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第十二話・人を見たら盗人と思えってか⁉

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「あん? 誰だおっさん」
「失礼、私は吉田と申す者。デュラ師マスター・デュラで間違いないだろうか?」
「……まぁそうだけど」
 ここはメラク王国はハンターギルド……に併設されているレストラン。レストランといっても客層がハンターばかりなので、どうしても雰囲気は酒場である。
 そしていま吉田の目の前でジョッキでロックをあおっているのは、どう見ても十代半ばほどの……少女だ。イチョウの葉を逆さにしたような末広がりの金髪ショート、勝ち気そうな赤い瞳の目元。
 唇からは、二本の牙が見え隠れしている。そして何より、その背中には大きな蝙蝠の羽の少女。
 身長は一六五センチほどだろうか、前世の常識で見ると酒場の雰囲気には不相応なお客様である。だがこのメラクのハンターギルドでは彼女がそこにいるのは普通のことらしく、周囲もそれを受け入れている。
『デュラに会うなら、天璇の塔よりも先にハンターギルドへ行ったほうがいいかも。いつもそこで呑んだくれてるから』
 というソラからの助言をもらい、そして案の定だったというわけである。
 外見に関しては教えてもらっていたが、なにより『蝙蝠の羽』を持った少女だ。吉田がこの世界にきて鳥獣人は何度か見かけたが、蝙蝠獣人――いや、吸血鬼は見たことがなかったのですぐにわかった。
「あぁ、俺にも酒を一杯」
 吉田は通りすがったウエイトレスに注文をして、デュラの前に座る。
「ターニー師からの紹介状になる、目を通してみてくれないか」
「ったく、人がいい気分で呑んでるっていうのに」
「すまん」
 すでに空になった瓶も数本がテーブルの上にあって、デュラが相当呑んでいることは間違いなかった。だが少し頬が紅潮はしているものの、さほど酔っている様子ではない。
「酒が強いんだな」
「ま、数少ない自慢さ。でもおかげで、燃費が悪い」
 デュラはそう言って、人差し指と親指をつけてお金のジェスチャーをしてみせる。
「はは、間違いない。なんだったら、ここは奢るぜ?」
「別にいいよ、私はこの国ではどこもキャッシュレスなんだ」
 メラク王国は天璇の塔、そこを守る吸血鬼の賢者・デュラ。一騎当千どころか一国の軍隊にも匹敵する彼女の存在は、他国を牽制する重要なシンボルマークであった。
 隣に帝国の首都ともいえるドゥーベ市国があり、その帝都を攻めるにはどうしてもメラクを落とさないといけない。だがメラクにデュラ有りと知れ渡っているおかげで、帝国全体で一目置かれる存在なのだ。
 その齢、実に三千歳を超すのだが見た目はどうしても十代半ばの女の子なので吉田もついつい気さくに話しかけてしまう。
「ふむ、異世界ね……ティア姉みたいなことになってんだな。ん? クロス様が……ふーん」
 ターニーからの紹介状を読み終えて、デュラがそれを吉田に戻してきた。
「悪いが私は、そういう魔法はからっきしだ。使えるのは、ただひたすら敵をぶちのめす用途だけだな」
「そうか……」
「ま、悪いけど次をあたってくれ」
「次というと」
「ドゥーベ市国、つまり帝都にある天枢の塔だ。クラリスならなんとかしてくれるかもな」
 もう吉田に興味を失ったかのように、デュラはやる気なさそうに応じる。
クラリス師マスター・クラリスか、デュラ師は親しいのか?」
「デュラでいい。まぁ親しいてか姉がわり、師匠がわりみたいなもんかな……でもいくら紹介状があるとはいっても、クラリスに会うのは難しいぜ?」
「覚悟はできている。どんな試練があろうとも、ぜひとも会ってもらわなきゃいかん」
「試練つーか……そっち方面の難しさじゃねぇよ」
 デュラは空になったジョッキを置いて口を拭うと、
「クラリス・カリスト。この帝国の女帝、皇帝陛下だぜ?」
「……なんだって?」
「このポラリス大陸、カリスト帝国で一番のお偉いさんだ。紹介状を持ってるからって、すぐに会えるなんて難しいだろうよ」
「マジかよ」
 吉田は絶望した。
「まず紹介状を渡せてもだ、何ヶ月待たされるか。まぁターニーの紹介状だから大丈夫だとは思うが……城に入れてもらえたところで、全裸にひん剥かれて身体検査が待ってる。身体中の穴という穴を調べられる」
「まぁ相手が皇帝じゃな……」
「衛兵に囲まれてケツの穴を広げられちゃうんだぜ? ヨシダとかいったか、あんたにそれが耐えられるか?」
 からかうようにデュラが絡んできたが、
「大丈夫だ。人にケツを見せるのは慣れている」
 この言い方である。さすがにデュラも怪訝そうな表情で、
「おっさん、そういう……」
「違う! そうじゃなくて――」
 そして紹介状には記されていないであろう事情もろもろを、吉田はデュラに説明してみた。
「なんだ、その執拗なまでのお尻への執着は!」
「俺が知るかよ‼ クロスに言ってくれ、クロスに」
「ふーん?」
 ニヤニヤ笑いながら、それでもデュラは運ばれてきたお酒に口をつけて。
「いいだろう、私からの紹介状も書こう。なにより『式』のカードを持って、皇帝に謁見なんて絶対ムリだからな」
「どういう意味だ?」
「召喚士が持つ『式』のカードなんて、武器扱いだよ」
「な、なるほど」
 確かに、ドール以外は全員なんらかの戦闘に特化している……と思って、
(いや、ドールが一番やばいんだった)
 と気づく吉田である。
「まぁ今夜は私はもうちょっと呑んでくからさ、明日の午後にでもうちの塔に取りにきてや」
「ありがとう、恩に着る」
 そして吉田も少しつきあい、一足先にギルドを出る。途中で酔っぱらいとぶつかってしまい、自信も少し呑みすぎたと反省してその日は早く寝ることにした。
「ここんとこ、毎日呼び出してるからな。今日は休ませておいてやるか」
 そう思って、その晩はハウスの中で一人で過ごす。この判断が明朝に吉田を大変慌てさせるのだが、いまはまだ知る由もなく。
 そして明朝、吉田は顔面蒼白になっていた。
「ない! ないっ! カードがどこにもないっ‼」
 ハウス内の、心当たりがあるところは全部探した。それでも見つからず、冷蔵庫の中やらカーペットの下など『そこにあるわけ無いだろ』と思うところも探すが見つからない。
 普段は滅多に手をつけない場所も探してしまうのは、物を失くして慌てているあるあるである。
(まさか、落としたのか……⁉)
 昨夜、誰かを呼び出そうとしていればカードを紛失したという事態に気づけただろう。だが後悔しても後の祭りだ。
「どこだ、どこまでカードがあった?」
 少なくとも、昨晩デュラと邂逅してから先はカードを見ていない。朝にドールの紅茶を馳走になったから、紛失したのはそれ以降の話になる。
 とりあえずはハンターギルドに寄り、紛失物がないかどうかを問い合わせる。
「はぁ……召喚士ですよね、ヨシダ。それが『式』が入っているカードを紛失した、と?」
 ギルドの受付嬢は白い目だ。当然だろう、剣を紛失した剣士のようなものだ。
「届いてませんし、なによりそんな貴重品……拾ってもわざわざ届ける人なんていませんよ」
 ここは日本じゃないのだ、これ幸いとばかりに懐に入れるのがむしろ常識的といえた。
 たとえばダンジョンで遺体を見つけても、武器や防具が金になるようなら平気で剥ぎとってくる治安レベルである。そしてまた、その場合は犯罪に問われないのだ。
 もちろんヨシダのカードはそのケースに該当しないから、ネコババはもちろん犯罪行為ではある。だがそれを犯罪と認識している文明レベルにある人間は、そもそもハンター業なぞやってはいない。
 ヨシダの所持する逆刃の妖刀『不殺』ですら、そこらへんに立てかけて便所に行ったら簡単に盗まれてしまうだろう。チンピラと勇者は紙一重なのだ。
「くっそ……っ‼」
 慌ててヨシダはハンターギルドを飛び出し、昨日通った道をたどる。初めて足を踏み入れた街であるから、その作業は困難を極めた。
「この道、通ったかな。いや、あっちだったか?」
 だがハンターギルドを一歩外に出れば、そこは市街地。親切な住民もいるので、吉田の聞き取りには快く応じてくれる民が多い。
 それでも、もと来た道を思い出せるぐらいが関の山だ。貴重品を拾って届けてくれるような人は、聖人をとおりこして変人扱いされるほどである。
「……なんてこった」
 このどうしようもない自己嫌悪で、吉田の目には涙があふれる。よりによって『子どもたちを落として失くした』のだ。
 いい歳したおっさんが、脱力して座り込んで泣いている。それは異様な光景だったが捨てる神あれば拾う神あり、心配そうにエルフの若い女性が声をかけてきた。
「もし、どうなさいました?」
「大事なものを落としてしまって……見つからなくて、途方に暮れているところです」
「まぁ、それは……ご愁傷さまです」
 そのエルフの女性の返答は、『見つからないから諦めろ』と言っているに等しかった。お金になるものを拾ったら、換金してふところへというのは常態化している。
「財布ですか? それともギルドカード……」
「カードはカードなんですが、……いや、なんでもないです」
 さすがに吉田も警戒する。親切で声をかけてくれたのだとは理解したいけれども、召喚士が『式』のカードを紛失したなんて情報もまた金になるのだ。
「さぞやお困りでしょう、ハンターギルドに依頼をかけてみてはいかがでしょうか?」
「……ハンターギルドに?」
 吉田は首をかしげた。
 魔獣にカードを奪われたわけじゃない、ただ落とし物をしただけなのだ。なぜそこにハンターギルドが出てくるのかと。
「ハンターと言っても、戦闘力を持たない者……いわゆるFランクノービスの方向けに、雑事の依頼もできるんです。小型魔獣しか出てこないエリアでの薬草採取や、下水道掃除など」
「だが俺は、ただ単に物を落としただけなんだ」
「もちろん、落とした場所によっては一般人では危険な場所の可能性もありますから依頼は出せますよ?」
「……ありがとう、行ってみるよ」
 よくよく考えてみれば、『式』を呼び出せるのは吉田だけだ。前にドールが単独でやってはいたが、そのドールもカードの中なのである。
(一番の懸念事項は、破り捨てられた場合だな……)
 その場合はどうなるのか、吉田はゾッと背筋が凍る思いがした。破ったり焼いたりしたらカードはどうなるのか、ふたたび『式』を呼び出せるのかどうか。
 そしてハンターギルドに戻ってきた吉田、一人の酔客が見覚えのあるカードを扇状に広げて酒盛りをしているのを目にする。
(あれは……『式』のカード⁉)
「おいっ!」
 とっさに駆け寄り、そのハンターらしき男の手首をつかむ。
「間違いない、俺のだ!」
 だがその男は、強引に吉田の手を振り払った。
「なんだおっさん! 喧嘩売ってるのか⁉」
(こいつは昨夜ぶつかってきた……まさか、スリか?)
 見覚えのある顔だった。いま思えば、ぶつかってきたのもわざとらしく感じる。
「そのカードは俺のもんだ、返してもらおうか」
 殺気を丸出しにして、吉田は右手を差し出す。
「なんだてめぇ、これは俺のだ!」
「……見てわかるように、それは『式』のカードだ。お前のもんだと言うならば、召喚してみせろ」
 その男は一瞬ひるんだが、
「こ、これは仲間の召喚士からあずかったもんだ。お前のもんじゃねぇよ⁉」
「ほぅ? さっき貴様は『俺のもん』て言わなかったか?」
 そう言いながら吉田は、コートの内ポケットから逆刃の妖刀『不殺』を取り出す。
「てめぇ、やる気か!」
「いや? カードを返してくれたら、」
 そこまで言って一拍おき、
「殺すのだけは勘弁してやるよ、チンピラが」
「ふざけるな! おいお前ら、やっちまえ‼」
 同じ卓をかこんでいたのは仲間だったのだろう、六人ほどが吉田を取り囲む。
「悪いが俺は、機嫌が悪い」
 そう言って吉田は、『不殺』を抜いて刃の向きを返した。それは本来、峰打ちとなる逆刃……だが吉田のそれは、磨き上げられた刃の部分になる。
(さすがに殺すのはまずいか……)
 とりあえずはカードを取り戻すことが先決だ、吉田は刀を構える。ミザールの町道場で、玉衝の塔でイチマルに剣術の手ほどきを受けた。
 その習った剣術を試す、絶好の機会である。吉田は全神経を研ぎ荒ませた。
「死ねぇっ‼」
 いっせいに六人がかりで吉田に襲いかかる。それぞれが手にするのは剣だったり斧だったりと、殺傷能力は十分な武具だ。
 だが吉田の持つその妖刀は、剣や斧の区別なくそれらを真っ二つに両断した。ターニーの鍛えた剣は、鉄や岩はもちろん地をも引き裂く業物である。
「ひぃっ!」
「う、嘘だろ‼」
「バ、バケモノだぁ~っ!」
 男たちが、いっせいに敗走し始めた。だがカードを持っていた男だけは虚をつかれたというか、逃げるタイミングを失してしまう。
「さぁ、返してもらおうか」
 凄みと殺気を効かせながら、剣の切っ先を突きつけて吉田は歩み寄っていった。だが、
「まっ、待て近寄るな‼ このカードがどうなってもいいのか⁉」
 そう言って男がカードを破る素振りを見せたものだから、吉田の足が止まる。それを見て、まだ自分に分があると思ったのだろう。
「よーし、いい子だ。どうしても返してほしければ、そこに両手両ひざを付けて土下座をしろ!」
「なんだとっ⁉」
「おっと? このカードがどうなってもいいのか? どうしても返してほしくば、ちゃーんと剣をしまって額を床につけて懇願しろよ!」
 恐怖で顔を引きつらせながらも、男は自分が優位であるという態度を崩さない。だが吉田が土下座に応じたら、その後頭部はむき出しになってしまう。
 そこを攻撃されれば吉田とてひとたまりもないし、男がカードを返してくれる保証もない。だが強引に取り戻そうとすれば、その前に男がカードを破り捨ててしまう。
「クッ……」
 吉田は剣を鞘に戻し、ポケットを通じてコンテナーギルドへ収納する。そして、両ひざをついて――。
「本当に返してくれるのだろうな?」
「へっ、へへっ……そりゃおっさん次第だぜ」
「……」
 吉田は観念したように、両手も床につける。そして、
「お願いだ、返してくれ」
 なんとかそう声を絞りだしながら、額も床につけた。だが形勢逆転と見たその男はますます調子に乗って――。
「なんだぁ? よっく聴こえねぇなぁ?」
 下衆びた嗤いを浮かべ、その厚底のブーツで吉田の後頭部を思いっきり踏みつけた。
「ぐあっ⁉」
 ハンター用に金属板がはめ込んであるそれは、力のあるハンターならば岩すら砕くことができる。幸いにしてそいつはただのチンピラではあったものの、吉田の脳は激しくゆさぶられた。
(くっそ……返してくれ、お願いだ)
 だが男の足は、吉田の後頭部から離される。そしてそのまま、吉田にはなんの追撃もしかけてこなかった。
「?」
 後頭部が痛むのを我慢して顔を上げた吉田が見たもの、それは――。
「うぐっ……うぐっ……うぐっ……⁉」
 男の首筋に、一人の金髪少女が噛み付いている。その首元からは、赤い二本の血が垂れて流れていた。
「デュラ殿⁉」
 真祖の吸血鬼トゥルー・ヴァンパイア――現存する吸血種の蝙蝠獣人ではなく、太古の昔からその血脈を受け継ぐ本当の意味での吸血鬼……それがデュラの種族だ。
 そのデュラが、無表情で男の首から血液を貪っていた。男の顔から血色が消え、まるで死体のように青くなる。
「ふん、不味い血だ」
 そう言ってようやく、デュラは男を開放する。デュラとは身長差があるが、その怪力で無理やり上半身を仰け反らせる形になっていた。
 なのでそれを開放したものだから、男の身体は後ろ向きにバターンと倒れる。そしてその手元からカードを奪うと、軽く破るようにしてその強度を確認。
「こりゃぁ人間の力で破れるもんじゃねぇな」
 そう言って笑い、
「ほれ、ヨシダ。もう盗られるんじゃねーぞ?」
 土下座したままの吉田の右手に、それを握らせる。
「デュラ殿……かたじけない! ありがとう、本当にありがとう‼」
「おいおい、私にまで『それ』をやったら……しょうがないな」
 この世界の常識で、後頭部への制裁は謝罪を受け入れた証になる。当然、デュラとしても許すならばなんかしなくちゃいけないわけで。
「ほいっ!」
 と軽く吉田の後頭部にパンチを振り下ろす。本当にデュラとしては軽くのつもりだったが、そこはその怪力では大陸一といってもいいデュラだ。
『ドゴォッ‼』
 派手な音がして、床板が破れる。そして哀れ吉田の顔は、床にめり込んで完全に見えなくなってしまった。
 はた目では、床の穴に首を突っ込んで下を覗き込んでいるようなポーズだ。
「……悪い、手加減したつもりだったんだが」
 だが吉田にとって、それは子どもたちが入ったカードを失くした罰にはちょうどいいかもしれなかった。


「ほんっとーにすまなかった‼」
 ここは天璇の塔、賢者七人衆が一人・デュラが住まう。そこに招待された吉田、『式』の全員を呼び出して土下座の平謝りである。
「いやまぁ、主。私らは無事だったんだからさ?」
 弱ったようにハルがとりなす。
「アルジ、ワルクナイ、デス!」
 人形なのでわかりづらいがドールが必死でフォローを入れれば、
「そうだよ、主! 悪いのはその男でしょ⁉」
 マーメイがそれに続く。
『ボク、怒ってないよ‼』
 とフェンが念話を飛ばしてきて、
「だから主、頭を下げるのはもうやめてよ!」
 ボーンは、すっかりキャラを忘れてしまっていた。
「むしろその男、ぶっ殺そう!」
 とヨルンが憤るものの、
「主の罪は私の罪、どうか私をぶってください!」
 ラックは平常運転でぶれない。
「まぁみんなこう言ってんだしさ、ヨシダも頭を上げろよ」
 困ったように笑って、デュラが無理やり吉田の半身を起こした。
「うっく……ぐすっ……でも、でもよぉ……」
 吉田は、すっかり泣きべそをかいていた。大の中年男が、まるで幼子のように泣きじゃくる。
 その様子を見て、ハルとマーメイがもらい泣きだ。ドールは人形だからその表情は読めないが、フェンとヨルンの男の子コンビはやるせない表情を浮かべる。
「ふふふ、主に涙は似合いませぬぞ?」
 ここにきて、ようやくボーンが自身のキャラを思い出した。
「主を泣かせた罪、どうか私に鞭打ちの刑を……」
 もちろん、このセリフはラックだ。というか、なぜラックが罰せられないとけないのか。
「まぁヨシダもこれに懲りたらさ? カードは通常のポケットじゃなくコンテナーギルドのほうへ収めといたほうがいいな」
「あぁ、そうするよ……」
 すっかり心身が疲労してヘロヘロの吉田だ。もちろん、デュラからくらった後頭部へのそれが一番の大打撃だったりはするけれども。
 その後頭部には、でっかいたんこぶが腫れ上がっている。
「そういやぁ、『式』のカードってさ」
「え?」
「ちょっと白紙になったそれ、貸してくれよ」
 なにかに思い当たったような表情でそう切り出すデュラに、
「あぁ」
 わけがわからないまま、吉田は白紙のカード七枚を手渡した。受け取ったデュラはそのままツカツカと窓際に歩み寄ると、それらをいっせいに窓の外へ放り出す。
「え⁉」
 塔の上空は強い風が吹く。あっというまにそれらは四方八方、風に乗って散っていった。
「ちょっ、デュラ殿⁉」
「ヨシダ、カードを戻るように念じてみろ」
「へっ?」
「いいからさ、騙されたと思って」
 吉田としては、いきなりカードを塔の上空から投げ捨てられたのだ。困惑しきりではあったが、とりあえず……。
(カードよ、戻れ‼)
 すると、吉田には見えなかったが空中を舞うカードが一枚そして一枚と姿を消す。そして、
『カッ‼』✕七
 それが次々と、吉田の――尻の割れ目に戻ってきた。
「ウッヒョ~オゥ⁉』
 そのとてつもない違和感で、吉田はヘンな嬌声をあげてしまう。七枚のカードが一枚ずつ、吉田の尻の割れ目にたちどころに戻ってきたのだ。
 肛門を強く刺激するその感覚に、吉田はお尻を押さえて悶絶している。
「し、尻が……八つに割れてしまった」
「わりぃ、わりぃ。『そうなる』んだったな」
 デュラはもはや泣き笑いである。
「まぁそういうわけでさ、『式』のカードは術者とは切っても切れない縁があるんだ。遠隔地に置いてきても呼び戻せるぜ?」
「……初耳なんだが」
「まぁ知ってる奴は知ってる常識だ、クロス様とて説明の必要がないと思ったんだろうよ」
「なるほどな。もっと早く知りたかったよ……」
 そして吉田は尻にはさまった白紙のカードを取り出すべくベルトに手をかけるが、
「あ、すまないが後ろを向いててくれないか」
「私は平気だぜ?」
「俺が気まずい」
「さよか」
 呆れたような表情で、デュラが後ろを向く。そしてほどなく聴こえてきたのは、
「うわ、おいっ! よせ、やめろっ⁉」
 という吉田の声。
「ヨシダ、どうした⁉」
 慌てて振り向いたデュラが目にしたもの。それはラックが、器用に吉田のズボンとパンツをずり下げている光景。
 尻の割れ目に七枚のカードをはさみ、女児(?)五人と男児(?)二人の前で吉田の象さんヨシダがぶーらぶら。それを至近距離で目の当たりにしたラックが、恍惚の表情を浮かべてさらにひざまで下げていく。
「キャッ⁉」
 とか言いつつ両手で顔を覆うハルだが、指の隙間をがっつり開けてそれを凝視。ドールは真っ赤になっているが、その二人の反応の意味がわからないとばかりにキョトンとしているのはマーメイだ。
 もとよりマーメイはブラ以外は全裸なわけで、そこらへんの感覚が違うのだろう。男児というのもあるが、フェンとヨルンも似たような反応で。
「ふふふ、主の主はご立派ですな」
 そんなことを言いながらも、ボーンは頬を染めている。
「みっ、見るなぁ~っ‼」
 思いっきり赤面して、吉田はしゃがみこんだ。
「ラック、てめぇ! というか、みんな後ろ向いてろ!」
 後ろ向いてろと指示を出しながら、なぜか自分が後ろを向く吉田。パンツとズボンを上げようと手をかけたところで、今度はお尻を向けられたラックの目がキラーンと光る。
「主、カードを抜いてさしあげます♡」
 そう言うが早いが、吉田の尻の割れ目にはさまっている七枚のカードを思いっきり引き抜いた。
「わりょーっ⁉」
 不意打ちと死角だったのも会って、吉田は奇声をあげてのけぞる。七枚重ねのカードが、強く吉田の菊の花を刺激したのだ。
 デュラは、もう床に転げ回って泣きながら大爆笑である。ほうほうの体でようやくズボンを上げてベルトを締めた吉田、
「このド変態がーっ‼」
 吉田の鉄拳がラックのあごにアッパーをくらわせるが、
「ああああっ♡」
 なぜか嬉しそうな表情でラックがすっ飛んでいく。もしラックの中の人が女児ならば、ドールがノエルとしてリッサかユーリアもしくはキャロルである。
 まだ年端もいかない少女を鉄拳で殴ることなぞ普段の吉田ならば抵抗があったが、そんなことを考える気持ちの余裕はなかった。
「まったく、ひどい目にあったぜ……」
 ぜぇぜぇと肩で荒い息をしながら、吉田はようやく人心地がついた。
「いやぁ、笑わせてもらったよ!」
 まだ笑い足りないとばかりに、デュラが笑い涙を拭いながら立ち上がる。
「なかなか楽しい眷属を連れているな」
「楽しそうだったか⁉」
 合点の行かない吉田だ。ふっとばされたラックは、幸せそうにピクピクと痙攣しながらひっくり返っている。
「まぁなにはともあれ、カードを遠隔地から呼び出せるのを知れたのは収穫だった」
「うん、そうだな? ヘンなところに戻ってきちゃうがな⁉」
 そう言ってデュラは、再び笑い転げた。
「ったく、冗談じゃないぜ」
 そうボヤきながらも、吉田は苦笑いである。
「それよりデュラ殿、ゆっくりもしてられん。皇帝陛下への紹介状を書いてもらえるか」
「あいよ!」
 デュラが紹介状を書いている間、吉田はタバコをとりだして一服。少し離れた場所で、
「ようやく、主に殴ってもらえたね!」
 とハルが声をかけていて、
「うん、嬉しい‼」
 とラックが喜色満面だ。
「念ずれば叶うともうしますからな、ふふふ」
 ボーンがそう言って、ほくそ笑む。
「ねね、そんなに裸って恥ずかしいもの?」
 不思議そうにマーメイがそう問うのに対し、
「アルジガ、イヤガルノ、ダメデス」
 ドールが釘を刺すのを忘れない。フェンとヨルンの男の子組は会話にくわわれず、若干の居心地の悪さを見せている。
(あれもガールズトークになるのか?)
 不思議そうに吉田がその光景に首をかしげ、
「男の子がかやの外になるのは、いつの世も同じだな」
 なんてヘンなところで同情したり。
「はいよ、できたぜヨシダ」
「かたじけない」
 デュラからのそれを受け取り、丁寧にコンテナーギルドへ繋がる内ポケットにしまう。
「デュラ殿、つかぬことをうかがうが」
「なんだい?」
「リリィディアのことだ」
「……」
 スッとデュラが、警戒心を浮かべる表情に切り替わった。
「ソラ殿から、まぁ……ひとりごとという体ではあるが聞いている。もしそうなら、七人が一つになったその存在というのは――」
 そこまで言いかけて、吉田はデュラから殺気を飛ばされていることに気づいた。
「悪いがヨシダ、そのことは話したくない。ソラがどこまで言ったのか知らんがな」
「……すまない、不躾に踏み込んでしまったようだ」
 吉田としては、おそらくだがこの七人は魔皇リリィディアと同一の存在なのだろうと察しをつけている。
(そして多分、七人が一つになるのだろう)
 だがその一人となったリリィディアは、仮にも『魔皇』なのだ。これまで吉田が会ってきた賢者たち、そしてこれから会う皇帝陛下に吉田と邂逅した記憶がなかったら?
 問答無用で自身が屠られたらたまったものではない。ましてや自分がこの世界に転生してきたのは、リリィディアを討てというクロスからの交換条件なのだ。
(いやいや考えまい、ソラ殿が約束してくれたではないか……真っ先に会いにきて、子どもたちを救ってくれると)
 いまはただ、それだけを信じよう。吉田は祈りにも似たその希望を胸に、わいわいきゃっきゃっとはしゃぐ子どもたちを見やる。
(絶対に、カードから出してやるからな)
 次の目的地は旅の最終地点、ドゥーベ市国は天枢の塔。女帝・クラリスが、そこで吉田を待っている――。
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