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第三話・一難去ってまた一難かよ!

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「七人の賢者とか言ってたな、クロスの野郎」
 吉田は六枚のカードを扇状に広げ、それを眺めながらベッドに腰かけている。隣でハルが、興味深そうにそれを横から覗き込むようにして眺めていた。
 そして吉田の両頬には、真っ赤に腫れあがった往復ビンタの痕が痛々しい。
「それは主の、ほかの眷属か?」
「……いや、子どもたちだ。もちろん、お前もな」
「うん?」
「人間だったときの記憶、本当にないのか?」
「私はハルピュイアだぞ、主。ハルピュイアのハルだ」
 吉田につけてもらった自分の名前がよほど気に入ったのだろう、ハルは上機嫌で胸を突き出す。その胸には赤い手ぬぐいが巻かれ、締まった腹筋には可愛いおへそが鳥部分の下半身との境目ギリギリに見えていた。


ハルピュイアHarpyia(別名・ハーピー)のイメージ

「でも主、なんで殴られたんだ? 命令あれば、私が代わりに殺るぞ?」
「せんでいい! 妙齢の女性に、いきなりブラを貸してくれなんて言った俺が悪いんだ」
 そのとおりである。
「なぁ、ハル」
「なんだ? 主」
「クロスが言ってた七人の賢者って知ってるか?」
 知っているわけがないとは、吉田もわかっている。だが今は、それを聞く相手がいない。
(ナミさんはまだ誤解しているし、ナギは帰ってこないしで)
「うーん、知っているような気もするんだが」
「ハル、本当か⁉」
「いや、知らない」
「あのなぁ……」
「なんというかこう……知っていた記憶があるような記憶があるんだ、主」
「俺にはハルがなに言ってるかわからん」
 もしこのとき、ハルの言葉の意味を吉田が理解していたらなにか変わっただろうか。それはハルの中に眠る、『人間の孤児』だったときの記憶なのだ。
 ほどなくすると遠くで玄関扉が開く音がして、ナギが返ってきた。
「ふむ、ナギに訊いてみるか」
 そう思って吉田が腰を上げたとき、吉田に貸し与えられたその居室の扉がバーンと開く。
「ヨシダぁ! 俺が留守の間に、嫁のブラ借りようとはどういう了見だてめぇ‼」
「待て待てナギ、誤解すぎる!」
 怒りで顔を真っ赤にしたナギがズカズカと入ってきて、吉田の胸ぐらをつかもうとする。扉のところでは、ナミがまるで汚物を見るような視線を吉田に送っている。
 そして今にもナギの手が吉田の胸をつかむ寸前……それは、ハルの翼で叩かれて弾かれた。
「あ、え? 鳥、いや鳥人間⁉」
 ナギがポカーンとすれば、扉のところではナミが『ヒッ‼』と青ざめている。なおこの世界、人間のほかにはドワーフやエルフに獣人をはじめとする亜人が混在して住まう地をともにしている。
 だがハルのその形態は、ナギ夫妻は見かけたことがない……というか亜人ではなく魔獣モンスターとしてのそれに見えた。もちろんハルピュイアは、この世界においても魔獣のカテゴリである。
「なっ、おいヨシダ! 逃げろ‼」
「いや待て、違う!」
「なにが違うんだヨシダ、隣に魔獣がいるんだぞ!」
 そう言いながらナギはバッと後方に飛びずさり、すぐさま壁に立てかけてあった箒を手に取って戻ってくる。
「主、殺していいか?」
「ダメに決まっているだろう!」
 だが吉田とハルが会話しているのを見て、
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ‼」
 まるで発狂したかのような驚愕の表情を浮かべ、ナギが絶叫した。扉のところではナミが立ったまま失神、そして倒れそうになって――。
「いかんっ‼ ハルッ、命令だ!」
 ナミは、まだ妊娠初期とはいえどお腹に赤ちゃんがいる。だからちょっと倒れただけでも、流産に陥る危険があるのだ。
 立ち位置的にハルが一番扉に近かったのと、吉田が助けに行くには目の前の箒を持って平常心を失っているナギをどかさないといけない。
 だが平常心を失っているのは吉田も同様だ。命令だとは叫びつつも、肝心の命令がなにかを伝えるのを失念している。
「心得た!」
 だがそこは察したハル、その太い筋肉で構成されている鳥脚で一瞬のうちに扉までジャンプすると、まさに床に着く寸前だったナミを両の広い翼でふんわりと包み込む。
「ふぅ、間に合った。ハル、ナミさんを寝かせるからベッドまで運んできてくれ」
「わかった、主」
 ナミを翼で抱き上げたまま、ハルがつかつかと歩み寄ってナミをベッドに乗せた。
「あぶねーところだったぜ」
「主」
「ん? なんだハル」
「えっと、ほら!」
 ハルが、なにやら期待の視線を上目遣いに寄越す。
「あ、あぁそうだな。忘れてた、わりぃ」
 すぐに気づいて、吉田がハルの頭に手を乗せた。
「偉い、偉いぞハル! よくやった‼」
「えへへ、嬉しいな!」
 少し乱暴にハルの頭をかいぐり回すと、ハルは照れくさそうに頬を染めてそれでも嬉しそうに笑う。
「え、おい……ヨシダ?」
「あ、ナギ。とりあえず話があるから、冷静になってくれないか? とりあえずコイツはあやしいものじゃない。俺の、ええと……」
「私は主の眷属だ!」
 ドヤッとばかりにハルが胸を張る(駄洒落ではない)。だがヨシダは白い目で、
「お前はちょっと黙ってろ。まぁなんだナギ、眷属てのもあながち間違いじゃないんだ」
「えっと……危険じゃないのか、その鳥」
 ハルが『鳥』という言葉に反応して、ナギにギロッと睨みを効かせる。
「ひぃっ‼」
 ナギが怯えた表情を見せ、ダッシュで部屋扉まで後ずさった。
「やめろ、ハル! 命令だ、『戻れ』」
 その吉田のひとことでハルの身体がシュンッとまるで気体のようになり、そして吸い込まれるようにして吉田の……尻に消えていく。
「いいかげんにしろよ、この設定!」
 そう怒鳴りながら吉田が自分の尻をまさぐると、その割れ目にはハルピュイアのカード。
「え、消え……⁉」
 狼狽えるナギに、吉田は困ったように笑みを浮かべて。
「つまりその、そういうことなんだ。スマン?」
「だから、どういうことなんだってばよ‼」
 そのままでは埒が明かないので、吉田はこれまでの事情を説明する。
「信じられないだろうが、信じてくれとしか言えない……」
 吉田としては、絶望的だ。誰がこんな素っ頓狂な話を信じるというのか。
「つまりヨシダ、お前は異世界で死んでこの国で生まれ直した。恐れ多くも冥府のクロス様から魔皇?を倒してくれと頼まれ、魔獣を眷属にするカードをもらった……ここまでは合ってるか?」
「あぁ……」
 ナギは真剣だが、その目はとても胡散臭そうな視線を吉田に向けている。
(それも当然か……)
「で、あれだ。教会の火事……子どもたちが焼け死ぬ寸前だったので、やむを得ず子どもたちをカードに取り込んで眷属にした、と?」
「最低なことをした自覚はある。殴ってくれても構わん、構わんが……俺はあとでカードから取り出せると思ってたんだ。それは信じてくれ!」
「いや、最初から全部信じられないのだが?」
「そんな⁉」
「一宿一飯の恩義も忘れ、家主の留守をいいことに嫁のブラを拝借しようとする変態のなにを信じろというんだ」
 ごもっともである。
「それは誤解だ、ハルが……あのハルピュイアが上半身裸だったもんだから、ナミさんのブラを借りようと思っただけなんだ」
「……」
「しかたないだろう! 俺はブラジャーを持っていないんだぞ⁉」
「持ってたら怖いわっ! まぁだが、とある部分ではヨシダの話に整合性があるのも認める」
「え?」
「かの教会の焼け跡からは、誰の遺体も見つからなかった」
「……」
 吉田は、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
 正直なところ、子どもたちが眷属の魔獣と化したのは嘘であってほしいと思っていたのだ。自分の勘違いであってほしいと。
 だが焼け跡から子どもたちの遺体が見つからなかったことは、これまでに吉田に起きたことがすべて真実だったことを物語るのである。
「これが……」
 そうぼそりと呟いて吉田は手に持ったままのカード七枚、それを広げて。そのとき、
「ん……ナギ?」
 ベッドに寝かされているナミが、目を覚ました。そしてハッと気づいたように上半身を起こすと、左右をキョロキョロと部屋中をチェックする。
「あ、あの鳥の魔獣は⁉」
「いや、ナミさん……それについてなんだが、ちょっといいだろうか」
 吉田は再度、ナギもまじえてナミに一からの事情を説明してみる。ナミは吉田と違って柔軟な思考の持ち主だったようで、無条件に信じたわけではなかったがそれでも信じようと努めてくれているのが吉田にもわかった。
「やっぱりそうよね。他人の奥さんのブラをゲットしてスハスハしようなんて変態じゃないと信じてたわ、ヨシダ」
「じゃあなんで俺は殴られたんですかね?」
「あはは!」
「ったく……」
 悪びれないナミに、吉田も思わず苦笑いである。
「ところでお二人にちょっと聞きたいんだが、『この世界』でハルの姿は魔獣なのか? 亜人ではなく?」 
「あぁ、そうだ。少なくとも俺は初めて見る……まぁ、言葉を解す点においてはそうじゃないのかもしれないが」
「いやいや待ってくれ。俺は何度かこの世界で、鳥みたいな人間を見たことあるぞ。『鳥獣人デミ・バード』つー亜人だろ?」
「ヨシダ、鳥獣人というのは背中に羽がある以外は俺たち人間となんら変わらん。確かに『海霊族セイレーン』っていう下半身が鳥か魚って亜人もいるが、それでも人間のような両手はあるしちゃんと言葉も話す」
「へぇ?」
(世界は広いな。異世界だけど)
 妙に感心する吉田だったが、それをよそにナギ夫妻の顔色は悪い。
「だがさっきのアレは、両手がなくて翼だったろう?」
「うん? あぁ、ハルピュイアはそうだぞ」
「そのハルなんとかってのは知らないが、間違いなく魔獣だ。そんなのが自分ちにいたらそりゃびっくりしてもいいじゃないか」
「うん? それもそうだな、お騒がせした」
 ナギの言うことももっともなので、吉田はスクッと立ち上がって。
「本当にもうしわけない!」
 そしてその巨躯を深々と折って、吉田は九十度のお辞儀をしてみせるも――。
「え、そこまでやるのか⁉ いや、俺もそこまでは……」
「え?」
 吉田はお辞儀したまま顔だけを上げて、驚愕の表情を浮かべるナギを見て不思議がる。
「いや、悪いことをしたと思ったら頭を下げて謝るのは当然だろう?」
「え、知らないのか?」
「なんのことだ?」
 そこへナミがお辞儀ををしたままの吉田に手を添えて、その上半身を起こさせる。
「それってもしかして、ヨシダの住んでいた世界の謝り方なのでしょうか」
「あ、あぁそうです。そうですけど、この世界でも同じなのでは?」
「そうなんですけどね、どうやら私たちの世界とはちょっとだけ意味が違うんです」
 ナミのその言葉を受け、まだ異世界のことは信じられないでいるナギが狼狽しながらもうなずく。
「この世界、いえこの国というか大陸? そこでは『後頭部を見せて謝罪する』というのは、その後頭部に向けて好きにしてくれという意味があるんです」
「というと?」
「殴ってもいいし踏んでもいいし蹴ってもいい。ただしそうしたらば、必ず許さなければいけない。許したくないならなにもしない、それが」
「謝罪を受け入れないということですか」
「はい」
(ううむ……理に適ってるといえばいえるか?)
 妙に納得して感心している吉田に、ナギがなにやらもぞもぞと複雑そうな表情でチラチラと見やってくる。
「ん? どうしたナギ」
「いやその……俺はヨシダを許す。許してるんだけど、そのさぁ?」
「なんだ、なにが言いたい? 悪いのは俺だ、なんでも言ってくれ」
 二人の会話を見て、ナミがなにやら納得いったようにポンと手を叩いた。
「あぁ、そういうことね!」
「ナミさん?」
「先ほど言った私たちの習慣といいますか、このままだとナギはヨシダを許していない状態になっているんです」
「いや、いま許すってナギが……あ、そういうことか!」
「わかっていただけましたか?」
「もちろんだ、気づかなくてすまない。えっとナギ、こうでいいか?」
 そう言って吉田は、もう一度頭を深々と下げた。先ほどと同じように、自身の後頭部がよく見えるように。
「俺はヨシダの謝罪を受け入れよう」
 ホッとしたような表情でそう言ってナギは、ヨシダの後頭部に軽く拳を落とす。といっても、チョンと触れたかどうかというレベルであったが。
「『郷に入りては郷に従え』ということだな」
「ヨシダ、なんのことだ?」
「その土地土地に異邦人として訪れたならば、そこの決まりに従えという俺の世界の言葉なんだ。俺としては口で『許す』と言ってもらえればそれで終わりなんだが、ナギたちは違うんだろう?」
「あぁ、わかってくれてありがとうよヨシダ。様式美……ってのとはちょっと違うかな。むしろ儀式に近い」
「なるほどな。それを行わないままでいることがスッキリしない、不快な気分になるみたいなところか?」
「そんなところだ」
 つまりあのままだとナギは、吉田の後頭部になにもしないでいることで謝罪を受け取らないという態度を見せつつも口では許していることになるのだ。その相反する状態が、この年になるまで常識だと信じてきたナギには耐えられなかったのである。
「今後は、そう簡単に後頭部を見せた謝罪はしないほうがいいということだな」
 それは今回のように、相手を必要以上に恐縮させる恐れがあると吉田は懸念する。だがナギとナミは別の意味でそれを懸念した。
「あぁ、十分に注意してくれ。それで後頭部に怪我を負って障害が残ったり落命しても、建前上はその責任を相手に追求できないんだ」
「え?」
「基本的に、自分にどんな罰をくらわしてもいいから許してくれという謝罪方法だからな」
「な、なるほど」
 いまさらのように、その習慣に吉田は戦慄する。もしナギが吉田の後頭部を叩き割ったとしても、吉田はナギにその責任を問えないのだ。
「実際に、そういう不幸な結末になることもあれば……あえてそうするクソ野郎もいる」
「謝罪を受け取るふりをして、すきを見せた相手の後頭部に攻撃をくわえるみたいなか?」
「そうだ」
 改めて吉田はゾーッとした。背筋が凍る思いだ。
「そういう暴挙を犯したらば、それでも責任は追及したらダメなのか?」
「ダメだな、泣き寝入りになる。ただしさっき俺は、『建前上は』って言ったろ?」
「言ったな。それが?」
「被害者側がなにをしてもいいと後頭部を差し出したのだから、加害者側に賠償を請求できたりはしない。ただし『やりすぎ』は、傷害罪として訴えることはできるんだ」
「そりゃそうだろう」
「と言っても、有罪になったとて加害側には罪一等が減じられるけどな。仮に相手を殺しても、罰の上限は終身刑どまりだ」
「まぁそれはしょうがない、のか?」
「しかしな、自分が終身刑になってでも相手を殺したいなんてのもいるぜ? 逆に言うと、殺しても死刑にならないんだからな」
「おっかないな……」
「とにかく人間の本性なんてさまざまだ、ヨシダ。くれぐれも、謝罪方法には注意してくれよ?」
「忠告、痛み入る」
 そしてとりあえずその場は、吉田の火傷にも障るということでお開きになった。翌日、火事の原因を調査していた衛兵局に事情聴取を受けたが、
「いえ、子どもたちはどこにも見当たりませんでした」
 としか言えないヨシダである。カードに閉じ込めました、もう二度と人間に戻せないかもしれませんなんて馬鹿正直に明かした場合――。
「逮捕されるでしょうね。そして、拷問まがいの取り調べを受けるかもしれません」
 とナミが言えば、
「いや、頭の病院送りだな。そして一生を外から鍵のかかった病室で過ごし、死ぬまで出られないんだ」
 とナギが脅す。
 なによりカード云々を説明する場合は異世界から来たこともセットになってしまうので、最悪のケースとして国に身体を拘束され人体実験される可能性もゼロではない。
(はえーとこ、賢者さんたちとやらに会わないとなぁ)
 取り調べが終わり、衛兵たちがナギの家を出ていく。それを見計らって、吉田は夫妻に相談をもちかけた。
「なぁ、それでクロスの言ってた七人の賢者についてうかがいたいんだが」
「待て、待ってくれ。俺たちはヨシダの話のすべてを信じたわけじゃない。ヨシダの話の中で異世界から来たというのも実は半信半疑なんだが、まったく信じてない事柄が一つだけある」
「え?」
 狼狽してそうまくしたてるナギに、吉田はキョトンとせざるをえない。
「ヨシダの世界でも、ロード様とクロス様はいらっしゃるのですか?」
 比較的落ち着き払っているナミが、そう吉田に問いただす。
「ナミさん、ロード様とは誰のことですか?」
「ロード様を知らないのか……危なかったな、ヨシダ。この国、いやこの大陸でロード様を知らないなんて言ったらそれこそ頭がおかしいのだと疑われちまう」
「って言われてもなぁ。クロスが冥府の番人とか言ってたから、神様なんかな」
「正解です。この世界は創造の女神・ロード様がお創りになられ、その化身であるクロス様が冥府をお護りしている……という教えが一般的なんです」
(クロスが女神の化身? まぁそれはどうでもいいな)
「つまりクロスとその、ロード様? 俺の世界にはいないが、似たような存在はあるよ」
「ではその方々とは自由に、とまではいえなくても会えますか? また姿を拝見したことは?」
「ん?」
 吉田はふと思いを巡らす。
(仏教とかキリスト教の神様を見たことあるかどうか、みたいなもんだよな)
「ないな。ああ、そうか……あなたたちにとっては、俺がクロスと顔を突き合わせたばかりか会話をしたというのがどうしても信じられないのか」
「そうだ」
「とは言ってもなぁ、証拠を出せとか言われてもどうにもならん」
「まぁわかってるさ、そこらは俺たちも考えないことにしよう。塔の賢者の話だったな?」
「そう言ってもらえると助かる。そうだ、七人の賢者について知っているか?」
「知っているもなにも……あぁ、そうか。これもヨシダが知っておかないとやばいな」
「ロード様とやらと同じく、知らない奴は頭がどうにかしてる案件になる?」
「うむ。まず説明するが、この大陸には七つの国がある。ここはミザール王国で、この七つの国の集合体がカリスト帝国だ」
「ふむ。王様の上に皇帝がいるわけだ」
「だな。この帝国があるのはポラリス大陸、最西端に帝国を統べるクラリス・カリスト皇帝陛下が直接統治している帝都ことドゥーベ市国ってのがあって、その東側にあるポラリス山脈を時計回りに迂回するようにメラク王国、フェクダ王国、メグレズ王国。そこからは東にアリオト王国、そしてここミザール王国。大陸最東端はベネトナシュ王国だ」

「ふむふむ……ひしゃくをひっくり返したみたいな形になってるのか」
「うまいこと言うな、ヨシダ。まさにそうだ、それで言うとポラリス山脈はひしゃくに乗せた卵みたいなもんだな」
「ひっくり返ってるけどな」
 そう言って軽く笑いあい、
「それでそれぞれの国に、自身の塔を建てた大賢者様がおられる。ここミザール王国にはドワーフの賢者・ターニー師マスター・ターニーの住まわれる開陽の塔があるんだ」
(ドワーフの賢者ときたか……今さらながら、本当に異世界に来たんだと自覚させられるな)
「ヨシダ?」
「あぁ、すまない。その開陽の塔てのはどこにあるんだ?」
「この町から見たら北だな。ていうか、会いに行くのか?」
「無論だ。『この子たち』を元に戻す方法をみつけたい」
 吉田はそう言って、七枚のカードをナギに示して見せた。
「うーん、難しいかもな……」
「というと?」
「ターニー師はここミザールだけじゃなく帝国、大陸で知られた名うての鍛冶師だ。たとえ会うだけでも予約は数年待ちなんてざらだぜ?」
「マジかよ」
「マジだ。なんたってターニー師が鍛えた逸品は稀代の業物、包丁一本だけで家が建つなんて噂だ」
「そりゃ凄いな、包丁で家を作るのか」
「違うわっ! ……いや、ある意味違わないな」
「いや、俺は冗談で言ったつもりだったんだが……ある意味違わないとは?」
 真剣な顔で言い直したナギに、吉田が怪訝そうに問い返す。
「家を建てるのに、様々な工具が必要だろう?」
「だな、ノコギリとかカンナとか。あとノミも」
「ターニー師が鍛えた包丁なら、それ一本で全部賄えるだろうよ」
「なんだよそりゃ」
「まぁ聞け。ターニー師の包丁を地面に向かって思いっきり投げたら、数キロメートルの地下まで埋まったなんて都市伝説もあるぐらいでね」
「無茶苦茶だな」
「それだけ切れるってことさ。ターニー師はオリハルコンとかアダマンタイトも、飴のように切るらしいぜ」
「なんだその、オリなんとかってのと……アダマン?」
「史上最強に固い鉱物の名前だな。ちなみにそちらの工具は受注しないと作ってもらえないが、城の一つ二つは建つお値段だとよ」
「なるほどなぁ……そりゃ予約待ちになるわ」
(まいったな)
 吉田は困り果ててしまった。ターニーに会ってもらう約束を取り付けたところで、実際に会えるのは来年またはさ来年となったら?
「じゃあほかの国の塔なら……」
「似たようなもんだぜ、ヨシダ。東のお隣、ベネトナシュのティア師マスター・ティアは治癒魔法を得意とする聖女様のようなお方だ。といっても妖精なんだけどな」
「妖精……」
「大陸中を治癒して回ってるらしいから、こっちは別の意味で会いにくい」
「ふむ。じゃあ西隣の……アリオト王国だっけ、そっちは?」
「マウンテ教の姫巫女・イチマル師マスター・イチマルだな。狐獣人ながら、大陸第二の宗教といわれるマウンテ教の姫巫女を務めてる。こっちはティア師とは違って正真正銘の大聖女様でな」
「それが?」
「有名人、お偉い人ってことさ。王様に会ってもらうよりも難しいんだ」
「詰んだ……じゃあ大人しく、ターニー師とやらにするか。何年待たされるのか知らんが」
「ついでに、武器の注文もしたらどうだ」
 ナギが剣を振るジェスチャーをしながら、それを吉田に打診してくる。
「武器?」
「塔の賢者様たちに会いに行くんだろう? ずいぶん長い旅になる。その道程で、魔獣や盗賊と戦う必要が生じるかもしんねぇ」
「あ……」
 それはすっかり失念していた吉田である。立派な体躯を誇っているので喧嘩には自信があるが、魔獣と戦ったこともなければ多対一……ましてや武器を持っている相手に丸腰で勝つ自信はなかった」
 現にこの世界に顕現した当初、ノエルを裸で追いかけた変態として農具を持った農夫たちにボコボコにされたのだ。
「あと、冒険のための小道具。たとえばテントとかな、ターニー師はそこらへんも作られてるから一緒に注文したらどうだ」
「でもお高いんでしょう?」
「まぁそうなんだけどな。理由が理由だから、ディスカウントしてくれるかもしんねぇ。信に熱い方なんだよ、あの人は」
 それまで黙っていたナミが、ハッとした表情で口をはさんでくる。
「ねぇあなた、それなら会ってもらえるのも比較的早くならないかしら?」
「あ、そうかも! 子どもたちを救いたいという理由……って、とんでもない事情をターニー師が信じてくれるか?」
 一瞬、パアッと明るい表情になったナギだったがすぐに険しい表情で黙り込んだ。それはナミも同様で、
「そうねぇ……」
 と暗い顔で考え込む。
「信じてもらえないのは当然だ、ナギとナミさんですら完全に信じてくれてないんだから」
「それは……すまない」
「いいってことよ、気にすんな。だけど俺はやっぱりそれで諦めるわけにはいかない、藁をもすがってみたいんだ」
「ヨシダ……ところでさ」
「ん?」
「お金、あんのか? どれだけ安くしてもらったところで、それなりのお値段はすると思うが……」
「それなんだよなぁ。そうだ、この国には奴隷制度があるか?」
「奴隷制度?」
「ないわね」
 ナイスアイデアとばかりに閃いた吉田だったが、それはナミに一刀両断にされてしまった。
「この帝国で奴隷制度があるのは、フェクダ王国だけだ。なんだヨシダ、奴隷を買いたいのか?」
「ヨシダ、奴隷は奴隷でそれなりのお値段がしますよ?」
「そうじゃねぇ。俺自身を俺がターニー師に売り飛ばしてってのはできないんだな」
 その突飛な発言に、ナギとナミがギョッとして顔を見合わせる。
「お前、そこまで……」
「俺はどうなってもいいんだよ。そりゃターニー師が子どもたちを元に戻す方法を知らなかったとしても、他の六人の賢者サマとやらに会って……念願が成就となったら、ターニー師の元で生涯を奴隷として捧げるのもありかと思ったんだ」
「なぜだ」
「え?」
「なぜそこまでする、ヨシダ?」
 まるで射抜くような視線を、ナギは吉田に送った。嘘はつかず、本当のことを話せとその表情が語っている。
 そして吉田も真剣な表情で、それでも少し口角を上げて笑みを見せると。
「しれたことよ。これは俺の贖罪なんだ、子どもたちを救えなかったことの……」
「あれはヨシダでも助けられなかったはずだ!」
 机をドンッと叩いて、ナギが立ち上がる。そしてナミも、
「自分を責めてはいけませんよ、ヨシダ」
 そう言って慰めてはくれるのだけど。
「ありがとう、そう言ってくれて。それでも俺は、なんとかしてやりてぇ……‼」
 ヨシダの脳裏に、炎上するノエルたち孤児の断末魔の悲鳴が甦る。そして前世で自分が犯した罪もまた、同様に。
「まぁとりあえずは、予約だな。これはどこへ行ってどうすればいいんだ?」
「あぁ、それなら――」
 翌日、ナミに案内されてヨシダは町役場へ出向く。
「こちらの用紙に記入してください、ヨシダ。あ、この国の言葉は書けますか?」
「不思議と読めるんだ、だから書くのも大丈夫だろう」
 そう言って吉田は羽ペンを持って、用紙に視線を落とした。
(前世の市役所みてーだな)
 町役場のロビーには、ありとあらゆる種類の人間を含めた亜人がごった返していた。エルフにドワーフはもちろん、狼のような獣人に羽のある獣人もいる。
 きわめつけは、制服を着た受付嬢がナイスバディなダークエルフだったりするのだ。だがそんな中でも、用紙を記入中の人やカウンターで手続き中の人に椅子に座って呼び出し順番を待つ者。
 その雰囲気は前世日本でのそれと、吉田はさほどの差異を感じなかった。
「ふむ、なになに……住所、は」
 吉田はまず最初でつまづいて、ナミをチラと見やる。
「うちの住所で構いませんよ。住所、言いましょうか?」
「助かる、お願いします」
「○○市△△村三丁目の――」
 ナミの言う住所を、用紙に記入していくヨシダ。続いて氏名や年齢はそのままを書けばよかったが、職業は――。
「そうですね、うちや教会を手伝ってもらってますから……農夫でいいんじゃないでしょうか」
「なるほど」
 そして注文内容と予算、その希望納期。注文内容には、
『カードに閉じ込められた子どもたちを助けたい。ひいてはクロス様のご神託で、ターニー師に頼ればとのありがたい助言をいただきました。またそのために私は旅に出なければいけないので、できれば旅道具や護身具を一式そろえたい』
 と記す。正直、悪戯はお断り案件の内容である。
(これを読んで、ターニー師が興味をもってくれればいいが……)
 だが続いて記入した予算は、それこそ一回の食費にも満たない金額だ。
(村じゃお金を稼ぐ仕事はしてなかったからな)
 はっきり言って、国一番の鍛冶師を馬鹿にしている。それはヨシダも重々自覚していた。
「こんなもんか」
「まぁ、こう書くしかないですよね」
 ナミも、ため息をつきながら吉田に同調する。だが意外にも早く訪れたというか、第一の障壁ハードルはこの町役場にあった。
「こんなふざけた申請を、受け付けられるわけないでしょう‼」
 受付嬢のダークエルフが目を吊り上げて怒鳴ると、吉田に申請書を叩き返してきたのだ――。
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