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第二話『Age.11』
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「で、どうなの。いるのいないの?」
「いると思いますか? 私に?」
今私は、お嬢様の部屋で……メイドの制服ながら、床のカーペットにお尻をつけて座っている。両脚は靴を脱いでストッキング越しの足裏を見せつけるようにして、両手は身体の後方の床にペタッと。
まるで自宅や友人宅でくつろいでいるような、少なくともメイドがお仕えする令嬢の部屋でしていい格好ではない。まるで足裏をお嬢様に見せつけてるみたいな配置になっているのだが、これは不可抗力だ。
あぁもう、どこから説明すればいいのか。
冒頭の会話は、『ダスラにいい人はいないの?』という恋バナ的な質問をお嬢様から受けたときの会話だ。
どうせ私は二十九歳になるまで結婚できないことが『確定』しているのだし。二十九歳になってお嬢様を助けそこねて死ぬか、行き遅れて死ぬか(いや、それだけでは死なないが)のどちらかなのだから。
で、それは置いといて。あれから一年が経って、お嬢様は十一歳に私は二十四歳に。
相変わらずお嬢様の『おもちゃ』として可愛がってもらっている私。朝食の席でお嬢様がピーマンと人参を残すものだから、
「ちゃんと食べないと大きくなれませんよ⁉」
と言ってお嬢様のあごをガッと掴んで無理やり口を開けさせ、ピーマンと人参を放り込んだ。そしてこれまた無理やり、両手を使ってお嬢様の頭頂をホールド&あごを外側からピストンさせて強制咀嚼。
はっきり言って虐待、いや傷害である。もちろん、普通のメイドならば厳罰&解雇&逮捕のトリプル役満だろう。
だが私はお嬢様のお気に入りのおもちゃなので、厳罰だけで済んだ。とは言っても朝から数時間ずっと正座では、足の痺れは尋常ではない。
そこで、『足の痺れはどうして起こるのか』というメカニズムを正座したままコンコンと説明。そしてこのまま放置すると血流が途絶えて『足が壊死、つまり腐ってちぎれ落ちる』というのを懇切丁寧にお教えさしあげたら、
「一時間ごとに十分の休憩をあげるわっ‼」
と、ありがたい譲歩案をいただいた。実際に足がそうなるかどうかは知らないが、すっかり信じてしまったお嬢様の顔がドン引くぐらい青ざめていた。
さすがに暴君・ナーサティヤでも、メイドの足を腐らせ落とそうとは思わないようで少し安心する。
で、今の私のだらしのない格好はその休憩の十分。足の血流を再開させるために、じんじんする足裏を尻もちついて放り出してる感じになってるわけで。
「私より、ご自身のことをお考えなさいませ。ナーシャお嬢様はもう十一歳、そろそろ縁談話が旦那様から持ち込まれてもおかしくはないのですよ」
「私はダスラの話をしているのっ‼」
椅子に座って優雅にお茶を嗜んでおられたお嬢様、そう怒鳴ると顔を真っ赤にして立ち上がる。そしてズカズカと座り込んでる私の元へ……。
(殴られる? 蹴られる?)
いつものことなので怖くはないが、殴られると思って蹴られるまたはその逆は結構つらい。だがそこはさすが昔の私、性格が相当悪いというか。
「えいっ!」
私の前でしゃがみこんだお嬢様、その小さくて細い指で私の足裏をツンツン……いや、ちょっと待って⁉
「ヒュワゲッ⁉」
ヘンな声でた。いやいや、長時間におよぶ正座後の休憩で感覚が戻り始めている足の裏を攻めるとか外道すぎないですか。
ここで抵抗はできない、というかしちゃダメな気がする。そりゃ私は大人で身体も大きいから、お嬢様の手首を掴んで無理やりやめさせることは簡単だ。
だが今は、本来なら正座してなきゃいけない時間。それをお嬢様の厚意で休憩させてもらっているのだから、なんでかわからないけど黙って耐えなければいけない気がして。
って、『黙って』というのは無理。私は両手を後方の床につけたまま、『フギャラッ』だの『ワリョーッ』だの奇声をあげてはあごを天井にまでのけぞらせて悶える。
(はぁ、はぁ、はぁ……あれ?)
不意に痺れた足裏攻撃がやんだので、もうお許しいただけたのかなと荒い息で視線を前に戻す。のけぞったままでしたからね、ずっと視線は天井でした。
見ると、お嬢様が死んでいた。笑い死んでいた。
「あっはははははは! ダスラ、なんて声だすのよ⁉ だ、だめっ、お腹痛い……」
笑い涙をぽろぽろこぼしながらお嬢様、バカウケしてらっしゃいます。
(私のときのダスラとは、こんな関係だったかなぁ?)
こんな風に、フレンドリーに接していただろうか。……いやいや待て待て私、どこがフレンドリーなんだこれの。
「楽しんでいただけでなによりです」
くっそう、本当に殴りたい。そのとき、お嬢様がお茶を飲んでらしたテーブル上の砂時計の砂が全部落ち終わった。
「あ、十分経ったわ。はい、正座」
「鬼ですか、あなたは」
まだ足裏がじんじんするのだけど⁉
「ダスラ! 街へでかけるわよ‼」
メイド専用の控室、椅子に座ってティーカップ片手のひととき。そう言ってノックもなしにバーンと扉を開けて勢い込んで入ってきたのはうちの暴れ馬、もといナーシャお嬢様。
「はぁ、どちらへでしょうか?」
めんどくさいなぁと思いつつ、気のなさそうに返事をしてみたら。
『パシーン!』
すかさずお嬢様の平手が私の頬を打って、椅子から転げ落ちてしまう。カップが倒れ、床に飲みかけの紅茶が広がっていく。
「街って言ったでしょ⁉」
「……」
確かに言った。だが私が問いたかったのは、街のどこへという意味だ。
「ナーシャお嬢様、私を殴るのは構いませんがティーカップを置く時間をいただけないでしょうか」
いやほんとに。お茶をこぼしたカーペットは、すぐに滲みになるから洗濯が大変なんですよね。
「そうね、悪かったわ。ところでダスラ、」
全然悪いとは思っていなさそうな表情のお嬢様。まぁわかってましたけど。
「『鞭』ってどこで売ってるのかしら?」
「鞭、ですか」
イヤな予感しかしない……。
「そうですね、武具としてのものなら武具店に。馬具としてのものなら馬具店でしょうか。どんな用途で鞭を使われるのかうかがっても?」
イヤな予感というのは、たいていが当たるものだ。お嬢様はよくぞ聞いてくれましたとばかりにドヤ顔を浮かべて、
「もちろん、ダスラを叩くためのものを探しに行くのよ‼」
得意満面でフンス!と鼻息も荒い。
「……」
理不尽すぎる……この人はいったいなにを言っているのか。
「人間に使うものであれば、奴隷ギルドでしょうか。武具としての鞭も、馬具としての鞭も私に振るうのであれば皮膚が裂けてしまいますので」
「そう? じゃあダスラがお店を指定しなさい。打たれるのはダスラなんだから」
「……かしこまりました」
これまで私は、お嬢様には従順なようで『ここぞ』というときは平然と反抗している。それは前のダスラがそうだったように、『他人に対して理不尽』なことをやらかそうとしたときだ。
たとえば、自分の気に入らない食材を出したシェフを解雇しようとしたとき。体調が悪くてフラフラな使用人に対し、その身を慮ることなくいつもどおりに働かせようとしたとき。
口を強引に開けて料理を放り込むこともあれば、お嬢様を外から施錠できる部屋に軟禁して体調不良の使用人を休ませたりなど。
もっとも、前のダスラはそこまではしなかった。ただただ延々と説教するのみで、そのたびにナーシャだった自分は癇癪を起こしてはよくダスラを困らせていた記憶がある。
ただ今のダスラとしてそれはやりすぎというか、一介のメイドがやっていい範疇を超えてしまっているのは確かで。当然ながら私の大胆不敵な反撃に、お嬢様の怒りが収まるわけもなく。
直接殴る蹴るはまだマシなほうで椅子を振りかぶってくる、淹れたての熱いお茶をかけてくるなど私へのうさ晴らし体罰は常態化していた。ただそれも、ガス抜きとばかりに甘受していたのだけど。
(というか私、よく解雇にならないな?)
今この家で、お嬢様に対して畏怖する使用人たち。そして娘に無関心の両親……お嬢様に対して、正面から挑んできているのは私ぐらいしかいなくて。
くわえて、ナーシャと愛称を呼んでくれる唯一無二の存在――それは云わば、歪んだ形の愛情表現だったのかもしれない。だがお嬢様にその自覚があるかどうかは、怪しいものだけどね。
私はなんとなくそう察してはいたから、お嬢様に対して手加減もしなければ自身への体罰も耐え続けた。だがとうとう――。
「私を打つための鞭を用意するとか、鬼ですかあなたは」
「……仕える主人に対するダスラのこれまでの態度、不遜極まりないと思うのだけど⁉」
半ギレで、イラ立ちを隠さずにお嬢様が吐き捨てる。
「百歩譲ってそれは構わないのですけど、それを買いに私を同伴させるんですね」
恨みがましい視線を送ってはみるが、
「だ、だってダスラも言ったじゃない! 武具とか馬具とかだったら痛いって」
いやいや、人間用でも痛いのですけども⁉
「だから、ギリギリで痛みに耐えられる鞭をダスラが選んでいいのよ。どう、優しいでしょう?」
うーん、お嬢様の『優しい』の基準がわからない。本当にわからない……。
(これはどう捉えればいいんだろう?)
本当に優しさゆえのそれなのか、ただの加虐性欲なのか。
「多分、後者でしょうね」
「なにか言った?」
「いえ、かしこまりました。すぐに用意いたします」
「えぇ、お願いね。準備できたら呼んでちょうだい」
そう言ってお嬢様は、ウッキウキで踵を返していった。
「はぁ……」
もう溜め息しか出ない。そしてこの様子をビクビクしながら遠巻きに見ていた同僚のメイドたちが、青い顔で私に言い寄ってくる。
「ダスラ、本気なの?」
「本気もなにも、ナーシャお嬢様の命令ですし」
本当に心配するなら、あの場で庇ってくれませんかね。
「でもいくらなんでも理不尽すぎない?」
「えぇ、旦那さまに申し入れては?」
メイドたちの心配は、本当に心からのものかどうかは怪しい。もし私が拒絶したらばどうなるか、そのはけ口はほかのメイドに向くのだ。
なので心配しつつも、お嬢様による勘気の標的として私には我慢してもらいたいというのが本音なんだろう。面と向かって言われたわけじゃないが、目は口ほどに物を言う。
そもそもお嬢様のわがままと理不尽な横暴で、この公爵家では使用人の離職率は異常すぎるほど高い。私はすでに勤続八年ほどになるけど、ほかの使用人はいずれも二年未満だ。
アラサーのメイド長ですら、ようやく勤続が二年目に入るところ。私はただ一人のお嬢様専属であるため、後輩のメイド長とはあまり馴染みがない。
というよりメイド長は、お嬢様を私に押し付けてる形となってる現状にやましい思いを抱いている節がある。なので私に対して、意図的に避けている部分も少なからずあると思う。
(だから私にとって、頼もしい先輩もいなければ可愛い後輩もいないんだよね)
自身の置かれた現状を憂いて、思わず自虐的な笑みがこぼれてしまった。
「どこの世界に、自分が打たれる鞭を主と買いにいくメイドがいるというのか」
だけど前周のお嬢様、つまりナーシャだったときの私はダスラを打つための鞭をダスラと買いに行くなんて外道な真似をした覚えがない。確実に、お嬢様が処刑される時間軸とは乖離が始まっている気がする。
そして昼下がり、お嬢様と馬車で街へ。御者の振るう鞭を車内から見ながら、
「確かにあれは、人間にはきついわね……」
と少し青い顔のお嬢様。疑ってたわけじゃないけど、やっぱ本気だったんかーい!
「で、どこに向かっているの?」
「街の奴隷ギルドですね。奴隷を調教するための商品が、中の売店で売っているんです」
「へぇ? 鞭以外で、たとえば?」
お嬢様が本当に何気なく訊くもんだから、私はすっかり油断してしまっていた。
「そうですね、首輪とか猿轡に手枷……」
指折り数えながらそこまで言って、
(しまった!)
と悔いるも後の祭り、恐る恐るお嬢様のほうを振り向く。
「そうね、買いそろえましょう」
「なんのために⁉」
この暴君、今日も絶好調なようです。
「ちょちょっ、ちょっと待ってください!」
鞭打たれるくらいならまぁ、とは私も思っていた。それでお嬢様のストレス発散になるのならと。
(少なくとも、私以外に対しては悪役令嬢のイメージは持たせないようにしないと)
という涙ぐましい自己犠牲だ。だが猿轡して手枷、いやそれはそれで構わないのだけどあくまで『二人きり』という前提での話。
(もしほかのメイドの前での露出プレイだったら⁉ 首輪をつけられて屋敷の庭園を連れまわされたら⁉)
さすがにそんな羞恥プレイは、断固拒絶したい。
「うふふ、ダスラがそんなに慌ててるところ初めて見た‼」
そう言って、お嬢様はすごく嬉しそうに笑う。
(やっぱ加虐性向なのか……)
あ、なんか涙出てきたよ。もうっ。
「お願いです、ナーシャお嬢様……鞭だけで、鞭だけでお願いします」
衝撃すぎていつもの調子が出てこない私、多分青い顔してるんだろうな。それで珍しく嘆願するものだから、お嬢様はますます冗長する。
(これほどまでに弱った表情を見せるダスラって、いつ以来だろう!)
って顔に書いてありますよ?
「そうねぇ、首輪はピンクの可愛いのがいいわね。リードもピンクで揃えましょう!」
「あぅ、勘弁してください! 本当に……」
どうやら私が恐れていた使い方をしたいようで、心の底から戦慄してしまう。
「えー、どうしようかなぁ?」
意地悪っぽく笑いながら、焦らすように私の顔を覗き込むお嬢様。
「じゃあ、そこに手と額をついたら考えなくもないわよ? ふふっ‼」
そう言いながら馬車の中、揺れる床を指さしてます。
(背に腹は代えられない……)
私は立ち上がると、お嬢様の前で完全降伏の土下座だ。無念!
「鞭だけで勘弁してください。お願いします、お願いします」
「うーん?」
馬車の冷たい木の床で、なんだか額が冷えて。私は『いつもの調子』が戻ってくるのを感じた。
(多分だけど、お嬢様には『アレ』が効くかもしれない)
試してみる価値はある。私はガッと顔を上げると、
「もし鞭だけで勘弁していただけないなら、私にそれだけの落ち度があったということですよね?」
「うん? そうなるのかな」
私の発言の意図が読めず、お嬢様は怪訝そうな表情。これはいける、私はそう確信する。
「ナーシャお嬢様にそこまでの無礼を働いたこと、職を辞してお詫びもうしあげるほかありません」
「え⁉」
突如として狼狽するお嬢様、私の『職を辞して』という発言に敏感に反応してます。
(やっぱり!)
お嬢様に見えないように小さくガッツポーズを決めましたよ、えぇ。首輪だのリードだのは半分本気だろう(いや全本気かもしれないが)。
だがあくまでお嬢様の目的は、私を困らせること。自分のおもちゃにすることだと読んで、揺さぶりをかけてみようと思ったのだ。
(だからといって辞めないでって言える性格じゃないからな、このお嬢様は)
なのでそこは、私から折れて妥協してみせるほかない。お嬢様に縋るように、両手でその小さな体躯を掴む。
「私は辞めたくありません、見捨てないでください! お願いですから鞭だけで……」
それを聞いて狼狽の表情を隠せずにいたお嬢様、安堵した表情をお見せです。わかりやすいな⁉
「そ、そう⁉ そこまで言うなら、許してあげるわ!」
お嬢様とて、私に辞められたら困るのだ。私以外の誰が、お嬢様の相手ができるというのか。
(ダスラが辞めたら、私は一人ぼっちになっちゃう……)
とかなんとか思ったんだろうな。無意識下で、お嬢様はそれを危惧していると思う。
だけど自分から辞めないでとは言いだしにくいのもあって、こちらから折れてあげたんだけどね。本当にめんどくさい……。
「ま、まぁ私だってね? 鬼じゃないし?」
勝った。会心の勝利だ。
「だから今回は、鞭だけで勘弁してあげる」
(いや、鞭は買うんかーい)
もちろん口にはしないものの、これは本当に勝利だろうかと自問自答してみる。
奴隷ギルドへ向かう道すがら、屋台を発見してはアレ食べようコレ食べようと盛んに寄り道を要求するお嬢様。お腹が膨れると今度は、あの店に行こうこの店に行こうとわがまま三昧で?
(なんか今日は、わがままがひどいな)
お嬢様の手を引きながら馬車に戻る途で、私は少し違和感を感じていた。
「こんなに寄り道をしていては、奴隷ギルドが営業を終えてしまいますよ?」
「も、もしそうなったらまた日を改めればいいだけだしっ!」
ちょっと顔を赤くしながら、お嬢様が捲し立てる。
(もしかして、今日街に出たいと言ったのは……私とおでかけしたかっただけなんだろうか?)
両親から放任、悪くいえば関心を持ってもらえないお嬢様。私以外の使用人たちからは畏怖の対象だ。
(寂しかった、とか?)
まさかと思いつつも、自分がナーシャのときはどうだったかを鑑みて。
(私のときは、両親に愛されていたからな)
今目の前にいるお嬢様は、自分と同じかつてのナーシャでありながらそうでない存在なのだと改めて認識する。私は今のお嬢様の気持ちを、心から理解できていなかったのではないだろうか。
「ナーシャお嬢様、今日はわがままにお付き合いいたします。どこかほかに、寄りたい場所はございますか?」
「本当⁉ でも……もう寄り道いっぱいしちゃったから、もうダスラを困らせはしないわ」
「わかりました。では日が暮れないうちに屋敷に」
「早く奴隷ギルドへ急ぎましょう!」
いや、本当に辞めちゃいますよ⁉ ブレないなぁ……。
そんな私の心中をよそに、馬車は奴隷ギルドに到着する。ギルドといいつつ、奴隷の販売と買い取りを主とする施設だ。
奴隷を購入したり使役するのはもっぱら貴族や金持ちの上流階級ばかりなので、中はそれなりに富裕層でごった返していた。
そしてお目当ての調教グッズ売り場。お嬢様は長さ五十センチほどの鞭が並べてあるテーブルの前で、二本の鞭を両手に持って何やら悩んでらっしゃいます。
「こっち……いや、こっちかな」
その表情はすごく真剣で、さすがにドン引く。
「ねぇ、ダスラ。どっちがいいかな?」
なぜ私は、私が打たれるための鞭の選択を訊かれているのだろう。理不尽すぎてついていけないが、ここで弱った顔を見せるのは悪手なので無表情を貫いてみせる。
ただね、ひとことだけツッコませていただきたい。
「そうですね、とりあえず先端に螺子がついてるものとトゲトゲがついてるものの二択はやめていただけませんか⁉」
本気なのか冗談なのかわからなくて、冷や汗タラリですよ。それに、私の視界の隅にある『アレ』に変更されても叶わない。
「あら、ダスラ。ああいうのがいいの?」
目敏いというか、私がチラと横目で一瞬だけ見やったそれにお嬢様が気づいたようだ。
ニヤニヤ笑いながら、本当に愉しそうにお嬢様が指さしたのは……長さが二メートル近い、蛇のような鞭だ。動物曲芸師が、猛獣を調教する際に使うもので。
「いいわけないでしょうっ‼」
思わず激高しちゃいました。さすがにあれはダメなヤツだから。
「冗談よ。自分が打たれる鞭なのだから、自分で決めなさい」
お嬢様は「どう、私は優しいでしょう?」とでも言いたげに、並んだ鞭のテーブルを片手で示してみせる。
(もうだめだ、こいつ)
とは思いつつも、
「ありがとうございます」
と一応お礼をば。そして、できるだけ痛くなさそうな鞭のチョイスに入る。
最終的に先端が幅三センチほどの平たい皮が張ってあるものと、蛇の尻尾のようになっているものの二本に候補を絞り込む。
「こっちは、叩かれたような痛みで広範囲に痕が残る……こっちは刺されたような痛みでミミズ腫れになるのか」
そんなことをブツブツつぶやきながら、試しに自分のそでを捲って腕に軽く打ってみたりして。
私のその表情がものすごく真剣なものだから、お嬢様はおかしくってしょうがないんだろうな。肩を揺らして必死に笑いを堪えてらっしゃいます、クソが。
まぁほっとこう。私はウンウンと悩み唸りながら交互に先端を目の前に持ってきて比較したり、身体のあちこちを軽く打ってみたりと真剣に吟味……するものだから、お嬢様の腹筋は崩壊寸前のようです。
「待てよ、筋肉の部分を打たれるのか脂肪の部分を打たれるのかで話は違ってくるわよね。ふむ」
私はおもむろに振り返ると、
「ナーシャお嬢様。お嬢様は私の身体の、どこを鞭打つおつもりでしょうか?」
まるで、ケーキをどこから食べようかなみたいなノリである。そしてお嬢様は、もう我慢できなかったみたいで。
「あっはははははは! ダスラ、可笑しい‼」
腹を抱えてしゃがみ込み、笑い涙をポロポロとこぼしながらバカウケしてらっしゃいます。うーん、本気で殺意がわいてきそう。
「私にとっては大事なことなんです」
わかってるのかな、この人……。
「そっ、そうね。えーと」
まだ口角が波打つお嬢様、声が可笑しさのあまり揺れて震えてます。
「外から見える場所はイヤよね?」
あら、お嬢様らしくもない気遣い。まぁイヤですね、えぇ。
「じゃあ背中かなぁ? お尻だと座れないものね」
うーん、またしても「どう? 優しいでしょ」と言いたげだ。だけど私にとっては、打たれるのは筋肉の多い部位か脂肪の厚い部位かは重要なんである。
(背中となると、この幅広のやつかな?)
私はスレンダーというか鍛えた身体の持ち主なので、背中にはほとんど脂肪がない。筋肉に対して斬るような痛みよりは、叩かれるような痛みのほうがよいのではと考えたのだ。
「では、こちらでお願いします」
と言ってお嬢様に差し出しつつ、
(私は何をお願いしているんだろう)
いや、本当に。
「了解、これにするわね……あら、この鞭ってネームを彫ることができるのね」
鞭についているタグに書かれている説明書きに気づいて、お嬢様が声を上げる。その鞭は、グリップ部分に任意の文字を彫ってもらえるサービスが無料で付帯しているようで。
「なにかご希望でも?」
通常は、持ち主の名前を彫るのがセオリーなんだろう。好きにしてください、ハイ。
「えっと……店員さん、紙とメモをお願いできるかしら」
(紙とメモ? 紙とペンでは)
そうツッコミたかったけど、もはやその元気もない。だが店員はお嬢様がなにを言いたいかを汲んだようで、メモとペンをナーシャに手渡した。
「ダスラ、後ろ向いてて!」
「? はい」
そして私が後ろを向いたのを確認すると、お嬢様が紙にペンを走らせる音が聴こえてくる。
「これでお願い」
と言って、店員に渡して。
「かしこまりました、少々お待ちください。商品のほうは梱包されますか?」
「いえ、手に持って帰るから結構よ」
もう溜め息しか出てこない。
(帰りの馬車の中でしばかれるのかしらん?)
「もういいわよ、ダスラ」
お嬢様の許しが出たので、背を向けていた私はお嬢様に振り返って。
「はい。なんて彫ってもらったんですか?」
「な、なんだっていいじゃないっ‼」
挙動不審というか少し狼狽え気味にそう怒鳴ると、お嬢様はドンッと私の足を思いっきり踏んづけてきた。
「痛っ……」
「ダスラには関係ないんだから! フンッ‼」
「さようで……」
不意打ちだったのもあって、思いっきり油断したところを踏まれてしまった。痛みで、ちょっと涙が出てきたかも。
「じゃあダスラ、清算しておいてちょうだい」
「はい、お財布お預かりいたします」
財布を預かろうと手を差し出した私に、氷のようなお嬢様の視線が突き刺さる。
「は? なに言ってるの? ダスラが打たれるための鞭なのよ?」
(理不尽すぎる……)
とは思ったものの、最初からそのつもりだったのだろう。もう諦めの境地だ。
「……かしこまりました」
私のお金で清算を済ませ、お嬢様の手を引いて馬車に戻る。お嬢様は鞭を片手にウッキウキで、ハイテンションでいらっしゃいます。
帰りの馬車の中で試し打ちされるのを覚悟していたけど、もう外もすっかり暗くなっているのもあってお嬢様は馬車の中で寝入ってしまった。
そして手が緩み、持っていた鞭が床に落ちる。何気なくそれを拾い上げたんだけど、その際にグリップ部分に彫られていた文字に目が留まった。
そこに彫られていたのは――『ナーシャ&ダスラ』。
「……」
気持ちよさそうに寝ているお嬢様の寝顔を見つめて、いま私の中に芽生えてる感情の名前を必死に探るが思い出せない。
「しょうがないお嬢様ですこと」
起こさないように小さくそう呟いて、お嬢様が風邪をひかないよう毛布をかけて。
「寝てるときは、天使なんだけどなぁ?」
私がナーシャだったときのダスラも、そう思ってくれてたのかな……なんとなく、そう思った。
「いると思いますか? 私に?」
今私は、お嬢様の部屋で……メイドの制服ながら、床のカーペットにお尻をつけて座っている。両脚は靴を脱いでストッキング越しの足裏を見せつけるようにして、両手は身体の後方の床にペタッと。
まるで自宅や友人宅でくつろいでいるような、少なくともメイドがお仕えする令嬢の部屋でしていい格好ではない。まるで足裏をお嬢様に見せつけてるみたいな配置になっているのだが、これは不可抗力だ。
あぁもう、どこから説明すればいいのか。
冒頭の会話は、『ダスラにいい人はいないの?』という恋バナ的な質問をお嬢様から受けたときの会話だ。
どうせ私は二十九歳になるまで結婚できないことが『確定』しているのだし。二十九歳になってお嬢様を助けそこねて死ぬか、行き遅れて死ぬか(いや、それだけでは死なないが)のどちらかなのだから。
で、それは置いといて。あれから一年が経って、お嬢様は十一歳に私は二十四歳に。
相変わらずお嬢様の『おもちゃ』として可愛がってもらっている私。朝食の席でお嬢様がピーマンと人参を残すものだから、
「ちゃんと食べないと大きくなれませんよ⁉」
と言ってお嬢様のあごをガッと掴んで無理やり口を開けさせ、ピーマンと人参を放り込んだ。そしてこれまた無理やり、両手を使ってお嬢様の頭頂をホールド&あごを外側からピストンさせて強制咀嚼。
はっきり言って虐待、いや傷害である。もちろん、普通のメイドならば厳罰&解雇&逮捕のトリプル役満だろう。
だが私はお嬢様のお気に入りのおもちゃなので、厳罰だけで済んだ。とは言っても朝から数時間ずっと正座では、足の痺れは尋常ではない。
そこで、『足の痺れはどうして起こるのか』というメカニズムを正座したままコンコンと説明。そしてこのまま放置すると血流が途絶えて『足が壊死、つまり腐ってちぎれ落ちる』というのを懇切丁寧にお教えさしあげたら、
「一時間ごとに十分の休憩をあげるわっ‼」
と、ありがたい譲歩案をいただいた。実際に足がそうなるかどうかは知らないが、すっかり信じてしまったお嬢様の顔がドン引くぐらい青ざめていた。
さすがに暴君・ナーサティヤでも、メイドの足を腐らせ落とそうとは思わないようで少し安心する。
で、今の私のだらしのない格好はその休憩の十分。足の血流を再開させるために、じんじんする足裏を尻もちついて放り出してる感じになってるわけで。
「私より、ご自身のことをお考えなさいませ。ナーシャお嬢様はもう十一歳、そろそろ縁談話が旦那様から持ち込まれてもおかしくはないのですよ」
「私はダスラの話をしているのっ‼」
椅子に座って優雅にお茶を嗜んでおられたお嬢様、そう怒鳴ると顔を真っ赤にして立ち上がる。そしてズカズカと座り込んでる私の元へ……。
(殴られる? 蹴られる?)
いつものことなので怖くはないが、殴られると思って蹴られるまたはその逆は結構つらい。だがそこはさすが昔の私、性格が相当悪いというか。
「えいっ!」
私の前でしゃがみこんだお嬢様、その小さくて細い指で私の足裏をツンツン……いや、ちょっと待って⁉
「ヒュワゲッ⁉」
ヘンな声でた。いやいや、長時間におよぶ正座後の休憩で感覚が戻り始めている足の裏を攻めるとか外道すぎないですか。
ここで抵抗はできない、というかしちゃダメな気がする。そりゃ私は大人で身体も大きいから、お嬢様の手首を掴んで無理やりやめさせることは簡単だ。
だが今は、本来なら正座してなきゃいけない時間。それをお嬢様の厚意で休憩させてもらっているのだから、なんでかわからないけど黙って耐えなければいけない気がして。
って、『黙って』というのは無理。私は両手を後方の床につけたまま、『フギャラッ』だの『ワリョーッ』だの奇声をあげてはあごを天井にまでのけぞらせて悶える。
(はぁ、はぁ、はぁ……あれ?)
不意に痺れた足裏攻撃がやんだので、もうお許しいただけたのかなと荒い息で視線を前に戻す。のけぞったままでしたからね、ずっと視線は天井でした。
見ると、お嬢様が死んでいた。笑い死んでいた。
「あっはははははは! ダスラ、なんて声だすのよ⁉ だ、だめっ、お腹痛い……」
笑い涙をぽろぽろこぼしながらお嬢様、バカウケしてらっしゃいます。
(私のときのダスラとは、こんな関係だったかなぁ?)
こんな風に、フレンドリーに接していただろうか。……いやいや待て待て私、どこがフレンドリーなんだこれの。
「楽しんでいただけでなによりです」
くっそう、本当に殴りたい。そのとき、お嬢様がお茶を飲んでらしたテーブル上の砂時計の砂が全部落ち終わった。
「あ、十分経ったわ。はい、正座」
「鬼ですか、あなたは」
まだ足裏がじんじんするのだけど⁉
「ダスラ! 街へでかけるわよ‼」
メイド専用の控室、椅子に座ってティーカップ片手のひととき。そう言ってノックもなしにバーンと扉を開けて勢い込んで入ってきたのはうちの暴れ馬、もといナーシャお嬢様。
「はぁ、どちらへでしょうか?」
めんどくさいなぁと思いつつ、気のなさそうに返事をしてみたら。
『パシーン!』
すかさずお嬢様の平手が私の頬を打って、椅子から転げ落ちてしまう。カップが倒れ、床に飲みかけの紅茶が広がっていく。
「街って言ったでしょ⁉」
「……」
確かに言った。だが私が問いたかったのは、街のどこへという意味だ。
「ナーシャお嬢様、私を殴るのは構いませんがティーカップを置く時間をいただけないでしょうか」
いやほんとに。お茶をこぼしたカーペットは、すぐに滲みになるから洗濯が大変なんですよね。
「そうね、悪かったわ。ところでダスラ、」
全然悪いとは思っていなさそうな表情のお嬢様。まぁわかってましたけど。
「『鞭』ってどこで売ってるのかしら?」
「鞭、ですか」
イヤな予感しかしない……。
「そうですね、武具としてのものなら武具店に。馬具としてのものなら馬具店でしょうか。どんな用途で鞭を使われるのかうかがっても?」
イヤな予感というのは、たいていが当たるものだ。お嬢様はよくぞ聞いてくれましたとばかりにドヤ顔を浮かべて、
「もちろん、ダスラを叩くためのものを探しに行くのよ‼」
得意満面でフンス!と鼻息も荒い。
「……」
理不尽すぎる……この人はいったいなにを言っているのか。
「人間に使うものであれば、奴隷ギルドでしょうか。武具としての鞭も、馬具としての鞭も私に振るうのであれば皮膚が裂けてしまいますので」
「そう? じゃあダスラがお店を指定しなさい。打たれるのはダスラなんだから」
「……かしこまりました」
これまで私は、お嬢様には従順なようで『ここぞ』というときは平然と反抗している。それは前のダスラがそうだったように、『他人に対して理不尽』なことをやらかそうとしたときだ。
たとえば、自分の気に入らない食材を出したシェフを解雇しようとしたとき。体調が悪くてフラフラな使用人に対し、その身を慮ることなくいつもどおりに働かせようとしたとき。
口を強引に開けて料理を放り込むこともあれば、お嬢様を外から施錠できる部屋に軟禁して体調不良の使用人を休ませたりなど。
もっとも、前のダスラはそこまではしなかった。ただただ延々と説教するのみで、そのたびにナーシャだった自分は癇癪を起こしてはよくダスラを困らせていた記憶がある。
ただ今のダスラとしてそれはやりすぎというか、一介のメイドがやっていい範疇を超えてしまっているのは確かで。当然ながら私の大胆不敵な反撃に、お嬢様の怒りが収まるわけもなく。
直接殴る蹴るはまだマシなほうで椅子を振りかぶってくる、淹れたての熱いお茶をかけてくるなど私へのうさ晴らし体罰は常態化していた。ただそれも、ガス抜きとばかりに甘受していたのだけど。
(というか私、よく解雇にならないな?)
今この家で、お嬢様に対して畏怖する使用人たち。そして娘に無関心の両親……お嬢様に対して、正面から挑んできているのは私ぐらいしかいなくて。
くわえて、ナーシャと愛称を呼んでくれる唯一無二の存在――それは云わば、歪んだ形の愛情表現だったのかもしれない。だがお嬢様にその自覚があるかどうかは、怪しいものだけどね。
私はなんとなくそう察してはいたから、お嬢様に対して手加減もしなければ自身への体罰も耐え続けた。だがとうとう――。
「私を打つための鞭を用意するとか、鬼ですかあなたは」
「……仕える主人に対するダスラのこれまでの態度、不遜極まりないと思うのだけど⁉」
半ギレで、イラ立ちを隠さずにお嬢様が吐き捨てる。
「百歩譲ってそれは構わないのですけど、それを買いに私を同伴させるんですね」
恨みがましい視線を送ってはみるが、
「だ、だってダスラも言ったじゃない! 武具とか馬具とかだったら痛いって」
いやいや、人間用でも痛いのですけども⁉
「だから、ギリギリで痛みに耐えられる鞭をダスラが選んでいいのよ。どう、優しいでしょう?」
うーん、お嬢様の『優しい』の基準がわからない。本当にわからない……。
(これはどう捉えればいいんだろう?)
本当に優しさゆえのそれなのか、ただの加虐性欲なのか。
「多分、後者でしょうね」
「なにか言った?」
「いえ、かしこまりました。すぐに用意いたします」
「えぇ、お願いね。準備できたら呼んでちょうだい」
そう言ってお嬢様は、ウッキウキで踵を返していった。
「はぁ……」
もう溜め息しか出ない。そしてこの様子をビクビクしながら遠巻きに見ていた同僚のメイドたちが、青い顔で私に言い寄ってくる。
「ダスラ、本気なの?」
「本気もなにも、ナーシャお嬢様の命令ですし」
本当に心配するなら、あの場で庇ってくれませんかね。
「でもいくらなんでも理不尽すぎない?」
「えぇ、旦那さまに申し入れては?」
メイドたちの心配は、本当に心からのものかどうかは怪しい。もし私が拒絶したらばどうなるか、そのはけ口はほかのメイドに向くのだ。
なので心配しつつも、お嬢様による勘気の標的として私には我慢してもらいたいというのが本音なんだろう。面と向かって言われたわけじゃないが、目は口ほどに物を言う。
そもそもお嬢様のわがままと理不尽な横暴で、この公爵家では使用人の離職率は異常すぎるほど高い。私はすでに勤続八年ほどになるけど、ほかの使用人はいずれも二年未満だ。
アラサーのメイド長ですら、ようやく勤続が二年目に入るところ。私はただ一人のお嬢様専属であるため、後輩のメイド長とはあまり馴染みがない。
というよりメイド長は、お嬢様を私に押し付けてる形となってる現状にやましい思いを抱いている節がある。なので私に対して、意図的に避けている部分も少なからずあると思う。
(だから私にとって、頼もしい先輩もいなければ可愛い後輩もいないんだよね)
自身の置かれた現状を憂いて、思わず自虐的な笑みがこぼれてしまった。
「どこの世界に、自分が打たれる鞭を主と買いにいくメイドがいるというのか」
だけど前周のお嬢様、つまりナーシャだったときの私はダスラを打つための鞭をダスラと買いに行くなんて外道な真似をした覚えがない。確実に、お嬢様が処刑される時間軸とは乖離が始まっている気がする。
そして昼下がり、お嬢様と馬車で街へ。御者の振るう鞭を車内から見ながら、
「確かにあれは、人間にはきついわね……」
と少し青い顔のお嬢様。疑ってたわけじゃないけど、やっぱ本気だったんかーい!
「で、どこに向かっているの?」
「街の奴隷ギルドですね。奴隷を調教するための商品が、中の売店で売っているんです」
「へぇ? 鞭以外で、たとえば?」
お嬢様が本当に何気なく訊くもんだから、私はすっかり油断してしまっていた。
「そうですね、首輪とか猿轡に手枷……」
指折り数えながらそこまで言って、
(しまった!)
と悔いるも後の祭り、恐る恐るお嬢様のほうを振り向く。
「そうね、買いそろえましょう」
「なんのために⁉」
この暴君、今日も絶好調なようです。
「ちょちょっ、ちょっと待ってください!」
鞭打たれるくらいならまぁ、とは私も思っていた。それでお嬢様のストレス発散になるのならと。
(少なくとも、私以外に対しては悪役令嬢のイメージは持たせないようにしないと)
という涙ぐましい自己犠牲だ。だが猿轡して手枷、いやそれはそれで構わないのだけどあくまで『二人きり』という前提での話。
(もしほかのメイドの前での露出プレイだったら⁉ 首輪をつけられて屋敷の庭園を連れまわされたら⁉)
さすがにそんな羞恥プレイは、断固拒絶したい。
「うふふ、ダスラがそんなに慌ててるところ初めて見た‼」
そう言って、お嬢様はすごく嬉しそうに笑う。
(やっぱ加虐性向なのか……)
あ、なんか涙出てきたよ。もうっ。
「お願いです、ナーシャお嬢様……鞭だけで、鞭だけでお願いします」
衝撃すぎていつもの調子が出てこない私、多分青い顔してるんだろうな。それで珍しく嘆願するものだから、お嬢様はますます冗長する。
(これほどまでに弱った表情を見せるダスラって、いつ以来だろう!)
って顔に書いてありますよ?
「そうねぇ、首輪はピンクの可愛いのがいいわね。リードもピンクで揃えましょう!」
「あぅ、勘弁してください! 本当に……」
どうやら私が恐れていた使い方をしたいようで、心の底から戦慄してしまう。
「えー、どうしようかなぁ?」
意地悪っぽく笑いながら、焦らすように私の顔を覗き込むお嬢様。
「じゃあ、そこに手と額をついたら考えなくもないわよ? ふふっ‼」
そう言いながら馬車の中、揺れる床を指さしてます。
(背に腹は代えられない……)
私は立ち上がると、お嬢様の前で完全降伏の土下座だ。無念!
「鞭だけで勘弁してください。お願いします、お願いします」
「うーん?」
馬車の冷たい木の床で、なんだか額が冷えて。私は『いつもの調子』が戻ってくるのを感じた。
(多分だけど、お嬢様には『アレ』が効くかもしれない)
試してみる価値はある。私はガッと顔を上げると、
「もし鞭だけで勘弁していただけないなら、私にそれだけの落ち度があったということですよね?」
「うん? そうなるのかな」
私の発言の意図が読めず、お嬢様は怪訝そうな表情。これはいける、私はそう確信する。
「ナーシャお嬢様にそこまでの無礼を働いたこと、職を辞してお詫びもうしあげるほかありません」
「え⁉」
突如として狼狽するお嬢様、私の『職を辞して』という発言に敏感に反応してます。
(やっぱり!)
お嬢様に見えないように小さくガッツポーズを決めましたよ、えぇ。首輪だのリードだのは半分本気だろう(いや全本気かもしれないが)。
だがあくまでお嬢様の目的は、私を困らせること。自分のおもちゃにすることだと読んで、揺さぶりをかけてみようと思ったのだ。
(だからといって辞めないでって言える性格じゃないからな、このお嬢様は)
なのでそこは、私から折れて妥協してみせるほかない。お嬢様に縋るように、両手でその小さな体躯を掴む。
「私は辞めたくありません、見捨てないでください! お願いですから鞭だけで……」
それを聞いて狼狽の表情を隠せずにいたお嬢様、安堵した表情をお見せです。わかりやすいな⁉
「そ、そう⁉ そこまで言うなら、許してあげるわ!」
お嬢様とて、私に辞められたら困るのだ。私以外の誰が、お嬢様の相手ができるというのか。
(ダスラが辞めたら、私は一人ぼっちになっちゃう……)
とかなんとか思ったんだろうな。無意識下で、お嬢様はそれを危惧していると思う。
だけど自分から辞めないでとは言いだしにくいのもあって、こちらから折れてあげたんだけどね。本当にめんどくさい……。
「ま、まぁ私だってね? 鬼じゃないし?」
勝った。会心の勝利だ。
「だから今回は、鞭だけで勘弁してあげる」
(いや、鞭は買うんかーい)
もちろん口にはしないものの、これは本当に勝利だろうかと自問自答してみる。
奴隷ギルドへ向かう道すがら、屋台を発見してはアレ食べようコレ食べようと盛んに寄り道を要求するお嬢様。お腹が膨れると今度は、あの店に行こうこの店に行こうとわがまま三昧で?
(なんか今日は、わがままがひどいな)
お嬢様の手を引きながら馬車に戻る途で、私は少し違和感を感じていた。
「こんなに寄り道をしていては、奴隷ギルドが営業を終えてしまいますよ?」
「も、もしそうなったらまた日を改めればいいだけだしっ!」
ちょっと顔を赤くしながら、お嬢様が捲し立てる。
(もしかして、今日街に出たいと言ったのは……私とおでかけしたかっただけなんだろうか?)
両親から放任、悪くいえば関心を持ってもらえないお嬢様。私以外の使用人たちからは畏怖の対象だ。
(寂しかった、とか?)
まさかと思いつつも、自分がナーシャのときはどうだったかを鑑みて。
(私のときは、両親に愛されていたからな)
今目の前にいるお嬢様は、自分と同じかつてのナーシャでありながらそうでない存在なのだと改めて認識する。私は今のお嬢様の気持ちを、心から理解できていなかったのではないだろうか。
「ナーシャお嬢様、今日はわがままにお付き合いいたします。どこかほかに、寄りたい場所はございますか?」
「本当⁉ でも……もう寄り道いっぱいしちゃったから、もうダスラを困らせはしないわ」
「わかりました。では日が暮れないうちに屋敷に」
「早く奴隷ギルドへ急ぎましょう!」
いや、本当に辞めちゃいますよ⁉ ブレないなぁ……。
そんな私の心中をよそに、馬車は奴隷ギルドに到着する。ギルドといいつつ、奴隷の販売と買い取りを主とする施設だ。
奴隷を購入したり使役するのはもっぱら貴族や金持ちの上流階級ばかりなので、中はそれなりに富裕層でごった返していた。
そしてお目当ての調教グッズ売り場。お嬢様は長さ五十センチほどの鞭が並べてあるテーブルの前で、二本の鞭を両手に持って何やら悩んでらっしゃいます。
「こっち……いや、こっちかな」
その表情はすごく真剣で、さすがにドン引く。
「ねぇ、ダスラ。どっちがいいかな?」
なぜ私は、私が打たれるための鞭の選択を訊かれているのだろう。理不尽すぎてついていけないが、ここで弱った顔を見せるのは悪手なので無表情を貫いてみせる。
ただね、ひとことだけツッコませていただきたい。
「そうですね、とりあえず先端に螺子がついてるものとトゲトゲがついてるものの二択はやめていただけませんか⁉」
本気なのか冗談なのかわからなくて、冷や汗タラリですよ。それに、私の視界の隅にある『アレ』に変更されても叶わない。
「あら、ダスラ。ああいうのがいいの?」
目敏いというか、私がチラと横目で一瞬だけ見やったそれにお嬢様が気づいたようだ。
ニヤニヤ笑いながら、本当に愉しそうにお嬢様が指さしたのは……長さが二メートル近い、蛇のような鞭だ。動物曲芸師が、猛獣を調教する際に使うもので。
「いいわけないでしょうっ‼」
思わず激高しちゃいました。さすがにあれはダメなヤツだから。
「冗談よ。自分が打たれる鞭なのだから、自分で決めなさい」
お嬢様は「どう、私は優しいでしょう?」とでも言いたげに、並んだ鞭のテーブルを片手で示してみせる。
(もうだめだ、こいつ)
とは思いつつも、
「ありがとうございます」
と一応お礼をば。そして、できるだけ痛くなさそうな鞭のチョイスに入る。
最終的に先端が幅三センチほどの平たい皮が張ってあるものと、蛇の尻尾のようになっているものの二本に候補を絞り込む。
「こっちは、叩かれたような痛みで広範囲に痕が残る……こっちは刺されたような痛みでミミズ腫れになるのか」
そんなことをブツブツつぶやきながら、試しに自分のそでを捲って腕に軽く打ってみたりして。
私のその表情がものすごく真剣なものだから、お嬢様はおかしくってしょうがないんだろうな。肩を揺らして必死に笑いを堪えてらっしゃいます、クソが。
まぁほっとこう。私はウンウンと悩み唸りながら交互に先端を目の前に持ってきて比較したり、身体のあちこちを軽く打ってみたりと真剣に吟味……するものだから、お嬢様の腹筋は崩壊寸前のようです。
「待てよ、筋肉の部分を打たれるのか脂肪の部分を打たれるのかで話は違ってくるわよね。ふむ」
私はおもむろに振り返ると、
「ナーシャお嬢様。お嬢様は私の身体の、どこを鞭打つおつもりでしょうか?」
まるで、ケーキをどこから食べようかなみたいなノリである。そしてお嬢様は、もう我慢できなかったみたいで。
「あっはははははは! ダスラ、可笑しい‼」
腹を抱えてしゃがみ込み、笑い涙をポロポロとこぼしながらバカウケしてらっしゃいます。うーん、本気で殺意がわいてきそう。
「私にとっては大事なことなんです」
わかってるのかな、この人……。
「そっ、そうね。えーと」
まだ口角が波打つお嬢様、声が可笑しさのあまり揺れて震えてます。
「外から見える場所はイヤよね?」
あら、お嬢様らしくもない気遣い。まぁイヤですね、えぇ。
「じゃあ背中かなぁ? お尻だと座れないものね」
うーん、またしても「どう? 優しいでしょ」と言いたげだ。だけど私にとっては、打たれるのは筋肉の多い部位か脂肪の厚い部位かは重要なんである。
(背中となると、この幅広のやつかな?)
私はスレンダーというか鍛えた身体の持ち主なので、背中にはほとんど脂肪がない。筋肉に対して斬るような痛みよりは、叩かれるような痛みのほうがよいのではと考えたのだ。
「では、こちらでお願いします」
と言ってお嬢様に差し出しつつ、
(私は何をお願いしているんだろう)
いや、本当に。
「了解、これにするわね……あら、この鞭ってネームを彫ることができるのね」
鞭についているタグに書かれている説明書きに気づいて、お嬢様が声を上げる。その鞭は、グリップ部分に任意の文字を彫ってもらえるサービスが無料で付帯しているようで。
「なにかご希望でも?」
通常は、持ち主の名前を彫るのがセオリーなんだろう。好きにしてください、ハイ。
「えっと……店員さん、紙とメモをお願いできるかしら」
(紙とメモ? 紙とペンでは)
そうツッコミたかったけど、もはやその元気もない。だが店員はお嬢様がなにを言いたいかを汲んだようで、メモとペンをナーシャに手渡した。
「ダスラ、後ろ向いてて!」
「? はい」
そして私が後ろを向いたのを確認すると、お嬢様が紙にペンを走らせる音が聴こえてくる。
「これでお願い」
と言って、店員に渡して。
「かしこまりました、少々お待ちください。商品のほうは梱包されますか?」
「いえ、手に持って帰るから結構よ」
もう溜め息しか出てこない。
(帰りの馬車の中でしばかれるのかしらん?)
「もういいわよ、ダスラ」
お嬢様の許しが出たので、背を向けていた私はお嬢様に振り返って。
「はい。なんて彫ってもらったんですか?」
「な、なんだっていいじゃないっ‼」
挙動不審というか少し狼狽え気味にそう怒鳴ると、お嬢様はドンッと私の足を思いっきり踏んづけてきた。
「痛っ……」
「ダスラには関係ないんだから! フンッ‼」
「さようで……」
不意打ちだったのもあって、思いっきり油断したところを踏まれてしまった。痛みで、ちょっと涙が出てきたかも。
「じゃあダスラ、清算しておいてちょうだい」
「はい、お財布お預かりいたします」
財布を預かろうと手を差し出した私に、氷のようなお嬢様の視線が突き刺さる。
「は? なに言ってるの? ダスラが打たれるための鞭なのよ?」
(理不尽すぎる……)
とは思ったものの、最初からそのつもりだったのだろう。もう諦めの境地だ。
「……かしこまりました」
私のお金で清算を済ませ、お嬢様の手を引いて馬車に戻る。お嬢様は鞭を片手にウッキウキで、ハイテンションでいらっしゃいます。
帰りの馬車の中で試し打ちされるのを覚悟していたけど、もう外もすっかり暗くなっているのもあってお嬢様は馬車の中で寝入ってしまった。
そして手が緩み、持っていた鞭が床に落ちる。何気なくそれを拾い上げたんだけど、その際にグリップ部分に彫られていた文字に目が留まった。
そこに彫られていたのは――『ナーシャ&ダスラ』。
「……」
気持ちよさそうに寝ているお嬢様の寝顔を見つめて、いま私の中に芽生えてる感情の名前を必死に探るが思い出せない。
「しょうがないお嬢様ですこと」
起こさないように小さくそう呟いて、お嬢様が風邪をひかないよう毛布をかけて。
「寝てるときは、天使なんだけどなぁ?」
私がナーシャだったときのダスラも、そう思ってくれてたのかな……なんとなく、そう思った。
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