上 下
8 / 15

第八話・九尾の狐は油揚げの夢を見るか?

しおりを挟む
「この者ですか?」
 吉田が牢の中で黄昏たそがれていたら、凛とした女性の声が檻の向こうから聴こえてきた。虚ろな表情でそちらを振り向いた吉田の目に入ったのは――。
(狐?)
 そこに立って吉田を檻越しに見下ろしていたのは、どこからどう見ても白い狐。といっても身長は一六五センチほどだろうか、二足で立っている。そして前世日本でおなじみの、巫女装束に身を包んでいた。
 くわえて、九本のフサフサな尻尾がまるで扇風機の羽のようにその背後で広がって揺れている。
「はい、姫巫女様。こちらがあのふざけた紹介状を持ってきた親父です」
「ふん、結婚してねーから子どももいない。親父呼ばわりはやめろ」
「お前は黙ってろ!」
 そう言いながら衛兵が長さ二メートルはあろうかという細い棍棒の先を、檻の隙間に入れて吉田を突こうとする。それを姫巫女と呼ばれたその白狐が、ハシッと握って止めた。
「乱暴はなりません」
「は、ははっ!」
 そして白狐がその手に持っている物……それは吉田が持参した、ティアからの紹介状だ。
「そなた、名は?」
「吉田だ」
 すると白狐が紹介状を持った手を少し上げ、そこに目を落とす。
「なるほど、確かにヨシダと書かれていますね」
「へ⁉」
「え?」
 奇しくも、吉田と衛兵の素っ頓狂な声がハモる。
「まったくティア姉も人が悪いですこと、ほ、ほ、ほ」
 そう言って白狐は、困ったような笑みを浮かべて袖で口を隠し笑う。
「あ、あの姫巫女様? そちらにはふざけた悪戯書きが……」
 衛兵が惑うのも当然だが、それは吉田もである。
(なんだ? あのヘンな絵のどこに俺の名前が?)
 そして白狐が再度、口を開いた。
「不思議ですか?」
 そう言いながら、紹介状の文面を吉田によく見えるように掲示した。そこにはあの落書きは影も形も失せていて、代わりに文章が書き連ねられている。
「時間が経つと、目くらまし代わりに書いていた落書きが消えて文章が浮かびあがる……ティア姉の妖精魔法がしかけられていたのですよ」
「マジか! じゃあティアのイタズラじゃなかったんだな⁉」
 そう、確かにティアは『バレないようにしとくね』と言っていたのだ。だが白狐は、
「はい、イタズラじゃないですね。ティア姉からヨシダに対する嫌がらせですよ、これ」
(やっぱあの妖精、一回殴ろう)
 ガルルとばかりに鼻息も荒い吉田に、
「ティア姉は人間嫌いですからね。とは言っても、なにも悪いことをしていなければ特に害をなさないのですが……ヨシダはティア姉に、なにか失礼なことをしましたか?」
「なにもしてねぇよ……です。えっと」
 ふと記憶を探って、そして『なにもしてない』わけじゃなかったことに吉田は思い当たった。
「心当たりがあるようですね。なにをしたのですか?」
「えっと、カードを」
「カードを?」
「ティア殿の顔に……」
「顔に?」
「投げつけました」
 説明がかなり不足しているが、嘘ではない。それにくわえて、
「えっと……ズボンをずらして、パンツを見せながら近寄りました」
「……」
 吉田はバカなのだろうか。案の定、その白狐――イチマルは怒りで身体がプルプルと震えている。
「この者との面談は明日に延期します。とりあえず今日は、百叩きしておきなさい」
「かしこまりました」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
 哀れ吉田、衛兵数人がかりで全裸にひんむかれて生尻に鞭で百叩きの刑に処されてしまう。そして翌朝、尻が痛くて床につけられない吉田は『ごめん寝』の姿勢で目を覚ました。
 この『ごめん寝』とは、猫がよくやる土下座の姿勢で両手甲を枕にして寝る方法だ。ほどなくして朝食が運ばれてくるが、吉田は尻が痛くて座れない。
「くっそ、手加減しやがれ」
 とぶつくさ言いながら、和式のウンチングスタイルで器を手に取る。そして間が悪いことに、そのM字開脚で丼飯をかっこんでいるところにイチマルがやってきた。
「……はしたない恰好ですね」
「言わないでくれ。尻が痛くて座れないんだ」
 すっかりやさぐれてしまった吉田、もう敬語を使う気力も残っていない。
「あんたがイチマル師マスター・イチマルだな?」
 丼を床に置きイチマルを見上げながら大股を広げしゃがみこんでる吉田は、どこからどうみても体育館の裏でタバコを吸いながら上目遣いにイキっているヤンキーそのものである。
「いかにも。その前にお尻の痛みを取ってあげましょう。『鎮痛魂魄ロキソーニ』」
 イチマルのその妖術で、たちまちのうちに吉田の尻の痛みが消え失せた。
「こりゃありがてぇ。治癒魔法か?」
「というよりは妖術ですね。一時的に痛みを感じなくしているだけですので、妖術の効果が切れたらそのぶんの痛みがあとでまとめてぶり返してきます」
「ダメじゃねぇか!」
 ジロリと、衛兵が吉田を無言で睨む。
「どうしますか、姫巫女様。百叩きを今日も行いましょうか」
「勘弁してくれ……」
「それにはおよびません、ヨシダは客人です。ただちに解錠して、身を清めさせてから私の部屋に連れてきなさい」
 そう衛兵に命じて、イチマルは踵を返していった。
「かしこまりました。おい、出ろ!」
「チッ」
 そして案内されたのは、庭園にある泉のような場所。といっても自然の泉ではなくちゃんと敷設された施設のようで、どちらかというと露天風呂に近い雰囲気だ。
「ここで身を清めろ。着替えをここに置いておくから、終わったらこれを着て戻ってこい」
「俺の服はどうなるんだよ」
「そりゃあ、もちろん……」
「もちろん?」
「クリーニングしてお返しする」
「親切かよ!」
 とりあえずは服を脱ぎ、自分の尻を確認。昨日よりはだいぶマシになっているが、それでも真っ赤に腫れあがっていた。
「痛みだけ取ったってのは本当なんだな」
 そしてそれが、妖術が切れた瞬間にまとめて襲ってくるのだ。それを想像して、吉田は背筋が凍る思いである。
「身を清めるつーてもタオルも石鹸もシャンプーもねーじゃねぇか」
 そう言いながら吉田は片足を泉に入れたのだが、
「冷てぇっ! 温泉じゃないのかよ‼」
 誰もそんなことは言っていない。がくがく震えながら泉に浸かり、一分も経たずに吉田は泉を飛び出た。
「このままじゃ風邪をひいちまうぜ。身を清めるって、こんなもんでいいだろ?」
 そうぶつくさ言いながら、用意された衣装を広げる。
「これは……白装束じゃねぇか」
 そう、純白で修験者や神職にある者が着る浴衣風の単衣。それはときには死装束に見えなくもない。
(嫌がらせかな?)
 そう思ったが、とりあえず左前にならないように注意して着用する。嫌味でそうしてやろうと思ったが、また百叩きをくらわされたらたまったものじゃないからだ。
「おう、戻ったぜ」
「ずいぶんと早かったじゃねーか。それに」
「それに?」
「身体が冷えてるようだが? 湯が冷めていたのか?」
「は? ふざけるな! あんな冷たい泉のどこが湯だ‼」
 吉田は殴ってやりたいのを必死で我慢して、それでもギロリと衛兵を睨みながら怒鳴る。
「泉? お前は湯殿で身を清めたんじゃないのか?」
 吉田の雰囲気に押されながらも、衛兵は戸惑いの表情を隠せないでいた。
「湯殿? なんのことだ?」
「いやだから、生け簀の向こう側に湯殿があったろ?」
「……生け簀?」
 生け簀とは、取った魚などを一定期間飼っておくところだ。寿司屋とかで捌く前の魚を入れておく水槽をそう呼ぶこともあれば、小さな人工の泉を竹垣などで囲うタイプまでさまざまなものがある。
「生け簀……なにも泳いでなかったじゃねーか」
「あぁ、清掃のために一時的によそに移してんだ」
 なんと吉田は、生け簀の中で身を清めたのである。自分の勘違いに気づいて途端に真っ赤になってしまう吉田だったが、それはなんとしてもバレたくない。
「そっ、それより早く、あっ、案内してくれ!」
 狼狽のあまり、口が上手く回らない吉田である。だがそんな吉田に、衛兵が不思議そうな表情を向けて――。
「あ、あぁ……その前に一つ訊いていいか?」
「なんだ?」
「なんでお前は、全裸で生け簀に浸かってたんだ?」
「見てたのかよ! 止めろよ!」
 散々な吉田であった。


「姫巫女様、案内してまいりました」
「ご苦労様です。あなたは下がりなさい」
「え? それでは姫巫女様の護衛が……」
「私に護衛なぞ必要のないことは知っているでしょう? 様式美として必要かもしれませんが、客人に警戒させたくはないのです」
「かしこまりました」
 和風の宮殿のような立派な一室に案内され、イチマルと衛兵の間でそんな会話がなされて吉田は中に進み入る。
(神社みてーだな)
 きょろきょろと落ち着かない吉田に、
「そちらにおかけください、ヨシダ」
 昨日と同じ巫女装束に身を包んだイチマルが、これまた和風……というよりは中華風に近い長椅子へ手を指し示した。
「なんでも、お風呂と間違えて生け簀に浸かったとか。風邪はひいておりませんか?」
「チッ、大丈夫ですよっ」
 吉田は恥ずかしさのあまり、少し赤面した顔を背ける。
「そうですか、ならいいのです……が」
「ん?」
「ちょっと待って、お腹痛い……くっくっく」
「……」
 イチマルは片手で脇腹を、もう一方の手で口を押えて必死で笑いをこらえていた。というか全然こらえていなくて、ギュッとつぶった両目からは笑い涙がにじみ出ている。
(なるほど、ティアあれと類友だな)
 とりあえずは椅子に腰を落として、イチマルと向かい合う。
「ご存じのとおり、俺は吉田だ。その紹介状にどこまで書かれているかわからないが、イチマル師には最初から話したほうがいいか?」
「お初にお目にかかります、イチマルです。そうですね、ティア姉の手紙も戻ってしまいましたしね」
「戻った?」
「はい」
 そう言いながら、イチマルは机上にある一枚の紙を指さす。そこには、見覚えのあるあの落書きが描かれていた。
「おそらく、一定時間後に文章が浮かび……そして一定時間経つと消える仕組みなのでしょう」
「なるほど、盗み読み対策ってわけか」
「いえ、ただの嫌がらせだと思います」
「……」
(もう帰りてぇ……)
 すでに吉田のライフはゼロに近かった。
 しかたないので、とりあえず吉田は話し始める。前世で死んだ話、冥界神のクロスに出会ってカードをもらい、そして火事で焼け死ぬ子どもたちをカードに封じ込めたこと。
「これがそのカードだ」
 そう言って吉田は、七枚のカードをそろえて机上に置いた。
「拝見します」
 イチマルがそれらを手に取り、しげしげと観察する。
「クロス様は間違いなく、リリィディアが作ったと言ったのですね?」
「あぁ、そうだ」
「……そう言われれば懐かしい気もしますが」
(まただ)
 吉田は、既視感デジャ・ヴュにも似た感覚を覚える。それはターニーから、そしてティアからも感じたそれは――。
「まるで自分たちが、リリィディアみたいな言い方するんだな?」
「え?」
「ターニー殿やティア殿も、似たようなことを言っていたんだ」
「……そうですか」
 不意に、イチマルの表情が暗くなる。吉田は直感で、このネタは掘り下げないほうがいいと判断した。
「ま、そんなことよりよ! イチマル師、あんたなら子どもたちをカードから出す方法を知っているんじゃないのか?」
「知っている、んでしょうね。私じゃない私が」
「え?」
「ですがいまヨシダの目の前にいる私は、もうしわけありませんが存じ上げないのです」
「えっと、なんのことだかわからないが……」
(私じゃない私ってなんだ?)
 だがこれも、イチマルは訊いてほしくはなさそうで。
「つまり、徒労に終わったってことなんだな」
 ちょっと嫌味な言い方になったかと思ったが、吉田はすっかり意気消沈してしまっていた。
「お役に立てずもうしわけありません」
「あ、いや。頭を下げないでくれ、イチマル師」
「イチマルで結構です。ただ、そうですね……とりあえずどれかの『式』をお見せしていただくことは?」
「そりゃ構わねえ。ちょっと待ってくれ」
 吉田はイチマルが机上に戻したカードを手に取り、それを扇状に広げる。
(ハル……は、イチマル殿に失礼な口を利きかねない。ドールは、野営の際に家事一切をやってもらうから温存しときたいしな)
 カードから出した『式』が、カード外にいられるのは六時間。それを過ぎたら、三時間は呼び出すことができない。
(フェンは抜け毛があるから、この綺麗な神殿で出すのはちょっとな。マーメイは水場がねーしで)
 そして吉田が選んだのは、一枚のカード。それにキスをして、吉田は真横に投げる。
(前方に投げたら、イチマル殿に当たっちまうからな)
 それはティアのところで学習した吉田だったが、肝心なところを学習していない吉田……カードを投げた瞬間にその『式』が顕現するのだが、白紙となったカードは吉田の尻の割れ目に戻るのだ。
「う⁉」
「う?」
「あ、いやなんでもない」
 幸いにして吉田は白装束に着替えていて、しかもノーパンだった。足を少し広げてガニ股になると、カードがヒラリと足元に落ちる。
 それをササッと拾いあげるのだが、
(あのカードはどこから落ちたのでしょう?)
 とイチマルが不思議そうに首をかしげた。これについて追及されたらたまらないので、吉田は新たに顕現した『式』に向かって。
「お前は?」
「我こそは不死王リッチなり。この身体はもう朽ちることはありませぬが、それでもこの身の朽ちるまで主とともに……」
 そう、顕現したのは全身が骸骨で魔導士のような濃紺の衣装に身を包んだアンデッドなのだ。イチマルが眉をひそめ、
「宗教施設にアンデッドを召喚しますか、普通?」
 と少しイラ立ちまぎれに漏らす。
「うっ……言われてみれば確かに」
 だが目の前で主が攻撃いや口撃されているのだ、その不死王は黙ってはいなかった。
「そこな獣、主になんという口を利くのだ……」
 だが九尾の妖狐イチマル、その妖力は生けとし生けるすべての存在の頂点にある。無言のままギロリと一瞥されて、不自然なまでにサッと視線を外す不死王だった。
「えっと、なんかすまん。とりあえずそうだな……お前の名前はボーンだ」
「ボーン、よき名前でござりまするな主。ありがたき幸せ……」
(あれ? 感情が宿るんじゃないのか?)
 というかBONEとはまたしても安直な命名であった。
「なるほど、名前をつければ感情が宿るのですね」
「え?」
「なんです?」
「いや……」
 どうやらイチマルには、命名前と後とで違いがわかるようだった。だが吉田には、サッパリわからない。
「とりあえずこれはみんなに訊いていることなんだが……人間だったときのことは覚えているか?」
「人間、ですか。そりゃこの骨格ですから、人間でしたんでしょうな。ただあいにく、生前の記憶は……」
「そうか。性別すら思い出せないか?」
「……もうしわけありませぬ」
「いやいい、気にしないでくれ」
 二人のそんな会話を傍観していたイチマルだが、
「女性……それも若い、むしろ女児でしょうね」
「イチマル殿、わかるのか⁉」
「はい。かいま見える軟骨がまだ若々しいですし、それに……」
「それに?」
「失礼」
 そう言ってイチマルはボーンの前に回り込むと、その衣装を強引に剥いた。ボーンの、全身の骨格があらわになる。
「キャッ、エッチ‼」
 なおこれは、ボーンの嬌声である。
「鎖骨に肋骨、明らかに女性の骨格です」
「そ、そうか」
(さっきボーンは、エッチとか言ったか?)
 とりあえず吉田は、イチマルが剥ぎ取った衣装を拾いあげてボーンに手渡す。そしてボーンはそれを装着しようとするも、手指が骨だけしかないので少しモタついていた。
「手伝うよ」
「あ、ありがと……」
 まるで父が幼い娘にそうするように、両手をあげたボーンに服を被せてやる吉田である。そして白骨のみで構成されているのに、なぜか頬がポッと赤く染まるボーンだ。
「それでボーン、お前はどういうことができる?」
「ふふふ主、よくぞ訊いてくれましたぞ。拙者は」
「それが普通ならそれでいいけど、楽に話していいぞ?」
「あ、そうなの?」
 いきなりのギアチェンジっぷりに、ガクッとなってしまう吉田とイチマルだ。イチマルの巫女衣装の、片側がズリってしまったほどに。
「私の得意技はこれ!」
 ボーンがそう言い放つと、スゥーッとその姿が透けていく。そしてその姿は、完全に消失してしまった。
「え、消えた⁉ ど、どこに行ったんだ……」
「いえ、どこかに行ったわけじゃないですね。質量をゼロにしたのでしょう、なのでこの場にボーンさんはとどまってますよ」
 そう言いながらイチマルは吉田の背後に回ると、吉田の腰から二十センチほど離れた『空気』をガッと掴んだ。
「痛いっ‼」
 ボーンの声が吉田の背後から聴こえ、そしてその完全な姿を露出する。なんと吉田の背後から抱きついていたのだ。
 といっても、イチマルに首ねっこをつかまれているわけだが。
「あっ、主ぃ~、この狐さん怖い‼」
「あらあら、ごめんなさいね? ホホホ」
 そう言って不敵に笑うと、イチマルはボーンを解放してやる。
「なんでわかったんだ?」
「と言われましても……わかるからわかったとしか」
(なるほど……賢者ゆえに、か。敵に回したらいけないタイプだ)
 ボーンが照れくさそうに、いそいそと吉田の目前に戻る。
「ふふふ、主。おわかりいただけたかな」
「いやだから、そういうキャラじゃないのならやらんでいい」
「え、でもそれっぽい話し方をしないと……」
「しないと?」
「似合わなくないですか?」
「どうでもええわっ‼」
 とりあえずはボーン、なんとも愉快な女の子のようである。


「ヨシダ殿、なかなか興味深い剣をお持ちのようですね」
「あ、これか? 号を『不殺』といってな。ターニー殿に鍛えてもらったのだ」
「まぁ、ターニーさんから?」
「知っているのか? ってそりゃそうか、賢者仲間だものな」
(あのポンコツ妖精はともかく、なんて言ったら怒られるだろうか)
 どうやらイチマルとティアは仲がよろしいようで、口は災いの元とばかりに唇をキュッと結ぶ吉田である。
「しかし、なにゆえに逆刃なのです?」
「それが情けない話なんだが、俺は武器が不得手でな。また、自慢じゃないが人を刃物で斬ったことがない」
「まぁ……すでに何十人か殺してそうなお顔ですのに」
「ほっとけ!」
「あら失礼。ほ、ほ、ほ」
 この軽口のやり取りが楽しいのか、イチマルが口を巫女衣装の袖で隠して笑う。
「俺が前世でいた世界では、そもそも刃物を持つことが法律で禁じられていたんだ」
「まぁ、平和な世界ですのね」
「あぁ」
 銃刀法――正確には刃渡り六センチ以上のものが対象になるのだが、そこは省略する吉田である。
「だから人や魔獣を斬るのに慣れていない。まぁこの世界ではいつかその機会がおとずれるだろう、だが……」
「大事なものをも傷つけてしまうかもしれない、といったところでしょうか」
 言い当てられて、吉田は軽く驚きの表情を浮かべた。
「はは、情けないだろう? でかい身体して、このザマだ。笑ってくれて構わない」
「笑いませんよ。ヨシダの考えは、私は立派だと思います」
「ありがとう」
「ですがヨシダ、剣の経験はないのですね?」
「いや、街の剣術道場で少し……といっても一ヶ月ぐらいか、ハンターギルドでは剣士としての登録を断られたレベルだ」
「なるほど。でしたらヨシダ、一ヶ月……いえ一週間でもよいので、私の塔に滞在しませんか?」
「イチマル殿の? 確か玉衡の塔といったか」
「はい。こう見えて私、ナギナタではありますがこの大陸では上から数えたほうが早いぐらいには使えますよ」
(ナギナタって、あの薙刀だよな? この世界にもあるのか……)
「いかがいたしますか?」
「そうだな」
 吉田としては、少しでも早く子どもたちを助けだしてやりたい。だがいまの自分の技術では、志半ばにして落命してしまうかもしれないのだ。
「急いてはことを仕損じる、か」
「急がば回れともいいます」
「わかった、ぜひともお世話になりたい。修行時間以外は、雑用でもなんでもこき使ってくれ」
「わかりました。では私、帰り支度がございますのでしばしお待ちいただけますか?」
「あぁ」
「なんでしたら、もういちど湯殿に浸かられても構いませんよ。もちろん、塔にも浴室はございますけど」
「ふむ……では遠慮なく。こちらの湯殿を、まずは使わせていただきたい」
 泉(?)の冷たい水に浸かっていたのである、吉田の身体は十分に冷え切っていた。
「かしこまりました。これ、誰かある!」
 そう言いながらイチマルが手をパンパンと叩くと、先ほどの衛兵がすっ飛んできた。
「ヨシダを、湯殿にご案内さしあげてください」
「わかりました」
「もしヨシダがどうしてもとおっしゃるなら、生け簀にご案内してさしあげて?」
「言わねーよ‼」
 イチマルとその衛兵が、二人並んで吉田に背を向けてプルプルと震えている。もちろん、噴き出すのをこらえているのだ。
(ったく、性格悪いぜ!)
 案内された湯殿で、さっそく吉田は白装束を脱ぐ。そして扉を開けて、思わず目を見張った。
「広いな!」
 縦横それぞれ二十メートル近くあるだろうか、ちょっとした温泉なみの広さだ。そしておそるおそる足を湯につけるが、湯温はちょうどいい塩梅で。
「はぁ~、生き返るぜ」
 そしてふとなにかに思い当たった表情を浮かべると、すぐに湯から出る。さきほど白装束を脱ぎ捨てた脱衣所まで戻り、一枚のカードにキスをして『式』を具現化させた。
「主、命令です?」
「いや、マーメイ。お前はお湯は平気か?」
「うん!」
 呼び出されたのはマーメイ。下半身が魚であるのに、器用に立ってみせている。
「じゃあそこの扉の向こうがお風呂だ、入っていいぞ!」
「ありがとう‼」
 そう言ってマーメイはビチッとジャンプ一番、扉のところまで一気に飛んで浴槽に一直線だ。吉田もあとから続くが、浴槽のところまでたどり着くとすでにマーメイは泳ぎを堪能している真っ最中であった。
「マーメイ、気持ちいいか?」
「うん!」
「泳ぎながらでいいんだが、マーメイ」
「主、なに?」
「おっさんの裸は平気なのか? いまさらだが」
「私だって普段は全裸だよ、もらった胸隠しをするぐらいで」
「胸隠し? あぁ、ビキニブラな。マーメイが平気ならいいんだ」
(羞恥心がないというよりは、種族として考え方の違いだろうな)
 それによくよく考えてみればマーメイの下半身は、魚とはいえ彼女の言うとおり裸なのである。
「ドールやボーンとかは恥ずかしがりそうだな。フェンは男の子だからいいとして、ハルはどうだろうか」
 そんなことを考えていたら、いつのまにかマーメイが茹ってしまったのか目を回しながら浮いていた。
「マ、マーメイ! 大丈夫か⁉」
 急ぎマーメイを姫だっこでかつぎあげると、脱衣所まで運ぶ。だが親子ほどの年の差がありそうな、そのいたいけな少女の裸体にそう気安く触れるわけにもいかない。
 しかたないので、吉田はもう一枚カードを切る。
「アルジ……エート……」
 ドールが、顔を真っ赤にして急いで後ろを向いた。
「あ、悪い」
 ドールとしては、呼び出されたらいきなり目の前に全裸の吉田がいたのである。呼び出されたのに背を向けるのは眷属として褒められたもんじゃないが、それでも『それ』を直視することはできなかった。
 ドールの身長的に、目の前に吉田の吉田ぞうさんがあるのだ。吉田は取り急ぎ手ぬぐいを腰に巻いて、
「マーメイが湯あたりしちまった。なんかあるか?」
 雑すぎる命令である。だがそこはドール、振り返りながらお盆を水平に差し出すと白煙を立てて氷水の入った氷嚢が二つ顕現する。
「お、助かる。さすがだなドールは」
「アリガト、ゴザイマス」
 ドールが嬉しそうに、照れてみせた(ように吉田には見えた)。
 そして目を回しているマーメイのおでこと、そのささやかな胸の谷間にもなっていない谷間にそれを置いて、ドールからお盆を借りるとそれで扇いでやる。
「う、うーん?」
「大丈夫か、マーメイ」
「熱かったです、主」
「うん、今度から気をつけろ」
「へへ」
「ったくよ!」
 湯あたりの影響で白い肌を赤く染めているマーメイが気まずそうに笑うと、吉田はおでこの氷嚢を取ってその頭をガシガシと乱暴に撫でた。
 吉田があまりにも強く撫でるものだから、胸に置いた氷嚢がずれ落ちそうになる。
「おっと」
 思わずそれをつかもうとした吉田だったが、湯気で目算が狂った。
『ふにっ』
 とても柔らかい感触が吉田の手のひらから伝わってくる。
「にゃ?」
「すまん!」
「なにがですか?」
 吉田は間違えてマーメイの乳房の片方を、ビキニブラ越しとはいえどつかんでしまったのだ。だがマーメイは、ぜんぜん気にする素振りはみせない。
 そして、ドールがジト目(のつもり)で見ていることに気づいてはいないようだ。さらに、いいことラッキースケベのあとには悪いことが重なるもの。
「ヨシダ殿、クリーニングが終わった服はこちらに置いておきま……」
 吉田が着てきた服のクリーニングが終わったらしく、丁寧にたたまれたそれを持って衛兵が入ってきた。
「あ、ありがとう」
「へ……」
「へ?」
「変態だーっ‼」
 ブラ一丁の女の子が寝かせられていて、その胸を吉田が揉んでいるのである。マーメイの魚の下半身はドールの身体で死角になって見えないのもあって、衛兵が勘違いしたのもしょうがなかった。
「ち、違うんだ!」
 だが衛兵は吉田の服を乱暴に放り捨てると、悲鳴をあげながら一目散に逃げ返っていく。
(イチマル殿に報告されたらまずい!)
 とっさに吉田は、あとを追いかけた。だが全裸で手ぬぐいを腰に巻いた変態が追いかけてくるのだ、衛兵も必死の形相で走る走る。
「待ってくれ!」
 途中で手ぬぐいがほどけて落ち、吉田は完全な全裸となった。だがいまは、衛兵の誤解を解くほうが先だ。
 そう判断した吉田は本殿まで走ったところで、ようやく逃げる衛兵の背に手をかけることができる距離まで詰めた刹那――。
「乱心しましたか、ヨシダ‼」
 目の前にはイチマル。そして衛兵が怯えた表情で、イチマルの背に隠れる。
「いや待て、違うんだイチマル殿!」
「姫巫女様! あやつは年端もいかない少女を湯殿に連れ込んだばかりか、その胸を揉んでいたのであります‼」
「ちっ、ちが……」
 いや、違わないだろう。怒りで顔を真っ赤にしてプルプル震えているイチマルが、あごでクイッと後方にジェスチャーを送る。
 たちまちのうちに衛兵たちが吉田を拘束し、地下牢へ連行。そして、まだ腫れの引いていない吉田のお尻を鞭で叩き始めた。
「十四!(ジャーン) 十五!(ジャーン) 十六!(ジャーン)」
「痛っ! 痛っ! 痛っ!」
 なぜか一発鞭打つごとに銅鑼が鳴らされ、哀れ吉田は百叩きの刑に処される。そして脱衣所では、取り残されたマーメイとドールが帰ってこない主を待ちわびていたのだった。
しおりを挟む

処理中です...