メビウスの乙女たち ~二人のダスラ~

仁川リア(休筆中)

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挿話『ナーシャ Age.15¾』

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 ここのところ、ダスラの様子がおかしい。
 私、ナーサティヤ・ラーセンはわき目もふらず公務に没頭する毎日を送っている。去年にダスラと一緒にお忍びで領地を視察して、見つけた領内の綻び。
(誰かがなんとかしなきゃ!)
 いや誰かつーか、我が家が。公爵家が。
 だからあの日、孤児院に満を持して……ではなく衝動的に飛び込んで、半ば強引に院長の不正を暴いた。そしてダスラに促されるがままに後処理に関わっていく中で、いつのまにかドップリと漬かっていた、孤児院支援事業の代表者になっていたのだ。
 で、公爵家の領地というのは広い。とにかく広い。
 全部の孤児院を回ろうと思うと一日じゃすまないし、遠方にある他領との境界の街となると途中で一拍する必要があって。でも子どもたちの揺るがない笑顔は、社交界という伏魔殿で疲弊する私の一服の清涼剤なのだ。
 忙しいけどやめられない、やめたくない。これが私の生涯事業ライフワークなのかなといわれるとそうかもしれない。
 となると必然的に、婚約者であるアシュヴィン殿下への興味はもはや完全に失してしまっていた。スーリヤ伯爵令嬢と大変仲がよろしいようで、多分だけど殿下と婚姻を結んでもアレが第二夫人として輿入れするんだろう。
 大変結構です。殿下は第二王子だから王政には関わらず、私の生家であるラーセンとは別の領地を賜るだろう。
 まぁ第一王子になにかあれば別だが、それは縁起でもない考え方なので……とりあえずは、未来の王弟殿下の正妃になるというのが、私の定められた生き方だ。
 だからこの孤児院事業も、いつかは私の手を離れる。そのときに備えて、少しでも事業がよく回るように、風とおしがよくなるように私は日々奮闘しているのだ。
 あともう少しで、十六歳の誕生日を私は迎える。そのタイミングで、結婚式が厳かに執り行われる予定になっている。
 王子妃教育も、いよいよ大詰めに差しかかっていて。
「ダスラ! ダスラはいないの⁉」
「はは、はいっ!」
 イラつく私の怒声に、ダスラが慌てて飛んでくる。そして、
「もうムカつくから、あなたに鞭打ちます! 背中出して‼」
 我ながら、超理不尽だと思う。まぁ言葉尻を捉えるだけならば、理不尽きわまりないことしきりだ。
 だけど私の十五歳の精神メンタルも、限界に近い。決してこちらを振り向きはしない浮気王子との婚姻の準備、王子妃教育にくわえて引継ぎに伴う孤児院事業の洗い直し。
 そんな私の潰れそうストレスフルな毎日を、ダスラが癒してくれる。必死で鞭の痛みに耐えながらときおり苦しそうに呻くことで、私の心を慰めてくれるのだ……自分で言っててひどいな?
 だけど、ここのところのダスラは鞭打たれながらも無表情なんである。慣れもあるだろうが痛くないわけじゃないだろう、だけど心ここにあらずといった塩梅で。
「もう服を着てもいいわ」
「あ、はい。ありがとうございます」
 なんでお礼言われるんだろうなぁって、いつもここで思う。
「おじょ……ナーシャ様」
「なに? っていうか鞭一発追加だから、また脱いで?」
「……チッ」
 舌打ちが聴こえたけど、聴こえないふりをしておいた。たまーにダスラは私に不敬な態度を取るのだけど、どうしてだろうあまり嫌いじゃない。
 もちろん、ちゃんと罰するべきは罰するのだけどね? ってそういや、ダスラの背中に軟膏を塗るの忘れてた。
 とりあえず私をナーシャ呼びするのを忘れた罰を一発くらわせて、ダスラの白い背中に軟膏を塗ってあげる。私の大好きな、ルーティンだ。
「沁みる?」
「いえ、大丈夫です」
 赤くミミズ腫れになったダスラの背中の一部に、血が滲んでいる。私はそれをみて、どうしようもなく興奮してしまう。
 大丈夫と言いつつ、ときおり軟膏が沁みるのかダスラの背中がビクッと震える。そしてその瞬間も、私は大好きなのだ。
「もういいわよ、服を着てちょうだい」
「……はい」
 やっぱり元気がないな、そんなに痛かったわけでもないでしょうに。知らんけど。
「ねぇ、ダスラ。なにかあった?」
 服が背傷に擦れるとさすがに痛いらしく、恐る恐る着衣するダスラに訊いてみた。
「ここのところ、様子がヘンよ?」
「そうですか?」
「うん」
 ダスラが、困ったように頭を掻く。どうせ『このワガママ怪獣、めんどくせー』とでも思ってるんだろうな、表情に出てますよ?
「なにか悩みがあるの? 私の力で解決できること?」
「どうなんですかね」
 悩みがあるかもってのは否定しないのね。
「年が明ければ、お嬢様はご結婚されてお城に入られます」
「うん」
「……」
「ダスラ?」
 気のせいだろうか、ダスラの唇が震えている。目が、潤んでいる。
「私は平民のメイドですから、ご一緒はできません」
「……うん」
 そうなのだ。私とダスラの付き合いも、あと半年も残っていない。
 これが貴族同士の婚姻ならば、公爵家の力をフル利用してダスラを私付きとして連れて行くことはできるだろう。だが王家相手ともなると、そうはいかないのだ。
「連れて行きたいのはやまやまなんだけどね」
 私だって、ダスラと別れるのは寂しい。なにより、またストレスで爆発しそうになったら誰を鞭打てばいいのだろうか。
「もし……また『同じ』だったら」
「? なにがよ?」
 不意にダスラがもらしたその言葉に、私はキョトンとしてしまう。ここのところダスラも独り言が増えたというか、そういう意味でも様子がおかしいのだ。
「同じってなにが?」
「……」
「ダスラ?」
 もうなんだか、まだるっこしい。はっきり言いなさいよ!って怒って、それでもうだうだしてたらまた鞭を……って。
 しませんよ? 私だって多少は大人になっている(多分)。
「確認ですけどお嬢様、決してスーリヤ伯爵令嬢を虐げてはおりませんよね⁉」
 ダスラが鬼気迫る表情でそう言うものだから、とりあえずナーシャ呼びを忘れてることは指摘しないでおいた。感謝してね?
「してないわよ。ダスラも知ってのとおり、私の一日なんて二十四時間じゃ足りないほど忙しいのよ?」
「それは存じてます。というか寝れてますか?」
 寝れてないです。でも今は頑張るしかないから、私はそれには応えない。
「それに嫉妬をやくほど、殿下のことは異性として見てはいません。それはダスラも知っているでしょう?」
「はい……」
 ダスラは、なにかを恐れている。そんな気がするのだけど。
「それに虐めなんて、貴族令嬢のすることじゃないでしょう?」
「私のときは結構やってたんですよ」
「なんの話よ⁉」
 まただ、またダスラがヘンなことを言い出した。まるで元貴族であったかのような、そうでないような物言いで。
「すいません、私のせいでおじょ……」
 またナーシャ呼びを忘れて、でもすぐに気づいてチラッと私の表情を確認するダスラ。いいわよ、聴かなかったことにするから続けてちょうだい。
「私のせいでナーシャ様にご心痛をおかけしたこと、本当にもうしわけなく思います」
「うん」
「それであの、つかぬことをお伺いしますが」
「なにかしら?」
 ダスラは無言で、私の頭のてっぺんから足指の先までをジロジロと目で舐め回す。いや、キモいんですけど?
「ナーシャ様の金色に光輝くブロンドの御髪おぐし、翡翠のようなエメラルドグリーンの瞳はとても美しいです」
「う、うん? あ、ありがとう?」
 なんか始まった。まぁダスラに褒められるのは嬉しい、ここのところ仲が修復しつつある両親に褒められるよりもすごく嬉しい。
「ナーシャ様からしたら、私のようなくすんだダークグレーの髪や瞳は不細工に見えるでしょうね?」
「ダスラ?」
 いきなり自虐的なことを言い出した。ダスラはどうしたのだろう?
「鼻も低いし、そばかすもあるし……女性にしては身長高いし、眼鏡だし」
「ちょちょ、ダスラ? どうしたの⁉」
「こんな顔には、産まれたくないですよね?」
 いやほんとに、なにを言い出すのだろうか。
 んーでもね、ダスラ。私、ダスラのような髪色と瞳も嫌いじゃないんだよ。
「は?」
「いやいや、『は?』はないでしょうよ」
「あ、すいません!」
 こっちも褒めてるっていうのに、こいつときたら。それに前から思ってたんだけどさ?
「なんでしょうか」
「眼鏡、取って?」
「???」
 そして眼鏡を取ったダスラの手を引いて、私は無理やり窓際までつれていく。
「あの、ナーシャ様?」
 惑うダスラは無視して、私はダスラの裸眼を凝視するの。
「やっぱり!」
「なにがでしょう?」
「眼鏡のせいで目立たないんだけど、ときおりダスラの横顔から見える瞳がね……そのなんていうか、青味がかってるのよね」
灰色グレーじゃないです?」
「ううん。確かに灰色に見えるんだけど、光に当てると薄い菫色バイオレットなの」
 ダスラはなんだかびっくりして、慌てて手鏡を取り出して自分の顔を見ている。なんだかかわいいな。
「うーん、私の視力じゃよくわからないです」
「あ、そうか」
 難儀だな。んー、どう言えば伝わるだろうか。
「あのね、菫青石アイオライトって宝石知ってる?」
「存じてます」
「別名をコーディエライトと言ってね、見る方向によって色が違って見えるという性質があるの。スミレ色の石なんだけど、ダスラの瞳がそんな感じよ」
 私のその言葉にどう応じていいものか惑いながらも、ちょっと嬉しそうな表情がダスラに浮かぶ。でもそのダスラの表情が、私の次の言葉で凍りついた。
「その宝石言葉は確か……『人生の道しるべ』だったかしら」
「⁉」
 なにか、私はダスラを傷つけるようなこと言っちゃった? なんだかそれが怖くなって、私は慌てて慰めるように次の言葉を紡ぐ。
「あ、あのねダスラ? 私、ダスラみたいな髪の色も瞳も好きよ? 次に生まれ変わることがあったら、ダスラになりたいかもしれ」
 私がそこまで言ったとき、ダスラの長い両手が私をギューッと抱きしめた。いやいや、痛い痛い、手加減してちょうだい!
「ちょっ、痛いってば!」
 思いっきり抱き着かれたものだから、ダスラとはお互いの頬がくっつくぐらい密着してる。その頬伝いに、震えが伝わってくる。
「ダスラ?」
「絶対に……絶対にお守りしますから」
「え、うん?」
 抱き着いたまま離してくれないものだから、ダスラの表情が見えない。だけどその声が、小さく揺れている。
「ねぇ、ダスラ。泣いているの?」
 私のその問いに、ダスラはなにも応えてくれなかった。
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