魔法少女』とからかわれたこと数知れず。
長い黒髪ストレートを後ろで束ねた清楚な制服姿とは真逆の、露出の多い衣装。左右に心持ちフワリと広がる毛先は、腰あたりからゆるくウェーブがかかる。
「どっちかというと、『葬式に乱入した痴女』だよねぇ」
正直リリィは、この恰好は恥ずかしいのであまり好きではない。ただ変身しない状態だと、ちょっと便利な生活魔法ぐらいしか使えないので変身しないという選択肢はなかった。
変身を終えたリリィは、教師に促されるままに魔法闘技場に足を踏み入れる。
模擬試合は、あらかじめ入学前に予選が行われていた。だがリリィはスカウトされての推薦入学、しかも王命によるものだったからそれを免除されている。
なのでトーナメント方式によるそれでは、最初からエントリーされているのだ。
「勝者、リリィ!」
瞬殺であった。相手の魔法少女は、魔法一つ打たせてもらうこともできなかった。
リリィとしては『井の中の蛙大海を知らず』を自覚していて、田舎だから目立つけど都会じゃ普通の魔法少女だとばかり思っていたのもあって。
「え? 死んだふりだよね?」
と目の前の状況を把握しきれないで困惑する。
だが王家から直接勧誘されるぐらいのリリィだから、都会でも規格外だったのだ。
この新人戦で、優勝者のみに与えられる特権。それは初代理事長であるミリアム・ベルが遺した聖遺物、『魔法水晶』に触れる権利。
この魔法水晶を光らせた者は、おしなべて『ミリアムの娘』として国から認められる。そしてその証に、『ベル』姓を賜るのだ。
ただそれはすなわち、現在の家族の籍を離脱することを意味する。そしてそれは強制であって、辞退することはできない。
もっともミリアムが没してすでに一万年以上の月日が流れた今もなお、魔法水晶を光らせる者は誕生しなかった。なのでミリアムのその遺言も今や形骸化し、『魔法水晶に触れるだけで名誉』というお祝いの行事のようなものにその存在意義を変えてしまっている。
だから誰もが、何が起こったのかを理解できなかった。優勝したリリィがドヤ顔で魔法水晶に触れたとき、その場が魔法水晶が放つ膨大な光で瞬く間に包まれていく――。
「やーだやだやだやだ! 帰る帰る帰るぅ‼」
アルセフィナ魔法少女学院の理事長室。まるで幼い少女にように駄々をこねながら、リリィが泣きわめく。
「知らなかったんだもっ、知らなかっ……」
止まらない涙で、声が揺れて震える。
「本当に知らなかったのですか? あの魔法水晶を光らせる意味を……?」
「それはっ……」
嘘をつきとおすべきか、否か。仮に知らなかったとして、じゃあしょうがないとなるだろうか。
(多分、無理っぽい……)
だけどリリィとしては、どうしても受け入れられない。今の家族から籍を離れて、法律上は他人となることに。
今日からはただのリリィではなく、リリィ・ベルとして生きていく。一万年以上前に亡くなった偉大なる魔女、ミリアム・ベルの養女として。
「このことは入学前にも説明しましたし、入学式でも説明しましたよね?」
険しい顔でリリィに諭すのは、初老の老婦人――この学院の理事長、アイリス・クォーツだ。そして理事長の後ろには王国の衛兵が一人と、片眼鏡をかけた目つきのするどい高身長の中年男性……宰相の、オーシャン・ジャスパー。
「でも私は、パパとママの娘なんですっ‼」
リリィは目の前のローテーブルをバンッと叩いて、興奮気味に立ち上がる。
オーシャンはジロリとリリィを一瞥すると、
「理事長殿、お話になりません。どうしてもこの少女が受け入れられないというならば、王国の法に則って罰するよりほかには」
「お待ちください、宰相閣下! リリィはまだ十五歳です、未成年なのですよ⁉」
「えぇ、ですから罰せられるのはご両親ですな。もっともその少女、リリィ殿も矯正院に入所してもらうことになりますが」
この国の制度では、十七歳からが成人だ。十七歳に満たない場合、矯正院という……云わば未成年専用の施設で『教育』を受けなければならない。
教育といっても、通常の学校で学ぶそれではなく『王家を敬う』という精神を刷り込む云わば洗脳施設。王家と国に対して心からの服従と忠誠を誓ったと判断されるまで、絶対に出所できないのだ。
「きょっ、矯正院⁉」
リリィは卒倒しそうになる。未成年の再教育といえば聞こえはいいが、つまりは未成年の『不良』『犯罪者』が押し込まれる魔窟。
(いやいやそれよりもっ‼)
「なんでパパとママが罰せられるんですか‼」
「親の因果が子に及ぶように、子の罰も親の責任となるのです」
宰相は冷徹な表情で、冷たく言い放つ。
「だったら、私が矯正院に入ったらいいんですよね⁉」
負けじとリリィは言い返すも、
「大人だったら刑務所送りです。それを未成年ということで矯正院入りで許してあげようという慈悲深い法律に則ります。そして両親は両親で、法律に逆らうような娘を育てたという罰を受けねばなりません」
「そんな、ひどいっ……」
さすがに気の毒になったのか、アイリスはリリィに憐憫の視線を向ける。そしてオーシャンに、
「宰相閣下、相手はまだ若干十五歳の少女なのです。もう少し優しく諭すようにおっしゃってもらえませんか?」
「優しく言ったところで、つけあがるだけです。さてリリィと言いましたか、どうしますか?」
「なっ、何が⁉」
「法律に則り、ミリアム・ベルの養女となることを了承するか否かということです。するのならば、そこの書類に署名と血判を」
ローテーブルの上に、同じ契約書が三通。それぞれ、リリィ・理事長・王家が保管するようになっている。
「も、もしイヤだと言ったら……」
「イヤなのですか? 仕方ありません。これ、この者の両親を緊急逮捕するよう取り計らいなさい」
ジャスパーは粘るリリィに見切りをつけて、衛兵に命じる。
「……ハッ!」
衛兵は少し気の毒そうな視線でリリィを見やるも、宰相の命令とあれば従わざるを得ない。敬礼で応じて、踵を返す。
「なっ‼ ちょっと待ってください!」
慌てて扉の前で両手を広げて、リリィは通せんぼだ。
「リリィ殿、おどきなさい。公務執行妨害も、罪状にくわえたいのですか? もっとも、その刑罰はあなたのご両親に追加で課せられますが」
「‼」
ギリギリと歯ぎしりをしながら、それでもリリィは扉の前から動かない。だがジャスパーとて、本気でリリィやリリィの家族に害を及ぼそうとは考えていないのだ。
(だが、本当に譲らないのならば強制執行しなくてはならんだろうな)
だからこそ、リリィには譲歩してほしかった。優しく諭したところでリリィはあれこれ難癖をつけてくるだろうと思えばこそ、あえて高圧的な態度に出ている。
「宰相閣下、排除しますか?」
この膠着した状況が続くと、ジャスパーの命令を受けたのにそれを遂行できないでいるということで衛兵も処罰の対象になる。だから衛兵も我が身可愛さに、リリィを力づくでどかせることを進言するのだ。
「……ふぅ、仕方ありません。許可しま」
「サインします、サインします、サインします‼ すればいいんでしょ、もうっ‼」
完全にぶちギレたリリィ、ソファに戻るとペンを手にとってササササッと自らの名前を書き入れる。そして自らのピアスの尖った部分を使い、強引に人差し指の先をピッと切って。
「おりゃ! うりゃ! そりゃ!」
と怒涛の血判三連発だ。
実は血判とはいっても本当に血判じゃなくてもよく、事実そこには血判用の朱肉が用意されていたのだけども。
「それは私への、いえ国へのあてつけですか? サインしたことによって、これであなたはリリィ・ベルとなったわけですが……リリィ・ベルとして今の態度、看過できませんな」
「血判を押しただけじゃないですか!」
もちろん、本当の血を使ったのはあてつけだ。だがジャスパーはそれには応えず、王家が保管する一通を手にとって署名と血判を確認する。
「ま、ここは大目に見ましょう。理事長殿、ご苦労様でした。では私はこれで」
そう言って、ジャスパーは表情一つ変えず理事長室を後にした。残されたリリィは、
「うっく……ひっく……ぐすっ……」
両手を膝に置いて、うつむいたままなおも泣きじゃくる。血判のために切った指先から滲んだ血が、制服のスカートに赤い染みを作る。
さすがに気の毒に思ったのか、アイリスは膝上に置かれたリリィの手を取って。
「『祝福の聖光』!」
アイリスの両手から白くて眩しい光が顕現すると、それがリリィが血判のために切った指先を包み込む。そして光が治まったとき、リリィの指の傷は完全に塞がっていた。
「パパ……ママ……ご、ごめ……ごめなさ……」
だがリリィは特にアイリスには興味を示さず、うつむいたまま両親への謝罪の言葉を念仏のように繰り返すばかりで。
「リリィ、いえリリィ・ベル。よくお聴きなさい、後日王家よりあなたは一代男爵位を賜ります。貴族として恥ずかしくない言動を心がけることを、ゆめゆめお忘れなく」
「……」
これは大事なことなので少し厳しめに諭したアイリスだったが、すぐに穏やかな口調で続ける。
「確かに戸籍上、あなたとご両親の籍は離れました。ですがこれまでどおりご尊父様をパパと、ご母堂をママと呼んで構いません。もちろん、学院が長期お休みのときは実家に帰省することも許可しましょう」
「……え?」
アイリスのその言葉で、不意にリリィが泣きやんで顔をあげる。そして俄かには信じられないといった風でアイリスに視線を合わせて、
「理事長先生、本当に?」
「はい、二言はありませんよ」
やっと落ち着いてくれたリリィを安心させるように、微笑みながらアイリスは頷いた。
「そっか……よかった……」
安心したのか、脱力してソファの背にボフッと埋まるリリィ。
「本当に、よかった……」
今度は安堵のあまり涙が出てしまうが、すっかり安心しきった表情に落ち着いたのだった。
「あの、理事長先生?」
「なんでしょう?」
「ごめんなさい、私は魔法水晶が光るなんて思ってもみなくて……みっともないところをお見せしました」
(あらあら?)
さっきまで幼い少女のように泣きわめいていたリリィが、すっかり淑女のごとく穏やかな雰囲気に戻っている。そして礼儀正しく謝罪の言葉を口にすると、頭を深く下げて。
「さっきは、混乱してしまったのですね。最初から詳しく説明しなかった私たちにも落ち度はあります。こちらこそごめんなさい」
さっきまで泣きわめいていたリリィは、本当のリリィなんだろう。でも今、目の前にいる大人びたリリィもまた本当のリリィで。
(亡きミリアム・ベルの意思を継ぎ、リリィを立派に育て上げねばなりませんね)
アイリスもまた、形骸化した慣習となっていたものだから魔法水晶が光るとは思わなかったのだ。ミリアムが遺言を残してから気の遠くなる年月を経た今まで一度も光らなかったのだから、それは無理もないだろう。
だから、さすがに予想しなかった。その翌年に一人の新入生が、再び魔法水晶を光らせることを。
魔法の授業中に文字どおり山を穿つほどの膨大な魔力を見せたリリィは、亡きミリアムが天界から送ってくれた贈り物という意味を込めて『天啓』の二つ名で呼ばれた。
そして史上二人目の『ベル』の称号を賜ったその新入生は、リリィが黒一辺倒の衣装であるのとは対照的に全体的に水色でまとめていて。
攻撃魔法特化型のリリィと違い全方向に秀でた天才ながら、その行きすぎた上昇志向ゆえに破天荒な言動は入学前から良くも悪くも衆目を浴びる。
それを揶揄する意味もあって、『天才にして天災』の二つ名が冠せられる――その名を、マリィといった。
一万年余の沈黙を破り、リリィ・ベルに続いてマリィ・ベル……二年連続で『ベル』の称号持ちが誕生したのだ。
アルセフィナ魔法少女学院、二年A組。登校してきて自分の椅子に座ろうとして、リリィはフッと『ソレ』を感じた。
(魔力の残滓……?)
まだ朝早く、なんだったら学校で一番に登校してきたといってもいい時間だ。教室にはリリィしかいないし、校門付近には誰もいない。
「なにか入ってる」
机の中に、一枚の紙。すごくイヤな予感がするものの、それを出してみるリリィ。
『果たし状 本日放課後、屋上にて待つ‼』
そんな言葉が、黒の力強い筆で書かれていた。そして最後に残されていた署名は。
「またあの子か……」
マリィ・ベル、一年B組。リリィ以来となる、『ベル』の称号持ちだ。
水色のミディアム・ヘアーで、その瞳も水色だ。まるで燐灰石のような、澄んだ水色。
そして黒髪黒瞳のリリィが黒ベースであるように、マリィも魔法少女として変身後の衣装は水色がベースとなっている。
少し勝気そうな面構えで、自分こそが『最初にベルの称号を得る』と信じて疑わなかった生意気な後輩。なので一年先を越したリリィに対しては、なにかと絡んでくるうざったい存在。
「こんな時間から登校して、置手紙を仕込むか……執念だなぁ」
さすがに、二年の教室に入ったわけじゃないだろう。教室には結界が張られていて、そのクラス以外の人間が悪意を持って入ろうとしたら、たちまちのうちに弾き飛ばされるのだ。
(つまり、手紙のみを魔法で……)
だがもちろん、そんなことをしようとしたら手紙は結界に阻まれるだろう。でもそれをやってのけるのが、『天才』マリィなのだ。
「私にとっちゃ天災もいいところだけど」
決闘状も、今回が初めてではない。新学年になって一ヶ月とちょっとが経過するが、すでに三十回近く決闘を挑まれている。
(今のところ、私の十八勝十二敗だっけか)
興味ないので数えていないが、だいたいそのくらいだとリリィは推測する。もっともリリィより上に立つことを悲願とするマリィとしては、マリィの九勝十二敗九分けという認識なので若干の解釈違いがあった。
でもそれでも、今のところリリィが勝ち越していることには変わりがない。変わりがないのだが、ベルの称号持ちであるリリィに一勝することすら、普通の魔法少女には無理ゲーなのだ。
(さすがは天才……もとい天災てところね)
正直、鬱陶しいとは思いながらもリリィはマリィとのふれあい……もとい、決闘を楽しみにしている節があった。
これまで、学年で誰一人としてリリィに勝てる者はいなかった。それどころか、善戦すらできないでいる。
そういった現状にリリィは、孤独を感じていたのだ。そして誰もが自分を慕ってくれるが、それは友達としてではなく憧れの対象として。
「にしてもこれって、いつまで続くんだろう……」
楽しみな反面、痛し痒しだ。ここのところほぼ毎日、貴重な放課後をマリィにつきあうことで奪われているのだから。
「ようこそ、リリィ先輩!」
「待った?」
「えぇ、とっても‼」
放課後、腕を組んで仁王立ちのマリィ。遅刻してきたリリィに怒りを隠さず、口角がピクピクとひくついている。
「仕方ないでしょう、私はクラスの委員長なんだから」
「先輩は私との決闘と委員会の仕事、どっちが大切なんですかっ‼」
「いや、普通に……委員会の」
マリィの言い分は、もはや理不尽極まりない。これはちょっと懲らしめる必要があると、リリィの眉間にもシワが寄る。
「じゃあ始めましょうか……オブシディアン・ストゥーパ、アクセス!」
「そうこなくちゃ‼ アパタイト・ストゥーパ、アクセス!」
これがテレビアニメだったら、チャーラーチャーラーと音楽が鳴っていったん裸になり、帯やらが巻き付いてどうこうしたりするのだろう。というかしているので、そこは想像してもらうとして。
「じゃあ行くわよ!」
黒い魔法少女、リリィが魔法槌を振るう。
「来なさい!」
水色の魔法少女・マリィが魔法杖を両手に持って迎え撃つ。
攻撃魔法では誰にも引けを取らないリリィの炎が魔法槌から放たれ、渦巻く。攻撃魔法、防御魔法に治癒魔法、状態異常魔法なんでもござれの天才マリィが魔法杖でそれをいなす。
魔法少女と云えど、リリィの戦い方は脳筋の一言。槌の頭の部分はリリィが数人入りそうな巨大な大きさで、それをいとも軽々と枯れ枝のごとく振り回す。
そのたびに主に炎の魔法が出力されるのだが、魔法がなくて槌のみであっても強力な武器だ。同じ大きさの岩くらいは、簡単に破砕せしめてしまうだろう。
だがそれを正面から、またときには絡め手で互角に渡り合うのだからマリィも一筋縄ではいかない。
結局その日の決着は、強大な二つの魔力が蠢く屋上の異常に気づいて飛んできた教師により水入りとなった。
(私が最後のほうが押してたから、これで十九勝十二敗か)
(くっそ、今日も教師の邪魔が入っちゃった。九勝十二敗十分け、なかなか勝ち越せないな)
こうやって二人の解釈違いのズレは、大きくなっていく。
やがて季節は夏になり、秋が来て。冬はもうすぐそこに迫っている頃には、二人は先輩後輩の枠を超えた親友同士になっていた。
「ねぇ、マリィ。もうやめない?」
学院の屋上に姿を現せた制服姿のリリィ、呆れた表情でマリィが机に残していった恒例の決闘状をヒラヒラと振る。
「なに言ってるのよリリィ! 今のところ私の八一勝九五敗三四分け、いざ尋常に勝負‼」
「そんなに引き分けてたかなぁ?」
リリィとしては、教師の水入りによる強制終了は『判定』で勝者を決めていた。もちろん判定するのは自分なので、その基準は自分寄りに甘くなっているかもしれない。
だがマリィとしては、決着がつかなかったらイコール引き分けなのだ。二人の解釈違いは、今なお歩み寄りを見せていない。
「もう! めんどくさいなぁ……オブシディアン・ストゥーパ、アクセス!」
「昨日に続いて連勝を決めるわ! アパタイト・ストゥーパ、アクセス!」
チャーラー(略)。そして黒い魔法少女と水色の魔法少女が、それぞれ魔法の箒にまたがって屋上の上空で対峙する。
結局その日はリリィの圧勝に終わり、負けたマリィももちろんだが勝ったリリィも衣装がボロボロだ。たとえは悪いが、性的暴行を受けた被害者のような卑猥な状態となっている。
「おーい、マリィ。立てる?」
ぶっ倒れてるマリィに、さほど心配してない感じでリリィが声をかける。
「うぅ、もうちょっとで勝てた……三連勝だったのに……」
マリィは倒れたまま、無念の負け惜しみをつぶやく。
リリィにとっては楽しい反面で心休まらないキャンパスライフは、そんな感じで年を越しても続いた。そして春――リリィは最上級生の三年生に、マリィは二年生に進級する。
「ん? 今日は体育館裏?」
例によって例のごとく、マリィからの果たし状。いや……。
「呼び出し状になってるな。どう違うんだろう」
怪訝に思いながらも、リリィは放課後に体育館裏へ向かう。
体育館では部活組が活動しているから、とてもじゃないが決闘には向かない。複数人の顧問教師がいるからというのもあるが、何より広さが足りない。
二人が真剣にぶつかった場合、体育館は膨大な魔力に巻き込まれて簡単に崩壊してしまうだろう。一応結界は張ってあるものの、リリィの魔力とマリィの魔力はその結界をいともたやすく破りせしめる。
それが、『称号』持ちの神髄なのだ。
普段は真面目で委員長を務めるクラスでは模範的な存在であるリリィも、マリィとの闘いに於いてはマリィと同じく『天災』といっても過言ではなかった。
「マリィ?」
「あ、リリィ」
「何か大事な話?」
「うん。でなけりゃこんなとこ呼び出さないって」
どうやら今日は、決闘じゃないようだ。リリィは心の底から安堵した。
「だよねぇ。決闘ならマリィは堂々と申し込んでくるから、そうでもないんだろうし」
「それより、春から入ってくる新入生のことだけど」
「うん。マリィもいよいよ先輩だね!」
既にリリィとマリィの在校生は、数日前に始業式を終えている。新入生の入学式は、在校生が休みである昨日執り行われた。。
「……その様子だと、まだリリィには情報が入ってない?」
「何の話?」
今から十四年前、リリィが一歳でマリィがまだ産まれたばかりのとき。少子化が懸念の種だった王国政府が打ち出したのが、
『未成年の医療費・学費は無料』
という政策。これにより、爆発的なベビーブームが沸き起こった。
十五歳で卒業する中等部では、二人の学年は四クラスしかなかったが八クラスに増えたほどである。
そして二年前にリリィが、一年前にマリィが優勝した恒例の新人戦。
スカウト枠だったリリィとマリィは入学式後に開催される本選からの出場だったが、それはあくまで例外のケース。春休みの間に、予選が行われていたのだ。
「私の下の学年からベビーブームだったのは知ってるよね?」
「うん。クラスとか凄い多かったよね」
「私やリリィのときはさ、かの魔法水晶をかけた大会では予選からトーナメントだったけど、今年からは違うルールになったよ」
「知ってる。バトルロイヤル方式でしょ?」
そう。新入生が多いために、トーナメントをやっていたらどうしても日数が足りない。そこで広い会場で約七百人ほどの新入生に『好きに戦わせ』て、最後まで立っていた四十人でトーナメントが行われるということになったのだ。
「すっごいルールだよね。今日、いや明日だっけ?」
リリィのその言葉を受けて、マリィは白い目だ。
「昨日だよ……」
「あ、そうなの⁉」
だがすぐにマリィは、真剣な表情になって。
「……」
「マリィ?」
「本戦トーナメントは、行われないことになったよ」
「何で?」
「最後に立っていたのは、一人だけだったんだ」
そう、残りが四十人ほどになったら予選はそこでストップするはずだったのだ。
だが審判が止める間もなく……一人の新入生によって、残り全員が倒された。ゆえに、本戦を行う必要がなくなってしまったのだった。
「一人勝ち……凄い子が入ってくるんだね」
「それだけじゃないよ、リリィ」
「と言いますと?」
そしてマリィは、三本の指をリリィの眼の前で立てて。
「三人目」
「何が?」
「称号持ち。魔法水晶、光ったんだって」
「⁉」
二年前、永きにわたる沈黙を破ってリリィが魔法水晶を光らせた。そして、今は亡き偉大なる魔女ミリアム・ベルの養女となった。そして昨年はマリィが、マリィ・ベルに。
戸籍上、リリィとマリィは姉妹になったのだ。
リリィが最初に魔法水晶を光らせた年は、世間をアッと驚かせた。そして二年連続、マリィが続いたときは天文学的な確率だと騒がれたものだ。
もう奇蹟を通り越したといっても過言じゃないのに、三年連続で魔法水晶はまたもや光を放った。
リリィがリリィ・ベルとなって、それは『天からの贈り物』という意味を込めてついた尊称が『天啓』。翌年、マリィがマリィ・ベルとなってその尊称は『天才にして天災』。
なおマリィ的には、大変不本意な尊称であるのだがそれはともかく。
そして三人目、ララァことララァ・ベルに早速つけられた尊称は――。
「『怪童』、ララァ。ララァ・ベル」
「聞いたことのない名前ね?」
入学前からその魔法の素質は耳目を集めていた二人と違い、ララァの知名度はゼロに等しかった。なのでララァは予選からの参加だったのだが……その予選で、全員を倒してしまったのだ。
リリィの黒、マリィの水色のようにララァは『黄色』をベースとした魔法少女だ。ふわふわでくせっ毛のショートヘアーは明るい金髪で、トパーズのようなこれまた黄金の瞳。
パッと見ではひまわりみたいな明朗活発なイメージだが、その戦闘スタイルはえげつないの一言。リリィが攻撃魔法特化型、マリィが全魔法種別に秀でた天才タイプとするならば。
「状態異常魔法の天才ね。それに関しては私以上と言ってもいいかもしれない」
「マリィにそこまで言わせるって……その、予選どんな感じだったの?」
「彼女が使った、『冥府開門』。あれは本当に……恐怖、毒、呪い、昏睡、石化、混乱、幻惑、麻痺……ありとあらゆる状態異常魔法を、約千数百人同時にぶっかけたそうよ」
「は? いやいやいや、何それ? 何の話なの?」
「今言ったとおりよ」
そしてその幻惑効果で、高さが何十メートルもある強大な扉が闘技場に顕現した。そしてそれが開くと、全員が虚ろな表情でヨロヨロとその門をくぐろうと歩を進めて。
「そして門をくぐった全員が、その場で『大』を漏らしたそうよ」
「……今、何て?」
さすがにお尻を『こんもり』と膨らませたままで試合続行できる選手はいなかった。新入生は皆、学院に入学を控えた十五歳。思春期の女の子なのだ。
「全員が泣き喚いて棄権が続出。ララァて子はその魔法一つで、『頂点』に立ったの」
「何て無茶苦茶な……その子、ララァもまたあんたみたいに決闘申し込んでくるの?」
リリィが、真っ青な表情で恐れおののく。マリィとの決闘でリリィが敗れた内訳は、状態異常魔法での決着が半数を超えるのだ。
脳筋リリィ、実は状態異常魔法を大の苦手としているのである。
「おむつ……常備しとこうかな」
そうつぶやくリリィ、すっかり涙目なのであった。
それからさらに一年。最上級生に進学したリリィは卒業を来春に控えて、隣国へ短期留学することになった。卒業に必要な単位は取得していたのでもう学院に通う必要がなくなったため、さらなる魔法の研鑽のために出向くことを決断したのだ。
「寂しくなるね、リリィ」
「もうちょっとリリィと遊んでいたかったよ」
リリィたちは、ララァをくわえて『終末の魔法少女』なんてありがたくない二つ名で呼ばれるほど仲良くなっていた。この三人同士で模擬試合をやると、その圧倒的な魔力で周囲が尋常でない被害が発生するためだ。
「まぁ二ヶ月だけだしさ、手紙も書くよ!」
後にリリィのこの留学という決断が、この世界の大きな分岐点となった。
この王国は人間たちが政治の中枢にいて、魔女の一族はその援助の一端を担うポジションについている。
だがその圧倒的ともいえる魔力(武力)と寿命を、快く思わない層もいた。ほかならぬ、王家である。
その魔力で市井に暮らす多くの人間たちから尊敬を集めてかつ、山を穿ち海を割る膨大な力を持つ魔女の一族。それはときに、民の生活を圧迫する政策の執行の妨げとなっていたためだ。
くわえて、特に各学年のトップを張る称号持ちともなると一国の軍隊にも匹敵する。それすなわち、魔女一族の目を気にしながら政務を執り行わざるを得なくなっていたのだ。
だが魔女・魔法少女たちは、その過ぎた力を決して悪用したことはなかった。にも拘わらず、王家は魔女の一族の力を恐れた。存在を、嫌忌した。
そして王家は決断する。
『この王国に魔女は不要である』
と。それはあまりにも自己中心的で、理不尽な思想だった。
そしてその見せしめととして槍玉にあがったのが、魔法少女のエリートたちが通うアルセフィナ魔法少女学院だったのだ。
だが魔女の一族とて、自身の持つ力を誤った方向に使うことのないように自戒はしていたのである。その証拠に、学院こそ『過ぎた力に溺れない』精神を養う学び舎としたのだ。
だから誰一人として、国を傾けようなんて生徒は一人もいなかった。しかし王家にとって、そんなことは関係なかった。
まず来るべきXデーに全学年全クラスが、座学の授業になるように調整する。いかな魔法少女とて、変身していなければちょっとした生活魔法が使えるだけの少女たちにすぎなかったからだ。
そして用意周到に、学院の敷地内を魔封じの結界に閉じ込める。そして新年を間近に控えた十二月未明――『魔法少女狩り』が始まった。
多数の監獄馬車が、学院をグルッと取り囲む。兵たちが学院になだれ込み、生徒の少女たちを次々と拘束していく。
逃亡を阻止するため、魔封じ効果のある長いロープでクラス全員の首を数珠繋ぎに結ぶ。そして一人一人には、『倦怠』の状態異常魔法がかかるロープで後ろ手でも縛るほどの念の入れようだった。
一人一人を縛っているロープは、逃亡なぞ考えないように思考が無気力化する効果がある。皮肉なことに、それらは魔女の一族が開発して国王に献上したものだった。
こうしてクラスの数だけ、首同士を繋がれた少女たちは次々と監獄馬車に放り込まれて王城に連行されていく。
そして王城の広場に集められた捕縛された少女たちの前に、王が姿を現して。
「国家反逆をたくらむ恐怖分子たちよ! 貴様らの夢はたった今、潰えたと知れ‼」
もちろん、少女たちにとっては寝耳に水である。だが王家としては、事前に一度チャンスを与えたつもりだった。
「あの子たちを軍隊に⁉ いくら陛下と云えども横暴です、学院としては断固拒否いたします‼」
その数日前、王に向かってそう言ってのけたのは学院のアイリス理事長。
王としては、領土を広げるため隣国の侵略を企てた。そして版図拡大のために『使い捨てる』兵として魔法少女を使おうと画策していたのだが……。
「お前たちが、国を傾けんとする謀略を巡らせたことはすでにわかっておる」
少女たちの前で、断罪の場で王は妄言を垂れ流す。
(もし派兵に賛同していたら、もう少し長生きもできただろうに)
内心で、王はそうつぶやいて厭らしい嗤い顔を浮かべた。
「まず、お前たちが国家を転覆させんとした言質を取る。おい、適当なクラスを一つ異端審問にかけろ‼」
王のその一声で、一年生のクラスが無造作に選ばれた。そして、クラス全員の首を繋げたロープを強引に引いて連行していく。
ちなみに『異端審問』とは創造の女神・ロードを信奉するシマノゥ教の教えに異を唱える者に対して行われる取り調べから裁判までの流れを意味するが、王国政府としては国や王家に仇なす意図があるかどうかを審問する意味で使用していた。
まるで自分たちが神であるかのように用いた言葉であるが、審問というのは名ばかりで云わば拷問――罪を認めるまで非人道的な暴力を用いる、云わば私刑にも等しい蛮行である。
少女たちは拘束されたまま、城の広場に軟禁される。食事が出ないのもそうだが、トイレにも行かせてもらえないという非人道的な措置が取られたため、翌朝の広場は少女たちの排泄物の臭いで充満するほどであった。
そして再び王が少女たちの前に姿を現して言うには――。
「異端審問の結果、お前たちが国家転覆を図ったことは偽りのない事実だった!」
その場に、連行されたクラスの生徒は誰一人帰ってきていない。それはつまり、全員が拷問で果てたことを意味した。
だから王の言うように、王家や国に仇なすことを認めたかどうかすら定かではないのだ。だがこの場でそれに異を唱える者は、誰一人としていなかった。
周到に用意されたその場で王に逆らう者がいなかったのもあるが、少女たちは思考が無気力になる魔法がかかるロープで拘束されているがゆえに。
そして少女たちは王城から連行されていく。自分たちの最期の場となる、刑場へ――。
刑場では、即席で建設されたであろう舞台の前に多くの人間の観衆が刑の執行を今か今かと待ち構えていた。しかも全員が口々に、
『魔法少女たちを殺せ!』
『魔女を火あぶりにしろ‼』
『国を亡ぼす悪魔に、正義の鉄槌をくだせ!』
だのと目を血走らせて絶叫していた。
これは寮生活の少女たちがその厳しい校則ゆえに街に気軽に遊びにこれないことを利用した、王家による誤った『情報操作』が成功していることを意味する。
学院の生徒たちはみな、いつの間にか悪者にされていたのだった。
少女たちは一クラスずつ、ステージに横並びにされて両膝をつくよう強要される。もちろん全員の首にはロープが巻き付いていて、一人が逃げようとすると全員の首が締まるようになっていた。
その少女たちの背後に長槍を持った複数人の処刑執行人が立ち、無慈悲な鐘の合図とともに一人一人の左胸を長槍で後ろから刺し貫いていった。
(あ……)
次はララァが在籍する一年C組の順番となって、ララァたちクラス全員がステージに引っ張り出される。そしてそれを、舞台裏から二年生のマリィが、無気力な表情で見守っていた。
首にかけられたロープで魔封じを、後ろ手に結ばれたロープで思考を倦怠化させられているのだ。マリィはただただ、ステージ上のララァをボーッと見つめる。
(あれ?)
だが誰もが無気力化しているこの舞台上で、ララァ一人だけが涙目ながら怒りで真っ赤に燃え滾る瞳をしていた。状態異常魔法の天才、ララァ・ベルの名前は伊達ではなかったのだ。
変身していなくても魔封じがされていても、『称号』持ちの真骨頂を見せるララァ。王家が魔法少女を恐れる所以を、皮肉にもララァが見せつける。
次にララァが処刑される段になって、処刑人をキッと振り向いたララァは処刑人の顔にベッとつばを吐きかける。顔を真っ赤にして憤る処刑人と、ざまぁみろとばかりにドヤ顔のララァ。
だけど次の瞬間……激高した処刑人の手により、ララァの身体を長槍が貫いた。みなは一回だけなのに、ララァだけ引き抜いては刺し引き抜いては刺し。
「なっ⁉」
その衝撃で、マリィの中の何かが発動したのだろう。マリィとて『称号』持ち、しかも天才(天災)とも称される魔法少女なのだ。
状態異常魔法については学院ではララァに継ぐ二番手のマリィ、気力というか怒りのパワーで無気力化の魔法を解除してみせた。
「ララァッ⁉ おい、やめろクソ野郎‼」
絶叫しながら、マリィが涙目で舞台裏から叫ぶ。
「うるさい、黙れ!」
そう言って近くにいた兵が、槍の柄のほうでマリィの顔を突いた。ちょうど口の位置に一撃をくらったものだから口の中を派手に切ったしまったマリィ、口角から血が垂れて流れる。
そして舞台上のララァは、大量の鮮血を噴出しながら倒れてて……もう、その瞼が開くことはなかった。
それからいくつかのクラスを挟み、マリィのクラスの番に。端っこから、この二年間一緒の教室で学んでいた友人たちが次々と背中から槍を刺されて絶命していくのをマリィは絶望的な表情で見送る。
そしてマリィは、リリィが留学でこの場にいないことを感謝していた。
(私が死んだら、リリィ悲しむだろうな)
そんなことを思いながら。
「何で私たちがこんな目に……」
絶望の沼に沈んでいたマリィは、ふと顔を上げる。
(これは……⁉)
はるか遠くの空に黒い点、それが『膨大な魔力』を発しながら恐ろしいほどの速度で近づいてきているのを感じ取った。
(……何で来るの? バカなの?)
マリィは、声の限りに叫ぶ。
「リリィッ‼ 来ちゃダメ! 逃げて‼」
魔法少女に変身済みのリリィが、魔法の箒に跨ってほぼ音速に近い速度で飛んできていた。そして舞台前に着地して、青い顔でほぼ半数が処刑されている舞台上を見上げる。
「何が……起きて……いるの?」
目の前で起きていることが信じられないとばかりに、リリィが愕然と立ち尽くす。マリィは、
(だから呆けてる場合じゃないんだってば、早く逃げてよ!)
と叫びたかったが、『倦怠』の状態異常魔法に抗っている最中なので上手く口が回らない。
「リリィ、逃げ」
なんとかそこまで声を出すことはできたが、そこから先を続けることができなかった。マリィの胸から、長い槍が突き出ている。
「……え?」
そしてそれがスルスルと短くなっていき……引き抜かれて。まるでシャワーのような鮮血がマリィの胸から迸り、その足元を真紅に染めていく。
「いやああああっ、マリィッ‼」
まるで血を吐くがごとくの絶叫で、頭を抱えてリリィが両膝をついた。そして自身の命の炎が消えかかっていくなかでマリィが見たもの、それは……リリィの身体中から立ち上る瘴気の黒煙。
嘆き、怨み、絶望、怒り……そんな悲しいモノで胸をいっぱいにして、リリィが膨張していく。黒い血の涙を流しながら、ギシギシと歪な音を立てて……歪み軋み、膨れ上がっていった。
すでにリリィは人型を保っていなくて、それはたとえていうならガス惑星のような巨大な瘴気の塊。それがどんどん広がっていって、空を覆いつくす。
まるで闇夜のように真っ暗になると、人がバタバタと倒れ始めた。
(リリィが哭いている……)
大量失血で意識が薄れていく寸前で、マリィはリリィの哭き声が聴こえた気がした。
かつてリリィだった『ソレ』は人間亜人、動物はもちろん草木から虫……この世に生けとし生けるすべてのモノからさまざまな負の感情を、生命力を無尽蔵に吸い上げていく。
そんなことしたくないのに、何の罪もない命を殺めたくないのに。それでも止まらない止められない己を責めながら、悲痛に身悶えながらリリィが哭いている。
怨嗟と嘆きの瘴気を吹き出しながら膨張していくリリィ……魔皇・リリィディアが完全に覚醒するのを見届けたかのように、マリィの心臓が静かにその鼓動を停止した。
「なんてことでしょう⁉」
「まさか、こんな形で復活してしまうとは‼」
天界でロードが、冥界でクロスが。まったく予想だにしなかったリリィ少女の変貌と魔皇リリィディアの復活を見届けていた。
そしてこれは後日談。魔皇・リリィディアの復活により、この地上のありとあらゆる生命の九十九パーセントが死に絶えた。
ここまで築かれてきた文明はすべて崩壊し、残った生物たちは再び原初の生活から再始動することになって。粗末なお手製の武器を持って動物を追いかけ、捕まえて焼いて食う……そんな原始時代のような生活にリセットされてしまったのだ。
そして地上が歴史のやり直しを強制的に強いられたのを見届け、この世界を創った真の創造神にして魔皇・リリィディアは再び長き眠りにつく――。
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