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第十一話・八人いる!

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「主! これ見てください‼」
「うるせぇ、死ね!」
 隣国フェクダへ向かう道中、途中で野営すべくハウスを出してその屋内で。いま吉田の目の前には、裸の上半身を亀甲縛りされたラックが頬を赤く染めている。
「私の自信作です‼」
 自身が紡ぎ出した蜘蛛の糸を使い、ラックがセルフ亀甲縛りをドヤ顔で見せつけてくるのだ。吉田としてはラックと親交を深めたかっただけなのに、どうしてこんなことになったのか。
「とりあえず、おっぱいは隠してくれ……」
「それは命令ですか?」
「もちろんだ」
「はーい……」
 残念そうな顔で、無数の蜘蛛の糸を自身の胸部にまとわせるラック。
「これでどうでしょうか」
「いや、その亀甲縛りも解けよ」
「わかりました」
 だがラックは、亀甲縛りの上から蜘蛛の糸を使ったチューブトップを着用しているのである。当然ながら、縄(?)は肌に直接縛り付けているものだから再度ラックの胸部があらわになった。
「縄の痕が残っちまったじゃねーか。女の子なんだから、そういうのは大事にしろよ」
 胸を見すぎないように斜め方向に視線をそらしつつ、吉田は苦言を呈する。
「いやぁ、主。『もとの身体に戻れない』という不可逆のロマンを知りませんね?」
「知りたくねーよ、変態!」
「あぁっ、もっとなじってください‼」
 一事が万事この調子で、吉田はもうヘロヘロだった。
「まぁ時間が経てば、というかカードに戻ると痕は消えるんですけどね」
「あ、そうなのか?」
「はい、残念です」
「……お前ラックの頭がな」
「ひどぉ~い! いや、ひどくないのかな⁉」
 ドM脳のラック、ちょっと混乱しているようだ。
「まぁいい。これはみんなに訊いていることだが」
「はい」
「人間だったときの記憶はあるか?」
「私が人間……ですか?」
「あぁ」
「いや、私はアラクネーのラックですが……」
 先ほどまでのノリはどこへやら、本気でラックは困惑している。
「うーん、ラックもか。わかんねーな」
(これで女性形態が五人……やっぱ人間だったときの性別は関係ないのか?)
 もう諦め顔の吉田が、力なくつぶやく。
「ノエル、って知ってるか? 知らないよな」
 だがラックは、吉田を驚愕させる返事をよこしたのだ。
「えっと、確かドールがそう呼ばれてたような?」
「……へっ?」
「なんか、そんな記憶あるんですよ。うっすらとなんですけどね」
「ドールがノエル……その記憶、確かか?」
「いや、だから自信はないんです! もう本当にうっすらというか」
 だが吉田は、感激の面持ちだ。ラックまでの五人は、人間だったときの記憶を微塵も引き継いでいなかった。
 しかし、初めてラックがその片鱗を見せたのだ。そして確定ではないだろうが、ドールの中にいるのはノエルなんだろうという確信にも似た推論。
「ラック、でかした! やはりお前は幸運の星だ‼」
 興奮のあまり、吉田はラックに抱きついた。
「ふぇっ⁉」
 自身の裸身に抱きつかれたラックは、不意をつかれて顔が……いや、全身が真っ赤に染まってしまう。
「あのっ、主⁉」
「あ、すまん!」
 下半身が蜘蛛といえど、その上半身は十分に成熟しているとはいえ少女のものだ。吉田は申し訳無さそうに、抱きしめていたラックを押し戻した。
「あ、あの主。本当にすまないと思うのなら……」
「なんだ?」
「ぶ、ぶってください‼」
「……」
「頬でもいいですけど、なんならオッパイでも乳首でも‼」
 吉田は無表情かつ無言で、ラックの左乳首を中指を使って渾身の力で弾く。
「いぎぃっ♡」
 激痛で思わず左乳房を両手で押さえながら咽頭を見せてのけぞるラックに、
「失せろ、変態」
 冷たくそう言い放ち、ラックをカードに戻した。そして続けざまに、ドールを呼び出す。
「ドール、つかぬことを訊くが『ノエル』って名前に心当たりはあるか?」
「ノエ……ル?」
 コテンと首をかしげ、ドールはさっぱりわけがわからないといった塩梅である。そのかしげた首の角度が、人間では絶対に不可能(人間なら首の骨が折れている)なのが、ドールがからくり人形であることを証明していた。
「いや、すまない。わからないならいいんだ」
「モ、モウシワケ……」
「謝らなくていい、本当に気にしないでくれ。それより、紅茶を淹れてくれるか?」
「カシコマリ、マシタ」
 吉田が以前にお願いしていたのもあり、茶葉から丁寧に手順を踏んで紅茶を淹れるドール。それを見つめながら、吉田は複雑な心境だった。
(すまんな、ノエル……絶対に人間に戻してやるから、待っていてくれ)
 強く握りしめた拳に、爪が手のひらの皮膚を食い破って血が滲む。
「……チノ、ニオイ?」
 トポトポとお湯を注いでいたドールの腕が止まる。
「アルジ、ドコカ、オケガヲ?」
 そう言いながら、振り向いて。そして吉田の手のひらから血液がひとすじ流れているのを視認すると、
「チリョウ、シマス!」
「いや、大丈夫だ。それより、」
 だがドールは強引に吉田の腕を取り……五分後、吉田の両腕はフランクフルトのようにマルッとしたギプスに包まれていた。
「……いや、ドール。外してくれないか?」
「ダメデス、チリョウチュウ、デス」
「いや、あの……」
 吉田からすれば、ただの切り傷だ。それよりも両手の自由を奪われてしまったのが、不便でしかたがない。
 だがそんな吉田をよそに、ドールは机上にある七枚のカードのうち二枚を手に取り――。
「アルジガ、タイヘン、デス」
 そう言いながら、吉田がやるように自らの唇にカードを触れてシュッと投げてみせる。すると、ハルとボーンがその姿を顕現させて。
「どうした、ドール?」
「ドール殿、いかがなされた」
「アルジガ、ケガヲ、シマシタ‼」
 ハルとボーンが、バッと吉田を振り向く。
「お、おいおい主! 大丈夫かよ? 骨折でもしたのか⁉」
「これはいけませんな、主。我々に、なんなりとご命じくだされ」
「……うん」
 吉田は、呆然としていた。
(ドールも『式』を呼び出せる、のか?)
 その晩は終始驚きが覚めず、食事はラックが手に持ったスプーンに口を運ぶ。一口ごとにメス豚だの卑しい奴隷だの罵倒してくれという、本人からのリクエストは無視した。
 お風呂は、全裸(といってもブラを取っただけ)のマーメイに背中を流してもらう。吉田も風俗ぐらいは行ったことあるが、さすがに年端もいかない少女に股間を洗ってもらうというのは凄まじい背徳感である。
 そして裸エプロンのドールに髪を洗ってもらったわけだが、さすがに人形相手に欲情はしない……つもりだったが、いったんノエルだと認識すると吉田の吉田が元気になりそうで。
(色即是空、空即是色……)
 吉田の名誉のために言っておくが、彼はロリコンではない。ベッドに入ってドールに布団をかけてもらい、
「デハ、オヤスミナサイ、アルジ」
「あぁ、お休み」
 そしてドールが部屋を出ていき目をつぶって――。
「いやいやいやっ⁉」
 そう叫びながら慌てて上半身をガバッと起こす。
「ドールが仲間を呼び出せる⁉ 女の子に手ずから飯を食わせてもらい、背中を流してもらって髪も……」
 やっと正気に返った吉田だ。よくよく見れば、足元でフェンが丸くなって寝ていた。
(……俺、フェンは呼び出していないんだが。ドールか?)
 慌てて両手のギプスを力ずくで外して、
「なんて日だ‼」
 そのうち吉田が呼び出さなくても勝手に出てきそうだなと想像して、今晩は眠れそうにもなかった。


 翌日、フェクダ王国の首都・ガンマの街で。吉田は、大きな建物の前に立っていた。
「ここがソラ商会か、でかいな」
 よほど栄えた街らしく、高層の建物が並ぶ。ただその中にあっても、ソラ商会の建物は前世でいうデパートぐらいの大きさがあるのだ。
 中に入り、受付のカウンターらしき場所へ。
「いらっしゃいませ、どのようなご用向きでしょうか?」
「私は吉田と申す者です。ここの会長、ソラ師マスター・ソラにお会いしたく参上つかまつった」?
 受付嬢……嬢だろうか? それはどう見ても、
(猫? ケットシーみたいだな)
 そう、パッと見は猫が制服を着て立っている。この世界で獣人は幾度となく見たが、いずれもケモミミがあったり尻尾があるぐらいで人間の形態を残していた。
 だが明らかに吉田の目の前にいるのは、二足で立ち両手で器用に事務機械を操作しながら言葉を話す白猫――。
「アポイントはおありですか? 本日、会長には面会のスケジュールがございませんが……」
 受付猫?が魔導機械のモニターらしきものを見ながら、困惑したように話す。
「もうしわけないが、飛び込みでやってきた。一応、紹介状はあるのだが」
 そう言って吉田は、ターニーから預かった紹介状を渡す。
「失礼します」
 どう見ても猫の手なのだが、その受付嬢は器用にそれをつかむと封の裏をチェック。
「ターニー師からの紹介ですね。会長にうかがってみますので、そちらでお待ちいただけますか?」
「わかりました」
 白猫の受付嬢に待てと言われた場所は、病院や役所の待合室のような場所。幸いにして喫煙用のスペースがあったので、まずは一服だ。
「異世界と言っても、日常に亜人がいるぐらいでそう変わらんな」
 馬車が走り剣と魔法があって、自身は『式』を操る召喚士だ。前世の地球とはかなり乖離しているのだが、それでもそう思ってしまうぐらいこの商会ビル内は高い文明度を感じさせた。
 しばらくして、受付カウンターに一人の女性が現れる。
 ほぼ黒といっていい、濃紺のローブはまるで物語で見かける魔女のようで。フード部分は後ろに落としていて、強めのウェーブがかかった漆黒の長い髪が、膝裏近くまで伸びている。
 身長は一七〇センチほどだが、その大人っぽい雰囲気と色気でそれ以上に見えた。まるでモデルのような雰囲気があるのだ。
 その受付嬢の白猫がなにごとかを話し、喫煙中の吉田を指さした。そして振り向いたのは、髪色と同じく艶のある黒瑪瑙オニキスを思わせる瞳。陽光や灯りを反射して瞳孔に天使の輪が映って見えるのがミステリアスだ。
(ソラ師か?)
 だが彼女たちはこちらを見やるだけで、近寄ってくる様子もない。
「あ、そうか!」
 不意に吉田は気づいた。自分がタバコを吸い終わるのを、待っているのだと。
(いけねっ!)
 慌ててタバコをもみ消し、小走りでカウンターへ向かう。
「すまない、ソラ師だろうか?」
「はい、ソラです。あなたがヨシダですね?」
「そうです、今日はよろしくお願いします」
「んっ」
 ソラは受付嬢に振り向くと、
「リトルスノウ、どっか開いてる部屋はある?」
「えっとそうですね……この時間ですと、どこも埋まっております」
 魔導機械を操作しながら、白猫――リトルスノウが困惑した表情を浮かべる。
「あと三十分したら一つ空きますが、いかがなさいますか?」
「あまりお待たせするのもねぇ……」
「いや、私は構いません」
「でもヨシダ、事情が事情だけにあなたとの話はどれだけの時間がかかるか予測がつかないので……そうね、うちの塔にいらっしゃい」
「えっと確か、天璣の塔でしたか」
「そっ。リトルスノウ、ちょっと私は塔に戻るわ」
「かしこまりました」
 そしてリトルスノウはカウンターの内部から、魔導機械をなにごとか操作する。すると、ソラを中心にして魔法陣が描かれていった。
「一緒にまいりましょう、ヨシダ。私の隣に立ってくださいな」
「は、はぁ」
 そして吉田が魔法陣の中に足を踏み入ると、
「では転移させます!」
 リトルスノウがそう言いながらボタンをポチッと押す。そして次の瞬間、吉田は見知らぬ部屋に立っていた。
 見知らぬ部屋ではあるが、窓の外は空。かなり高い場所にあるらしく、垣間見える街の遠景が豆粒のようで。そして見知らぬ部屋とはいえ、その真円に近い間取りはこれまでに吉田が訪ねて回った賢者たちのそれにもよく似ている。
「まずはそちらにおかけくださいな」
「ありがとう」
 そして対面にソラが座り、吉田は改めて事情を説明する。
「なるほど……私が、ううん『私たち』がなんとかできるとクロス様が?」
「はい。いかがでしょうか?」
「うーん……アルテ姉でもロード様でもできなかったのよね?」
「ですがソラ師は、同じように『式』のカードを作れるとか聞きました」
「まぁねぇ。一応これでも呪術師なんでね」
「呪術、ですか」
 前世ではなじみがない言葉だ。いやまったくないわけではないが、それは物語の中の話であって。
「カードを拝見しても?」
「あ、はい」
 吉田はカードを出して、ソラに手渡す。ソラはそれを一枚一枚、念入りにチェックしていく。
「これをリリィディアが、ね。確かに私が作るものと、構造は同じだわ」
「では⁉」
「でも、私の知らない古代魔法が使われてるのよ。これでも五千年生きてるんだけど、それよりも前の『失われた魔術ロストマギア』」
「ごっ、五千⁉」
 驚きを隠せない吉田だったが、
「アルテ姉が一万五千歳、ティア姉が一万歳だからね。これでも塔の賢者の中では、妹ポジションですよ?」
 そう言って、ソラはくすくすと笑う。
「あ、いや。それは失礼した……それで、ソラ師の見立ては?」
「そうね、結論から言うと『私たち』ならなんとかなるけど『私』は難しいかな……」
「それはどういう……まるであなたがた七人がリリ」
 途中まで言いかけた吉田の口に、ソラが身を乗り出して立てた人指し指を当ててそれ以上しゃべるのを制す。
「推測でものを言わないほうがいいわ、ヨシダ。長生き、したいでしょ?」
 えもしれぬ恐怖を感じて、吉田は青い顔でコクコクと無言でうなずいた。
「それで、『式』を呼び出すのは私のと同じ方法なのかしら?」
「俺の……あ、いや私がクロス様から教わったのは、」
「あまりかしこまらなくていいわ、ヨシダ。私のことも、ソラと」
「わかりま……わかった、ソラ殿。俺がクロス様から教わったのは、カードにキスをして投げろと」
「……なるほど」
 あごに手をあてて、ソラが複雑そうにうなずいた。
「念の為に訊くけど、ヨシダは魔法が使えないわよね?」
「はい」
「ふむ……確かにヨシダには魔力もないみたい。魔力がない人に魔力を消費することなく『式』を呼び出せるようにするなんて、さすがはリリィディアといったところか」
「あ、あのソラ殿?」
「もしよければヨシダ、どれか一枚『式』を呼び出してもらえるかしら?」
「承知した」
 そして吉田は、迷うことなくまだ呼び出したことのない最後の一枚を手に取る。そのカードには、巨大な蛇が描かれていた。
「もしかしたら、大蛇が出てくるかもしれない」
「それは困るわね、外に出ましょう」
 そして二人、塔外へ。といっても、ソラの転移魔法で瞬時であった。
「では、いきます」
「えぇ、いいわよ」
 そのカードにキスをして、吉田はシュッと投げた。カードから白煙が立ち上り、
「あっ、しまった‼」
「え?」
 またしても肝心なことを失念していた吉田である。白紙となったカードは、宙でスッと消える。
 そして例によって例のごとく、吉田のお尻の割れ目に戻ってきた。ズボンを履いているのでソラにはわからないが、逆にそれがモゾモゾして落ち着かないのは何度やっても慣れない。
「ヨシダ?」
「あ、いや……その肝心なことを言い忘れてたのだが――」
 事情を説明して、ソラに背を向けてもらう。ズボンのベルトを緩めてお尻から取り出し、それをポケットにしまう。
「お待たせした、もう大丈夫だ」
「うん……でもなんで、そんなヘンな仕様なんだろ?」
 少し半笑いで、ソラが振り返る。
「俺が訊きたい……って、それよりも‼」
 ソラと二人、その場に顕現した大蛇に向かって振り返る。その長さは実に十メートルはあり、もしあのまま塔の中で召喚したら大変なことになっていただろう。
 割れた舌スプリットタンをチロチロと出し入れする様は、どこからどう見てもただの大蛇だ。吉田としては半裸の少女がまた出てきたらどうしようと思っていたが、これはこれで反応に困る。
「……お前は?」
 勇気を出して、吉田は大蛇に話しかけた。
「私はヨルムンガンド、主の忠実な眷属でございます」
 どうやって発声しているのかわからないが、まるで人間と話しているようにスムーズな言葉が大蛇から発せられた。
(ヨルムンガンド……確か北欧神話に出てくる、毒蛇の幻獣だよな)
「名前……は、まだないよな?」
「はい」
「お前にも性別とかあったりするか?」
 蛇にはオス・メスはもちろんあるのだが、吉田は別の意味で気になっていた。これまでメスの個体が五人、オスが一人。
 すでにあの子どもたちとの構成が合わないのだが、この大蛇もメスだったらますますわけがわからないからだ。
「私はオスでございます、主」
「そ、そうか。オスか!」
 オスだったとして、だからなにというわけでもないが吉田は一安心する。
「もう一つ訊ねるが、人間だったときの記憶はあるか?」
「……もうしわけございませぬ」
「あ、いや。気にしなくていい! そうだな、名前をつけてやらないと」
 そしてしばし考え込む吉田だが、なぜか大蛇とソラが楽しそうに会話をかわしているのが目に入った。
「へぇ、あなたは解毒もできるんだ」
「はい。自身の牙から出る毒以外も解毒が可能でございます。また、毒は薬にもなるといいます。回復薬を体内で精製することも……」
「やるわね! 前衛と後衛のどちらもできる万能型じゃない」
(肝の座った女性だ……)
 吉田は感心していた。どこの世界に、いきなり目の前に登場した大蛇と笑みを浮かべて歓談できる女性がいるだろうかと。
「そうだ、名前考えないと。ガンド……はフェンがヴァナルガンドだからややこしいな」
 ちなみにガンドとは、『精霊』を意味する。
「ヨル、だとまた安易だと思われそうだし……」
 もう歓談を終えた大蛇とソラが、ずっと待っててくれてるのも吉田にとってプレッシャーだ。
「よし決めた! お前の名前は『ヨルン』だ」
「……」
 ソラは無言のままだ。ただその眼差しが、明らかに呆れ果てているのが吉田には痛かった。
「いやソラ殿、目でものを言わないでくれ」
「あら、失礼。ほほほ」
 だがその大蛇――ヨルンは大変ご満悦の様子であった。
「ヨルン、いい名前だな。ありがとう、主‼」
「そ、そうか? そう言ってくれると助かる」
 ちなみにヨーロッパでは普通に人名としてあるので、ヨルムンガンドだからヨルンという要素がなければといったところだ。
「それでヨルン、『ノエル』って知ってるか?」
「ノエル……ノエル……どっかで聴いたことあるなぁ?」
「本当か‼」
「でもゴメン、主。ぜんぜん思い出せないや」
「あ、いや。気にしないでくれ」
 そしてそこまで興味深そうに見つめていたソラが、
「ヨルン君ね。確か幻獣とのことだけど、そちらも得意なのかしら?」
「うん! 見てて‼」
 そして次の瞬間、吉田は後ろから肩ではなく腰を叩かれる。そこにいたのは――。
「ノエル⁉ え、なんで???」
「ヨシダ、久しぶり!」
「ちょっ、おまっ⁉ カードから出ることができたのか‼」
「うんっ、みんなもだよ! ほら、見て‼」
「リッサ!」
 ノエルの後方、最年長のリッサは十六歳。料理が得意な、孤児たちのお姉さん代わりだ。
「双子も‼」
 顔が瓜二つの兄弟、兄はカストルで弟がポルクス。この双子は五歳で、孤児院では最年少だった。
「ユーリアにシリウスまで‼」
 十二歳という年齢より大人びた顔つきなのは、次女ポジションのユーリア。逆に十五歳とリッサに次ぐ年齢ながら、その童顔で三~四歳は若く見える少年がシリウス。
「それにキャロル……」
 十歳のノエルと同い年の少女・キャロルは、おてんばなノエルと違って清楚でおとなしい性格である。
「マジか……マジか! みんな、みんな出られたんだ‼」
 子どもたちが口々に『ヨシダ‼』と叫びながら、抱きついてきた。
「うん……うんっ……」
 吉田はもう声にならず、あふれる涙を拭おうともしない。
 ――というのが、吉田視点の話。一方でソラとヨルンから見えている光景は、
「うへっ、うひょっ、ふひひ……うへっ、あへへ‼」
 だらしなく舌を出してよだれを垂らしながら、完全に酩酊しラリった状態の吉田が両膝を地につけて奇声をあげながら笑い続けている。そのイッた目は、ある意味でホラーでもあった。
「主にはなにが見えているんだろう?」
「さぁ……」
 そしてしばし、吉田が目を覚ますとそこは塔内の客間。ベッドの中で、吉田はガバッと起き上がって。
「ノエル‼ ……あれ?」
「あ、お目覚めになりましたか。ソラ様をお呼びしてきます」
「あ、はい」
 そこにいたのはノエルではなく、三毛柄のメイド。リトルスノウの三毛猫バージョンだ。
「ここは……どこだ? ノエルは? みんなは⁉」
 吉田が混乱していると、ソラが入ってきた。
「あら、お目覚め?」
 そのソラの左右の肩に、体長五十センチほどの小さな蛇が器用に乗っかっている。蛇の下半身を、まるでタオルのように後ろから前に垂らして。
「ヨルン君、ほら」
 ソラがそううながすと、その蛇はヨシダが上半身を起こしているベッドにジャンプしてきた。
「主、ごめんよ! なにが見えたか知らないけど、あれは僕が見せた幻なんだ」
「幻……ノエルたちが?」
 呆然としてしまい、吉田は現状把握ができない。まず幻どうこうはおいといて、目の前にいる小さな蛇は?
「お前はヨルン、なのか?」
「うんっ。小さくなる魔法を、そこのソラお姉ちゃんに教わったんだ‼」
「……そう」
 子どもたちが戻ったのは幻だと、ようやく理解した吉田である。ぬか喜びに終わったわけだが、吉田はヨルンを責める気持ちにはなれなかった。
(なにが見えたかわからないと言ってたな、つまりあれは俺の深層意識の中から呼び出されたわけか)
「なんだか疲れ果ててるわね?」
「あぁ、とんでもない幻……いや、『いい夢』を見られたよ」
 幻であったとはいえ、それは吉田が最終的に目指す目標だ。吉田は両のこぶしをギュッと握りしめ、決意を新たにする。
(絶対に助ける‼ そして、あの幻を現実にするんだ)
 そんな吉田の様子を見て、ソラが優しく微笑んだ。
「どんな幻を見たか、訊いても?」
「あぁ。七人の子どもたちが全員カードから出られて……みなが俺の名前を口々に呼びながら抱きついてき……て……グフッ」
 感極まって、言葉が続かない。吉田の両目から、涙がこぼれ落ちる。
(七人全員がいたのなら、ヨルン君を合わせると八人になっちゃうじゃない……なんて茶化せる雰囲気じゃないわね)
 ソラは無言で、吉田にハンカチを手渡す。
「すまない、ソラ殿」
「ううん、ヨシダは優しい人なのね」
「そんなことは……」
 ズキンと、ソラの心が痛んだ。ソラは、吉田を元気づける方法を一つだけ知っている。
(でも私の一存で、それを他人に明かすわけには……)
 だが吉田はここまで、長い旅を続けてきた。ターニー・ティア・イチマル・アルテと訪ね歩いてきたというのに、自分もまた力になれなかった。
 しかしもうこれ以上、ソラは吉田に絶望してほしくはない。
「ソラ殿?」
 突如として考え込んでしまったソラに、吉田が怪訝そうな表情を向けた。そして少し逡巡したものの、ソラは意を決して口を開く。
「そうね。『いま』私はなにもできないけど……ここから先はひとりごと、絶対に返事をしないし質問もしないって約束してくれる?」
「? あぁ、いいぜ」
「もし私たちがリリィディアとして復活することができたら、真っ先に吉田のところへ来るわ。そして、子どもたちを出してあげる」
「そっ……⁉」
「ひ・と・り・ご・と。約束、したよね?」
 吉田は、無言でうなずくしかできなかった。
 ソラと別れをつげ、次なる目的地はメラク王国は天璇の塔。そこに、吸血鬼の姫が住むという。
 日も暮れてきたのでハウスを出し、一人でグラス酒をあおりながら紫煙をくゆらす。
(賢者たちが、魔皇リリィディア……? ターニー殿が、ティアが。イチマル殿がアルテ殿が……そしてソラ殿も)
 なぜかティアだけ呼び捨てているのは、互いに気を許した元日本人という仲間意識だろう。
「俺に、賢者たちを倒せと言うのか? なぁ、クロス⁉」
 天井に向かって問うてみるが、クロスからの返事はない。
「魔皇を倒すためにあずかったカード……なのにあの七人は、カードから子どもたちを出してくれようとしているんだ。なぜ、なぜだ! どうして戦わないといけない⁉」
 だがやはり、クロスからの返事は返ってこない。吉田は諦めたように、グラスの残りをあおった。
「もとより、子どもたちを助けてくれるなら魔皇様の部下になってもいいんだ。毒を喰らわば皿まで、手段は選んじゃいられねぇからな」
 ぶつぶつと文句をたれながら、空になったグラスに酒を注ごうしてその腕がハシっとつかまれる。
「アルジ、ノミスギ、ダメデス」
「ドール……」
 吉田がさらに呑むのを止めようと、ドールの小さな木製の手のひらが吉田の手首を握っている。無機物であるのに、なぜか暖かい温もりが伝わってきて。
 そのドールの人形の顔に、少し泣きそうな顔で心配しているノエルがだぶる。
(そうだな、心配してもらえてるうちが華だ。この顔ノエルが怒り顔になる前にやめとくか)
「わかった、今日はこれでやめとこう。ノエ……ドール、冷たいお水を一杯もらえるか?」
「カシコマリ、マシタ」
 カタカタカタと歯車の動作音がして、ドールのお盆に冷たいグラスの水が用意された。それを受け取って、吉田は少しずつ口にふくむ。
「美味いな、ドールはお水も美味しく作れるのな」
「ア、アリガト、ゴザイマス」
 その顔は人形なのに、吉田にはなぜか照れくさそうに笑っているように見えた。
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俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

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