上 下
2 / 15

第二話・ナミさんの○○、貸してください!

しおりを挟む
「あ、ヨシダー!」
「おう、ノエル。元気でやってるか?」
 教会にナギの畑仕事の手伝いと、今日も吉田は大忙しである。ただ教会といっても、もっぱら併設の孤児院にかかりきりだ。
 ではどんなことを手伝っているかというと建物の修繕や重い荷物を運ぶ、薬草を摘みに行くノエルの護衛を務めることもあるがもっぱら孤児の遊び相手というのが多かった。
 吉田自身が孤児だったため、そこは昔取った杵柄である。
「今日はなにを手伝おうか?」
「えっとね、神父さんが小麦粉を注文したのが今日お店に届くんだけど。それを取りに行ってほしいの」
「なるほどな、子どもたちだけじゃ重いか。リヤカーとかあるといいんだが」
「りやかあ?」
「あー、こっちの言葉じゃなんていうんだろうな。こう木の箱に車輪がついてて、引っ張る棒があってだな」
「ああ、リヤカーならあるよ」
「あるんかい」
「あ、でもこの教会にはないかな」
「ないじゃねーか!」
 ノエルが言うには、リヤカーという道具は存在するが教会にはないとのことだった。もとより転生時に翻訳補正をかけてもらってるので、実際には違う単語なのだが吉田とは会話が成立するのである。
「教会で買わないのか?」
「うーん、あれ高いんだよね。教会のお金じゃお馬さん買えないし」
「なんで馬がいるんだ? そりゃあったら便利だが」
「え、だって馬じゃなかったらどうやって引くの?」
「人が引けば……って子どもたちじゃキツいかなぁ」
「人間が引くの? ヨシダはヘンなこと言うねえ」
(そういう文化はこの世界にないのか?)
 厳密に言うとあるのだが、この村は穀倉地帯だ。土地柄ゆえに運ぶ荷も大きくて重く、馬が引くのが当然という考え方だった。
「ふむ……子どもたちの力でも引けるようなやつ、作ってみるかな」
「あ、それ知ってる! DIYてやつだよね」
「この世界にDIYて言葉があるのかよ!」
「『誰でも(D)』『一緒に(I)』『やろう(Y)』の略だっけ?」
「違うわっ!」
 だがさすがに英語の説明を子どもにしてもなぁと、吉田はそれ以上のツッコミは控えた。
「そうだな、ついでにリヤカーを作る材料でも探してみるか」
「期待しないで待ってるよ!」
「いや、しろよ」
 自慢じゃないが前世で何度か転職した際にそういう仕事にも携わっていたこともあるので、材料と工具さえあればなんとかなると吉田は思っていた。だが、
(ってお金がないんだよな)
 という大事なことに気づいて出鼻をくじかれる。
「教会に出してもらうわけにもいかんしなぁ……うーむ」
「ヨシダ、どうしたの?」
「いや、先立つものがなくてな」
「サキダツモノって?」
「材料だな、リヤカーを作る。あと工具も」
「うーん、工具なら教会にもあるじゃない?」
「あ、そうか」
 なにより吉田はその工具を使って教会や孤児が住まう別棟の修繕をやっていたのである、そのことをすっかり失念してしまっていた。
「となると材料か、街に売ってる店あるか?」
「どういう物が欲しいの?」
「まず木材だな。あと、鉄の棒があればありがたい」
「あぁ、それなら」
「あるのか?」
「そこらへんの人が住んでなさそうな家の壁から、剥がして持ってくるといいよ?」
「え、いいのか」
「知らんけど」
「あのなぁ……」
 二人のやり取りを微笑ましく眺めていた初老の男性神父が、プッと噴き出す。
「ははは、相変わらずですねお二人さん。でもノエルの言うとおり、大丈夫ですよヨシダ」
「いやでも、泥棒になっちまうんじゃ」
「なりませんよ? だって誰も住んでいないんですから」
(そういうもんか……ところ変われば考え方も法律も違うんだな)
「神父様のお墨付きがでたとあっては、さっそく今からやるか」
 そう言ってそでをめくる吉田、鼻息も荒い。
「ヨシダ、小麦粉!」
「あ、忘れてた」
「もうっ!」
 可愛くプーッと膨れるノエルに、
わりわりい!」
 そう言って、吉田は乱暴にその小さな頭をかいぐり回す。ノエルはそれがイヤじゃないようで、それどころか少し嬉しそうな表情である。
(お父さんがいたら、こんな感じなのかな?)
 だがノエルの髪は、吉田が乱暴に扱ったせいで古くなった鳥の巣のようになっていた。ノエルがそれに気づくのは、吉田が街へでかけてからである。
 街へと続く、海の見える小高い丘の上。その斜面を、名もなき花々が風に揺れている。
 海上は凪いでいて、日光を反射してキラキラと輝いていた。
「どの世界も海は同じなんだな」
 そしてチラと空を見上げると、そこにはこの星の衛星が七つ寄り集まっていて。
「月が七個ってのは、なんど目にしても見慣れないが」
 そう言って吉田は、苦笑いを浮かべた。しばし歩いて、やがて周囲はそれなりに立派な家々が軒を連ねる景色に様変わりする。
 街の入り口にさしかかって、
「小麦粉の店はどこだったかな」
 ノエルから預かった地図を初めて開く吉田は、どうして出発前にそうしなかったのかと悔やむのだ。
「なんじゃこりゃっ⁉」
 それはどう見ても、子どもが書いた稚拙な地図。よく宝物探しごっことかで書きなぐる、あのテイストだ。
 吉田も子どものころに、よくそういうのを書いた記憶があって。
「ってノエルは子どもだったわ、そういや」
 困り果てて、とりあえずは聞き込みを開始。まずは近場にいた老夫妻を呼び止めた。
「ご老人、ちょっとよろしいか?」
「なんじゃね?」
「この地図なんですが……どこかわかりますかね」
 吉田が渡す地図を受け取り、そこに視線を落とす老夫妻。唇が波打って、肩が震えている。
「わははは! なんじゃこりゃ!」
 どうやら笑いをこらえていたようだ。その反応はまぁ当然かと、吉田も苦笑いしか出てこない。
「いや、実に個性的な地図じゃのう」
「やっぱわかりませんか……」
「いや、そこをしばらくまっすぐに行くと赤い看板の店が見えるから、そこを右に曲がって突き当りを左じゃな。おそらくじゃが、小麦粉かなんかを買いにいくのかね?」
「その地図、読めたのかよ! ……あ、失礼」
「いや、上手く特徴はとらえておるよ。ただのう、地元民じゃなければわからんじゃろうなぁ」
「はぁ……これが?」
 返してもらった地図に目を落とすが、吉田はさっぱりわからない。とりあえずはお礼を言って、説明を受けたとおりに歩を進める。
「あってやがる」
 確かに老人の言うように、突き当りを左に行くと小麦粉を量り売りしている屋台が見えた。周囲にほかの屋台は見当たらず、だからこそ老人も小麦粉を買いに行くのだと察することができたのだろう。
(そういや前払いしてたと言ってたな)
 食べ物、特に穀物は需要と供給に応じて相場というものがある。店頭で購入する場合は『時価』となるが、前持って注文する場合は注文時の時価を前払いとなるのだ。
 取り寄せたあとに価格が高騰した場合に、買う側は注文時の値段で買える。逆に下落しても、店側は差額を返さなくてよい。
(うまくできてんな)
 とりあえずは屋台にたどり着き、
「孤児院……じゃなかった、教会のもんだ。頼んでいた小麦粉を取りに来た」
「あんたが教会の使いか? 初めて見る顔だが……」
 店の主人は、吉田を舐めまわすようにジロジロと観察してきた。この世界でも吉田は高身長な方で黒い髪と瞳、そして見慣れぬ顔立ちの異国人の風体。
 正確には異世界人だがその筋骨隆々とした体躯といかつい顔つきは、むしろ野盗かならず者といった塩梅なのだ。店の主人が怪しむのも無理はなかった。
「証拠はあるのか?」
「へ? 証拠?」
「そうだ、証拠だ。教会のもんだっていうな……たまにいるんだよ、前払いしている人の注文を騙してかっさらっていく奴が」
「冗談じゃねぇ、俺はヨシダってもんだ。ちょくちょく教会に手伝いに行ってて、これはその一環なんだよ!」
「だから、その証拠を示せって言ってるんだよ。証拠!」
「まいったな……」
 これは、お使いを頼んだノエル自身も想定していなかったアクシデントである。
「証拠と言われてもなぁ……俺はこの地図しか持たされていないんだ」
 弱り顔で、吉田はノエル作の地図を手渡す。店の主人は訝しがりながらも、それを手に取って。
「なんじゃこりゃ、ぶわはははは! こ、これはうちへの地図か⁉」
「まぁ笑うよな」
 吉田も、つられて笑ってしまう。
「いやすまんすまん、疑って。確かにノエルちゃんの書いた地図だわこりゃ、わはははは!」
「ノエル画伯、どんだけ有名なんだ⁉」
 吉田が驚きの表情を浮かべてそう口から漏らすのに、
「がっ、画伯! ひーっ‼ お、お腹痛い……」
 笑いすぎて、店の主人は両手でお腹を押さえてしゃがみこむ。その背中が、プルプルと小刻みに震えていた。
「お、おい!」
「いやあ笑った笑った。教会が注文した小麦粉はこの裏手に置いてあるやつだ、持っていきな」
「あぁ、ありがとよ」
 そして吉田は、屋台の裏手に回る。
「なぁ、ご主人」
「なんだ?」
「教会が注文した小麦粉ってのは、これで間違いないのか?」
「そうだが? 不都合でもあったかね?」
「全部じゃないよな? 何個だ」
「いや、全部だよ」
「……」
 いま吉田の目の前には、二〇キログラムは入ってそうな紙袋が五つ摘まれている。
(ノエルの野郎……帰ったらおしおきだ!)
「持てるかい?」
「まぁなんとかな」
 腰が心配であったが、とりあえず両手を積んである小麦粉袋の一番下の左右にかけて思いっきり踏ん張る。
「ふんっ!」
「おお力持ちだな、ヨシダ」
「はは……」
 だいぶやせ我慢をしている吉田である。持っているだけで、汗が次々と噴き出た。
 ただ前世での職務では当たり前のようにこなしていたのもあって、そこはなんとかなると思っている吉田だ。不安なのは、もっぱら腰である。
「じゃ、持っていくな」
「毎度ありー」
 吉田は鍛えてるだけあって筋力には自信あるが、体力面ではもう四十代である。
(リヤカー作成には早急に着手しねーといけねーな、こりゃ)
 そんなことを思いながらなんとか行きも通った小高い丘の上にさしかかって、その標高が一番高いところでいったん休憩だ。小麦粉の袋をその場におろして、落下防止のために備え付けられてある木製の策に腰かけた。
 強い潮風が吉田の黒髪を揺らし、重労働でほてった肌を冷ましていく。
「はぁ~、生き返るぜ」
 そして懐からタバコを取り出し、マッチを擦ってまずは一服。ちらと横目で、置いた小麦粉の袋を見やる。
「ノエルの野郎、俺がこれを持てると思ってたんかね」
 もちろん、吉田の普段の仕事っぷりからノエルはそう判断したのだろう。ただあらかじめ量を伝えていなかったのは、ノエルの可愛い意地悪ではあったが。
「さて、行くか」
 お手製の吸い殻入れにタバコを入れると、再び小麦粉の前に立つ。そしてかけ声一番、一気に持ち上げた。
「ここからは下り坂だから、慎重にいかないとな」
 楽に下りられるだけに、速度も乗る。落として袋が破けたら一大事だ。
 そして下り坂の半ばほどまで来ると、遠くに黒煙が上がっているのが見えた。
「なんだ? 焚火か? いや、焚火にしては……」
 そして吉田は、信じられない光景を目撃する。黒煙にまじって、大きな炎が見え隠れしているのだ。
「火事か⁉ それにあれは、教会のあるあたりじゃねーか!」
 嫌な予感がして、吉田は小麦粉をとりあえずその場に置いて走り出した。疲れも見せずに全力疾走して、教会にたどりついた吉田が見たものは――。
「こりゃひでぇ!」
 教会は無事だったが、燃えていたのは孤児たちが住む別棟だ。もはや燃えていないところのほうを探すのが困難なくらい、大きな炎に包まれている。
「ノエル! みんな!」
 そう言って駆け出し、扉を蹴破ろうとする吉田を後ろから引っ張る者がいる。
「神父さん⁉」
「ヨシダ、もう無理だ。あなたまで焼け死んでしまう!」
「子どもたちはっ! 子どもたちは無事なのか⁉」
 だが神父の表情は暗い。と同時に、中から子どもたちの泣き声が聴こえてきた。
「神父さんっ、離してくれっ‼」
 強引にその手を振りほどくと、吉田は扉を蹴破った。大きな音がして、扉が建物内側にふっ飛んでいく。
「みんな! どこだ、どこにいる‼」
 そう広くない建物ではあるが上は十四歳から下は三歳まで、しめて七人の孤児がいるのだ。男児三人と女児四人、それなりに部屋数もある。
 だがどこもかしこも火の海で、どこが廊下で扉なのか皆目見当もつかない状態だ。
「ノエル! 返事をしてくれ!」
 焦りばかりがつのる中で、かすかに聴こえてきたのは。
「ヨシダ!」
「ノエルか? どこにいる! みんな無事か!」
「リビングにみんないるよ! ヨシダ、助けて!」
「待ってろ! いま行く!」
 視界は一面の炎だが、勝手知ったる建物なので間取りはわかっている。壁も一面に燃え上がっているので、もはや扉を探すなんて作業も用をなさないだろう。
「ここを蹴破るぞ、みんなどいてろ!」
 一刻を争うので、その返事は待たずに吉田は燃え上がるリビングの壁を蹴破った。
 中は火の海ながら、奥のほうにはまだ火の手がまわっていない。だが黒煙がもうもうと立ち込めており視界が悪く、それでも子どもたちがそこでひとかたまりになって座り込んでいるのを吉田は見つける。
「そこか!」
 吉田が駆け寄ろうとしたまさにその瞬間だった。天井の燃え上がる梁などがガラガラと音を立てて崩れ落ち、吉田の行く手を阻んだ。
「チッ!」
 必死でそれを蹴ったりしてはみるものの、量が量だけにびくともしない。
「ヨシダ、熱い‼ 熱いよ!」
「ま、待ってろ!」
 吉田は意を決して、燃え上がるそれを両手でつかむ。必死に持ち上げようとするが、重量があるので少ししか持ち上がらなかった。
 やがて炎は吉田のそでに燃え移り、それを消すためにいったん手を引っ込める。
「畜生がっ‼」
 そして衣服に燃え移った火を叩き消すと、再び作業を再開しようとして……吉田の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
「いやああっ、熱いっ! 熱いよ熱い!」
 なんとノエルを始め孤児たちの周囲に火がまわり、ノエルを含め幾人かの衣服に燃え移っている。一番ひどいのはノエルで、もはや炎上しているといっても過言じゃなかった。
「ノッ、ノエル!」
 なにもできないでいる自分の歯がゆさに歯ぎしりをしながらも、吉田は必死で梁を持ち上げようとして……思いっきりがに股で踏ん張ったものだから、ズボンのお尻部分がビッと裂けた。
 パンツも一緒に破けたものだから、吉田の白いお尻の割れ目があらわになる。そしてそこから七枚のカードが、パラパラと床に落ちて散らばった。
「なんでだよ⁉ 家に置いてきただろうが!」
 やり切れない怒りと焦りで、吉田の目は血走っていた。家に置いてきたカードが、よりにもよってまた尻の割れ目にはさまっていたのである。
 そして吉田は、不意にクロスの言葉を思い出した。
『動物でも人間でもいい、お前にはそのカードに生けとし生ける者の魂を封じ込めることができる能力を与えよう。封じ込めた魂は、今後お前に忠実な『眷属』としていつでも呼び出して使えるようになる』
(このカードに、子どもたちを入れることは可能なのか……?)
 試してみたことはない。ないが、もはや策もないのだ。
「あとから出せばいいか!」
 だが、肝心要の使い方は吉田は知らないのだ。とりあえず床に散らばった七枚のカードを拾い上げて、
「どうすりゃいいんだ、畜生!」
 焦りと悔しさばかりがつのり、吉田は無念の表情を浮かべることしかできない。こうしている間にも、ノエルたちが燃え上がっているのだ。
(俺は『また』、この世界でも子どもたちを殺してしまうのか?)
 そして吉田は覚悟を決める。
「ええいっ、ままよ!」
 七枚のカードを扇状に広げると、それを手裏剣のように燃え盛る子どもたちの方向に投げつける。カードが子どもたちに届きそうな距離まで飛んでいくと、それらは空中で急停止して。
「落ちない?」
 そう吉田が思った瞬間に、七枚のカードが一枚一枚違う色の光を放った。その眩しさに、吉田は思わず目をそむける。
 だがそれも、一瞬のことで。すぐに視線を戻した吉田が見たもの、それは――。
「お、おいおい⁉」
 子どもたちが一人ひとり、カードに吸い寄せられるようにして消えていく。やがて七枚全部に七人の子どもたちが吸い込まれると、カードはシュッと音を立てて消えた。
「ど、どうなってんだ? 子どもたちは、カードは⁉」
 そして吉田は、不意にお尻に違和感を覚えた。
「ま、まさか……」
 おそるおそるむき出しになった尻の割れ目に手をやると、七枚のカードがはさまっているではないか。
「趣味悪いぜ、おい!」
 とりあえずはもうその場にとどまる必要もないので、吉田は踵を返す。そして外に出ると、心配そうな顔で神父が駆け寄ってきた。
「ヨシダ、無事でしたか! それで子どもたちは……」
 吉田は一人で戻ってきたのだ、神父は最悪の状態を覚悟する。
「すまねぇ……」
「い、いえ! ヨシダだけでも無事でよかった……」
 自分でもなぜだかわからないが、吉田はカードのことは神父には言えずにいた。
「ヨシダも火傷がひどい、急ぎ病院へ行きましょう」
「いや、街の病院は遠い。ナギんとこで薬箱を借りて治療しますよ……」
 そして吉田は、焦燥しきった表情でフラフラと歩みだす。すでに周囲は人だかりで、バケツリレーが始まっていた。
「ヨシダ、無事ですか⁉」
「あ、ナミさん……」
 なんと、ナミが来ていた。
 実はナミは先日妊娠が発覚したばかりだった。なので火消しの手伝いからは除外され、心配そうに現場を見つめることしかできなかったけれども。
「俺は大丈夫だ。ナギは?」
「うちの人なら、あそこです」
 ナミが指さすほうを見ると、ナギがバケツリレーの一員となって働いている。
「俺は一足先に帰ります。薬箱をお借りしますね」
「それは構いませんが、私も一緒に戻ります」
「いえ、一人でできるので大丈夫で……いや、ナミさんも戻ったほうがいいな。お腹の子にさわるかもしれない」
「はい!」
 そして吉田が先導するのだが、その割れたお尻が露出していた。ナミが顔をあからめて、顔を背けながらあとに続く。
「キャッ!」
 前を見てないものだから、つまづいてこけそうになるナミ。そこを間一髪で、吉田が腕を差し出して抱き込むようにナミが倒れるのを防いだ。
「危ない危ない。ナミさん、もうあなた一人の身体じゃないのだから……しっかり前を向いて歩いてください」
「ご、ごめんなさい! それで、あの……」
「なんでしょうか?」
「私が先頭でいいでしょうか?」
「? 構いませんが」
 ナミとしては、夫以外のお尻を見ながら歩くのは抵抗があったのだ。
 そして吉田とナミ、自宅へ向かって。自宅に着くと、ベッドに腰かけた吉田は上半身裸になる。
「背中がひどいですね。手伝います」
「すいません」
 ナミに軟膏を塗ってもらい、絆創膏を貼ってもらう。その間、自分は腕に包帯を巻く。
「では着替えるので……」
「あ、はい」
 不意にナミの脳裏に吉田の尻の割れ目が浮かびあがり、それをパパパッと片手を振ってかき消した。
(なにやってんだろ。虫でもいたのかな?)
 不思議そうな表情で部屋を出ていくナミをベッドに腰かけたままで見送り、扉が閉まったのを確認すると吉田は七枚のカードを手に取る。
「この中に子どもたちが……どうやって出せばいいんだ?」
 とりあえずはハルピュイアの絵が描かれているカードだけを手に残し、ほかは机上に置く。見つめたり念じてみたり、あげくは『開けゴマ!』などと叫んでみるがカードに封じ込められた子どもが出てくる気配がなかった。
「おい、クロス。聴こえるか?」
『なんか用か?』
「いるのかよ!」
『自分で呼び出しておいて、なんだその言い草は。用向きがないなら……』
「待て、待ってくれすまん! このカードから子どもを出す方法を教えてくれないか」
『子どもを出す? つまり「式」を呼び出したいわけか?』
 クロスのその言い方に若干ひっかかった吉田だったが、のちにその意味を知ることになる。
「そ、そうだ。そのシキを呼び出すとかいうのはどうやるんだ?」
『簡単だ。まず尻の割れ目にカードをはさみ、それをマッチを擦るようにしてこすって引き抜くといい』
「……」
 クロスにひとこと物申したい吉田だが、それはグッと呑み込む。立ち上がって破けたズボンから見えているお尻の割れ目にカードをはさむと、それを勢いよくシュッと引き抜いた。
「……なにも起こらないじゃねーか。クロス?」
『いや、すまん。まさか本気にすると思わなかったんだ、クックック……』
(こいつ、いつか絶対ぜってー殺す)
 冗談をかわしている場合じゃないので、吉田の表情は般若のごとく怒りで顔が真っ赤だ。
『そう怒るな。式の召喚ならば、そのカードにキスをして投げればいい』
「こうか?」
 吉田はそのハルピュイアのカードにキスをして、シュッと目の前に投げてみせる。するとそのカードから上半身はまだ少女の面影を残す妙齢で裸の女性、両手と下半身が鳥のハルピュイアが羽音を立てながら飛び出した。
 投げたカードは白紙となって消え、そしてなぜか吉田の尻の割れ目に戻る。
「なんでだよ!」
 とりあえずその白紙カードを尻の割れ目から引き抜いて机上に置くと、いつのまにかハルピュイアがうやうやしく吉田の前に片膝をついてかしこまっていた。
「主、ご命令を」
「あ、あるじぃ?」
 吉田が黙っていると、ハルピュイアもひとことも発さない。
「え、えーと。お前……誰だ?」
「? 私は主の忠実なるしもべ。名前はございません」
「いや、そういうことじゃなくてだな。えーとその、ノエルか? それとも誰なんだ?」
「ノエル、とは?」
「え?」
 吉田は青ざめた。ノエルじゃなかったとしても、ほかの六人がノエルの名前を知らないはずがないからだ。
「えっと、確認だけど……お前、孤児の誰かだよな?」
「私はハルピュイア。主の忠実なるしもべです」
「いや、そうじゃなくて。その、人間だったことを覚えているか?」
「私はハルピュイアですが」
 先ほどからずっと、ハルピュイアは無表情だ。その目は死んだ魚のようで、はたして見えているのかどうかもあやしいぐらい冷たい光のみを放つ。
「お、おいクロス! どういうことだ⁉」
『どういうこともなにも、ハルピュイアのカードに子どもの魂を入れたのだろう。その魂を触媒としてハルピュイアが具現化したのだ』
「そういうことを訊いてるんじゃねぇ、どうやって戻せばいいんだよ」
『戻らないが?』
「え?」
『すでに贄となった魂はカードの式として『再生』した。今後はお前の忠実なしもべとなって働いてくれるだろう』
「おい……」
『そのままでも支障はないが、名前をつけてやれば感情が宿る。お前としてはそのほうがよいだろう』
「いや、お前……なに言って……」
 吉田の両手が、ぶるぶると震えだした。
『カードに戻したい場合は、そう命じるといい。なお、六時間経ったら自動的に戻る』
「いやだから」
『一度戻ったあとは、三時間おかないとふたたび呼び出すことはできぬのを覚えておけ』
「話を聞けよ!」
『なにが言いたいのだ?』
「いやだから、子どもたちをもとの姿に戻してやりたいんだが……」
 イヤな予感だけが、吉田の脳裏をかすめる。さっきから、冷や汗が止まらないでいた。
『だから戻らぬといっておる。まぁそのカードを作った者に訊けば、手立てはあるやもしれぬが』
「お前が作ったんじゃないのかよ。じゃあ作ったやつに会わせてくれ」
『それは不可能だ』
「は?」
『リリィディア……そのカードを作ったのはリリィディアなのだが、まだこの世に顕現しておらぬ』
「どこにいるんだよ、そのリリなんとかってのは。そもそも何者なんだ⁉ 」
『まだ永の眠りについておる。ちなみに何者かというと、それは……』
「それは?」
『前に話したこともあるが、魔皇だ』
「……なんて?」
『魔皇だと言った』
「えっとそれは……俺に、あわよくば倒してほしいって言ってたあのマオウか?」
『そうだ』
「なんてこった……」
 吉田は頭を抱えた。よりにもよって人類の、そして世界の敵がカードの作成者なのだから。
『まぁ「あの七人」ならばなんとかしてくれるかもしれん』
「あの七人?」
『この大陸にある帝国を構成する七ヶ国、それぞれの国に「塔の賢者」が住もうておる。理由は話せぬが、その七人ならばなんとかなるかもしれない』
「事情はわからねぇが、そりゃありがたい!」
『かもしれない、だぞ。過分な期待はするな』
「ちぇっ、わかったよ」
 だが目覚めてもいない魔皇の降誕を待つよりは、よほど現実的だ。吉田は、その一縷の望みに賭けるしかなかった。
『私も忙しい。ではな』
「あ、待ってくれ!」
 だがもう、クロスの声は聴こえてこない。
「クロス! おい、クロス! ……マジかよ」
 下を向くと、ハルピュイアが羽をたたんでずっと片膝をついたままの姿勢でいる。
(魔皇は倒さなくてもいいとかクロスは言ってたよな、確か。じゃあ七人の賢者とやらで無理でも、その魔皇さんに頼んでみるか)
 吉田としては、勇者となって魔皇と戦うなんてまっぴらごめんだった。もし子どもたちを助けることができるのならば、魔皇の臣下に入るのもありと考えたのだ。
「あー、とりあえず……名前をつけたら感情が宿るとか言ってたな。おい、そこのハルピュイア」
 吉田のその言葉を受けて、ハルピュイアが無表情の顔を上げる。
「お前の名前はそうだな、ハルだ」
 ハルピュイアだからハルとは安易かもしれないと思ったが、日本語の響きにも似てむしろいいんじゃないかと吉田は思う。そしてハルと名付けられたそのハルピュイアの頬に赤身がさし、その瞳には光が宿る。
「ハルか! 可愛い名前だな! ありがとよ、主‼」
「え?」
「そんでもって主、なんか命令はあるか?」
「あ、いや。えっと……」
 いきなりフレンドリーというか気さくになったハルに、吉田は困惑を隠せない。そしてふと、ハルのあらわになった胸の乳房に目がいってしまう。
 上半身の外見だけなら、十代後半ぐらいだろうか。その胸は小ぶりではあるものの、ハリがあって艶光りしていた。
 目のやり場に困り、顔を背けつつ片手で自分の視界を遮る吉田。ハルが片膝をついたままズイッと前のめりになってくるので、もう一方の手でこれ以上は近寄れないようにそれを制する。
「えーと、ちょっと待ってろ。胸を隠すもの、なんかないかな?」
 クローゼットを漁るが、当然ながら吉田はブラジャーを持っていない。
「そうだ! おいハル、ちょっと待ってろ」
「いいぜ、主」
 ハルはまだ片膝をついたままだったので、
「そんなにかしこまらなくてもいい。ベッドに座ってろ」
「りょ!」
 その明るくて元気なノリに、吉田の顔に久しぶりの笑みが浮かぶ。といっても、少々困惑気味ではあったけれど。
(『元』は七人のうちの誰だろう?)
 ハルの性格は、七人の誰とも共通しない。強いて言えばノエルっぽい気もするが、ハル(の上半身)はもう立派な女性なのに対しノエルは十歳にも満たない。
(とりあえず、ナミさんにブラを借りてくるのが先だな)
 吉田は部屋を小走りに出る。暇をもてあましたハルが立ち上がって、興味深そうに部屋の調度品を見て回っていたそのときだった。
「変態!」
 遠くからそう叫ぶナミの声に続けて、間髪を入れずに聴こえてきたのは――。
『パン! パン!』
 なにかを叩いたような乾いた破裂音が二回、続けざまに飛び込んでくる。
(なんの音だろ?)
 不思議そうな表情を浮かべて、首をかしげるハルなのであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

欲張ってチートスキル貰いすぎたらステータスを全部0にされてしまったので最弱から最強&ハーレム目指します

ゆさま
ファンタジー
チートスキルを授けてくれる女神様が出てくるまで最短最速です。(多分) HP1 全ステータス0から這い上がる! 可愛い女の子の挿絵多めです!! カクヨムにて公開したものを手直しして投稿しています。

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

セクスカリバーをヌキました!

ファンタジー
とある世界の森の奥地に真の勇者だけに抜けると言い伝えられている聖剣「セクスカリバー」が岩に刺さって存在していた。 国一番の剣士の少女ステラはセクスカリバーを抜くことに成功するが、セクスカリバーはステラの膣を鞘代わりにして収まってしまう。 ステラはセクスカリバーを抜けないまま武闘会に出場して……

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...