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14. 子爵令嬢ですが?

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「ようこそお越しくださいました」

 今日も眩しいエルメルトが、護衛と一緒に入ってきた。コーレ・フォーゲルと名乗った騎士は綺麗なお辞儀をしてにこやかに笑った。

 エルメルトは王城にいるときでさえラフな格好を好んでいるようなのに、今日はフロックコートを纏っていた。長身のひとのフロックコート姿というのはどうしてこうも恰好いいのか。見つめ過ぎればコテンと首を傾げられ、その耳にはいつもの大きなピアスが揺れていた。
 目を奪われながらも、エルメルトが持っている布が掛けられた絵の存在を無視できず気持ちがざわめく。

「なぜそんな不安そうな顔をしているの?」

 楽しそうな彼は、とても美しい。
 そんな美しい人に、レナの動揺が伝わらないのは仕方がないことだった。


 先日、なぜマルガリータがエルメルトを連れてきたかといえば、イグナートと二人並んだ肖像画を描いてもらうためだった。レナへの婚約の報告がついでだったのか、肖像画がついでだったのかはわからないけれど。

 マルガリータいわく、エルメルトの腕前はプロのレベルらしい。一国の王子が……と疑問に思っていたら、うっかり顔に出ていたらしく『だから穀潰しっていわれてるんだって』とエルメルトが笑った。

 会話を続けながらも素早く二人のデッサンを終え、なぜかレナの絵も描きたいと言い出したのには困った。容姿に自信のない身としてはお断りしたかったけれど、頭をさげられてしまったので了承するしかなかった。


 エルメルトを四阿に案内し、腰を降ろしても絵が気になってしまい、なかなか落ち着かなかった。

 エルメルトが紅茶よりもコーヒーが好きだと聞き、本来ならお茶など淹れないジルドがコーヒーを淹れてくれた。ジルドは日に何度も飲むほどのコーヒー好きだ。とはいえ、ジルドが嬉々としてコーヒーを淹れている姿というのはやはり不思議だけれど。

 レナが襲われた事件以来、アドラが雇った使用人は他家へ紹介状を出したり、休暇を出したりしたので邸内は人手不足だ。その影響も少々ある。

 ベンの焼いたクッキーも出てきて、ようやく一息つく。
 エルメルトはジルドにコーヒーの淹れ方が上手いね、と褒めていた。なんでも、酸味と苦みのバランスがちょうどいいとか。レナにはわからないが、そういうものなのだろう。

 騎士団では紅茶よりコーヒーが好まれると聞いたことがあるけれど、エルメルトは王子という身分からしても紅茶派かと思っていたので意外だった。コーヒー好きのジルドとしばらくコーヒー豆の話で盛り上がっていた。

 ちょうど会話が途切れたころ、エルメルトは嬉々として布を取り払って絵を見せてくれた。

「これは……」

 初めて見るタイプの肖像画だった。
 アティーム国であれば、下膨れ美人に補正して描かれるから。

 エルメルトの描く肖像画は、水彩のような、それでいて髪の一本一本がまるでそこにあるかのような美しさだった。なにより息を呑んだのが肌の瑞々しさだった。白く柔らかそうな頬や、瑞々しい唇、大きな二重を縁取る長い睫毛――尖った顎の小さな顔――不思議と嫌いだったそれらが、まるで美しいもののように描かれていた。

「どうかな? 僕としてはやっぱり本物の美しさには適わないって思っちゃうんだけどね」
「……美しい?」
「え、駄目だった??」
「いえ、エルメルト殿下が描かれたこの絵はとても美しいですが」
「それは、レナ嬢が美しいってことだよ?」
「そんなこと……」

 あるはずがない。
 醜女だと、自他共に認めているのだから。
 強いて言うなら身内からは『可愛い』と思われている程度だ。

「僕の描く肖像画は写実的だと思うんだけど」
「写実的……」
「主観ではなく、見たまま、ありのまま」
「私はこんなに美しくはないはずです」
「本物のレナ嬢はもっと美しいよ」

 エルメルトはそう言って立ち上がると、レナの前に跪いた。サイドで結ばれた艶やかな黒髪が肩から滑り落ちる。

「いけません、殿下がそのように跪くなど」
「聞いて?」

 レナの両手をエルメルトの大きな手が包み込む。エルメルトはコーレとジルドに目配せをした。それを受けて二人は静かに遠ざかっていった。

「絵の右下の文字、レナ嬢には読めないと思うんだけど」
「はい。読めません。殿下の画家名か何かでしょうか」
麗奈れなって書いてあるの」
「れな……私の名前でしょうか」
「うん」

 エルメルトの長く綺麗な指が麗奈と書かれた文字を辿る。

「僕には前世の記憶があってね。この麗という字は、僕の前世では綺麗って意味を表す文字だよ」
「前世……」
「そう。レナ嬢の名前を聞いた時、頭の中でこの文字が浮かんでね。前世にもあった名前だったから、勝手に親近感が沸いちゃって。レナ嬢は、僕がいた国ではお目にかかえれないほど美しいからね。和風な名前をつけちゃうのもどうかと思ったけど」
「わふう……」
「僕がいた国の様式のことをそう呼ぶんだけどね。この国の下膨れは、ある意味和風ではあるんだけど、平安顔っていうかおかめ顔っていうか。正直あまり美しいと思えなくて。美醜逆転世界に転生したかと思ったよねぇ」

 肩をすくめるエルメルトは、慌てたように『マルガリータ様は、顔のパーツとか髪の色とか性格も含めてとても綺麗だと思うけどね?』と付け加えた。

 へいあん顔、おかめ顔、びしゅうぎゃくてん世界にてんせい、とはなんだろう?

「美しい君が、この国で酷い扱いを受けてると知って、とても悲しかった」
「…………」
「それでも前を向いているレナ嬢がとても眩しくて、惹かれずにはいられなかった」

 リズと同じ琥珀の瞳がレナを映す。いつもなら自分の顔など見たくもないのに、どうしてかそこに映る自分を見たくてたまらなくなってしまう。

「レナ嬢をこの国から救い出したいなんて思っているのは僕の我がままで、レナ嬢はちっとも望んでないかもしれない。そもそも救い出さなくたって、レナ嬢は不埒な輩を自分で排除できるほど強いしね?」

 エルメルトがウインクして、レナを笑わせた。

「残念なことに、絶対なんて言葉を言えるほどの自信もないんだ。母国では穀潰しなんて言われてるし」
「殿下……」
「でも僕は、レナ嬢が大好きで、君を幸せにできるよう努力するし、僕は君と一緒にいると、とても楽しい。僕だけが幸せみたいな変な話になっちゃうけど、僕との結婚、考えてみてくれないかな?」
「わた、私は、子爵令嬢なのです」
「そうだね」
「身分が」
「あれ? 知らない?」
「??」
「ファルエイネは王族でも普通に平民とも結婚するよ?」
「えっ」
「小さい国だからね。政略結婚で貴族とばかり結婚してると子供が弱くなるから」
「……子供が?」
「うん。血が濃くなるからね。だから他国からのお嫁さんなんて珍しいし、すごく喜ばれるよ!」

 深刻になりすぎないように、軽い口調で会話をしてくれるのは優しさだと思う。
 本音を言えば、すぐにでも頷いてしまいたいほどだった。


「突然で混乱させちゃったかな。それとも、こうしてるのも不快?」

 手の甲を撫でられたけれど、不快ではなかった。
 身分差があるはずなのに、いつもそれを忘れそうになってしまう。
 とても不思議な人だと思う。

「いいえ、突然で驚いていますが不快ではありません」
「そっか。じゃぁ、脈はあるかな」

 笑顔でそう言われたけれど。
 胸のつかえをそのままに、返事はできないだろう。

「とても嬉しいです。ですが」
「待って! 断ろうとしてるなら待って! まだ帰国しないから、それまでよーく考えて、まずは僕という人間を知って欲しい。そうだ! 僕は王位を継ぐとかないから王妃に、なんて考えなくていいし、叔父夫婦に子どもがいないから結婚したらフレドホルム公爵を継ぐことになっててね、だから初めて会った時の名前は偽名ってわけでもなくて……」
「あの!!」
「いい返事なら聞く!」

 そう言って両耳を手で塞いでしまった。
 それでは聞こえないのではと思ったら、なんだか可笑しくなって笑ってしまった。

「ん? 笑ってるってことはいい返事?」

 エルメルトが耳から手を離すと、複雑な紋様が描かれたピアスがキラキラ揺れた。

「自信がないのです。エルメルト殿下は……私を美しいと言ってくださいますが……」
「レナ嬢は美しいよ。僕の美的感覚はもちろん、母国でもアティーム国の下膨れは美しいとは言われていないし」
「えっ、そうなんですか?」

 驚いて、俯きかけていた顔を上げた。
 国内なら仕方がないと我慢できても、ファルエイネ国に行ってまで醜女と言われるのは耐えられそうになかった。

「他国の文化だし、失礼に当たるのでここだけの話なんだけど、兄上にアティーム国の令嬢に結婚を申し込むって連絡をしたら拒否されてね……アティーム国風じゃない、とても美しい令嬢だよって言ったら許可が出たんだけど」

 それはそれで複雑だけれど。
 とりあえずは安心していいのかもしれない。

『僕は運命だと思ってるよ。ファルエイネ語も話せるし。こんな子いないよ。いま僕が何を話しているかわかるでしょう?』
『わかります』
『凄いよね、どうやって勉強したの? 話すだけじゃなく読めるよね?』

 エルメルトに初めて会ったあの日、レナがファルエイネ語もパティロニア語も読み書きできるという話をしていた。なぜかアーロンまで驚いていたのが面白かったけれど。

『母が教えてくれました。私にはいずれ必要になると言って』
『なるほど、ご母堂はご存知だったのだろうね。他国からみたらレナ嬢が美人だってこと』
『そうなのでしょうか? 私の顔について母が何か言うことはなかったので……』
『正直、この国の容姿に対する執着と偏見は、僕にはちょっと怖いよ。ご母堂がなぜ言わなかったのかというのは推測でしかないけれど、どう受け入れて何を選択するか、それはレナ嬢が決めていいってことだったのかなって』

 この国に留まるもよし、他国へ出るもよし。
 言葉を知らなければ、他国へ行こうなどと思わなかっただろう。公用語であるパティロニア語だけでなくファルエイネ語まで習ったのには、どういう意味があったのだろうか。

 ちょっといい加減だったらしいリズのことだから、自分が行ってみたかったとか?

「「楽しそうな顔してるね」」
「「母はもしかしたらファルエイネに行ってみたかったのかもしれないと思ったら、好奇心の強い母娘だなって、なんだか嬉しくなってしまって。変ですかね?」」
「「変じゃないよ。嬉しいし、ぜひ来てほしいよ。抵抗なくパティロニア語も話すんだね、本当にすごいな」」

 パティロニア語でエルメルトに褒められた。
 ついつい嬉しくなってしまう自分の単純さに呆れてしまうが、人心掌握ぶりはさすが王子というべきか。

「やだなー。兄上に気に入られ過ぎて連れまわされたらどうしよう。僕のお嫁さんなのに」
「まだお返事してませんよ?」
「そうだった!!」
「前向きに考えさせていただきます」
「本当に!? ありがとう!!」

 無邪気に笑うエルメルトは、とても可愛かった。

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