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テオドルに庭園の中を案内しながらゆっくり歩く。夏のむせるような暑さが薄れ、秋の気配がしていた。夜の草木の露のような香りが心地よく、婚活会場の賑わいからも離れて深く息を吸うことができた。
ライトアップされている場所まで来ると、足を止めて青く光る庭を眺める。噴水の周りだけ優しいクリームイエローのライトが散りばめられていた。青い草原に咲くクリームイエローの花束のようでうっとりしてしまった。
「ほう、これは見事ですな」
「イルミネーションみたいですよねぇ」
「イルミネーション……ですか」
「あぁ、ごめんなさい。なんでもないです。今日はちょっとしたパーティーのようなものがあったので、庭師が気を利かせたのでしょう」
こういうところが駄目なのだろう。前世の記憶のまま、この世界に存在しない言葉を呟いてしまう。
幼少期は特に酷く、牡蛎そっくりの貝を牡蛎だ牡蛎だと騒いでしまったことがあった。焼いた時の味もそっくりで、大きさは三十センチほどもあった。
私はそれを生で食べようとしたり、他の魚も生で食べようとしたせいでとても気味悪がられた。
幼少期は前世の記憶を持ちながらも、体の年齢に精神が引っ張られ、何を言えば気味悪がられるのかを理解できなかったから、あの頃は自由に発言していた。
生では食べられないと言われた時も「寄生虫がいるもんね」と言って、さらに怖がられたのだ。
そんなことを繰り返しているうちに家族から蔑まれ、避けられるようになった。
どうせなら前世の記憶やら転生者特有のチートで活躍してみたかったが、私の記憶は残念なほど平凡だった。どこかフワフワしており曖昧で、有効活用できるような記憶は持っていなかった。その割に価値観は前世に近く、いまひとつこの世界に馴染めない。何においても中途半端なみそっかす王女だ。
「ルルドには、とてもよくしてもらってます」
「お役に立てているのなら僥倖です」
ぼんやりとした作り方しか知らない、前世の食べ物を何度も作ってもらった。異国出身のルルドは私の変な発言も馬鹿にしなかったから、たくさん甘えてしまったのだ。
「ルルドは、そろそろ国に戻るのでしょうか?」
胸がざわざわする。ルルドの料理を食べられなくなったら、これから何を楽しみに生きたらいいのだろう。
「あー。いえ、実は」
テオドルが何かを言いかけて、不意に背後を見た。レイラも剣の柄に手を置いている。
私はノロノロと二人の視線の先を追った。
件の……私を罵っていた伯爵令息が美しい女性をエスコートしながらこちらに向かってきた。
「珍しい。姫殿下じゃありませんか」
馬鹿にしていることを隠しもしない、尊大な態度だった。美しい女性を連れているから気が大きくなったのだろう。彼は私のことをジロジロ見たあと、テオドルを上から下まで眺め、フンッと馬鹿にしたように笑った。猫背で背の低い貧弱な彼のどこにテオドルを馬鹿にできる要素があるというのだろう。
レイラの殺気が凄い。
今日はテオドルもいることだし、私は久しぶりにお姫さまらしく振る舞って追い払うことにした。
「わたくしは、あなたのことなど存じ上げないのですが、何か御用ですか?」
「なっ!!」
まさかお兄さまの取り巻きである自分を知らないとは思わなかったのだろう。伯爵令息の顔は瞬時に赤くなった。
この人が陰で私を馬鹿にしただけで、お兄さまから紹介されてもいないし、そもそも話したことがないのだ。
女性の方は流石にマズいと思ったのだろう。ちょっとずつ伯爵令息の腕から手を離し、後退り始めていた。
「……私は、メンフィーヌ伯爵家」
「名乗る許可など与えておりません。何用かと聞いています」
「……失礼……しました」
エスコートしていたはずの女性はいよいよ姿を消した。庭園の奥へ逃げたようだが、それはさすがに危ないと思う。庭園を警備している騎士に目配せしたら、すぐに女性を追ってくれた。
伯爵令息も黙ったようなので、テオドルの腕をそっと撫でて見つめた。
「用はないみたいなので、行きましょう」
「そうですね」
険しい表情を瞬時に緩めたテオドルが頷く。レイラは殺気だったままだが仕方ないだろう。あの伯爵令息には思うところが多分にあるのだ。私への罵りを偶然聞いてしまった時のレイラの怒りようは凄まじく、宥めるのが本当に大変だった。よく大人しく部屋まで帰れたものだと思う。
「みそっかす王女のくせに」
せっかく最小限に留めた私の苦労が水の泡だった。おそらく私が振り返る頃にはレイラにコテンパンにされているだろう。
緩慢な動きで振り返ると、伯爵令息はテオドルに後ろ手に捻り上げられていた。
その横でレイラが目をパチクリしていた。剣の柄で殴ろうとしていたところを、テオドルに片手で止められている。もう片方の手で伯爵令息の腕を捻り上げながらだ。
いつの間に!?
「マナティー王女殿下、この国に不敬罪はありますか?」
「えっ、ええ。一応」
ほぼ形骸化しているけれど。
「では、裁判にかけましょう」
「ええええ……」
伯爵令息は恐怖に体をぶるぶる震わせていた。
「王女殿下の温情もわからないとは、紳士教育はどうなっている?」
「ゆるっ、ゆるして……くだ」
明るい茶髪の毛と二重の大きなうるんだ瞳、震える弱弱しい体のせいでチワワにしか見えない。狼がチワワの首筋に牙を立てているかのようだ。
「なぜ貴殿は王女殿下に恋慕の情を抱きながら悪態をつく?」
……え? なんて?
「わざと嫌われるよう仕向けるなど、幼児か?」
「違っ」
「王女殿下の老成した魂は貴殿の幼稚な魂とは到底釣り合わぬ。潔く諦めよ。さもなくばこの宝珠に記録された先ほどの暴言を元に裁判にかける」
手首に嵌められた宝珠が暗闇で不気味なほど赤く染まっていた。音を録音できる、この世界の道具だが――魂とは一体。スピリチュアルな何かだろうか。
「……申し訳ありませんでした」
震えながら伯爵令息が謝ると、テオドルは「二度目はない」と言って手を離した。伯爵令息は逃げる様に暗闇に向かって走り出し……足をもつれさせて盛大に転び、ヨロヨロ立ち上がると走って消えた。
ライトアップされている場所まで来ると、足を止めて青く光る庭を眺める。噴水の周りだけ優しいクリームイエローのライトが散りばめられていた。青い草原に咲くクリームイエローの花束のようでうっとりしてしまった。
「ほう、これは見事ですな」
「イルミネーションみたいですよねぇ」
「イルミネーション……ですか」
「あぁ、ごめんなさい。なんでもないです。今日はちょっとしたパーティーのようなものがあったので、庭師が気を利かせたのでしょう」
こういうところが駄目なのだろう。前世の記憶のまま、この世界に存在しない言葉を呟いてしまう。
幼少期は特に酷く、牡蛎そっくりの貝を牡蛎だ牡蛎だと騒いでしまったことがあった。焼いた時の味もそっくりで、大きさは三十センチほどもあった。
私はそれを生で食べようとしたり、他の魚も生で食べようとしたせいでとても気味悪がられた。
幼少期は前世の記憶を持ちながらも、体の年齢に精神が引っ張られ、何を言えば気味悪がられるのかを理解できなかったから、あの頃は自由に発言していた。
生では食べられないと言われた時も「寄生虫がいるもんね」と言って、さらに怖がられたのだ。
そんなことを繰り返しているうちに家族から蔑まれ、避けられるようになった。
どうせなら前世の記憶やら転生者特有のチートで活躍してみたかったが、私の記憶は残念なほど平凡だった。どこかフワフワしており曖昧で、有効活用できるような記憶は持っていなかった。その割に価値観は前世に近く、いまひとつこの世界に馴染めない。何においても中途半端なみそっかす王女だ。
「ルルドには、とてもよくしてもらってます」
「お役に立てているのなら僥倖です」
ぼんやりとした作り方しか知らない、前世の食べ物を何度も作ってもらった。異国出身のルルドは私の変な発言も馬鹿にしなかったから、たくさん甘えてしまったのだ。
「ルルドは、そろそろ国に戻るのでしょうか?」
胸がざわざわする。ルルドの料理を食べられなくなったら、これから何を楽しみに生きたらいいのだろう。
「あー。いえ、実は」
テオドルが何かを言いかけて、不意に背後を見た。レイラも剣の柄に手を置いている。
私はノロノロと二人の視線の先を追った。
件の……私を罵っていた伯爵令息が美しい女性をエスコートしながらこちらに向かってきた。
「珍しい。姫殿下じゃありませんか」
馬鹿にしていることを隠しもしない、尊大な態度だった。美しい女性を連れているから気が大きくなったのだろう。彼は私のことをジロジロ見たあと、テオドルを上から下まで眺め、フンッと馬鹿にしたように笑った。猫背で背の低い貧弱な彼のどこにテオドルを馬鹿にできる要素があるというのだろう。
レイラの殺気が凄い。
今日はテオドルもいることだし、私は久しぶりにお姫さまらしく振る舞って追い払うことにした。
「わたくしは、あなたのことなど存じ上げないのですが、何か御用ですか?」
「なっ!!」
まさかお兄さまの取り巻きである自分を知らないとは思わなかったのだろう。伯爵令息の顔は瞬時に赤くなった。
この人が陰で私を馬鹿にしただけで、お兄さまから紹介されてもいないし、そもそも話したことがないのだ。
女性の方は流石にマズいと思ったのだろう。ちょっとずつ伯爵令息の腕から手を離し、後退り始めていた。
「……私は、メンフィーヌ伯爵家」
「名乗る許可など与えておりません。何用かと聞いています」
「……失礼……しました」
エスコートしていたはずの女性はいよいよ姿を消した。庭園の奥へ逃げたようだが、それはさすがに危ないと思う。庭園を警備している騎士に目配せしたら、すぐに女性を追ってくれた。
伯爵令息も黙ったようなので、テオドルの腕をそっと撫でて見つめた。
「用はないみたいなので、行きましょう」
「そうですね」
険しい表情を瞬時に緩めたテオドルが頷く。レイラは殺気だったままだが仕方ないだろう。あの伯爵令息には思うところが多分にあるのだ。私への罵りを偶然聞いてしまった時のレイラの怒りようは凄まじく、宥めるのが本当に大変だった。よく大人しく部屋まで帰れたものだと思う。
「みそっかす王女のくせに」
せっかく最小限に留めた私の苦労が水の泡だった。おそらく私が振り返る頃にはレイラにコテンパンにされているだろう。
緩慢な動きで振り返ると、伯爵令息はテオドルに後ろ手に捻り上げられていた。
その横でレイラが目をパチクリしていた。剣の柄で殴ろうとしていたところを、テオドルに片手で止められている。もう片方の手で伯爵令息の腕を捻り上げながらだ。
いつの間に!?
「マナティー王女殿下、この国に不敬罪はありますか?」
「えっ、ええ。一応」
ほぼ形骸化しているけれど。
「では、裁判にかけましょう」
「ええええ……」
伯爵令息は恐怖に体をぶるぶる震わせていた。
「王女殿下の温情もわからないとは、紳士教育はどうなっている?」
「ゆるっ、ゆるして……くだ」
明るい茶髪の毛と二重の大きなうるんだ瞳、震える弱弱しい体のせいでチワワにしか見えない。狼がチワワの首筋に牙を立てているかのようだ。
「なぜ貴殿は王女殿下に恋慕の情を抱きながら悪態をつく?」
……え? なんて?
「わざと嫌われるよう仕向けるなど、幼児か?」
「違っ」
「王女殿下の老成した魂は貴殿の幼稚な魂とは到底釣り合わぬ。潔く諦めよ。さもなくばこの宝珠に記録された先ほどの暴言を元に裁判にかける」
手首に嵌められた宝珠が暗闇で不気味なほど赤く染まっていた。音を録音できる、この世界の道具だが――魂とは一体。スピリチュアルな何かだろうか。
「……申し訳ありませんでした」
震えながら伯爵令息が謝ると、テオドルは「二度目はない」と言って手を離した。伯爵令息は逃げる様に暗闇に向かって走り出し……足をもつれさせて盛大に転び、ヨロヨロ立ち上がると走って消えた。
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