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第七話・その妖精、イタズラ好きにつき

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おっそ~いっ‼」
「す、すまねぇ!」
 当初は徒歩だったものの、いつまでもティアを待たせるわけにはいかない。途中からはフェンにまたがり、吉田は一路ベネトナシュを目指して。
(最初からこうすりゃよかったぜ)
 だが後悔してもあとの祭りだ。それにフェンは魔狼なので、人目につく場所では誤って討伐される可能性もあるので慎重にならないといけなかった。
 そしてやっとたどりついた、ベネトナシュは揺光の塔。そこに住まう『はじまりの妖精イニティウム・フェアリー』であるティアがこの国の賢者だ。
 肩にちょうど付くぐらいの長さの、ゆるくウェーブのかかったプラチナブロンドは毛先が赤みを帯びている。その中ほどに、シンプルな白い一枚羽の髪飾り。
 十代半ばにも達していなさそうな童顔に、宝石のロードナイトを彷彿とさせる緋色ピンクの瞳。その右目の下には、小さな泣きぼくろが鎮座している。
 身長は一五〇センチあるかないかぐらいだろうか、背中には蝶々のような形の赤味がかかった半透明の羽。
 おしゃまで、それでいてどこか勝気そうな表情――。


※ティアのキャラデザ画像です。©らいふねこ

 そのティアはぷんすか怒っていたが、とりあえずは中に案内される。そして最上階のリビングにて、勧められるままにソファへ吉田は腰を落ちつけた。
「まず自己紹介だ、俺の名前は吉田。ファミリーネームはない」
 という設定に、この世界ではしている吉田である。だがその『吉田』という名前を耳にして、ティアが怪訝そうな表情だ。
「ヨシダ? それって……」
 そこまで言いかけて、
『吉田って苗字じゃないの?』
「え? あぁ。この世界に飛ばされてからずっとそう名乗ってきたから、この名前でいくつもりなんだ」
『ふーん、まぁだいたいのとこはターニーから聞いたけどね。とりあえず、カードを見せてもらえる?』
「わかった」
 吉田はカードをティアに差し出しながら、えもいわれぬ違和感を感じていた。
(なんだ?)
 だがそれがなんなのか、吉田には皆目見当もつかない。
『なるほど、これが「リリィディアが作成したカード」ね。全然記憶にないけど』
「え?」
『ううん、なんでもない。それより吉田……さん、あなたこの世界の言葉をどこで覚えたの?』
「いや、最初から理解できたんだ。多分、クロスの野郎が気を利かせたんだろう」
『なるほど、翻訳補正ってわけね。っていうかクロス様って、いちおー神様なんだけどな』
「俺はあいつが嫌いだ」
『あははは、なにがあったんだろう? そっか、そういうことか』
「なにがだ?」
 ティアは悪戯っぽく笑うと、
『さっきから私、日本語でしゃべってるの』
「⁉」
『全然気づかないんだもんなぁ』
「ちょ、ちょっと待て! なんであんたが」
「ティア」
ティア師マスター・ティアが日本語を解すんだ⁉」
「ティアでいいってば」
 そして吉田は、ターニーが言っていたのを不意に思い出した。
『ティアって異世界を行き来してるから、ひょっとしたら吉田がいた世界のことも知ってるかもよ』
(そういうことか……)
 つい考え込んでしまった吉田に、ティアは人間嫌いという前評判を感じさせないほど穏やかな笑みをたたえてみせている。
「吉田さんてことは、日本人だよね? 見た目もまるっとそうなんだけど、転生じゃなくて転移なの?」
「いや、一度死んでる。ただ死んだときの姿のままで転生したんだ、ていうか俺のことは、呼び捨てで構わん」
「わかった」
「ところでティア……殿も、元・日本人なのか? いや違うな、ターニー殿は確か……」
「うん。もともと私は『こっち側』の人間だよ。ただ私ってば、死んでは自分に生まれ変わるってのを数えきれないほど繰り返してて」
「それはめんどくさいな」
「あはは、でしょ? で、たまに自分じゃない他人……しかも異世界だったりに、『寄り道転生』しちゃったりなんかするのね」
「ふむ」
「だから私が日本人として生きたのは、前々世の話。三十歳まで生きたんだけどね、ブラック企業で過労死寸前のところを通り魔にナイフで刺されて道路に倒れ込んだらトラックに轢かれて」
「なんだ、そのラノベの設定てんこ盛りな死に方は⁉」
「へぇ、吉田はラノベ読むんだ?」
「愛読者ってほどじゃないがな。姪っ子……前世での姪から借りて、何冊か読んだことがあるぐらいで」
「ふむふむ。私は東京都民だったんだよね、二十三区外だったけど。吉田は?」
「俺も同じくだ。死因は……えっと」
 吉田は先ほどのティアの言葉を思い出していた。過労死寸前と通り魔はともかく、ティアの前々世にとどめを差したのは――。
「俺は前世でトラックの運転手をやってたんだが……」
 そして吉田はすべてを話した。そしてすべてを話し終えたあと、ティアからの反応はなく。
「まぁそういうわけで、『式』から子どもたちを別離させる方法を模索してここにまかり越した次第……ティア殿?」
「え? あ、あぁうん、ごめん。呆けてた」
 ティアは、少し複雑そうな表情を浮かべる。
「トラックで轢いた側と轢かれた側が、ここにいるんだね」
 といっても前々世のティアを轢いたのは吉田ではない。だからティアも、反応に困っていたのだ。
「まぁそれはいいとして、吉田……大変だったね」
「……あぁ、ありがとう」
「で、とりあえず本題だけど。あまり期待しないでほしい」
「もちろんだ、と言ったら失礼か?」
「ううん」
 そしてティアは七枚のカードを机上に広げる。
「『神恵グラティア』!」
 ティアの手のひらから無数の光の粒が顕現して、それらがカードに降り注ぐ。ティアが得意とする治癒魔法……なのだが。
「なにも起こらないな」
「なにも起こらないわね」
「……」
「……」
 ティアが、気まずそうにうつむいた。吉田は慌てて、
「いや、あんたの……ティア殿に落ち度はない! そう気に病まないでくれ」
「うん、ありがとう吉田。ただ私もリリィディアみたいなもんだから……」
「え?」
「あ、なんでもない。それよりさ、なんか『式』を出してみてよ。解決の糸口が見つかるかもしれない」
「あ、あぁ……」
(そういえばターニー殿も言ってたな)
『確かにボクもリリィディアの欠片ではあるんだけど』
 そうターニーが言ってたのを思い出し、そして先ほどのティアが。
『ただ私もリリィディアみたいなもんだから……』
(この符牒が意味するものはなんだ?)
 だがいくら考えても、吉田の残念な頭脳では答えが出てこない。それよりも、ティアが『式』を出すのをワクワクしながら待っている。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
 吉田は机上に広げられた七枚のカードを手に取ると、一枚一枚を慎重に吟味し始めた。
(ここはドールか? いや、まだ呼び出したことのない『式』もいるんだよな)
 そして吉田は意を決して、一枚のカードをチョイスする。そしてキスをして、カードを前方にヒュッと投げ……たら、ティアのおでこにヒットした。
いった~い!」
「す、すまねぇ!」
 だが最悪なことに、吉田はズボンのベルトを緩めて少し脱ぎかけていた。カードが尻の割れ目に戻ってくるのを予想して、サッと脱いでサッと履こうという作戦が裏目に出る。
 そしてティア目線で想像してみてほしい。アラフォーのいかつい顔つきで高身長のおっさんが、カードを自分の顔に投げつけたかと思うとズボンをずらしてパンツを見せながら心配そうな顔で寄ってくるのだ。
「ひっ……」
「え?」
「変態だーっ‼ 『神恵グラティア』!」
 ティアの手のひらから、無数の光の粒が顕現して吉田を包み込む。これは治癒魔法ではあるが、あるのだが……薬も過ぎれば毒になるというもの。
 いま吉田の身体には、常人がストックできる許容量リミットを遥かに超えた魔力が注入されたのだ。
「うっぎゃああああああっ‼」
 哀れ吉田、身体からプスプスと黒い煙を立ち上らせながら白目を剥いて後頭部から床に倒れていく。
「はぁ……はぁ……はぁ……なんなのよもうっ!」
 そしてふと、ティアは吉田以外の気配を感じ取った。
「ん? 誰?」
 バタバタッと、そしてビチビチッと。誰かが床で悶えてるような音が、リビングに響き渡った。
「吉田、じゃないよね」
 その吉田は、白目を剥いて泡を吹きながら失神しているのだ。そしてティアは振り向く――。
「ひっ⁉」
 そこで苦しそうに床で七転八倒しているのは……。
「人魚⁉」
 上半身が人間で、下半身が魚。上半身は女性形態で、しかも裸だ。
 緑色のゆるふわロングの髪が背中の中ほどまでに伸びていて、瞳の色は綺麗なエメラルドグリーン。それが顔を真っ赤にして苦しそうに、両手で喉を押さえてビチビチビチッと床で七転八倒しているのである。
 その様子はまるで漁港に水揚げされた、網にかかった魚のようでもあり。
「えっと! と、とりあえずつらいよね⁉ 『水の牢獄カルチェレ』!」
 そう唱えたティアの手のひらから、巨大な水玉が顕現する。そしてそれは苦しそうにもがく人魚を優しく包み込むと、ふわっと宙に浮いて。
「はぁはぁ……死ぬかと思いました」
「えーと。ご、ごめん?」
 水玉の中にいるのに、なぜか人魚の声が聴こえてくる。先ほどまで水揚げ(?)されていたのだ、呼吸ができなくて人魚は苦しんでいたのである。
「と、とりあえず吉田のほうも……『神恵グラティア』」
 ティアの魔法で、吉田が目を覚ました。そしてティアと……宙に浮く水玉、そしてその中にいる人魚を見てギョッとした表情を浮かべる。
「な、なんだこりゃ⁉」
「私が訊きたい……」
 吉田はとりあえず、尻の割れ目から白紙になったカードを取り出してズボンを履き直した。そしてその白紙になったカードをティアに手渡しながら、
「実は式が抜けたらカードは白紙になって、俺の尻の割れ目に移動してくるんだ」
「ふ、ふーん⁉」
 とてもじゃないが理解できないそのシステムに、ティアは……指二本のみで吉田から白紙のカードを受け取る。それはまるで、ばっちぃ物にでも触れたかのように。
「おいおい、失礼だな」
「いやいや吉田⁉ おっさんが生尻の割れ目からカードを引き抜いて手渡してきたんだよ‼」
「あ……それもそうか」
 ティアは白紙になったカードをチラとだけ見て、少し顔をしかめながら吉田に差し戻す。
「で、吉田。『コレ』なんだけど」
「うん」
 二人、いっせいに人魚のほうに顔を向ける。水玉の中では、上半身が十代前半ほどの人魚が頭を垂れて三つ指をつき吉田からの言葉を待っていた。
 そのささやかな胸はささやかゆえに、現代日本なら通報案件である。もちろん、逮捕されるのは吉田だ。
「えっと、お前は?」
「マーメイドでございます、主」
「あ、うん(見りゃわかる)。ていうか……あ、そうか。名前、名前っと」
「待って、その前に」
 ティアがクローゼットのところまでパタパタと羽をはばたかせて飛んでいき、ビキニブラを手に戻ってきた。
「はい、これあげる。この子、私と同じくらいだからサイズ合うと思うよ?」
「そりゃ助かる!」
「誰が貧乳よ‼」
「言ってねーよ!」
 ティアの胸も、おなじくささやかなのだ。腰に巻いた革製のコルセットベルトが、そのささやかな胸を強引に押し上げて嘘くさい盛り上がりを見せていて。
 とにもかくにも、まずは吉田がそれを着用するように人魚に命じた。そして、
「よし、お前はマーメイ。マーメイだ」
 またしても安直な命名に、ティアがジト目で吉田を見る。
「な、なんだよ?」
「いや、いいけどね。というか吉田、そのカードって最初から人魚が書かれていたよね⁉」
「あぁ、そうだな?」
「なんで水のないところに呼び出すのよ!」
「まさか肺呼吸できないなんて思わないだろ!」
 だが諍いを始めた二人をよそに、その人魚がキョトンとして口を開いた。
「肺呼吸、できますよ?」
「え?」
「え?」
 そしてその人魚……マーメイは水玉の中を軽くかいて前へ進み、ズボッと水玉の外へ愛らしい顔を出して。
「ハイブリッドなんです。たださっきは、いきなりおかに水揚げされちゃったんで切り替えがうまくできませんでした。ご心配をおかけしました、主」
「そ、そうか。ところでマーメイ、お前にはどんな能力がある?」
「泳げます」
「うん、そうだな?」
「深海の水圧にも余裕で耐えられますよ」
「海や川にスマホ落としちゃったときに便利だよね」
 マーメイのその言葉を受けてティアが茶々をいれてくるものだから、
「この世界にスマホはないだろ」
「いや、あるけど? ……っても電力じゃなくて魔力稼働だけどね。ちゃんと電話局もあるから、通話料も払わないといけないのは日本と同じ」
「あ、そういやターニー殿が使ってたな」
「でしょ。とりあえず吉田、この子……えっと、マーメイちゃん? 呼び出す場所は選んでよね!」
「わ、わかった気をつけるよ。よしマーメイ、もういい。戻れ」
「……はい」
 シュッと音がして、マーメイが消える。消える瞬間にマーメイがちょっと泣きそうな表情になっていたのを、ティアは見逃さなかった。
「ねぇ、吉田。初めて呼び出したんでしょ? もっとお話しとかしてあげればいいのに」
「あ、あぁ? そ、そうだな」
「吉田?」
 マーメイが消えると同時に、吉田が挙動不審に陥る。不思議そうに吉田の顔を覗き込んでいたティアだったが、
「あ、もしかして戻るときもお尻にカードが?」
「実はそうなんだ。悪いけどティア殿、後ろを向いててくれるか?」
「う、うん」
 ティアが少し頬を赤く染めながら、後ろを向く。念のために、両手で自分の目も隠して。
 背後でカチャカチャとベルトの音がしたかと思うと、
「ティア殿、すまなかった。もういいぞ」
「不便だね、そうなっちゃうの」
 そう言いながらティアが振り向くのに、
「まったくだ。だからクロスは嫌いなんだ」
「あぁ、それでか! あははは!」
 妙に合点がいったティアが、両手でお腹を押さえて泣き笑いだ。
「笑いごとじゃないっての。これまでに何度、変態扱いされたことやら……」
「あはは、ごめんごめん! いやでも、女性視点からすればしかたなくない?」
「それ言われるとなぁ……」
 そして二人、しばし日本談義に花が咲く。日本人だったティアの没後に起きた、いろいろな出来事。
 世界中に蔓延した肺炎の話や、バッドタイミングで重なってしまった東京オリンピック。レジ袋が有料になった話などを。
「それで国民全員がマスクしてんの?」
「いや、政府から自己判断に任せるみたいなのが流布されたんだ。俺が死ぬ少し前かな」
「へぇ。にしても肺炎だっけ? 医療が発展したあっちの世界でも、どうにもならない流行り病ってあるんだねぇ」
「死亡率は低いんだけどな。でも有名人とかがそれで落命したときは、日本中がどよめいたよ」
 そんな感じで、時間も忘れて二人は話し込んだ。そしていつのまにか、日が暮れかけていて。
「うーん……長話になっちゃった、ごめんね吉田」
「いや、こちらも久しぶりの日本トークができて楽しかった。俺からも礼を言う」
「この後は、吉田はどうするの?」
「そうだな……ミザールを通るからいったんナギに会いに行ってギルドで武器登録をして、あっち隣のええと?」
「アリオト王国?」
「それそれ、そのアリオト王国のなんつったかな」
「玉衡の塔のイチマルでしょ。マウンテ教の姫巫女をやってる」
「あぁ。知り合いなのか?」
「知り合いもなにも、お互いがお互いを姉と慕ってるような関係かな」
「へぇ」
 お互いを姉と慕うという関係を想像して、吉田は妙に感心してしまう。
「でもイチマルに会うのってめんどくさいよ?」
「というと?」
「吉田がいた世界でいうなら、バチカン市国へローマ法王に会いに行くようなもんと言ったらわかる?」
「あぁ、それなら心配はいらない」
 そう言って吉田は、懐から一通の封書を取り出した。
「ターニー殿に紹介状を書いてもらったんだ。実はティア殿に会うための紹介状もあるんだが、使う機会がなかったな」
「ふーん。私あてのとやら、見せてくれる?」
「あぁ、いいぜ」
 そして吉田はティア宛てのものを探して、それを手渡す。受け取ったティアが開封して、その内容に視線を落とすも……。
「まさかとは思うけど」
「え?」
「ごめん、イチマル宛てのも見せて?」
「あ、あぁ」
 少し動揺した様子のティアに、訝しがりながらも吉田はイチマル宛ての紹介状を手渡した。そしてそれを読むティアの表情が、険しく変化していく。
「吉田、危なかったよ! これを使ってたらあなた、投獄されていたかもしれない」
「え、どうしてだ?」
「さっきも言ったように、イチマルって巨大な宗教団体のお偉いさんなの。紹介状を渡すのだって施設の玄関で受付にだろうし、その中身はイチマルの手に渡る前に検閲されるわ」
「それはしょうがない……かな」
「そうなんだけどね」
「なにが問題なんだ?」
「中身よ、中身!」
 そう言ってティアはヒラヒラと手紙を目の高さに掲げると、
「『爆ぜろアルデアート』」
 ボソリとそうつぶやく。すると火の気がどこにもないにも関わらず、その手紙が瞬く間に炎上して灰になって落ちた。
「お、おいおい‼ 大事な紹介状を……⁉」
 慌てて床に落ちた灰を拾い集めようとする吉田だったが、その腕をティアが止める。
「だからぁ、その紹介状はやばいんだってば!」
「なにがどうやばいんだ?」
「うん。ターニーの奴、吉田の事情について詳しく書いてんのよ」
「それが?」
「まだわかんないの? マウンテ教は創生の女神・ロード様や冥府の番人・クロス様を神々の一柱として信奉してるの。そこへ異世界から飛ばされました、クロス様とお話ししましたなんて書いてある手紙を持っていったらどうなると思う?」
「あ!」
「投獄されて異端審問……要は拷問ね。そんなことになったら、子どもたちをどうこうなんてことはやってられないの」
「あ、危ねぇ……」
「まぁターニーも親切心からだったんだろうけど」
 そう言いながら困ったように笑みを浮かべるティアだったが、
「よし、イチマルへの紹介状は私が書いてあげるよ。もちろん、バレちゃいけないところはぼかして」
「それは助かる!」
「それにね、吉田。間違ってもマウンテ教の施設内で、クロス様を呼び捨てにするようなことはNGだからね!」
「わ、わかった」
 かくして吉田は、もと来た方向へとんぼ帰りすることになったのだ。


「どうだ、マーメイ」
「はい、気持ちいいです!」
 ティアに釘を刺されたのもあって、マーメイとのコミュニケーションに努める吉田。ここはハウスの中、浴室内だ。
 浴槽に貯めてあるのは水。そしてその中に、ティアからもらったビキニブラを着用しているマーメイが所せましと入っている。
「うーん、やっぱ浴槽が狭いな」
 マーメイの下半身、魚部分はそれだけで一メートルを超すのだ。
(ターニー殿に浴槽の工事を発注するか)
 いま吉田の居室の小さなクローゼットの上には、一握りの革袋。そしてその中には――。
「吉田、ずっと徒歩だったら帝都まで行くのも年がかりになっちゃうよ?」
「とは言ってもティア殿、路銀はほとんどなくてな。食事はドールがいるからなんとかなるにしても、この先に『子どもたち』にかけるお金も必要になってくるんだよなぁ」
 心底困ったように唸る吉田に、ティアが提案する。
「その凄い剣で、ハンター業をやりながらはどう? ギルドからの依頼を受けてさ」
「それも考えたが、日数がかかるような仕事は引き受けられない。また依頼達成までその街に足止めになるだろう?」
「それもそっか……難しいね」
「ターニー殿に、奴隷奉公するからとお願いしたことはあるんだがな」
「奴隷奉公?」
「うむ。子どもたちをなんとかできたら、残りの人生はただ働きで使用人として仕えると」
「ターニーはなんて?」
「……」
 不意に黙った吉田に、ティアがキョトンと首をかしげる。
「その……」
「うん?」
「キンタマ臭い使用人は、いらない……って」
「あはははは!」
 我慢できないとばかりに、ティアが噴き出した。そして両手で腹を抱えて泣き笑いである。
「ひーっ、ひぃっ、おっ……お腹痛い……」
「お、おいおい大丈夫か」
 だが心配してくれる吉田に、ティアはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべて見せる。
「そっかぁ。じゃあ私の奴隷になる?」
「へ?」
「前金で一千万リーブラ。あ、貨幣価値は日本の円とほぼ同じね」
「いっ、一千万も?」
「そっ。ただし、死ぬまで奴隷奉公してもらう。気に食わなかったら理由もなく殴るかもしれないし、人体実験しちゃうかも」
 吉田はおそるおそるティアの顔色をうかがうが、口角を上げて笑みはたたえてみせているものの目が真剣だ。
「もちろん、子どもたちを助けることができた後でいいよ。どうする?」
「前金で一千万か……わかった。お世話にな、いやお世話しよう。ティア殿に誠心誠意仕えることを誓う」
「えっ⁉」
「え?」
 特に逡巡するでもなく了承した吉田に、ティアは戸惑いを隠せない。
「いや、奴隷って知ってるよね? 人権なんて認めてもらえない、私の道具として今後は生きるんだよ⁉」
「子どもたちを助け終わるまで待ってくれるんだろう? だったらどうしても先立つ物が必要になる」
 そう言う吉田の目は真剣で、一切の迷いもてらいもなかった。
「そっか、そこまで本気なんだ。ごめん、吉田……実はからかっただけなの」
「へっ?」
「いやまさか、了承するとは思わなくて。……ごめんね?」
「あのなぁ!」
 ぶーたれてティーカップに口をつける吉田だったが、本当にすまなさそうにティアが口を開く。
「私は吉田に悪いことをしたわ。つまり、貸しを作っちゃったってこと」
「あん?」
 ティーカップから口を離して、面白くなさそうに返事をする吉田だ。
「つまり、ね。私に対して優位に出れるんだよ?」
「だからなんだよ」
「わっかんないかなぁ? 言っとくけど私、お金たくさん持ってるよ?」
「……なにが言いたい?」
「逆に訊くけど、私になにを言いたい? ううん、言い方を変えるね」
 そしてティアはニヤッと笑って、
「私になにを望む? 私は履行する気もない条件をちらつかせてからかった負い目があるから、ほいほい従っちゃうかも」
「ティア殿……」
 吉田は、ティアがなにを言いたいのかを察して黙り込む。そしてやおら立ち上がると、ティアの前で両手両ひざをついて。
「ティア殿、お金を貸してください! この通りだ!」
 そう言って、土下座をしてみせた。おでこを、床につけて。
「もっと上から目線で『おい、お詫びに金貸せ』でいいんだけどね」
 そう言ってティアはリビングまで羽をパタパタさせて飛んでいき、手のひらを広げたくらいの大きさの革でできた巾着袋を手に戻ってきた。
 そしてそれを、頭を下げたままの吉田の後頭部に置く。かなり重量があるようで、ゴトッという音と……同時に、チャリンといった金属音が鳴った。
「はい、一千万リーブラ……くらい? 数えたことはないけど、だいたいそんくらいあるよ」
「い、いいのか?」
 後頭部に乗せられたそれを手にとって、吉田が顔を上げる。
「しかし、返すあてがない……」
「ま、その時はその時で……本気で吉田を奴隷にすることについて考えてみましょ」
 もちろんティアにその気がないのは、吉田にも見てとれた。しかし正直、金額が金額だけにティアの厚意を重く感じている。
 だがそれも、続いて発せられたティアの言葉によって腹は決まった。
「日本で『トリアージ』って言葉、あったでしょ? ま、外来語ですケド。でも、いまの吉田にとっての優先順位はなに?」
「……子どもたち、だな」
「じゃあ迷うまでもないね?」
「ティア殿、恩に着る!」
 そしてふたたび吉田は、両手をついて深々と頭を下げるのだ。
「そんなにポンポン相手に後頭部を見せてたら、この世界で生き延びられないよ?」
 ティアはそう言ってクスクス笑う。そんなやり取りがあって、いま吉田は旅の資金が潤沢なのだ。おかげで引き返す旅路は乗り合い馬車で、ほんの数日でフェクダに戻ることができた。
 ナギ夫婦としばし親交を温め、ハンターギルドで逆刃の妖刀『不殺』を武器登録。吉田にとって最悪なことにギルドの受付嬢はまたしてもエメちゃんだったので、ツッコミ疲れの吉田である。
 ターニーにマーメイ用の浴槽拡大を打診すると、
「んーそれよりさ、地下に作ろうか?」
「なにを?」
「プール」
「プール⁉」
「うん、ティアからお金を借りてるんでしょ? お安くしといてあげるよ!」
 話はとんとん拍子に進み、ハウスの地下にはフロア一つをまるまる使ったプールが完成する。たまにマーメイをカードから出してやっては、プールを使わせているのだ。
 マーメイが満面の笑みを浮かべてクロールからの平泳ぎ、背泳ぎまで披露して見せてくれている。まるで、水を得た魚のように(いや、そのとおりなのだけど)。
「本当に気持ちよさそうに泳ぐなぁ……にしても、物理の法則とかどうなってんだ?」
 どう見てもプールは広い、広すぎるのだ。その面積、ハウスの一階が占めるそれよりも広い。
(考えるだけ無駄かな)
 そもそもカードから、家を出せる時点でおかしいのである。とにもかくにもティアから借りた金をもとに旅支度を整え、乗合馬車を使って吉田は西の隣国アリオトへ向かう。
 アリオトの首都・イプシロンで馬車を乗り換え、一路マウンテ教の総本山へ豪華な街並みを車窓に眺めながら吉田はお金の入った革袋を握りしめて。
 元日本人同士というのもあって、ちょっといたずら好きなのもあるが『大の人間嫌い』とされたティアと友好な関係を築けた。そればかりじゃなく、大金まで借りることができたのだ。
 くわえて、ターニーが用意してくれた紹介状では身の危険があったことにも気づいてくれて代わりを書いてくれた。
(ティアか……いい子だったな)
 だがその吉田の感謝は、突如として裏切られてしまうのである。
「どうしてこうなった⁉」
 いま吉田は、マウンテ教の総本山……の地下牢に幽閉されていた。紹介状を受付に差し出すまではスムーズにことが運んだが、待たされていた応接室にダダダッと駆け込んでくるマウンテ教専属の衛兵たち。
「貴様を逮捕する!」
「へ?」
 惑う吉田におかまいなしとばかりに、衛兵たちによってあっという間に拘束されてしまった。
「ちょっと待ってくれ! 俺がなにしたっていうんだ⁉」
「とぼけるな! お前はこんなものをイチマル様に出してマウンテ教を愚弄してんのか‼」
 そう言って衛兵の中で一番立場が上であろう中年の男性が、開封された紹介状の封から紙を取り出す。するとそこには男子中学生が教科書に落書きするようなクォリティで、おそらく吉田であろう男の『全裸』のイラスト。
 酒に酔ってるかのようなおちょくった表情で、ご丁寧にも頬が赤く着色されている。頭頂部にチューリップが一輪咲いていて、唇は『ひょっとこ』のようにあらぬ方向を向いてすぼめているのだ。
 くわえて『おならぷう!』という文字とともに尻の割れ目にはカードがはさまっていて、おならを模した吹き出しのようなものが尻から放射されていた。
「あんのクソ妖精~っ‼」
 香の煙らしきものが穏やかにくゆる薄暗い牢獄で、吉田の忌々しそうに吐き捨てた言葉が反響して響きわたった。



☆このティアが主人公の、
『ポンコツ妖精さんは、そろそろ転生をやめにしたい』
もよろしければ是非!

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