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第十三話・これは究極の選択じゃねぇか‼

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「皇帝陛下のおなりである‼」
 帝国の首都ともいえるドゥーベ市国。帝都と呼ばれるそれを含む七ヶ国のトップである、クラリス・カリスト女皇帝が住まう皇城にて。
 ターニーとデュラ双方からの紹介状もあるとあって、面会手続きはびっくりするほどスムーズに進んだ。と言っても、皇城のある城下の宿屋で七日待たされたが。
(でも七日ってのは奇跡的だと、宿屋の女将が言ってたな)
 皇城は玉座の間にて吉田は片膝をつけ頭を下げたまま、それを思い出す。宿屋の女将いわく、面会を申し込んで一年以上経つ今も待機している宿泊客もいるのだとか。
 外国人の場合で待機中は帰国して、呼び出しがあれば馳せ参じる……というのはできないらしい。してもいいが、いつ許可が出るかわからないので城下で連絡が付かない場合は後回しにされるのだ。
 その場合は再度面会の手続きが必要になる上に、一度連絡がつかなかったというミソがついて許可が下りなくなるのは必然。なのでたった七日だけ待たされるだけで済んだのは、幸運中の幸運なのである。
「おもてを上げよ」
 若い女性の声がして、おそるおそる吉田は顔を上げる。別段、吉田が怪しい素振りを見せたわけじゃないが左右に並ぶ近衛兵たちに緊張が走った。
 もし吉田が刺客であったらば、いつでも皇帝陛下をお守りできるようにと身構えたのだ。
 顔を上げた吉田の目の前、ひな壇の上で鎮座するのはクラリス・カリスト皇帝――見た目は二十代前半ぐらいだろうか? そのクラリスが、おもむろに立ち上がる。
 ひざ裏近くまで伸びたアッシュグレーの髪は背中の中ほどまでが直毛で、そこから先がウェーブがかかって波打っていた。身長は一八〇センチまではいかないまでも、この世界での女性としては背が高いほうだ。
 透き通った緋色ピンクの蠱惑的な瞳は、宝石のロードクロサイトを彷彿とさせる。その瞳が、吉田を慈愛のこもった視線で見下ろしていた。
「ターニーさんとデュラの紹介状を読みました。これ、ヨシダにカードを返しておやりなさい」
「はっ‼」
 皇帝に謁見するにあたり、デュラが忠告したように吉田は『武器』ともいえるカードを没収されている。それをクラリスに命じられた近衛隊長が、上等そうな紫色のサテン生地に乗せられたカードをうやうやしく吉田に差し出した。
 特にそうする必要もないのだが、その雰囲気に気圧された吉田はまるで賞状を受け取るかのように両手で掲げながら手にする。それを見て、クラリスがプッと噴き出した。
「召喚士のカードならば、預からずとも願うだけで術者の手元に戻るというのにな。これも私が皇帝であるがゆえの様式美のようなもの、許せよ」
「もったいのうございます、皇帝陛下」
 思ったよりクラリスが気さくに話しかけてくれているのもあって、吉田も少しだけ気が楽になる。
「カードはそなたが来る前に、私個人がチェックさせてもらった」
「‼」
「ここから先は内密に話そう。ヨシダを塔に案内あないするよう」
 そう言って近衛隊長に指示を出すと、クラリスは足早に玉座をあとにして奥へ引っ込んだ。
「これよりは天枢の塔にて、皇帝陛下直々にお話があります。ついてまいれ!」
「承知した」
 広大な皇城の敷地内を、近衛隊長の先導で歩くことしばし。遠くに見えていた塔の全貌が、吉田の目の前でその壮大な姿をあらわにする。
 近衛隊長が一階扉横にある魔導通信機に手をかざし、
「お連れしました」
 と声をかける。その小型の魔導通信機……いわゆるインターフォンのようなものから、
「そちらで解錠いたせ。ヨシダ一人で、最上階へ来るように」
「はっ!」
 そんなやり取りを経て、扉が開く。
「奥に階段があるゆえ、そちらを登られよ。皇帝陛下は、最上階でお待ちだ」
「わかった……って、俺一人で?」
「無論だ」
「相手は仮にも皇帝陛下なのに、こう……大丈夫なのか?」
 吉田としては、セキュリティ面を心配したのだ。もし自分が悪意ある存在であれば、単独で行かせるのは危険ではないかと。
「先ほど陛下も仰せられていたが、近衛兵が周囲を固めていたのは様式美みたいなもんだから心配せずともよい。皇帝陛下ならば、ヨシダが一万人いても瞬時に滅することができるのでな」
「……」
「むしろ、そっちのが心配だ。なので、くれぐれも無礼のないようにな」
「忠告、痛み入る」
 吉田は、今さらながらに背筋が寒くなる。確かに、これまでに出会ってきた六人の賢者は人智を越えた存在であったからだ。
(俺が一万人いても敵わない相手なのか……)
 一人、吉田は中に入る。近衛隊長が言うように、中は人の気配が一切しない。
 本来ならば、近衛兵すら不要なぐらい強いのだろう。上を見上げるが、真っ暗でなにも見えない。
(だが……)
 その見えない最上階からは、帝国を治める人物が持つ覇気のようなものがビンビンと伝わってくる。それはややもすれば、殺気にも似て。
 ほかの六人の塔では魔導昇降機があったりしたが、ここは階段のみで上がるようだ。
(セキュリティ的なもんかな?)
 見た目は若い女性のみそらでありながら、それでも皇帝なのだ。簡単に昇降機で近づけては危険きわまりない。
「おっさんの腰にはきついぜ」
 そう苦笑いをもらし、吉田は一歩ずつ階段を登る。塔の高さはゆうに百メートルを超すので、最上階に到着したころにはヘロヘロになってしまった。
 ぜえぜえと荒い息を吐きながら、しばし座り込む。
「って休んじゃいられないな!」
 えいやっと立ち上がり、扉前まで進んでノック。ほどなくして、扉が開かれた。
「どうぞ?」
 クラリスが笑みをたたえながら、片手で中に入るようにうながす。これまでに訪問したのとほぼ同じ真円の間取りなので、天枢の塔は初めてながらどこか既視感も憶える吉田である。
「そこの椅子に座って待ってて」
「あ、はい」
 皇帝より先に座っていいのかと逡巡したが、なによりその皇帝が命じているのだ。吉田はおそるおそるソファに着座する。
「お茶淹れるから待ってて」
「え? あ? へ?」
 自然に、本当に自然にクラリスがそう言ってカチャカチャとお茶を用意し始めた。皇城は玉座の間にて謁見したときの威厳はどこへやら、遠慮しそこねて吉田は呆然としてしまう。
 ときおり鼻歌も奏でながら、楽しそうに茶器を手にするクラリスは年相応の女の子に見えて。
「いやいやいやっ‼ 皇帝陛下、おかまいなく⁉」
 ようやっと正気に立ち返り、吉田は慌てて立ち上がった。
「まぁまぁ」
 そんな吉田を軽くいなすと、クラリスはティーセットを乗せたワゴンを押して戻ってくる。
「もう誰も見ていないから、気楽にどうぞ?」
 そう言いながらティーカップを吉田の前に置くと、吉田に遠慮させまいとクラリスが自分のカップを口につけた。
「すいません……」
 なぜか謝ってしまう吉田に、クラリスが困ったようにクスッと笑う。
「とりあえず紹介状、ヨシダは内容を知ってるの?」
「いえ、自分で見るのはマナー違反かと思って手つかずです」
「そう……とりあえず、目を通してみてちょうだい。それで、紹介状に記載されてない部分は口で教えてくださいな」
「かしこまった」
 クラリスが手渡すそれを、吉田は手に取る。ターニーからのぶんに続いて、デュラからのも。
「で、どうでしたか?」
「そうですね……『とある部分』については触れていないようです」
 かの七人の賢者……目の前にいるクラリスも含め、魔皇リリィディアとの関わりについては紹介状で触れられていない。
「ふーん。じゃあそれについて、話していただけます?」
「それは……」
「?」
 吉田は思い出していた。
(ソラ殿は、『ひとりごと』として聴かせてくれた。デュラ殿は、話したくなさそうだった……だったら、皇帝陛下にそれを訊くのは)
 吉田が思い悩んでいる様子なのを見て、クラリスは静かに待ってくれている。
「『とある部分』なんて思わせぶりな言い方をしてすいません、やはりこれは話すわけにはいかない」
「あら、残念。『私たち』について知りたくないんだ?」
「⁉」
「やっぱり『それ』でしたね」
 そう言い放つクラリスは微笑みを浮かべていて、ソラやデュラのような拒否反応を示さない。だがそれでも吉田は、
「話したくないならば、訊きません。それが、子どもたちを助けるにいたって重要な情報かどうかもわからないですし」
「んー……それは確かに。ねぇ、もう一度カードを見せてもらえます?」
「あ、はい」
 クラリスの要望に応え、吉田は両手でうやうやしくカードを差し出した。それを一枚一枚チェックするクラリスを見ながら、
「失礼だが皇城にての陛下と、いま目の前にいる陛下とが結びつかない」
「ふふ……」
 吉田が思わずもらしたクラリスに対する所見に対し、クラリスは無言で笑みを返すのみだ。だがカードをチェックし終えて、
「皇帝って立場もありますから。舐められたらお終いですしね」
「それは確かに。して陛下、やはりあなたでは子どもたちを……」
「えぇ。なんとかなりそうな気もするんですけどね、ソラさんやアルテさんがどうにもできなかったなら私も難しいかと。ごめんなさい」
「いやいや、謝らないでくれ! …ください! すべての希望が潰えたわけじゃないんだ……です」
「私のことは、この場においてはクラリスでいいですよ。話し方も、楽なほうで」
「とは言われましても……」
 さすがに帝国の皇帝陛下とあっては、吉田もいつもどおりというわけにはいかない。
「あなたからはタバコの匂いがするわ。灰皿、用意しましょうか?」
「勘弁してくれ!」
 クラリスとしては善意で言ったのだが、吉田としては揶揄からかわれた心地だ。だが相手が皇帝陛下とあっては、気軽にツッコミもできない。
「そうね、さっきの話に戻るけど」
「さっきの?」
「私たち七人の正体?」
「……」
 吉田として予想はしているものの、自発的に話してもらえるのかと気もそぞろである。
「近いうち、そのカードを作成した『リリィディア』は復活すると思う」
「復活……つまり魔皇が、ですよね」
「まぁそうね? そしてリリィディアが復活すると同時に、私たち七人は消える……ってのは予想どおり?」
「それは……はい」
「そか」
 少し寂しそうに笑って、クラリスはティーカップに口をつけて一拍おく。
「これは私の予想だけど、リリィディアは魔皇として復活するわけじゃないと思う」
「と言うと?」
「魔皇の力を持ったまま、別の自我を持って産まれてくるんじゃないかなぁ?」
「別の……自我?」
「そうね。たとえて言うならば、八人目の賢者ってところかしら」
「そうなのか⁉」
「予想、って言いましたよ?」
「あ、そうか」
 少し落胆した様子を見せた吉田に、それでもクラリスはくすくすと笑いながら。
「予想てのは、いい方向で考えたいでしょう? そもそもヨシダは私たち七人と邂逅してきて……どう感じましたか?」
「どう、というと」
「ティアさん、ターニーさん、イチマルさん。アルテさんにソラさん、そしてデュラ。私も含めて、誰か世界を滅ぼしそうでした?」
「いや、そんなことは全然‼」
「でしょう? だから、いい方向に考えませんか」
「確かに、一理ある。しかし……」
「?」
 先ほどからクラリスが述べるそれに、どうしても吉田には理解できない部分があった。
「あなたは……陛下はまるで、自分が消えてしまうことを受け入れてるように見受けられる」
「……」
「それは、『諦め』の感情なのだろうか」
「どうなのかな、自分でもよくわからないんです」
「魔皇として降臨するにあたって、あなたはこの帝国を守る皇帝陛下だ。魔皇という存在とは、真逆の立ち位置になる」
「うん」
「だが、それを嫌気する様子も見せなければ絶望しているわけでもない」
「ですね」
「あの……俺の発言を不愉快に思われたなら遠慮なく言ってほしいし、許されない発言だったら罰は甘んじて受け」
 そう途中まで言いかけた吉田の唇を、クラリスが人差し指を立てて制す。
「もちろん、言いたくないことは言いません。続けて?」
「あ、はい。その……皇帝陛下としてはどういった感情なのか、ほかの六人はと考えてしまうんです」
「んー? まぁ自我が消えるって、誰もがおもしろくないと思う」
「もっともです」
「ただね、そんなにイヤでもないの。だってさ、この世に降臨したいと思っているリリィディアの感情は、私たち七人の感情でもあるから」
 そう言うクラリスの表情は、不思議なくらい穏やかで。
「なるほど」
「自我が消えるということよりも、仲間が仲間だったって記憶を失うのがイヤだな」
「それはほかの六人との……」
「ですね。まぁリリィディアとして一つになったとき、その記憶は共有されるのかもしれない。そこは未知数ではあるんだけど」
 諦めて観念したわけでもない。ただ無条件で受け入れられないという葛藤があるのも、吉田は理解できる。
 四十代である自分の半分ほどしか生きていないであろうクラリスが、その双肩に抱える帝国皇帝としての荷の重さ。それにくわえて魔皇として姿を変えるという運命は、吉田には想像もできないくらい重いのだと思い知る。
 ましてや帝国臣民を守る皇帝とは真逆の、世界を滅ぼすかもしれない存在になるのだ。その心痛はいかばかりだろうか。
「ヨシダ、私はね」
「はい」
「『そのとき』が来る前に、帝位を譲位するわ。皇帝がいきなり不在になったら、帝国が荒れちゃいますから」
「……」
「そしてそれが、『合図』だと思ってください」
「合図……リリィディア復活の?」
 クラリスが、無言でうなずく。先ほどまでのフランクさは影をひそめ、覚悟を決めた為政者の顔だ。
「そして、約束はできないけれどもしヨシダのことを覚えていたら……子どもたちをカードから出すことに尽力しましょう」
「ソラ殿と同じことを申されるのだな」
「ソラさんと?」
「あぁ」
 天璣の塔にて聴かされたのは、ソラの『ひとりごと』ではあったけれども。
『もし私たちがリリィディアとして復活することができたら、真っ先に吉田のところへ来るわ。そして、子どもたちを出してあげる』
 クロスが言った、七人の賢者ならなんとかしてくれるかもという希望は潰えた。だが新たに芽を吹いた希望は、吉田にとってどこまでも優しくて。
(ふ、ある意味ではなんとかしてくれようとしているではないか)
 それに気づいて、吉田の頬もほころぶ。
「皇帝陛下、いやクラリス殿」
「ん?」
「わた……俺は、子どもたちのためなら悪魔だろうが魔皇だろうが魂を売り渡す。なんだってする‼ もし必要ならば、その配下に入ってもいい」
「それはどういう」
 突如として吉田が主張するそれに、クラリスは困惑した。
「魔皇リリィディアが望むなら、生涯この身を捧げよう。だから……だから……」
 吉田の唇が震える。感極まって、あとの言葉が続かない。
「ふふ、そうね? でもそんなタマキン臭い命は結構だわ」
「あんたもそれ言うんかい!」
 ようやく、吉田に本調子が戻ってくる。
(じゃあ魔皇軍として、人類を相手に戦いましょうか……なんて返しは意地悪かしらね?)
 だが、あえてそれは口にせず。ただクラリスの腹は、このときに決まったかもしれなかった――。


 とりあえずは帝都の郊外、森の中にハウスを出して。
「さて、どうするかな……」
 ここまで、七人の賢者ではどうにもならなかった。残る希望は、このカードを作成したというリリィディア本人になんとかしてもらうことだ。
 だがそのリリィディアは魔皇であり、人類の敵かもしれない。だがそのリリィディアは吉田がこれまでに会ってきた七人の集合体でもあるから、リリィディアとの邂逅は『再会』でもあるのだ。
「俺のことを覚えていてくれるかどうか、だな」
 特に行くあてもないので、そこからは穏やかな森林ライフを過ごす。ハルの背中に乗って、大空を駆けるのは格別だった。
 ドールの紅茶で、窓外にやってきた小鳥たちのさえずりを聴きながらゆったりと過ごす。川で釣りを楽しんだ際には、針を外して逃げ出そうとした魚をマーメイが捕まえてくれた。
 フェンと二人で草原を走り、友達を見つけたといっては幽霊を連れ帰ってきたボーンに腰を抜かしたり。
 ラックが捕ってきたキノコが実は毒キノコだったが、そこはヨルンに解毒してもらいなんとかなった。もちろん、ラックにおしりペンペンのお仕置きも忘れない。
 お仕置きなのにラックが恍惚の表情で嬉しそうだったものだから、吉田もたまったものではなくて。
 そんなアウトドアライフのかたわら、吉田はタバコを切らしては単身で街に買いに出る。すべては、クラリスの動向……彼女の言う『合図』をキャッチするためだ。
 ほどなくして、突如としてそのときは訪れた。街のいたるところで普段とは違う雰囲気が漂い、号外を配る新聞屋に人々が我先にと殺到する。
『号外! クラリス・カリスト皇帝が帝位を譲位‼』
『後任はメグレズ王国・ラーザップ陛下の見通し』
 そんな見出しが、紙面を賑やかした。
(来たか……)
 ハウスの中にて、紫煙をくゆらせながら吉田は何度も号外に視線を落とす。だがそれから待てどくらせど、吉田の時間は凪いだ水面のように無為に過ぎていった。
 やがて季節が一つ過ぎたころだろうか、吉田のハウスをノックする音――。
「どちら? 新聞なら取らんよ。国営映像放送局なら帰ってくれ、うちには魔導受信機は……へ?」
 扉を開けた吉田の目の前に立っていたのは十代半ばから後半だろうか、一人の見知らぬ少女。
 臀部近くまである長いストレートの黒髪は腰あたりから左右に心持ちフワリと広がり、ゆるくウェーブがかかっている。烏の濡れ羽色さながらの髪に、白い天使の環のような艶が宿る。
 そして象牙色の白い顔肌と、黒い瞳。身長は一六五センチほどで、猫のように少し吊り目がちな眼窩には、黒瑪瑙オニキスを思わせる蠱惑的な艶を放つ瞳が無機質な視線を前方に投げかけていた。
 その幼さも残る少女の風体は、この世界では『痴女』とも思われかねない露出の多さだ。
 黒いチューブトップのトップスは下端がレースになっていて、尺が臍のすぐ上までしかない。なので、可愛いおへそと白いお腹がこんにちはをしている。
 腕には、上腕半ばまである長いロングの黒皮手袋。そしてヒラヒラふわふわしている黒いレースが彩る黒いミニスカートは、ややもすれば下着が見えそうだ。
 ガーターストッキングは低デニールの黒で、ふとももの白さが目に眩しい。その絶対領域を縦断するかのように、黒くて細いガーターベルトが走る。
 くるぶしを隠す程度の高さしかない黒皮のブーツ、右手に握られている魔法の杖マジック・ワンド。眉をギリギリ隠すぱっつん前髪の白い額にチラチラ見えるのは、黒曜石をあしらったサークレットだ。
「魔法……少女……?」
 そう、前世の日本でテレビや漫画でよく見る『魔法少女』が立っていたのである。だがその全身黒ずくめのコーディネイトは、どちらかというと『悪役』の出で立ちである。
 そしてそれは、素人の吉田にもわかった。その少女が醸し出す覇気は、世界を震撼させるレベルの禍々しい瘴気にも似て――。
「……どちらさんで?」
「ヨシダ、だよね?」
「いかにも」
 吉田は、スッと内ポケットに手をしのばせる。いざとなれば、逆刃の妖刀『不殺』をいつでも取り出せるように。
 まるで獅子の群れが、子うさぎを遊びで取り囲んでいるような……そんな眼光で、少女が吉田を見つめているのだ。
「中に、入れてくれないの?」
「なぜ?」
「お客さんですよ?」
「……」
 逆らっても無駄だと、吉田は観念する。地獄で仏という言葉があるが、これはまさに地獄で悪魔に出会ったかのような絶望を感じさせた。
「入れ」
 吉田の手が、唇が震える。自分は死ぬのだと、殺されるのだと周囲の空気が揶揄からかうように振動しているかのようで。
「おじゃましまーす!」
 だが少女はあっけらかんと中に足を踏み入れると、ズカズカと入って遠慮なくソファに腰を下ろした。そして吉田の許可もとらず、勝手に机上のお菓子をひょいとつまんでパクつく。
「で、あんたは誰なんだ?」
「葬式帰りの痴女じゃないよ?」
「そんなことは訊いていないっ‼」
「おお、怖い」
 思わず激昂してしまった吉田に対し、少女は終始余裕の表情だ。そして、
「わかってるくせに」
 そう言って、くすくすと笑う。だが吉田には、その少女が『約束』どおりやってきたと楽観するわけにはいかなかった。
(皇帝陛下ベースなのか、それとも七人の融合体か……あるいは第八の、『魔皇』として来たのか)
 子どもたちのためなら魔皇にだって魂を売るとは決めていたが、いま吉田は巨大な『絶望』を本能で感じとり畏怖している。もしこの少女が望めば、吉田は瞬時にしてこの世から消え失せてしまうだろう――先ほどから、冷や汗が止まらない。
「初めまして、になるのかしらね? 私はリリィディア。よろしく」
「……頼む」
「なにを?」
「俺はどうなってもいい、なんだったらこの命を差し出すから……子どもたちを助けてやってくれないか?」
「そんなタマキン臭い命は欲しくないな?」
「お前も言うのかよ! あ、いや。お前とか言ってすまなかった」
 ついついいつものノリでツッコんでしまい、吉田は顔面蒼白である。
「とりあえず、座ったら?」
「あ、あぁ」
 そして吉田、リリィディアの正面に向かい合って座る。
「吸ってもいいよ?」
 そう言いながら、リリィディアがタバコを手に持つジェスチャーをしてみせた。
「……お言葉に甘えよう」
 吉田は震える手で、ふところからタバコを取り出す。それを口にくわえて、
(俺の人生で、最後の一本かもしれないな)
 などと考えていたら、リリィディアがパチンと指を鳴らした。すると、吉田がくわえたタバコの先に小さな炎が顕現する。
「あ、すまん」
 なんとなくお礼を言って、まずは一服。とりあえず心を落ち着けると、
「本当に会いに来てくれたんだな」
 とまずはリリィディアの出方をうかがう。
「私がクラリスだったころ、そしてソラだったころに約束したでしょ」
「‼ 覚えているのか⁉」
「うん、まぁ……でもちょっと、他人の記憶に近いかな」
「じゃ、じゃあかの七人の意識というか自我は」
「私に吸収された、ということになるわね」
「そうか……」
 もうあの七人に個別に会うことはできないのだと、吉田の表情も曇る。
「で、そのカードだけど」
「あぁ、そうだ‼ 子どもたちを出してくれるか⁉」
 慌てふためきながら、吉田は七枚のカードを取り出すとリリィディアに差し出した。リリィディは無言でそれを受け取り、一枚一枚チェック。
「ふむ……なるほどね」
「子どもたちを出せるか⁉」
「その前にヨシダに訊きたい。交換条件として、私にその生涯を捧げるという言葉に二言はない?」
(タマキン臭いのはイヤじゃないのかよ)
 とは思った吉田だが、リリィディアの真剣な表情の前ではツッコみにくい。
「もちろんだ。子どもたちを救い出すためなら、喜んで悪魔にでもなろう」
「ふーん、ご立派。そしてその悪魔になった自分を、子どもたちに見せられるんだ?」
「どういう意味だ?」
「子どもたちをカードから出しました、ヨシダが私の配下にくわわりました。そして」
「そして?」
 リリィがカッと目を見開いて、不気味に口角を上げる。それはまるで、全知全能の『神』のようでもあり……世界の終焉を告げる、最後の審判がくだされる予兆のごとく。
「私の配下として、子どもたちと末永く暮せばいいよ。でもこの世界は、私が滅ぼすと言ったら?」
「⁉」
「もちろん、私の配下としてヨシダには手伝ってもらう。人類を、ヨシダと七人の子どもたち以外を滅ぼす手伝いをね」
「……」
 吉田は、今になってとんでもない約束をしたのだと思い知った。だが青い表情で二の句が告げないでいる吉田に、なおもリリィディアが畳みかける。
「子どもたちの目の前で、ヨシダには人類を滅する手伝いをしてもらう。もちろん、約束したんだから大丈夫だよね?」
「いや、それは……」
 子どもたちの目の前で、人類の敵としての姿を見せる。それは吉田にはなにものにも耐え難い苦痛であると同時に、子どもたちをも絶望させるだろう。
「約束、守れないなら私も約束を守らない」
「え?」
「七人の『式』と、末永くお幸せに?」
「いや、待ってくれ。ちょっと待っ」
「待たない」
 ひどく困憊する吉田に、リリィディアはにべもない。
(畜生、たしかに約束したのは俺だ。どうすれば……どうすればいい⁉)
 だがそんな吉田をよそに、リリィディアは七枚のカードを扇状に広げるとチュッとキスをして振り向きもせずに自身の背後にばらまく。
 リリィディアの後ろで顕現する、ハル・ドール・マーメイ・フェン・ボーン・ヨルン・ラックの七人。誰もがこわばった表情だが、ドールだけは『砲撃』をリリィディアにくらわすべく口をカパッと開ける。
「よせっ、ドール‼」
 だが吉田が止める間もなく、リリィディアは後ろも振り向かずに裏拳をドールの口に炸裂させた。距離は全然足りないので直接の打撃ではなかったが、その衝撃波でドールが向こうの壁まで吹っ飛んだ。
 ガッチャンとなにかが壊れる音がして、倒れたドールが白煙をあげる。リリィディアはチラと後ろを見ながら、
「あなたたちは、大人しくしててね?」
 そう言って吉田に振り向き直し、
「で、どうするの? 諦める? もちろんヨシダが主として七枚の『式』と末永く暮らしたいなら反対はしないし、その決断は尊重するわ」
「う……」
「でも子どもたちを戻してやりたいというのなら、今後は私の手足として働いてもらう」
 ドールを除く六人は、その場を動けず青い顔で硬直していた。
「そういやヨシダ、私を倒すためにクロスに喚ばれたんだっけね。だったら、『私と戦って倒す』というのも第三の選択肢になるわ」
(いや、無理だろ……)
 その圧倒的な力量差を考えると、まだ一匹の蟻が巨象を倒す可能性のほうが高いのだ。
「もちろん、私を倒すことができても……イコール子どもたちが助かるということになるかどうかは知らないけれど」
「……その前に、お願いがある」
「ん?」
「ドールの、看病をさせてくれないか」
 リリィディアの背後の壁際で、ドールは白煙を立てて倒れたままピクリとも動かない。
「どうぞ」
 リリィディアは気のなさそうにそう言うと、ツンとすましてティーカップに口をつけた――。



☆今回登場するリリィは、『魔皇リリィディアと塔の賢者たち』(連載中)の最終話以降のリリィです。
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