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第九話・女の秘密は火薬の臭いがするって知ってたか?

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「うーん……」
「主、殺るか?」
「待て、ハル。ちょっと待ってくれ」
 いま吉田たちは、『ちょっとだけ』困っていた。次の目的地はメグレズ王国は天権の塔、その道すがら森の中にハウスを展開していた。
 そのハウスの周囲を熊のような魔獣が十数匹取り囲んでいるのだが、魔獣避けの香草が外壁に塗られているのもあって遠巻きに見ているだけで近寄ってはこない。ハウスの中にいる限りは夜も安心なのだが、朝になっても状況が変わらなければ出るに出られないのだ。
「とりあえず、そうだな……ハルとフェン、お前たち二人でなんとかなりそうか?」
 ドールは家政婦業に特化しているし、マーメイは戦闘に向かない以前に人魚だから水場じゃないところでは役に立たない。ボーンは姿を消すことができるが、ボーンだけ消えてもしょうがなかった。
「任せてくれ、ああいう魔獣は空中戦に弱いからな」
「弱い以前に、地上に住まう生き物なら空中戦ができないだろ。それにハルの爪は鋭いっちゃ鋭いが、あのでかい魔獣を倒せるほどのもんだろうか?」
「簡単さ、主。持ち上げて飛んで、上空高くから落とせばいい」
「なるほど」
 そしてフェンが吉田にスリスリしながら、
『ボクはそのまま戦えるよ! 主、命令して?』
 と念話を飛ばしてくる。
「ふむ。子どもら二人だけじゃ危ないから、今回は俺も出よう」
 そう言って吉田は、逆刃の妖刀『不殺』を手に取った。
「ドール、マーメイ、ボーン。君たちは留守番だ、なにがあっても扉と窓は開けるな。いいか?」
「カシコマリ、マシタ」
「おっけーおっけー、だいじょび♪」
「ふふふ、主よ。心得た」
 三者三様の返事が返ってきたが、吉田はちょっとだけジト目でボーンを見下ろして。
「やっぱそのキャラでいくのな」
「様式美でござるよ、主殿」
「いいけどな」
 苦笑いをもらしながら、ボーンの頭をポンと叩く吉田。
「よし、ハルにフェン。行くぞ!」
 そう声をかけて玄関に向かうのだが、もし振り向いたら顔……いや骨を真っ赤にして照れているボーンを目にできただろう。
「いいか、二人とも扉を開けたらダッシュで出ろ。ハルは空中、フェンは地上に同時に飛び出して魔獣を一瞬だけでもいいから惑わせてくれ。扉を閉めるのは俺がやる」
「わかった!」
『まかせて!』
 吉田は無言でうなずいて、玄関扉内側にひそむ。ハルとフェンが、それにならった。
「行くぞ!」
 そのかけ声と同時に、吉田が玄関扉を大きく開け放つ。実はこのハウスは現代世界の西洋がそうであるように内開きなのだ、だから吉田も両手で仏壇を開くようにして開け放った。
 そしてハルが羽音をはばたかせて、フェンが地を這うように電光石火のスピードで飛び出していく。遅れて吉田も、後ろ手で玄関扉を閉めながら続いた。
 ――戦績は、吉田たちの圧勝に終わる。ハルが高度百メートル近い場所から次々と魔獣を落としていき、またフェンは魔獣の喉元に食いついて噛みちぎった。
 吉田は『不殺』を手に、魔獣を次々と峰打ちで失神させていく。本来の刃がある場所を使っているので、自然と峰打ちになるのだ。
 まだまだ吉田には、魔獣といえど生き物の命を奪うという覚悟が足りていなかった。そしてそれが、見事に裏目に出てしまうのだ。
「主、終わったぜ」
『主~、褒めて褒めて!』
 ハルとフェンが、笑顔で駆け寄ってくる。
(なかなかすごい惨状だな……)
 高所から落とされて自重で潰れた魔獣たちの肉塊、フェンに喉笛を噛み切られて頸動脈から勢いよく鮮血を噴き出す魔獣たちの遺骸。くわえてフェンは、返り血でその白銀の身体が真紅に染まっていた。
 直視できない惨状に吉田が顔を背けていると、
「主、うしろだ!」
『逃げて、主!』
 ハルとフェンが、真っ青な表情で叫んだ。
「え?」
 吉田は魔獣を峰打ちで倒したのだ。当然ながらタフな魔獣たちは、痛みが引けばふたたび立ち上がる。
 そしていまにも吉田の後ろに仁王立ちした魔獣が、その鋭い爪で吉田を蹂躙すべく腕を振りかぶっていた。ハルとフェンが必死に駆け寄ってくるが、どう見ても間に合うタイミングではない。
 だがそのとき――。
『ドゴーン‼』
 大量の火薬で発破したような爆音が轟くと、吉田の背後にいた魔獣の肉体が雲散霧消した。まるで、大砲でもぶっ放したかのように……。
「な、なんだ⁉ なにが起こった⁉」
 パニックに陥った吉田が発射された方向を振り向くと、そこはハウス。そして玄関扉が全開になっていて、仁王立ちしていたのはドールだった。
 だがドールの上顎と下顎がファンタジー世界でおなじみの宝箱のようにガパッと大きく開いていて、そこから灰色の硝煙が立ちのぼっている。そのさまは、まるで財布のがま口のようであり――。
 顔も上あごから上がまとめて、ガパッと斜め上を向いているのだ。そして下あごもほとんど喉にピタリとつくまでに下がっている。
 それは人間では不可能な顔芸であり、からくり人形だからこそ可能にした容貌であった。
「ド、ドール?」
 ドールが口から発射した大砲の弾が、魔獣の身体を木っ端みじんに砕いたのだ。それだけではなく、砲弾が飛んでいった先は木々が折れ土がめくれ上がっている。
 どこまで飛んでいったのかわからないが、その先に森の外の風景が見えるぐらいには。
「アルジ、アブナイトコロ、デシタ」
「あ、あぁ……ありがとう?」
 ガパッと口を閉じると、見慣れたドールの顔。だが口を閉じてしまったことにより、まだ口内に充満していた硝煙がドールの鼻腔や耳穴から立ちのぼる。
(なんてこった、ドールは大量殺りく兵器じゃねーか……)
 そしてその砲弾が、吉田の尻をかすめたのだろう。ズボンの尻部分の布が焦げ落ちており、白いお尻の割れ目がこんにちはしていた。
 とりあえずは全員でハウスに戻り、ドールの頭をくしゃくしゃっと撫でて慰労する吉田だ。そして、反省会……その標的は、もちろん吉田である。
「主、その……言いにくいんだが」
「わかってる、俺の考えが甘かったんだってことは。『斬る』べきだった、そう言いたいんだろう?」
「うん……」
『ハルお姉ちゃん、主をいじめないであげて!』
「わっ、私はいじめてなんか⁉」
「アルジ、ハルニタイホウ、ウチマショウカ?」
 穏健派のフェンと、過激派のドール。吉田とハルは真っ青な表情で、
「待て待て! ハルも反省しているから‼」
「そうだぞ、ドール! 私が悪かったから落ち着け‼」
 だから反省しなきゃいけないのは吉田である。
「うぅ、ドールでも戦えるのに私ときたら……」
 マーメイが肩を落として落ち込み、
「私なんて、消えるぐらいしかできないし……」
 とボーンが同調する。落ち込みすぎて、自分のキャラを忘れてしまっていた。
「いや、みんな! 今回は俺の考えが甘かったのがいけないんだ。それにマーメイとボーン、お前たちが役に立つシチュエーションはきっとくるから、そのときに頑張ってくれればいい!」
 吉田は必死にフォローを入れる。
「ほら! ボーンは諜報なら右に出るものはいないし、マーメイは水場が戦場になったら正面から戦えないまでもゲリラ的な戦法をしかけることができるだろ?」
 焦りながらも、とにかく気落ちしてしまった二人をなんとかしたい吉田だ。
「そうね? たとえば相手をつかんで、海底に引きずりこむとかならまかせて!」
「いや、それ普通にエグいわ!」
 マーメイがにわかにテンションをあげると、
「くっくっく……それもそうですな。いずれ私の能力も役立つときがきましょうぞ、主」
「いやボーンお前、さっきキャラを忘れてたろ」
 ボーンもすっかり機嫌を取り戻したようだ。
「とりあえずドール、煤を落とさないとな」
 吉田はドールに口を大きく開けてもらい歯ブラシでブラッシングすると、たちまちのうちにその毛が煤で黒く染まる。吉田に歯磨き?をしてもらい、ドールのその頬は赤く染まっていた。
「あ、うがい用の水を持ってくるの忘れた」
 歯ブラシを引き抜いたあとにそれに気づき、慌てて洗面所へ向かおうとする吉田をドールが止める。
「ダイジョブ、デス、アルジ」
 ドールはカタカタカタと音を立ててお盆を水平に構えると、ボンッと白煙をたてて空の洗面器らしき入れ物が顕現する。そしてそこに向かって、口からドバーッと水を吐き出してみせた。
「便利なもんだな……」
 妙に感心する吉田である。
「俺が歯磨きしてやるまでもなかったのかな……」
 そしてふとそう漏らした吉田に、
「ドールハ、ジブンデ、ハミガキ、デキマセン」
 なぜか狼狽しながら、ドールが慌てて否定した。
(嘘くさいな?)
 だがそれは、吉田に歯磨きしてもらいたさゆえだろう。理由が可愛いので、それ以上の追求は野暮と判断した吉田である。
 そしてとりあえず一息ついたので、タバコを吸おうと取り出したらあいにくの空だった。
「なぁ、ドール」
「ハイ」
「タバコ、ダセルカ?」
「……ガンバリ、マス」
(がんばる?)
 その言葉の意味を、吉田は最初に確認しておくべきだったのかもしれない。だがドールが顕現させたタバコを無警戒に手に取り、火をつけて……。
「ごほっ、ごほっ、なんじゃこりゃ‼」
「モ、モウシワケ……」
 ドールの白粉を塗った顔が、気の毒なくらい青ざめている。
「あ、いや。その、できないことはできないって言っていいんだぞ? 俺は怒らんから」
「ワタシノ、ソウゾウシタ、トオリノ、タバコヲ、ダシマシタ」
「ソウゾウ? 想像だよな……もしかしてドール、お前はタバコを吸ったことがないからちゃんとしたタバコを出せないということか?」
「ケムリハ、アッテイルト、オモウノデスガ」
「うーん……確かにタバコの煙ではあるんだが、これはどっちかというと副流煙だな」
 副流煙とはタバコに火をつけて吸っていない状態、フィルターを通さないでタバコの葉が燃焼しているときの煙である。タバコを吸わない人が想像するタバコの煙とは、その副流煙のほうである。
「それにこれ、よく見りゃフィルターがねぇな」
(もしかしてドールは、あの七人の誰か知らないが自分が未経験だったり詳しく知らない物は出せないのだろうか)
 そう考えれば説明がつくのだ。茶菓子だったり料理だったりは、作った経験があるから出せたのだろうと。
「主、いい機会だから禁煙したらどうだ?」
 ハルがそう助言してくるが、
「いや、最後と決めて吸うならともかく……吸えなくなったときに突然、もうやめようってのはキツいな」
「あ、わかる」
 だが吉田とハルのそんな会話を、ドールが怖い目で見ていた。
「アルジノ、ヤリタイコトヲ、ヤメサセルノ、デスカ?」
 そう言って、口をハルに向けてガパッと開く。ドールの口の中がにわかに明るくなって、もはや点火寸前だ。
「ひぇっ⁉」
「待て待て待て‼ ドール、待て‼」
 吉田は慌ててドールに飛びつき、その口を強引に閉じた。眷属といえど気さくに接してくれるハルと、吉田原理主義ともいえる過激な眷属であるドール。
(この二人は、相性よくなさそうだな)
 とりあえずはドールを落ち着かせて、吉田はふと思い出す。
「あ、そういやストックを買っておいたんだった」
 そう言って、コートの内ポケットに手を突っ込んだ。
「えっと……これはなんだろ、木刀か。そしてこれは、買い置きしといたトイレットペーパ―だな。この入れ物はなんだろう……あ、樽酒か」
 言っておくが、これは内ポケットをまさぐりながら発言しているのである。吉田はようやくタバコを探し当てると、ポケットから手を引き抜く。
「ファンタジーでおなじみの異空間収納じゃねーが、これはこれで便利なもんだな」
 それは遡ること先日、いちどフェクダに戻ってきたばかりのときだ。逆刃の妖刀『不殺』を武器登録すべく、ハンターギルドに立ち寄った。
「いらっしゃいませませ~んっ♡」
「うげっ、またこいつか」
「ひっどーいです、ヨシダ。プンプン!」
 相変わらずのぶりっ子テンションの受付嬢、エメである。
「それはそうとよ、武器登録しにきたぜ」
 そう言って、『不殺』をゴトリとカウンターに置く。
「はーい、ちょっと写真を撮らせていただきますね?」
(この世界、カメラあんのか)
 そしてエメはスマホのような魔導機械を左手に持って高く掲げ、右手で『不殺』を持つ。
「撮りま~す♡」
 そう言い放つと、可愛くペロっと舌を少しだけだしてウインク。そのままシャッターを押した。
 エメは背を向けて撮影したため、吉田も背後に写り込んでいる。
「なんで自撮りしてんだよ!」
「武器の写真だけだと、証明能力が弱いんです。ですからこうして、本人が見えているアングルが必要になるんですよ」
「突然キャラをやめるんじゃねぇ! それにエメ殿も写る必要があるのかよ!」
「だからぁ、エメちゃんですってば」
「エネだろ、いい加減にしろ!」
「え、私ちゃんとエメって言った……」
「あ、そうか? すまんな」
 もうわけがわからなくなっている吉田だ。
「それでぇ~ん、この刀の号はなんですぅ?」
「『不殺』だ」
「うーん、中二病これでもかって命名ですね‼」
「ほっとけよ!」
 製作を請け負ったターニーがそう命名した際、同じ感想を漏らしたことを吉田はすっかり忘れてしまっている。だが、
「それより、そんなこと言っていいのか?」
「なにがですぅ?」
「その刀の柄頭を見てみろよ」
「はぁ」
 柄頭とは刃を上に向けたときに、柄の底になる部分のことだ。
「この紋様は……まさかターニーさ、ターニー師マスター・ターニ―の⁉」
「そう。『不殺』の号もターニー殿の命名だ」
 ターニーとはここフェクダ王国が誇る大賢者で、大陸で名うての鍛冶師という側面も持つ。その影響力は王以上であり、またその戦闘能力はハンターギルド最高位のSSランクをはるかに超える『原初のエルダー・ドワーフ』なのだ。
「あ……ヨシダ」
「ん?」
「ターニー師がせっかく名付けてくれた号を、中二病くさいってバカにしましたね⁉」
「あんただ、あんたっ‼」
「私の名前は『あんた』じゃなくて、エネちゃんですってば」
「エメだろ、もうええわ!」
 ぷんすか怒りながら、吉田は強引にエメから『不殺』を剥ぎ取った。
「ターニー殿には密告ちくっといてやるから、震えて眠れ。手続きはもういいか?」
 吉田としては捨て台詞のつもりで、もちろんこんな些細なことを密告するつもりは毛頭なかった。だが吉田のその発言を耳にして、エメが青い表情になっている。
「えっと……できれば、それだけは?」
 フェクダ王国の住人にとって、ターニーは神様のような存在だ。その卓越した鍛冶による収益で、国へ納められる税収の半分以上はターニーの工房が稼いでいるのである。
(お、これは……?)
 初めて優位に立てそうで、吉田はほくそ笑んだ。
「どーしよっかなぁ~?」
「お、お願いです! なにとぞ、なにとぞそれだけは!」
 異邦人エトランゼである吉田と、王国の住人であるエメとの間には埋められない認識の隔たりがあった。吉田はからかっているつもりだが、エメにとっては死活問題なのである。
 そしてエメはガタッと立ち上がりカウンター外に出て、吉田の前に立つと深々と頭を下げた。吉田とほぼ同身長とはいえど、九十度も身体を折れば自然と無防備な後頭部が目に入る。
「お、おいおい!」
「お願いします、なんでもしますから……ターニー師には黙っておいてもらえないでしょうか!」
 もはやキャラを演る余裕もないのだろう、切実そうにエメが懇願する。
「そ、そこまでせんでも……えと、悪かったよ。わかったから、とりあえず頭を上げてくれ」
「ええっ‼ 許していただけないのですか⁉」
 身体を折ったまま、その泣きそうな顔だけを上げてエメが叫ぶ。
「だからわかったって言ってるだろ! ……あ、そっか」
 その後頭部になにも罰をくださないというのは、許さないという意思表示であるのがこの世界の常識だ。吉田が軽くゲンコツを作るのに合わせ、エメもふたたび視線を床に向ける。
『ゴンッ‼』
 と鈍い音がした。なんと吉田は、本気のゲンコツをエメの後頭部に叩き落としたのである。
 女性相手に暴力をとも思った吉田だが、このエメに対する鬱憤をはらす千載一遇のチャンスだったのである。だが、
「痛っ‼」
 そう言って思わずしゃがみこんだのは、なぜか吉田のほうだった。涙目で右拳をさするが、指関節が真っ赤に腫れあがっていた。
「ありがとうございます、許していただけて」
 そう言ってニッコリ笑うエメに、
「石頭がすぎるだろ‼」
 とツッコむ吉田は涙目である。
(折れたかも……ひびぐらいは、いってるかもなぁ)
 もう散々な吉田、元気なく踵を返そうとしたらその手を後ろからエメがつかんだ。
「ちょい待ち、ヨシダ」
「次はなんだよ……」
「ハンターの先輩として助言してあげるけど、その刀を堂々と腰に差して歩くのは感心しないわね」
 先ほどまでとはうって変わって、エメの顔は歴戦の戦士のような表情になっている。
「しかもターニー師が鍛えた業物とあれば、それ一本で城の一つぐらい建ってもおかしくないわ。絶対、盗もうとする輩がでるかもしれない」
「そうは言っても、持って行かないわけには……」
「コンテナーギルドには登録してる?」
「コンテナーギルド?」
「えぇ。貸し倉庫とでも言えばいいかな、それそのものはコンテナーギルド内の敷地にあるんだけど、コンテナーギルドで登録した次元仲介鞄ディメンション・バッグを介していつでもどこでも出し入れできるの」
「どういうことだ?」
「百聞は一見に如かずじゃね、まずは見せてあげるけん」
 そう言ってエメは、メロンほどの大きさのポーチを取り出した。そしてそこに手を突っ込み、手早く取り出してその場に置いたのは――。
 その一瞬、ハンターギルド中がどよめいた。また、あちこちでテーブルや椅子がへしゃげるバキバキという音が轟きわたり、向こう側の壁に大穴が開いて屋外が見える。
 幾人かの飲食中のハンターたちが下敷きになり、阿鼻叫喚の叫び声をあげていた。
「な、なんじゃこりゃーっ‼」
 吉田は、思わず腰を抜かす。
 なんとエメがポーチから取り出したのは、体長二十メートル級の亜竜レッサードラゴンの遺骸なのだ。厄災級ともいわれる古代竜よりは小型だが、その性格は獰猛で小型亜竜ワイバーンすら喰らうという。
 それが飲食中のハンターたちをレストランのテーブルや椅子などの備品ごと押し潰し、はてはハンターギルド内に入りきれなかった部分が壁を貫通して建物外に突き出たのである。
「これは私が以前に討伐して、コンテナーギルドに収納しといたんよ。換金しようしようと思って、いつも忘れるんよね」
「そ、そんな大きさのがそのポーチに入るのか?」
「いやじゃけん、入れてるわけじゃないんよ。コンテナーギルドにこのポーチを登録しとるんじゃけど、手を突っ込んだら自分がレンタルした倉庫に直接手が届く仕組みなんよ。便利な魔法じゃろ?」
「いきなり訛るから、内容が頭に入ってこんわっ!」
「あら、失礼! おほほ……」
 エメは、恥ずかしそうに口を押えて照れくさそうに笑う。だがその背後に、ゴリラのようないかつい大男がエメの背後に立って――。
「こらぁっ、エメラルド!」
「ひゃっ、ギルマス⁉」
「こんなところに亜竜を出すバカがおるかっ‼」
 そう言って、ギルマスと呼ばれた筋肉ゴリラが大きな拳をエメの頭頂部に落とした。エメは一八〇センチを超す大女だが、そのギルドマスターの前ではエメが小柄に見えるくらいこの男は大きい。
 そしてそんな場をしり目に、エメと同居しているという猫獣人の少女・シトリンがまるでスイカにそうしているかのようにワイバーンを軽々と両手で持ち上げている。
「エメちゃん、場所を選んでよ!」
 そう言ってシトリンは、ワイバーンの巨躯を自分のポーチの中にしまった。物理を超越してスルスルッと入っていく様は、まるでどこぞの猫型ロボットが主人公のアニメのようでもあり。
「すげぇな、あの子……ええと、シトリン殿もコンテナーギルドに登録してるのか」
 偶然そっちのほうを見ていた吉田が、感心したように嘆息する。
 だがワイバーンが除去されたその場では下敷きになったハンターたちが死屍累々、テーブルや椅子は元の形をとどめていない。ところどころ床も抜けていて、壁の穴からは屋外からの風が吹きすさぶ。
「全額弁償してもらうぞ、エメラルド! それと罰として一ヶ月、牢に拘留だ!」
「そっ、そんなぁ~⁉」
 もう半泣きのエメを、ギルマスが首ねっこをつかんで半ば吊るすようにして連行していった。その様子を、
「オツトメ、がんばってください……」
 とシトリンが呆れ顔で見送る。そしてクルッと振り返り、
「ヨシダ、それでどうします? コンテナーギルドの窓口はここハンターギルドに間借りしてて、その分署があるからそっちでも登録できます」
「そうか、それはありがたい! ところでシトリン殿」
「なに?」
「その荷を出し入れするのは、ポーチの形をしていないといけないのか?」
「どういうことです?」
 吉田が読んだことがあるファンタジー小説や漫画では、なにもないところから亜空間に手を突っ込んで自在に出し入れしていたのを思い出す。吉田はそれをなんとかシトリンに説明し終えるのだが、
「そんなことができたらバケモノでは⁉」
 とシトリンはにべもない。
「そ、そうか」
(やっぱラノベみたいにはいかんか)
 さすがに自分は途方もないことを言ったのだと、シトリンの痛い人を見る視線をあびて吉田は赤面してしまう。
「まぁそうですね。ポーチじゃなくても私物の鞄の持ち込みとか、服のポケットとかでも登録は受け付けてもらえます」
「ポケットか、そりゃいいな。それでコンテナーギルドの分署ってのは?」
「五番カウンターです。案内してあげたいですけど、私はほら……あの頭のおかしい同居人がやらかした後始末にとりかからないといけなくて」
 そう言いながらエメが亜竜の体躯をぶちまけて急襲を受けた野戦病院さながらに、廃墟寸前となった一画をチラと見やるシトリン。その表情がうんざりしているのは、エメのやらかしが今回で初めてじゃないことを物語っている。
「そ、そうか。大変だな?」
「うん、泣きたい……」
 とりあえずシトリンの肩にポンと手を置いて、心から同情する吉田なのであった。


 ハウスをたたみ、吉田は森を出る。国境が森の中を縦断していて、そこはイチマルの玉衡の塔があったアリオト王国を抜けたメグレズ王国。
「たしかメグレズの賢者が住まうのは、天権の塔だったかな」
 地図を片手に、吉田は歩を進める。
「しっかし、見にくい地図だな。周囲に塔らしきものはないから、まだだいぶ――あ!」
 ふと閃いて、吉田はハルのカードを切る。
「主、なんか用か?」
「この近くに、塔が見えないか? ちょっと確認してみてくれ」
「心得た!」
 そしてハルがぐんぐん上昇していく。豆粒ほどの大きさにまでなったとき、空中で停止。
 片手を日差しを遮るようにおでこに添えて、周囲四方をくまなく確認する。そして見つけたのか、急滑降して降りてきた。
「主、あっちの方向に塔が見えるよ!」
「でかした‼ だいぶ距離があるか?」
「そうだね、馬車でも半日ぐらいはかかるんじゃないかなぁ?」
「そんなにか……」
 とりあえずはハルをカードに戻し、ズボンとパンツを思いっきりずらしてお尻の割れ目からカードを引き抜く。
「周囲に人がいなくて助かったぜ」
 だが人がいようがいまいが、道の真ん中でフルチンになっている吉田はどこからどう見ても変質者であった。そんな吉田の周囲が、フッと暗くなる。
「ん?」
 なんと巨大な亜竜が、吉田の頭上はるか高くから吉田に照準を定めているではないか。
「うげっ⁉ エメ殿が出したやつよりでかい!」
 その全長は四十メートルほどあり、エメがコンテナーポーチから出した亜竜の縦横で二倍はある。つまりは面積にして、実に四倍ほどなのだ。
「はっ、早く逃げないと‼」
 パンツを乱雑に上げて、ズボンも急いで上げるが焦りからかベルトをうまく締められない。ベルト金具のカチャカチャという音が、ますます吉田を慌てさせる。
 そうこうするうちに、亜竜が急滑降してきた。そしてやっとベルトを締め終えた吉田は、とりあえず抜け出たばかりの森側へ踵を返す。
(森の中に入ってしまえばなんとかなる!)
 鬱蒼と茂る木々が自分を隠してくれるのを期待したわけだが、重力も手伝って空から急滑降してくる亜竜の巨躯、アラフォーおっさんの走る速度にはるかに勝る。
(くっ、食われる‼)
 もはや吉田、半泣きであった。そして死を覚悟したその瞬間、無意識にカードを一枚切って――。
『ドゴーン‼』
 大砲をぶっ放した音がしたかと思うと、『心臓を打ち抜かれた』亜竜が吉田の真上に落下した。心臓部分は綺麗に円形に繰りぬかれており、その巨躯の向こう側の空が見える。
 すでに亜竜はこと切れていたのだが、それでもその巨躯だ。吉田ごとき脆弱な存在の上に落ちれば吉田は即死を免れないだろう。
 だが偶然にも、その穴が吉田の立っている場所と重なるという奇跡が起きた。もうダメだと目をつぶって頭を抱え込みしゃがんだ吉田が、そのくり抜かれた穴の中央に座り込んでいたのだ。
 そして吉田の傍らには、真上に向かって口から大砲をぶっ放した――ドール。その口から灰色の硝煙を上げていて、カパッとそれを閉じると吉田に向き直って。
「アルジ、ダイジョブ、デスカ?」
「あ、あぁ……助かったよ、ドール」
 吉田が無意識に切ったカードがドールだったというのは幸いであった。まだ呼び出したことのないカードが二枚あるが、現状で亜竜への対抗手段を持つのはドールだけだったからだ。
 だが吉田とドールがいま立っている場所、それは大砲によって繰りぬかれた亜竜の巨躯に開いた穴である。たちまちのうちに亜竜の断面から鮮血が、吉田とドールに四方八方から大量に降り注いだ。
「うわっ、生臭ぇっ‼」
 瞬時にして真紅の鮮血に染まる吉田とドール……のように見えたが、染まっているのは吉田だけだ。ドールを庇うようにして、自分のコートでその小さな身体を包んでいる。
「ア……ア……ア……アルジ……」
 完全に鮮血のシャワーから守れたわけじゃなく、ドールの髪や頬そして着物の一部に返り血がかかったが、それでもほとんどドールは血を浴びずにすんだ。
 幸いにして鮮血は穴の中にたまることなく、土を通じて亜竜の巨躯の外側に流れていく。
 やがて大砲で打ち抜かれた断面からの鮮血の勢いも弱くなり、吉田は包んだコートからドールを解放した。
「ふぅ、女の子を返り血だらけにするわけにはいかないからな。あまり汚れないですん……うわっ‼」
 なんとドールが真っ赤に染まっているではないか。
「すっ、すまんドール! うまく庇いきれなかった‼」
 だがドールが真っ赤になっているのは返り血を浴びたのではなく、吉田のコートに包まれてその上から抱きしめられていたからなのだ……とは乙女心を介さない吉田、当然ながらわかるはずもなかったのである。
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