メビウスの乙女たち ~二人のダスラ~

仁川リア(休筆中)

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第十二話『Age.14をもういちど』

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「ダスラ、手紙が来ているわよ……って、なんで侯爵家からダスラに届くの?」
「あはは……」
 本当に不思議そうに、同僚メイドが首をかしげる。
 定期的にガネーシャから手紙が届くようになって、はや一年。お嬢様じゃなくて平民メイドの私に侯爵家の封蝋がしてある手紙が届くのは、どう考えても不自然だ。
(今まで、うまく隠してきたんだけどな)
 手紙でのやり取りも、方法を改めないといけないかもしれない。とりあえずは手紙を同僚メイドから受け取り、私の部屋へスタコラサッサ。
「ふむ、スーリヤ嬢はまだ学園に入学してないのか」
 確か転入してきたんだったか、あの泥棒猫というか女狐。平民あがりの、ヴリトラ伯爵の庶子だ。
(私の時間軸で、十五歳のときにはもう殿下と浮気してたはず)
 浮気を阻止するべきか。それとも?
 ガネーシャからの手紙を片手に持ったまま、ベッドに寝っ転がる。もう一度、天井を見上げつつ手紙を再読して。
「どっちがお嬢様にとって幸せなんだろうなぁ」
 ずっとずっと、それで悩んでる。もし殿下がお嬢様を大切に思ってくれるなら、王子妃としての幸せを応援すべきじゃないかと。
 でもそこまで考えると、ダスラを無慈悲に殺したアイツが。私を断頭台に送ったアイツらの顔が浮かんできて。
(あ、もうこんな時間か)
 メイド服のスカートをペロンとめくり上げる。ナーシャ時代に憧れた、ダスラのカモシカのように白くて長い筋肉質の脚が顕になって。
「って今は私の脚だけど」
 レッグホルダーにナイフがちゃんと装着されているのを確認して、私は部屋を出た。今日は、ラーセン公爵家『暗部』としての訓練の日だ。
 ラーセン公爵家は、王家の陰の御用を承る。謀反をたくらむ逆族の粛清、いわば暗殺稼業だ。
 スーリヤ嬢と殿下が浮気を始めてからすぐ、前世の私はたびたび命を狙われるようになった。いま思えば、それはヴリトラ伯爵の差し金だったんだろう。
(伯爵家ごときがっ……)
 自分の娘、しかも娼婦に産ませたスーリヤを王子妃にしたくて。だけどそれらを、片っ端から葬ってきたのがダスラだった。
 たとえば馬車で移動中に刺客の影に気づいたとき、
『ちょっとウンコしてくる』
 というのはダスラが考えた隠語だった。要は片付けてくるってことなんだけどね。
(私はそれが、すごくイヤだったんだよなぁ)
 なぜその言葉をチョイスしたのかってのもそうなんだけど、ダスラに危険な目にあってほしくなくて。だからダスラがちゃんと『片付けて』帰ってきたときは、心底ホッとしたものだった。
 でも怪我はないかと心配して声をかける私に、
『ウンコで怪我はしませんよ?』
 とかふざけて返してくるダスラを、何度しばいたことやら。
(私のときの隠語は変えよう)
 絶対に、そう決めている。そうだな、小便にしようか。
「ダスラ、今日は『死合い』だ」
 ラーセン邸の地下訓練場、『暗部』の教官から告げられたのはそんな指示。たとえば王家の簒奪を目論む一派を捕縛したとして、首領は国の法に基づいて公の場で処刑される。
 その影で誰にも知られずに処刑されるのが、逆賊の下っ端たちだ。直近で陛下の遠縁にあたる公爵家に王家簒奪の動き有りというのを、『とある組織』が突き止めた。
 その『とある組織』が集めた動かぬ証拠で、無事それは阻止できたのだけどね? もちろん、それをたくらんだ犯人は処刑が確定している。
 もちろん、その手足となった兵隊たちも処刑されるのだが……その身柄は王城になく。
「こいつらには、お前を殺すことができたら釈放してやると言い含めてある」
 教官が、冷たい声で言い放つ。つまり私と殺し合いをして、勝ったら無罪……んなわけあるか。
(私が負けても、代わりに誰かが処刑するだけ……)
 つまり今日の私の相手は、私が強くなるためだけに用意された『教材』なんだ。もし私が返り討ちにあって死んでも、それもまた闇に葬られる。
 いま私の目の前には、剣を持った囚人が十数人。手ぶらの者もいるが、拳闘士か暗器持ちだろう。
「それでは始めてください」
 私はそう言って、闘技場に足を踏み入れる。両の手に持つのは、カランビットと呼ばれる湾曲した短刀だ。
 教官の手が上がり、囚人たちが一斉に襲いかかってきた。私はそれら一人ひとりを、音も立てずに葬り去っていく。
 返り血で、メイド服のエプロンが真紅に染まる。頬に、紅い血しぶきが降り注ぐ。
 私の手にあるカランビットを警戒しすぎて、レッグホルダーから投擲されたナイフで絶命する囚人さん……私の生足を最期に見れて満足でしたか?
「処刑、完了しました」
「うむ、ご苦労だった」
 もう私の両手はとっくに血に染まっているが、なんのてらいも躊躇いもない。粛々と、刑を執行するのみだ。
 なにより、『そういうこと』を否定するのはダスラを侮辱しているに等しい。ダスラがそうしてくれたように、私もダスラとして彼女が立った領域に並び立ちたい。
 すべては、お嬢様を守るために。強く、強く……誰よりも強く。
 だからこいつらは、その礎でしかないのだ。
「お前も躊躇いがなくなってきたな」
 教官としては、褒め言葉のつもりなのだろう。滅多に褒めない教官だから、ここは喜ばないといけないんだろうけど。
「躊躇っていては殺されますから」
「あぁ、そうだな」
 私のその雰囲気に呑まれて、教官の顔がこわばる。そりゃね、最初にこの役目を仰せつかったときは手足がガタガタ震えたもんだ。
 でもそれでも、私を動かしたのは『死にたくない』なんて安くて薄っぺらい感情じゃない。
(ダスラが通った道だから)
 いま私は必死で、ダスラを追いかけてるような気がする。少なくとも私の知っているダスラは、それこそ隠語でもあったように『うんこをしてきた』ようなスッキリした表情で帰ってくるんだ。
 久々に『それ』の授業というか仕事でスッキリしたのもあってか、先ほどまでの悩みは全部消し飛んだ。やっぱり、殿下はお嬢様に似つかわしくない。
(今のうちに殿下かスーリヤ嬢、ヴリトラ伯を暗殺すべきだろうか)
 それが一番、手っ取り早い。だが万が一しくじると、私はラーセン公爵家のメイドなのだ、リスクがとんでもなく大きい。
 私は、確かに冤罪を認めた。卑怯極まりない司法取引だったけど、それでも残された人たちのために。
 でもガネーシャによると、それは守られなかったらしい。パパは爵位を没収され、ママと共に平民落ちして使用人たちは職を失った。
 しかもあろうことか、ガネーシャのディヤウス侯爵家を筆頭にセレスの伯爵家とカーリーの男爵家もラーセン派とされて爵位を下げられ没落の一途をたどったのだ。
 特にカーリーなんてひどいものだった。男爵家の下はもう平民だ、その末路は娼館で性病に罹患して二十代半ばで亡くなったってガネーシャから聞いたときは、本当に気が狂いそうだった。
 暗殺などの実行を承うのがラーセン公爵家ならば、その証拠がためをする『とある組織』こと『諜報部隊』を持つのがディヤウス侯爵家だ。つまり、ガネーシャの家が動かぬ証拠を集め、それを元に王家が審判を下しラーセン家が刑を執行する。
 だから私にとって、ディヤウス家はどうしても手にいれなければいけない手駒だった。そして幸いなことに、そのディヤウス家の令嬢であるガネーシャが前世の記憶を持っている。
 今からでも上手く立ち回れば、『阻止』はできるのだろう。だが阻止したとて、やつらが罰せられなければ意味がない。
(だからまず、動いてもらう必要がある)
 少なくとも、それは一年以内に行われるだろう。私はお嬢様の剣になり、盾になる。
(ダスラ、見ててね?)
 私は、カランビットに付着した囚人たちの血を舐め取った。
いったーい!」
 舌、切っちゃった……。


 ガネーシャに返信を出すために街へ、街の外へ。
 ラーセン侯爵邸からも出せるのだけど、一介の平民メイドが侯爵家令嬢に手紙を出すなんて不遜もいいところだ。届くだけでもおかしいのにさ。
 だからこうして、誰にもばれないように街で投函してる。一番バレちゃいけないのがお嬢様だな。
(どう誤解して、どう暴れるやら)
 そしてその帰り道、街で評判のプリンを売ってるショップでお嬢様のお土産にと列に並んでたら。
「あら、ダスラじゃない」
「うげっ、アグニ……」
「いま、うげって言った?」
「言ったねぇ」
「おい!」
 まるでコントのようなやり取りを、メイド仲間のアグニと。仲間というか悪友に近くて。
 そしてメイド仲間と言っても、ラーセン公爵家の人間ではない。前に各貴族のメイドが集まる研修会みたいなのがあって、ラーセン公爵邸からは私が出席した。そのときに知り合ったのが、このアグニである。
「アグニのところは、最近どう?」
 正直、私はこいつがあまり好きじゃない。好きじゃないけど、友人というか悪友という立ち位置ポジションを得たくて私から近づいた経緯があって。
「んー、なんかね。市井に旦那様の隠し子がいるらしくて、ここんとこてんやわんやなんだ」
「へぇ?」
 来たか、と思った。私がこいつに近づいたのは、アグニがヴリトラ伯爵邸のメイドだからだ。そしてスーリヤは、ヴリトラ伯が娼婦に産ませた庶子。
(やっぱ引き取るのか)
 そして始まるんだろう、ヴリトラ伯の『天下取り』が。娘をアシュヴィン殿下の妃にするために、ラーセン公爵を失墜させてまで。
(公・侯を飛ばして、伯爵の身でよくやるよ)
 そこらへん、敵ながら大胆不敵な野心は嫌いじゃないけどね。でもまぁ残念だけど、もう歴代ダスラたちの二の轍を踏む気はないんだ。
「となると、ガネーシャにもう一通出しておかないとな」
「え?」
「あ、いやなんでもない。アグニはおつかい?」
「そう、件の隠し子のためにいろいろ揃えろって命令でね」
「ふーん」
 私はできるだけ、無関心を装う。私が目的があってアグニに近づいたように、アグニもまた今後はヴリトラ伯の間諜として私に接してくる可能性があるから。
(そういや私の部屋に毒を仕込んだメイドもうちに来るんだっけ)
 ナムチ、いずれうちにメイドのふりしてやってくるヴリトラ伯の間諜。ナムチがどこにどうやってお嬢様の部屋に毒を仕込むかは、前世のダスラが見破った。
 残念ながら、泳がすつもりが口封じに殺されちゃったけど。
「あ、私ちょっと用を思い出したから」
「へ? ダスラ?」
 ここまで並んだんだからプリンを買い終えるまで待つつもりだったが、そうも言っていられない。私は急ぎ足で郵便局へ急ぐ。
(ガネーシャに、アレをお願いしなきゃ‼)
 屋敷に飛んで帰って手紙書いて、また街に出るタイムロスさえ惜しい。郵便局で書いてそのまま出そう。
 途中で豪奢な馬車が向かいからやってきたので、進路を譲るために立ち止まって端に避難する。したらなぜか、その馬車が私の目の前で停まった。
「ダスラ?」
「ガネーシャ様! ちょうど良かった」
「え?」
 ガネーシャだった。ディヤウス侯爵家の馬車だったんだ。
(って街中じゃん)
 平民メイドが、貴族のしかも侯爵家の令嬢に話しかけてるなんて悪目立ちもいいところ。ガネーシャもそれを察したのか、
「乗って!」
 遠慮はしていられない、私はすぐさま乗り込んだ。
「出してちょうだい。そうね、そこらへんぐるぐる回るだけでいいわ」
「かしこまりました。ハイッ!」
 ガネーシャからの指示を受けた御者が、つながれた馬に鞭をふるう。振り上げられた鞭を見て、ビクッとしてしまう私の条件反射が悲しい。
「さっき、『ちょうど良かった』って言ってたわね?」
「はい、ヴリトラ伯邸に動きがありました」
「スーリヤ嬢のことね?」
「ご存じでしたか」
 そりゃそうか。ディヤウス家の『暗部』はその道のプロだ。
「となると、ちょっと前倒しになるわね」
「『アレ』、ですか」
「ええ」
 私のとき、スーリヤ嬢の殺害未遂事件のときにはアリバイがあった。とは言っても証言したのがダスラや公爵邸の人間しかいなかったから、限りなくブラックに近いグレーな形で処理されたけど。
 それまでにスーリヤ嬢に嫌がらせを積み重ねていたという容疑についても、セレスたちが証言してくれたとはいえ取り巻きの証言は信ぴょう性に欠けるとのことでけんもほろろで。
 ただこっちは軽犯罪だし、身分もこっちが上。クロだけど許してやるみたいな形になったのよね。
 だから必要なのは、『外部の証言』。そのためには、常にお嬢様の一挙手一投足を見張り記録してくれる存在が必要になる。
「じゃあうちも、『暗部』を動かすわ。ナーシャにはもうしわけないのだけど」
「しかたありません、お願いします」
 ディヤウス家の『暗部』の記録は、王家公認の公式文書として取り扱われる。つまりはお嬢様の一挙手一投足をつまびらかに見張り、いざというときのために証人になってもらうのだ。
「でもそのために必要なのは、スーリヤ嬢にナーシャがなにもしないこと。あの子の性格上、ちょっと厳しいけど」
「大丈夫です」
 お嬢様、信用ないな。まぁわからないでもないんだけどさ。
「もう一つは、『そちらの暗部』よ。特にダスラ」
「心得ています。ただディヤウス家の人間なのか、ヴリトラ伯の人間なのかはどうやって区別をつけましょうか」
 ディヤウス家の『暗部』は、お嬢様につかず離れずその姿を見せない。だからラーセンの『暗部』が敵と判断して同士討ちになりかねないのだ。
「そうね、暗号でも決めておく?」
「暗号、ですか」
「ダスラがどちらか確認するための所作に対し、うちが決められた応答をするみたいな?」
「なるほど……では、このリズムを確認の合図とさせていただきますか?」
 私は馬車の扉の内側に、
『トト、ト、トン』
 と指で弾いてみせた。
「これに対して、そちらがどう応じていただくことにしますか?」
 私はチラと、馬車の天井を見つめる。外から見た馬車の高さと、中から見た馬車の高さに齟齬がある。
 間を置かず、馬車の天井から同じく指で弾く音が聴こえてきた。
『トト、トッ』
「……どう?」
「はい、覚えました」
 いくら天井の高さが違うといっても、ほぼ誤差の範囲だ。あんなスペースに入れるなんて、よほど身体が薄くないと無理。
(私じゃなきゃ見逃しちゃうね!)
 なんて。
「……私はディヤウスの娘なので最初から知ってたけど、よくわかったわね?」
 ガネーシャが、感心したように嘆息する。
「私も訓練を積んでますから……あ、確認ですけど女性ですよね?」
「もちろんよ。着替えとかお風呂とかは男性だと見られるのイヤでしょ」
 これは事前にお願いしてたことだ。とすると、天井裏の御仁はとてもスリムな方なんだろうな。
(お嬢様が嫉妬しそうだ)
 そう思って、思わず笑みがこぼれる。最近、お腹が出てきたのが目下のところお嬢様の悩みの種で。
 本当は私も『お仲間』さんにご挨拶したいところだが、闇に潜み影に生きる隠密さんが顔をさらけ出してってのは難しいらしい。難儀なことだなと思わず同情する。
 ひとまずは、これで証人の目途は立った。これから二年間ほど、お嬢様は知らず監視されつつの生活を送るのことになるのだが我慢してもらおう。
「ラーセンまでダスラ、送ろうか?」
「ご冗談を……」
 ディヤウス侯爵家の馬車に、ラーセン公爵家まで送ってもらうとかとんでもない。
「一目につかない場所で下ろしてもらえれば」
「わかったわ」
 そしてひとまず軒並みが絶えたあたりで下ろしてもらい、周囲に誰もいないのを確認して。途中で乗り合い馬車に乗り込み、帰路を急ぐ。
「お嬢様が見張られるってことは、私も見張られるのか」
 まぁそうなるよね。ということは、
「私の鞭打ちショーは、今度から見物人がいるってことで」
 うーん、複雑だな?


「カーリー! あんたねぇっ‼」
「なによ、やんの⁉」
 それはそれは穏やかな昼下がり、ラーセン邸の東屋は地獄絵図と化していた。定期的に集まる仲良し四人組の茶会でなにが原因なのかちょっと席を外してたのでわからないが、今日も今日とてお嬢様とカーリーは相変わらずである。
 お互いのドレスにお紅茶をぶっかけあい、まだ手付かずのスイーツが宙を舞う。それはまるで、雪合戦のように。
 困ったようにおろおろしているセレスと、なんとか止めようとするもドレスが汚れるのを気にしてか二の足を踏むガネーシャ。
「セレス様、ガネーシャ様、いったいなにが⁉」
「あ、ダスラ! お願い、あの二人を止めて‼」
 相変わらず、こういう修羅場には不慣れな(慣れている令嬢も怖いが)ガネーシャ。いつも損な役回りをしているのは前世から変わらない。
「最後の一個となったシュークリームを、カーリーが食べてしまったのです」
 冷静に状況を説明してくれるのはセレス、つかシュークリーム一つでどうしてこうなった⁉
 やがて二人はヒートアップし、クリームだらけのドレスと顔で今度はとっくみあい寸前だ。お互いの髪の毛をつかみ、頬肉をひっぱる。
(お嬢様の指が、カーリーの口の中に入ってるじゃん)
 まったく困ったお嬢様たちだ、でも私もよくやったなぁって懐かしくて……ってそれどころじゃないね。
「お二人とも、落ち着いてください!」
 私は一喝すると左手でカーリーの顔面を、右手でお嬢様の顔面をガシッとつかむ。そしてそのまま、力任せに脳天締めアイアンクローで吊るしあげた。
「あだだだだっ‼」
「痛っ、痛いってば! 離して⁉」
 平民メイドに吊るしあげられる、公爵令嬢と男爵令嬢。いやもうこれ、逮捕案件です(もちろん捕まるのは私だ)。
「落ち着いていただけましたか?」
「わかった、わかったから離してよダスラ!」
「痛い、痛いってば! この平民!」
 カーリーは、お嬢様に輪をかけて口が悪いな⁉ といってもダスラだから遠慮なくそう言ってくるのであって、カーリーには選民意識なぞないことは念を押しておく。
 むしろ領地の農奴にお手製のサンドイッチを差し入れしちゃうぐらい、身分差を気にしないいい子ちゃんなのだ。だけどそれは『上の身分』にも対してそうなのだから、社交界でカーリーの評判はあまり芳しくない。
 現に、男爵令嬢が公爵令嬢と取っ組み合いなんて醜聞スキャンダルもいいところである。身分差を考えると、カーリーの側に分が悪い。
 だけどお嬢様はヘンにかしこまったりせずに遠慮なく接してくるカーリーが実は大好きで、それはセレスもガネーシャもそうだ。
(要は愛されキャラなんだよなぁ)
 とりあえず二人を解放してやり、ジロとにらんでくる二人ににらみ返す。
「この有様は、いったいどういうことです⁉ 掃除するのは私なんですよ!」
 相変わらずお嬢様は、私以外のメイドをそばに置かない。必然的に、この場を掃除するのは私一人だけになるのだ。
「だってカーリーが最後のシュークリームを!」
「別にナーシャの物って決まってるわけじゃないでしょ!」
 ガルルルとでも喉から出てそうな、狂犬二匹。はぁ、本当に頭が痛い。
「食べるのは私じゃないわよ‼」
 カーリーの反論を受けて、さらにヒートアップしているお嬢様……って、はい?
「私は! ダスラのために取っておきたかったのよ‼ それをカーリーが」
「あ、ごめ……」
 あぁ神様、今ここで私が取るべき正しい反応はなんでしょうか。照れていいのかお礼を言わなきゃいけないのか、それでも怒るべき状況シチュなのか。
 とことんまで困り果てて、怒りたいような嬉しいような複雑な表情を浮かべている私を見てセレスとガネーシャ! 顔を隠して笑うんじゃない!
「私にそのようなお気遣いは無用です。とりあえずここは掃除しておきますから、お二人は早く湯あみをなさってください」
「えぇ、そうね。そうするわ」
 私に最後の一つを確保キープしときたかったのがバレて、お嬢様が照れ隠しなのかぶっきらぼうにおっしゃる。カーリーはカーリーで、申し訳ないと思ったのか気まずそうで。
「ダスラ、ごめんね」
「いえ、お気になさらず」
 いくら公爵家の人間とはいえど、平民メイドに暴力を振るわれたのに謝れるのがカーリー。愛されキャラの面目躍如だ。
 邸内に向かう二人に、セレスとガネーシャが後を追う。貴族令嬢とはいえど、あの四人は着替えや入浴を一人でできない方たちではないので、私は一人残って。
「はぁ、なんだこの惨状」
 ぶつぶつ言いながら、ケーキまみれのその場を清掃。そしてふと、『気配』に気づいた。
(……)
 まさかこのタイミングで刺客はないでしょと思って、テーブルの天板を『トト、ト、トン』と叩く。すぐさま風に乗って、『トト、トッ』と木の枝を弾くような音が返ってきた。
(これも記録されちゃうのか)
 痛しかゆしだなぁ。
 つーかね、当家のご令嬢と男爵令嬢を力づくで吊るしあげちゃった私ですよ。今晩は何発の鞭をもらうことになるのだろうかと気も重い。
(そしてそれを見られちゃうんだよなぁ)
 しかも記録されるんですよ。調教記録かな⁉
「きりがないや。あとで続きをやるか」
 もうこの場はあきらめて、私は踵を返そうとしたそのときだった。
(くすくすっ!)
 微風に乗って聴こえてきたのは笑い声。
「笑うなっ!」
 どこで控えているのやらディヤウス侯の『暗部』さんに、思わずツッコむ。これがあと二年間続くのか。
(我慢だ、我慢)
 でもまぁとりあえずは、ピタッと止まって。
「今晩の鞭打ちショーをお楽しみに!」
 ヤケクソで言い放ったそれには、あちらからの返事はなかった。
 ――そして、その日の晩。私は万全の鞭打たれ態勢でお嬢様の部屋に。上を脱いで、ブラのホックを外して両ひざをつく。
「まずダスラ、ご主人である私に対する暴力は……まぁ私に対する教育の一環としてみることできるわ」
「はい」
「私はみないけどね⁉」
 どっちですか。
「でもお客様に……たとえカーリーとはいえど、いつも言ってますよね? 相手は貴族なのだと」
「もうしわけありません」
「カーリーにはちゃんと謝ったの?」
「もちろんです。謝ってないのはお嬢様にだけです」
「なっ⁉」
 ……言い方を間違えミスった。ただ単純に、『まだ』謝っていなかったなと思っただけで。
 でも当然ながら、お嬢様の身体中の血液はマグマのように沸騰する。
(そりゃそうだ、喧嘩売ってるみたいな言い方だもんね)
 しくじったなぁ。そして間髪をおかず、鞭が飛んできた。
(今日もいったいなぁ)
 もう慣れっこだけど、痛いものは痛い。そして窓のカーテンは『記録用』に少し開けているので、『暗部』さんに見られているのも恥ずかしくてたまらない。
 念のため、床を『トト、ト、トン』と小さく弾いてみたら『トト、トッ』と窓の外から返事がきた。見てるんですかそうですか。
「なに遊んでるのよ!」
 鞭打たれながら、床を指でリズミカルに弾いてるのだ。そりゃそう見えちゃうか。
「はい、今日はこれでおしまい」
「ありがとうございました」
 もうなんでお礼言ってるのか自分でもわからないし、お嬢様もツッコまなくなった。本日は都合十五発、指遊びの罰で五発追加された形だ。
「じゃあ塗るわね?」
「はい、お願いします」
 そしてお嬢様に、軟膏を塗ってもらう。今日は皮膚を切っちゃったのか、少しヒリヒリと薬で傷口が沁みる。
「ダスラね、ああいう教育は私に対してだけなさい。少なくとも、客人に対してやってはいけないわ」
「正論ですね」
「……おちょくってんの⁉」
「いえ、ぐうの音もでない正論なので反論できないなと」
「当然でしょ」
 軟膏を塗り終えてその瓶を引き出しにしまうお嬢様を、脱いだ服を着ながら横目で見つめてたらあることに気づいた。
「いい匂いしますね?」
「ん? あぁ、これね」
 お嬢様の庶務机の上に、紙に包まれたこぶし大のなにか。
「もう一個作ってもらったから、持って帰りなさい」
「?」
 思わず受け取って、それがなんの匂いかわかって。
「あ……」
 やばい泣きそう。これってば、シュークリームだ……今日、あれだけ大騒ぎした原因の。
「あ、ありがとうございます……」
 必死で泣くのを我慢してたけど、表情には出ちゃったらしい。お嬢様が困ったように、それでも笑って。
「歳をとると涙もろくなるって本当なのね」
 なんて憎まれ口をたたいてくる。
「そうかもしれませんねぇ……このシュークリーム、家宝にしますね!」
「傷んじゃうでしょ! さっさと食べて寝なさい‼」
 真っ赤になった顔をそむけながら、お嬢様が怒鳴る。
「それではご馳走さまです、おやすみなさいませ」
「う、うん。おやすみなさい、ダスラ」
 相変わらず背を向けたままだけど、耳が真っ赤で可愛いったらありゃしない。
 お嬢様のことは絶対守るよ、誰からも誰よりも。この鬱陶しいメビウスの環は、今度こそ私が断ち切ってみせる。
(おやすみ、ナーシャ)
 心の中でそう声をかけて、私は静かに扉を閉じた。
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