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第十話・パンドラの箱を開けちまったよ……

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 国境を越えてしばらく、空中からナビゲートするハルに案内されて吉田はここメグレズ王国は天権の塔にたどり着いた。
「地元の人の話では、ハイエルフの女性だとか言ってたな」
 そして、ミザール王国のターニー同様に王よりも影響力があるのだとも。
(ハイエルフ?てのがどういうもんか知らんが、子どもたちをなんとかしてくれるだろうか)
 一抹の不安を抱えながらも、吉田は塔一階にある玄関扉をノックする。だが待てとくらせど返事はなく――。
「留守かな?」
 そう思って踵を返そうとしたときだった。バッサバッサと羽音が頭上からしたかと思うと、吉田に降りかかる陽光がなにかに遮られて周囲が陰る。
「ん? 鳥か?」
 にしては羽音が大きく、また吉田の巨躯をも隠すほどの大きさである。なにごとかと上を向いた吉田と、白鳥のような白い羽で吉田の頭上数メートル上を飛びながら制止しているハイエルフと目が合った。
 その髪色は雪色をした白銀のプラチナブロンド、それがひざ裏まで伸びており風に揺れている。その瞳は別名を『蛍石』エンジェルフェザー・フローライトともいう、透き通った水玉のようなそれが優しく吉田を見下ろしていた。
「なにか用か?」
「あなたは、アルテ師マスター・アルテか?」
「いかにも」
 そのハイエルフ――アルテが、吉田の隣に静かに着地する。白鳥のような羽が折りたたまれたかと思うと、それは背中にスゥーッと吸収されるように消えていった。
「申し遅れた。私は吉田と申す者。アルテ師に助力願いたく、こうして参上仕った次第です」
 そう言って吉田は、一通の封書を懐から取り出す。ターニーから預かった、紹介状だ。
(そういやハルはどこに? あぁ、時間切れタイムリミットか)
 ハルを呼びだしてから、六時間が経過していたのだ。これから三時間は、ハルを続けて呼び出すことができない。
「ふむ、ターニーからのもので間違いないな。立ち話もなんだから、入ってくれ」
 そう言ってアルテは、扉の錠の部分に手をかざす。すると、
『ガチャッ』
 と解錠される音がした。そして扉を開き、先にアルテが中に入る。
(魔法かな? 日本でも似たようなシステムがあったが、あれもこの世界の人からすりゃ魔法に見えるかもな)
 アルテに案内されるがまま、魔石昇降機エレベーターに乗り込む。
「ヨシダとか言ったな」
「あ、はい」
「私とヨシダ以外の気配を感じるが、懐になにを入れている?」
 少し警戒するような視線を、アルテがよこしてきた。吉田はギクリとはしたものの後ろめたいことはなにもないので、
「あ、『式』が入ったカードを七枚……」
「ふむ、そなたは『召喚士サモナー』だったのか。疑ってすまんね、私の命を狙う不届きものが『上のほう』にいるのだ」
「上?」
 不思議そうに吉田は上を見上げるが、
「そういう意味の上じゃない。まぁお城のほう、と言ったらわかるか?」
「……なるほど」
 王よりも影響力があることを良しとしない、王またはその周囲のことだろうと吉田は納得する。
(それにしてもでかいな……)
 ミザールのギルドにいたエメは吉田と同じくらいの一八〇センチ台の半ばだったが、アルテはそれよりも少し高く一九〇センチ近くある。見上げるほどではないものの、目の位置が明らかに吉田より高い。
「……なにか?」
「いや、失礼。いささか迫力のある方だなと感じ入った次第で」
 ジロジロ見すぎていたのだろう、不快そうにアルテが反応するのへ吉田は必死でフォローを入れる。
「って女性に対する言葉としてはふさわしくなかった、もうしわけない!」
「迫力、か。まぁ嫌いな表現じゃないさ」
「そう言ってもらえると助かる」
 やがて昇降機は、最上階の居住エリアに着いた。アルテに促されるままに吉田はソファーに着座する。
「読んでも?」
「どうぞ」
 向かいにアルテが座り、ターニーからの封書を開封した。しばらくアルテは無言で読んでいたが、ピクッと反応してその視線が止まる。
「クロス様に……珍しいこともあるものだ」
 そう小さくつぶやいて、吉田を一瞥。そしてなにごともなかったかのように、手紙を読むのを再開する。
 しばしあって、アルテは手紙を封に戻した。そして席を立つと、
「お茶の用意を忘れていた。しばしお待ちあれ」
「あ、いや! おかまいなく」
 だがすでにアルテはお茶の用意に取りかかっていたので、吉田も厚意に甘えることにした。出てきたのはコーヒーにも似たお茶で……というよりはコーヒーである。
「これは異国で取れた豆が原産となっているお茶でな、香りはいいのだが味は好みがわかれる。無理して飲まなくてもいいぞ」
「馳走になります」
 そして吉田は一口、それを口に含む。
(厳密にいうとコーヒーじゃないが、コーヒーの一種だといわれれば納得のいく風味だな)
「さっそくだがヨシダ、カードを拝見したい」
「あ、はい!」
 慌ててカップを机上に戻し、吉田は七枚のカードをアルテに手渡した。
「ふむ、これがリリィディアが編み出したという……初めて見るが、なんだろうなこの」
「え?」
 吉田は『初めて見る』という部分に少し落胆したが、続けざまにアルテが発した言葉で目を見張った。
「『既視感デジャ・ヴュ』というのだろうな。知らないはずなのに懐かしさがこみあげる」
「アルテ師……」
「アルテで構わん、ヨシダ」
「では。アルテ殿も同じようなことをおっしゃるのだな」
「同じようなこと、とは?」
「ターニー殿にティア殿、イチマル殿もそうだがまるでご自身がリリィディアであるかのような発言をなさる」
 その吉田の発言を受けて、アルテの表情が凍りついた。
「あ、なにか失礼なことを申し上げただろうか?」
「いや……いや、そうかあいつらも」
「え?」
「なんでもない。ヨシダ、できることならばそれについては触れないでもらいたい。私はもちろん、これから会う賢者たちにもだ」
「それはどういう……いや、承知した」
 理由はわからないが、触れないでほしいと言っているのだ。掘り下げるのは失礼にあたると吉田は思い直す。
「で、私たち七人がこのカードに閉じ込められた子らをなんとかできると、クロス様が?」
「そうです。なんとかなりそうでしょうか?」
 神々しいまでに美麗な顔立ち、そして自分よりも若干であるとはいえ身長も高いアルテに対し吉田はいつもの横柄さが影を潜めていた。それはまるで、神との邂逅を果たしたかのように。
「クロス様でもできないものを、あのババアができるとは思えんが……」
「失礼、アルテ殿。あのババアとは?」
「世間一般では『ロード様』と呼ばれている神だな」
「それって創生の女神っていう……」
「あぁ、大変に性格がよろしくないババアだ」
「はぁ……」
 そしてアルテはすっくと席を立つと、
「ちょっとあのババアにも訊いてくる。しばしお待たせすることになるから、そこの本棚でも好きに漁るといい」
「えっと、ロード様に訊いてくる……? アルテ殿はかの女神様とお会いすることができるのか?」
 困惑と驚きを隠せない吉田だったが、
「そなたとて、クロス様と会ったではないか。まぁ私は一応、ロードの眷属なんでな」
「眷属……ではアルテ殿にとって、ロード様は主なわけか」
「そう、言い換えれば性格の悪い上司だ。では」
 そしてアルテは部屋内にある一つの扉の前まで行くと、そのドアノブに手をかける。
(ん?)
 その扉は、壁際にあった。そしてこの部屋は塔のワンフロアすべてを使った間取りなので真円になっているから、その扉のすぐそばにある窓からは外の青空が見える。
 つまりこの扉を開けると、そこは『外』のはずだ。
(外へ飛び立つための扉かな?)
 先ほどアルテは、白い鳥の翼を広げて飛んでいたのだ。だから吉田も、そう推察したのだが――。
「えっ⁉」
 アルテが扉を開けたそこには、もちろん青空が広がっている。それは吉田も想像したとおりなのだが、ある一点だけが想像の範囲を越えていた。
「階段⁉」
 そう、まるで『天国への階段』であるかのように天空高くまで階段が伸びているのだ。塔を外から見たときには、そんなものはなかったというのに。
「ではな。くれぐれも、私のあとを追ってはならぬ。またそこの本棚も『見える本』のみならば自由に読んでくれて構わないが、それ以外は手をつけないでくれ」
 そう言って、アルテは扉を閉めて出ていった。
「はは……マジで天国への階段なのか?」
 なによりアルテ自身が、ロードの眷属と言っていたのだ。それを疑う余地はない。
「にしても、女神様をババア呼ばわりねぇ。神々の世界も、地上のいずことも同じブラック企業ってことなのかね」
 吉田は苦笑いを浮かべると、本棚から一冊の本を手にしてソファに戻り時間をつぶす。だが何時間経ってもアルテは帰ってこず、読み終えた本も机上に数十冊と重なっていった。
「遅いな。どのくらい待たされるんだ?」
 そして新たな本を取りに本棚へ足を進め、自身が読み終えてテーブルに積んだぶんだけ隙間ができたその場所に吉田は違和感を感じた。
(ここの棚だけ奥行きが浅いな?)
 まるで、本一冊が入れられそうなくらい出っ張っているのだ。明らかに、本棚の奥行きの半分の位置で奥が壁になっている。
 吉田は先ほどアルテが、
『またそこの本棚も「見える本」のみならば自由に読んでくれて構わないが、それ以外は手をつけないでくれ』
 と言ったのをすっかり忘れてしまっていた。好奇心が赴くままにその棚に残った本をすべて床に置くと、奥の壁を念入りにチェックする。
「薄いな。ベニア板でカモフラージュしている感じだ」
 そしてそのベニア板は特に難しいはめ込みをしているわけじゃなかったので、爪先を使うと簡単に剥がすことができた。特に接着などもしていなく、ただ単に表側の本で板を押さえつけていただけのようだった。
「やっぱり奥にもう一段あったな」
 そこには、薄手の本がびっしりと並ぶ。そして吉田はその中から比較的厚い本を取り出すと――。
「なんじゃこりゃーっ⁉」
 吉田はその本のタイトルに、思わず目を見張った。裸の男同士がキスしているイラストが表紙になっていて、
『吾輩はホモである ~腐女子が異世界でイケメン男子に転生したので、自慢のマグナムで無双します~(合本版)』
 そんなとんでもないタイトルだった。装丁はまるで素人が行ったような稚拙さなので、それは同人誌のようなクォリティである。
 ほかにもチェックをしてみたが、どれもこれも似たようなタイトルのいわゆる……。
「腐女子ってやつか」
 そう、BL本ボーイズラブがこれでもかとばかりに、ぎっしりと詰められるように陳列していたのである。そしてそこで初めて吉田は思い出すのだ――。
「やっべぇ! アルテ殿が言ってたのはこれを内緒にしてたからか⁉」
 慌ててそれらを奥の棚に戻し、板をはめ直して表側にあった本でふたをする。そしてなに食わぬ顔をしてソファに戻り、もう余計なことはすまいと大人しくアルテの帰りを待つことにした。
 そして最初にアルテが出ていってから三時間は経っただろうか、扉が開いてアルテが戻ってきた。
「すまない、待たせたな」
「いや、大丈夫だ」
 アルテは侘びながらも、チラと本棚を見やる。吉田が綺麗に戻したのもあって、まるで手をつけてなさそうに綺麗に整頓されているのを見て心持ち安堵の表情を見せた。
「あのバ……ロードに確認してみたが、ロードでもなんともならないそうだ。そしてもうしわけないが、私も方法に心当たりがない」
「そうですか……」
「期待させたようで、大変もうしわけない」
「いや、そんなことは」
 だが吉田としては、期待したのも確かで。創生の女神でさえどうにもならないことが、今後なんとかなるのだろうかと先行きも暗い。
「吉田が次に訪れるのは、どっち方向だ?」
「私はアリオト王国のイチマル殿のところから来たんです」
「ということは北のフェクダ王国か。そこで天璣の塔を守るソラという『魔女』ならば、『式』のカードを作れる。ひょっとしたらとは思うが、ダメ元で訪ねてみてくれ」
「もちろんだ、俺も……いや私も、ここで諦めるわけにはいかん……です」
「ははは、気楽にしてくれて構わんよ。一応、私は女神の眷属ということではあるが地上に住まう者だ。言葉遣いも普段どおりでお願いしたい」
 そう言いながらアルテは、吉田に対して気さくに微笑みかける。緊張を解きほぐそうという心遣いではあったのだが、
(でも腐海に沈んだ腐女子なんだよなぁ)
 どんな顔して読んでるのか、また同人誌らしきものも多かったから自分でも執筆しているのかなと吉田は想像しては必死で笑いをこらえる。おかげで、とっくに緊張感は緩んでいたのだ。
「なにをどうやればいいか見当はつかんが、とりあえず『式』を呼んでもらってかまわないだろうか?」
「心得た」
 そして吉田は七枚のカードを取り出す。
(あれから三時間は経ってるから、ハルとドールはもちろん全員呼び出せる。でもそうだな、まだ未知のカードが二枚あるな)
 そのうちの一枚、大きな蜘蛛が描かれているカードを吉田は選択した。
「ひとつ、アルテ殿におうかがいするが」
「なんだろうか」
「蜘蛛が苦手だったりするだろうか?」
「蜘蛛というと、八つ足の?」
「そうだ」
「特に苦手とかはないな」
「わかった。では――」
 吉田は蜘蛛の絵柄が描かれたカードにキスをして、それをアルテに当たらないよう斜め前にシュッと投げ……たところで思い出した。
(やべぇ! また尻の間に戻ってくる‼)
 だがときすでにお寿司、いや遅し。カードからはまるで無数の蜘蛛の糸のようなものが放射状に飛び出し、そこに顕現したのは――。
「お、おま⁉」
「主、お初にお目にかかります」
「えっと……とっ、とりあえず胸を隠してくれ!」
 吉田の目の前にいたのは、その身体は直径一メートルほどの大蜘蛛。足も含めれば、その専有面積は倍以上だ。
 だがそれはただの蜘蛛ではなく、『上半身』があった。それは人間の少女のそれで、例によって例のごとく裸である。
(また上半身が裸のパターンかよ!)
 そしてハルやマーメイと違い、その大きさは小ぶりなメロンぐらいあってはちきれんばかりに立派なもの。だが顔が少女のそれであるから、いわゆるロリ巨乳なわけで。
 そしてその豊満な胸の下、締まった腹筋の下には脂肪一つついてなさそうなシックスパックの腹筋が浮かぶ。薄い皮膚にひっぱられて、細い縦長のおへそが蜘蛛の身体との境目近くで健康的ながら婀娜エロな魅力を醸し出していた。
「胸を隠す、とは?」
「えっと、そのおっぱいを見えなくすることは可能か?」
 言葉足りずではあるが、その意味を察したのだろう。その蜘蛛少女は無数の糸をシュルシュルと出すと、チューブトップの衣装のように紡ぎあげてその豊満な乳房を覆った。
「これでよろしいでしょうか」
「あ、あぁ。器用なもんだな……って、あれ?」
 いつもならば、白紙になったカードが吉田の尻の割れ目に戻ってくるのだ。だが今回だけは、お尻が寂しい……じゃなくて戻ってこない。
「カ、カードは?」
 慌ててキョロキョロと見回すと、その蜘蛛少女の手にカードが握られている。握られているというよりは、カードを持った手が蜘蛛の糸で縛られている感じだ。
「どこかへ飛んで行きそうだったので、捕まえておきました」
「でかした!」
 吉田は心の底から感謝した。アルテの前でズボンをずらしてパンツを見せるようなことは、いらぬ誤解をまた招いてしまうからだ。
「なるほどな……お前の得意とするのはその『蜘蛛の糸』か」
 探索がボーンならば、捕縛はこの蜘蛛少女……使い方は無限に広がる。
「これは……半人半蜘蛛の魔獣だな」
「アルテ殿、知っているのか?」
「あぁ。その種族名はアラクネー、だが魔獣とは言ってもその存在は神話レベルだ。私も実際に目にするのは初めてでな」
「ふむ」
「一万五千歳を超える私でも初見なのだ、だからむやみやたらに人前に顕現させないほうがよいと忠告しておく。人は初めて見る異形のものに対して、恐怖感を抱くものだからな」
「ご忠告、痛み入る……というか一万五千歳⁉」
「ふ……お婆ちゃんでびっくりしたか? と言ってもこのハイエルフ、実際のところ寿命という概念があるのかどうかも知らぬ。この世界でハイエルフは、私しかおらぬのでな」
「な、なるほど?」
 吉田とアルテがそんな会話をかわしている間、蜘蛛少女は大人しく頭を垂れて控えている。それを思い出して、
「そ、そうだ。お前にも名前をやろう」
「ありがたき幸せです、主」
「そうだな、アラクネーだからええと……」
 すでに名前を決めるきっかけからして、安易であることに吉田は気づいていない。またもや同じ過ちを犯してしまうのだろう。
(蜘蛛……蜘蛛だからスパイダー? いや、オッパイダー……ってダメだダメ)
「よし決めた。お前の名前はアラクネーだからラックだ!」
 またもや吉田流センスが炸裂する。だが、
「俺の世界の言葉でな、『幸運Luck』を意味する言葉なんだ」
 完全に後から気づいた後付けではあるが、吉田は自分の命名センスに悦に入っていた。そして蜘蛛の少女改めラックも、
「いい名前です、ありがとうございます主!」
 そう言って、キラキラとした目で吉田を見る。よほど感動したのか、自身が抜け出たカードを縛り付けている拳をもう片方の手のひらで握って、それを自身の豊満な胸の谷間にうずめた。
「いや、礼には及ばん。それにカードが戻るのを阻止してくれたのは、本当に助かったよ」
「そ、そんな……」
 ラックは、照れて頬を赤く染める。その白い上半身も、ほんのりと紅潮して。
「あ、これお返ししますね」
 そう言ってラックは、カードを縛り付けていた蜘蛛の糸をほどく。そしてそれが完全にほどき終わると、
「はい、どうぞ」
 そう言って吉田に差し出すのだが、吉田が受け取ろうと腕を上げるのと同時にカードはシュッと音を立てて消え失せてしまう。
「ヨシダ、どうした? それにカードが消えたようだが」
 怪訝そうにアルテが問うが、吉田は窮地に陥っていた。
(なんでこのタイミングでカードが尻の割れ目に⁉)
「えっと、アルテ殿……大変言いにくいのだが」
「なんだろうか」
「『式』が抜け出たあと、白紙になったカードのことだ」
「うん?」
「その、私の……に、戻ってくるんだ」
「すまない、よく聴こえなかった。どこに戻ってくるのだ?」
「し、尻の……割れ目に?」
 吉田は決死の表情でそれを告白するが、
「……なんの話をしている?」
 とアルテにはさっぱりなんのことかわからない。だがそれでも、吉田の尻に目をやると。
「なにか飛び出てるな⁉」
 吉田のズボンの尻が、中になにかが入っているかのようにピンッと外に向かって尖っている。
「その、カードが尻の割れ目に戻ってくるんだ……」
「つまり、いまヨシダの尻にはラックとか言ったか。その少女が抜け出たあとのカードが、はさまっていると言いたいのか?」
「そ、そうなんだ」
「……」
「……」
 荒唐無稽なその設定に、アルテは半信半疑で吉田をジト見る。だが嘘ではないので、弱り目に祟り目ながらも吉田はアルテに表情のみながら必死で訴えかけた。
「く……」
「え? アルテ殿?」
 アルテが苦悶の表情を浮かべ、自身の腹に手をやった。
「いかがなされた?」
「いや、腹がよじれてしまったのだ」
 そんなボケを真顔でアルテがかますものだから、
「笑いたきゃ笑えよ!」
 吉田も『いつも』のようにツッコむ。
「ははは、すまない。私は気にしないから、普通にズボンを脱いで処置してくれて構わんぞ」
「そうか、助かる」
 変態と蔑まされ殴られ、ということがなさそうで吉田は遠慮なくベルトを外してズボンをずらす。そしてパンツに手を突っ込んでカードを取り出し、それをポケットにしまった。
「なかなかご立派な体躯だな。鍛えているのか?」
 チラと見えた吉田の浮いた腹筋に、アルテが感心したように感想を漏らす。
(これはこれで気恥ずかしいな)
 アルテの醸し出す圧倒的な存在感は、まるで母親や先生の前で着替えているような錯覚を吉田に起こさせていた。
「まあ年齢が年齢だけに、維持するのも必死だけどな」
 そう応じながら、ズボンのベルトをとめ直す。それはさておき、ベネトナシュ王国は揺光の塔でマーメイを呼び出したときのことを吉田は思い出していた。
(確かあっさりとカードに戻したから、ティアにもっと会話をしてやれとか怒られたんだっけか?)
「んっ、ごほんっ‼ それで、ラックよ」
「はい、なんでしょうか主」
「お前が、ラックがどういう子なのかを教えてくれ」
「と言われましても……」
 命名したから、感情が宿っているはずなのである。
 ハルは気さくで、ドールはちょっとおとなしめ(ただし兵器としての破壊力は随一)。マーメイは身体を動かすのが好きな体育会系よりで、ボーンはちょっとおかしな……もといユーモアに満ち溢れた性格をしていた。
 フェンは見た目どおり忠実な犬のようで、まだ遊び盛りの男の子のようでもあり。なので吉田も、ラックの性格を把握しておきたかったのである。
「私は主の忠実な下僕です」
「うん。……うん? 下僕じゃなくて眷属な」
「いえ、下僕で構いません‼ 私は薄汚れた醜い虫畜生にすぎません‼ 主にたとえ鞭打たれようと、それは甘んじて受けるしかできない下等なメス豚奴隷なのでございます‼」
 とんでもないことを口にしているが、ハートマークかとばかりに期待を込めた瞳で吉田を見る。ラックの頬は紅潮しており、鼻息もフンスフンスと荒い。
「オーケー、ラック。すべて理解した」
「では⁉」
 期待値が上限を越したとばかりに、高揚を隠せないラック。興奮しすぎて、左右の鼻腔から鼻血がツツツと流れ出る。
「『戻れ』よ、変態」
「あぁっ、そんないけずぅ~……」
 白い目で見てくる吉田に、絶望的な表情を浮かべながらカードに消えていくラック。だが最後の最後で、
「そんな態度の主もまたヨシ!」
 なんて小さく聴こえたものだから、吉田もげんなりである。そしてふたたび、アルテとの歓談が再開される
「吉田、これは世間話として受け止めてもらいたいのだが」
「なんだろうか」
「吉田の恋愛対象は女性か?」
「? もちろん、そうだが?」
「そうか……そうだよな……」
(がっくりしてやがる)
 さすがは腐女子よと、吉田は必死で苦笑いを隠した。そしてしばし、アルテと歓談に耽る。
「なるほど、エルフは『亜人』でハイエルフが『亜神』なのだな」
「うむ。エルフは赤ちゃんとして産まれ、やがて老いて死ぬ。その寿命は人間の十倍以上あるが、それを除けばヒトと変わらん。まぁ魔法は生まれつき誰もが使えるがな」
「そしてハイエルフというのが……」
「こちらは神の眷属、天使と枝分かれした精霊のような存在になる。最初からこの姿で顕現し、またおそらくだが不老不死だろう。私以外にハイエルフがいないから推測になるが……」
「……長きを生きる、というのはしんどくないだろうか?」
 吉田がふと漏らしたその疑問に、ティーカップを持つアルテの手が止まった。
「というと?」
「誰しもがその恩恵を受けるわけじゃないが、周囲に愛されて未熟な状態から『育つ』ということ。そして成長を重ねたあとに年老いていく道程で、己が役目をまっとうせんと足掻く……その生き様はアルテ殿のような存在から見たら、やはり滑稽なのだろうか?」
「ふ……実は私は、ヨシダと同じく前世の記憶があってな」
「ほぅ!」
「この世界に生きる人間であった。だから元人間として、ヨシダの考えは理解できる」
「もし俺の発言に不快に思われたなら……」
 そこまで言って吉田は、
(『腐海』に思われたなら……なーんちゃって?)
 しょーもない冗談を脳内で思いつき、カップを口に付けていたものだからそれを思いっきり――。
「ぶふぉっ‼」
 と噴き出してしまった。
「す、すまないアルテ殿!」
「いや、私は大丈夫だ」
 アルテは吉田にぶちまけられたお茶の染みをハンカチで拭き取りながら、
「いかがされた?」
 と怪訝そうに問う。いきなり噴き出されたのだ、アルテの疑問ももっともだろう。
「あ、いや。なんでもないんだ、忘れてほしい」
「そうか? 話は戻るが、確かにヨシダの言う理由で一抹の寂しさのようなものはあるな。だが、いつまでも立ち止まっていては前に進まぬ」
「ふむ」
「立ち止まってることこそ、一番しんどいのさ。使わない筋肉は、やがて固くなってしまう」
「上手いことを言う」
「そうでもないよ」
 だがアルテは、ほんの少し照れたように笑った。
「それにしてもアラクネー……ラックか、ヨシダのほかの『式』もメスだったりするのか?」
「えっと、ハルが女性でドールも女性。マーメイとボーンも女性だな、フェンだけが男の子で……あれ?」
「どうした?」
「いや……ラックも女性だから、女性が五人?」
 あの火事で犠牲になった、『式』に封じ込められたのはノエル含む女児が四人で男児が三人だった。となると消去法で、残り一枚がオスであっても女性形態が五人で男性形態が二人ということになる。
(どういうことだ? 『式』の性別と人間だったころの性別は、必ずしも一致しないということだろうか)
 考えこんでしまった吉田に訝しげな視線を送るアルテだったが、吉田が自分から話そうとしないなら追求するまでもないとスルーを決め込む。
 やがて場はお開きとなり、吉田とアルテは玄関で固く握手をかわし再会を約束し合った。塔をあとにした吉田を、アルテが手を小さく振りながら見送る。
「さーてと、気を取り直して次に行くか!」
 天権の塔では、女神ロードですらどうにもならないという結果を得た。だが次に向かう天璣の塔では、また違った結果になるかもしれない。
(前向きに考えないとな)
 そのときである。そんな吉田の背後、いや頭上から聞き覚えのある羽音――。
「アルテ殿?」
「……」
 アルテが、飛んで追いかけてきていた。そして無言で、吉田の隣に着地する。
「アルテ殿、なにか? 俺が忘れ物でもしただろうか」
 とりあえずポケットをまさぐる吉田だが、ちゃんとカードは入っている。それ以外は天権の塔では出さなかったから、忘れようがない。
「いやヨシダ、念の為に確認してみたのだがな」
「うん?」
「並び順が違っていたのだ」
「なんのだ?」
「私のコレクションの並び順だ」
「あ……」
 必死で笑みを作ろうとしているアルテだったが、その両こめかみに血管が浮かぶ。頬が、口角がひきつっている。
 そしてすべてを察した吉田は、顔面蒼白で――。
「いっ、いやっ⁉ 俺はなにも見ていない、本当だ!」
「見ているではないかっ‼」
 照れなのか怒りなのか、アルテの顔が真っ赤になっている。
「とりあえず、ちょっと話そうじゃないかヨシダ」
 そう言ってアルテは、ふわっと宙に五十センチほど浮いて吉田の首ねっこをつかんだ。そしてそのまま羽ばたきながら、嫌がる吉田を強引に天権の塔に連れ戻す。
「とりあえず何発殴れば、貴様の記憶が消えるだろうか……」
「ひぃっ‼」
 パタンと静かに、扉が閉まる。吉田の戦いは、これから始ま……終わろうとしていた(チーン)。
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【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

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